才能ゼロの俺、最弱の鬼(つま)と『同期』して最強へ至る ~呼吸が使えないので、思考加速(OS)と筋肉(ハード)の暴力で「柱」になりました~ 作:この俗物怪物くん
翌日の河原は、今日も俺に厳しすぎる。
「ぜえっ……はあっ……っ……!」
砂利を蹴って走り出したはずなのに、三歩ごとにバランスが崩れる。さっきから何度も空と地面が入れ替わる。つまり転びまくっている。
(真っ直ぐ走るだけのメニューが、なんでここまで地獄なんだよ)
これは鍛錬というより、完全にリハビリだ。俺というポンコツマシンを、人並みの「歩行」モードにアップデートするための、終わりの見えないバグ修正作業だ。
そんな俺の耳に、砂利を踏む落ち着いた足音が近づいてくる。
(げっ)
昨日、全力で逃げ出した寺の少年――悲鳴嶼行冥の姿が、視界の端に入る。
(また来た!)
寺にこもって読経でもしていればいいのに、なぜよりにもよって河原に出張してくるのか。
(なんで昨日あんな逃げ方した相手に、また平然と近づいてこれるんだよ……! コミュ力お化けか!?)
息を整えようと必死に呼吸を整えながら、なるべくぶっきらぼうな声を作る。
「……何の用だ、悲鳴嶼。見ての通り、俺は忙しい」
汗で前髪が額に貼りつく。息はまだ荒い。それでも、相手に弱っているところを見せたくないプライドだけは一丁前だ。
行冥は、まっすぐ俺の顔の方向を向いている。その視線は、正確すぎるほど正確だ。
「……昨日は、申し訳ない」
低く、よく通る声だ。
「私が、何かあなたを不快にさせることをしてしまったのだろうか……と、一晩中考えている」
(うぐっ)
胸のどこかがチクッと刺される。
(こいつ、絶対いい奴だろ!)
勝手にパニックを起こして逃げたのに、なぜか謝る側に回っている。しかも一晩中考えているとか、真面目ポイント高すぎだ。
(だから嫌なんだよ、鬼滅側は! いい奴だらけだから距離を置きにくいんだよ!)
「……いや、別に」
ぶっきらぼうに返す。
「お前のせいじゃない。それより、よく俺がここにいるってわかったな」
寺とこの河原は、距離にしてそこそこ離れている。偶然通りかかりました、で済むような距離ではない。
行冥は自分のこめかみあたりを指先で軽く触れる。
「……私は、目が見えない」
「その代わり、耳と、空気の流れで、あなたが鍛錬をしている音が、寺まで聞こえてくる」
「…………は?」
思わず素で声が漏れる。
「昨日も、あなたの息遣いと、何度も転ぶ音が聞こえている」
(盲目!?)
俺の脳内に、でっかい感嘆符が何本も立つ。
(嘘だろ?昨日、俺の膝のガーゼに気づいていたよな!?)
ガーゼの音なんてない。膝の擦り傷が奏でるメロディーなんて、ホラー以外の何物でもない。
(いや、見えてないのか!?音か!?ガーゼの「音」って何だよ!布と皮膚の擦れる摩擦音とか、空気抵抗とか、そういう次元の話か!?)
さすがにチート臭がすごい。
(絶対見えているだろ、これ!物理法則の穴から覗き見しているタイプのチートかよ!!)
ただ、行冥の瞳は、本当に光を映していない。焦点が合っていないのに、真っ直ぐこちらを向いている。
◇◇
「……なぜ、あなたは、そこまで自分を追い込むのだ?」
行冥が静かに問いかける。
「あなたの体は、ひどく悲鳴を上げている。息遣いも、足音も、転ぶ音も……私には、それがわかる。聞いているだけで、痛ましい」
真顔で言われると、ちょっと居心地が悪い。
「……うるさい」
砂利を払いのけながら立ち上がる。
「俺は、才能がないんだよ」
口に出すと、改めて現実が牙を剥く。
「お前みたいなチートとは違う。人の五倍、いや十倍やって、ようやく人並みになれるかどうかだ。これは鍛錬じゃねえ、リハビリだ」
言いながら、再びスタート地点に戻る。足元の砂利の感触を確かめる。重心を落とす。膝を軽く曲げる。腕を振るイメージを頭の中で繰り返す。
「見てろ」
短く宣言して、走り出す。
――三歩で、派手に転ぶ。
「ぐべっ……!」
砂利が遠慮なく頬に食い込む。鼻にも砂が入る。視界に星が散る。
「クソッ……!」
地面を殴りたい衝動をこらえていると、すっと影が差す。
行冥が近づき、その大きな手で俺の腕を掴む。その手は、同い年と思えないほど大きくて、分厚い。なのに、掴む力は驚くほど優しい。
「……すごい」
「は? 転んだぞ、今。馬鹿にしているのか?」
睨み上げると、行冥の盲目の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ始める。
「違う」
声が震えている。
「あなたは、すごい。才能がないと知りながら、血を流しても、諦めない」
涙は止まらない。
「その心が、あまりにも尊い……南無阿弥陀仏……」
(うわあああ!)
俺の心の中で悲鳴が上がる。
(泣いた! こいつ、俺が転んだだけで泣いたぞ!)
しかも、涙の理由が俺の努力が尊いからだ。いい奴ポイントの暴力が過ぎる。
(すげーいい奴なのが、更にムカつく!)
鬼滅世界の人間は、総じて情緒のデパートだ。優しさも悲しみも怒りも、とにかく全部が濃い。その中心人物の一人が、この少年だと思うと、ますます関わるのが怖くなる。
(絶対「鬼滅の刃」のことがなかったら、俺たち、親友になれるのに!!)
隣で一緒に勉強したり、一緒に商売したり、一緒に寺の掃除をしたり、そういうほのぼのルートも絶対ある。なのに、この世界はわざわざ鬼と殺し合うルートを選んでいる。
(なんでだよ、この世界!!)
俺が心の中でテーブルをひっくり返しまくっていると、行冥が小さく息を吸う。
「……もし、迷惑でなければ」
慎重に言葉を選んでいる。
「私も、あなたと一緒に、鍛錬をさせてはもらえないだろうか」
「はあ!?」
俺の声が裏返る。
「あなたのその心を、私も学びたい」
行冥は真剣だ。冗談やお世辞の気配は一切ない。
「あなたのように、才能がないと自ら言いながら、それでも前に進もうとする人と、共に汗を流したい」
「いやいやいや」
全力で手を振る。
「お前が俺と!? スペックが違いすぎるだろ! 邪魔になるだけだ!」
「強さではない」
行冥は静かに首を振る。
「その心だ。私は、あなたのような強い心を持った人と、友になりたい」
その言葉はまっすぐで、変な駆け引きもない。ただ、目の前の相手を尊敬している人間の声だ。
(ええい)
頭をガシガシと掻く。
(関わらないんじゃなかったのか、俺!?)
昨日、決意したばかりだ。悲鳴嶼行冥とは絶対に距離を取ると。なのに一晩でこのザマだ。
(……仕方ないだろ!)
行冥の顔は、相変わらずこちらを向いている。瞳は見えていないはずなのに、その表情はまっすぐで、真剣で、どこまでも透き通っている。
(こんな純粋な目で「友になりたい」なんて言われて、断り続けられるほど、俺は悪人に振りきれない!!)
「……ああもう!」
盛大にため息をつく。
「好きにしろよ!」
行冥の肩が、びくりと小さく震える。
「ただし」
指を突きつける。
「俺は俺のメニュー――リハビリをやるだけだ!ついてこれなくても知らんからな!」
行冥の顔に、光が差すような笑みが浮かぶ。盲目の瞳からは、また新しい涙があふれている。
「ああ……ありがとう、松田殿」
「……定次郎でいい」
ぶっきらぼうに言う。
「どうせ同い年だろ」
「……!」
行冥の喉が小さく鳴る。
「では、定次郎。私のことも、行冥と」
「ああ」
(ああ、クソ)
俺は心の中で頭を抱える。
(俺たち、友人になってしまった……)
だが同時に少しだけ、胸の奥が軽くなる感覚もある。俺のリハビリに付き合おうとする物好きが、この世界に一人いる。
(まあいい)
ひそかに決意を新たにする。
(どうせ死人が出るのは、あの「寺の襲撃事件」のときだ。それだけは、何があっても注意しておく。時間、季節、噂話、全部チェックだ)
鬼にやられる前に、フラグを認識して全力でへし折る。それが、俺がこの鬼滅世界で生き残るための第一条件だ。
◇◇
数ヶ月後。
町の広場では、ちょっとした名物が生まれている。
「ふんっ……ふんっ……」
行冥が巨大な丸太を担ぎ上げて、淡々とスクワットをしている。肩に乗せた丸太は、大人三人分くらいの重さがありそうだ。それでも行冥の額には、ほとんど汗が浮かばない。呼吸も乱れない。脚の筋肉は岩みたいに盛り上がっている。
その横で、俺は小さな石――おはじきサイズの石を拾っている。三メートル先に置いた空き缶に向かって、一つずつ投げる。
「……っ」
指先がぷるぷると震える。腕を振るたびに、軌道がブレる。石は空き缶のはるか手前に落ちるか、上を飛び越えていくか、変な方向に飛んでいくかのどれかだ。
「くっ……! まっすぐ投げられない……!」
自分の肩と肘と手首の感覚を必死に探る。
「体幹がブレている……!」
行冥は丸太スクワットをしながら、俺の方にわずかに顔を向ける。
「焦らないでいい。定次郎は、前よりずっとまっすぐ立てている」
「立つのはな!」
俺は空き缶をじっと睨む。
「問題は、投げるときに勝手に身体のOSがバグることだ!」
その様子を、少し離れた井戸端会議の輪から、町人たちが眺めている。
「おい、またやっているぞ、あの二人」
「本当に異様だよなぁ」
桶に水を汲みながらひそひそ話をしている。
「寺の行冥くんは、本当にすごいな。あの若さで、熊みたいな力だ」
「ありゃ、噂のオリンピックとやらに出たら、金メダルだろ」
明治の時代にも、オリンピックという単語はそれなりに広まっているらしい。世界の祭典より先に鬼とのバトルが始まるこの世界、マジでスケジュール組みがカオスだ。
「それに比べて、松田さんちの定次郎は……なあ?」
チラッとこちらを見る。
「ああ」
溜息まじりに笑う。
「あいつ、この前、うちの息子とかけっこして、負けていたぞ」
「息子、いくつだ?」
「八歳」
「八歳!?」
盛大に吹き出す。
「ようやく小学生の三着ってとこだな。なっさけない」
「なのになあ。なんであんなに必死なんだか。頭はいいのに、勿体ない」
(聞こえているぞコラ)
(なめるなよ!)
口に出したらただの逆ギレなので、石を拾う手にだけ怒りを込める。
(俺は、人の十倍やって、とりあえず人並みよりは少し上を目指しているんだ!)
たとえ八歳児に負ける現状でも、努力量だけは誰にも負けない自信がある。方向性が正しいかどうかは知らないが。
◇◇
その日の夕方。寺の境内で、俺と行冥は石畳に座り込んでいる。
「ふう……」
「行冥、お前のおかげで、だいぶ筋肉はついてきたな」
自分の腕を見ると、以前とは比べ物にならないくらい筋肉が浮き上がっている。十三歳のわりに、肩も胸も腹も、しっかりと線が入っている。細マッチョどころか、ちょっと厚みのあるマッチョに片足を突っ込んでいる。
「この丸太も、持ち上げられるようになったしな」
行冥が使っている丸太より二回り小さいが、それでも普通の大人には厳しい重さだ。それを俺は、息を切らしながらも何回か担ぎ上げられるようになっている。
行冥は俺の腕にそっと触れる。
「……ああ」
すぐに目が潤む。
「定次郎の努力は、本当に素晴らしい……」
声が震える。
「たった数ヶ月で、見違えるようだ……」
「じゅっ……」
鼻をすする音まで聞こえる。
(こいつは、相変わらずすぐ泣くなあ)
苦笑する。
(俺はスペック差に泣きたいわ!)
行冥の筋肉は、俺のそれを軽く上回っている。同じメニューをこなしているのに、成長スピードも負荷の上限も違いすぎる。チートと凡人の差が、残酷なくらいよくわかる。
「よし!」
「行冥、今の俺なら、お前に勝てるかもしれない!」
「……?」
行冥が首をかしげる。
「何で勝負をする?」
「腕相撲だ!」
石畳の上にある平たい石の台を指差す。
「単純な重り上げなら、もうお前に張り合えるようになっているんだ。筋肉量――ハードウェアは、もう負けていない!」
「私は力が強い」
行冥は少しだけ眉をひそめる。
「怪我をさせないか心配だ」
「舐めるな!」
「俺のこの筋肉は、兆の努力でようやくここまできているんだ。試してやる価値はある!」
行冥は少し考えてから、こくりとうなずく。
「わかった。では、全力ではないが、真剣にやる」
俺たちは石の台に向かい合って座る。行冥は盲目ゆえに、俺の腕をそっと探り、手首から指先までの位置を確認してから、ゆっくりと手を組む。
大きな掌が俺の手を包み込む。
その瞬間、筋肉にも、心にも火がつく。
「いくぞ!」
「うおおおおおおお!!」
全身の力を右腕に集中する。肩から腕、前腕、握力。全部を一点に叩き込むイメージで力を込める。
筋繊維がミシミシと悲鳴を上げる。腕が震える。石の台がわずかに軋む。
手応えは、ある。行冥の腕は、重くて硬い。でも、びくとも動かないわけではない。わずかに押し返せる感覚がある。
(いける!)
(押せるぞ! 行冥の筋肉もすごいが、俺の努力で鍛えた筋肉も負けていない!)
行冥が少しだけ驚いたような顔をする。
「……すごい力だ、定次郎」
その声には、心からの称賛がある。
「私も、少し本気を出す」
行冥の腕の筋肉が、さらに一段階硬くなる。だが、それでも完全に押し返されるわけではない。互角とまではいかないが、少なくとも一方的な敗北ではない。
そのときだ。
行冥が腕の角度を、ほんの少しだけ変える。手首をわずかに、くいっと捻る。
「――っ」
その瞬間。
「なっ……!?」
俺の腕から、力が抜ける。
本当に、糸が切れたみたいに。さっきまで腕の中を駆け巡っていた筋肉の出力が、どこか別の世界に吸い込まれていく。
行冥が力で押し込んだわけではない。力の総量では、まだギリギリ拮抗しているはずだ。それなのに、俺の腕は、ぐらりと揺れる。
次の瞬間――
ドンッ!
俺の腕が、石の台に叩きつけられる。
「……は?」
脳が状況を理解しきれない。
腕相撲で負けた、という感覚がない。あるのは力の入れ方がわからなくなったという奇妙な空白だけだ。
「すまない!」
行冥が慌てて手を離す。
「やはり力を入れすぎたか!? 痛くないか!?」
「……違う」
自分の手を見つめる。指先が小刻みに震えている。
「今のは、なんだ……?」
(負けた)
心の中で言葉が浮かぶ。
(いや、違う)
すぐに訂正が入る。
(腕相撲に「負けた」んじゃない)
行冥が手首を捻った瞬間、俺の脳と筋肉の接続が、ぷつんと切れる感覚があった。どうやって腕に力を入れ続ければいいか、わからなくなっていた。
(ダメだ)
胸の奥に、冷たいものが流れ込む。
(筋肉――ハードウェアがいくらついても、それを動かす神経――OSがイカれているとしか思えない!)
単純な重りを上げるだけなら張り合える。スクワットやデッドリフトなら、そこそこ戦える。なのに、腕相撲という「相手との駆け引き」が生まれる瞬間、俺のOSは処理落ちを起こす。
(腕すら、まともに動かせないのかよ、俺は!!)
悔しさが一気に込み上げる。
気づけば、俺の拳は地面を殴っている。
「クソオオオオオオオオ!!」
石畳に拳がめり込む勢いで叩きつける。痛みが骨を突き抜ける。拳からじわっと血がにじむ。
「定次郎!?」
行冥がびくりと肩を震わせる。
「どうしたんだ!? やはり、私が怪我を――」
「うるさい!!」
顔を上げる。涙で視界が滲む。
「お前のせいじゃないよ……」
歯の隙間から、かすれた声が漏れる。
「俺の才能――ゼロのせいだ……!」
世界が鬼滅の刃であること。それ自体も十分すぎる絶望だ。だが、それ以上に今、俺を締め付けるのは、自分自身のOSだ。
どれだけ筋肉を積み上げても、どれだけ知識を詰め込んでも、その力を「戦闘」という形に変換するプログラムが、致命的にバグっている。
その事実が、俺を新たな絶望の底に突き落としている。
鬼という外部の脅威より先に、自分の中の欠陥と向き合わされる。