それからの残された日々、二日間はとても目まぐるしく過ぎて行った。
この二日間で世間の怪物騒動は収まらず、学校は再開しなかった。
突然増えた休みに耕太郎達が何をしたのかというと、探検である。
正確には悠乃の発案により四人で、時枝親子も含む、狭間市内にある思い出の地を巡ることになった。
悠乃と葵が村から飛び出した最初の頃、二人で住んでいたアパート。よく二人で買い物に出かけた商店街、だった街路。初めて悠乃と雷蔵がデートをした喫茶店。そして幼い耕太郎を抱えて歩いた公園など。
一部耕太郎の顔を苦くさせる場所もあったものの、付属するエピソードを語る悠乃の口振りもあってか、概ね全員楽しんでいた。
もちろん時間は限られており、悠乃の思いつく全てを回ることは出来なかった。
だが、それでも彼らは足が棒になるまで思い出を巡り、新しく作り続けた。
更に次の日、最後の日。ヴェインに指定された時刻、夕刻まで耕太郎達は普段と同じように過ごした。
寝坊気味に目を覚まし、遅い朝食を共に取り、それからのんびりとなんでもないことを語り、笑い合い、ありふれた時を過ごした。
まるで何一つ不可思議なことのない、どこにでもありふれた、普通の親子のように。
「来たか、少年」
それも、夕日の訪れと共に終わった。
耕太郎達は事前に伝えられていた通り、駅前の噴水広場に展開されている結界へと向かう。
その中心にヴェインは立っていた。
彼は集まった面々を一瞥してから、耕太郎へ軽々に語り始める。
「君の母君を送還する準備は出来ている。もし君が説明を求めるのであれば、理論から説明を」
「……あんたさぁ」
その様子があまりにも苛立たしく、クリアシャインはじろりとヴェインを睨んだ。
「なんかいきなり味方面してるけど、いったいどういうつもりなの?」
「君の味方になったつもりは、無論なるつもりも毛頭ないが」
「あたしもない! 聞きたいのは、なんでこんなことしてんのってこと!」
ヴェインと魔法少女達は元々敵対しており、その上先日は実験という名目で耕太郎の心を踏み躙った。
その彼らが、何故かこうして悠乃のため、耕太郎のために力を貸そうとしている。
クリアシャインが苛立ちながら疑問を覚えるのはもっともだった。
しかしそんな人情など、未だ人の心に疎いヴェインには理解しがたい。
「今回の事象は我々が始めたことだ。我々が幕を引くのは当然のことだろう」
故に彼は平然と、疑問を持つことすらおかしいといった様子で言い切る。
そしてクリアシャインから興味と視線を打ち切ると、再び耕太郎に声をかけた。
「さて少年、改めて理論の説明は」
「……いいです」
「では、今日の手筈を確認しよう」
ヴェインが手をかざした瞬間、虚空に二つの魔法陣が展開される。
彼とクリアガイア以外には解読法すら分からないが、これは現在末永芽衣にかけられている魔法、イデアを制御するための術式である。
「現在発動している魔法は二つ、願いの維持とその反動を制御するものだ。この内まずは後者を解除する。恐らくその瞬間、世界の抗体作用によりレギオンが誕生するだろう」
「は? ならなんで制御の方を解除するの? 維持の方を先にすれば」
「術式の都合上、その場合彼女は死ぬ。それが我が英雄との約定を違えるため、浅慮な君と異なり私には出来ない」
流れるように罵倒と侮蔑をされ、クリアシャインは大いに眉を吊り上げた。本来の彼女であれば、次の瞬間には大声をあげていただろう。
しかし傍らの少年を一瞬横目に映したおかげか、今回は思い切り鼻を鳴らす程度で済んだ。もしくは、怒りを腹の底に蓄えた。
人でなしのヴェインは少女の葛藤や成長など気づけず、ただ淡々と説明を続ける。
「残る願いの維持については、解くまでに一定の時間がかかる。そのため私が解除をする間、レギオンの対処を君達に任せる」
「……待ちなさい、貴方がするつもりだったの? 信用出来ないわ。貴方に任せるくらいなら、私がこの手で」
「君は戦闘力に乏しい。よって私も当初はそのつもりだったが」
言葉を打ち切ったヴェインは、代わりに視線でものを言う。少年少女の目も釣られて動く。
人目の苦手な末永は集まる注目にぎょっと身を竦ませる。
「駄目っす。ガイアちゃんにそんな残酷なこと、絶対させられないっす」
だがそれでも大きく声を張り、堂々と答えた。
「理解しがたいが、そういうことだ。よって私が請け負う。異論は認めない」
魔法少女達はさておき、ヴェインにとっては何度も説得を繰り返し、その度に強く拒絶された議論だ。そのため彼からすれば、今更検討するものではなかった。
したがって彼は強引に話を打ち切り、口を閉ざしていた二人に水を向ける。
「少年に青の少女、君達にも質問があるのであれば聞こう」
「……それで両方とも魔法が解除されたら、お母さんは」
「この世界に留まるための楔を失い、あるべき場所へ還るだろう」
悠乃のあるべき場所、元々いた十四年前の三月、雪の降った日。
時を越えた者への対処として、耕太郎がそこに疑問を抱くことはない。
しかし、その戻り方が問題だった。
「前にも聞きましたけど、戻ったらお母さんは元の、召喚される前の状態に戻っちゃうんですよね。それって、結局」
先日クリアオーシャンにより、悠乃は致死の高熱から救われた。
だがあるべき場所に戻ってしまえばその救いの手は、それどころか受けた記憶すらもなくなる。言い換えれば、受ける前に巻き戻る。
だからこそ、あるべき場所に至った悠乃の行く末は。
「何らかの手段でこの世界に留めたとしても、君の母君はやがて世界の抗体作用に消滅させられるだけだろう。死と消滅は明確に異なる」
「それの、何が違うんですか?」
「可能性という点においてだ。詳細は後ほど、この場にいない彼に聞くといい」
ヴェインの語る彼、らびらびは未だに姿を現していない。
だからこそ耕太郎は胸のしこりを拭うことが出来ず、密かに歯を食い縛っている。
しかしらびらびの到着を待つ素振りもなく、悠乃は集まった面々に深々とお辞儀した。
「こーちゃん、皆さん、この度は大変お世話になりました」
顔を上げて微笑む様子はありふれた日常の光景に見える。
これが今から死に臨む女性だとは、何も知らなければ、誰であっても気がつくことは出来ないだろう。
今回は事情を知っている、痛いほど知ってしまったクリアシャインは、衝動のまま仲間の袖を引いた。
「……耕太郎さん」
「大丈夫。俺はもう葵さんと一緒に、家を出る時にお別れは済ませたから」
「全然そう見えないから言ってるの!」
「気のせい気のせい」
食ってかかるクリアシャインに対しひらひらと手を振りながら、耕太郎もまた、なんでもないように答える。
極めて自然なその仕草が、かえって悲嘆を滲ませるとは気づけずに。
顔を伏せる少女達とは異なり、ヴェインは何一つ察しないまま予定通り宣告した。
「それでは開始する」
宣言と同時に紫の魔法陣が悠乃を包み込み、彼女を眠りに落とす。
また、同じように末永の周囲にも魔法陣が、より複雑で幾何学的なものが何重にも発生した。
それは何度か収縮を繰り返した後、最後には砕けるようにして弾け飛んだ。その瞬間、彼女の身体がふらりと崩れ落ちる。
「す、末永さんっ」
「おっとと、あ、ありがとう、オーシャンちゃん」
ただ、咄嗟に支えられ、そのまま倒れ伏すことはなかった。
その様子を横目に一瞬確認してから、ヴェインは再び口を開いた。
「これで、片方は解けた。まもなくレギオンが出現する。繰り返しになるが、君達には」
語る途中、ヴェインに大きな影が差す。
彼らが見上げた先には先日と同様の姿、しかしより巨大になったオックスレギオンが立っていた。
その身丈は十メートルを優に超えており、おおよそ前回の三倍に近い。
また、手に握る棍棒もその身に見合うだけ大きくなっている。もしも振るえば、ビル程度粉々に砕け散るだろう。
「『シャイン・レイ』」
だがその本領を発揮する間もなく、牛頭は赤い熱線に撃ち抜かれた。
「はい、これでいいんでしょ?」
「……ふむ。気が短く手が早いことも時には役に立つようだ。これが短所は長所、という俗説だろうか」
「うっざ、腹立つ。いちいち嫌味言わないと気が済まないの?」
「嫌味ではなく真実だ」
「先にこいつぶっ飛ばしておこうかしら」
そうは言いつつ、クリアシャインが刃を向けるのは次々と出現するオックスレギオンのみだ。
彼女の魔力、『赤』の魔力は主に勇気と憤怒から成り立つ。本日ヴェインと顔を合わせた瞬間から、後者は煮え滾るほどに彼女の胸に溢れている。
よって誰も意図はしていないが、これもある意味では効率的なやり取りだったと言えるかもしれない。
「無駄にデカいし数は多いけど、大した相手じゃないみたいね」
「シャイン、油断しないで」
「分かってる。今日は絶対、負けられないから」
その後も続々と現れるオックスレギオンの群れを魔法少女達の魔弾が次々と、簡単に打ち砕いていく。
これはオックスレギオンがさほど強力でもないというのもあるが、クリアガイアの魔法により出現位置を把握されているのも大きい。
産声を上げた途端に攻撃されるその様は、まるでモグラたたきのようだった。
「えげつないけど、これならこのまま」
仲間に気遣われ、悠乃の傍で待機するよう言われていた耕太郎の呟きに、ヴェインは独り言のように返す。
「だが、そうはいかないようだ」
問いをする間もなく、その答えは現れた。
「っ!?」
突如生じた力場に押し出され、耕太郎は五メートルほど吹き飛ばされる。
受け身を取り、回る視界に映るのは仲間とほの暗い世界、そして眩いほどの光。
「いったい、何が」
耕太郎は光源を探し、見つけ、そして絶句した。
「お母、さん?」
悠乃が『緑』の光に包まれ浮いていた。
目を見開く彼の前で光は色濃くなり、やがて繭となって彼女の姿を覆い隠す。
更には三対の巨大な羽が生え、大きく羽ばたき鋭い風を生んだ。その風は瞬く間に刃へと変わり、オックスレギオン達の首を全て刎ね飛ばす。
異形の天使のような存在を目の当たりにした耕太郎は、同じく吹き飛ばされていたヴェインに強く問いかけた。
「ヴェインさん、これは!?」
「どうやら暴走を始めたようだ」
「暴走!?」
剣呑な響きにオウム返しをする耕太郎に対し、ヴェインは平然と解説を続ける。
「イデアには届いた願いを無作為に叶えようとする性質がある。しかし人の願いなど不安定なものだ。一人の人間が矛盾する願いを抱えていることも珍しいことではない」
卑近な例では減量があげられる。
痩せたい。けれど好きな物は食べたい。こうした辻褄の合わない願望を覚えている者はどこにでもいるだろう。
このような噛み合わない願いであっても、イデアは叶えようと試みる。
相反するそれらを叶えるため、イデアはあらゆる方法を模索する。だがどのようにしても両立が困難である場合、互いの願いを出し抜こうと悪戯に出力を上げていく。
こうして方策を探る過程で放出された魔力が、答えという出口を作り出せないまま膨らみ続け、いずれはイデアの使用者をも飲み込んでしまう。
これこそが現在発生している現象、イデアの暴走である。
ヴェインの解説を聞いた耕太郎は、心も思考も動かないまま、ただ無心で呟く。
「お母さんの、矛盾する願いって」
「……そんなもの、私でも分かるわ」
異変を察知し駆け付けたクリアガイアは、瞳を伏せながら押し殺した声で囁いた。
「貴方と一緒にいたい。だけど、そうしてしまえば貴方に迷惑がかかってしまう。だから、だから貴方のお母さまは身を引こうとして、それでも」
去りながらその場に留まる。
語るまでも無く、それは覆しようのない矛盾だ。
いかに願望機たるイデアの欠片であっても、この二つの願いを同時に叶えることなど出来はしない。
「……兄さん」
続いて駆けつけ、そして寄り添って来たクリアオーシャンと、大切な妹と視線を交わしてから、耕太郎は一度強く目を閉じる。
彼女が見上げた閉じる前の瞳には、海よりも深い不安と葛藤が満ちていた。
「ヴェインさん、このままだと、どうなりますか?」
「君の母君には現在意識がなく、イデアを制御することは不可能だろう。よってこのまま願いを糧に暴走し、いずれは周囲を破壊しつくす」
「なら、止めないと」
しかし深呼吸の後見開いた目に、一日中ちらついていた迷いは、もう見えない。
「お母さんは絶対、誰かを傷つけることなんて望んでない。皆、力を貸して」
耕太郎はじっと母だったもの、イデアの暴走体を見ていた。
そのため迫る気配にはまったく気がつかないまま、欠片の遠慮もなく、思い切り背中を叩かれた。
「水臭いっ!」
その威力に思わずつんのめり、耕太郎は反射的に振り返る。
「頼まれなくても当たり前! あたしたちは仲間でしょ!」
その先でクリアシャインは杖を肩にかけ、勝気な笑みを浮かべていた。