サント・アンヌ号密室殺人事件   作:虫野律

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エピローグ

 リンコはクチバ警察署の長椅子に座っていた。正面には受付カウンターがあるが、日勤の終業時刻、午後五時十五分を過ぎているためか窓口業務に当たっている職員は少ない。

 終幕の夜が明けて翌日の昼下がり、サント・アンヌ号はクチバシティの港に到着した。すると、待ち構えていたジュンサーたちが雪崩れ込んできて、サラとそのポケモンたちを連行していった。事情は衛星電話ですでに説明してあったが、リンコたちも改めて警察署で聴取を受けることとなった。

 リンコの聴取が終わったのが午後五時前。さっさと帰れとばかりに取調室から正面玄関口まで先導しようとする無愛想な刑事にグリーンについて聞くと、強行犯係のオフィスに立ち寄って確認してくれた。意外と親切なその刑事が言うことには、グリーンはあと少し掛かるらしかった。

 

「窓口の所で待っててもいいですか?」

 

 少し気掛かりなことがあり、リンコはそう尋ねた。

 

「構わない」

 

 愛想笑いの一つもないぶつ切りの言葉でも許可は許可、リンコは誰に憚ることもなく長椅子に腰を下ろした。

 それから小一時間が経っていた。船旅の夜に読もうと思って結局手付かずだった文庫本──連作短編ミステリーがあるから退屈はしていない。

 程なくして待ち人が現れた。

 しかし、そのタイミングが絶妙すぎた。小説の探偵役が真相を語ろうとしているところだったのだ。ページを繰る手を止めたくない。こんなことになるなら素直に積読本にしておけばよかった。

 リンコは重たい溜め息をついて文庫本を閉じた。

 

「待ってたんじゃねーのかよ。何でそんなに嫌そうなんだよ?」

 

 グリーンは怪訝半分、不満半分という様子だった。

 

「別に。間が悪いなぁって思っただけ」

 

「そうかい」

 

 グリーンは一度伸びをすると、

 

「──で、どうした? 話したいことがあるんだろ?」

 

「うん。でも、ここじゃ何だから──」

 

「とりあえず飯でも行くか」

 

「うん」

 

 リンコの脳裏に、クチバ名物のもちもちナポリタンが浮かんだ。

 というわけで、近くにあった老舗らしき外国風洋食レストランに入った。予約はなかったけれど、折りよくテーブル席が空いていた。

 注文を済ませると、核心を避けるように、どちらからともなくたわいない会話を始めた。あるいは、リンコのタイミングでどうぞ、という意味合いなのかもしれない。

 グラスの氷がカランと涼しげな音を立てると、リンコは切り出した。

 

「話っていってもわたしのことじゃない。グリーン、あなたのことよ」

 

「ふん?」グリーンはハンバーグを口に含みながら疑問の色を浮かべた。

 

「そう。グリーン、悩んでるでしょ」

 

「知ってるか、占い師と詐欺師はみんなそう言うんだぜ?」

 

「茶化さないで。

 あなたはサラの話──強くなれたからくりに興味を示していた。思い返してみれば、あなたには強さに執着している節があった。図鑑の持ち主を特定するのに必要な情報でもないのに手持ちのポケモンの技を確認したり、わたしをポケモントレーナーと見るなりバトルを仕掛けたり──まぁこれはカントーじゃ珍しくないんだけど──ほかにも、自分を鼓舞するように最強だ天才だと豪語したり、極めつけはライバルへの過剰な対抗意識が窺える発言。

 あなたは強いから、自分の弱さを知っている。

 だからこそ、手段を選んでいてはそのライバルに置いていかれる、自分の才では真の高みには至れない、そんなふうな考えに傾きかけているんじゃないの?」

 

「……」悩ましそうに眉間を歪める沈黙があって、グリーンは観念したように息をついた。「天才のオレ様が見込んだだけあって、なかなか慧眼じゃねーか──だが、合理的に強さを追求することの何が悪い? プロトレーナーなら多かれ少なかれそういう面はあるだろうよ」

 

「たしかにそう。でも、じゃあどうしてあなたはそんなに苦しそうなの? 何も悪くないならそうはならないんじゃない?」

 

 グリーンは言葉に詰まるような仕草を見せてから、

 

「……はぁぁ」

 

 太く長い溜め息を吐いた。「これだから賢い女はかわいくねーんだよ」

 

「悪かったわね、かわいくない女で──でも、だったらいいじゃない」

 

「は? 何が?」

 

「弱みを見せてもいいじゃないって言ってるの。かわいくない女は口説きたくならないでしょ? カッコつける必要はないよ」

 

 ふはっ、とグリーンはおかしそうに失笑した。

 

「おもしれー女って実在するんだな──わかったわかった、もう白状する。だからその愉快なジト目はやめてくれ」

 

 愉快なジト目とは?

 

 グリーンはグラスの水を一口飲むと、「たしかにオレは悩んでいる」と認めた。

 

「ラッタのことだ。お前はあいつをどう評価する? つまり、バトルセンスとかポテンシャルの話だ」

 

 ポケモンの中で最も重傷だったラッタは、現在、ポケモンセンターで集中的な治療を受けている。

 リンコは、ラッタのレベルと実際の動きを記憶の中で比較衡量(ひかくこうりょう)して結論を出した。

 

「──うん、レベルの割に弱いね。そもそもプロトレーナー向きの種族じゃないけれど、その中でもだいぶ弱いほう」

 

「はっきり言うじゃねーか」グリーンは微苦笑して言った。「──だが、たしかにそのとおりだ。あいつには戦いの才能がねー。チャンピオンを目指すなら真っ先に外さなきゃいけねーポケモンだ。今回のことだって、あいつじゃなくもっと速いほかのポケモンを入れていたら子供を死なせずにすんだんだ。お前がいなけりゃラッタ自身も死んでいたかもしれない」

 

「けれど、あなたはラッタを外していない」リンコには話の全容が見えてきていた。「外せなかったのね」

 

「ああ」グリーンは控えめに顎を引いた。「あいつはオレが初めてゲットしたポケモン──っていうとちょっと違うか。そうだな……初めて友達になったポケモンだったんだ。コラッタのころから才能がねーのは何となくわかってたから、マサラタウンに残して旅に出た。けど、勝手についてきてたんだ。それで絆されちまった──いや、違うな。それはオレが望んでいた展開でもあった。だからオレはあいつをゲットして、手持ちに入れつづけてきた。才能はねーが、レベルを上げていったら速さだけならそれなりにはなったんだ。もしかしたらそれが良くなかったのかもしれねーな。オレはあいつとチャンピオンになる夢を、ただの夢とは思わなくなっていった。

 ──そうだよ、情が判断を誤らせていたんだ。情けないことにな。

 その結果、〈いらぬ犠牲〉を増やしてしまった。そこに至ってようやくオレは自分の思い違いに気づいた」

 

 自嘲のつもりなのか、その言葉は、片眼鏡の援軍の申し出を、足手まといだからと断る時に使ったものだった。

 だから、とグリーンは続ける。

 

「サラの言い分は、すっと腑に入ったよ。手段を選ぶのは甘えだと、感情を排して合理的に勝ちを求めるべきだと、弱いポケモンは切り捨てていくべきだと、そんな当たり前を思い出させてくれた。

 ──それなのに、そうすべきだと頭では十分に理解しているはずなのに、オレはいまだに自分の理想を、夢を捨て切れずにいる。オレの中のどうしようもなく弱い部分が、友達を切り捨てたくないと駄々をこねているんだ」

 

「意外と不器用だよね、グリーンって。何事も要領良くやりそうな感じなのに」

 

「否定はしねーけどよ」

 

 不貞腐れたようなその口元に、リンコはくすっとほほえみを零した。

 

「勘違いしないでほしいんだけれど、わたしは合理性の追求を否定するつもりはない。それを原則とすべきとも思ってる。ギャラリーを満足させるパフォーマンスを見せつづけなければ容赦なく淘汰されるプロの世界では、特にそう。自分のやりたいことをやって生きていく、なんてのは世間知らずの戯れ言でしかない」

 

「だよな。じゃあやっぱり──」

 

「でも、合理性だけでは駄目。

 ポケモンはコンピュータゲームじゃない。わたしたちと同じ、心のある生き物。その心を蔑ろにして合理的に強さを追い求めても、必ずどこかで歪みが生じる。たしかに、グリーンなら大抵の相手にはその状態でも勝てるでしょう。卓絶した才能があるから。でも、あなたと同格以上の真の強者との戦いではその歪みが致命的な隙になる。その時、あなたは負ける。ポケモンの、そして自分の心をも犠牲にしてまで昇った高みが、砂上の楼閣だったと知ることになるのよ」

 

 グリーンはわずかな間の後、

 

「……知ったような口を利くじゃねーか」

 

 絞り出すように減らず口を叩いた。

 

「おばあちゃんが言ってたのよ」

 

「ばーさんって、お前の?」グリーンは虚を衝かれたように、あるいは気勢を削がれたように語調を軽くした。

 

「うん、あの人、ポケモンバトルにうるさいから」

 

「へぇ」グリーンは興味ありげな相づちを打ち、「何してる人なんだ?」

 

「カントーリーグの四天王」

 

「……マジ?」グリーンは目を丸くした。

 

 その抜け作めいた顔がおもしろくて、リンコはまた頬を緩めた。

 

「自称・カントー一のゴーストと毒の使い手、四天王副将のキクコが、わたしの祖母よ」

 

 グリーンは驚愕を飲み込むように小さく喉を鳴らすと、「……お前、四天王の孫だったのか」

 

「うん」リンコは、おもしれー女になりたいというのではないけれど、ユーモラスなことを言いたくなった。「だから、グリーンが『じーさんの名に懸けて』っていうなら、わたしは『おばあちゃんの名に懸けて』ってところかしらね」

 

 グリーンが笑った。リンコもほほえむ。

 ──その一方でリンコは、自分の心が不思議でならなかった。

 自分はこんなにお節介な人間ではなかったはずだ。他人がどうなろうと自分に実害がなければ何も感じない、そんな冷たくて自分本位な人間だったはずだ──否、今もそうだ。地割れで殺されたあの幼子の恐怖と苦悶に歪んだ死に顔を思っても憐憫も憤怒もない。ああ、人が一人死んだな、と、ただそこにある事実をそのまま認識するだけ。

 けれど、グリーンには負けてほしくないと願いはじめていた。

 そして、もっと理解しがたいのはグリーンに負けたくないと思っている二律背反の自分だった。自分には祖母ほどの才能はないと、もうずっと昔に諦めたはずなのに、どうして明らかに自分より、下手をすると祖母よりも才能のあるグリーンに負けたくないと、実現不可能な夢を見ているの……?

 ふと窓の外を見れば、店に面した目抜き通りが宵闇に覆われていた。咲き誇るネオンと柔らかな朧月(おぼろづき)のコントラストが、春宵一刻価千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)ということなのか、ひどく美しく感じる。

 笑いが収まったグリーンが、真剣味を帯びた口調で尋ねてくる。

 

「リンコの──てかお前のばーさんの言いたいことはわかった。だが、合理性を原則としながら感情にも配慮するってのは、具体的にはどうすりゃいいんだ?」

 

「あの人、答えは自分で見つけなさいってスタイルだから、そこまでは教えてもらってないけれど、見たところグリーンは全属性に適性があるみたいだから戦術や型はいくらでも考えられるでしょ? その中で、個性を活かしたピンポイントの役割を与えればいいんじゃないの」

 

「簡単に言ってくれるぜ」

 

 人間は、生まれながらにして扱えるポケモンの属性が決まっているとされている。例えば水タイプにしか適性がない場合、それ以外のポケモンは懐かない。技の威力や精度も落ちる。ポケモンで言うところのタイプ一致補正が、ポケモントレーナーにもあるのだ。といってもトレーナーの場合はタイプごとではなく、属性ごと。つまり、特定のタマゴグループやポケモンの見た目の雰囲気も適性のコンセプトたりうる。中には低種族値縛りの哀れなトレーナーもいるくらいだ。適性という概念には浮き世のおかしみと理不尽が詰まっている。

 ところが、グリーンにはその制約がない。ごく稀にいるのだ、全属性使いのチート人間が。選択肢は無限大だ。だからこそ難しいとも言えるけれど、適性という名の制約がきついリンコからすると贅沢な悩みだった。

 

「え?」グリーンは再び驚いた。「お前の制約がきつい? マジかよ」

 

「よく勘違いされるけど、実際はかなり窮屈な思いをしてる。わたしが四匹しか捕まえていないのもそれが原因」

 

「お前の制約ってのは──」

 

「当ててみて。いわば、手持ちポケモンの共通項(ミッシングリンク)当てね」

 

 グリーンは楽しげに目を細めた。この手の知的遊戯が好きなのかもしれない。「いいぜ、受けて立ってやる──じーさんの名に懸けてな」

 

「ふふ」

 

 リンコは、だいぶん冷めてしまったもちもちナポリタンの残りを食べながら、顎に手を当てて思案するグリーンを眺めた。悪くない時間だったのに、彼はすぐに考えをまとめて口を開いた。

 

「リンコの手持ちは、ゴース、ズバット、モンジャラ、キュウコン。キクコと同じゴースト・毒縛りは違うが、先天的な性質である以上、遺伝的な要素も多分に含む。だから、キクコと似た適性の可能性が高い。ただ、単純なタイプ縛りでは少なくとも三タイプ使えることになるから、『かなり窮屈な思い』というほどではないはずだ。したがって、タイプ縛り以外か、タイプ縛りとそれ以外との複合適性となる。

 そこでオレが考えたのは──害悪ポケモンないしビルド縛り。

 モンスターボールを掠め取ったうえで滅びの歌でハメ殺すなんてど畜生な作戦をさらっと思いつくあたり、リンコの性根の悪さは相当なものだ。おそらくは生まれながらの毒婦。この適性以外考えられない」

 

「……」リンコは、意識して例の愉快なジト目を実行した。

 

 グリーンは噴き出した。「──冗談だって。そうすねんなよ」

 

「別にすねてないけど。それで、真面目な答えは?」

 

「ホラーっぽいポケモン縛り──違うか?」

 

「違わない。それがわたしの適性。幽霊やら蝙蝠やら触手やら妖怪やら、ホラー映画に出てきそうなポケモンならかなり上手く扱える。それ以外の子からは完全にそっぽを向かれる。けど、あなたのポケモンたちにしたみたいに代理だったら好条件が揃えば何となる」

 

「難儀だなぁ」

 

 グリーンは和やかに笑った。

 リンコも釣られて口角が上がりそうになり、何となく抵抗を試み、けれど何となくすぐに諦めた。

 ──何かが嵌まるような心地よい音。

 胸の奥で高く鳴ったそれに、リンコは内心で首をかしげた。何この感覚。

 心がどんどん謎めいていく。

 だからきっとミステリー。

 リンコはそっと推理を巡らす。

 甘やかな鼓動を聞きながら。

 

 

 

 

 

 

(了)




以上で完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
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