愚痴と祈りの道を行く。   作:アロンの杖

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 ここから暫くは“クソ真面目”かつ“お堅い話”が続きます。

 興味の無い方々はプラウザバックでどうぞ?


ある隠遁者のぼやき・その3

 “幼馴染との純愛成就派”の皆様方こんにちは(こんばんは)、先程御紹介させていただきましたが、私は官能小説家の一人でここ“ハーメルン様”での通り名を“アロンの杖”と申します(勿論、本名ではありません)。

 

 いつもいつも私の小説や考察文をお読み下さいまして誠に有り難う御座います(作品を作る際には物凄い励みになっております)、今日は皆様方に“直近の作品群”や“私なりの愛についての考察”等を紹介させていただきたい、と思いまして筆を執らせていただきました、そんなに長くはしないように致しますのでもしよろしければ読んでいただければ幸いです。

 

 さて今現在におきまして、この“考察文”をお読みいただいている方々は“純愛好き”だったり“純愛に興味がある”方々である、と推察されますが、それでは皆様方にお尋ねします、“愛”とは一体何でしょうか。

 

 “恋”とは何が違うのでしょうか。

 

 以下に申し上げさせていただくのはあくまで“私が気付かせていただいた答え”なのですけれども、結論から申しますと“恋”とは誰か(相手)と共に在りたい、繋がりたいと願う衝動であり、“愛”とは相手に無償の奉仕をする事です(その究極的な形が相手の方の救済と幸せを祈る事です)←この両者は似ているようで全く性質が違います。

 

 笑いたい人や疑いたい人がいるなら別に構わないのですが、実は私はかつて“日本神界の神々”即ち“八百万の神々”を始めとして“プレアデス”や“オリオン”、はたまた“アンドロメダ”から来た(とされている)人々から色々な事を教えていただいた事があるのです(残念ながら私自身が直に確認した訳ではありませんからこう言う言い方になってしまうのですが。しかし私自身は“間違いないだろう”と確信しております、神々や彼等には何度も導かれ、かつ助けていただいたからです)。

 

 もっとも当時は彼等が言っている事の大半がチンプンカンプンで“一体何を言っているんだろう?”、“何だかよくわからないな”と言うのが実状でしたが今ならほんの少し位ならば、彼等が言わんとしていた事が解る気がします(あくまで“少しだけ”ですけどね?)。

 

 ちなみに私は“恋”についてはそれほど学んで来ませんでしたが、“愛”については色々と考えさせられる事がありました(もう少し捕捉させていただきますと、一応は異性に“淡い思い”を抱いた事は何度かありましたし、また“主ビア”のような幻想世界における純愛カップリングを通じてお互いを思い合う“確かなる気持ち”を擬似的に体験した事は御座いました)、そしてそんな毎日を送っている内に。

 

 今から数ヶ月位前にとうとう“恋とは何か?”、“愛とは何か?”と言う事柄についての自分なりの結論を得まして、それらをいくつかの作品にて発表させていただいたのです(気付いた時はメチャクチャ嬉しかったです←それに一気に“意識的な視野”が広がって、とっても暖かい気持ちになれた事を覚えています)。

 

 と、ここまでお話させていただいておいて何ですけれども、私から皆様方に一つ、大切なお願いが御座います←それは“私を軽々しく信じるな”と言うモノです。

 

 正直に申しまして私は皆様方にとっては正体不明な官能小説家の一人に過ぎません、そんな私の事を軽々しく信じていると(あるいは何かを期待していると)いつかとんでもない目に遭うかも知れませんよ?

 

 一応、お断りさせていただきますと私自身には変な気色や下心はありませんし(もっと正確には“無い”と思いたいです)、それに私が今まで自分の人生を利用して様々な事を実験し(確かに時には苦行紛いな事も行いましたし、命懸けの試練に耐えた事も御座いました)、その結果として色々な気付きを得て来た事は紛れもない事実ですけれど、問題は皆様方の対応です。

 

 “私達はお前の正体なんか知らないしどんな人生を送って来たかにも興味は無い、だけどお前が得て来た気付きや答えは面白いと思うからそれだけはもらっておくよ”と自分自身をしっかりと保ったまま、したたかな対応の出来る方々が何人、いらっしゃるでしょうか(なのでここでの私の話もあくまでも“そんな考え方もあるかもね”程度で軽く聞き流していただけたなら幸いです)。

 

 話を元に戻しますが、皆様方は人を愛した事が御座いますか?ちなみに人を愛する、とは(先に述べさせていただいた通り)その人に無償の奉仕をする事であり、もっと言ってしまえばその人の救済(霊的進化)と幸せ(開運)を祈る事ですが、下手にこれをやると危険なんです。

 

 と申しますのは人と言うのは誰しもが、長い長い魂の旅路(要するに輪廻転生ですね)を続けている内に(繰り返して来る内に)、様々な過ちや罪を犯して現代に至っているのですが、その罰やカルマが充分に清算されていない状態の人を祈ると“そうか、それならばお前がコイツの罰やカルマを肩代わりしてくれるのだな?”と言う事になり、ただでさえ大変な人生がより一層、苦しいモノになるのです(自分のモノだけでなく、他人様の罰やカルマを背負う事になりかねないからです)。

 

 ただし。

 

 “それでも良いから自分はどうしてもあの人の事を救いたい”、“あの人に笑っていて欲しい”と思えるだけの優しさと言いますか、思いの強さが皆様方にはありますか?

 

 例え自分の都合や立場・心情を超えてでもなお“あの人を救いたい”、“いつまでも笑っていて欲しい”と本気で(こいねが)えるだけのいじらしいまでの健気さ、暖かさこそが純粋なる愛の本質なのです。

 

 真に人を愛する、とはそう言う事です←ちなみに“祈り”を捧げる際には絶対にその内容を秘密にしなければならないために、祈祷者本人は祈りを捧げている対象者はおろか、他の誰にも評価されたり感謝されたりする事はありません(即ち見返りを全く求めない、この地球上で最も純化された行為となります)。

 

 余談ですが私はかつて、宇宙の人達からこんな事を教わりました(彼等の言葉を短く纏めて解りやすく意訳したモノを以下に御紹介致します)、“恋をしなさい”と。

 

 例え相手が空想上の人物であっても良いから一生に一度の恋をしなさい、と(特に誰にも言えない“秘めたる恋”は見返りを求めない、この地球上で最も純化されたモノであるから、と←それはとても一途で純朴なモノなのだそうです。

 

 繰り返しますが皆様方には出来ますか?例え我が身を犠牲にしてでも大切な人の為に一途に尽くすような真似が(一心に祈り続けるような真似が)←もし出来る人がいらっしゃったなら、それは凄い事だと思います←本当に存在自体が“奇跡”だと思います。

 

 ちなみに私はどうなのか?と言いますと、私の場合は自分の御先祖や守護霊、そして十名前後の知人と言うか“恩人達”の為に3年間ほど、祈りを捧げた事があるのですが、その間は本当に辛くて苦しくて、毎日生きた心地がしませんでした。

 

 どれだけ誠意を尽くしたとしても周囲に中々理解されず、またどんなに一生懸命に努力をしても努力が充分に報われないのです(苦しんだ程の対価が得られなかったのです)。

 

 私はその3年間、常にストレスと苦しみと絶望の只中にあり毎日毎日気が狂いそうな精神状態で、それでも必死に日々を生き抜いて行きました(皆様方には想像が出来ますか?本当に体が重たくなる程の凄まじい絶望と言うモノが)、そんなある日のこと。

 

 私がいよいよ“もうダメだ”、“これ以上はどうしたって生きられない”となった時に、祈りを捧げている対象者の一人(つまりは私の恩人の一人)で他県に住んでいる霊能力者の方から電話が掛かって来たのです。

 

 で、私はその時に何を思ったのか、“もうそろそろ良いだろう”、“ちょっとこの人に話を聞いてみよう”と言う強い衝動を覚えて、それに逆らい切れずについ当人に“あなた方や御先祖、守護霊の事を毎日のように祈っています”、“あなた方の今後ますますの霊的進化と御開運を神々にお祈りさせていただいているんですよ?”と尋ねてしまったのでした(もっと言ってしまえば“それが叶っているかどうか”を知りたかったのです)。

 

 そうしましたらその霊能力者の方から、次のように言われました。

 

「確かに我々は幸せだが・・・。その分君に“シワ寄せ”が来ているハズだ、君は毎日毎日恐ろしい程に苦しいだろうが。それが私達の罪科(つみとが)、要するに“カルマ”なんだ。それだけ私達のカルマは重いんだよ?」

 

「・・・・・」

 

 私はその話を聞いた瞬間、“どうりで毎日報われないハズだ”と思わず合点が行きました、そして続けて“これ以上、こんな事を続けていたのでは自分の人生が壊れてしまう”、“自分の人生を生きられなくなってしまう”と直感したのです。

 

 その日以来、私は他人の為に祈るのを止めました(すると胸がスゥーッとして来て重苦しかった心が穏やかになり、気持ちが楽になったのを覚えています)、私は悟りました、“自分はギリギリの所で救われたのだ”と、そして“今世ではもう、自分が味わうべき苦しみのノルマは終わったんだ”と。

 

 それを理解した瞬間、とても晴れやかな気分になり思わず嬉しくなりました(神々に“どうも有り難う御座います”と感謝させていただきました)、以上が私が実際に経験した祈りの顛末(てんまつ)です。

 

 塗炭(とたん)の苦しみを味あわされた訳ですから、私は皆様方に敢えてお奨めはしません(第一皆様方だって“他人の為に祈りを捧げる”なんて、面倒臭くて嫌でしょ?そもそもちゃんとした形で“祈り”を捧げるのは中々に大変な事ですし。ましてやこんな話を聞いた後では余計に怖いでしょうしね)、だけどもし。

 

 “それでも自分は祈りたい”、“あの人を救ってあげたいんだ!!!”と言う強い気持ちを抱いておられる方々がいらっしゃられましたら、まずは信頼出来る霊能力者の方を探す事から始められると良いでしょう(その方に“祈りを捧げても大丈夫かどうか”を確認してからやるようにして下さいね?さもないと大変な事になるかも知れませんよ?)。

 

 ちなみにもう一つ、言わせていただきますが、私は(自分で自覚している限りでは)芯から人を愛した経験がありません(一応、御先祖や恩人達への祈りは“期間限定で”捧げさせていただきましたけどね?)。

 

 その証拠に“お前は人を愛した事があるか?”と自問自答すると“解らない”と言う答えが返ってくるのです、だけど私は(今の所は)それで良いと思います←自分が誰かを真剣に愛したかどうかなんて、それこそあの世に帰った後で神様や守護霊に聞かなければ正しい答えは得られないと感じるからです(自分だけでは解らない事ってあるんですよね?人間って)。

 

 これは例えば“優しさ”についても同じ事が言えますが、私はその人が優しいかどうかなんて、他人に聞かなければ解らないと思うんですよね←自分で“自分は優しい人間だ”とか思っちゃってる人って結構、ヤバいじゃないですか(“優しくあろう”と志す事自体は別に良いと思いますけど)。

 

 やっぱり一人では解らない事ってあるんですよね、人間と言うモノは。

 

 さて皆様方から見た場合、私は他人様を愛したのでしょうか、それともただ単に恩を返しただけでしょうか。

 

 どちらだと思われますか?




 こう言う話を一生懸命に書いても、一体何人の人々が見てくれるんだろう。

 私は一体、何をしているのかな。

 ただの独り善がりで突っ走っているだけでは、何にもならないと言うのに・・・。
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