カーテンの隙間から差し込む陽光に温められ目が覚める。
いつもよりも明るい窓の光に遅刻の文字が頭を過り、急いでスマホを手探った。
それと同時に、頭の中に鉛を流し込まれたかのような鈍痛が遅い、反射的に頭を抑える。
その痛みが酒酔いによるものだと悟り、そういえば今日は休みの日で昨日は飲みに行ったのだと思い出した。
久しぶりに会う友達との飲みで、調子に乗ってしまい普段は飲まないお酒を飲んだせいか、店で盛り上がってからの記憶がない。
そのまま二度寝しようとも思ったが、体の内側にヘドロでもくっ付いたいるかのような気持ち悪さに阻害される。
ゆっくりと屍のような動きで何とか上半身を起こすと、ちょうど寝室のドアが開いて心臓が跳ね上がった。
おかしい……1人暮らしの自分の家に誰かがいる。
泥棒かと思い至り、脳が一気に覚醒しだした。
チラリと窓を見る、2階だから何とか逃げられるだろうかと考えるが、骨折は免れない気がする。
もしかしたら、寝たふりをしておけば何もされずに去ってくたりしてくれないだろうか。
そんな考えが頭を過り、体が硬直する。バクバクと早鐘を打つ鼓動のわりには、手先が冷たくなっていく。
扉の開く速度がスローモーションのようにゆっくりと開く。開くと同時に心臓の鼓動も早まった。
「あっ!おはようございます!」
拍子抜けするような明るい声が響く。そこに立っていたのは僕の予想に反して華奢な女の子だった。
少し隈のある目をクシャリと細ませて、親しみの込められた朝の挨拶に緊張が解れていく。
「……どうかしましたか?」
不安そうに胸の前で手を握りしめながら、驚きで固まっている僕を見る。
脅える小動物のような雰囲気に、つい庇護欲が擽られてしまった。
いや、そんなことを考えている場合ではないと頭を切り替えようとするが、錆び付いたバルブのように頭が上手く回らない。
すると、部屋の外から味噌汁の匂いが香ってきた。
「……いい匂い。」
僕がそうポツリと呟いたのが聞こえたのか、彼女はニコリと安堵したような笑顔になった。
「えっと……朝ごはん、出来てますよ。起きれますか?」
そう言いながら、ぼんやりとしていた僕の手を握って布団から優しい力で引っ張り出された。
ほっそりとした少し冷たい手に促されるまま、洗面台に導かれる。
刺すように冷たい水道水で頭が冴えていく。それと同時に焦りが込み上げてきた。
さっきの女の子はいったい誰なんだ……まるで覚えがない。
そうなると、記憶の無い昨日の夜に何かあったことになる。服は昨日のままで、おそらく行きずりの関係ではなさそうだと信じることにした。
見慣れた鏡に映る自分の目を見据えて、何があったのかを聞こうと覚悟を決め、食卓へと向かう。
机には彼女がソワソワと落ち着きなさそうに体を揺らして待っており、向かいに僕の分であろう食事が並べられていた。
「……美味しそう。」
「えへ……ごめんなさい。勝手に冷蔵庫の物を使っちゃいました。」
僕の言葉に嬉しそうに口元を崩した彼女が可愛く映った。
「全然気にしてないですよ、それよりも食事ありがとうございます。」
「いえ!こんなことしか出来ませんが……よかったら食べてみてください。」
気恥ずかしかったのか、顔を隠すように髪を弄くりだした。
どうしてなのかは分からないが、僕への好意は何となく伝わってきて、知らない間になにかとんでもないことをしてしまったのではないかと、罪悪感の波が押し寄せてくる。
だから、椅子に座る前に彼女から昨日のことを聞くため、意を決して一つ深呼吸をした。
「ごめんなさい!僕は昨日の記憶が無くって……もし、君に何かしていたのなら申し訳ない。
その、よかったら君が誰で何があったか教えてくれませんか?」
深く頭を下げて一息でそう言うと、勢いよく向かいの椅子が動く音がした。
「そ、そんな!頭を上げてください!
あの……私、何もされてませんし、むしろ助けてもらったというか……その、だから謝らないでください!」
そう言われて顔を上げると眉を八の字に困らせて、申し訳なさそうにしている彼女と目が合う。
「……本当に?気を遣ってではなくて?」
「はい!本当です。」
疑り深い僕に真剣な目でそう返すのを見て、過ちを犯してはいなかったと胸を撫で降ろす。
「えっと、ほら冷めちゃう前に食べちゃいましょう?」
「えっああ、いただきます。」
立っていたのをグイグイと押されて、無理やりに座らされる。
湯気が立つお椀に食欲がそそられ、惹かれるまま味噌汁を手に取って一口飲むと出汁優しい味が舌を包んで、温かさが全身に染み渡る。
いつから人の手料理を食べていなかっただろう。ジーンと心の奥底から湧き上がる温かさには、懐かしさすら感じた。
「あの……大丈夫ですか?」
ニコニコと嬉しそうに両手を机について僕が食べるのを見ていた彼女が、少し驚いたように聞いてくる。
「……美味しいですよ?」
「あ、ありがとうございます……そうじゃなくて、その涙が……。」
涙?そう言われて、箸を置いて頬を拭うと少し濡れていた。
「もしかして、嫌いなものでもありましたか!?」
「あっいや!違うんだ……その、恥ずかしい話……久しぶりの誰かの手料理が、あまりにも温かくて。」
「――っ!えへへ!」
慌てる彼女を安心させるように笑顔でそう言うと、下を向いてしまって表情が見えなくなってしまった。
嬉しそうな笑い声が聞こえるため、伝わっているとは思う。
名前とか”助けられた”と言っていたのは気になるが、今は目の前の食事を食べることにするのだった。
私がしますと言って聞かない彼女を何とか宥めて、コーヒーを淹れて一息つく。
目の前で、いまだソワソワとコップを両手で包む彼女に取り敢えず名前を聞くことにした。
「ああっと……僕は真辺 和樹です。君のこととか昨日の事とか色々聞いてもいいかな?
ちなみに未成年だったりしない……よね?」
幼い印象を受ける彼女に事案の文字が頭に過り、心の中で祈りながら聞いてみる。
「あっ私は、藤田 有栖……です。一応、成人してます。」
「一応?」
「えっと、去年に成人したばかりで……あんまり自覚がなくって、えへへ。」
「……ということは今は19?」
「その、はい。」
その言葉につい空気を吐きながら天井を見上げてしまった。
確かに成人はしているだろうが、去年まで高校生だった考えると社会的が死が輪郭を帯びてきて恐怖に心臓が縮む。
「そっ……か、その親御さんも心配しているんじゃないですか?」
「……親も親戚もいないんです。」
「ええっと、いないっていうのは遠くにいるってこと?」
「……」
家族がいないと言う言葉に、恐る恐る意味を確認すると俯いたまま、首を左右に振ったのを見て理解する。
19で頼れる人もいない上に、少しやつれたような顔から思っていたよりも厳しい境遇のようだ。
「――っ!捨てないでください!その、なんでもします!家事とか得意ですし、バイトしてるのでお金も少しはあります!だから……だから………。」
腕を組んで考え始めた僕を見て、捨てられると思ったのか泣きそうな顔で縋り付かれギョッとしてしまう。
「お、落ち着いて!ちょっと考え事していただけですから!その、いつでも居てくれてかまわないから!」
「……本当ですか?」
「本当、本当。」
服を掴んだ彼女の手を握って安心させるために、つい余計なことを口走った気がするが今は気にしない。
「そうでしたか……すみません、早とちりしちゃいました。
その……出来れば昨日みたいに敬語は外してくれませんか?」
「あー……わかったよ、ちなみに僕は昨日なにをしたのか教えてくれる?」
えへへと申し訳なさそうに笑う彼女に、そんなになるほど僕は何をしたのだろうかと、かなり気になってきた。
「はい!昨日は私……嫌なことが重なっちゃって、家に帰っても誰もいないのが寂しいから……公園でぼんやりしてたんです。
そしたら真辺さんが、私に話かけてくださったんです!」
「なるほど……。」
クリスプレゼントを貰った子供のように嬉しそうに話す彼女を微笑ましく思いつつ、そのことは全く記憶に無く申し訳なく思う。
「えっと……僕は何を言ってたのかな?」
「最初に風邪引くよって、温かいお茶をくださって……お友達のお話や本とか映画のお話をニコニコしながらしてくれました。」
「おお、初対面の子に面倒くさい絡みしちゃったか。」
「いえ!大丈夫です!
その、私も楽しそうに話す真辺さんに元気付けられました!」
まさかナンパ紛いのことをしていたとは……思わず額を叩く僕を慰めるように藤田さんが明るく言った。
だが、それだけで救われたと言うのは大袈裟な気がする。
「他に何か言ってた?」
「いえ……その後は私の話を聞いてもらいました。」
「へえ、その話は……もう一度、教えてもらえる?」
「えっと……はい、大丈夫です。」
なるべく責めるような雰囲気を出さないようにゆったりとしたテンポで聞くと、少し視線を手元に落として苦しそうに大丈夫だと言う。
その姿に心苦しさはあるが、ここで曖昧にしてしまうと駄目なような気がして、藤田さんが話すのをじっと待った。
「そ、その、なんてことはないことなんですけど……昨日は体調が良くなくて、それでバイトで失敗して怒られちゃって……それに私、まだ未熟でお恥ずかしいですけど小説家を……目指しているんです。」
「ああ、仕事の失敗は心にくるよね。僕もたまにやっちゃって落ち込むよ。
それに、良いね小説家!
出会って間もないけど、藤田さんの書く物語が気になるよ。」
「えへ、昨日と同じこと言ってますよ。」
自分にもよくある仕事の失敗への慰め気持ち半分と、小説家を目指す夢を持つ彼女への尊敬半分の気持ちで言う。
どうやら、ベロベロに酔っていた自分も同じことを言っていたらしい。
懐かしむように言う藤田さんの言葉に、気恥ずかしさが湧いてくる。
「えと……それで、その日は出版社さんに作品の投稿をして……それで……その、私の事を笑うようこと………言われて――」
「ああー!大丈夫、それ以上は思い出さなくて大丈夫だよ。」
「ごめん……なさい……。」
だんだんと声が震え出す藤田さんを慌てて止める。
効果はあるかわからないが、取り敢えず背中を擦った。
小さく弱々しいその背中に、神様の野郎はどうして、こんな子に厳しくするんだと怒りを覚える。
「えへ……でも大丈夫です!
そんな私の物語でも、素敵だって感動してくれる人がいたんです!」
「ほう、それはよかった。」
目元に溜まった涙を拭って、希望を見つけたように元気に言う姿に、そこまで落ち込んでいないようで安堵する。
「はい!だから、これからは真辺さんに恩返し出来るように、たくさんお世話しますね!」
「そっか……そっかあ。」
ものすごい期待の込めた目で見られて、つい笑顔が引き攣るのがわかった。
話の流れ的に何となく予想していたが、傷心中に僕がちょうど現れたらしい。
「いやあ、そう言って貰えるのは嬉しいけど、大学とかあるんじゃないの?」
「大丈夫です!お母さんが居なくなってから、高校も中退になったので!」
おおう……思わず別の労しい事実が判明してしまった。
ちょっと、この子の人生が険しすぎる。
だが、このまま世話をされるのも騙しているみたいで、なんだか気が乗らない。
「その!私、掃除とか料理とか得意ですし、なんなら体も………好きにしてもらって……いいですから、お側にいさせてください!
もう、独りは寂しいんです……。」
「わかった!わかったから、僕も一緒にご飯を食べる相手がほしかったところだから!
後あまり、好きにしていいとか言っちゃいけないよ。」
不穏な雰囲気を感じ取ったのか、必死な彼女を受け入れることにした。
なにより、独りは寂しいと言う言葉に、仕事から帰ったときの誰もいない虚無感を思い出してしまい胸が締め付けられた。
まあ、正直彼女の料理が美味しかったのもある。
「……えへ、ありがとうございます。
じゃあ、これからお願いしますね。」
嬉しそうに笑う彼女にどうなるのか不安に思いつつも、賑やかになりそうだと楽しみに思うのだった。
そこからの彼女の行動は早かった。
その日は、準備があるからと言って昼に帰ってしまった。
一度、家に帰れば冷静になって僕のお世話のことは、やっぱり辞めるとなるかもしれないと淡い期待をしつつ、過ごしていると翌日の夕方頃に、彼女が戻ってきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃいました!」
インターホンが鳴り扉を開けると、貸したキャリーケースとリュックを背負って入ってくる。
「お疲れ様、ずいぶんな荷物だね。」
「はい!着替えとか色々持ってきちゃいました!」
「な、なるほど……もしかして泊まる感じ?」
「そうですね!そのほうが、よりお世話できますから!」
元気よく発せられるその声に押されて、状況を飲み込むため静かに息を吸った。
キャリーケースを持って、中に招き入れる。
「そっか、そっか……ウチと君のところを行き来する感じね。
「……?前のアパートは解約してきたので、ここに住みますよ。」
「えっ。」
荷物をリビングの適当なところに置きながら確認するように聞くと、首を傾げて不思議そうに彼女がそう言う。
引っ込み思案ぽい子だと思っていたが、存外行動が早かったようだ。
もしかして、とんでもない子に目をつけられたのではないかと旋律が走る。
「えっと……何か不味かったですか?」
「ああ!いや、それにしては荷物が少ないなあって……。」
不安そうに僕を見上げる彼女に、罪悪感のようなものが芽生えて駄目とは言い出せず、話を逸らすようにそう言った。
「えへ……私、あんまりお金が無かったから、物も少ないんです。
あっでも、こういう引っ越しのときは便利ですよ!」
気を遣って明るい声音で、自虐っぽく言う彼女の言葉には笑えなかった。
「うん……僕の家は自分の家だと思って好きに使ってな。」
「えへへ、すいません……ありがとうございます。」
嬉しそうに表情を崩す彼女が、なんだか居た堪れない。
少し話しただけでも、闇が溢れ出てくる。
「まあ、クローゼットは余っているところを使ってもらうとして、布団はどうしたの?」
「えっと、昨日お借りしたソファのほうが寝心地よかったので……そちら使わせてもらおうかと……。」
「ぐっ……。」
つい手で目を覆ってしまった。
普通の家具屋で買ったソファだから、長時間眠るのには適していない。
そんな物でも寝心地が良いとなると、彼女の生活基準が垣間見えて悲しみが込み上げてくる。
「明日、布団とか必要なもの買いに行こうね。」
「そんな!?勿体ないですよ!」
僕の言葉に彼女が目を見開いて驚く。
そんなことなどお構いなしに、肩を掴んで懇願するように言う。
「良いんだ!買わせてくれ!」
「えっええ……でも……。」
必死な僕に、彼女は視線を左右に動かして困惑している。
これなら、もう少し押せば承諾しそうだ。
「そうでないと、ここには住まわせられない。」
「そ、そんな……ううう……わ、わかりました。」
止めとばかりに僕が言うと、申し訳なさそうに眉を顰ませながら押し黙ってしまう。
だが、僕が引くつもりのないことに気付いたのか、渋々といった様子で受け入れた。
「よし、今日は荷造りで疲れただろう。そうだ、今日は出前でも取ろうか!」
いつもは押され気味なため、珍しく自分が優位な状況が楽しくなってくる。
「駄目です!!」
突然、発せられた大声に体をビクリと跳ねさせ固まった。
何事かと思い彼女に視線を向けると両手をきつく握り、下を向いて表情は見えない。
「どうし――。」
「私が!真辺さんをお世話しないといけないんです!
だから、私が作った食事以外を食べるなんてダメなんです!」
顔を上げた彼女と目が合い、その澱んだ瞳に底しない恐怖を感じて息を飲んだ。
動けない僕の腕を痛いほど掴んで、彼女は鬼気迫る表情で詰め寄ってくる。
あまりの勢いに気圧されて、一歩後ずさるが壁と背中がぶつかり逃げられなくなった。
「ご、ごめん……藤田さんは荷造りで疲れてると思って……。」
「あっ……ごめんなさい……せっかく、気を遣ってくださったのに……でも、疲れてないので大丈夫です。」
本能的に不味いと感じ、これ以上怒らせないよう彼女の様子を伺いつつ慎重に言葉を選ぶ。
すると彼女はハッと我を取り戻したかのように、いつものフワフワした雰囲気に戻り笑顔を浮かべた。
「えへ……食べたいものがあったら言ってくださいね?頑張って作りますから。」
「……ありがとう、そうするよ。」
同じように笑顔を作ったが、おそらく引き攣っていることが自分でも分かった。
「あっそれと、私のことは有栖って呼んでください!
……えへ、真辺さんは覚えていないかもしれませんが……最初にあった日に名前で呼んでくださってたんです。
だから……苗字で呼ばれるのは、その……寂しいんです。」
さっきの激しい態度が嘘だったかのような大人しくなった姿に、幻覚だったのではないかと言う気させしてくる。
しかし、腕にまだ残る掴まれた時の痛みと、彼女の瞳に僅かに残った濁りがそれを否定した。
「……わかった。えっと、有栖さん。」
彼女への恐怖もあったが、寂しいと脅えるように言う姿が悲しく思えて、言われたように彼女の名前を呼んだ。
「はい!えへへ……和樹さん!」
名前を呼ばれて花が咲いたような明るい表情になった彼女が、不意に僕の名前を呼ぶ。
綺麗な笑顔で言われたそれに、思わずドキリと心臓が高鳴った。
「これから、末永くお願いしますね!」
ぼんやりする僕の手を握って怪しく微笑みながらそう言う姿に、僕は彼女から離れられないのだろうなと何となく思うのだった。
兎の皮を被った狼系押せ押せ女子。