光脈沿いの裏道へ踏み込んだ瞬間、空気がひやりと沈んだ。
熱が“吸われた”ように肺が重くなる。
フィリアが震える光をまとって背にしがみつく。
光脈の陰で、白い布帯が揺れた。
ナタ・レーヴが路地の端に膝をつき、負傷者に体術の糸光を通していた。
「……間に合ってよかった。リオさん、ここ危険域ですよ」
彼女は治癒を止めずに言う。
「戦闘になる。後衛に回ってくれ」
ナタは短く頷いたが、眉に焦りを滲ませた。
「後衛には回ります。でも……見捨てるのは嫌です。動ける兵は、私がつなぎます」
「死ぬのと、生き残るのの境目は……一秒なんです」
「……あれ……くる……」
アリスが前方を鋭く見つめた。
「気配……じゃない。気配を“切ってる”……?」
ミーナが端末を構える。
「揺れが跳ねてる……何かが光脈に割り込んでます! リオさん、構えて!」
俺は魔導銃のセーフティを外す。
銃身の安定装置が唸り、胸の焼けが呼応するように疼いた。
(また暴れそうだな……)
風が裂けた。
「──うしろ!!」
フィリアの叫びと同時、灰色の影が壁を蹴り、羽根の散弾をばら撒く。
金属を削る音が路地を走った。
続けざまに、路地の奥から複数の銃声が重なった。
領主軍の射撃隊が伏射姿勢で連射を開始し、協会の光術部隊が術式榴弾を投げ込む。
榴弾が空中で白く割れ、散った光式が自動的に弾道を修正して灰羽セルの“残像”を追う。
「隊列崩すな! 散ると殺されるぞ!」
「羽根の分裂体、三! いや、四!?」
灰色の羽根が地面に触れた瞬間、そこから人影が“生まれる”ように立ち上がった。
セルの欠片──分裂体だ。
兵たちが応射するたび、羽根が弾丸を受け流し、逆に散弾として跳ね返す。
「跳弾来るぞ! 盾上げろ!!」
光術部隊が急ぎ結界を張るが、その上から散弾が雨のように叩きつける。
路地全体が悲鳴と銃声で満たされた。
音が多すぎる。どこを狙えばいいのか、一瞬だけ分からなくなった。だが──俺が撃つべき“本体”は必ず一つだ。
ナタが負傷兵を引きずり出し、叫ぶ。彼女の声だけが、この混乱の中で妙にはっきり聞こえた。だが俺たちは、セル本体を止めない限りこの混乱は終わらない。
「このままだと死者が出ます! 後退線つくります、誰か援護を!」
「弾道乱れます! 伏せて!!」
ミーナの声に、俺はフィリアを抱えて転がる。
直後、アスファルトが蜂の巣になった。
カイルが煙を切って前へ飛び出す。
銃剣を構え、にやりと笑う。
「来やがったな……灰羽セル!」
煙の奥で、人型の輪郭が揺れる。
輪郭が呼吸のたびに“位置を変えて”見えた。
世界のほうが、セルの存在を正しく確定できていない──そんな揺れだった。
光脈の乱れをまとって、像がずれていた。
アリスが息をのむ。
「あれ……こんなに歪んでたっけ?」
ミーナが解析を叫ぶ。
「光脈の揺れで位置をブレさせてます! “狙えない”!」
セルはその歪みを利用して射線を外していた。一瞬、周囲の喧騒が遠のいたように感じた。
フィリアの細い腕が俺の背に回り、光粒がはじけた。
透き通る髪が光脈を拾って揺れ、耳の先まで震えている。
「……こわいの、ある。でも……“見える”よ。リオの前にある揺れ……逃さない」
その声は震えているのに、瞳の奥だけは強かった。
アリスが前へ出て、白装束を払った。
指先に光が灯り、術式の線がすばやく組まれていく。
「フィリアが揺れを読むなら……私が、あなたの動きを支える。怖いけど大丈夫。後ろの安全は任せて。リオ、撃つタイミングは──絶対合わせるから」
「……心強いな」
「当然でしょ。私、守られてばかりのつもりないよ?」
フィリアが小さく頷いた。
「アリス……つよい……。わたしも……リオの“目”になる……」
アリスは微笑んで、しかし目だけは真剣に前を射抜いていた。
二人は対照的なのに、戦う意思だけは同じだった。
「フィリアの震えは、怯えじゃなくて……観測の震え。──ねぇリオ、あの子、あなたのために“見てる”んだよ」
フィリアが俺の服をぎゅっと掴む。
「……ひとりで戦わせない。ちゃんと……見てるから」
二人が並ぶと、静と動の気配が同時に立った。
アリスの集中は刃のように研ぎ澄まされ、フィリアの光は世界の揺れを映す鏡のように震えていた。
二人の気配が背を押す。
その前を、カイルが迷いなく駆け抜けた。
「歪むなら、近づいて刺すだけだ!」
この戦い方は決まっている。
カイルが前を切り開き、ミーナが線を引き、アリスが反応速度を補助し、フィリアが“揺れの芯”を示す。
──そして俺は、その全部を撃ち抜く役だ。
羽根の散弾が再度撃ち出される。
カイルは低く滑り、銃剣で弾き飛ばした。金属が跳ねる。
刺突。
羽根の盾に受け止められ、カイルが押し返される。
「硬度……上がってる!」
アリスの声。
「見りゃ分かる!」
カイルは肩を軋ませながら踏ん張る。
フィリアが袖を掴む。
「……リオ……いく……?」
「行く。でもお前は隠れてろ」
フィリアは首を振る。
「……いや……リオが“見えない”まま戦うの……もっとこわい……」
胸の奥が熱を帯びる。
(誰かが“見てるから前へ行ける”……セラの時と逆だ)
「ミーナ、弾道補正できるか」
「線、引きます!」
通術の線が視界に浮かぶ。
(あの塔の前で──掴み損ねたセラの手の震えが、今も指先に残っている)
(あいつはあの時も震えていた。……恐怖じゃない。何か“削れて”いくみたいに)
その瞬間、セルがこちらを見て笑った。
「おまえか。塔の前で、細い手ぇ見捨てたのは」
心臓が跳ねた。
セルが羽根を揺らす。
「まだ叩いてるぜ。……“開けろ”ってよ」
フィリアが震え、光が揺れた。
(……セラ……)
胸の熱が決壊する。
「カイル!! 下がれ!」
「おうよ!」
射線が開く。
フィリアが肩に額を寄せる。
「……“今のリオ”は……みえる……」
銃身が震え、胸の焼けが一本の線へ収束した。
「──行かせない。倒して塔へ行く。あいつは今……あの塔で、一人きりなんだ!」
閃光。銃声。
セルの羽根が爆ぜ、光脈が裂けた。
戦闘が本格化する。
セルが残像を三つ生み出し迫る。
見分けがつかない。
フィリアが囁く。
「……“左”……」
俺は左へ撃つ。
羽根が砕け、セルの肩が崩れた。
「チッ……見んじゃねぇよ、小娘」
セルがフィリアに殺気を向ける。
アリスが障壁で受ける。
「全部は防げない……!」
ミーナが補助に回る。
「防御は私! アリスさんはリオくんを支えて!」
視界が開く。鼓動が早くなるが制御できる。
カイルが斬りかかり、セルの散弾が至近距離で炸裂。
ミーナの偏向術式がそれを逸らす。
その背後で、混戦の陰に隠れるようにしてナタが別の兵士の胸に手を当て──彼女の額には汗が浮かび、声が震えている。
「……止まって……止まって……お願い……!」
治癒の糸光はたしかに傷を閉じていくが、セルの散弾は“傷に残留し腐らせる”性質がある。
ナタの術でも完全には消しきれず、苦鳴が上がる。
「ナタ! 深入りするな、治癒が追いつかない!」
「追いつかなくても……つなぐんです! 死なせません!!」
「死ぬかと思った……!」
「死なせません!」
「うるせぇ!」
セルが苛立ち、光脈を吸い上げ始める。
「光脈が……崩れる!!」
ミーナの悲鳴。
「リオ、あれ止めないと!」
「分かってる!」
だが歪みごと撃ち抜くには、狙いを一点に絞る必要がある。
フィリアが頬へ触れた。
「……リオ……“まっすぐ”……」
世界が層となり、揺れの芯が一本に収束する。
「ミーナ、導線を!」
「これが……最後です!」
導線が光る。俺は銃を合わせた。散弾が一斉に撃ち出される。
(恐怖じゃない。怒りだけを──まっすぐに)
引き金が落ちた。弾丸は弧を描き、セルの胸の歪みに突き刺さる。
亀裂。灰の逆流。
カイルが突進し、羽根の根元を断ち切った。光脈が震え、息を吹き返す。
セルは崩れながら空を見た。
「……塔の奥……まだ叩いてる声が……聞こえんだよ……おまえ……助けに行けるのか……?」
灰となり、消える。
戦闘は終わった。
アリスが駆け寄る。
「リオ、大丈夫……? 今の、本当に……」
ミーナが光脈を見て震える。
「塔の方へ……裂け目が伸びてます。“呼んでる”……誰かを」
その横で、ナタが路地にへたり込み、血まみれの手を見つめていた。
治癒の光はもうほとんど灯らず、指が震えている。
「……助けられなかった人が……また増えた……」
アリスがそっと肩を支える。
「ナタさん、あなたがいなきゃもっと多く死んでたよ」
ナタは弱々しく微笑んだ。
「……リオさん。塔に行くんですよね」
「ああ」
「なら……行ってください。私は、ここで……つなぎ止めますから」
その声は震えていたが、折れてはいなかった。
フィリアが袖を握る。
「……いくの……?」
「行く。どれだけ遅れても──今度は見捨てない」
アリスが頷く。
「光脈の道、私たちで開くから」
カイルが笑う。
「行けよリオ。孤児院にも言っとく。“お前は意外とやる”ってな」
ミーナが真剣に言う。
「戻ってきてください。観測点は維持します」
フィリアが小さく囁いた。
「……ひとりじゃ……ないよ……」
仲間たちの声が、背を押していた。
俺は頷き、塔へ向かう。
裂けた光脈が、導くように揺れていた。
──こうして俺は、セラを助けに走り出した。