灰を越えて風になる   作:雷光123

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湖へ引かれる刻印と、胸の疼き

 燃える街から少し離れた北区裏路地。ひび割れた壁に身を寄せて息を整えると、胸の“重心”がまた北東へ傾いた。

 

まるで“縄”の端をつかまれて、心臓の裏側から引っぱられているような感触だ。

 

 南――塔を思うと胸が鋭く軋む。だが北東へ向かう感覚は違う。“刺す”のではなく、静かに“引かれる”。進めと言われているような、気味の悪い静けさを伴った引力。

 

(……なんだ、この違い)

 

 塔のことを考えると胸が焼けるように痛む。だが北東に意識を向けると、逆に痛みが静まり、“行けば収まる”とでも示すように、脈が整う。

 

 アリスが袖を引いた。

 

「ねぇリオ……セラさんとはどんな関係なの?」

「……昔の相棒だ。世界大戦を知ってるか?」

「十年前の戦争だよね。3日で終わったとされる戦い」

「俺はそこに彼女と参加していたんだ」

「私たちも協力するよ。湖とセラさん両方助けましょう」

 

 リナがしゃがみ込み、手帳を開きながら言う。光鎖の切れ端を拾って並べると、すべて“北東へ向かって裂けて”いた。

 

「見て。切断線の傾きが揃ってる。偶然じゃない」

「……胸も同じ方向に痛む。嫌な一致だな」

(本当は塔へ戻りたい。セラを置いたまま、別の異常へ向かうなんて間違っていると分かってる)

 

アリスが食料袋を抱えたまま、ふらりと揺れた。

 

「わ、重っ……ねぇリオ、これ持って。私じゃ落とす」

「お前、それ三人分だろ。……貸せ」

 

と受け取った瞬間、アリスがほっとした顔で笑った。

 

「ありがとう……って、銃まで持ちながらよく平気だね」

「慣れてる。いつもやっていたことだからな」

「大変だね……」

 

そんなやり取りをしつつ、俺は銃に刻印弾を装填し、リナは地図を描き直し、アリスは水袋を結び直す。動作そのものは淡々としているのに、胸の引き絞られる方向だけが頑固に一点を示した。

 

――北東。ラナ湖。

 

だが、確信と言い切れる材料はまだない。その時だった。

 

「……ひ、ひとまず銃は下げてくださいリオ先輩っ」

 

隣の影から突然声がして、俺は反射的に銃口を向けた。

 

「ヨナ?」

 

白い前髪が乱れ、怯えた瞳のヨナ・スレインが両手をあげて固まっていた。

 

「ぼ、僕です僕! その……協会の元徒弟……覚えてますよね!?」

「悪い。影から出てくるな。撃つところだった」

「それ言い方ひどくない!?」

 

アリスが小声で耳打ちしてくる。

 

「……ヨナくん、なんでこんなとこに?」

「そ、それが……見せなきゃいけないものがあって……!」

 

 全身でおどおどしながらも、ヨナは布袋から“欠けた魂札”を取り出した。

 

俺の意識が、また北東へ引っ張られる。リナもすぐに気づいた。

 

「……それ、どこで?」

「北区の崩れた屋根です。誰かがわざと壊して捨てたみたいで……で、見てください、この刻印」

 

ヨナは震える指先で欠片を裏返す。

 

「天使端末の……偽装刻印だね?」

 

リナが眉をひそめた。

 

「えっ、わかるの?」

「フィリア聖堂の魂札は本来“番号の縁”が二重。偽装品はこのラインがずれるの」

「その通りです……さすがリナさん……」

 

ヨナは小さくうなずくと、欠片を俺の前に持ってきた。

 

「で、問題は……これです」

 

その瞬間。光が、ぴし、と細く震えた。

 

ヨナは欠片を握りしめたまま、白い前髪の奥で目を伏せた。

 

「……本当は、この手の欠片は協会では“扱ってはいけない”んです。偽装の疑いがある魂札はすべて封鎖庫送りで……。僕、徒弟の頃に師匠の研究で一度だけ見たことがあって」

 

リナが息をのむ。

 

「徒弟で封鎖庫資料を見たの? 異例だよ」

 

ヨナは小さく頷く。

 

「師匠がフィリア側の人で……番号と光流のズレを調べていたんです。でもある日突然、研究は没収されました。『制度の深いところに触れる』って理由で……」

 

 汗が頬を伝う。

 

「理由は……言われなかったのか?」

「師匠の顔、あれは……“怖がってる顔”でした。知らないほうがいいって……そんな目でした」

 

 震えた声のまま、ヨナは欠片を見下ろした。胸の疼きと同じ方向――北東へ向かって。アリスが声を飲む。

 

「……動いた。魂札の光が……動いた……!」

 

 リナがすかさず距離と角度を測る。彼女は古い地図を開き、湖の周囲を指でなぞった。

 

「……ここ。ラナ湖周辺だけ観測記録が極端に少ない」

 

 アリスが眉を寄せる。

 

「なんで? 街から近いのに」

「近いからだよ。湖は“観測死角域”……光鎖の重層線が乱れる地点。本来、塔の光も届くはずなのに、手前で弱くなる」

 

ヨナがすぐ補足した。

 

「協会は昔、湖の周囲に“光を落とす装置”を置いてたんです。でも……全部壊れました。まるで光が“吸われていく”みたいに減衰して」

 

リナの筆が止まる。

 

「吸われる……?」

「ええ……師匠は、『あれは“ただの水”じゃない』と言ってました」

 

沈黙が落ちた。胸の疼きが、静かに、確かに、湖へ向けて脈打った。

 

「反応角、北東二七度。リオの疼きと同じ」

 

ヨナも青ざめながら説明を続けた。

 

「魂札の光紋は本来“所有者の方向”にわずかに引かれるんです。でも……これは違う。所有者は塔にいるはずなのに」

「塔じゃない……ってことか」

 

「はい。もっと強い“異常源”に引かれてる……おそらく湖のほうに」

 

湖――。その言葉に俺の意識が引っ張られる。

 

アリスが小声でつぶやいた。

 

「……ねぇリオ。さっきから、ずっと湖のほう見てる」

「意識してない」

「だから怖いんだよ……身体のほうが先に行っちゃいそうで」

 

リナがヨナへ向き直る。

 

「他に情報は?」

 

ヨナは唇を噛み、もう一枚の欠片を見せた。

 

「これ……さっきのよりさらにおかしいんです。見ててください」

 

欠片を胸の高さに掲げると、光がふらりと揺れ――。

 

“湖の方向だけ消えた”。

 

アリスが息をのむ。

 

「光が……避けられたみたいに……消えた……?」

 

ヨナは震えながら説明する。

 

「異常が“強すぎる”場合、魂札の光はねじ曲がるんです。反応したあと、その方向でだけ……消える」

 

リナが短く結論を述べた。

 

「つまり――光が示した“死角”が湖ってことね」

 

 まるで肯定するように脈が早くなる。

 

「塔じゃない……湖だ」

 

 その言葉を口にした瞬間、胸の痛みが“方向を持ったままおさまる”。拒むようにではなく――納得したように。

 

ヨナがぼそっと呟いた。

 

「僕……こんなの見たの初めてです。刻印偽装が絡むなら、こっちは制度の問題で……ええと、その……」

「ヨナ、悪いが詳しい話は後だ。行かなきゃならない」

「あ、はい。でも……気をつけてください。湖は今“観測の死角”です。誰も見てない。何があっても……」

 

リナは荷袋を開き、手際よく装備を並べた。

 

「水袋三つ、乾燥薬草、包帯、替え札……最低限は揃った」

 

アリスは必死で紐を結んでいる。

 

「これ……走ったら絶対落とす……!」

「落とす前提で言うな。貸せ」

 

「ほらね!? やっぱ落ちるじゃん!」

 

リオはため息をつきながら荷を肩に乗せる。

 

(魔獣が出てもおかしくない……街道を行くならなおさらだ)

 

ヨナはその動作を怯えたように見ながら言った。

 

「街道は……光鎖の残骸が多いです。夜は絶対に通らないほうがいい」

 

リナがうなずく。

 

「じゃあ森の縁を回るか……でも遠い」

 

アリスは胸の前で手を組む。

 

「夜の森はムリ! 絶対変な声する!」

「だから夜は歩かない。休憩を取る」

 

アリスがほっと息を吐く。リオは銃を肩に背負い直す。

 

「……行けるな?」

「いく!」

「もちろん!」

 

リナが地図を折り畳む。

 

「ルートは二つ。森を迂回して入るか、街道をそのまま進むか」

「街道。急ぐ」

 

アリスが慌てて手を挙げる。

 

「ちょ、ちょっと待って! 準備、まだ途中!」

「お前が持ってる袋の中身、何だ」

「干し肉と硬パン! 三人分! 落とすから持って!」

「最初から言え」

「あのね!? 言ったよ!? 絶対落とすって言ったよ!?」

 

リナが苦笑しながら魔導灯の紐を締める。

 

「はいはい。アリスは右側ね。リオはそのまま先頭。私が間で調整する」

 

ヨナが最後に欠片を差し出した。

 

「これ……持っていってください。“光が消えた方向”を、きっと教えてくれる……はずです」

 

欠片は手の中で淡く震えた。胸の疼きと、まったく同じ方向。

 

「……行く場所は決まったな」

 

リナが地図に指を滑らせる。

 

「街道をそのまま進めば四刻。壊れた光鎖の残骸が危険だけど、一番早い」

 

アリスが袖を引いた。

 

「リオの疼きって……どっち向いてるの?」

「街道だ。一直線に」

 

リナが苦い顔をする。

 

「……急ぐ必要があるってことね」

「森を回る余裕はない」

 

アリスが拳を握る。

 

「よし……なら、走ろ!リオが倒れないくらいの速さで!」

「倒れるのはお前だ」

「……うん。たしかに」

 

 リナが笑う。

 

「はい決まり。街道ルート。途中で必ず休憩入れるからね」

「道筋は決まった。あとは進むだけだ」

(塔も、湖も。どちらも背を向けたくはないが――選ぶしかない)

 

 アリスも、リナも、静かにうなずく。湖のある方向へ、風だけが流れていない気がした。

 

「うん。行こ」

「迷う理由、もうないでしょう?」

 

 風のない路地で、砕けた欠片がひとつ光を落とした。その光は――静かに、確かに、湖を指していた。

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