才能ゼロの俺、最弱の鬼(つま)と『同期』して最強へ至る ~呼吸が使えないので、思考加速(OS)と筋肉(ハード)の暴力で「柱」になりました~ 作:この俗物怪物くん
育手の家の道場は、今日も朝から空気が重い。畳の匂いと、木刀がぶつかり合う乾いた音が、安っぽい人生を選び直した俺の鼓膜を容赦なく叩いてくる。
目の前には、鬼殺隊の育手――いかつい顔に無駄な傷が多すぎる老人が、仁王立ちしている。名前? 知らない。名乗られた気もするが、あまりの覇気に記憶から吹き飛んでいる。
「いいか小僧ども! まずは素振りだ! 刀は己の魂! 振ればわかる!」
育手がガラガラ声で吠える。
その横で、行冥が静かに一歩進み出て、丁寧に頭を下げる。相変わらず、でかい。横に立つだけでプレッシャーがすごい。
「……はい。よろしくお願いします」
盲目のはずなのに、所作が美しすぎる。木刀を受け取る仕草一つ取っても、「あ、こいつ絶対強キャラだ」と誰でもわかるレベルだ。
そして俺の番が来る。
「おう。お前もだ」
「うす! やってや……」
俺は木刀を受け取り、内心でちょっとだけテンションが上がっている。
(ついに来たぞ、チャンバラタイム! 前世で培った時代劇知識と、小学生の頃のソフト剣ごっこの経験。ここで輝く時が――)
そんな淡い期待を胸に、教わったばかりの構えを真似して、木刀を振りかぶる。
その瞬間。
スッポォォォン!!!
やけに景気のいい音が道場に響き、俺の手から木刀が、綺麗な放物線を描いて飛んでいく。
「……あ」
時が止まる。
俺の視線は、くるくると回転しながら飛んでいく木刀を、スローモーションで追いかける。
そしてそれは――
ブスリ。
隣で静かに素振りを始めようとしていた行冥の、立派なお尻に見事に突き刺さる。
「……ぬぅっ!」
行冥の巨体がビクンと跳ねる。
道場の空気が、また一段階、重くなる。
「ぎょ、行冥!? す、すまん! わざとじゃ――」
「なっ……!?」
育手の目が、これでもかというくらい見開かれる。皺だらけの顔が、さらにぐちゃぐちゃになる。
尻に木刀を刺したまま、行冥がゆっくりと振り返る。その盲目の瞳からは、滝のように涙が流れている。
(あ、これ絶対怒ってるやつだ……)
俺が青ざめて固まっていると、行冥は尻を片手で押さえながら、なぜか震える声を上げる。
「……ああ……! 定次郎! 大丈夫だ! この程度の痛み……!」
「いや、大丈夫じゃないだろ。普通に刺さってるだろ」
「それよりも、君の『情熱』が、その木刀を通して、私の尻に……いや、魂に、確かに伝わってきている……! 南無阿弥陀仏!!」
「伝わんなくていいよ!! なんで泣いて喜んでるんだよ! 怖いよお前!!」
俺が全力でツッコむ横で、育手が頭を抱える。
「……わしは何十年も育手をやってきているが……初めて刀を持った日にすっぽ抜かして、同期の尻に突き立てた奴は、お前が初めてだ……」
「そんなレア記録、いらない……!」
鬼殺隊デビュー初日から、「才能(ゼロ)の洗礼」は、これでもかというほど鮮烈だ。
◇
それから数週間。
俺と行冥は、育手の家の裏山で、地獄のような訓練を続けている。
「いいか! 考えるな! 感じろ! 鬼は待ってくれんぞ! 走れえええ!!」
育手の号令が山中に響き、俺たちは一斉に駆け出す。
罠だらけの山道を、行冥は信じられない滑らかさで駆け下りていく。盲目のはずなのに、風の音、土の匂い、枝の揺れ……そういったものを全部まとめて「情報」に変換しているらしい。
「定次郎! 右だ! 三歩先に、落とし穴の匂いがする!」
「わかった! 避ける! 避けるんだ俺の体!」
俺は、全力で右に曲がろうとする。
――はずだが。
「……あれ? そっちじゃねえええ!!」
体はなぜか、思い切り左に曲がる。
俺の脳内では、右に避けるシミュレーションが完璧にできているのに、実際の足は、真逆の方向にスライディングしている。
結果。
「ぐわあああああ!!」
罠とはまったく無関係の、ただの茂みへと、俺は華麗なダイブを決める。枝と葉っぱと泥が、遠慮なく顔面を殴ってくる。
山の麓から、育手の絶叫が飛んでくる。
「どこへ行くんだあああああ!! 罠はそっちじゃなあああい!!」
(知ってるよ!! 俺だって避けたいんだよ罠は!!)
心の中で全力で叫びつつ、俺は泥だらけの顔を上げる。
(なんでだ……なんで俺の体は、思った通りに動かないんだ……)
筋肉そのものは、行冥と一緒に重量挙げをしているおかげで、それなりについてきているはずだ。
岩を持ち上げる訓練だって、最初は持ち上がらなかった行冥サイズの岩を、今はなんとか胸まで持ち上げられるところまで来ている。
「ふんっ……ふんっ……」
行冥が、巨大な岩を担いでスクワットしている姿は、もはや人間というより山だ。
「ぐっ……ぬうううう……上がれぇ!」
俺も、その横で同じサイズの岩を持ち上げようと踏ん張る。
筋肉は悲鳴を上げるが、確かに力は出ている。何度か呼吸を整え、ついに――
「うおおおおおお!!」
岩が、地面から離れる。
その瞬間。
「おわっ!?」
体幹が仕事を放棄する。
バランスがとれず、岩ごと横にすっ転ぶ。
「ぐべはっ!!」
視界がぐるりと回り、俺と岩は見事にセットで転がっていく。
(ハードウェアは、前より明らかに強化されている……なのに、OSがバグりすぎだろ俺の神経系!!)
◇
その夜。
育手の家の囲炉裏を囲み、俺は頭に湿布を貼りながら、渋いお茶をすする。
向かいに座る育手が、深い深いため息をついている。
「……定次郎。わしはここまで『剣の才能』がない人間を、初めて見ている」
「慰めになってないですけど……」
「むしろ才能だ。逆に」
「だからその『逆に』がいらねえんだよ!!」
俺が叫ぶと、横で行冥が、やっぱり泣いている。今日も涙腺がどこか行方不明だ。
「ああ、定次郎……。今日も、君の『諦めない心』は、太陽のように輝いていた……。何度転んでも、罠に落ちても、岩に潰されても、君は立ち上がる……」
「褒め方がだんだんホラーなんだよ、お前!!」
「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
感極まって念仏を唱え始める行冥の横で、育手が渋い顔をする。
「……まあしかし、心だけは一級品だな。体がついて来ていないだけで」
「わかってるよ!! だから余計にキツいんだよ!!」
俺は、ぐしゃぐしゃの髪をガシガシとかきむしる。
(ああもう……なんで俺の転生特典、【神経伝達速度マイナス50%】なんて変なデバフなんだよ……)
◇
そして次のステージは、「全集中の呼吸」だ。
滝壺の前。水しぶきが白い煙みたいに舞い上がり、冷たい風が肌を刺している。
「いいか! 全集中の呼吸! 血中に酸素を取り込み、身体能力を爆発させる! 肺を広げろ! 心臓の鼓動を支配しろ!」
育手が滝の音にも負けない声で叫ぶ。
行冥は、静かに目を閉じる(閉じているのかどうかは不明だが、とにかくそんな雰囲気だ)と、ゆっくりと息を吸い込み――
「……スウウウウ……」
その巨体から発するオーラが、目に見えて変わる。空気がびりびりと震えているように感じる。
(やっぱりチートだこいつ……)
俺も負けていられない。
前世で身につけたヨガと瞑想の知識を総動員し、肺の中の空気を丁寧に入れ替えるイメージで呼吸を整える。
「……スウウウウ……ハアアアアア!!」
何度も何度も繰り返すうちに、体の中の血が、ぐるぐると高速で巡り始める感覚が出てくる。
指先まで熱くなり、視界が妙にクリアになる。
「おお……! これが……これが、俺TUEEEの始まり……!」
勢いに任せて、目の前の岩に拳を叩き込む。
「うおおおおお!!」
――ペチッ。
乾いた、小さすぎる音が、なんとも言えない虚しさと共に周囲に響く。
「……………………は?」
拳は、確かに岩に当たっている。だが、力が全部どこかへ逃げている。
ただ「触っただけ」みたいな、情けない衝撃しか返ってこない。
「も、もう一回だ!」
気合を入れ直して、もう一度。
「うおおおおおおお!!」
――ペチッ。
「なんでだあああああ!!」
俺が叫ぶと、後ろからそっと、行冥の大きな手が背中に触れる。
「……いや、定次郎。できている。お前の体の中では、血が沸騰するように巡り、筋肉も爆発寸前まで高まっている……。私には、その『音』が聞こえている」
「じゃあなんで、出ないんだよその力が!! どこ行ってるんだよ、俺の身体能力!!」
「……おそらく……その高まった身体能力を、定次郎の『才能のなさ』――つまり、OSのバグが、発揮できていないのだと思う……」
「なんだその体は!! 設計段階で不良品じゃねえか!! 転生ガチャ、返品させろ!!」
叫びながらも、俺はなんとなくわかってしまっている。
筋肉は頑張っている。呼吸もできている。なのに、その二つを「うまく連携させる」回路が、根本からポンコツだ。
(走れない。罠も避けられない。呼吸も、実質使えない。刀も振れない。スッポ抜ける)
冷静にリストアップすると、我ながら絶望的だ。
(……だが)
胸の奥で、別の声が響く。
あの日、牢屋の中で、ボロボロになりながら、俺の名前を呼んだクソ親友(とも)の声だ。
『彼は、私が知る限り、最も折れない心を持っています!』
(俺は、「諦めない」と言ったんだよな……)
東大首席ルートを捨ててまで、鬼殺隊なんぞに入ってしまったのは、ほかでもない。あの馬鹿正直な涙目の坊さんに、「ああ、ありがとう」と言わせてしまっているからだ。
(だったら――)
◇
数日後。
道場に一人きりで残った俺は、木刀を帯に差し、じっと目を閉じている。
さっきまでの喧噪が嘘のように、静かな空間だ。風の音と、遠くの鳥の声だけが聞こえる。
(俺は、走れない。複雑な動きは無理だ。なら、削るしかない)
心の中で、ゆっくりと言葉を並べる。
(まず、持つ。鞘から抜く。斬る。そして、鞘に戻す)
それだけだ。
余計なステップは、全部排除する。
(そうだ……居合だ。動作は一つ。いや、連続した一連の流れだけど、考えることは極力減らせる)
俺は、震える指で柄を握る。
柄が汗で滑らないよう、握りの角度をミリ単位で調整する。
次に、体がブレないよう、足の位置を確認する。右足、半歩前。左足、畳一枚分後ろ。
(ここだ。ここで固定する)
息を吸い、肺を満たす。
ゆっくりと、鞘から抜く。
木刀の先端が、空気を切り裂く感覚を確かめながら、慎重に前へ。
刃筋が狂わないように、腕の角度を少しずつ微調整する。
(急ぐな。速さはあとでいい。まずは「正しく」だ)
そして、振り下ろす。
空気を裂く音が、さっきより少しだけ鋭くなる。
最後に、鞘――の代わりに、帯の隙間を探る。
ここを間違えると、自分の足を斬る未来が見えるので、超慎重に、そろそろと差し込む。
「……ふう」
一本終わる。
時間、三十五秒。
(何? 遅すぎる? うるせえ。これ以上速くすると、刀がすっぽ抜けるか、自分の足を斬るんだよ)
俺が汗を拭っていると、道場の入り口から育手の声が飛んでくる。
「……定次郎。お前、まだそんなことをしているのか」
振り向くと、育手が腕を組んで立っている。眉間の皺は、いつもの三割増しだ。
「もう辞めてもいいんだぞ。お前の『東大』とやら、受かっているんだろう? 官僚とやらになる道も、まだ――」
「――辞めるかよ」
思わず、声が荒くなる。
自分でも驚くくらい、はっきりと言い切っている。
「俺が諦めるわけねえだろうが」
木刀の柄を握り直し、ぐっと腰を落とす。
「これでいいんだよ。俺はこれしかできない。でも、これならできる。持つ、抜く、斬る、戻す。それだけを、馬鹿みたいに繰り返す」
喉がカラカラになるのも構わず、言葉が次から次へと溢れてくる。
「いつか俺は、この『居合(35秒)』で、『神速の定次郎』って呼ばれるまで、やってやるんだよ!!」
育手が、ふん、と鼻を鳴らす。
「……何十年かかかりそうだがな」
「うるせええええええええ!!」
俺の怒鳴り声が、道場に響き渡る。
でも、その奥底には、不思議と少しだけ、ワクワクする感情が混ざっている。
(どうせ俺には、派手な技なんてできない。だったら、たった一つの動作だけを、バカみたいに磨く。それなら……さすがに、いつかは届くはずだ)
◇
それからの数ヶ月。
俺の日々は、「居合」の動作で埋め尽くされる。
朝起きて、飯を食い、居合。
昼に罠だらけの山を転がり落ちながら駆け下り、夜にまた居合。
眠い目をこすりながら、寝る前にも一本だけ居合。
木刀を抜くたびに、指先の皮がめくれ、掌に豆ができる。
足の裏は、畳と擦れすぎて真っ赤になる。
横では、行冥がいつものように、滝のような涙を流し続けている。
「ああ……定次郎……。君は今日も尊い……。その一つの動作に、君の魂のすべてが込められている……。南無……」
「お前は今日も泣きすぎだ!! 湖を作るつもりか!!」
それでも、行冥のその反応が、少しだけ嬉しい。
誰かが見てくれている、という事実は、想像以上に心を支えてくれる。
(よし、もう一本)
息を吸い、精神を一点に集中させる。
柄を握り、抜き、斬り、戻す。
最初の頃より、明らかに体のブレは少なくなっている。
刃筋も、ほとんど狂わない。
そして――三ヶ月が経つ。
「……ふっ!」
抜刀から納刀までの一連の流れが、これまでで一番スムーズにつながる。
木刀が空気を裂く音が、ほんの少しだけ鋭くなる。
俺は、胸の中で小さくカウントする。
(一、二、三……三十四)
「……よし」
納刀を終え、静かに息を吐く。
時間、三十四秒。
(たった一秒。されど一秒だ)
三ヶ月かけて縮んだのは、たった一秒。
効率で考えたら、頭を抱えて転職サイトを開きたくなる数字だ。
それでも――
(これが、俺のやり方だ)
手のひらの豆を見つめて、ふっと笑う。
(見てろよ、行冥。お前が『最強』なら、俺は――いつか、『最速』になってやる)
もちろん、「予定」だ。
「予定は未定」とかいう言葉も、この世界にきっとある。
それでも。
木刀を握る指先は、もう、最初の頃ほど震えていない。
俺はもう一度、ゆっくりと構えを取る。
「――さあ、今日も三十五秒からやり直しだ」
そう呟き、俺はまた、居合の軌跡を描き始める。