旅の道すがら、杯に月色を満たして   作:77493

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2025年分になります。飲んだくれの社壊獣人と、とあるお店の話。
こちら(https://syosetu.org/novel/235038/63.html)続(https://syosetu.org/novel/235038/64.html)の答礼も兼ねています。




2025年の記録
X回目の筋交い『寄る辺に集いし飛竜たち』


 

 

 ある人材派遣業者の話。

 

 世の中には、どうやっても己を律しきれない者がいる。

 酒がやめられない、火遊びがやめられない、賭事がやめられない……ほか、悪事、悪巧みがやめられない、等々だ。

 そういった連中にも成り立ちはある。なるべくして至った生来の気質のもの、生まれ育った環境で理を歪められたもの、あるいはまわりの影響を受けたもの。

 いかな事情があれど、世間的にいうなら悪は悪だ。一度でも日陰に踏み込めば、お天道様のもとには易々と戻れない。日陰者とはよく言ったもの。

 ときに運のよさから表に引っ張り出される輩もいるにはいるが、得てして引っ張り出した側には何かしらの意図があるというのが世の常だ。

 利用価値を見出してか、自分の益になるからか、はたまた……過去の己と重ね見たからか。

 なんにせよ、光のもとに還れたというならそいつは大層ラッキーだ。いかんせん、まともな人間や美味いメシ、酒なんかは大抵陽の光の下にある。

 アングラな娯楽、嗜好品なんかは未だ仄暗い日陰に埋もれていたりもするけれど、真っ当に稼ぎたいならお天道様の下にいるのが一番よ。

 

 

 

 

「――いらっしゃい。獣人に向いてる食事の用意があるとは言いきれないが、それでもよければ空いてる席に」

 

 カランコロンと軽快な音が鳴る。頭上には牧歌の拠点お馴染みの黄金ベルが吊されており、これが来客を知らせる呼び鈴になっていることが読み取れた。

 鼻をくすぐるのは木材の匂い。次いで調度品に染みついた生活臭と、今まさに仕込みが終えられたであろう料理各種の香り、ついでに酒気だ。

 「これは良い隠れ家的設備だぞ」とはこぼさずに、視線で入店を促された獣人は穴場の主人と思わしき女にカウンター越しに会釈する。

 

「ニャーニャ……あらま、アタシにはこのカウンター席、ちょっと『高い』かもしれないニャわね!」

「腹がつっかえちまったのかい。どれ、……ほっ! うん……ま、座れたんなら上々だろうさ」

 

 上手くよじ上れなかった席に女主人が上らせてくれた。ずっしりと肥えたワガママボディを容易く持ち上げた主人の手腕に、獣人はさも上機嫌に破顔する。

 予約なしで来店したことを詫びると、相手は軽く頭を振った。格式高い店でもないし、と蠱惑的な笑みが返される。

 

「それで、今日は何をしに。また営業でもしに来たのかい?」

「そうそ、それニャのよ。ほら、こないだアタシが紹介したアイルーを店に出してくれたでしょ。あの子からアンタたちに宜しくって言われてね」

 

 食前酒に、とうっすら翠を帯びた金色の発泡酒を差し出される。まるで晴天の湖畔に水飲みに現れた雌火竜をグラスに溶かしたようだ。

 ほの明るい店内に、ぱちぱちと弾ける泡やグラス結露の水滴が忙しなく灯を点し歩いているようにも見える。これは粋な演出だ、と獣人は目に見えて喜んだ。

 

「ああ、あの人語を学んでるって子だね。よく働くいい子だったよ。語学学習の方、進んでるのかい」

「フッフフ、それが面白いニャのよ。あの子、この店の常連や世話になった取引先にわざわざ挨拶回りに行って、ここのなんたるかを語ってたらしいニャの」

「中休憩で時々いなくなるなと思ったら……あの子、そんなことをしてたのか。『ここのババアはケチでどうの』とか? ふふっ」

「それが逆ニャのよ、賄いが美味いとか、給金がいいとか、仕事上がりにたまにご馳走を分けてもらえるとか。評判を上げにきてたらしいニャの」

 

 店主はどこか渋い顔をした。獣人は白毛をふわふわとなびかせながら、機嫌よさげにグラスに口をつける。

 この白毛はハンターズギルド容認の元、人材派遣業に勤めている。

後ろ暗い過去をもつもの、実際に犯罪に手を染めたもの、求職に訪れたものといった就職難に喘ぐ者たちに仕事を斡旋するのが、彼女の仕事だ。かつてはドンドルマに流れついた元オトモであったが、過去の雇用主の顔の広さや自前の世話好きの気質からこの地にすっかり腰を落ち着けてしまっている。

 これまで多くをここぞと思わしき職場に送り出してきたが、先日はこの酒場(バル)に人里に出てきたばかりのアイルーを紹介する機会があった。眼前の店主はいくつか質問を投げかけ――時折こちらが通訳を買って出て――即日、気前よく給仕役として件の獣人を雇用したのである。

 

「おたくの就業規則にも守秘義務っていうのはあるんだろう? あたしはここをオモウマい店に仕上げたいワケじゃないんだが」

「ニャーニャ、もちのろんよ。口止めはしておいたし業務が滞った……かもしれないところには顔を出しといたわ。皆、気を悪くした風ではニャかったけど」

「朗報だね。冷やかしするような連中なんざいないだろうが、噂は妙な客を連れてくる。覚えのないところから錆が出るなんておかしな話さ」

 

 光の速さ(!)で空にした円柱型グラスは、さりげない所作で眼の前から下げられていった。

 指先には年相応の年季を感じさせるが、目ざとい視線やスマートな動作からは店主の自負と慣れ、元の稼業を嗅ぎ取ることが出来ている。

 次はうーんと甘いのお願いしたいニャ、しなだれるように注文すると、控えなきゃいけないんじゃなかったの、と揶揄い混じりの笑いが返された。

 

「フッフフ、肥えるのが怖くて妙なるものとは出会えぬもの、つまりこれが宿命というものニャのよ……」

「一杯でイッちゃってるようにしか見えないけどね」

「ニャーニャ、だいじょーぶ。いつものことよ。それよりアタシの見立てだと、そろそろ――」

 

 直後、二度目のベルが鳴らされる。のっそりと大柄な体で扉をくぐったのは、健康的に日に焼けた男だった。

 洒落っ気のある髪容は、その色味からして南方の狩猟場デデ砂漠の景色か、大砂漠を遊泳するジエンモーランの姿を思い起こさせる。この峯山龍という表現も誇張とは言い切れない。足取りは無遠慮と存在感に満ちていて、気の弱い人間ならこの男を前にしたとき、怯むことすらあるだろう。

 防具の選択がよりその感覚を強調させた。今は片手に外されたギルド直属の身分を示す羽根つき帽子に、轟竜素材の強固な鎧がそれだ。

 ティガレックスが人の形(なり)をして徘徊するならこんなんかしらね、と獣人は口にしない。そもそも、この男と獣人にはあらかじめの面識があるのである。

 

「おっ、時間通りやね。にしても、ここを集合場所に指定しよったのはユカちゃん以来やなぁ」

「ニャーニャ、久しぶりニャなのよオッズオズ。先に呑ませてもらってるニャわ」

 

 オズワルド・ベイリー、愛称オズ。このバルの常連であり、獣人にとっては仕事で縁のある知人の一人でもあった。

 彼は、ハンターズギルド直属の狩り人――ギルドナイツの一員であると同時に、古都ドンドルマに「抑制」の名を轟かせる豪傑でもある。

 ギルド経由でビジネス上の脈を繋いで以降、情報のやりとりや人材手配などといった仕事を介する際に、こうして会食を兼ねた面談をすることもあったのだ。

 馴染みの店ということもあり、迷わずカウンターの一席に腰を下ろしたオズは何か言うでもなく手渡されたジョッキに、早速とばかりに口をつけた。

 

「そかそか、ウチもやっと仕事上がりや。で、アンタの呑んどるやつて何? 混酒ってやつかいな、綺麗やなぁ」

「フッフフ。オトナのレディにピッタリ、ミクソロジーてやつニャのね。甘いのに重くなくて、見た目は極彩色。アタシの名前を冠してもいいくらいニャね」

「カクテル・マムってかい? 客から肥えそうってクレームつけられるだろ。勘弁しとくれよ」

 

 いい歳した三者はそれぞれ小さく笑う。店主エウラリアことウラが二杯目に用意したのは、季節の果実を蒸留酒で割った、見た目にも華やかな一杯だった。

 葡萄に石榴、濃い柑橘と、重厚な色彩が重なり合っている……アタシの毛の色とは合ってないニャね、ふと獣人はひとり首肯した。

 

「そういえば、ギルドの素材洗浄の委託先に選出された店の……あ、親父さんの方じゃなくて金髪の娘さんの方ね。あの娘、上手くやっていけそうかしら」

「評判なら上々やで。こないだは闘技大会終わりの参加者とアリーナで酒盛りしとったわ。黒字がどうこう言うとったから、よっぽど嬉しかったんやろね」

「想像に容易い! なんだかねぇ。ギルドに関わりをもつようになると、頭のネジでも弾けちゃうんだろうか」

「おぉ? なんでウチの方見ながら言うん」

「さぁてね。はい、三杯目。今度はサングリアだよ、お好きだそうじゃないか」

「ニャーニャ、ありがと三百万ゼニーニャね。たらふく屋台飯を堪能したあとは新鮮な果物か甘いものに限るニャわ。農業地帯でもないのに贅沢ニャね」

 

 しばらく、とりとめのない話をだらだらと交わす。

 騎士ことオズは獣人の担当する仕事の話を混ぜながら、店主ことウラは客への気遣いを忘れずに、と互いの領域(テリトリー)の扉はそれとなく開かれていた。ただしその奥には踏み込みすぎず、あくまでコミュニケーション程度の会話に留めてあるのがミソである。

 白毛の獣人ことマムは、このバル――七竈堂の常連客ではなかった。

 それでも先日の雇用契約を通じて関わりを持ったこの場所を、以来好ましい店と認識している。来る者拒まず去る者追わずで、干渉してこない雰囲気もいい。

 要は、お気に入りの宝物がまたひとつぶん増えたということだ。

 

「アタシはね、先日ちょっと面白い子に会ったニャのよ。ここで働いてる……えーと、誰だったかしら、確か料理人の……」

「料理番のことかい? それなら、所属と名前は南天屋のアキツネだ」

「そーそ、その子と顔見知りらしくてね。新米のハンターなのにやらかして、アタシとオッズオズ経由で闘技場の掃除番をやらせることになったんニャけど」

 

 話はやがて、仕事を通じて出会った人々のものへと移ろいゆく。

 アイルー・マムはしばらく前に懲罰の名目でギルドから預けられた労働者の顛末を語った。てんやわんやな姿を思い出すと、今でも苦い笑いが漏れてしまう。

 

「あぁ、いつかのカシワくんな。ユカちゃんとうまくやっとるらしいし、なんやヘンなとこでマジメで不思議な子やったなぁ」

「類友ってやつかもしれないニャわ。アタシたちの共通項って言ったら、ユカちゃんニャものね」

 

 オズの懐かしむような声色には頷き返すよりなかった。

 件のハンターは、抑制との共通の知人であるギルドナイト、ユカの監視下にある龍歴院つきの新人だという。

 本当なら、本来ならば。そんな新米ハンターと中堅のギルドナイトの間には、確固たる縁など繋ぎようがなかったはずだった。だというのにマムとオズ、そして眼前のウラの三者のように、縁遠い者同士であってもふとした切っ掛けで繋がりを持ってしまうこともある。

 ……あの黒髪黒瞳のハンターと顔馴染みの騎士は、ドンドルマでの奉公修行(!)を終えた後、再び研究機関・龍歴院に戻っていったと聞かされた。

 「忙しないことだなあ」と思うと同時に「足取り軽やかで正にハンターという仕事にうってつけだ」と感心出来る部分もある。その身軽さが羨ましい、とも。

 

「ユカちゃんの性格だと、面倒見きれるかーなんて突っぱねちゃいそうニャのにね。意外と面倒見がいいのは、どこぞの面々と類友だからニャのかしら?」

 

 眼配せの先で、抑制は意味深に眉尻を下げ、店主は優雅にグラスの中身を攪拌している。

 揺らぎ、照明を跳ね返し、細やかに無色透明の中で煌めく様は、まるで十人十色の人生か人間模様を可視化しているかのようだ。

 ハンターという業、あるいは、縁(えにし)といった眼に見えないモノの成せる業。自分はこれまで、そういったものの数だけ物語を観てきたのに違いない。

 

「面倒見ね……あのお人好しを絵に描いたような黒髪、無事にベルナ村に戻れたのかね」

「あらっ、マスター……もしかしてカシワちゃんのこと、知ってるの?」

「あたしの情報、仕入れの出どころは企業秘密さ。さて、グラスは空だけど、次はどうする?」

「フッフフ、甘いのが続いたからサッパリしたお酒と肴をお願いしたいニャわ。苦みが利いてると尚良し、かしら」

「よしきた。活魚のいいのが入っているから、そっちは例の料理番にお任せしよう。ドリンクはあたし任せで構わないね?」

 

 言うが早いか、ウラは幅広のグラスに注いだ茶褐色をマムの前に供した。希望した通りの奥深さと爽やかな香りに、自然と胸が高鳴っていく。

 そのとき、他の客の姿がないからか、店の奥からとある大柄な青年が料理皿を両手に乗せて現れた。ヌッと物音立てずに現れる様は、鍛えられた体幹と筋肉が成せる業だ。最も、言葉数が少ないという性格――マムは初対面である――もあるやもしれないが。

 

「……ぃらっしゃい、お二人サン。さっき聞ごえたのは、うちにも顔さ見せに来だハンターの話ですよね」

「おぉ、アキちゃーん! 来てるんなら先に言うてやぁて、前にも話しとったやんかあ!」

「あ、この子がアキツネちゃんニャのね。街で何度か見たことある顔ニャだわ」

 

 緩く巻かれた髪は、真昼に鈍色に覆われた空の色だ。色の白い肌と、どこか無愛想な面立ちから店主らとは違った特有の存在感が見出せる。

 立ち上がったオズに熱烈に肩を叩かれ絡まれているが、それより先に彼は料理をカウンターに運ぶことに成功していた。困ったように受け答えしているが、無碍にする様子はない。彼は抑制の騎士とは親しい間柄であり、かつ尊敬の念も抱いているのだろう。

 名前や特徴は聞き及んでいたが、実物を見るのはやはりいい。新たな知見に繋がる上に、他人の噂を鵜呑みにすることなくその人物を再評価できるからだ。

 騎士の振る舞いと店主の苦い顔、ごく僅かに肩を萎縮させる青年とを見比べて、獣人は口角を上げながら眼の前の女帝エビを口へ運んだ。

 

「な、なんと! ニャんとも絶品ニャのね!! エビの鮮度もイイけど、なによりドレッシングが合ってるニャのよ。軽いだけじゃなくてパンチがあるの」

 

 一皿目は女帝エビがメインの彩りサラダ。ブロッコリーにアボカド、ルッコラにシナトマト、ミモザ風ボイルドエッグと、栄養面にも工夫がなされていた。

 もう一皿はたっぷりの煮汁にジンジャーを利かせた紅蓮鯛の煮つけだ。どちらも食い出がありそうで、見ているだけでニッコリしてしまう。

 

「おッ、分かってくれンべか! 隠し味で激辛ニンジンとレモンピールを利かせ……て、マス」

「斬新なドレッシングニャわ……簡単には思いつかない配合ニャわね。これ、分量の調整も大変だったんじゃないかしら」

「慣れもあるンで……中華風とも悩んだけっとも、こんだけデケぇ甲殻類なら味に膨らみ持たせた方が旨ェ……て思ったンです。美味かったなら、良がった」

 

 獣人の素直な称賛にこれまた素直に口端をごく微量に緩める青年だったが、マムが客人であることを思い出してか、すぐさま口調を正していた。

 への字に結んだ口は多くを語らず、しかし手製の料理の話となるとそんな近寄りがたい雰囲気も一瞬和らぐ。なんとも言いようのない魅力をもつ青年である。

 オズにもサラダを取り分けながら、マムはウラ特製の珈琲の香が漂うカクテルに鼻先を近づけ、頬をだらしなくふにゃりと緩めた。

 

「出会いは数奇なモノニャのね。アタシもそれなりにドンドルマで過ごしてきたけど、今も昔もどんどん新しい才能をもつ子が現れる。嬉しいことニャだわ」

 

 見知らぬ美酒に、見慣れぬ料理。腕利きの狩り人でありながら、全く異なる別種の仕事を兼任するもの……。

 数多の息遣いを見送りながら、自分はその渦中に居座り、様々な人生の一部を眼の当たりにしてきた。

 輝かしいもの、重苦しいもの、涙無しでは語れぬものに、喜色そのものに満ちたもの。光と影が表裏一体であるように、一つの生にも眼に見えぬ苦楽が滲む。

 甘く苦く、ときに酸味や辛味をも帯びるもの。ひとの人生とは、眼の前に並べられた手間暇かけた酒肴のようなものだ。マムはそう捉えていた。

 

「アタシたちの人生なんてこのグラスの水泡みたいなもの。カタチは同じじゃなくて、みんなばらばらで、大きさも寿命も光の跳ね返しだって様々ニャなの」

 

 アキツネという、普段は人材派遣の仕事でしか接しようがない若い世代などと邂逅したためだろうか。

なんとも感傷的な気分になってきた、と獣人はうっとりと溜め息を吐く。

 

「いろんな人生を観たニャわ。紹介した仕事先で揉め事を起こしてクビになった子や、そこからアタシを逆恨みするようになってしまった子もいたし……けどそんなの、生命の短さを思えば大したことじゃない。ましてや竜人だって暮らす古都だもの。アタシの眼ん玉だけで良し悪しを測るなんて無理な話よ」

 

 輝く煮魚、重みのある混酒、ピリッとした辛味に、そこから追従する旨味。美味さを容易に想像させると同時に、酒肴の裏には相応の技術が隠されている。

 見映えも優れる料理に呑まれるようにぽつぽつと心情を吐露する最中、ふと誰も話に割り込んでこないことに気づいてマムは辺りを見渡した。

 

「……せやんなぁ、見ただけでお人柄が分かるんなら相当やで。そこを見抜かなあかんのがウチらの仕事やけど」

 

 杯を傾けつつオズが言う。彼の性格を示すように、その横顔には茶目っ気溢れる笑みが滲んでいた。

 

「逆恨みねェ。そんな性根だからクビになったんだろ、ってあたしなら思うけど」

 

 アンタも真面目だね、と言うようにウラから激励めいた呆れ混じりの声が飛ばされる。表情もそれに準ずるもので、彼女の裏表のなさが垣間見えるようだ。

 そんな中、不意に頭上から視線を感じた。見上げた先で、なにやら物言いたげな林檎色がむっつりと沈黙している。

 

「……ン、食べられねェモンでもあったかと思って」

「ン? あぁ、アタシも野暮ニャわ! 眺めるだけだなんて、せっかくの料理に失礼だったニャわね」

 

 この中果皮の瞳の持ち主は当然バルの料理番その人だったが、彼は言外に――多少掠れ声は漏らしたものの、命短し食せよ酒肴、と食を促しているのだった。

 カクテルは砕氷不使用のもので、グラスの表面にはすでにうっすらと水滴がつき出している。サラダについては言わずもがな、煮つけも出来るなら熱いうちに箸をつけた方がより美味しく頂けるだろう。

 この青年は恐らく自分の二足の草鞋に誇りを持っているのだわ……マムは素直に箸を伸ばし、カウンターに飾ったままだった肴の続きを堪能することにした。

 

「……おれには、難しいこどは分かんねェンですけっとも」

「ニャーニャ? アキツネちゃん?」

 

 そうしてオズやウラとも談笑しながら食事を進め、いよいよこの語らいの時間にも終わりが見えはじめてきた頃。

 寂れた古物燭台に遠慮がちに灯を点すように、アキツネは食後のドルチェを供しながらマムの顔を見下ろして口を開いてみせる。

 

「その、クビになっちまった奴等は自分で種サ撒いでたんだと思うンです……逆恨みだって、この街でやってぐンならきっと、仕方ねェ」

「自業自得って意味ニャのかしら? 合わない仕事を紹介しちゃった、無駄に節介焼きなアタシも含めて?」

「お客サンのせいッてのは言いにぐいンですけっとも……どうにも血の気の多い奴等が集まる街だし、昔ッからハンターやっでだ奴もいたんでねェかなって。プライドばっか育っで、自分がどんだけ周りサ助けられでっが分がってねェのもいるし……けっとも、おれはお客サンが悪いごどしてッとは思わねェです」

 

 途中から、この青年は視線をカウンターの上に落として口をもごもごさせかけていた。

 言いたいこと、伝えたいことを羅列しつつも、自分が失礼な物言いをしていることを自覚していると自白しているかのようである。

 その姿があまりに年相応に可愛らしく見え、獣人はほどよい酔いも相まって盛大に失笑していた。眼線の先で、よく熟れた林檎色が丸く開かれ瞬いている。

 

「フッフフ、気遣ってくれてありがとニャねアキツネちゃん。そう、アタシに出来ることなんてたかが知れてるし、感謝されて当たり前とも思ってニャいわ」

「……悪ぐ、聞こえたッてんなら申し訳ねェす」

「ううん、正直な意見は歓迎するニャわ。参考になるニャもの……それにここは賑わいの古都ドンドルマ。色んな価値観の人がいて当然ニャもの」

 

 むしろ、誰かのために自らの人脈や時間を溶かす仕事の「リスク」を問うこの青年の想像力には驚かされたくらいだ。若いのによく考えを巡らせているものだ、とマムは素直に感心して大きく首肯した。

 自分が彼と似た年齢の頃は、確か、「雇用主にくっついてオトモ稼業さえこなしていれば、人生なんとでもなる」くらいにしか考えていなかったはずだと。

 若いのに慎重で、しかし客に物申す勇気も持ち合わせる。料理の腕も大したものだが質実な振る舞いも彼の才能の一つだと、そう感じられた。

 

(それに、周りの助け、って言ったニャわ。それだけ周りのこともよく見てるってことニャのよ。ハンターと商人……二足の草鞋の名も伊達じゃニャいのね)

 

 マムは、ウラに向かってちょいちょいと前脚で手招きする。バーテンを兼ねる女主人は、それだけでこの白毛の客の要望に気づいたようだった。

 手早く、かつ慣れた仕草で新たなカクテルが編み出される。爽やかな苹果の香が乾いた空気に溶け、気づけば一杯のカクテルがカウンターに乗せられていた。

 

「アタシの奢りニャよ。差し支えなければ、どうぞ」

「……おれは、仕事中ですンで」

「やだ、受け取ってくれニャいのかしら? あとから『このバルはナントカカントカー』ってクレームばら撒くかもしれニャいわよ?」

「それカスハラって言うんだよ、アイルー・マム。……アキツネ。いいから、これだけ目を瞑ってやンな」

 

 マスターに勧められてしまっては断りようがない。ニタニタと意味深に笑うオズが見守る中、アキツネは酷く渋い顔をしてカクテルグラスに指を伸ばす。

 爽やかで、若々しく、ごく僅かに苦みが混ざる香りが霧散した。それだけで、ここに来て良かった、とアイルー・マムは笑うしかない。

 

「人と物流を繋ぐのが商人なら狩り人だって同じことが言えるニャのね。ハンターなら依頼主も仕事相手も生き物ニャもの。見る眼が大事ニャのよ、きっと」

 

 他人の心は眼に見えない。コントロールすることも出来はしない。それでも共存の試みを続けていくことが、この古都で長生きするコツなのだ。

 価値観を違える他人同士だからこそ、眼に見えぬものを扱うからこそ、未だ見ぬ才能や価値を発掘することも出来る。

 自分ひとりでは何も出来なくとも、ただ力を浪費するだけに過ぎなくとも、そうして磨き、繋いでいく才覚や美徳は必ず己が財産となってくれるに違いない。

 そう信じていたいのだと、獣人は口には出さずにニコリと笑った。そうでなければ、他人を労働力として送り出す仕事はとても勤めきれない。

 きっと眼前の若き料理人にも当人の自覚なき可能性が秘められていることだろう。今日(こんにち)、それを眼の当たりにする機会に近づけたのは幸運だった。

 

「ニャーニャ。なんか元気が出た気がするニャわ。明日からまた、頑張って働かなきゃニャわね」

 

 本当のことを言えば、単純に、今日は営業と挨拶回りを兼ねた食事会に顔を出すだけのつもりでいたのだ。だというのに、今となってはすっかりこの塁壁(シャトー)に居心地の良さを感じてしまっている。

 それはバルの建つ区画の馴染み深さや店主の人柄、店内の照明や調度品のバランスの良さに、出された酒肴のレベルの高さもあったかもしれない。

 しかし、一番心地好いと感じさせられたのは――

 

「ごちそうさまでした。イイ仕事をする店だったと思うニャわ。また来るニャわね」

 

 ――頷き返す面々の口数は少ないものの、その目線は穏やかで人情的だ。ついでに言うと、アキツネの作るデザートもまた絶品だった。

 すっかり気分がよくなったアイルー・マムは、チャージ代とチップとを兼ねた多めの料金をエウラリアに手渡し店を出る。

 苦い仕事の後、新たに発掘したオアシスから抜けた後、酒気を覚ます涼風が景気づけとばかりにヒゲを撫でる。

 弱音を吐露したことにこそばゆい思いもあったが、気持ちは軽やかだった。白毛の獣人はカギ尻尾を揺らしつつ、本日の帰途につくべく大通りへ足を向ける。

 

 

 

 

 他人の心は目に見えない。コントロールすることも出来はしない。

 あるいは狂おしく誰かに焦がれても、固く己が胸の内を閉ざしても、その全てを生涯守りきることも儘ならない。

 ましてや綺麗事ばかりでは生きてはいけない。誰もが己が領域を護ることで精一杯で、自ら要らぬ苦労を抱え込もうとするのは愚行としか言いようがない。

 それでも……日陰に身を沈めた者たちに懲りずに手を差し伸べようとする者も、世の中にはいるものだ。

 

 傷を負い、冥い場所に自ら堕ちようとも。

 熟れた傷口に、無理やりに蓋を重ねても。

 自らのルーツに、思うことがあろうとも。

 世知辛い時流に、あえて牙を剥こうとも。

 

 陽の光のもとに出て風に揉まれ、己と向き合い、荒んだ心身の行き着く果て……僅かに許された休息の地に集い、隠れるように酒肴を交わす日もあるだろう。

 それは、端から見れば現実から逃避するだけの気休めに過ぎないのかもしれない。しかし、それを誰が悪しものと誹ることが出来るだろう。

 いつの日か、またあの酒場のベルが鳴らされるときがくる。長い旅路の果て、狩り人はまた一つの寄る辺を見つけるだろう。

 

 その道程に、限りないご武運を。これは、翼膜を一時畳んだ飛竜たちの動向を綴る、長い話の一幕である。

 

 






「信じるものは救われる」
「情けは人のためならず」
「陰徳あれば陽報あり」
「天知る 地知る 我知る 人知る」

本当にそうなんでしょうか。そのようにことが進めば、万事いいのですが。
それにしてもかなり感覚的な話になってしまいました )`ν゚)・;'

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