灰を越えて風になる   作:雷光123

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北門の朝、沈む光

 北門の方角で、乾いた破裂音が跳ねた。

 耳に入った瞬間、通りの空気が揺れもせず凍りつく。

 

「今の……爆発?」

 

 アリスが袋を抱えたまま硬直し、小さく息を飲んだ。

 栗色の髪が肩で止まり、動きがまったくない。

 

「行くぞ。急げ」

 

 俺は返事を待たず駆けだし、石畳を蹴った。

 

「アリス、新人でも置いていかない。付いてこい」

「わ、分かってる……!」

 

 リナが息を切らしながら言う。

 

「リオ、今日は後方支援のはずじゃなかったのに!」

 

 アリスとリナが続く。リナは白衣の裾を押さえ、足音を乱しながら走った。

 

 北門へ近づくほど、人の流れが逆向きになる。

 店主が木箱を抱えて逃げ、老人が壁際をひきずられながら下がってくる。

 

 その中を縫うように進んだ瞬間――視界の先で赤い閃光が上がった。

 

 門が燃えていた。

 

 通術塔の光路が途切れていた。逃げる人々の足並みは揃っていなかった。叫び声より先に、祈りの姿勢だけが揃っている。胸の前で指を結ぶ“鎖の形”を保ったまま、転びそうになりながら後退していく。

 

「……祈ってるだけだ。塔が落ちてるの、誰も気づいてない」

 

 リナの声は小さかった。

 

「気づいたら、もっと怖がるのに」

 

 だが今日は、その監視線自体が働いていない。空に伸びる光鎖の柱が一本も見えず、通術塔の白光が完全に沈んでいる。祈りだけが残り、肝心の“観測”が存在しない。

 

 市民たちはそれに気付いていない。ただ、理由の分からない不安の中で、形骸化した祈りにすがっている。沈むはずのない白線が、空の途中で断ち切られている。ローヴァの監視網の脆さが、こういう時に露わになる。

 

 爆炎が上へ伸び、門扉の影が地面に叩きつけられる。焦げた金属の匂いが鼻を刺し、舌に鉄の味が乗る。

 

「リオ! 怪我人、あそこに!」

 

 アリスが広場の端を指す。瓦礫の陰に二人、うずくまっていた。片方は肩を押さえ、もう片方は息が浅い。

 

「リナ、アリスを手伝え!」

「分かった、行く!」

 

 リナは駆け出しながら白衣の袖をまくり、傷口を押さえる布を探す。アリスは膝をつき、震える指で患者の脈を確かめた。

 

「大丈夫、まだ間に合う……落ち着いて、息して……!」

 

 治癒術の光が指先から淡く漏れ、患者の呼吸がわずかに安定する。アリスの光だけは揺れなかった。周囲の空気が乱れているのに、明度が一定のまま沈む。普通の治癒術とは違う、深い脈の気配があった。

 

「……おいアリス、その光……俺の脈と同じ拍で揺れてないか?」

 

 声を出すもアリスには届かなかった。

 

 アリスの額から汗が落ち、布に吸い込まれた。周囲から断続的にうめき声が届いた。広場のあちこちで倒れた市民を囲むように、別の人々が半ば泣きながら祈っている。

 治癒術を扱える者は少なく、協会所属の治癒士は一人も姿を見せていない。

 

「協会の部隊は!?」

「塔は何してるんだ!」

 

 誰かが叫ぶが、返事はない。

 

「……協会の治癒士、誰も来ない。こんな街、初めてだよ」

「塔が沈んだら、医療も通信も全部止まる……っ」

 

 リナの声色に絶望が滲む。アリスは街の弱点を憎らしげに言った。人々は祈りを続ける。

 

 爆炎の光に照らされた彼らの顔は、恐怖より“混乱”の方が濃かった。恐れる対象すら分からないとき、人は祈りの形に戻る。その形さえ今日は頼りなく震えていた。

 

 そんな彼女の背後で――門の向こうから、新しい足音。

 

 俺は反射的に身を伏せ、影を追った。

 

 黒布の男たちが三人。歩き方に人間の癖がなかった。砂利を踏むときの重さが均一で、足首の角度が一度も揺れない。筋肉が連動して生む自然な“揺れ”が消えている。

 

 視線も同じだ。何かを見るのではなく、“定められた線”をなぞるように動く。

 

「……あいつら、息してるか? 胸が一回も動いてない」

 

 誰に殺意を向けているのかすら曖昧で、ただ進む方向だけが確定している。

 

「……こいつら、目だけが動いてるみたいだ」

 

 少女を捕まえている腕も、必要以上に力がこもっていない。感情ではなく、命令の強度だけを反映した力だ。少女が暴れても、男は表情ひとつ変えない。

 

 俺が飛び込んだとき、男の瞳孔が瞬間だけ開いた。驚きの動きではない。観測刺激に反応して“補正”が走ったような、一瞬の歪みだった。

 

 協会の訓練とも反体制派の癖とも違う。

 もっと上流の命令系統。

 魂波の揺れに近い反応だった。

 肩に短銃、腰に刃物。

 目だけが異様に静かで、動きに迷いがない。

 

 そして彼らは――市民を盾に進んでくる。

 

 男の腕に捕まれた少女が、必死に足をもがいていた。

 

「離せ!」

 

 叫ぶより早く、俺は走った。胸の奥の焼け跡が熱を帯び、喉が乾く。だが迷いはなかった。逃げるという選択肢は一度も浮かばなかった。

 

 男の腕をつかみ、関節ごとねじる。鈍い音が鳴り、少女が解放されて倒れ込む。

 

「リオ、危ない!」

 

 アリスの声と同時に、別の私兵が銃口をこちらへ向けた。石畳を蹴って横に転がる。銃の爆ぜる音が耳を裂き、砂埃が頬をかすめた。

 

 立ち上がろうとした瞬間――

 

 地面の上に、細い“線”が浮かんでいた。

 

 焼けたようにただ色が変わり、曲がらずまっすぐ伸びる線。門を貫くように地面へ刻まれている。

 

 火線。

 

 まだ熱を失っていないのか、空気がそこだけ硬い。線の上を踏むたび、何かが軋むように感じた。

 

「リオ! こっちも来る!」

 

 リナの悲鳴に近い声が上がる。治療していたはずの場所へ、別の黒布が走り込んでいた。

 

「リナ、下がれ!」

 

 俺は転がっていた短銃を蹴り上げ、男の手元を弾く。リナは白衣を翻し、アリスと患者を引き寄せてから飛び退いた。白衣の裾が地面に擦れ、彼女の腕がわずかに震えている。

 

「ごめん……助けたいのに、足が……」

「無理はするな。アリスを守れ!」

 

 俺は迫る私兵へ踏み込む。男が刃を振るう。腕を上げて受け、体勢を崩した瞬間、胸の傷痕が刺すように疼いた。

 

 意識が一瞬だけ白くなる。

 

 焼け跡が、昔のように痛む。

 

 だが痛みの底で、何かが微かに澄んだ。胸の奥が、別の脈に触れたように静まる。魂波の圧だけが、他の誰よりも薄く感じられる。

 

「……なんでだ。俺だけ、圧がこない……?」

 

 だがその痛みが、逆に思考を澄ませた。迷いを削ぎ、ただ動くことだけに体を集中させる。

 

 男の肩を押し、喉元近くに拳を叩き込む。私兵は膝をつき、その場に倒れた。

 

 振り返ると、アリスは息を切らしながらも治癒を続けている。手は震えているのに、目だけは必死で患者を追っていた。

 

「手が……止まらないんだよ……怖いのに……。……私、こういうとき無茶しすぎだよね……」

 

 アリスが小声で言う。それでも手を止めなかった。

 

「いい。後で叱る。今は助けろ」

 

 彼女は笑う余裕もなく、小さく頷いた。

 

 門の前で、警備兵が叫ぶ。

 

「増援は!? 協会はまだか!?」

 

 返事はない。通術塔は沈んだまま。反応が戻らず、助けが来ない。

 

 俺は呼吸を整え、周囲を見渡す。黒布はまだ残っているが、動きが鈍くなりつつあった。

 

「アリス、リナ。負傷者をまとめて退避させろ。俺が前に立つ」

 

 二人が頷く。アリスは患者を抱え、リナは腕を貸して支える。その背中を守るように、俺は広場へ踏み出した。

 

 地面の火線が、わずかに揺れた気がした。魔法の脈動とは違う揺れ方だった。熱でも衝撃でもなく、足元だけが“観測されている”ような硬さ。魂波の余響──そう形容するしかない振動。風のない空気の中で、揺れるはずのない細い線。

 

 炎の奥で、白灰の光が一瞬だけ縦に伸びた。火線の周辺だけ、影の濃さが不揃いになっていた。人影が二重に揺れたり、地面のきしむ音が半拍遅れたりする。空間が薄い皮膜のようにたわんでいる。

 

 白灰の光が立ちのぼるたび、周囲の音が吸われる。悲鳴も足音も、光の近くでは“ひと呼吸遅れて”聞こえた。世界が、どこか別の層へ引かれているような圧。

 

 昔、戦場で一度だけ見たことがある。観測神の端末が“地表へ降りたときの歪み”。ただの光ではない。観測の窓だ。

 

 今日の白灰の柱は、その歪みを小さくしたような不完全さだった。誰が、何のために開いたのか。協会の術式ではない。反体制でもない。

 

 もっと“上”だ。影の落ち方が地面と噛み合わず、時間が薄くずれる。現実の継ぎ目だけが軋んでいた。

 

 ――その時。

 

 門の向こうで、低い爆音が再び響いた。火の匂いが濃くなり、その奥の“気配”だけが妙に静かだった。

 

 風が、消えた。

 

 空気が動かない。胸の奥が、理由もなく冷たくなる。

 

「……違う。ここから先は、別の層だ」

 

 俺は二人の背を押し出し、足を前へ出した。

 

 まだ終わらない。

 逃げる気は、もうどこにもなかった。

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