灰を越えて風になる   作:雷光123

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反転した足跡、途切れる隊列

 小川沿いの曲がり角。

 濡れた土の匂いが、夜気に混じる。

 

 水音が、近い。

 浅い流れなのに、鼓膜のすぐ裏で鳴る。

 

 俺は岩陰に伏せていた。

 膝が湿る。

 泥が、手袋の縫い目に入り込む。

 

 背後、数歩。

 アリスが低く息を整えている。

 さらに後ろで、フィリアの気配が揺れる。

 

 水面に、月が砕ける。

 流れが、石に当たって反転する。

 追うものが、折れ曲がる場所だ。

 

 足跡が並ぶ。

 俺たちの足跡は、小川に沿って引き返している。

 追う側から見れば、迷いに見える。

 

 反転した足跡。

 

 敵の足音が近づく。

 乾いた革が泥を踏む音。

 小川の水音が、その足音を包む。

 

 土の匂いが濃くなる。

 戦場になる前の匂いだ。

 

「来る」

 

 アリスが囁く。

 声は細いが、揺れていない。

 

 俺はうなずいた。

 視線は曲がり角の先へ固定する。

 

 指先が、震えた。

 

 熱が集まる。

 胸の奥が、ひくりと跳ねる。

 

 ──全部、消せば楽だ。

 

 この曲がり角ごと、焼き払えば終わる。

 小川も、土も、鎧も。

 

 過去の光景が、視界の端を白く染める。

 六歳のあの日。

 地面が融け、影が消えた。

 

 指が、勝手に開く。

 

 熱が溢れそうになる。

 喉まで上がる。

 吐き出せば、静かになる。

 

 だが。

 

 奥歯を噛み、指を握り込む。

 熱を、刃先まで落とす。

 

 全部じゃない。

 一点だけ。

 

「合図は?」

 

 アリスが問う。

 

「指揮役が前に出たら」

 

「分かった」

 

 背後で、フィリアが小さく息を吸う。

 その瞬間、小川の水音が一拍だけ遠のいた。

 

 敵の影が現れる。

 三。

 その後ろに、二。

 

 先頭が足跡を確かめる。

 屈み、泥に触れる。

 

「戻ってるぞ」

 

 声が響く。

 だが返事が遅れる。

 

 隊列の中央に、ひときわ直立した影。

 腕章の縁が光る。

 視線が鋭い。

 

 中核兵。

 

 彼が手を上げ、合図を送る。

 

 今だ。

 

 俺は地面を蹴った。

 濡れた土が跳ねる。

 

 小川を一歩で越え、曲がり角へ滑り込む。

 敵の目が開く。

 

 だが遅い。

 

 熱を、刃の形に絞る。

 一点へ。

 

 中核兵の胸元へ、術式を叩き込む。

 

 光は出さない。

 衝撃だけを圧縮する。

 

 鈍い音。

 鎧の中央がへこむ。

 中核兵が後方へ吹き飛ぶ。

 

 合図の腕が、途中で折れる。

 

「っ、隊列──」

 

 声が途切れる。

 

 アリスが横から飛び出す。

 短剣が、合図笛を持つ兵の手を弾く。

 笛が泥に落ちる。

 

 敵が槍を振るう。

 だが狙いが定まらない。

 

 フィリアの気配が、背後で揺れる。

 空間の輪郭が、一瞬欠ける。

 

 槍が空を切る。

 

 俺は二歩目を踏み込む。

 だが、そこで止める。

 

 追わない。

 潰さない。

 

 中核兵だけだ。

 

 地面へ低い術式を流す。

 小川の水を、わずかに逸らす。

 足場が滑る。

 

 敵の後列が、互いにぶつかる。

 盾が重なり、槍が絡む。

 

「指揮が……!」

 

「どこだ!」

 

 声が乱れる。

 目が揃わない。

 

 中核兵が膝をつき、起き上がろうとする。

 俺は足元の石を蹴る。

 石が彼の手元を打つ。

 

「退け!」

 

 その声は、もう通らない。

 

 敵の攻撃が飛ぶ。

 だが焦点が合わない。

 俺の肩をかすめ、岩に当たる。

 

 熱が、再び喉へ上がる。

 

 ここで出せば、全員終わる。

 

 ──出すな。

 

 刃先だけ。

 

 俺は中核兵の兜を蹴り、視界を奪う。

 衝撃で、彼は完全に崩れた。

 

「引け!」

 

 俺が低く言う。

 

 アリスが即座に後退する。

 小川を越え、岩陰へ滑り込む。

 

 敵は追えない。

 誰が命じるか分からない。

 

 合図が、飛ばない。

 

 遠くで、角笛が鳴る。

 だが音が途切れる。

 半分だけ響き、消える。

 

 情報線が断たれる。

 

 土の匂いが、さらに濃くなる。

 踏み荒らされた泥が、戦場に変わる。

 

 俺は呼吸を整える。

 鼓動がまだ速い。

 

 殲滅の衝動が、胸の奥で暴れる。

 もっといける。

 全て、潰せる。

 

 だが。

 

 膝の泥を見る。

 水に濡れた指を見る。

 

 守るものが背中にある。

 

 俺は立ち上がり、小川沿いの足跡を見る。

 

 俺たちの足跡と、敵の足跡。

 追う側が、混乱し、逆向きに走っている。

 

 反転した足跡。

 

 潰したのは、核だけだ。

 隊列は裂けた。

 

「……終わった?」

 

 アリスが息を整えながら問う。

 

「いや。裂いただけだ」

 

 完全勝利ではない。

 だが、殲滅でもない。

 

 初めてだ。

 

 全てを消さずに、勝った。

 

 胸の奥の熱が、ゆっくりと沈む。

 刃先だけで、足りた。

 

「潰すのは“核”だ」

 

 言葉にすると、形になる。

 戦い方が、変わる。

 

 そのとき。

 

 フィリアが小さく声を漏らした。

 

「……落ちてくる」

 

「何が」

 

 彼女の瞳が遠くを見ている。

 

「位置……ひとつ。強い……」

 

 空間の欠けが、丘の向こうへ伸びる。

 線が、一本、落ちる。

 

 俺は顔を上げた。

 

 セラの位置情報。

 

 次は、救出だ。

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