雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.06 進む者、そうでない者

 それから、さらに三年が経った。

 

 私の背丈は変わらない。けれど、周りは変わった。

 

「ただいま」

 

 扉を開けて入ってきた男を見て、私は少し考えた。

 

「……誰?」

 

「ひでえな!」

 

 怒られた。

 

 冗談よ。

 

 知っている。項司に拾われた時には、私より少し大きいくらいだった男の子だ。

 

「久しぶり」

 

「ああ。雛子は……本当に変わらないな」

 

「変えようとしてないもの」

 

「そういうもんなのか?」

 

「そういうものよ」

 

 たぶん。

 

 彼は大きくなった。声も低くなった。肩幅も広くなった。頬には知らない傷が増え、服装も変わった。三年前までは拾った服を継ぎ接ぎして着ていたのに、今の上着は少なくとも彼の体に合っている。

 

 腰には刃物。上着の下には拳銃。そして、腕には見覚えのない印があった。

 

「それ、何?」

 

「これ?」

 

 青年が袖を捲る。

 

「印。俺たちの」

 

「ふうん」

 

 誰の仲間なのか、一目で分かるようにしているらしい。

 

 便利ね。

 

「お前、その格好……」

 

 奥から出てきた項司が足を止めた。

 

 青年が笑う。

 

「久しぶり、項司」

 

「何しに来た」

 

「何って、帰ってきたんだよ」

 

「どの面下げて」

 

「俺の面だよ」

 

「そういうこと言ってんじゃねえ」

 

 項司は腕の印を睨んでいた。青年は気にした様子もなく、背負っていた袋を床へ下ろす。どさりと鈍い音がした。随分と重そうだった。

 

「ほら」

 

 中から出てきたのは米だった。それも、かなりある。

 

「…………」

 

 項司が黙る。

 

 青年はさらに缶詰を取り出した。塩。乾燥させた肉。薬。見たことのない瓶まである。三年前なら、何日歩き回ればこれだけ集められただろう。

 

 子供たちが集まってくる。

 

「触るなよ。あとで分けるから」

 

「これ、全部?」

 

「ああ」

 

「すごい!」

 

「だろ?」

 

 青年が笑った。

 

 みんな嬉しそうだった。

 

 項司以外は。

 

「持って帰れ」

 

 空気が止まった。

 

「……は?」

 

「聞こえなかったか。持って帰れ」

 

「何言ってんだよ」

 

「そんなもん受け取れるか」

 

 青年の顔から笑みが消えた。

 

「なんで」

 

「どこから持ってきた」

 

「俺の分け前だよ」

 

「だから、その分け前はどこから来た」

 

「仕事したから貰った」

 

「何の仕事だ」

 

「…………」

 

「言えねえのか?」

 

「見張り。荷運び。揉め事の仲裁。色々だよ」

 

「仲裁?」

 

 項司が鼻で笑った。

 

「殴って言うこと聞かせるのを仲裁って言うようになったのか」

 

「だったら何だよ」

 

「持って帰れ」

 

「だから!」

 

 青年が袋を蹴った。

 

「食い物だぞ!」

 

 袋が倒れ、口から米が少し床へ零れる。

 

「あ……」

 

 近くにいた子供が声を漏らした。

 

 二人とも黙った。

 

 私は床に落ちた米を見る。

 

 勿体ない。

 

 拾おうとしたら、項司に先を越された。一粒ずつ摘まみ、袋へ戻していく。受け取らないと言ったくせに、捨てることもできないらしい。

 

「……食わせるもん、ないんだろ」

 

 青年が言った。

 

 項司の手が止まる。

 

「畑も駄目になったって聞いた」

 

「誰からだ」

 

「ここらのことなら大体分かる」

 

「…………」

 

「薬もない。薪も足りない。冬越せると思ってんのか?」

 

「だからって、お前があんな連中の仲間になる必要はねえ」

 

「あるよ」

 

「ねえよ」

 

「ある!」

 

 青年の声が響いた。

 

 奥にいた小さな子供が肩を震わせる。青年はそれを見て、一度口を閉じた。

 

 少しして、声を落とす。

 

「あるんだよ」

 

「…………」

 

「あそこにいれば飯が食える。寝る場所もある。働けば分け前も出る。ここらじゃ勝手に襲われることもない。異能があるだけで追い出されない。何ができるかで仕事も振られる」

 

「その代わり、他の奴から奪うんだろ」

 

「奪ってねえよ。決まりを守らねえ奴から取り立ててるだけだ」

 

「同じだ」

 

「違う」

 

「何が違う」

 

「死なない」

 

 項司が黙った。

 

 青年は項司を睨んでいた。

 

「死なないんだよ」

 

 もう一度言った。

 

「角があろうが腕が三本あろうが、働けるなら関係ねえ。あそこじゃ、使える奴にはちゃんと飯が出る」

 

「使える奴には、な」

 

 項司が低く言った。

 青年の顔が僅かに歪む。

 

「じゃあ使えない奴まで、あんた一人で抱えてどうすんだよ」

 

 項司は答えなかった。

 

「あんたはずっとそうだ。悪い奴から物を取るな。弱い奴を見捨てるな。子供を危ないことに使うな。困ってる奴がいたら助けろ」

 

「何が悪い」

 

「悪いなんて言ってねえよ!」

 

 青年が叫んだ。

 

「あんたに拾われなかったら、俺は死んでた。ここにいる奴らだってそうだ。だから今度は俺が食わせようとしてんだろ!」

 

「そんなやり方でか」

 

「じゃあどうすりゃいいんだよ!」

 

 答えはなかった。

 

「畑は駄目になった。探しに行ったって、もう何も残ってねえ。物を作ってるところは全部誰かが押さえてる。水だってそうだ。薬だってそうだ。何にも属さずに生きていける時代じゃねえんだよ!」

 

「だからって――」

 

「だからって何だよ!」

 

 項司が言葉を止めた。

 

 青年が一歩近づく。

 

「あんたは俺たちを生かしたかったんじゃないのか?」

 

「…………」

 

「俺は生きてるぞ」

 

 青年は自分の胸を叩いた。

 

「飯食って、働いて、自分の分け前まで貰える。ここに持って帰ってこれるくらいにはなった。それの何が気に入らねえんだよ」

 

「お前が、誰かを踏みつけて生きるようになったことだよ」

 

「踏みつけなきゃ、こっちが踏みつけられるんだよ」

 

「それじゃ何も変わらねえだろ」

 

「変わったよ」

 

 青年は即答した。

 

「少なくとも、俺は死ななくなった」

 

 静かになった。誰も口を挟まない。

 

 私は二人を見比べる。

 

 青年の言っていることは、よく分かった。食べ物がある。寝床がある。守ってもらえる。その代わりに働く。必要なら誰かを殴る。

 

 単純だ。

 

 項司の言っていることは、相変わらずよく分からなかった。

 

「……食料は持って帰れ」

 

 項司が言った。

 

 青年が目を細める。

 

「本気で言ってんのか」

 

「ああ」

 

「こいつらが腹減らしてても?」

 

「俺が何とかする」

 

「どうやって」

 

「…………」

 

「なあ。どうやってだよ」

 

 項司は答えなかった。

 

 青年が笑った。

 

 嫌な笑い方だった。

 

「何とかする。考える。その時になったらどうにかする。ずっとそれだよな」

 

 項司が青年を見る。

 

「もう無理なんだよ」

 

 その声は、怒っていなかった。

 

「項司。もう、あんた一人じゃ無理なんだ」

 

 項司は何も言わなかった。

 

 ◇

 

 結局、食料は置いていかれた。

 

 項司は最後まで受け取らないと言っていたけれど、青年は聞かなかった。

 

「いらねえなら捨てろ」

 

 そう言って帰っていった。

 

 もちろん、捨てなかった。

 

 その日の夕食は、久しぶりに粥ではなかった。炊いた米に塩気のある肉まで付いた。子供たちは何度も器を覗き込み、食べ終わった後まで名残惜しそうに底を掬っていた。

 

 項司はほとんど食べなかった。

 

「食べないの?」

 

「食欲ねえ」

 

「じゃあ貰っていい?」

 

「駄目だ」

 

「なんでよ」

 

「明日の分だ」

 

「そう」

 

 なら仕方ない。

 

 項司の向かいに座って食べる。

 

 美味しかった。

 

「ねえ」

 

「なんだ」

 

「あの子の言ってること、間違ってる?」

 

「…………」

 

 項司はしばらく答えなかった。手をつけていない器を見て、それから、さっきまで青年が座っていた場所を見る。

 

「間違ってねえよ」

 

「じゃあ何で怒ってたの?」

 

「間違ってなくても、嫌なもんは嫌なんだよ」

 

「そういうもの?」

 

「そういうもんだ」

 

 よく分からない。

 

 でも、項司自身も分かっていたらしい。青年の言っていることが間違っていないことくらい。

 

 外では、もう誰かの縄張りに入らず生きていく方が難しくなっていた。水を汲むにも、食べ物を育てるにも、物を交換するにも、誰かが作った決まりの中でやるしかない。以前は道端で勝手に物を並べていた人たちも、今では決められた場所へ集まる。畑の周りには見張りが立ち、水場には順番があり、そこを守る人間には取り分がある。

 

 項司の拠点だけが、その外側に残っていた。

 

 畑は不作。蓄えていた食料も、もうほとんどない。薬もない。燃料も足りない。拾えるものは拾い尽くした。項司がどれだけ探し回っても、手ぶらで帰ってくる日の方が増えた。

 

 それでも項司は、誰かに従うことを嫌がった。

 

 青年は、進んだ。

 

 項司は、進まなかった。

 

 当時の私は、そう思っていた。

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