愚痴と祈りの道を行く。   作:アロンの杖

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 一体、どうすりゃ良いんだよ。

 何をしろって言うんだよ。

 何をやっても皆に無視されてばかりだよ、読者の人に気を使え?使ってるよ、大切にしろ?大切にしてるよ、だって大多数の小説の中からわざわざ自分の作品を見つけてくれた人なんだもの、読みに来てくれた人なんだもの。

 大事にしない訳がない、感謝しない訳がない。

 だけど一体、なんなんだよ、読みにさえ来てくれないのはどうしてなんだよ。

 こっちは一生懸命に書いてるんだよ(本当に死ぬ気で、精神や命を削ってな)、それなのにどうして無視するんだよ。

 読んだ上で“つまらねー”とか“全然ダメ”とか言うんだったらまだ解る、読みもしないで一体、何が解るってゆーんだよ!!!

 なんで無視するんだよ、なんで読んでくれないんだよ。

 “面白くない”、“つまらない”、“展開が読めて全然ダメ”。

 それならそれで良いじゃないか、読んだ上で判断してくれてるんだから。

 読みもしないってどう言う事なんだよ、こっちに一体、どうしろってゆーんだよ!!!

 辛すぎるんだよ、悲しすぎるんだよ、暇すぎるんだよ、つまらなすぎるんだよ。

 自分で時間を潰す事なら色々やったよ、それで小説も一生懸命に書いた。

 “今度こそ今度こそ”って思ってな、萎えそうになる自分自身を叱咤して尻を叩いて、必死になって書いてるんだよ!!!

 それなのに一体、どうしてなんだよ。

 なんで誰も解ってくれない?なんでちっとも報われないんだよ、読んですらくれないってどう言う事なんだよ!!!

 こんなバカな事ってあるのかよ!!!

 そんなにダメダメなのか、つまらないのか、惹かれないのか。

 じゃあ一体、どうすりゃ良いんだよ。

 誰か答えを教えてくれよ!!!

            名も無き者の叫び。


“祈る”と言う事を学んだ話。

 時期はボカさせていただくが、何とか大学を卒業して暫く経った時の事である。

 

 この時期、私達一家はある種の“霊障”に悩まされており(例えば私の場合は頭の中に変な考えがなんの脈絡も無く浮かんでは消えて行く、とか身体が異常に重くて気怠くなったり、だとか←母の場合はもっと直接的に夜中に家の中を何かが“ピチャピチャ”と這いずり回る音を聞いたりしていたそうだ)、その解決方法を当時お世話になっていた“霊能力者”の方へと頼る事となった、すると。

 

 その霊能力者曰く“本来ならば生まれて来られる筈だった、息子さんの兄弟姉妹の魂達が“水子霊”となって祟っている、これを鎮めなくてはならない”との事であり、“出来ればご両親、それもお母さんに至急、供養してもらった方が良いのだが・・・”との言葉であったモノの父は元々“幽霊なんか信じない”と言っていた人間であり、対する母もその時は精神的に参ってしまっていた為に、急遽私が代理で行う羽目となったのである。

 

 やり方を教えてもらってからと言うもの、私は懸命に祈りを捧げ続けた、その当時の私は介護職に就いていたのだがどんなに仕事が大変で疲れていても決して欠かさず、休むことなく“貴方達を忘れてしまって申し訳ない、(ないがし)ろにしてしまって申し訳ない”、“もし生まれ変われたなら来世でのあなた方の、今後ますますの霊的進化と御開運をお祈りいたします”とそう言って、出来る限りの真心を尽くして真剣に彼等に向き合い、語り掛け続けたのである。

 

 それを最初の2、3ヶ月近くは毎日二時間ずつ続け、仕事に行く前や仕事帰りに必死になって祈り続けた、そんなある日の事。

 

 いつもと同じように水子霊達に意識を向けて祈り始めた私の胸の中に、突如として“もういいよ?”、“もう解った”と言う“感覚的メッセージ”が届いたのである。

 

 それを霊能力者の方に相談した所、“今度は1時間ずつ祈りなさい”と言われた為にその通りにしていると、今度は1ヶ月程度が経った時にまた“もういいよ?”と言うメッセージが届き、それを霊能力者に相談した所、“今度は30分ずつやりなさい”と言われた。

 

 私はすっかりその気になって祈り続けていった←勿論、最初の内は“自分が助かりたい”と言う気持ちはあったが祈りを捧げている最中はそれを脇に追いやり、本当に真剣に相手と向き合い、水子霊達に祈りを捧げ続けていったのだ。

 

 そうして今度は2週間が経過した頃、また胸の内に“もういいよ?”と言う感覚がやって来た(他の方はどうだか解らないが、私の場合は“霊的存在”のメッセージはまず胸に“感覚的想念”としてやって来て、それを後から頭でしっくりくる言葉に直す、と言う手法を取るのだ)。

 

 これを再び霊能力者に相談した所、“今度は15分ずつやりなさい”と言われた為にその通りにしているとー。

 

 それから1週間が過ぎたある日、祈りを捧げようとしていた私の元へまた“もういいよ?”と言うメッセージが届いたのである。

 

 私はそれを霊能力者の方に伝えて水子霊の様子を見てもらった所、“兄弟達はみんな成仏出来たようだ”、“君は許されたんだよ?”と言われ、そしてその日を境にして霊障もピタリと止んだのだがこの体験は他ならぬ私自身にとても大切な気付きをもたらした。

 

 それは“謝る”と言うことについてだったが“絶対に許さない”と、“一番苦しかった時期に、一番気付いて欲しかった時期に、一番謝って欲しかった時期に何の謝罪も反省もしなかったお前を、一番我等を苦しめ続けたお前の事を何があっても許しはしない”とそう言ってどこまでも此方を蔑み憎んで攻撃し続けてくる相手に対し、許してもらえるように、許してもらえるまで謝り続けること。

 

 それがどうやら“謝る”と言う事なのだと直感的に理解したのだ。

 

 そしてそれは=で“誠意を尽くす”と言う事なのだと悟ったのだがこれに先立つ事数年ほど前に、私は別の女性予言者からある教えを受けていた。

 

 彼女曰く「“努力した”とは目標として掲げていた物事が達成された時に、初めてそう言えるのだ」との事だったのだが、その時は何の事だか解らなかった私にもしかし、ようやくにしてその言葉の意味が理解できる日がやって来たのである。

 

 誠意を尽くせば必ず思いは伝わり願いは叶う、そしてそれこそが“努力した”と言う事であり、そして更に言うならばそれは=で“祈る”と言う事なのだと、未熟者ながらに私は体感したのであり、大切な経験として己の中へと修めたのであったがしかし、ではそれは一体、何故なのか、と言う問いに対する“答え”を、この時の私はまだ見出す事が出来ずにいたのであるモノの元々、“祈り”とはそれ自体が極めて純化された思念エネルギーの結晶体、その発現そのものに他ならないモノなのである。

 

 ありとあらゆる障害にも負けず、様々な誘惑にも決して惑わされる事も無く、ただただただただ、どこまでもどこまでもひたすらなまでにその事だけを追求して行った結果として、それを貫き通して行った結果として最後の最後で現れる、余計なモノを全て刮ぎ落とした純粋なる思念エネルギーの塊であり、“真心の顕現”それそのものに他ならないモノなのである。

 

 それは全てを超越しては必ずや相手の心の奥底にまで、それも直接的なまでに轟き響くモノなのであり、その結果として思いは通じて願いは叶うモノなのだ、と言うことを、私はまだ理解できずにいたのである。

 

 ではどうして“祈りの思念エネルギー”が全てを超越して対象の本質に徹底的に作用するのか、と言えばそれはこの純粋法力は、かつて宇宙全体を創世した“始源の超神”の放つ“愛の光り輝き”と全く同質のモノだからである。

 

 私達のような“真っ当な霊なる者達”と言うのは誰もがこの“始源の超神”の“分身体”、即ち“分御霊”を魂の奥深くに秘め宿している訳であり、それは本当に純粋なる領域に立ち返った瞬間にのみ顕現させる事が出来るのだが、この力は“絶対的意志力に支えられている無限エネルギー”とでも言う事が出来る代物であって、要するに“始源の超神”の放つ特大級の“深域精神感応波”なのである(私達人間の言葉に直せばこの表現が最も近しいだろうと思われる)。

 

 それは“意志の力”だけで宇宙全体に歪みを発生させ、現実を作り変えてしまう程にまで強烈なパワーを秘めている訳であり、それによって“許さない”と言う怒りの意識に作用して“許す”と言う慈愛の波動に作り変えてしまう効能を有しているのだ(要するに己の願い通りに現実を作り変えてしまう力を、“真っ当な人間達”ならば誰もが持っている、と言う訳である)。

 

 だから“許さない心”を“許す意識”に変える事が出来るのだが、ここにはいくつかの注意点が存在する。

 

 まず一つ目に、“誠意を尽くせば必ず思いは伝わり願いは叶う”と言うのはあくまで“自然状態下では”と言う前置詞が付く、と言う事であり、その二つ目は基本的に“祈りを捧げている最中はその内容を第三者に知られてはならない”と言うモノである。

 

 一つ目の注意点から解説して行くと、基本的にこの世と言うのは“意志と意志のぶつかり合い”の世の中であり、尚且つ誰もが“足の引っ張り合いをしている”と言う事実を見つめ直す必要がある。

 

 例えば好きな女の子が出来たとして、“そのハートを射止めたい”と思った時に別の誰かが同じ思いを抱いていたなら、当然そこでは“意志と意志のぶつかり合い”が生じる訳であるがこの時、より多くより強く祈りを捧げて努力した者が(即ちより多くより強く誠意を尽くした者が)最終的な勝者となり新しい現実を作り出す事が出来るのだ(これに対して“足の引っ張り”とは“周囲の妬み”や“恨み”、または“過去世からのカルマ”だと思って下されば解りやすいだろうか)。

 

 そして二つ目に関してなのだが、実は神道の大元である“古神道”に於いては“願いというのは秘密にする事で神が宿る”と言う教えが存在している、つまり“秘密”は“火水”であり“火水”はやがて“カミ”となる、と言うモノである(そして“カミ”とは=で“神”である)。

 

 その為、決して願い事の内容を自分と神以外の誰かに知られてはならないのである(そうしなければ“効力がなくなってしまう”とされている)。

 

 皆様方もどうか気を付けてもらいたいモノである。




 最後になるが、もう一つだけお伝えしておこう。

 皆様方は“イジメ”と言う現象を御存知だろうが、実は加害者と被害者の意識にはとんでもない隔たりがある。

 それは例えば“あなた”がかつて子供の頃に誰かをイジメたとして、大きくなって過去を振り返った時に“あの時はアイツに酷い事をしてしまった”と被害者に思いを馳せたとする、しかし。

 実際にあなたが被害者に与えたダメージや苦痛と言うのはその3倍~4倍は酷いモノだったりするのだ←これは加害者側は理不尽な攻撃に晒されて自分が傷付けられた訳では無い事と、加害者にも“主観”がある事が原因で引き起こされて来る意識的なズレなのである(“あの時は仕方が無かった”とか自分で自分に言い訳をしてしまうのだ)。

 その結果、加害者側はいつまで経っても自身の“過ち”や“やってしまった事の罪深さ”を直視しない(出来ない)状態が続くのである(つまり加害者には永遠に被害者の苦しみ、悲しみ、怒り、痛みが理解出来ないのである)。
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