才能ゼロの俺、最弱の鬼(つま)と『同期』して最強へ至る ~呼吸が使えないので、思考加速(OS)と筋肉(ハード)の暴力で「柱」になりました~   作:この俗物怪物くん

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神速(35秒)の定次郎

 育手の家の道場は、今日も朝から空気が重い。畳の匂いと、木刀がぶつかり合う乾いた音が、安っぽい人生を選び直した俺の鼓膜を容赦なく叩いてくる。

 

 目の前には、鬼殺隊の育手――いかつい顔に無駄な傷が多すぎる老人が、仁王立ちしている。名前? 知らない。名乗られた気もするが、あまりの覇気に記憶から吹き飛んでいる。

 

「いいか小僧ども! まずは素振りだ! 刀は己の魂! 振ればわかる!」

 

 育手がガラガラ声で吠える。

 その横で、行冥が静かに一歩進み出て、丁寧に頭を下げる。相変わらず、でかい。横に立つだけでプレッシャーがすごい。

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 盲目のはずなのに、所作が美しすぎる。木刀を受け取る仕草一つ取っても、「あ、こいつ絶対強キャラだ」と誰でもわかるレベルだ。

 

 そして俺の番が来る。

 

「おう。お前もだ」

 

「うす! やってや……」

 

 俺は木刀を受け取り、内心でちょっとだけテンションが上がっている。

(ついに来たぞ、チャンバラタイム! 前世で培った時代劇知識と、小学生の頃のソフト剣ごっこの経験。ここで輝く時が――)

 

 そんな淡い期待を胸に、教わったばかりの構えを真似して、木刀を振りかぶる。

 

 その瞬間。

 

 スッポォォォン!!!

 

 やけに景気のいい音が道場に響き、俺の手から木刀が、綺麗な放物線を描いて飛んでいく。

 

「……あ」

 

 時が止まる。

 俺の視線は、くるくると回転しながら飛んでいく木刀を、スローモーションで追いかける。

 

 そしてそれは――

 

 ブスリ。

 

 隣で静かに素振りを始めようとしていた行冥の、立派なお尻に見事に突き刺さる。

 

「……ぬぅっ!」

 

 行冥の巨体がビクンと跳ねる。

 道場の空気が、また一段階、重くなる。

 

「ぎょ、行冥!? す、すまん! わざとじゃ――」

 

「なっ……!?」

 

 育手の目が、これでもかというくらい見開かれる。皺だらけの顔が、さらにぐちゃぐちゃになる。

 

 尻に木刀を刺したまま、行冥がゆっくりと振り返る。その盲目の瞳からは、滝のように涙が流れている。

 

(あ、これ絶対怒ってるやつだ……)

 

 俺が青ざめて固まっていると、行冥は尻を片手で押さえながら、なぜか震える声を上げる。

 

「……ああ……! 定次郎! 大丈夫だ! この程度の痛み……!」

 

「いや、大丈夫じゃないだろ。普通に刺さってるだろ」

 

「それよりも、君の『情熱』が、その木刀を通して、私の尻に……いや、魂に、確かに伝わってきている……! 南無阿弥陀仏!!」

 

「伝わんなくていいよ!! なんで泣いて喜んでるんだよ! 怖いよお前!!」

 

 俺が全力でツッコむ横で、育手が頭を抱える。

 

「……わしは何十年も育手をやってきているが……初めて刀を持った日にすっぽ抜かして、同期の尻に突き立てた奴は、お前が初めてだ……」

 

「そんなレア記録、いらない……!」

 

 鬼殺隊デビュー初日から、「才能(ゼロ)の洗礼」は、これでもかというほど鮮烈だ。

 

 

 それから数週間。

 俺と行冥は、育手の家の裏山で、地獄のような訓練を続けている。

 

「いいか! 考えるな! 感じろ! 鬼は待ってくれんぞ! 走れえええ!!」

 

 育手の号令が山中に響き、俺たちは一斉に駆け出す。

 

 罠だらけの山道を、行冥は信じられない滑らかさで駆け下りていく。盲目のはずなのに、風の音、土の匂い、枝の揺れ……そういったものを全部まとめて「情報」に変換しているらしい。

 

「定次郎! 右だ! 三歩先に、落とし穴の匂いがする!」

 

「わかった! 避ける! 避けるんだ俺の体!」

 

 俺は、全力で右に曲がろうとする。

 

 ――はずだが。

 

「……あれ? そっちじゃねえええ!!」

 

 体はなぜか、思い切り左に曲がる。

 俺の脳内では、右に避けるシミュレーションが完璧にできているのに、実際の足は、真逆の方向にスライディングしている。

 

 結果。

 

「ぐわあああああ!!」

 

 罠とはまったく無関係の、ただの茂みへと、俺は華麗なダイブを決める。枝と葉っぱと泥が、遠慮なく顔面を殴ってくる。

 

 山の麓から、育手の絶叫が飛んでくる。

 

「どこへ行くんだあああああ!! 罠はそっちじゃなあああい!!」

 

(知ってるよ!! 俺だって避けたいんだよ罠は!!)

 

 心の中で全力で叫びつつ、俺は泥だらけの顔を上げる。

 

(なんでだ……なんで俺の体は、思った通りに動かないんだ……)

 

 筋肉そのものは、行冥と一緒に重量挙げをしているおかげで、それなりについてきているはずだ。

 岩を持ち上げる訓練だって、最初は持ち上がらなかった行冥サイズの岩を、今はなんとか胸まで持ち上げられるところまで来ている。

 

「ふんっ……ふんっ……」

 

 行冥が、巨大な岩を担いでスクワットしている姿は、もはや人間というより山だ。

 

「ぐっ……ぬうううう……上がれぇ!」

 

 俺も、その横で同じサイズの岩を持ち上げようと踏ん張る。

 筋肉は悲鳴を上げるが、確かに力は出ている。何度か呼吸を整え、ついに――

 

「うおおおおおお!!」

 

 岩が、地面から離れる。

 その瞬間。

 

「おわっ!?」

 

 体幹が仕事を放棄する。

 バランスがとれず、岩ごと横にすっ転ぶ。

 

「ぐべはっ!!」

 

 視界がぐるりと回り、俺と岩は見事にセットで転がっていく。

 

(ハードウェアは、前より明らかに強化されている……なのに、OSがバグりすぎだろ俺の神経系!!)

 

 

 その夜。

 育手の家の囲炉裏を囲み、俺は頭に湿布を貼りながら、渋いお茶をすする。

 向かいに座る育手が、深い深いため息をついている。

 

「……定次郎。わしはここまで『剣の才能』がない人間を、初めて見ている」

 

「慰めになってないですけど……」

 

「むしろ才能だ。逆に」

 

「だからその『逆に』がいらねえんだよ!!」

 

 俺が叫ぶと、横で行冥が、やっぱり泣いている。今日も涙腺がどこか行方不明だ。

 

「ああ、定次郎……。今日も、君の『諦めない心』は、太陽のように輝いていた……。何度転んでも、罠に落ちても、岩に潰されても、君は立ち上がる……」

 

「褒め方がだんだんホラーなんだよ、お前!!」

 

「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」

 

 感極まって念仏を唱え始める行冥の横で、育手が渋い顔をする。

 

「……まあしかし、心だけは一級品だな。体がついて来ていないだけで」

 

「わかってるよ!! だから余計にキツいんだよ!!」

 

 俺は、ぐしゃぐしゃの髪をガシガシとかきむしる。

 

(ああもう……なんで俺の転生特典、【神経伝達速度マイナス50%】なんて変なデバフなんだよ……)

 

 

 そして次のステージは、「全集中の呼吸」だ。

 

 滝壺の前。水しぶきが白い煙みたいに舞い上がり、冷たい風が肌を刺している。

 

「いいか! 全集中の呼吸! 血中に酸素を取り込み、身体能力を爆発させる! 肺を広げろ! 心臓の鼓動を支配しろ!」

 

 育手が滝の音にも負けない声で叫ぶ。

 

 行冥は、静かに目を閉じる(閉じているのかどうかは不明だが、とにかくそんな雰囲気だ)と、ゆっくりと息を吸い込み――

 

「……スウウウウ……」

 

 その巨体から発するオーラが、目に見えて変わる。空気がびりびりと震えているように感じる。

 

(やっぱりチートだこいつ……)

 

 俺も負けていられない。

 前世で身につけたヨガと瞑想の知識を総動員し、肺の中の空気を丁寧に入れ替えるイメージで呼吸を整える。

 

「……スウウウウ……ハアアアアア!!」

 

 何度も何度も繰り返すうちに、体の中の血が、ぐるぐると高速で巡り始める感覚が出てくる。

 指先まで熱くなり、視界が妙にクリアになる。

 

「おお……! これが……これが、俺TUEEEの始まり……!」

 

 勢いに任せて、目の前の岩に拳を叩き込む。

 

「うおおおおお!!」

 

 ――ペチッ。

 

 乾いた、小さすぎる音が、なんとも言えない虚しさと共に周囲に響く。

 

「……………………は?」

 

 拳は、確かに岩に当たっている。だが、力が全部どこかへ逃げている。

 ただ「触っただけ」みたいな、情けない衝撃しか返ってこない。

 

「も、もう一回だ!」

 

 気合を入れ直して、もう一度。

 

「うおおおおおおお!!」

 

 ――ペチッ。

 

「なんでだあああああ!!」

 

 俺が叫ぶと、後ろからそっと、行冥の大きな手が背中に触れる。

 

「……いや、定次郎。できている。お前の体の中では、血が沸騰するように巡り、筋肉も爆発寸前まで高まっている……。私には、その『音』が聞こえている」

 

「じゃあなんで、出ないんだよその力が!! どこ行ってるんだよ、俺の身体能力!!」

 

「……おそらく……その高まった身体能力を、定次郎の『才能のなさ』――つまり、OSのバグが、発揮できていないのだと思う……」

 

「なんだその体は!! 設計段階で不良品じゃねえか!! 転生ガチャ、返品させろ!!」

 

 叫びながらも、俺はなんとなくわかってしまっている。

 筋肉は頑張っている。呼吸もできている。なのに、その二つを「うまく連携させる」回路が、根本からポンコツだ。

 

(走れない。罠も避けられない。呼吸も、実質使えない。刀も振れない。スッポ抜ける)

 

 冷静にリストアップすると、我ながら絶望的だ。

 

(……だが)

 

 胸の奥で、別の声が響く。

 あの日、牢屋の中で、ボロボロになりながら、俺の名前を呼んだクソ親友(とも)の声だ。

 

『彼は、私が知る限り、最も折れない心を持っています!』

 

(俺は、「諦めない」と言ったんだよな……)

 

 東大首席ルートを捨ててまで、鬼殺隊なんぞに入ってしまったのは、ほかでもない。あの馬鹿正直な涙目の坊さんに、「ああ、ありがとう」と言わせてしまっているからだ。

 

(だったら――)

 

 

 数日後。

 道場に一人きりで残った俺は、木刀を帯に差し、じっと目を閉じている。

 

 さっきまでの喧噪が嘘のように、静かな空間だ。風の音と、遠くの鳥の声だけが聞こえる。

 

(俺は、走れない。複雑な動きは無理だ。なら、削るしかない)

 

 心の中で、ゆっくりと言葉を並べる。

 

(まず、持つ。鞘から抜く。斬る。そして、鞘に戻す)

 

 それだけだ。

 余計なステップは、全部排除する。

 

(そうだ……居合だ。動作は一つ。いや、連続した一連の流れだけど、考えることは極力減らせる)

 

 俺は、震える指で柄を握る。

 柄が汗で滑らないよう、握りの角度をミリ単位で調整する。

 

 次に、体がブレないよう、足の位置を確認する。右足、半歩前。左足、畳一枚分後ろ。

 

(ここだ。ここで固定する)

 

 息を吸い、肺を満たす。

 ゆっくりと、鞘から抜く。

 

 木刀の先端が、空気を切り裂く感覚を確かめながら、慎重に前へ。

 刃筋が狂わないように、腕の角度を少しずつ微調整する。

 

(急ぐな。速さはあとでいい。まずは「正しく」だ)

 

 そして、振り下ろす。

 空気を裂く音が、さっきより少しだけ鋭くなる。

 

 最後に、鞘――の代わりに、帯の隙間を探る。

 ここを間違えると、自分の足を斬る未来が見えるので、超慎重に、そろそろと差し込む。

 

「……ふう」

 

 一本終わる。

 時間、三十五秒。

 

(何? 遅すぎる? うるせえ。これ以上速くすると、刀がすっぽ抜けるか、自分の足を斬るんだよ)

 

 俺が汗を拭っていると、道場の入り口から育手の声が飛んでくる。

 

「……定次郎。お前、まだそんなことをしているのか」

 

 振り向くと、育手が腕を組んで立っている。眉間の皺は、いつもの三割増しだ。

 

「もう辞めてもいいんだぞ。お前の『東大』とやら、受かっているんだろう? 官僚とやらになる道も、まだ――」

 

「――辞めるかよ」

 

 思わず、声が荒くなる。

 自分でも驚くくらい、はっきりと言い切っている。

 

「俺が諦めるわけねえだろうが」

 

 木刀の柄を握り直し、ぐっと腰を落とす。

 

「これでいいんだよ。俺はこれしかできない。でも、これならできる。持つ、抜く、斬る、戻す。それだけを、馬鹿みたいに繰り返す」

 

 喉がカラカラになるのも構わず、言葉が次から次へと溢れてくる。

 

「いつか俺は、この『居合(35秒)』で、『神速の定次郎』って呼ばれるまで、やってやるんだよ!!」

 

 育手が、ふん、と鼻を鳴らす。

 

「……何十年かかかりそうだがな」

 

「うるせええええええええ!!」

 

 俺の怒鳴り声が、道場に響き渡る。

 でも、その奥底には、不思議と少しだけ、ワクワクする感情が混ざっている。

 

(どうせ俺には、派手な技なんてできない。だったら、たった一つの動作だけを、バカみたいに磨く。それなら……さすがに、いつかは届くはずだ)

 

 

 それからの数ヶ月。

 俺の日々は、「居合」の動作で埋め尽くされる。

 

 朝起きて、飯を食い、居合。

 昼に罠だらけの山を転がり落ちながら駆け下り、夜にまた居合。

 眠い目をこすりながら、寝る前にも一本だけ居合。

 

 木刀を抜くたびに、指先の皮がめくれ、掌に豆ができる。

 足の裏は、畳と擦れすぎて真っ赤になる。

 

 横では、行冥がいつものように、滝のような涙を流し続けている。

 

「ああ……定次郎……。君は今日も尊い……。その一つの動作に、君の魂のすべてが込められている……。南無……」

 

「お前は今日も泣きすぎだ!! 湖を作るつもりか!!」

 

 それでも、行冥のその反応が、少しだけ嬉しい。

 誰かが見てくれている、という事実は、想像以上に心を支えてくれる。

 

(よし、もう一本)

 

 息を吸い、精神を一点に集中させる。

 柄を握り、抜き、斬り、戻す。

 

 最初の頃より、明らかに体のブレは少なくなっている。

 刃筋も、ほとんど狂わない。

 

 そして――三ヶ月が経つ。

 

「……ふっ!」

 

 抜刀から納刀までの一連の流れが、これまでで一番スムーズにつながる。

 木刀が空気を裂く音が、ほんの少しだけ鋭くなる。

 

 俺は、胸の中で小さくカウントする。

 

(一、二、三……三十四)

 

「……よし」

 

 納刀を終え、静かに息を吐く。

 時間、三十四秒。

 

(たった一秒。されど一秒だ)

 

 三ヶ月かけて縮んだのは、たった一秒。

 効率で考えたら、頭を抱えて転職サイトを開きたくなる数字だ。

 

 それでも――

 

(これが、俺のやり方だ)

 

 手のひらの豆を見つめて、ふっと笑う。

 

(見てろよ、行冥。お前が『最強』なら、俺は――いつか、『最速』になってやる)

 

 もちろん、「予定」だ。

 「予定は未定」とかいう言葉も、この世界にきっとある。

 

 それでも。

 

 木刀を握る指先は、もう、最初の頃ほど震えていない。

 俺はもう一度、ゆっくりと構えを取る。

 

「――さあ、今日も三十五秒からやり直しだ」

 

 そう呟き、俺はまた、居合の軌跡を描き始める。

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