灰を越えて風になる   作:雷光123

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黒火の街、揺れない判断

 市街中心区の空は、灰じゃなかった。

 煤だ。

 黒い火が燃えている。

 炎は揺れない。風がないからじゃない。

 揺れる必要がないほど、街そのものが燃えている。

 黒火は、物を焼いていなかった。

 梁も、石壁も、まだ形を保っている。

 

 燃えているのは、その場所に溜まった「選ばれなかった判断」だ。

 

 逃げるべきだった足。

 守ると誓った言葉。

 間に合わなかった後悔。

 

 それらが、燃料として残り続けている。

 だから揺れない。

 これは炎じゃない。

 街に染み込んだ意思が、自己完結で燃えている。

 

 瓦礫の隙間から、煤が静かに落ちてくる。

 灰よりも重い。肺に張りつく感触が、生き物みたいにしつこい。

 

 ──もう、外から壊されてるんじゃない。 

 

 中だ。

 街は、内側から崩れている。

 

「……こんなはず、ないんだけど」

 

 ミーナの声は、知識の速度で震えていた。

 丸眼鏡が煤で曇り、柔らかい癖毛が額に張りついている。

 

「光脈は安定してる……結界も、誘導も……壊れる理由が、理論上は存在しない」

 

 言葉が止まる。

 理論が、現実に撃ち抜かれた顔だった。 

 ミーナは、震える指で光脈観測板を見下ろした。

 

 数値は正常だった。

 流量も、位相も、臨界値を越えていない。

 なのに、結界の反応点が内側に寄っている。

 守るための術式が、街の中心へ人を集めている。

 

「……誘導じゃない」

 

 呟きが掠れる。

 

「これは……集積だ。壊れる前提で、全部を一箇所に……」 

 

 理論は合っている。

 

 だが、その理論を組んだ“意図”が、ミーナの想定の外にあった。 

 

 アリスは、倒れた老人を抱え起こしていた。

 薄桃色の髪は煤で暗くなり、白い指が血と灰で汚れている。

 

「大丈夫……今、治すから……」

 

 声は震える。

 それでも、手は止まらない。

 自分が壊れる計算は、最初から入っていない。

 

「無理するな」 

 

 届かない。

 

「無理……しないと……」

 

 花弁紋が淡く光る。

 同時に、アリスの顔色が一段白くなった。

 

 指先が、一瞬止まった。

 次の瞬間、アリスは無理に呼吸を整える。

 吸うより先に、吐いてしまう。

 胸が追いついていない。

 

 治癒術式が流れた分だけ、自分の身体から何かが抜け落ちていく感覚。

 

 それでも、腕は離さない。

 痛みの所在を、自分に引き寄せたまま。

 

 ──守るって、こういうことか。

 

 正解が、ない。

 そのときだった。

 

「……動くな」

 

 セラの声。

 低く、乾いている。

 感情が削ぎ落とされた、判断だけの音。

 白装束の袖が煤を弾き、白刃が角度を変えた。

 

「右、三。瓦礫裏。呼吸、浅い」

 

 影が、ほどけた。

 

「見つかった」

 

 擦れた囁き。

 布を巻いた頭部。細い声。

 グレイ・セルフ。

 

「相変わらずだな。守ってるつもりか?」

 

 瓦礫の向こうで、気配が増える。

 一人じゃない。街の内部そのものだ。

 

「子どもがいる」

 

 俺が言う。

 

「だから?」

 

 即答。

 

「盾だ。散らせば、列は壊れる」

 

 グレイ・セルフは、肩をすくめる。

 

「守るなら、見せるな」

「見えた時点で、もう負けだ」

 

 声は嘲笑じゃない。

 事実を述べているだけの温度だった。

 

「見つからなければ、誰も悪くならない」

「だから俺は、正しい」

 

 ──分かって言っている。

 止めても散る敵。

 

 セラが踏み出す。 

 

「待て」

 

 一瞬、薄い蒼瞳がこちらを見る。

 

「切る?」

「切るな」

「理由」

「……今切ると、街が割れる」

 

 セラの視線が、足元の地面をなぞった。

 煤の下で、光脈が縫い目のように走っている。

 ここは、結界と街路と避難線が重なった継ぎ目。

 

「前にも、見た」

 

 小さく、独り言のように。

 

「斬った瞬間、街区ごと落ちた」

 

 だから刃を止める。

 効率より、崩壊を遅らせる判断だった。

 沈黙。

 

「……非効率」

 

 セラは刃を下げた。

 その瞬間。

 黒火が、爆ぜた。

 

 路地の奥で、黒い炎が膨張する。

 爆風じゃない。魂波の逆流。

 

「来た!」

 

 ミーナが叫ぶ。

 

「反体制派! 混成部隊!」

 

 灰羽セル。

 領主ヴァルドの私兵。

 飛砂騎兵。

 

 ──全部、内部で繋がっていた。

 

 瓦礫を蹴り、男が前に出る。

 黒羽外套。削れた頬。

 

「セル・ラグマ……」

「小僧。俺の名前を知ってたか。秩序はな、守るもんじゃない」

 

 笑う。

 

「隙を作るもんだ」

 

 魔導銃が上がる。

 弾道補正、最短。

 

 セラが動いた。

 白刃が、世界を切る。

 音はない。

 ラグの笑顔が途中で止まり、胸から赤が遅れて滲んだ。

 

「……早いな」

 

 崩れる。

 灰羽セル副官。

 最初の死。 

 

 だが、終わらない。 

 

「伏せろ!」

 

 グレイ・セルフが、子どもを引き寄せた。

 

──使う気だ。

 

「やめろ!」

 

 その瞬間、セラの動きが止まった。

 刃は構えたまま、踏み込みだけが来ない。

 判断が、ほんの一拍だけ宙に浮いている。 

 

「命令は?」

 

 初めてだった。

 セラが、自分から判断を外に出したのは。

 

 周囲では、魂波が軋み始めている。

 黒火が、膨張の前兆として低く鳴った。

 ここで刃を振れば、結界の縫い目が裂ける。

 振らなければ、子どもが死ぬ。

 

 どちらも「正しい」。

 

「……待て」

 

 自分の声が、やけに遠く聞こえた。

 セラの薄い蒼瞳が、わずかに揺れる。

 感情じゃない。

 選択肢が二つある、という事実だけを認識した揺れだ。 

 

「待つ理由」

「……街が、もう限界だ」

 

 言葉にした瞬間、理解した。

 選んでいるんじゃない。

 同じ状況を、もう一度なぞっている。

 終戦の夜と、同じ呼吸だ。

 

「……了解」

 

 短い返答。

 それだけで、セラは刃を引いた。

 

 次の瞬間──

 俺の中で、何かが切れた。

 

 刃を引いた瞬間、セラは理解してしまった。

 

 次に起きる現象を。

 誰が止めるかではなく、

 「もう止まらない」という結論を。 

 

 魂波の歪み。

 空間の沈黙。

 終戦の夜と、同じ前兆。

 

 命令はなかった。

 だが、予測だけは成立していた。

 

 ──また、来る。

 

 それでも、セラは動かない。

 刃を戻し、視線を下げる。

 

 止めなかったのではない。

 止められないと、知っていた。

 

 その選択が、

 誰の罪になるのかを計算する前に、

 世界の方が、先に決断した。

 

 魂波が、反転する。

 終戦の子。

 

 守るための力が、

 壊すために再定義される。

 

 黒火が、空間ごと膨張した。

 爆心は、交差点だった。

 

 鐘楼が途中から消え、

 三つ先の通りまで、建物の上半分が欠け落ちる。

 

 空が、地面に触れたみたいに歪む。

 距離も、高さも、意味を失った。 

 

 そこにいたものは、「いた」という事実ごと、削除された。

 

 音が、消える。

 光が、裏返る。 

 

 灰羽セルも、私兵も、騎兵も、存在していた座標ごと吹き飛ぶ。

 

 肉も、装備も、意思も。

 区別なく。 

 

「……あ?」

 

 グレイ・セルフの胸が、弾けた。

 盾にする暇もない。

 

「見つかったな……」

 

 それが、最後。

 影紐は、燃え尽きた。

 

 同時に、戦場にいた敵は、全て消えた。

 

 沈黙。

 

 セラは、最初に動いた。

 白装束の裾を払う。

 刃に付着した煤を、何事もなかったように振り落とす。

 

「敵性反応、消失」

 

 淡々とした報告。

 声量も、呼吸も、戦闘前と変わらない。 

 

 その横で、膝が笑った。

 力が抜けたのが、今になって分かる。

 視界の端が歪む。

 街の輪郭が、さっきより一段低くなっていた。

 

 ──いや、街が低くなったんじゃない。

 

 自分が、引きずり下げられている。

 

「……セラ」

 

 呼んだつもりだった。

 実際には、喉が鳴っただけだ。

 

 セラは振り返る。

 評価する目だ。

 作戦が成功したかどうかを測る視線。

 

「再発条件、確認する?」

 

 その言葉で、胸が詰まった。

 

 同じ力。

 同じ結果。

 同じ夜。

 

 自分は、また街を一つ消した。

 守るために、という言い訳も同じだ。

 

「……いい」

 

 ようやく、それだけ答える。 

 セラは頷いた。

 それ以上、何も言わない。

 

 この沈黙は、共有されない。

 重さを持つのは、いつも一人だけだ。

 

 黒火は、まだ燃えている。

 自分の中でも、同じ色の何かが燃え続けていた。

 黒火が、なお燃える。

 

「もう……終わってる」 

 

 ミーナが呟く。

 

「街は……中から……」 

 

 俺は、瓦礫の向こうを見る。

 逃げる影。

 細身の男。

 ヴォルク・クレン。

 

──逃げた? 

 

 違う。

 逃がされた。

 グレイ・セルフが、最後に切った“影”だ。

 

 爆発の直前、

 グレイ・セルフは一瞬だけ、視線を逸らしていた。

 

 瓦礫の影が、不自然に伸びる。

 逃げ道を作るための、最後の癖。

 

「……あとは、勝手に刺せ」

 

 それが、影紐の最終動作だった。

 セラが俺を見る。

 

「街は、もう壊れてる」

 

 否定できない。

 

「……それでも」

 

 煤を吸い込みながら、言う。

 

「生かす道を選ぶ」

 

 この街じゃない。

 もう、ここは戻らない。

 残すのは、場所じゃない。

 

 人だ。

 次に繋がる判断だ。

 

 全員じゃない。

 選んだ命だけを、先に出す。

 

 守れないなら。

 直せないなら。

 残す。

 

 それが、今できる唯一の抵抗だった。

 黒い火は、風もなく燃えていた。

 街の死を、肯定するみたいに。

 

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