灰を越えて風になる   作:雷光123

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戻った光、沈み続ける心臓

 塔を出たとき、ローヴァ市には久しぶりに“光”が戻っていた。

 

 通術塔を中心に走る光脈が、弱々しいながらも再点灯し、街路の床石を淡く照らす。避難していた人々が恐る恐る外へ顔を出し、次第に歓声に近い声が上がる。

 

「……終わったの? 本当に?」

「光が……戻った……!」

 

 泣きながら笑う声が重なり、崩れかけていた空気が一気に緩む。

 

 その中で、アリスは胸を押さえて小さく息を吐いた。

 

 その手はまだ震えている。灰羽セルとの戦いで負傷した兵士たちを、彼女は休む間もなく治癒し続けていた。崩落に巻き込まれた守備兵の腕を繋ぎ、魔力枯渇寸前の術者を立たせ、泣き叫ぶ子どもを抱いて寝かしつけた──

 その全部が、彼女の小さな両手に残る赤い花弁紋の痛みとなっていた。

 

 それでもアリスは笑った。

 

「……もう、大丈夫だよ。みんな立てるようになったから」

 

 手の花弁紋がまだ赤く滲んでいる。治癒に使いすぎて痛みを残しているのだろう。

 

 それでもアリスは俺の顔を見ると、無理にでも笑おうとした。

 

「リオが戻ってきてくれたら……なんとかなる、って思ってたんだよ」

 

 その声は震えていたが、誰かを安心させようとする温度だけは真っ直ぐだった。

 

 一方、フィリアは光脈を見つめながら、そっと耳の後ろを押さえていた。

 

「……揺れてる……。光は戻ってるのに……なんで……?」

 

 彼女だけが“違和感”を消せないでいる。その震えに、俺の胸の焼け跡が微かに呼応した。

 

 フィリアが眉を寄せて言う。

 

「……こんなの、普通じゃ読めないよ。魂波が強すぎて……“耳の奥が割れそう”……」

「……ここ、まだ“ずれてる”。光は戻ってるのに……底が揺れてる……」

 

 フィリアは自分の指先を胸元で握りしめながら、小さな声で続けた。

 

「……こういう“揺れ”、ほんとは見るのも嫌……。だって……誰かが落ちていくときの波と似てるから……」

 

 ふだん淡々としている彼女が、こんなふうに弱音を漏らすのは珍しい。

 

 俺は息を吐き、小さく呟く。

 

「……こんな状態でも前を向いてるんだな、お前ら。だったら……置いていけるわけないだろ」

 

 心臓の奥で、別の痛みが静かに広がった。

 こいつらが震えている理由を、俺は誰より知っている。

 俺が塔に踏み込まなければ、誰かがまた倒れたかもしれない。

 十年前、守れなかった影がまだ胸の底で燻っている。

 

(……もう二度とあんな轍は踏まない。

 守ると決めた以上、俺が前に立たなきゃ意味がない)

 

 彼女の声は震えながらも、観測者特有の“確信”を帯びていた。

 

 街が安堵しているのとは裏腹に──胸の奥は沈まなかった。光脈は確かに戻っている。けれど、その明かりには“張りついた笑顔”みたいな無理があった。

 

 光は戻った。けれど、空気の底にだけ“重さ”が残っている。

 みんなは気づかない。けれど俺には分かる──塔の脈動が、さっきまでの戦いと同じ“濁り”を抱えたままだ。

 

(……まだ終わっていない)

 

 塔の外壁へ回り込んだ瞬間、胸の嫌な予感は確信へ変わった。

 

 塔の基部。そこは本来、何層もの光脈が交差し、都市中枢へ魔力を循環させる場所だ。だが今は──

 

「ここ……“心臓弁”です。ここが割れると、光脈の流れが全部ひっくり返る……ローヴァが止まります」

 

 ミーナが声を震わせて告げた。ここが壊れれば、ローヴァ市全域に魔力が流れなくなる。

 街の“心臓”の真下に、致命傷が走っているようなものだ。

 

 光が戻っているというのに、ひびだけは暗く沈み、呼吸するように脈打っている。

 

「……こんなの、残ってたっけ?」

 

 ミーナが眼鏡を押し上げ、震える声で言う。ミーナは塔基部の図面をほぼ暗記している。だからこそ、わずかなズレでも見逃さない。

 

 彼女は塔を熟知している学徒だ。そんな彼女が言い切れないほどの異常。

 

 その時、後方から柔らかな足音。塔内部で別行動を取っていたセラも、ひびの脈動に気づいて来たのだろう。

 

「……リオ」

 

 振り返ると、セラが白装束の袖を押さえながら歩いてきた。まだ完全に回復していないのか、肩がわずかに上下している。それでも瞳だけは真っ直ぐ塔のひびへ向いていた。

 

 その歩き方を見た瞬間、胸の奥がひどく疼いた。

 戦場の煙の向こうで、同じ背中を追いかけていた頃と──まったく変わらない歩幅だった。

 

 十年前。

 まだ俺たちが、幼すぎる“兵器”として並んでいた時代。

 

 彼女は覚えていない。だが身体の癖だけは、あの頃のままだ。

 遠く離れていたはずなのに、再び隣に戻ってきたような感覚が胸を締めつける。

 

「これ……治っていない。塔の損傷は“停止しただけ”。修復ではない。このまま放置すれば、数日どころか“数時間”で崩落が始まる可能性もある」

 

 彼女の声はいつもと同じ無機質なのに、どこか迷いが混じっていた。

 

「内部の観測構造が壊れてる。塔は、まだ沈むかもしれない」

 

 セラはひびの光を見つめたまま、わずかに息を吸った。

 

「……こわい、のかもしれない。こんな感覚、昔……あなたといた時以来だから」

 

 それだけ言うと、彼女は元の無表情に戻った。

 

「……本当は、もっと悪い。言いたくないけど……崩れる速度が、わたしにも読めない」

 

 アリスが息を呑む。

 

「じゃあ……光が戻ったのって……」

「表層の“連結”だけ。深層はずっと断裂してる」

 

 セラの説明は淡々としているが、その言葉の重さは大きかった。

 街が祝っているその瞬間にも、塔は死へ向かっている。

 

 胸の焼けが、ひびと同じリズムで痛む。

 

(……やっぱり、これは勝利じゃない)

 

 セラはさらに一歩前へ出て、周囲に聞こえないほどの声で続けた。

 

「……リオ。塔の深層に“他の気配”があった」

 

 セラは戦闘後、塔奥の観測層を確認していたらしい。

 

「影の男以外に?」

「うん。もっと深いところに……“観測を外した誰か”」

 

 フィリアがびくりと肩を震わせた。

 

「……あの……黒い歩調……」

 

 それにミーナが反応する。

 

「待って。それって……反体制派の噂に出てくる“観測密使”じゃ……」

「名前は?」

 

 俺が問うと、セラは答える。

 

「ヴォルタ・クレン。たぶん……彼」

 

 ミーナの顔色が変わった。

 

「……ローヴァでその名前を聞くなんて。本当に……最悪の相手。彼は一度も姿を見せずに領都の塔を半壊させた、と噂されています」

 

 学徒である彼女が怯えるほど、その名は“禁じられた噂”として知られているのだ。

 胸が跳ねた。塔の最奥で、俺たちを見下ろすように立っていた男。

 

(やはりあいつ……セラを狙っていたのか)

 

 セラはうつむき、短く続けた。

 

「……彼は、塔が壊れるのを“観察してた”。止める気はなかった」

「なんでそんな……」

 

 アリスの声が震える。

 

「反体制派は、ローヴァ市の通術構造を嫌っている。塔が止まれば、協会の支配が崩れるから」

「そんな……街全体が危ないのに……」

「彼らにとっては、“揺らすこと”が価値になるんだと思う」

 

 セラは淡々と言ったが、その指先はかすかに震えていた。

 

 塔のひびが“ぎし……”と軋む。

 

 まるでその話を肯定するように。

 

 カイルが拳を握った。

 

「街が喜んでんのに……裏じゃこんなことになってんのかよ」

「……悔しいけど、放っといたら次の襲撃は確実です」

 

 ミーナが唇を噛む。

 

 フィリアは光脈を両手で包むように見つめた。

 

「この光……細い……。今は頑張ってるけど……“どこかに引っ張られてる”……そんな感じ……」

 

 観測端末である彼女がここまで震えるのは、“外部からの干渉”が続いている証拠だ。その震えは、塔だけでなく彼女自身を通して“危機”を知らせているようだった。

 

 ──塔は、まだ死にかけている。

 

 セラも塔のヒビをなぞり感触を確かめている。

 

「影の男じゃない。もっと深い層で……別の誰かが動いてる」

 

 俺は塔のひびに触れた。

 

 冷たい。

 

 塔の奥で、また何かが動こうとしている気配があった。

 

(終わったんじゃない……始まっただけだ)

 

 街の歓声が遠くで響く。

 

 だが胸の奥は静まらない。

 

「……備えろ。次が来る」

 

 アリスが不安げに俺を見上げる。

 

「ねぇリオ……怖くないの?」

 

 俺は少しだけ考えてから答える。

 

「怖いよ。でも……怖いのに立ってるお前らを見てたら、逃げられないだろ」

 

 アリスは一瞬きょとんとし、それから泣きそうに笑った。

 

 俺がそう言うと、アリスが強く頷いた。

 

「うん。今度は……絶対遅れない」

 

 フィリアも胸に手を当て、小さく呟いた。

 

「……わたしも……“見逃さない”……」

 

 セラは振り返らず、ひびを見つめながら言った。

 

 アリスの指先はまだ震えているのに、目だけはまっすぐだった。

 フィリアは今にも倒れそうな細い体で、それでも光脈から目をそらさない。

 セラの横顔は相変わらず感情を見せないのに、その肩には十年前と同じ“前線の重さ”が乗っている気がした。

 ──こんな連中を、もう二度と置いていけない。

 

「塔の死期は……早い。誰かがひびを利用する前に、わたし達が動かないと」

 

 その言葉に、風が同期するように塔が“きし”と鳴った。

 

 まるで塔自体が──次の脅威を告げているようだった。

 

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