のんのんびより ― ある田舎男子の日常 ― 【ばけーしょん編更新中】 作:NIZI
今回は、昨夜の騒動から一夜明けた旅行三日目の朝のお話です。
冒頭はこのみ視点、途中からはよしお視点で進みます。
これは……昔の夢だ。
小さい頃のよっくんとすーくんが、目の前で取っ組み合っている。確か、私が小学校に入る前くらいの頃――。
「すぐる! お姉ちゃんにくっ付くな! はーなーれーろー!!」
「こらこら、喧嘩しないの……」
「お姉ちゃんはオレのものなんだぞ!」
「喧嘩をやめないなら、もう遊ばないよ?」
「な!? ごめんなさい! もうしません!」
でも、この後も事あるごとに二人は喧嘩していた。それでも仲が良いんだから、男の子の友情って不思議だ。
うぬぼれでも何でもなく、あの頃のよっくんは、私の事が一番なんだと感じた。それが、たまらなく嬉しかった。
――――――――――――――――――――――――
次に見えたのは、頭に大きなコブを作ったよっくん。
よっくんが小学校に入って一年くらい経った頃だ。
「楓ちゃんにぶたれた……。痛い……」
「スカートを捲ったって聞いたよ。なんでそんな事したの?」
「だって気になっちゃって……」
「……今度同じような事をやったら、楓ちゃんよりも沢山殴るよ?」
「な!? ごめんなさい! もうしません!」
でも、この件で性に目覚めてしまったよっくんには今でも手を焼かされている。時々視線が良からぬ場所に向いていた場面を私は何度も見ているし、私自身も何度か覗かれた事がある。
本当に懲りない子だ。
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今度は、よっくんがしょんぼりしている。
確か三年前にひかげちゃんに告白して、気まずくなってしまった頃のことだ。
「ひか姉が、口を聞いてくれなくなっちゃった……」
「突然告白されたから、ひかげちゃんも気持ちの整理が出来てないみたいだよ? 急にあんな事言っちゃって。……本気だったの?」
「カッコいい事を言おうとしたら、つい出ちゃったんだよ……」
「さんざん言ってるけど、よっくんは軽はずみな言動が多すぎるよ」
「うっ……ごめんなさい……。もうしません……」
この後、私が間に入って、二人はまた普通に話せるようになった。 今にして思い返してみれば、よっくんに覚悟が無かっただけで、ひかげちゃんへの想いだけは、本気だったんだろうな……。
困った時、傷ついた時、よっくんはいつも私に助けを求めに来た。それが当たり前だと思っていた。
懐かしいな。
いつも最後には、「ごめんなさい、もうしません」って謝っていた。
でも知っている。
よっくんは、その場では、いつも反省した態度を取るけど、全然懲りない子だ。
今回の旅行でも、すーくんと喧嘩して、会ったばかりの民宿の娘さんに告白しようとしていた。スカートの中を覗くくらいは、もはや日常茶飯事だ。
……本当に、成長しない。進歩のない子。
だけど。
そんな変わらないところに、私はずっと安心していたのかもしれない。
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これは、今年の春だ……。確か、ひかげちゃんの卒業式の後くらい。
「……姉ちゃん……オレ、東京の高校に行く事にした!」
「ひかげちゃんに会いに行きたいの? 行っておくけど電車一本だけじゃ行けないよ? 行き方は自分で調べるんだね」
「今から行くんじゃねえよ。受験するって事だよ」
「えっ? 今度は何の冗談?」
「冗談じゃない。父ちゃん達とも、もう話はした」
「無理に決まってるでしょ……自分の学力、ちゃんとわかってる?」
「だから受験勉強も手は抜かない! 堂々と東京へ行ってやるさ!」
「……無理に決まってるよ。よっくん、いっつも思い付きで動いて、後悔して最後には泣きつくんだから……」
「無理じゃない! 絶対合格してやるんだ!」
あの時だけは、よっくんは最後まで私に謝る事も、助けを求める事も無かった。初めて、私の言うことに本気で逆らった。 あの時初めて、よっくんの背中が少し遠く見えた。
そして今もそれは続いていて、成績も目に見えて改善されている。
私の知らない場所へ、歩き始めてしまっている気がした。
『姉ちゃんを一人になんてするかよ……。ずっと一緒だ』
……うそつき。
だって、東京に行くつもりなんでしょ?
東京に行ったら、私はひとりぼっちになっちゃうんだよ?
ずっと一緒になんて、いられないじゃない。
お願いだから――
私をひとりにしないでよ……。
――――――――――――――――――――――――
――夢を見ていた。
遠くから波の音が聞こえる。
障子越しの朝の光は優しく、布団の中にはまだ温かなぬくもりが残っていた。
夢の続きを見ているような心地で、私はしばらく目を閉じたままでいた。
小さかった頃のよっくん。
お姉ちゃんはオレのものなんだと本気で言っていた、あの頃のよっくん。
何度叱っても、何度呆れても、最後には必ず「ごめんなさい、もうしません」と言って、私のところに戻ってきた。
そんな記憶を振り返って、少しだけ遠くなってしまった背中を見送って――。
「夢……なの……?」
まぶたを開くと、見慣れない天井がぼんやりと視界に映る。
そうだ。ここは沖縄の民宿。旅行三日目の朝――。
まだ頭の中に夢の余韻が残っていて、現実との境目が曖昧だった。
「ところがどっこい、夢じゃありません。現実です……」
「!? よっくん!? 痛っ!」
すぐ目の前から聞き慣れた声がした。あまりにも近い位置にある弟の顔に、思わず飛び起きそうになる。
けれど、身体を動かそうとした瞬間、こめかみの奥がずきんと痛んだ。
「おっと、暴れんなよ……。昨日の事はどこまで覚えてる?」
「昨日? えっと……、っ!? 痛たた……」
記憶を辿ろうとした途端、さらに痛みが増す。
カヤックに乗って、動かないかずちゃんの尻を叩いて運転させて、夕食を食べて、すぐ近くにかずちゃんが頼んだお酒の入ったグラスが目に入って、それから……。
それから先が、まるで霧の中みたいに曖昧だった。
「二日酔いだな。とりあえず水持ってくる」
落ち着いた声とともに、楓ちゃんが部屋を出ていく。
「ありがとう楓ちゃん。……姉ちゃん、とりあえず腕、離して貰っていいか?」
「あっ、うん……」
その背中を見送りながら、私はようやく自分の腕がよっくんの身体にしっかり絡みついていることに気づいた。
まるで、大事なものを手放すまいとするみたいに。
慌てて腕をほどく。
顔が熱い。二日酔いのせいだけじゃないのは、自分でも分かっていた。
昨日の夜、何があったのかは、はっきり覚えていない。でも私は多分、自分でも驚くくらい素直になっていた気がする。
「さて、酔いが抜けない姉ちゃんはともかくとして……」
よっくんが視線を隣のベッドへ向ける。つられるようにそちらを見ると、掛け布団の中から顔だけを出したひかげちゃんが、見るからにぐったりしていた。
「ひか姉も調子悪そうのは、なんでなん?」
「酸欠で頭が痛ぇんだよ……悪いか? ちくしょう……」
「布団被ったまま寝るから……、何がそんなに怖かったん?」
「うぐっ! ……ノーコメントで」
ひかげちゃんは明らかに顔色が悪い。しかも、私と目を合わせようとしない。視線が合いそうになるたびに、そっぽを向かれてしまう。
昨日の夜、私はそんなに酷い事をしたのかな……。覚えていない以上、何とも言えないんだけど。
「どうしたの、ひかげちゃん? 私の顔に何かついてる?」
純粋な疑問で尋ねると、ひかげちゃんはびくりと肩を震わせた。しばらく黙り込んだ後、意を決したようにこちらを見る。
「なぁこのみ……、お前、昨日の事は何も覚えてないのか……?」
昨日のこと。
よっくんのぬくもり。
夢の最後に聞こえた、「ずっと一緒だ」という言葉。
胸の奥に、ほんのりとした甘い余韻だけが残っている。
全部を忘れてしまったわけじゃない。でも、全部を思い出せるわけでもない。
「うーん……、覚えてないかな? ……ほとんど」
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楓ちゃんが持ってきてくれた水を飲んで、姉ちゃんとひか姉は、ようやく少し落ち着いたようだった。
とはいえ、二人ともまだ本調子にはほど遠い。姉ちゃんはベッドに横になったまま、額に手を当ててぐったりしているし、ひか姉も布団に包まったまま顔色が悪い。昨夜の騒動の後遺症が、しっかり残っているようだった。
そんな中、それまで布団の中で熟睡していた先生も、ようやくもぞもぞと起き出してきた。寝癖のついた髪をぼさぼさとかきながら、まだ半分眠っているような顔で周囲を見回す。そして、姉ちゃんとオレの顔を交互に見たところで、昨夜の出来事を思い出したらしい。その表情がみるみるうちに気まずそうなものへと変わっていった。
こうして、なんとなく「事情説明会」みたいな空気が出来上がる。ただし、参加者の大半はベッドの上から動けない。なんとも締まらない話し合いが始まった。
「ごめんなさい、ご迷惑をかけました……」
頭痛のせいで起き上がれない姉ちゃんが、枕に頭を沈めたまま弱々しく謝る。いつもの余裕たっぷりな笑顔は影を潜めていて、しおらしさが前面に出ている。
……まあ、酒を飲んで酔っ払って大暴れしたと聞けば、そうもなるか。
「まぁ、正気に戻ってくれたみたいで良かったよ……」
楓ちゃんは、ようやく肩の力を抜いたように小さく息をついた。思えば昨夜はずっと対応に追われていたのだから、今の言葉にはかなりの実感がこもっている気がする。
「全くだ。おかげ寿命が縮んだぞ、……このブラコン女」
ひか姉は布団の中から恨みがましい声を漏らす。その目には昨夜の恐怖がまだ色濃く残っているようだった。一体、姉ちゃんはどんな顔をしていたんだろう。少し気になるが、聞かない方がいい気がする。怖いから。
「まぁ、とりあえずあれだ! ウチは今回の旅行ではさ……、先生とか保護者ではなく、みんなの友達として来てましてね? だから監督義務だとか、責任だとか、そういうのは……ね? その……あ、あは、あははは……」
昨夜の記憶をたどったのか、先生は一瞬遠い目をしたあと、乾いた笑いとともに全力で保身に走り始めた。
……いや、そこで逃げようとするのかよ。
部屋の空気が、一瞬にして微妙なものになる。オレたちは揃って、なんとも言えない表情で先生を見つめていた。
「……まぁ姉ちゃんも、もう十八になりますし、本人の自己責任の範疇だと思いますから、オレはあんまり気にしてませんよ?」
オレの推測になるが、恐らく姉ちゃんが酔うまで酒を飲んだのは、完全な事故ではなく、半ば確信犯だろう。オレも口移しで少しだけ飲まされたが、明らかに水とは味が違ったし。飲もうとする意志が無ければ、すぐに飲むのを止められた筈だ。だからオレも先生に対しては、監督不行届に対する怒りよりも、姉ちゃんのしでかした事への申し訳なさの方が勝っていた。
とはいえ、オレは姉ちゃんの事も責めるつもりはない。何か深い理由があるかもだし。……それより問題なのは、姉ちゃんの昨夜の記憶がどこまで残っているのかの方だ。オレにキスをした上に同じベッドに入るよう誘ったなんて言えないし、誰も言ってない。
「ごめんねかずちゃん。悪いのは私だから、気にしないでね?」
姉ちゃんも、枕に顔を埋めたまま申し訳なさそうに言う。先生にまで気を遣わせてしまったことを、本気で反省しているらしい。
「いやでも、君達が気にしてなくてもだね……親御さんとかに知られたら、その……だから、ね?」
先生の声はどんどん小さくなっていく。どうやら本気で、母さん達に知られることを恐れているようだ。
「母さん達も怒るとすれば、先生よりも姉ちゃんに対してでしょうから、大丈夫だと思います」
そう答えながらも、少しだけ自信がなかった。雪子おばさん辺りに知られたらお叱りは避けられないだろうしな。くわばらくわばら……。
「ええっと、"思う"だとウチ、不安になっちゃうかな? だからこの事は内緒にしてもらえたら嬉しいかな? なんて……」
ついに先生は、ハッキリと口止めを要求してきた。
そこまで露骨に保身に走られると、逆に申し訳ないと思う気持ちが失せてしまう。
「「はぁ……」」
部屋のあちこちから同時にため息が漏れた。
(オレ達が……)
(しっかりしないと……)
(ダメかもしれんな……)
今だけはオレと姉ちゃんとひか姉。三人の心が一つになったような気がした。
大人部屋を出たオレは、本来の自分の部屋。卓との二人部屋へ戻ろうとしていた。廊下を歩いていると、子供達の部屋の方から、何やら忙しない物音が聞こえてくる。
こんな朝早くから何をしているんだろう。少し気になって、オレは襖を軽く叩いた。
「はーい! 開けて良いよー!」
中から小鞠ちゃんの元気な声が返ってくる。襖を開けると、そこには思わず感心してしまう光景が広がっていた。
「あ、よっくん! おはよう! 早いね!」
「おはよう。小鞠ちゃんこそ朝から張り切ってる感じだな。どうした? みんなして掃除なんかしちゃって」
「今日は自由行動の日だよね。ウチら、あおいちゃんと一緒に街とか回りたくてさ」
「私たちの部屋だけでも掃除を終わらせれば、早く時間が空くんじゃないかなと思いまして」
「自分達の汚したモノは、自分達で片付けるん!」
見ると、四人全員がきびきびと動いていた。
なっちゃんは箒を持ち、小鞠ちゃんは雑巾を手にし、蛍ちゃんは丁寧に机の上を拭いている。そして、れんげまで、小さなちりとりを握って真剣な表情で掃除をしていた。
少しでも早く掃除を終わらせて、あおいちゃんと過ごす時間を作りたい――そんな気持ちが、部屋いっぱいに溢れていた。
「そういう事なら、オレも自分の部屋の掃除でもする事にしようかな?」
そう言うと、四人は嬉しそうに頷いた。
なっちゃんには、あおいちゃんと沢山の思い出を作ってほしい。明日になれば、もう帰ることになるのだから。
そんなことを考えながら、オレは大人部屋へと戻った。
朝食を終えた頃には、現実は思った以上に厳しいものになっていた。
「姉ちゃん……。ひか姉も、大丈夫か……?」
「うぅ……頭ズキズキする……」
「これが大丈夫に見えんのか……?」
二日酔いの姉ちゃんと、布団を頭まで被って寝たせいで酸欠になったひか姉は、朝食も半分以上残したまま、ふたり揃ってベッドに逆戻りしていた。
幸い高熱ではないようだが、どちらも本調子には程遠い。
特に姉ちゃんは、昨夜のことを思い出しているのか、頭痛と羞恥でダブルパンチを受けているように見えた。
「これは……、今日は一緒に行くのは難しいか……」
「ごめんね、私の事は気にせず。みんなで楽しんできて……」
楓ちゃんの言葉に、姉ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げる。
「私は行くぞ! せっかく沖縄に来たのに、一日中ベッドの上なんてごめんだ! っうっぷ……!」
「無理すんなよひか姉、また戻されても困るから……」
「ちくしょう……」
オレの言葉で力なく布団に沈むひか姉。どう見ても、しばらくは大人しく休んでいた方がいい。沖縄を楽しみたい気持ちは分かるけど、今の二人を連れ回すのはさすがに無理があるだろう。
「ウチが二人を見てるから、楓とよっくんとすーくんの三人で楽しんで行きなよ」
「そうするしかありませんか……」
先生が姉ちゃんとひか姉の介抱を買って出て、楓ちゃんは名残惜しそうに答える。
オレはというと、昨夜から胸の奥に引っかかっている言葉があった。
『ひとりにしないで……』
昨夜、オレの胸の中で姉ちゃんは小さな声でそう呟いた。
あの時の声が、今も頭から離れない。
姉ちゃんは酔っていた。
けれど、あの一言だけは妙にはっきりしていて、冗談には聞こえなかった。
オレは、ベッドの上の姉ちゃんを見つめる。
弱々しい顔。少し潤んだ目。
昨夜見せた、あの寂しそうな表情が重なった。それを思い出したらいても立ってもいられなくなった。
「オレが姉ちゃん達を見ます! 先生も楓ちゃん達と旅行楽しんできてください!」
気づくとオレは先生に代わって姉ちゃん達の介抱を買って出ていた。
「えっ? でも……」
「オレ、旅行よりも姉ちゃんと一緒にいたいんです」
「よっくん……」
「オレにとって重要なのは、どこへ行くかじゃなくて、誰と過ごすかですから……」
姉ちゃんの目が、少しだけ見開かれる。
「そうだね……私も――」
「ひか姉ひか姉! オレ! 今、良い事言ったよね!? カッコ良かったっしょ!?」
「は? なんて言ったんだよ? 聞いてなかったから、もう一回言えよ……」
「オイオイ、こういうのは二回言っちゃったら興醒めになっちゃうだろ? ちゃんと聞いといてくれよ!」
「だーもう鬱陶しいな! 頭痛いんだから大声出すなよ……」
「はぁ……姉ちゃん姉ちゃん! オレ! 今、すっごく良い事言ってたよね!?」
「……知らない。感心して損した。私、少し休むから……」
姉ちゃんはそう言って布団を頭まで被ってしまった。けれど、その下で少しだけ笑っていたことを、オレは知らない。
先生と楓ちゃんにも呆れたように苦笑されてしまう。
あれ? また、オレなんかやっちゃいました?
地味に初期の頃から温めていた、このみの過去回想と独白をようやく使うことができました。
実質的な最終日となる三日目(四日目はほぼ帰宅の移動のみ)が始まります。
れんげ、蛍、夏海、小鞠の四人は劇場版通り、あおいの案内で沖縄巡りをします。
よしおは、このみとひかげの三人で別行動になります。