今、黒炭オロチはかつてないほど焦っていた。
自身の………いや、一族の悲願たるワノ国の滅亡のためにカイドウと手を組んだはいいが、オロチ達の予想に反して志願者は予定した人数を満たしていないのだ。
最近の調べでその原因が近海に出没していた新種の海王類であったと判明し、火災のキングがこれを討伐できたらしい。だがオロチとしてはなぜもっと早く原因を解明してくれなかったんだと、呑気な百獣海賊団に憤慨したくなる気持ちだった。
討伐以降はやっと人員が増えてきたが、オロチから見れば到底足りると思えない。オロチは光月おでんという男が、いかに恐ろしい男であるかを知っている。
カン十郎からの連絡では光月家の周辺に異変も不審な行動もない。ひぐらしと蝉丸も心配いらない、考えすぎたと言っているが、それならばこの寒気は一体なんだというのだ。
寒さを紛らわすためにぐらぐらと煮えたぎる熱湯に浸かるが、一向に温まる気がせず……これがよくない兆候であると確信してしまう。
今までのオロチ経験上、この手の勘が外れたことなどなかった。
(寒い……寒いっ……!)
不安を払拭したいのに、その不安がなんなのかがわからない。それはまるで、見えないなにかに刃を突きつけられているような、悍ましい心地だった。
「もっと……もっと人手を集めろ! なんとしてでもおでんを殺せぇ!!」
「ん?」
外を眺めていたキングは、本土から鬼ヶ島に向けて一羽のカラスが近づいていることに気付く。
キングの掌に止まったそのカラスをよくよく見れば、脚に手紙が括り付けられており、それを広げて一読してから眉間にシワを寄せる。
「どうしたよキング」
クイーンが声をかけるとキングはため息をつく。
「………まだ志願者が集まらないのかと書いてある」
要約するとそんな内容だった。
「おいおい……オロチの野郎、まだ足りないってのかよ」
呆れるクイーンに同意するように舌打ちするキングは、敬愛するカイドウの威光に擦り寄るオロチを内心で嫌悪していた。
確かに予定した人数には満たないだろうが、それでも十分な規模になったと思う。一体何が不満だというのか。
「なんならカイドウさん一人でも十分だろうが」
動物系悪魔の実、ウオウオの実。
その中でも珍しい幻獣種の能力を得たカイドウは、正に無敵だ。キングもそれに関しては同意見である。
一方のカイドウは酒を煽りながらキングの達の言葉に耳を傾けていたが、ふいに小さく呟いた。
「………どうだかな」
「「?」」
柄になく後ろ向きな船長の言い方に、二人は怪訝そうに首を傾げる。
「なんだよカイドウさん、らしくねえな」
キングの「あんたなら余裕だろう」という言葉に返すことなく、カイドウは盃に映る三日月を覗き込む。
(………ロックス)
「………このオロチって男、思ったより慎重だな」
遠隔視の鏡でオロチの動向を監視していたモモンガは、誰が見ても勝利を確信していそうな状況にいながら、なおも警戒している彼にため息をついてしまう。
「下等生物の分際で、無駄に勘がよろしいようですね。………いえ、下等だからこそ無知を恐れるのでしょうか?」
横から覗き込むシス子の上品な口調にも、忌々しさが滲んでいる。
オロチは臆病者だ。自分が弱いことを誰よりも理解している。しかしだからこそなのか、あらゆる可能性を想定し弱いなりに頭を使うことに長けている。
彼のこの慎重さは、ある意味ではぷにっと萌えの戦い方に準じているので、モモンガにとっては一番厄介な人種だ。
「念には念を……だな」
シス子と今後について打ち合わせをし、伝言でアンデッド達に指示してから部屋を出ると、パタパタと曲がり角の向こうから廊下を走る音が近づいてくる。
「ととしゃ!」
「………!」
曲がり角から飛び出してきたのは朱色の着物を来た少女……喜姫箆だ。
かつて引き取った娘はトキ達の助力もあり、弱々しかったのが嘘のようにすくすくと成長している。共に過ごすモモの助と日和とも仲良しだ。
「みてみて!」
喜姫箆は虹色の眼を輝かせながらモモンガに一枚の半紙を見せる。黒い墨で書いたであろう絵は、恐らくモモンガと思われる。
「ふふ、上手だな」
「あい!」
日々成長を続けていく娘の微笑ましい姿は、外敵への警戒を怠らないモモンガにとって数少ない癒しとなっている。城の外の惨状など知りもしない彼女は、ここが綺麗で優しいものだけで満たされた脆く小さな箱庭でしかないことを知らない。
外界の理不尽さ。
いつ崩れるかわからない平穏。
もしモモンガが失敗すれば、醜い悪略によってこの娘の笑顔が曇ることだろう。
そうなった時、モモンガははたして正気を保っていられるのだろうか……。
「………大丈夫だよ。絶対になんとかしてあげるから」
だからこそ、モモンガは一切の妥協を許すつもりはない。
そんな未来だけは絶対阻止してみせる。そう心の中で誓いながら、モモンガは優しく喜姫箆の頭を撫でる。
「? うん!」
意味を理解していないであろう少女は、大好きな『父』にとびきりの笑顔で頷くのだった。