「ふっ…はぁ。今日はもう終わりかな?」
手慣れた手つきで、寂れてとっくに朽ち切りそうな駄菓子屋の看板をしまう。
なにかのアニメや漫画であれば、セミが鳴いていたり道を虫取り網をもって走る麦わら帽子の子供がいそうではあるものの...残念ながら、子供の数がマイナスの底の底へ落ち切っている村では、そういう訳にはいかなかった。そもそも今、冬だし。
当初は私も張り切って、昔はお世話になった祖母のこの駄菓子屋を継ぐと意気込んでいたものだが...蓋を開けてみれば、お客さんは一か月に数回来れば上々というレベルでこないし、来たとしても地元のお爺さんやお婆さんが様子を見に来る程度だった…ある一人を除いて。
「あ、お姉さま!今日はもう終わってしまいましたか?」
「キネちゃ~ん!いやぁ、ちょうど店じまいするとこだったよ!ささ、どうぞどうぞ!」
キネちゃん…まさに黄金色というほど明るく長い髪色をした、元気溌剌という言葉が一番似合う子。の名前は知らないけど、ともかくこの子だけは、こんなに寂れた田舎の村でも来てくれる、とってもかわいい子だ。
いつも通りキネちゃんを招き入れてから、適当にキネちゃん用のお菓子を何本か選んで取っていく。どのみち賞味期限は長いとはいえ置かれているものだ、いくら持ってったって私の懐が痛むだけ…やっぱちょっと苦しいかも…
「あ、キネちゃ~ん!何か欲しい物ってあるかな?」
「ん~…私、今日はラムネが飲みたいです!お姉さまが入れてください!」
「あいよ~!ラムネね!今持ってくよ~!」
…まぁ、赤字なんか気にしてたらこんなところで駄菓子屋なんてやってけないし!私がそれでいいと思うならそれでいいの!
そう自己暗示をかけつつ、ご要望のラムネを冷蔵庫から引っ張り出してくる。私も飲みたいし、もう一本貰っちゃおう。はぁ…結局仕入れても残っちゃうんだもんなぁ。もうキネちゃんと私の分だけでいいんじゃないかな…
「はい、じゃあこれね!キネちゃんだけの特別だぞ?」
「わ~い!お姉さまはやっぱり優しいです!んぐっ…おいし~!」
渡したラムネを小さな口でゴクゴクと飲むキネちゃんを見ていると、この瞬間だけはここで駄菓子屋を続けていてよかったという気持ちになる。普段は見れない、お客さんの笑顔が見れるから。まぁ、キネちゃんをお客さんといっていいかはちょっと微妙だけども…
でもまぁ、こうしてお菓子やらジュースを楽しんでくれる姿を見せてくれるのはキネちゃんだけなんだから。別に気にしていたってしょうがないかな?うん、しょうがないな!ならとことんいくとこまで行っちゃおう!
「いやぁ、いい飲みっぷりだね~!お姉さんもそういう姿が見れて嬉しいよ~!どうする?もう一杯いっとく?」
「…い、いいんですか?」
追加の誘いをかけてみると、やっぱりというべきか、キネちゃんは目を輝かせてこちらを見てきた。この子だって、普段は同じ人気という人気もないこんな寂れた場所に暮らしているんだ。互いに人に飢えているのは、一緒だろう。
なら、こうして時々触れ合える時くらいは…はっちゃけちゃうのが一番!
「もちろんだよ~!なんてったって、全部お姉さんの奢りだからね~!」
「え、えへへ…!じゃあ、心ゆくまで楽しみます!お菓子ぱーてぃー、です!」
そう口にするキネちゃんの笑顔は、本当に年頃の女の子らしい満開の笑顔をしていた。相変わらず、見ているだけでも幸せになれるような表情…にぱーっ!という表現が似合いそうな感じだ。
「…キネちゃんって、とっても綺麗だね…」
「わっ…!?い、いきなり何を言うんですかお姉さま!」
「いやぁ、見惚れちゃってただけだよ…食べちゃうぞ~?なんてね!あはは!」
冗談でふと、そんなちょっとアウトライン寸前の言葉がつい飛び出てしまう。そして、その言葉が発されると同時に、和気あいあいとした雰囲気から一転、吹き込む風と共に一瞬で静まり返る店内…
……寸前じゃなかった、全然ライン越えだったぁ…!
「ご、ごめん!いきなり変なこと言って!流石にノンデリすぎたね…!」
「…その、のんでり?というのは分かりませんが、ほ、本当に食べてくれるんですか……?お、お姉さまが…?」
「え?」
「う、嬉しいですぅ…!キネも、ついにお姉さまと一緒になれるんですね……!早速支度してきます!」
「わ~待って待ってキネちゃん!?冗談、冗談だからね!?ちょま…脚はっや!?」
「ぜぇ…はぁ…結局そのまま行っちゃった…」
あの後、私の失言が招いた冗談による誤解を取り消そうと、奥の方へと走り去っていったキネちゃんを追いかけたものの……年頃でわんぱくで育ち盛りの子に体力勝負で勝てるはずもなく、結局しばらく走った段階で私の方が先に根を上げてキネちゃんはどこかへと行ってしまった。
元から体力ないって言われることは多かったけど…まさかここまで酷いとは思わなかったなぁ……追っかけてったら夕暮れになっちゃったし…夕暮れ?
「あ、やっちゃった…!今日まだお参りに行ってないや…!」
そうだ、疲れすぎてたのと慌ててたので忘れてた…!いつも店が終わったらすぐに行ってるけど、今日はキネちゃんがやって来たからすっかり頭から抜け落ちていた。
とはいっても、そう仰々しいものではないけど。せいぜい裏山のすぐそばにある祠を掃除したり、盃に注がれてるお水を交換する程度のことだけだけ。それでも、お婆ちゃんから常々言われたことだし、何よりあそこにいくと体感ご利益がある気がするから、毎日欠かさず行かなくちゃいけない。
逆に、一週間くらい旅行に行っててお参りしなかった時期は大変だった。あの時は大変だったなぁ……まるで何かの力を信じざるを得ないほど、不思議な事態に巻き込まれたっけ。
晴れ予報のはずだったのに嵐でも来たのかって思うほどの土砂降りが続いたし、行く先々で電車やらバスは遅延するし、挙げ句の果てには一緒に行ってたクラスメイトの男友達が揃いも揃って高熱を出して救急車に運ばれていったし…冗談で『お狐様がお参りしなかったから怒ってるのかな?』って呟いた記憶があるけど、今思えば間違いじゃなかったのかも…
……そうだ!せっかくだし、今からお参り行く時についでに聞いてみよう。『もしも私がお参りに来なくなったらどうしますか』と。聞いたところで誰が答えてくれるわけでもないだろうし、普段お参りしてるのだからそれくらいは許してくれるだろう。
まぁ、それに関してはひとまずいいや。とにかくお参りだけは済ませないと…夜になると猪とか猿とかの野生動物が怖いし、日が沈む前には終わらせたいなぁ…
そう思いながら、使い倒されて大分ボロボロになっている竹ぼうきとそれとは違いピカピカの新品の雑巾を用具入れから出しておく。これで、お狐様の住んでいるところを掃除しにいく…まぁ、いつも通りかな。
そうして歩くこと数十分。私とっては慣れ親しんだ、それでもなお威圧感のある大きな赤い鳥居が見えて来た。裏山の坂道の中腹にあって、おそらくこの近辺じゃ私とキネちゃん以外誰も知らないであろう、大切な場所だ。ここで小さい頃から、たくさんの思い出を作ってきた。
「さ、まずは落ち葉はきからかな…」
『あ、お姉さま!えへへ、今日もちゃんと来てくれたんですね!』
「…え!?」
横の方から聞こえてきた無邪気な声に驚いて、思わずそちらの方向を振り向くと、なんとそこにはあの後別れてお家に帰ったはずのキネちゃんがさっきと寸分違わぬ姿でそこに立っていた。普段ここで会う時は必ず日中だから、正直かなり驚かされた。いやでも、やっぱりこの時間に女の子一人じゃ危ないような気がするけど…
「ちょ、キネちゃん、お母さんとか大丈夫なの…?心配してるんじゃ…?」
「……私とお姉さまの時間なのに、どうして他の人の心配をする必要があるんですか」
「今この場にいるのはそんな人より…いや、キネのはずですよ?他所の人のことなんて考えないでください。分かりましたか?」
「……ア、ハイ…」
……どうやら私はキネちゃんの地雷を踏んでしまったらしい。最初は先刻までと同じように向日葵のような笑顔だったのに、気づけば目に一切の光が差していない脳面のような顔になってしまった。ただ心配しただけなのに……
これ、お狐様に聞こうと思ってたあの質問、キネちゃんに先に話して見たらとんでもないことになるんじゃ……?いやでもなぁ、今後過ごしていく上で、ここを離れざるを得ないこともあるだろうし……ラインを判断する意味でも、聞いておくべきなような気もするなぁ……
……よし。少し怖いけど、ここは勇気を出して聞いてみよう!大丈夫、キネちゃんは優しいし、きっと悪いことはしないはず…!これは大事なことだから…!
「ね、ねぇ、その、キネちゃん……お姉さんね、少し聞きたいことがあるんだけど……」
「……なんですか?先に言っておきますが、あまり変な質問はしないでくださいね。いくらお姉さまとはいえ、先ほどのようなことを述べられては、私の忍耐も……」
「あ、いやいや!そんなことなくて…え〜と、その、むしろお互いの引き際を確認するために大事な質問というか……」
「……その、他意はないんだけど…キネちゃんってさ…私がここからいなくなったらどうするのかな〜って……え~と、例えば婚約者が出来て、お店も辞めてさ、パタリとここから消えちゃったとしたらっ…!?」
どがん。地を砕くような轟音が聞こえたと思ったら、次の瞬間には私は地面へと組み伏せられていた。首の横にはキネちゃんのか細い腕が深々と壁ドンするみたいに打ち付けられていて、体格では圧倒的に勝っているはずなのに、身動きの一つもすることができない。
……私、キネちゃんに……押し倒されてる?
「……き、キネちゃん……?」
「……お姉さま…悪ふざけはおやめくださいと、キネはお伝えしたはずですが。お姉さまがここに来なくなる?そんなありえない話をしないでもらえますか。ましてやキネ以外のモノと結ばれる?冗談も大概にしてください」
「お姉さまはキネと決して解けてしまうことのない輪廻の糸でもう既に魂から繋がっているんです。もはやキネの半身、いえ、番といっても過言ではないでしょう。それくらいお姉さまはキネにとって大切な大切な人なんです」
「それが…どこかへ行こうとした挙句、その理由が、人間の婚約者が出来て、そんな塵芥と結ばれるためなどと…この世のすべてを那由多まで祟ってしまっても腹の虫が治まりません」
「というか、そもそも何故キネと離れるような思考ができてしまったのですか?お姉さまは人寂しさをキネで満たし、キネはお姉さまを愛しお姉さまが抱えている様々な感情を受け止めてあげる。それで互いに今までやっていたではありませんか」
「キネのことが好きでなければ、わざわざこんな離れた祠などに立ち寄りませんよね?毎日掃除に貢物に、こんなことをしてくれる方は、お姉さましかいませんでした。ですからキネは、あなたを魅入ったのです。この方こそが、キネの永劫の伴侶に相応しいと。対等であれる唯一のお方だと」
「ですので…そんなことを口にするのも考えるのもやめてください。いいですね?二度とキネの前でそんなことを口にしないでください」
「……お姉さまがまだこの世にいられるのは、キネが人間としてのお姉さまを敬っているからということをお忘れぬよう。次にそのようなことを口にする、あるいは…行動として形にしてしまった場合」
「キネ…いや、『妾』は…これ以上自分を抑えられるような気がしませんので……」
「……う、うん。ごめんなさい、キネちゃん……」
矢継ぎ早に飛び出してくる私への執着を形にしたような言葉に、思わず圧倒されてしまい生返事を返すことしかできない。田舎の山中の夜ということで、本来なら爽やかな空気が満ちているはずの場所も、いつの間にか身体が沈んでしまうような重苦しい空気に圧されてしまっている。
私は、ラインを定めるという好奇心の免罪符を片手に、人では推し量れないような世界に首を突っ込んでしまったのかもしれない。キネちゃんのことを自分とは異なる、到底力の上では叶わない存在と認識してしまった途端、呼吸すらもままならなくて…畏れている。
……怖い、怖いよ、お婆ちゃん。私、どうしてキネちゃんに、いや、お狐様に魅入られちゃったんだろう。私、何かお狐様にバチを貰ってしまうような悪いことしたのかな…?なんで、こんな…こんなことに……
「…お姉さま?泣いていらっしゃるのですか?」
「……な、ないてなんか、泣いてなんかないよ…私、ひとまずかえ…帰りますね…」
「そうですか…どうか御身体を崩さぬよう。今宵はよく冷えますので。それから、箒もお忘れにならないでくださいね」
「……はい」
時計の針がちょうど12時を回ったくらいだろうか。未だに震えと脅えが止まらない足を引きずりながらも、ほうきを杖代わりにして私はどうにか自分の家へと帰ってくることができた。
いつもは戻るたびに安心感を覚えていた家も、今となってはお狐様の機嫌一つすら守ってくれないだろうという脆弱さを感じずにはいられなかった。とにかく、涙と恐怖が止まらなくて、しばらくは和室の隅っこで縮こまることしか出来なかった。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。私がもう少し軽率じゃなかったら、こんなことにならずに、私とキネちゃんの関係をそのまま保てたのかな。それとも、私がキネちゃんと関わらずに、いや、初めからこんなところにいようとしなければ、魅入られることなんてなかったのかな。
窓の隙間から吹き込んでくるそよ風一つが恐ろしかった。まるで大地の自然全てがお狐様の下にあるようにも感じていた。とにかく、お狐様以外の要素を感じさせられるものが欲しくて、深夜なのはわかっていたけど、私は無意識に遠くにいる妹に電話をかけようと受話器に手をかけていた。
『お姉ちゃん?こんなド深夜にいきなりどうしたのさ…』
「……シオン?シオンだよね?お狐様じゃないよね?私の妹のシオンだよね?」
未だに身体から纏わりついて離れない畏怖から少しでも離れようと、私の大切な唯一の家族の名前をしつこく呼び続ける。こんなことしたって、シオンの迷惑になるだけなのに。ごめんね。でも、お姉ちゃんは…今、怖くて仕方がなくて……
『は?ちょ、お姉ちゃん何言ってんの?マジで大丈夫?なんかあった?お狐様って、まさか…』
「……ひ、人の声だ…お狐様じゃない、人の声…」
電話の向こうで困惑している大切な家族の声が聞こえる。きっと、今頃あっちはお姉ちゃんがおかしくなったとでも思ってるんだろうな。でも、それでいいや。その人らしさが、今はすごく安心できるから…
「はぁ…よかった……本当に良かった…」
『……なんか、明らかに大丈夫じゃなさそうだね。お狐様お狐様って、まさかあの裏山の祠、まだ行ってたの?』
「…うん。そうしないといけないからって、お婆ちゃんに言われてたから……」
そう小さく答えると、スピーカーからは呆れるような小さなため息が聞こえてきた。あはは、そりゃそうだよね。シオンは、お狐様のお参りだとか信仰とか、そういうのが本当に嫌いな子だったから。
『…ほんっと、お姉ちゃんって馬鹿…で、どうすんの?もう完全にさぁ、なんか不味いことになってそうじゃん。』
「……私には、どうすることもできないかな。多分もう、どうしようも…」
『ハナから諦めんなって!あぁもう、お姉ちゃん昔からそうだけど諦めが早すぎ!反省して!』
「えっ?え、あ、え…?」
電話の向こうから聞こえてくる呆れ交じりの怒声に、思わず困惑してしまって脳が思考を停止してしまう。でも、だって、私にはどうすることも…
『他人を頼るってことを覚えようよ!なんかこう…その狐だって要は妖なんでしょ?本当にいるか知らないけどさ、神主とか僧とか、そういうの通じてそうな人に頼ってみるのはどう?』
「あ…!」
妹の口から発されたその言葉は、私の凝り固まった貧弱極まりない頭脳では到底思いつかない画期的なアイデアだった。そうだ、確か…霊媒師とか、その筋の人に頼れば、完全にお狐様を祓うことは出来なくても、魅入られていることを解除するくらいは…!
『ウチが早速呼んどいたげるからさ。予定がつき次第、また電話するから』
「シオン…ありがとう...でも、本当にごめんね、こんな駄目なお姉ちゃんで...」
『…駄目なんかじゃないよ。ウチだって、お姉ちゃんのその優しさに何回も救われた側の人間だし。ただ、恩返しがしたいだけ』
『じゃ、そろそろ切るから。また後でね、お姉ちゃん。……絶対、帰ってきてよ』
「うん…!また会おうね、シオン…!」
ツー。無機質な電子音と共に、電話が切れた。でも、さっきと違って、不思議と怖くはなかった。私には、世界で一番頼れる妹がいる。私をまだ見てくれる人がいる。まだ私は、人間として生きている。その事実が、ただただ安心感として、胸の中に残り続けていた。
『オカ研のコネとか使えるだけ使って、霊能者に声掛けられるだけ掛けといたから。とにかく、トンネルの先まで逃げ込んで。出来るだけ早くね。タイムリミットは30分だよ』
「…とうとう、その時が来ちゃった…」
いつも着てるちょっとサイズの大きいロングコート、最低限必要な諸々の帳簿だとかお金だとかを詰め込んだ小さなカバン。元から持っていくものが相当少なかったから、想像の上をいく勢いで夜逃げの準備は完了した。
時刻としては、午前二時くらい。ちょうど丑三つ時と呼ばれている時間だった。何でこんな時間なのかというと、シオンが紹介してくれた霊能者曰く、『霊界ともっとも繋がりやすい時間帯で、最も足止めしやすいから』らしい。確かに、こんな時間であれば、お狐様にも見つかりずらいかもしれないし…よくわからないけど、一理はあるかもしれない。
「…とうとうこのお店も、今日で終わりかぁ……」
何十年も前から使われ続けて、錆と劣化でズタボロになった看板を見て、妙な感慨深さを覚える。小さいころから、この駄菓子屋を継ぐのが夢だった。蓋を開けてみれば、キネちゃ…お狐様以外のお客さんは、ほぼ0のようなものだったけど。それでも、楽しいものは楽しかった。
でも、今は感傷に浸っていられるような場合じゃない。私は、この村を出る。村を出て、お狐様の呪いを解いてもらって、そして、シオンとまたもう一回会うんだ。出ていった先では、また再び駄菓子屋を開いてみるのもいいかもしれない。お狐様に左右されない、普通で幸せな人生をっ…
「……なに、これ……!?」
自由への第一歩を開かせてくれるシャッターを開けてすぐに、私は見えてきた衝撃的な光景に息を呑んだ。
空が、紅い。それも、朝日や夕暮れのように輝きを持った赤色ではなくて、本当に血紅色と表現すればいいほど真っ赤だった。雲の隙間から顔をのぞかせていたはずの月は見えず、代わりにこれまた同じく血のような紅色を帯びた雨が激しく地面に降りつけていた。
昨日まで平穏に過ごしていたはずの動物たちがあちこちで倒れていて、穏やかだった森は嵐のような風が吹き付け、一瞬でこの世の地獄のような姿に変貌していた。
「ひとまず、トンネルに行かなきゃ…」
何か得体の知れないことが起きている恐怖に身体をこわばらせながらも、私は目的地であるトンネルの方向へと歩みを進めた。その間にも、次々とありえてはならない異常な事態が起きていた。
夜は眠っているはずのカラスやツバメが、何かから逃げるようにして空を飛び、そして羽根を扇ぐのをやめた瞬間絶命して落下してくる。山の奥からは動物たちの悲鳴があちこちから聞こえ、まさに死の霰と形容するのが相応しいほどの地獄絵図だった。
これも、お狐様の祟りなのかな……私がここを離れようとしているから、それで怒ってこんな光景を……
そんな疑念を抱きながら進んでいるうちに、ふいにポケットの中に入れていた携帯が振動していたのに気づいた。妹からだった。何か不測の事態でも発生したのだろうか…いや、こんな地獄を具現化したみたいな景色が起きている時点で、そうなのだろうけど。
「もしもし?シオン、どうしたの?」
『おねえちゃんにげて!今すぐ、いますぐそこからにげて!』
「シオン?ど、どうしたの!?」
『あっ、あの、あのね……全員、ぜんいんしんじゃったの…みんな…みんな、まってた人もぜんいん、血をはきだしてしんじゃったの……』
『だからいますぐそこからにげて!まに合わなくなる前ににげて!おねえちゃん!』
「え……?」
「お姉さま…どこへ行くおつもりだったのですか?」
身体中から血の気という血の気が引く。何も拘束具などはないはずなのに、一歩も身体を動かすことができない。そして、後ろから聞きなれた、けれど極度に冷え切ったように感じる底冷えした声が、私の後ろから聞こえてきた。......聞こえるはずのない、その声が。
「...お、お狐、様?」
「お狐様?私の名前はキネですよ、お姉さま。それにしたって随分と大荷物ですね、お姉さま。まるでどこかに出かけに行くみたい...夜中の散歩にしては、いささか量が多すぎますね? 」
「それに、その小さなカバン。私知ってますよ?いつもそれ、レジの横に置いてある大事な大事なカバンですよね。その中に、色々な大事なものが入ってるから触っちゃダメって、言われたことがあります。そんなカバンまで持ち出すなんて、まるでここから離れてどこかへ行こうとしてるような雰囲気さえ感じます」
「あ…あぁ…ひっ…」
淡々と声を発しながらこちらに近づいてくるお狐様の声色には、感情という感情が一切読み取れなかった。ただひたすらに、無機質な鉄仮面を張り付けたかのような、冷淡極まりない声色。目にはこの世の暗闇がすべて吸い込まれていくかのような、しかし怒りの色が強く滲んだ黒泥の色をしていた。
そして何よりも異常を感じたのは、そのお狐様の小さな身体に生えていた、九つの巨大な尾だった。お狐様の体躯を優に上回るそれは、不快感を強く表すかのように左右に振れ続けていた。
「ねぇ、教えてくださいよ、お姉さま。教えてくれないと、あなたが何をしようとしていたのか分からないじゃないですか」
「何をしようとしていたんですか?キネに隠れて、あんなに人を呼んできて、いったい何をしようとしていたんですか?どうしてそんな、キネに会ったことで途方もない絶望感を感じてしまっているんですか?」
「ひっ…やだ…こないで……!」
「……はぁ。答え方次第で、お姉さまに与える罰を決めようと思っていたのに…これじゃあ、聞けないじゃないですか。あぁ、それとも…こうされたかったんですか?もういいですよね?キネももう我慢の限界なので」
「【妾の質問に答えろ、人間。妾を出し抜いて、何をしようとしていた?】」
直後、お狐様の身体から放たれる圧倒的な威圧感。生物としての絶対的な格の違い。……この状況で、私に逆らうという選択肢なんて、到底存在しえなかった。それ以外のことを考えることは許されないと、全身のなにもかもが警鐘を鳴らしていた。
「……ぁ、に、にげようと。おきつねさまから、にげようとし、していました……」
「そうかそうか、妾から逃げようとしていたのか……ふざけるのも大概にしろよ貴様」
「がっ……!?」
「妾はあれだけ慈悲をくれてやっただろう。妾が幼いころから今の今までお主にどれだけの加護と利益をくれてやったか忘れたのか?」
「お主が欲しいと願ったものは全て叶えさせてやった。頭がよくなりたいと願ったならその通りにしてやり、物が欲しいというならくれてやり、お主が一番強く願っていた友達が欲しいという願いは、妾が直々にお主の友となってまで叶えてやった」
「この世のお前を害するありとあらゆる全てからお主を守ってやった。雨風に一切襲われないよう妾が常に見守っていた。何かお前が害されそうになったら、風を吹かして守ってやった。震災が来るなら別の場所に移してやった。陰口をお主に囁いた穢れた人間たちは全員祟り殺した。お主に劣情を抱いた卑しい屑どもも全員祟り殺した。あの妹だけは、妾が特別に慈悲をくれてやったが」
「おかしいとは思わなかったのか?お主の周りだけ、人間の怪死が多発していたことに。あれはすべて、お主に何らかの害を与えようとしたものの末路だったのだ。お主は特段優しいからな。その優しさに付け込もうとする愚か者も多くいたことよ」
「……妾だって、お主に救われたものの一人だった。お主は覚えていないだろうがな。だからこそ、妾はお主を信じていたのに。ずっと信じてたのに。愛していたのに」
「それだというのにお主は、年が経つごとに妾の元から離れようとしていたな。お主の口から婚約者などという言葉が飛び出してきたことには心底驚かされた。妾という魂の番がいるのに、よくもそんなことが言えると心底軽蔑した」
「そして、今のこの現状だ。妾はもう……散々我慢した。人間風情が妾に強いる忍耐としてはあまりにも多くの忍苦を過ごしてきた。もう、これ以上我慢することは、妾には出来ぬ」
「お主にはもう聞こえておらぬだろうがな。今からお主を妾の眷属にさせてもらう。今度こそ、この幾重にも結ばれた魂からのつながりを知覚できるよう。そして妾から絶対に心離れしないよう、二度と離れぬよう」
「お主という清純極まりない美しい魂を収めるには、あまりに下等な人間風情の身体から脱させてやり。妾と同じ、永劫の時を生きる妖狐の身体へと作り変えてやる」
「だから、人間としてのお主はここでさらばだ。次に目を覚ました時は……お前は本当の姿へ生まれ変わっているだろう。あぁ、しかし……」
「妾から離れようとしたその脚と手は……魂ごと消えてしまってもよいかもしれんな?はははははは……!」
お姉さま(ちゃん)
可哀そうなことに上位存在に魅入られちゃったか弱い女の子。
祖母の家を継いで駄菓子屋を営んでいるが、鳴かず飛ばずの売り上げと客足でお狐様だけがお友だちだった。小さいころに行き倒れていた狐にご飯を上げたりけがを治してやっているが、忘れている。めちゃくちゃ優しいし人たらしなのでクラスメイトにはモテモテだった。
だが嫉妬されることも多く、いじめの対象になりそうなこともあったがお狐様に誅殺された。旅行の時に高熱を出した男子三人組は酔わせてホテルでアンアンしようとしていたが当然バレて誅殺された。
最近の悩みは妹に身長と胸の大きさが負けたこと。身長がコンプレックス。
お狐様
お(キ)ツ(ネ)様。めちゃくちゃ人間が嫌いで嫌いで仕方がなかったが、小さいころにお姉さまに助けられてそれ以降もお掃除してくれたり人間にしてはあまりにも清んだ魂に心惹かれ以降お姉さまに一途な可愛い女の子となる。一途すぎて好きな子に害するありとあらゆるものを誅殺するし何をするにして激重になる。でも性根が本当に優しいので、結構慈悲を上げてあげることも多い。
元々はそこまで力のないただの妖狐でしかなかったが、お姉さまという唯一の魂からの番という強固なつながりができたことで力が大爆発、無事に神話級の九つの狐が爆誕した。
キネちゃんはお狐様がお姉さまのお友だちが欲しいという願いをかなえるために作りだしたもう一人のお狐様で、基本はこっちの姿で活動する。だが苛立ちやらなんやらで感情が高ぶった際は一人称が変化し、「私」→「キネ」→「妾」となる。ちなみに妾となったらほぼほぼ終わりである。
最近の悩みは番があんまりアプローチしてくれないこと。今度もっと魂に手を入れて自分に激メロのお姉さまを創ろうとしている。
シオンちゃん(妹ちゃん)
お姉さまの頼れる妹。めっちゃ天才だしめっちゃ人望あるしめっちゃスペック高い。
神事だとかお祈りだとかなんやらを死ぬほど嫌っているがその分の好きをすべてお姉ちゃんに捧げているためかなりのブラコン。だが好きが行き過ぎてお姉ちゃんといざ会うとそっけなくなってしまうことが多い。
お姉ちゃんを助けようと霊能者を集めてお狐様と戦ったが、力及ばずして負けた。だけど慈悲で他が全員全身から血を吹き出して惨い死に方をした中一人だけ助けてもらえた。
最近の悩みは身体が大きくなりすぎてお姉ちゃんに会うたびにびっくりされること。お姉ちゃん以外に劣情を抱いてきた相手には顎にハイキックを食らわせてる。