雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.07 名も無き誰か

 項司の家が、あいつらの縄張りになった。

 

 正確には、なったらしい。

 

「いや、なってねえよ」

 

 項司はそう言った。

 

「なってるわよ」

 

「なってねえ」

 

「でも、あの子が食べ物持ってきてるじゃない」

 

「それとこれとは別だ」

 

「向こうは別だと思ってないみたいだけど」

 

 項司が黙った。

 

 青年が食料を運ぶようになってから、冬を一つ越した。最初は彼個人の分け前だった。やがて量が増え、米や保存食だけでなく、薬や燃料まで持ってくるようになった。

 

 項司は受け取りたがらなかった。けれど、食べる子供はいる。薬を必要とする子供もいる。寒ければ火を焚かなければならない。捨てることなんてできるはずもない。

 

 だから使った。

 

 向こうからすれば、それで十分だったらしい。食料を受け取る。薬を受け取る。守られる。

 

 ならば仲間だ。

 

 少なくとも、彼らの決まりでは。

 

「一度話した方がいいんじゃない?」

 

「何を」

 

「私たちはあなたたちの仲間じゃありません、って」

 

「言ってる」

 

「聞いてもらえなかった?」

 

「聞いてはいる」

 

「じゃあ?」

 

「納得してねえ」

 

「面倒ね」

 

「だろ?」

 

 項司が笑った。

 

 珍しく意見が合った。

 

 ◇

 

 その日は、青年一人でやってきた。

 

 食料は持っていなかった。

 

 それだけで、いつもとは違うと分かった。

 

「よう」

 

 項司はいつも通りだった。

 

「久しぶりだな」

 

「……ああ」

 

「飯食うか?」

 

「いい」

 

「そうか」

 

 青年の顔色は悪かった。

 

 腰には拳銃がある。珍しいものではなくなった。銃弾そのものは相変わらず貴重だったけれど、それを集められる人間のところには集まるようになった。

 

 食料も。薬も。武器も。人も。

 

 何もかも、持っているところへ集まり始めた。

 

 青年は、その持っている側にいた。

 

「項司」

 

「なんだ」

 

「最後に聞く」

 

「ああ」

 

「俺たちに入ってくれ」

 

 項司は答えなかった。

 

「難しいことじゃない。ここが俺たちの縄張りだって認めてくれればいい。何かあったら人を出す。食料も今まで通り回す。病人が出たら薬も優先してもらえる」

 

「その代わり?」

 

「決まりには従ってもらう」

 

「例えば?」

 

「必要な時には人を出す。物資を出す。他所の連中を勝手に入れない。拾ってきた奴がいるなら報告する」

 

 項司の顔が変わった。

 

「最後のは駄目だ」

 

「項司」

 

「ここに来た奴を追い返せってのか」

 

「全員入れてたらきりがないだろ!」

 

「だからって見殺しにはできねえ」

 

「まだそれ言ってんのかよ!」

 

 青年が声を荒らげた。

 

「何年経ったと思ってる! もう昔とは違うんだよ!」

 

「ああ。知ってる」

 

「知らねえよ!」

 

 青年が項司へ詰め寄る。

 

「知ってたら分かるだろ! もう勝手なことされたら困るんだよ。誰がどこに住んでるか。どれだけ食料があるか。何人働けるか。全部把握しなきゃ回らないんだ!」

 

「随分偉くなったな」

 

「茶化すな!」

 

「茶化してねえよ」

 

 項司は青年を見る。

 

「立派になったって言ってんだ」

 

 青年の顔が歪んだ。

 

「……だったら」

 

「ああ」

 

「だったら、言うこと聞いてくれよ」

 

「それは別だ」

 

「なんでだよ」

 

「嫌だから」

 

「そんな理由で!」

 

「十分だろ」

 

 青年が何か言おうとして、やめた。

 

 たぶん、何度も繰り返した話なのだろう。

 

 私にも分かる。青年の言っていることは正しい。人が増えれば管理が必要になる。食料がどれだけ必要なのか知らなければ、配ることもできない。誰でも好き勝手に拾ってきたら、いずれ足りなくなる。

 

 項司のやり方では、大勢を養えない。

 

 そんなことは、もうずっと前から分かっていた。

 

「……今日、何しに来たの?」

 

 私が聞くと、青年の肩が揺れた。

 

 項司が私を見る。

 

 青年は答えない。

 

「食べ物も持ってきてないし、話をしに来ただけにも見えないけど」

 

「雛子」

 

「何?」

 

「ちょっと外してろ」

 

「嫌よ」

 

「そうか」

 

 あっさり諦めた。

 

 青年は俯いたままだった。

 

 項司が息を吐く。

 

「俺を殺せって?」

 

「…………」

 

 答えはなかった。

 

 必要なかった。

 

「そうか」

 

 項司はそれだけ言った。

 

 驚かなかった。怒りもしなかった。

 

「項司」

 

「分かってたよ」

 

「違う。俺は──」

 

「いい」

 

 青年が顔を上げる。

 

「良くねえよ!」

 

「いいんだよ」

 

 項司は笑った。

 

 いつもの顔だった。

 

「俺が邪魔なんだろ?」

 

「……あんたが従ってくれれば済むんだ」

 

「それは無理だ」

 

「なんで!」

 

「嫌だからだよ」

 

「死ぬんだぞ!」

 

「ああ」

 

 あっさりしていた。

 

「俺が撃つんだぞ!」

 

「ああ」

 

「俺に!」

 

 青年の声が震えた。

 

 項司は少しだけ黙って、それから青年の肩を叩いた。

 

「悪いな」

 

「……何が」

 

「嫌な役やらせて」

 

 青年が項司の手を振り払った。

 

「ふざけんなよ……」

 

「ふざけてねえよ」

 

「だったら従えよ!」

 

「それはできねえ」

 

「なんでだよ……」

 

 項司は答えなかった。

 

 いや、答えられなかったのかもしれない。

 

 この男は、昔からそうだった。どうして子供を拾うのかと聞けば、目の前にいたから。どうやって食わせるのかと聞けば、何とかする。物がなくなったらどうするのかと聞けば、その時考える。

 

 ずっと、それだけだった。

 

 立派な考えなんて持っていなかったのだと思う。目の前にいたものを捨てられない。

 

 ただ、それだけ。

 

「時代についていけなかったのは俺だ」

 

 項司が言った。

 

 青年が顔を上げる。

 

「お前は進め」

 

「…………」

 

「俺を殺して、次に行け」

 

「そんなこと言うなよ……」

 

「お前が生きるために必要なんだろ」

 

「違う」

 

「違わねえよ」

 

「違う!」

 

 青年は泣いていた。

 

 いつの間にか、大きくなったものだと思った。私より少し背が高い程度だった子供が、今では項司とほとんど変わらない。

 

 拳銃を握る手だけが、ひどく震えていた。

 

「雛子」

 

「何?」

 

 項司が私を見た。

 

「悪かったな」

 

「何が?」

 

「勝手に拾って」

 

「別に」

 

「勝手に名前つけて」

 

「別にいいわよ」

 

「そうか」

 

 項司が笑った。

 

「じゃあな、雛子」

 

「ええ」

 

 青年が拳銃を上げる。何度も下げそうになった。

 

 項司は動かない。逃げない。止めない。

 

 私は見ていた。

 

 止めようと思えば、止められた。青年の腕を切り落とすこともできた。拳銃を壊すことも、弾丸が項司へ届く前に止めることもできた。

 

 でも、項司は私を見なかった。

 

 助けてとも言わなかった。

 

 だから、見ていた。

 

「……ごめん」

 

 銃声が響いた。

 

 ◇

 

 項司は死んだ。

 

 それだけだった。

 

 建物が崩れるわけでもない。空が暗くなるわけでもない。誰かが死んだからといって、世界は何も変わらない。

 

 青年はその場に座り込んで、ずっと泣いていた。

 

 私は項司の死体を見た。

 

 血が流れている。まだ温かい。

 

 少し前の私なら、勿体ないと思っただろう。腹も減っていた。血は、そのまま自分のものにできる。あれば困らない。

 

 でも。

 

「……いらない」

 

 初めて、そう思った。

 

 私は外へ出た。

 

 もう、ここにいる理由はなかった。

 

 歩きながら、自分の体を見る。小さい手。短い脚。項司に拾われた日から、ずっとこの姿だった。

 

 別に戻せなかったわけではない。食べて、飲んで、血を増やせばいつでも戻せた。必要がなかっただけだ。

 

「…………」

 

 血を巡らせる。

 

 骨の形を伸ばす。筋肉を作り直す。皮膚を広げる。足りない分は、これまで蓄えていた血と栄養から補った。

 

 視線が少しずつ高くなる。

 

 服が合わなくなったので、途中で少し困った。

 

「……面倒ね」

 

 結局、近くにあった布を巻いた。

 

 振り返る。

 

 項司の家が見える。子供たちの声がする。

 

 あそこにいた子供たちは、たぶん大丈夫だ。青年がいる。食べ物もある。守ってくれる人間もいる。

 

 項司より、ずっと上手くやるだろう。

 

 時代についていけなかったのは、項司だった。青年は進んだ。私も、ここを出ていく。

 

 だから、これでいい。

 

 そう思った。

 

 そういうことにした。

 

「じゃあね、項司」

 

 返事はない。

 

 私は歩き出した。

 

 後になって、この時代について書かれたものをいくつも読んだ。

 

 国が崩壊したこと。異能者同士の争い。各地に生まれた武装集団。そこから少しずつ、新しい秩序が形作られていったこと。

 

 色々な人間の名前が残っていた。

 

 けれど、芥項司という名前を見つけたことは、一度もない。

 

 当然だと思う。

 

 あの男は国を救っていない。大勢を率いたわけでもない。新しい仕組みを作ったわけでもない。ただ、道端にいた子供を拾った。食べ物を分けた。名前のない子供に、名前をつけた。

 

 それだけだ。

 

 歴史に残るようなことは、何一つしていない。

 

 名も無き誰か。

 

 そんな人間だった。

 

 それでも私は、百年以上経った今でも、その名前を覚えている。




ひとまず、これで一章終わりです。
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