灰を越えて風になる   作:雷光123

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明日から10話まで毎日19:30に更新します。
よければお付き合いください。


白無音の広場、刃が降る

火線の赤が揺れ、空気の端がかすれるように震えた。ほんの一瞬、世界が吸い込まれた気がした。

 

次の瞬間――音が落ちた。

 

悲鳴も、炎のはぜる気配も、踏みしめる足音すら、  全部、深い湖の底へ沈んだように遠ざかっていった。白い無音だけが広場に満ちる。

 

反射的に振り向いた。  黒布の男が三人――そのうち二人が、胸の前に薄い切創を刻んだまま、ゆっくり膝を折っていく。

 

何が通ったのか分からない。  ただ、“白い気配”だけが残っていた。

 

「……な、に……」  

 

アリスの声は吸われるように弱かった。音が戻らない。戻る前に、何かに押しつぶされているような冷たさがあった。風さえ止まっていた。

 

 気配の中心へゆっくり視線を向けた。そこに――白い刃を下げた少女が立っていた。

 

「……セラ……?」

 

 思わず、名前がこぼれた。胸が一瞬だけ強く脈打つ。

 

 俺の声を聞いたアリスとリナが、短く息を呑んだ。

 

「い、今……セラって……?」

「リオ、その人……知り合い?」

 

 だが二人の質問に答えられない。セラの背中が、記憶の中の“白い光”と重なってしまい、喉が動かなかった。セラの剣は血を吸っていない。  ただ白いだけの刃なのに、光の端だけが震えて、細い音の欠片を弾いていた。

 

「……リオ。後退して」

 

 その声は驚くほど小さい。けれど無音の世界では逆に鮮明で、胸の奥にそのまま落ちてくるようだった。

 

「命令だから。あなたは前に出ない」

 

 その言葉に、胸がざわついた。

 

「命令って……こんな状況で……」

「冗談じゃないよ、リオ……!」  

 

 アリスが割って入る。治癒術の光が指先に残り、震えを隠せていない。

 

「来てくれたのは助かるけど、でも……怖い……」

 

 アリスの声が揺れる。無音の中では、その震えがはっきり分かる。一方でセラはアリスに視線を向けない。白刃の先をわずかに傾け、火線の脇に立つ黒布兵を見据えていた。

 

「……まだいる」

 

 その一言で、リナの肩が跳ねた。

 

 黒布の兵が跳んだ。だが、誰もその瞬間を見ていない。ただ、男が“倒れていたことだけ”が風景に追加された。

 

「見えない……速すぎる……っ」  

 

 リナが口元を押さえる。アリスはリオの腕を強く掴んだ。

 

「リオ、本当に前に出ちゃだめ! あの動き……分析できない……!」

 

 口を閉ざす。セラの背中――細い肩、呼吸の浅さ、重心の置き方。全部、焼け跡の記憶と重なってしまう。

 

 胸の奥の古傷が、じくりと痛んだ。

 

(……まただ。あの日と同じ……)

 

 その時だった。

 

 ――パキッ。

 

 耳の奥で、小さな割れ音が走った。  光鎖の線に細いひびが走り、火線が波立つ。

 

「光鎖……割れた……? そんな……」

 

リナが声を震わせた。

 

火線の揺れは魔法ではない。もっと高い層の――“世界の側”が乱れているようだった。

 

セラがその揺れに視線を向けた瞬間、火線の奥から黒い影がにじんだ。

 

黒布兵とは違う。輪郭が二重に揺れ、影が地面と噛み合わない。

 

「……なに、あれ……」

 

アリスが青ざめる。

 

(嫌な……気配だ)

 

影が跳んだ。地面を踏んでいない。摩擦がない。動きだけが残る。白刃が閃き、影は砂のように崩れた。

 

「っ……消え方が……」

 

リナが声を漏らす。

 

「死んだ感じじゃ……ない……観測される前に戻った……?」

 

 セラの背中が、異様な静けさをまとっていた。  戦っているのに、熱がない。

 

「セラ……お前……」

 

 呼びかけても、返事はない。白刃を握る手は細いのに、その影だけが揺れて見えた。

 

「まだ終わってない」

 

 火線が大きく揺れ、光鎖のひびがさらに広がる。  空間が薄く波打つように歪む。その奥に――  もっと大きな“黒い輪郭”がゆっくりと立ち上がった。人の形に近い。  だが、何かが噛み合っていない。  歩くたびに影が遅れる。

 

「……っ、上位……?」

 

リナが震えた声で呟く。

 

「セラさん、一人で受けるなんて……!」

 

 アリスは必死に俺を見る。

 

「リオ、どうするの……! このままじゃ……!」

 

 胸が強く痛んだ。焼け跡の奥が、嫌な脈でうずく。

 

 その時――セラが、戦いの最中とは思えない静かな目で振り向いた。

 

「リオ。あなたは前に出たら死ぬ。 ――わたしを見捨てても、ここにいなさい」

 

 その言葉が、胸に刺さった。

 

 アリスが息を飲み、リナが目を見開く。脳裏に、焼け落ちる街、伸ばした手、届かなかった“誰か”が蘇った。

 

「……ふざけるな」

 

 低い声が漏れた。

 

「誰が……誰を見捨てるって?」

 

 胸の焼け跡が疼く。  痛みと共に、冷たい静けさが胸の中心に落ちる。

 

(絶対に……また同じにはしない)

 

 火線が強く震え、空に大きな亀裂が走る。光鎖の破断音が、空気を切り裂くように弾けた。

 

 黒い上位影が、世界の縫い目をほどくように一歩踏み出す。

 

 セラは白刃を構えたまま、ただ一言。

 

「――来るよ」

 

 刃先の微光だけが、震えるように揺れていた。

 

上位影が踏み出した瞬間、広場の空気がひとつ沈んだ。沈んだ、というより――押しつぶされた。

 

 思わず息を止めた。胸が軋み、焼け跡の奥に小さな震えが走る。

 

(……怖い、じゃない。これは……違う)

 

 息を吸えば肺が冷えて痛む。

 その痛みで、遠い日の残像がにじむ。

 白い光、落ちてきた瓦礫、届かなかった手。

 

 あの日の、どうしようもない無力感が胸の奥に広がる。足が、ほんのわずかに後ろへ下がりそうになる。

 

「……リオ?」  

 

 アリスが小さく呼んだ。その声も震えているのに、必死に明るさを保とうとしていた。

 

「大丈夫……大丈夫だから……っ」  

 

そう言いながら、アリスの手は俺の袖をきつく握りしめていた。自分の震えをごまかすように。

 

 リナは逆に、声を出せずにいた。ただ俺の横で、小さく肩を震わせながら影を注視している。

 

(二人とも……怖いよな)

 

 彼女たちがこんなに怖がっているのに、自分だけ何もできない。それが、一番胸をきつく締めた。

 

 セラは――違う。

 

 上位影を前にしても、揺れない。ただ、静かな目で影の軌跡を追い、その白刃をわずかに構え直す。指先にだけ、ほんの少し震えがある。

 

(……セラ、お前だって怖いはずなのに)

 

 その強がりの静けさが、胸をさらに締めつけた。

 

 火線がまた揺れる。光鎖のひびが、まるで呼吸するように脈打った。

 

「リオ……っ」

 

 アリスの声が、息と一緒に漏れる。

 

「こわい……けど……あなたが前に出たら……もっとこわい……」

 

 その言葉が、胸に刺さった。

 

 リナも、震える声で絞り出す。

 

「セラさんが……あれを一人で止めてる……でも……無理だよ……あの動き……わたしたち、追えない……」

 

 二人の声が、肩に重くのしかかる。

 

 守りたい。それなのに、足が動かない。

 

(逃げたいのか……俺は)

 

 その問いが胸に落ちた瞬間、焼け跡が鋭く疼いた。

 

 ――もう、嫌だ。

 

 あの日みたいに、何もできずに誰かを失うなんて。

 

 その時、火線の奥で影が一段深く沈んだ。上位影がゆっくりと首を傾け、セラの方へ“視線のようなもの”を向ける。

 

 セラの喉がわずかに上下する。

 それは恐怖ではなく――覚悟の動きだった。

 

「セラ……!」  

 

 思わず叫んだ。自分でも驚くほど大きい声だった。

 

 アリスとリナがびくりと肩を震わせる。

 

 セラがかすかに振り向いた。目だけが、俺を捉える。

 

 その目は澄んでいるのに、奥に揺れがあった。“助けて”とも“来るな”とも言えない、複雑な震え。

 

 その揺れを見た瞬間、リオの胸の奥で何かが切れた。

 

(……あの日、伸ばした手が届かなかった理由を、また繰り返すのか)

 

 嫌だ。絶対に、同じにはさせない。

 

 アリスの手が震えたまま袖を掴み、リナが不安を隠せない目で見つめてくる。二人の恐れを背に受けながら、静かに一歩だけ前へ出た。胸の奥で、焼け跡の痛みが跳ねる。

 

 でも――それでも前に。

 

 セラの瞳が、わずかに揺れた。その揺れを見ただけで、怖さよりも別の熱が胸に広がる。

 

(守る。今度こそ……俺が)

 

 火線が大きく波打ち、上位影がゆっくりと姿勢を低くした。その一歩ごとに空気が削れる。息を呑んだまま、その動きを見つめた。

 

 背後でアリスが震え、リナが息を止める。

 二人の存在を背に感じながら、前へ視線を固定した。

 

 セラは白刃を構えたまま、ほんのわずかに顎を上げた。その動きは、恐怖を押し込めるのではなく、受け止めるための動きだった。

 

 喉が鳴る。

 

(大丈夫だ。一人にしない)

 

 たとえ何もできなくても、この場から目を逸らさないことでしか支えられなくても――  それでも、セラを孤独にはしない。

 

 火線の揺れが最高潮に達し、上位影の影がねじれた。

 踏み出す気配が、胸を刺すように迫る。

 

 世界の端がきしむなか―― 小さく息を吸い、ただ前を見た。

 

(行こう。逃げない)

 

 次の瞬間、影が――動いた。

 

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