才能ゼロの俺、最弱の鬼(つま)と『同期』して最強へ至る ~呼吸が使えないので、思考加速(OS)と筋肉(ハード)の暴力で「柱」になりました~   作:この俗物怪物くん

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東大とクソ親友

寺の本堂の一角に、帳簿とそろばんと、俺のため息が積み上がっている。

 

 俺は詰襟の制服をきっちり着こなしながら、ぱらぱらと帳簿をめくっている。一高――第一高等学校の徽章が胸元でちょっとだけ偉そうに光っている。目の前では、相変わらず巨大で、しかも昔よりさらに筋肉質になった行冥が、正座でじっと座っている。

 

「……行冥」

 

帳簿から視線を上げる。

 

「だから、ただ『お布施をください』じゃダメなんだ。時代はもう明治も終わりだぞ。これからは『地域貢献』の時代だ」

 

「地域……貢献……」

 

行冥はゆっくりと復唱する。理解しようとするその顔は真剣そのものだ。

 

「そう。寺はただありがたいお経を読むだけの場所じゃない。『寺子屋』を近代化して、読み書きだけじゃなく『算術』や『科学の初歩』も教える。そうすれば、町の有力者たちも『未来への投資』として金を出す」

 

そろばんの玉を弾きながら、寄付金の予測額を書き込んでいく。

 

「『子どもたちの学び舎』って看板を掲げて、『将来この町を支える人材を育てます』って言ってやれば、財布の紐は緩む。人間、自己満足には金を出す生き物だ」

 

「……すごい」

 

行冥は感嘆の声を漏らす。

 

「定次郎の言う通りにしたら、本当に檀家が増えている。古くからの付き合いの方々も、『これで孫も勉強できる』と、とても喜んでくださっている……」

 

盲目の瞳から、早くもきらりと光るものがこぼれそうになっている。

 

(前世の経営コンサル知識が、ここにきて役に立っているな)

 

 

(貧乏で潰れそうだった寺を建て直してやれたのは、正直、俺の誇りだ。まあ、これも全部、将来のコネ作りの一環なんだけどな!!)

 

 行冥はその場で両手を合わせ、とうとう我慢できずにボロボロと涙をこぼし始める。

 

「ああ……定次郎。君は、私と、この寺の子どもたちの恩人だ……」

 

 声まで震えている。

 

「この御恩は、命に代えても……」

 

「あー、わかった、わかったから!」

 

慌てて手を振る。

 

「泣くな! この前なんて、お前の涙で畳がぐしょぐしょになって、床板までふやけそうだったんだぞ! 寺が潰れる前に床が腐るわ!」

 

「す、すまない……」

 

 行冥は慌てて袖で涙を拭うが、拭いたそばからまたあふれてくる。もはや涙の永久機関だ。

 

(……戦闘に向かないなら、偉くなって便宜を図るしかない)

 

心の中で改めて自分に言い聞かせる。

 

(俺はそう決めている。東大――東京帝国大学に入って、官僚にでもなってやる。文字を書くのに、才能は関係ない。殴り合いじゃなく書類の殴り合いなら、俺にも勝ち目がある)

 

前世の俺の最終学歴は――

 

(フン……東大医学部首席です!!)

 

そこまで考えて、自分で自分にツッコミを入れる。

 

(……すいません、ちょっと調子に乗った。正しくは東大法学部卒だ。でも、首席は本当だ。たぶんこの世界でも、もう一回くらいはやってやれる)

 

 そうやって密かに自分を鼓舞しながら、俺は帳簿に「来年度予算案」と書き込み、最後にぴしっと線を引く。

 

「よし、とりあえず寺の経営は、この三年は安泰だ」

 

「おお……」

 

行冥がまた目を潤ませる。

 

「定次郎がいてくれて、本当に良かった……」

 

「だから、そこで泣くなっつってんだろ」

 

苦笑しながら頭をかく。

 

「泣くより筋トレだ筋トレ。ほら、今日も夜は河原でコース五周だぞ。説教も筋肉も、継続が命だ」

 

「ああ……。ありがたい……」

 

ありがたいの意味がよくわからないが、とりあえず行冥が元気なので良しとする。

 

 

 

◇◇

 

 

 

 夜の河原は、冷たい風が吹いている。

 

 それでも、俺と行冥はいつもの場所にいる。星空の下で、俺たちは今日も相変わらず、意味があるのかないのかよくわからない鍛錬を続けている。

 

「うおおおおおお……!」

 

行冥と向かい合って、腕相撲の真っ最中だ。

 

 石の台に肘をつき、お互いの手をがっちり組む。行冥の腕は相変わらず岩みたいに硬いが、昔ほど「絶対に動かない壁」ではなくなっている。

 

「……む」

 

行冥が少しだけ力を込める。

 

腕にかかる圧力が一段階重くなる。それでも、俺は歯を食いしばり、必死で押し返す。

 

「ぐ、ぐぐぐ……!」

 

 筋繊維が悲鳴を上げている。肩から背中、腰まで全部が総動員だ。息を吐くたびに白い息が闇に溶けていく。

 

(いける……! 押されていない……!)

 

(この数年で、ついにここまで来ている。筋肉の出力だけなら、もう行冥と互角だ!)

 

「……っ……!」

 

行冥の腕が、わずかに揺れる。

 

「勝った!!」

 

俺は最後の一押しをかける。

 

「よし! また勝った!!」

 

石の台に、行冥の腕がバタンと倒れる。

 

「最近、三回に一回は勝てるようになってきている! これは快挙だろ!」

 

息は切れているが、胸の内は達成感でいっぱいだ。

 

行冥は腕をさすりながら、嬉しそうに笑っている。

 

「ああ……定次郎の力は、もう私と変わらない。ただ、私は『動かし方』が少し上手いだけだ」

 

(その『動かし方』が、才能――チートだって言ってんだよ!)

 

心の中で全力ツッコミを入れる。

 

 筋肉というハードウェアは、確かに俺の努力で追いつきつつある。だが、OSの性能差は埋まらない。バランス感覚、反応速度、力の入れ方・抜き方のセンス。そういうものが、どうしようもなく違う。

 

 それでも、ゼロだったものがここまで来ているだけマシだ。

 

(ちなみに百メートル走では、ついに近所の小学生――八歳に勝てるようになっている!)

 

ふと思い出してニヤリとする。

 

(かつては「小学生にも負ける伝説のポンコツ」とか言われていた俺が、今や堂々の一着だ。……相手が八歳なのはさておくとしても、俺の中では大事件だ)

 

「定次郎、本当に強くなっている」

 

行冥がしみじみと言う。

 

「筋肉も、心も」

 

「心は元から強いわ!」

 

俺は鼻で笑う。

 

「そうでもなきゃ、この鬼まみれ世界でとっくに折れている。折れない心だけが、俺の唯一の武器だ」

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

そして春。

 

俺は、駅のホームに立っている。

 

 汽車の煙が白く空に上っている。煤けた煙の匂いと、油の匂いと、人いきれが混ざり合って、いかにも「都会への入口」らしい空気を作っている。

 

学生カバンを肩にかけ、一高の制服のボタンをきっちり留めている。緊張で手のひらに汗がにじむが、顔だけはなるべく平然を装う。

 

 

 ホームの端には、行冥と寺の子どもたちがずらりと並んでいる。皆、名残惜しそうな顔だ。

 

「……じゃあ、行ってくる」

 

カバンを持ち直す。

 

「東京帝国大学、受かってくるからな」

 

 胸の奥で、誓いの炎が静かに燃えている。

 

「一高を出たら、次は東大法学部だ。ここからが本番だぞ、松田定次郎」

 

「ああ」

 

 行冥はまっすぐこちらを向いている。

 

「定次郎なら、必ずできる」

 

 その声は一点の疑いもない。

 

「君ほど『折れない心』で『努力』できる人を、私は知らない」

 

「フン……」

 

 

「受かったら、真っ先に自慢しに来てやるよ。そのとき、お前がどんな顔で泣くか、楽しみにしているからな」

 

「……ああ」

 

行冥はすでに涙ぐんでいる。

 

「その日を、心から待っている」

 

「それまで、あの寺、ちゃんと経営しとけよ」

 

指を突きつける。

 

「俺がいないからって、涙で床を腐らせるなよ。『近代化寺子屋モデル』を守れ。寺は『学び舎』だ。お前ならできる」

 

「任せてくれ」

 

行冥は大きくうなずく。

 

「君が教えてくれた道を、守る」

 

子どもたちも口々に叫ぶ。

 

「さだじろー兄ちゃん、がんばってー!」

 

「東京って、鬼いるのー?」

 

「おみやげー!」

 

「お前ら、東京を何だと思っているんだ……」

 

苦笑しながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

(……行冥は、本当に良いやつだ)

 

汽車の汽笛が鳴る。

 

(こいつの『寺襲撃事件』さえなければ、俺たちは、ずっとこうやって『親友』でいられるんだろうな……)

 

そう思うと、胸の奥が少しだけ重くなる。

 

(だが、俺は見ている。この世界線で、あの事件がいつ起こるのか。今回こそ、絶対に――)

 

そう心に誓いながら、俺は汽車に乗り込む。

 

 

 

◇◇

 

 

 

数週間後。

 

再び、故郷の駅のホームに、俺は降り立っている。

 

 学生カバンを肩にかけ、制服のボタンを第二まで開けている。顔には自信しか浮かんでいない。

 

(よっしゃあ!)

 

心の中でガッツポーズを決めている。

 

(手応えは十分だ! 東大法学部、これは首席合格まである!!)

 

 試験問題は、前世の記憶と今世の勉強の合わせ技で、かなり余裕を持って解いている。あの難問だった「国際公法」も「ドイツ法」も、ほぼ完封だ。

 

(さあ、行冥のやつに自慢しに行って、あの号泣顔を拝んでやるか! きっと本堂の床が浸水するレベルで泣くぞ!)

 

しかし。

 

駅前の広場が、やけにざわついている。

 

近所の町人たちが、顔を寄せ合って、声を潜めて話している。

 

「ああ、恐ろしいことだ……」

 

「まさか、あの行冥くんが……」

 

そんな断片的な言葉が、耳に入ってくる。

 

(……嫌な予感しかしないんだが?)

 

耳をそばだてていると、近くで噂話をしている二人が、はっきりこう言う。

 

「聞いたかよ……あの寺の、行冥くんが……」

 

「ああ……寺の子どもたちを、皆殺しにしたって……」

 

「斧で殴り殺したらしいぞ……なんて恐ろしい……!」

 

足が、その場に貼りつく。

 

 頭の中の時間が、一瞬で止まる感覚がある。

 

 手から、学生カバンが滑り落ちる。中の教科書が鈍い音を立てて地面に落ちるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 

「…………は?」

 

声が自分のものとは思えないくらい、乾いている。

 

(マジで……)

 

胸の内で、何かがバキッと音を立てて折れる。

 

(俺のいないときに、起きやがった!!!!)

 

よりにもよって、受験で一番遠くに行っているこのタイミングで。

 

(マーフィーの法則かコラァァァ!!)

 

「起きてほしくないことほど、起きてほしくないタイミングで起きる」

 

そう教えてくれたのは、前世の職場のクソみたいなトラブルの数々だ。ここで発揮しなくていい。

 

 

 

◇◇

 

 

 

顔面蒼白のまま、駅から全力で駆け出す。

 

 足がもつれそうになりながら、それでも転ばない。今だけは、絶対に転びたくない。地面にキスしている暇はない。

 

まず向かうのは牢屋だ。

 

 寺の子どもたちを皆殺しにした犯人として、行冥は捕らえられているはずだ。原作知識が頭の中で赤い警報を鳴らしている。

 

(間に合え……! まだ何か、できることがあるはずだ……!)

 

 しかし、牢屋の前には役人が何人も立っている。武装した彼らの前に、小僧一人が突っ込んでいっても、できることは限られている。

 

「邪魔だ、通してくれ!」

 

息を切らしながら叫ぶ。

 

「行冥に会わせてくれ!」

 

「子どもは帰れ!」

 

 門番の役人が一蹴する。

 

「あれは、稀代の人殺しだ!」

 

「違う!」

 

「あいつはそんな奴じゃない! 何かの間違いだ!」

 

 押し問答をしても、役人たちは取り合わない。

 

(クソが!)

 

歯を食いしばる。

 

(こうなったら、前世の法律知識で――)

 

 刑法、刑事訴訟法、証拠能力、供述の信用性。頭の中で条文と判例が駆け巡る。しかし、現実は非情だ。

 

(所詮、俺はまだ子どもだ!)

 

 どれだけ理屈を並べても、「子どもが何を言うか」の一言で押しつぶされる。それが、この時代だ。

 

(どうにもできん……!)

 

 一度だけ、本気で産屋敷の顔が脳裏をよぎる。

 

(産屋敷か……!)

 

 鬼殺隊の総大将。彼が動けば、行冥の運命も変わるかもしれない。

 

(産屋敷が助けに来るのを待つしかない――)

 

 だが、その前にできることが一つある。

 

(いや、待て!)

 

 原作の記憶が、俺の襟首を引っ張る。

 

(確か、原作では『生き残った子ども――沙代』の証言が、行冥を不利にしたはずだ!)

 

 恐怖で混乱した沙代が、「行冥が皆を殺した」と言ってしまった。それが決定打になった。だったら。

 

(沙代を探す!)

 

 

(本当の証言を引き出す!)

 

 

 

◇◇

 

 

 

 それからの数時間、俺は町中を駆け回る。

 

 寺の近所の家々、役所、医者の家。ありとあらゆる場所に顔を出し、必死で情報を集める。大人たちは最初こそ「子どもは引っ込んでいろ」と言うが、俺の必死さに押されてか、少しずつ口を開いていく。

 

 そして、ようやくわかった。

 

 沙代は、当局に保護されている。震えが止まらない状態で、医者の診察を受けながら、役人の監視下に置かれている。

 

 役所で直訴し、なんとか「短時間の面会」を許される。もちろん役人の監視付きだ。

 

 案内された部屋の中で、沙代は薄い布団にくるまっている。まだ幼い体が、小刻みに震えている。顔色は青白く、目の焦点は合っていない。

 

「……沙代ちゃん」

 

 そっと声をかける。

 

「俺だ、定次郎だ。行冥の友達の」

 

 沙代の視線が、ゆっくりとこちらに向く。俺の顔を確認したのか、わずかにその瞳に光が戻る。

 

「さだ……じろう、お兄ちゃん……?」

 

「ああ、そうだ」

 

 彼女のそばに膝をつく。

 

「あの日、何があった?」

 

 沙代の肩がびくりと震える。

 

「怖い思いをしたのはわかっている。でも、落ち着いて、ゆっくりでいい。俺は、行冥を助けたい」

 

「……鬼が」

 

 

「鬼が、来たの……」

 

 部屋の隅に立っている役人が、呆れたように鼻を鳴らす。

 

「鬼だと? やはり、気が触れているのだな」

 

「黙ってろ!」

 

 振り向きざまに睨みつけ。

 

「大人は黙って見ていろ。子どもの話の腰を折るな」

 

 役人は渋い顔をしながらも、それ以上は何も言わない。

 

「沙代ちゃん」

 

 もう一度、彼女に。

 

「行冥は? 行冥はどうした?」

 

 その名前を聞いた瞬間、沙代の目から涙があふれ出る。

 

「ひめじま、さんが……」

 

 声が震える。

 

「私を、守ってくれた……!」

 

 小さな手が、布団の端をぎゅっと握る。

 

「ずっと……ずっと、守ってくれて……!」

 

 そして、震える声で叫ぶ。

 

「『あの人』は、化け物だった……!」

 

「『あの人』……?」

 

 身を乗り出す。

 

「『あの人』って、誰だ? 行冥か? 鬼か?」

 

 激しく首を横に振る。

 

「違う!」

 

 涙と鼻水とで顔がぐしゃぐしゃだ。

 

「『あの人』は、『鬼』よ!!」

 

 その言葉には、混じりけのない恐怖がこもっている。

 

「行冥さんは、鬼から、私を守ってくれたの!!」

 

 胸の奥で、何かが弾ける。

 

(よし!)

 

 心の中で拳を握る。

 

(真の証言を引き出した!)

 

 沙代のこの言葉が、公の記録になれば、行冥の「子ども殺し」という濡れ衣は晴れるかもしれない。

 

(これなら……!)

 

 

「沙代ちゃん、ありがとう」

 

 俺は深く頭を下げる。

 

「この話を、必ず役人に伝える。行冥のためにも」

 

 役人に向き直ると、俺はできるだけ冷静な声で言う。

 

「今の証言、ちゃんと記録しろ。『鬼』という言葉を笑うな。子どもの証言は、一貫している。これは重要な供述だ」

 

 役人は複雑そうな顔をするが、とりあえず頷く。

 

(あとは、これを持って再び役所に殴り込みだ!)

 

 俺は部屋を飛び出す。

 

 

 

◇◇

 

 

 

 役所へ向かう途中、俺は奇妙な一団を見る。

 

 見慣れない服装の男たちだ。腰には刀。歩き方は静かで、音がほとんどしない。

 

(……なんだ、あいつら?)

 

 背筋に、ぞわりと悪寒が走る。

 

(服装が変だぞ……?)

 

 一般の役人や兵隊とは明らかに違う。

 

(まさか――)

 

 胸の鼓動が早くなる。

 

 男たちは、牢屋の方へと入っていく。

 

「……っ」

 

 俺は迷わず、その後を追う。

 

 牢の奥、さらに奥。普通の囚人とは隔離された、特別な一室。

 

 そこに、行冥がいる。

 

 座り込んでいる行冥の体は、見る影もないくらい痩せている。髪は乱れ、衣は血と泥で汚れている。両手には鎖がつけられている。

 

 その前に座っているのは、白い衣をまとった男だ。

 

 病に侵されたように青白い顔。だが、笑みは穏やかで、目は驚くほど優しい。

 

(産屋敷耀哉……)

 

 俺は思わず息を呑む。

 

(来たか……!)

 

 鬼殺隊の「お館様」この世界で、表には絶対に出てこない、影の支配者。

 

「……行冥」

 

 産屋敷は静かに語りかけている。

 

「君の無念、よくわかっている」

 

 声は柔らかいのに、言葉の一つ一つが行冥の胸に届いているのがわかる。

 

「君は、子どもたちを守るために戦ったんだね。そして、その『鬼』を、朝日まで殴り続けた」

 

「あ……あ……」

 

 行冥の喉が震える。盲目の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「私と共に来ないか、行冥」

 

 産屋敷の声は、揺るがない。

 

「その力を、人を守るために使ってほしい」

 

(間に合ったのか……)

 

 俺の胸に、安堵と焦りが同時に広がる。

 

(間に合わなかったのか……)

 

 もう産屋敷は、行冥を「鬼殺隊」に引き込む前提で話を進めている。つまり、「寺の事件」ルートはすでに確定している。沙代の証言で判決が変わろうが変わるまいが、行冥の道はほぼ決まってしまっている。

 

 物陰に隠れながら、俺は歯を食いしばる。

 

 そのとき。

 

 行冥の盲目の視線が、ふいにぴたりとこちらを向く。

 

「……そこにいるのは……」

 

 震える声が漏れる。

 

「定次郎か……!?」

 

(げっ)

 

(なんでわかるんだよ!!)

 

 産屋敷が穏やかに振り返る。

 

「おや」

 

 目が細くなる。

 

「君が、行冥がいつも話している『友』だね」

 

 観念して、俺は物陰から姿を現す。

 

「……初めまして」

 

 喉が渇いている。声が少し上ずる。

 

「松田定次郎です」

 

 行冥は、お館様に向き直る。

 

「お館様!」

 

「もし、私を連れて行ってくださるのなら――どうか、この男も!」

 

「はあ!?」

 

 思わず素で声が出る。

 

「おい、行冥! 俺は関係な――」

 

 行冥は俺の言葉を遮るように、産屋敷に向かって叫ぶ。

 

「この男、松田定次郎は!」

 

「私などよりも、遥かに『強い』男です!」

 

(はあああ!?)

 

 内心で盛大にコケる。

 

(俺が!?)

 

 この世界最強格の一人、お前よりも?

 

(目だけじゃなく頭もイカれたか!?)

 

 行冥はさらに続ける。

 

「彼は、私が知る限り、最も『折れない心』を持っています!」

 

 産屋敷の目が、じっと俺を見つめる。

 

「あれほどの『才能のなさ』に絶望しながらも――」

 

 行冥の声が熱を帯びる。

 

「血を吐いても、他人に笑われても、決して『努力』を諦めなかった!」

 

 言葉一つ一つが、俺の胸に刺さる。

 

「彼ほどの男が鬼殺隊にいれば、必ずや、我らの力となるはずです!」

 

 部屋の空気が、少しだけ変わる。

 

 産屋敷は、静かな目で俺を見ている。その視線は、不思議と重くない。でも、逃げ場を与えてくれない。

 

(…………クソが!!)

 

 

(俺みたいな才能ゼロの奴が! 入ってどうするんだよ!)

 

 筋肉はついている。知識もある。でも、OSはポンコツだ。鬼との戦いなんて、普通に考えたら死にに行くようなものだ。

 

(死ぬだろ!!)

 

 それでも――

 

(なのに……! なのに、この……!)

 

 目の前の「良いやつ」が。

 

(この『良いやつ』が!!)

 

 俺の内面だけを見ている。

 

 俺が唯一誇れる「努力」だけを、こんなにまっすぐに評価している。

 

(お前に、ここまで言われて……)

 

 頭をガシガシと掻きむしる。

 

(「東大受かったから、あとは官僚になるわ」なんて、言えるかよ!!)

 

 前世から数えて二度目の東大チャレンジ。たぶん、かなりの高確率で受かっている。いや、首席まである。官僚になれば、ぬくぬくと書類の海で生きていける道もあった。

 

 それを、今ここで自分から捨てるのか。

 

(あああああ、クソ親友がぁぁぁぁ!!!!)

 

 叫びたい気持ちを、なんとか飲み込む。

 

「……わかったよ!!」

 

 結局、口から出たのは、それだった。

 

「入ればいいんだろ、入れば!!」

 

 やけくそ気味の声だ。

 

「ただし、行冥!」

 

 彼を睨む。

 

「お前、俺より先に死んだら、化けて出てやるからな!!」

 

 行冥の顔に、この数週間で初めてだと思えるほど、心の底からの安堵の色が浮かぶ。泣き笑いの顔だ。涙があふれているのに、口元は笑っている。

 

「ああ……」

 

 行冥は震える声で言う。

 

「ありがとう、定次郎……!」

 

(東大首席(たぶん)の俺の人生設計が……)

 

 

(クソ親友のせいで、全部パーだ!!)

 

 だが同時に、胸の奥では、別の何かも灯っている。

 

 もう後戻りはしない。

 

 こうして俺は、東大と官僚コースを蹴り飛ばして、「鬼殺隊」というブラック企業に自ら入社することを決める。

 

 ……あとで絶対、労基に訴えてやるからな、この世界。

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