灰を越えて風になる   作:雷光123

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良ければお付き合いください。


沈黙する塔、呼ばれる中心

 塔へ踏み込んだ瞬間、世界は音を失った。

 

 靴裏の触感だけが鮮明で、呼吸の震えすら壁に吸われる。

 

「……光脈、全部消えてる。塔が“息してない”みたいだな」

(……セラ。ここにいる)

「……また胸が鳴ってる。湖で出会ったあいつと同じだ」

 

 嫌でも分かった。

 あいつが、またいる。

 

 階段を上り、最奥へと続く扉に手を伸ばした瞬間──

 

 カツ。

 

 塔の沈黙を破る小さすぎる音。

 それだけで背中が跳ねた。

 

 床が縦に裂けた。

 音を持たない裂け目が光を殺し、そこから“人の影”が立ち上がった。

 

 童顔めいた輪郭。

 だが、その体の線は鋭い刃のように締まり、動いた瞬間だけ“壊すために生まれた身体”であることが分かる。

 

 白い息を吸う。その気配だけで塔が軋んだ。

 

(……また、こいつか)

 

 湖で一度遭遇し、斬撃のような裂を生む異常な存在。

 名は知らない。

 人間かどうかも怪しい。

 

 だが、確かに“俺を狙ってくるもの”として身体が覚えている。

 

 男は振り返らず言った。

 

「やっぱ来たな。……坊主」

 

 声だけは軽い。

 内容は、氷のように冷たい。

 

「湖の時より、ずいぶん深く呼ばれてる顔してるじゃねぇか」

 

 呼ばれている。

 胸の疼き。

 セラの微かな呼吸。

 

 すべてが塔の奥へ向かっている。

 

 俺は銃を構える。

 

「そこを通す気はないって顔だな」

 

 男は喉の奥で笑う。

 

「通すわけねぇだろ。“あの子”は壊れ切る寸前だ。お前が触ったら、余計に壊れんだよ」

 

 胸の熱が跳ねた。

 

(セラのことを知っている……?)

 

 男は床を軽く蹴った。

 その一点から塔の亀裂が蜘蛛の巣状に走り、空間の輪郭を噛み砕く。

 

「湖での続き、やろうぜ。あれ、楽しかったろ?」

 

 次の瞬間、姿が消えた。

 

 俺は横へ跳ぶ。

 反射神経ではない。

 胸の焼けが“揺れ”を示す。

 

 足元を影が抉る。

 床が斜めに切断され、欠片が音もなく落ちる。

 

(切断……空気ごと斬ってきてる)

 

 押し寄せる裂け目。

 だが、ひとつだけ“揺れの癖”がある。

 

「攻撃の前に……ひびが沈む。お前、塔の傷を使って動いてるのか」

 

 湖で学んだこと。

 “影の男”は世界の観測の隙を突く。

 ひびを足場に、存在をずらし、遅れ像をいくつも生む。

 

 塔内部はその能力を最大化する。

 

 黒い裂け目が天井から落ちてくる。

 背中をなでる冷気。

 心臓が跳ねる。

 

(来る)

 

 反射ではなく、揺れを読む。

 フィリアがやっていたことを真似る。

 

 男の影が背後に迫る──その瞬間、俺は身体を捻り、銃を斜めに構えた。

 

 轟光。

 

 沈黙が砕け、男の肩が弾け飛ぶ。

 

 灰色の粒が舞う。

 だが男は崩れない。

 片肩の欠損すら、動きを鈍らせない。

 

「……へぇ。今日は読みが冴えてんな、坊主。“見なくても撃てる”ようになったか」

 

 男は口だけ笑い、足を塔のひびへ重ねる。

 

「でも、遅ぇんだよ」

 

 次の瞬間、五つの遅れ像が生まれ、同時に襲いかかる。

 

(本体……どこだ)

 

 銃を振るう時間すらない。

 裂け目の斬撃が空気を歪め、世界が紙片のように折れ曲がる。

 

 俺は胸の焼けへ身を預ける。

 

「……ここだ。揺れの“中心”が見える」

 

 撃つ。

 

 銃声と同時に、影の一つが破裂し、残りの遅れ像が消える。

 煙の中で、男の膝が崩れた。

 

「……っぐ……!」

 

 男は息を荒くし、裂けた肩から灰を流しながら、それでも楽しそうに笑う。

 

「坊主……やべぇな……本当に“壊し切る気”で来るじゃねぇか……」

 

 俺は構えを解かない。

 

「もう通さない。あいつを壊させない」

 

 胸が熱く震える。

 セラの光が、塔の奥でかすかに脈打っていた。

 

 男はその光へ視線を向け、舌打ちした。

 

「……チッ。あの子、呼んでやがる」

 

 影の男は立ち上がろうとした。

 だが足元のひびの奥──塔の深層が、彼を拒絶するように揺れた。

 

 裂け目が縮んでいく。

 

「……なんだよ、てめ……塔ごと……っ」

 

 塔のひびが、一瞬だけ“光”を滲ませた。

 

 セラの魂波が塔の深層へ触れたのだ。

 

「……リオ……」

 

 揺れが男の足を止める。

 存在がずれ、観測が乱れ、身体がひびに引っかかる。

 

(……塔が……セラを守ろうとしている……)

 

 男は必死に裂け目を開こうとする。

 

「ふざけんな……! 俺はまだ……壊り足り……!」

 

 俺は最後の一発を構えた。

 

「終わりだ」

 

 胸の焼けが線となり、導線のように男の核心へ収束する。

 

 撃つ。

 

 弾丸は男の胸の“ひびの中心”を貫き、塔全体がその一点へ共鳴した。

 影が砕け、裂け目が逆流し、灰が塔の内部へ吸い込まれていく。

 

 男は最後に、薄い声で呟いた。

 

「……坊主……あの子……壊すなよ……」

 

 そして影は完全に崩れ、霧のように消えた。

 

 “影の男”は──消滅した。

 

 裂け目が閉じ、沈黙だけが残る。

 

 俺はようやく扉の前に立つ。

 微かな呼吸。

 冷たい空洞。

 

 セラがいる。

 

 胸が焼ける。

 もう遅れない。

 

 扉を押し開けると、白い髪の少女が薄光の中で膝を抱えていた。

 

「……リオ……?」

 

 壊れかけた声。

 それでも確かに、呼んでいた。

 

 俺は歩み寄り、彼女をそっと抱き寄せた。

 

「来た。今度は……間に合った」

 

 塔のひびが、やさしく一度だけ震えた。

 

 影の男が砕けたあと、塔はしばらくのあいだ沈黙していた。

 亀裂は消え、霧も薄れ、ただ“穴がふさがる音”だけが奥で小さく響いている。

 

 だが──気配は、まだ終わりではなかった。

 

 背後。

 階段の上方。

 

 コツ、コツ。

 

 靴音が塔の壁に吸われながら落ちてくる。

 

 この塔の音ではない。

 沈黙に慣れた空気の上を、別世界の歩調が横切ったようだった。

 

 俺は銃を構え直す。

 

 ゆっくりと、一人の男が姿を現した。

 

 細身で、影のような動き。

 だが存在感だけは薄くない。

 空間の“縁”に触れるように歩き、そこだけ塔の沈黙が少し揺らいだ。

 

 男は俺のほうを一瞥し、口元だけで笑った。

 

「へぇ……本当に“裂け目の坊や”を倒したんだな。面白ぇ。協会の犬の割には骨がある」

 

 声は軽いのに、響きだけは妙に硬い。

 俺の胸の疼きとは違う、冷たい金属音が混じっていた。

 

(誰だ……?)

 

 男は名乗った。

 

「ヴォルタ・クレン。反協会領の密使だよ」

 

 武器は持っていない。

 戦う姿勢でもない。

 ただ、塔全体の揺らぎを観察するように視線を動かしている。

 

「……お前、あいつの仲間か」

 

 影の男を指して問うと、ヴォルタは鼻で笑った。

 

「仲間ねぇ。惜しいけど違う。“あれ”は反協会領で造られた観測破壊兵の試作品さ。協会から“奪った技術の模造品”ってところだな」

 

 端末──? 

 

 俺の思考が止まる。

 その語は、セラとフィリアのような存在を指すはずだった。

 

「まあ安心しろ。お前が壊したのは“ただの奴隷規格”。本物は──あの部屋の奥にいる“あの子”だろうな」

 

 ヴォルタの視線が、セラのいる扉の奥へ刺さる。

 

 そのとき、胸の疼きが鋭く跳ねた。

 “触るな”というように、内側から押し返す。

 

 俺が半歩前へ出ると、ヴォルタは肩をすくめた。

 

「怒るなよ。俺は彼女に触りに来たんじゃない。“どう壊れていくか”を見に来ただけだ」

 

 その言い方が、何より許せなかった。

 

 銃口がわずかに上がる。

 だがヴォルタは一切怯えず、むしろ楽しそうに瞳を細める。

 

「撃つか? 撃てないさ。俺は“ここにいない”。ただの観測者だ」

 

 その瞬間、俺は理解した。

 

 男はここに立っているのに──

 存在が、塔の観測線から微妙にズレている。

 

(……こいつも、ひびを使って動いている)

 

 影の男ほど露骨ではない。

 もっと静かに、もっと深く──塔の脆さを利用して“隠れている”。

 

 ヴォルタは階段をひとつ上がり、振り返らぬまま言った。

 

「助けたいなら助けろよ。俺はその後の“壊れ方”を見るつもりだ。……端末じみた光だ。どこまで保つのか興味があるだけさ」

「黙れ」

 

 俺は呟く。

 

 胸の疼きが怒りに変わる。

 ただの痛みではない。

 守るために身体を前へ押す熱。

 

 だがヴォルタはそれを愉快そうに聞き流した。

 

「まあ──頑張れよ、少年。彼女が完全に壊れる前に、どこまで手を伸ばせるか……」

 

 気配が霧のように薄れた。

 

 ヴォルタの姿は、塔の亀裂の向こうへ溶けるように消えた。

 歩いて消えたのではない。

 “塔の観測死角へ退いた”のだ。

 

 あとに残ったのは沈黙だけ。

 

 俺は息を吐き、銃を下ろす。

 

(……セラが危ない)

 

 ヴォルタの言葉は挑発だ。

 だが嘘ではなかった。

 胸の疼きが確かに示している。

 

 セラが──呼吸の途切れそうな場所で、ひびの中に閉じ込められている。

 

 扉へ手を押し当てる。

 冷たい。

 まるで中にあるものが熱を奪っているかのようだ。

 

「……セラ」

 

 押し開けた。

 

 中は、白い。

 色のほとんどが抜け落ち、薄光だけが揺れる部屋。

 

 その中央で、少女が膝を抱えていた。

 

 銀髪が肩に落ち、蒼い瞳はかすかに揺れもせず──生気を失った端末のように静止していた。

 

 俺は駆け寄る。

 

「セラ!」

 

 その名を呼ぶと、かすかに手が動いた。

 震えとも反射ともつかぬ、小さな揺れ。

 

「……リオ……?」

 

 声は壊れた楽器のように掠れていた。

 息が細い。

 魂波の循環が途絶えかけている。

 

 俺はそっと肩を抱き寄せる。

 セラの身体は驚くほど軽い。

 まるで抜け殻だけを抱いているようだった。

 

「来た。……もう大丈夫だ」

 

 セラはうっすらと瞼を震わせた。

 その表情は、普段の無感情ではなく──

 どこか、苦しげに歪んでいた。

 

「……わたし……止められなかった……塔が……ひびが……全部……」

「もういい。お前のせいじゃない。俺が来た。だから大丈夫だ」

 

 腕の中で、セラが小さく息を吸う。

 その呼吸に合わせるように、塔全体のひびが一度だけ震え、沈黙が和らいだ。

 

 まるで“彼女を許す”ように。

 

 俺は立ち上がり、セラを抱えたまま部屋をあとにする。

 

 ヴォルタの残した薄い影が、廊下の奥で揺れた気がした。

 

(……また来る。でも、その時までに──俺が守れるようになればいい)

 

 胸の疼きが、先ほどよりも静かに熱を帯びていた。

 

 塔の沈黙が遠ざかる。

 外へ向けて、わずかに光が戻り始めていた。

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