才能ゼロの俺、最弱の鬼(つま)と『同期』して最強へ至る ~呼吸が使えないので、思考加速(OS)と筋肉(ハード)の暴力で「柱」になりました~ 作:この俗物怪物くん
北ノ町の外れにある宿屋『藤の家』は、昼下がりの柔らかい光に包まれている。格子戸の向こうから、炊きたての米と味噌汁の匂いがふわりと漏れている。
その戸を、場違いなほど巨大なリュックを背負った男が叩いている。もちろん中身は、鬼であり、そして定次郎のOSである灯羽だ。
(…着いた。行冥(アイツ)がいない分、気楽だが……一人(と一匹)だと、緊張感が違うな)
女将が戸を開けて、定次郎を頭から足先までじろりと眺める。視線が、背中のリュックで止まる。
「まあまあまあ……ずいぶん大きなお荷物だねえ。お客様、その荷物、お預かりしましょうかね?」
「(即答で)いや、いい。これは俺の『魂』だ。肌身離さない」
「(ちょっと引き気味に)は、はあ……。そういう信仰もあるんだねえ。じゃあ、そのままで」
女将は苦笑しながらも、帳場で宿帳を書かせてから、二階の一番奥の部屋へ案内していく。
六畳一間。磨かれた板の間が、淡い光を反射している。隅に小さな床の間、窓の外には、北ノ町の屋根と遠くの山並みが見える。こじんまりとしているが、清潔で落ち着く部屋だ。
(ふむ。逃走経路は窓と廊下、どちらも確保できる。視界も悪くない。いい宿だ)
女将が茶を置いて出ていくのを待って、定次郎はそっとリュックを下ろす。床に置く仕草だけは、妙に丁寧だ。
(さて。任務地には着いたが……すぐに聞き込みを始めても、怪しまれるだけだろうな。「こんにちは、鬼出ました?」なんて聞き方をするやつは、だいたい頭がおかしい)
(東大卒(おれ)のやることじゃない。それよりも、『確実』なことがある)
定次郎はリュックの背面に手を伸ばし、『偽装の壁』の留め具を外す。中から、薄暗さに慣れた蒼い瞳が覗く。
「……ん? なあに? 定次郎。もう夜?」
灯羽は、子供サイズの擬態で、小さな本を読んでいる。内容は、宿の本棚から拝借してきた「はじめての旅のしおり」だ。
「いや、まだ昼過ぎだ。だが、夜になったら、飲みに行くぞ」
「(きょとんとして顔を上げる)……え? だから、私、人間の食べ物も飲み物も、ダメだって言ってるわよ? クソまずいのよ?」
「そうじゃない。お前は『人間の姿』で、俺の隣に座ってりゃいい」
「?」
「いいか。『よそ者の剣士が一人で鬼の噂を聞き回る』より、『新婚の若夫婦が、旅の途中で一杯やってる』ほうが、居酒屋のオヤジも、他の客も、よっぽど口が軽くなるだろ?」
その言葉が、灯羽の脳内で、パァンと破裂音を立てて跳ねていく。
「…………ふ、」
「?どうした」
「(顔を真っ赤にして、本を放り出し、リュックから飛び出す)『ふ、夫婦』……!!」
「(!?)うおっ!」
灯羽はほとんど弾丸のような軌道で飛びつき、定次郎の首に抱きつく。
「(涙目で定次郎の胸に顔を埋める)……『夫婦』……!定次郎……!あなた、今、『夫婦』って……!(感涙)」
「(慌てて)い、いや、これは『作戦』で!『装う』って意味でだな!」
「(聞いていない)好きッ!!定次郎、だーい好き!!!」
「(抱きつかれながら、まんざらでもない顔)……ああ、もう……」
定次郎は、しがみついてくる灯羽の背中に手を回して、少しだけ力を込める。
「(ボソッと)……俺もだよ」
「(一瞬ぴたりと固まってから、爆発するように抱きつく力を強める)……っ! だい、すき……!」
そのまま二人は、畳の上でゴロゴロ転がってイチャつき始める。鬼殺隊の初任務前とは思えない空気だ。
(……ちなみに、ヤッてはいませんよ。まだ清い仲だ。…『臆病者』と呼ぶなら呼べ。俺は、彼女が『鬼』であることとか、色々、まだ心の準備が……!)
灯羽は、頬をすり寄せながら、何度も「夫婦」「新婚」「定次郎」と呟いている。定次郎は、そのたびに心臓が変なリズムで拍動している。
(……いや、違う。予定通りだ。恋人との甘い夜は、俺に力を与える。そういう理屈で行く。そうだ、これは精神修行だ。うん)
そんな理屈で自分を誤魔化しているうちに、窓の外は、夕暮れをゆうに通り越して、すっかり夜になっている。
「(障子の隙間から外を見て、ハッとする)……しまった!イチャついてたら、一晩経っちまった!」
「(定次郎の腕の中で、幸せそうに微笑む)……ふふ。いいじゃない、一晩くらい。『夫婦』の夜だもの」
(任務初日から、情報収集ゼロ。……まあ、鬼も人も、逃げやしない。多分)
◇◇
翌朝。まだ空気が冷たい早朝、定次郎は寝ぼけ眼で縁側に出ている。軒先には、昨夜の露がまだ残っている。
(さて、と。まずは北ノ町の地理を頭に入れる。川、橋、路地……逃走経路と待ち伏せポイントの確認が先だ。東大卒(おれ)の朝は、情報収集から始まる)
縁側から中庭を見下ろした定次郎の顔が、ぴたりと固まる。
(………………あ)
(『美子』は!? あの鎹鴉は!?)
そういえば、昨夜から、一度も鳴き声を聞いていないことに、この瞬間ようやく気づく。
(ヤベえ! 昨日の夜、俺たちがイチャついてた(抱き合ってただけ)ところを、あの『天才(バグ)』に見られていないか!?)
(お館様宛て任務報告:『北ノ町到着。即、女(鬼)トイチャツキ、一晩明カス。任務放棄ノ疑イアリ』……とか送られたら、行冥(とも)の涙が、今度こそ枯れる!)
「美子! おーい、美子ーっ! どこだー!」
宿の中庭を、定次郎がバタバタ走り回る。障子がガラリと開き、寝起きの灯羽が顔を出す。髪がぼさぼさで、少しだけ角が出かかっている。
「……なに? もう朝? おはよう、夫……」
「やめろ、その呼び方はまだ早い! 美子がいない! 昨日の夜から見てない!」
「えっ!? 見られてたの!? 私たちの『夫婦初夜(健全)』を!? え、どうしよう、恥ずかしい、いや、むしろ見せつけるべきだった?」
「落ち着け! そもそも初夜じゃない!」
二人で中庭を見回す。井戸の屋根、物干し台、植え込み。そこには、どこかの猫と、宿の犬しかいない。
そして定次郎は、中庭の隅に立つ大きな柿の木を見上げて、「それ」を発見する。
「……あれは!!」
柿の木の、やけに入り組んだ枝の間。そこに、美子が、見事なまでに逆さまに引っかかって、羽を絡ませている。くちばしは半開きで、目は白目だ。
「(ドン引き)……うわあ。まさか、昨日、宿に着いた時に『天才的』な飛行で突っ込んで、そのまま気絶してるパターンか……?」
「(呆れ顔で)……あんたの周り、本当に『才能(バグ)』持ちばっかりね……。あれ、絶対才能って言わないわ」
「(舌打ち)……助けてやらんと!」
定次郎は柿の木に登り始める。が、彼のOSは、地面のような平らな足場に最適化されている。木登りのような三次元の不規則構造は、演算の天敵だ。
「(枝を掴みながらプルプル震える)……くっ……!この枝の角度(約四十五度)に対して、俺の体幹の角度を、あと三度……いや二度……いや、やっぱり三度……ぐらい……調整……」
OSの演算が、盛大にバグっていく。
定次郎の足が、枝の皮の上ですべる。
(ドッッッッッカァーーーン!!!!)
定次郎は、見事な放物線を描いて落ちていく。幸い、下は柔らかい茂みだが、鬼殺隊の初任務前とは思えない音だ。
「(背中から落ちて、悶絶している)……ぐふぅっ!! 背骨が『こんにちは』しそうだ……!」
「(慌てて駆け寄る)定次郎!大丈夫!?ねえ、OSどころか身体(ハードウェア)までバグってない!?」
「(大の字で倒れたまま、空を見上げる)……フー……。……諦めるか……」
「ええっ!? 早くない!?」
「俺は、諦める時は諦める男だ。諦めないのは、諦めないと決めた時だけだ!」
「(それ、名言っぽく言ってるけど、ただの逃げ台詞よね……)」
その時、上空から、か細い鳴き声が降ってくる。
「(うっすら意識が戻って)……カァ……カァー……(たすけてー……こわいー……おちるー……)」
「(聞こえているが、聞こえないフリをしている)」
「(半泣きで)カァー! カァー!(お母ちゃーん!)」
「(耳を塞ぐ)……気にしない! 気にしない!」
「(絶叫)カアアアアアア!!たすけろバカ定次郎オオオオオ!!!」
「(ブチ切れて飛び起きる)うがーーーーっ!!助ければいいんだろ!助ければ!!」
「(ニヤニヤしながら)ツンデレだ……」
定次郎は宿の女将に頼み込み、長い物干し竿を一本借りてくる。庭の真ん中に仁王立ちして、深く息を吸う。
(よし。今度は『東大首席』の頭脳(仮)を使う。俺のOSは、時間さえあれば、どんな複雑なコマンドでも実行できる)
「(リュックの中に隠れながら、ひそひそ)……ねえ、加速はいる? 私、シンクロする?」
「(首を振る)木登りでOS使うな。落ちたら二人とも終わる」
「(ちょっとしょんぼり)……たしかに」
定次郎は、地面に足をしっかりと固定し、物干し竿をゆっくりと持ち上げる。その動きは、まるで巨大な筆で、空にゆっくりと字を書いているようだ。
(右肩、外旋三度。肘、角度四十五度から三十七度へ。手首、時計回りに七度回転。……よし)
彼は、十メートル以上離れた位置から、物干し竿の先端だけを、ミリ単位で操作していく。竿は、柿の木の枝と枝の間をすり抜け、細い枝に引っかかりそうになっては、ギリギリで避けている。
「(感心して目を丸くする)……すご……。キモ……」
「褒めろ! そこは素直に褒めろ!」
物干し竿の先端が、美子の足に絡まっている枝に、そっと触れる。定次郎は、その枝を、ほんの少しだけ、ゆっくりと押し下げていく。
「カァ……!?ゆれるゆれるゆれるゆれるぅぅぅ……!」
「暴れるな! OSの計算が狂う!」
十分ほどかけて、枝がだんだんと地面に近づいていく。最後は灯羽が、ちょこんと飛び出して、美子の足を掴み、ふわりと抱きとめる。
「はい、捕まえた。よしよし、よくがんばったわね、『天才』」
「(ぐったりしながら)……カァ……(こ、殺されるかと思った……)」
(……その後、救出された美子が、なぜか俺に妙な恩義を感じて、やたら懐いてくるのは、また別の話だ)
ひとまず、鴉の遭難事件は、これで決着している。定次郎は大きく息を吐き、空を見上げる。
(……そして、この『カラス救出劇』だけで、貴重な任務の半日を無駄にする俺であった。トホホ……)
◇◇
昼を回った頃、ようやく三人(人間一名、鬼一名、鴉一羽)は、本来の任務を思い出している。
「カァー! 定次郎! 仕事シロ! 北ノ町ニハ、毎月ノヨウニ人ガ消エテイル。日没カラ夜明ケマデ、町中ヲ巡回セヨ!」
「(あくびを噛み殺しながら)わかってる。だからそのための『夫婦作戦』だ」
灯羽は、すでに人間の姿に擬態して、髪を軽くまとめ、宿の下駄を履いている。見た目はどこからどう見ても、ちょっと気弱そうな旅の娘だ。
「(袖をつまみながら)……ねえ、ほんとに、これで『夫婦』ってバレない? 私、ちゃんと『嫁』に見える?」
「(真顔で)見える。むしろ、俺のほうが『婿に来た人』に見える」
「(ぱあっと笑う)……それ、すごくいい」
美子は、二人の頭上を飛びながら、町の上空をぐるぐる巡回している。方向転換のたびに、危うく屋根に刺さりかけては、ぎりぎりで回避している。
夜。二人は、北ノ町でも一番賑やかな通りにある居酒屋『川音(かわおと)』の暖簾をくぐる。
(よし。まずはここで地元情報の収集だ。酒と肴と噂話。全部まとめて、夫婦割引でいただく)
店内は、炭火の匂いと、人々の笑い声で満ちている。カウンターの向こうでは、主人が串焼きを返している。奥の座敷は、すでに何組もの客で埋まっている。
「いらっしゃい。お、仲の良さそうな若夫婦さんだねぇ。こりゃまた、美人さんを連れて」
「(瞬時に『新妻スマイル』をオンにして、ぺこりと頭を下げる)……お世話になります。夫が、こちらの町の景色を見たいと申しますので……」
「(自然に灯羽の肩に手を回す)ああ、妻がどうしても旅に出たいって言い張るのでな。ついでに、美味い酒と噂話も……いや、景色をな」
「ハッハッハ。景色と酒はうちに任せな。噂話は、酒が進めば勝手についてくるよ」
主人は、二人をカウンターの端の席に座らせる。隣の席には、すでに赤ら顔の商人風の男たちが、焼き魚をつまみながら盛り上がっている。
灯羽は、出されたお茶を両手で持って、ちびちび飲むふりをしている。舌はほとんど動かない。鬼なので、味がクソまずいからだ。
(……定次郎。これ、やっぱりクソまずい)
(我慢しろ。『嫁が酒弱くてお茶派』って設定で行く)
(『嫁』って言った……好き)
定次郎は、主人オススメの地酒を一合頼み、ほどよく酔ったふりをしながら、隣の商人たちの会話に耳を傾ける。
「しかしよぉ、また出てるんだとよ。川っぺりでさ」
「ああ、またか。今度は若ぇ衆だってな。夜明けには、跡形もなく消えてたって話だ」
「しっ。声がでけえ。客の前で物騒な話は……」
「(わざと聞こえるように)いやあ、物騒な話の一つもなきゃ、旅の土産話にならないさ。なあ、灯羽?」
「(小さく首をかしげる)……え?わ、私は、怖い話は、あまり……」
「(笑いながら)大丈夫だ。俺がついてる」
定次郎は、ほんのわずかに、鬼殺隊の隊服の袖口を見えるようにずらしている。主人と商人たちの視線が、そこに吸い寄せられる。
「……あんた、もしや、『鬼殺隊』のお方で?」
「(さも当然のように頷く)……ああ。少し、北ノ町の様子を見に来ている。単なる見回りだがな」
「そいつは心強い。……なら、隠しても仕方ないか。ここ数ヶ月、この町で、夜な夜な人が消えている。川べりの道で、だ」
:「決まって、川の音が急に消えるんだとよ。風も止まって、物音がしなくなったら……次に聞こえるのは、『ザブン』って水の音だけだってな」
「(お茶碗を握る手に力が入る)……『音』が、消える?」
灯羽のOSが、すぐにその条件を頭の中で整理し始めている。音の消失。水音。川沿い。時間帯。
(どうだ、灯羽。何か引っかかるか?)
(……まだ決めつけない。でも、血鬼術っぽい。範囲系の、感覚操作。もしくは、空間そのものの『切り取り』……)
美子は、店の外の屋根の上で、窓から中を覗きながら、こっそりと話を聞いている。窓枠に止まるたびに、また頭をぶつけかけては、羽ばたきで誤魔化している。
(カァ……。オトガ消エル鬼……? ヤナ予感ガスル……)
商人たちとの会話で、定次郎と灯羽は、失踪事件が必ず川沿いの同じ区間で起きていること、その時間帯が丑三つ時の前後であることを把握していく。
(よし。今夜の巡回ルートは決まりだな)
店を出る頃には、空はすっかり夕焼けに染まっている。川面が赤く光り、風が少し冷たくなってきている。
「(袖を引っ張りながら)……ねえ、定次郎」
「ん?」
「(小さな声で)……さっき、『夫がついてるから大丈夫だ』って言ったわよね」
「言ったな」
「(顔を赤くしながら)……現場でも、ちゃんと、ついててね」
「当たり前だ。俺は、お前の『肉体(ハードウェア)』だからな」
「(嬉しさを隠せない声音で)……うん。私も、あなたの『OS』でいる」
◇◇
深夜。北ノ町の川沿いの道は、人の気配がほとんどない。遠くの家々の灯りが、点々と浮かんでいるだけだ。
定次郎は、昼間に確認した地形を頭に入れながら、川に沿って歩いている。灯羽は、リュックの中から半身だけを出し、周囲の気配を探っている。
「カァー……。上空ノ巡回、完了。今ノトコロ、不審ナ気配ハナシ」
「了解。……灯羽、どうだ?」
「(目を細めて)……普通の夜の音だ。川の音、虫の声、木々のざわめき……。でも……」
「でも?」
「……時々、ほんの一瞬だけ、『空白』が混じる。まだ、私たちの感覚じゃ拾えないくらい短いけど……OSで引き伸ばすと、薄い『無音の膜』みたいなものが、川の上を流れている」
「(眉をひそめる)無音の膜、ね……。厄介そうだな」
その時、美子が急に羽を震わせる。
「カァ!?(今、風ガ……止マッタ……?)」
さっきまで頬を撫でていた夜風が、ぴたりと止まる。川のせせらぎも、虫の声も、遠くの犬の鳴き声も、すべてが一瞬にして「無」に変わる。
「(息を呑む)……来る!」
「灯羽!」
「うん! 今度は私から行く! 血鬼術――」
灯羽の瞳が、深い蒼穹の色に染まっていく。彼女のOSが、一気に回転数を上げていく。
「『思考加速・二百倍』」
「(頭の中が、すうっと澄んでいく感覚を覚えている)……来たな」
(この世界では、俺の『バグだらけのOS』も、『完璧なマニュアル』として動いていく。音の消えた静寂の中で、俺たちの時間だけが、くっきりと浮かび上がる)
無音の川辺に、何かが「立つ」気配が、ゆっくりと立ち上がっていく。黒い影が、水面からにじみ出るように姿を現し始めている。
「(その輪郭を解析しながら)……定次郎。あれ、多分――」
「ああ。たぶん、今夜の『バグ』の元凶だな」
世界が、静寂のまま、じわじわと動き出している。
バグだらけの鬼殺隊士と、バグだらけの鬼の夫婦(よてい)は、無音の川辺で、初任務本番の幕が上がる瞬間を迎えるのだった。