煌々と輝く、地上の星を
これは射命丸文が風神少女と呼ばれるまでの話。
ねつ造設定が多々存在します。強めの幻覚ということでご了承ください。
あれは今は昔のこと。
妖怪への畏れが強く残る平安の時代。
私がまだ何の力も持たないカラスであった時のこと。
まだ、射命丸文という名前さえ持たない時代。
「ほう、これもまた巡り合わせか。」
怪我をして動けなくなった一介のカラスを拾った男の名は平種影(たいらのたねかげ)。
頭をまるめ、簡素な袈裟を纏い、優しげな顔つきの若い僧侶であった。
彼は私を拾うと、つきっきりで世話をした。
彼の住処は山奥の小さな庵の中だった。
その小さな領域に墜落してしまったからこそ、境内での殺生が禁じられているように、私もまた救われたのかもしれない。
元気になるに連れ、私は好奇心の赴くままにいたづらを働いた。
そのせいか、彼は私を「てんご」といってかわいがり、いつしかそれが私の名前になった。
てんごというのはいたずらや悪ふざけという意味だ。
彼の摺った薬が良く効いたのか、私はしばらくするとすっかりと元気よくなった。
ただ、彼の庵の静けさと木の紙に人の温もりが加わったあの場所が私はすっかり気に入っていた。
だから、空を自由に飛び回れるようになってからも時々遊びにきた。
そして20年か、30年。
山の神秘、妖気を長く浴びて鴉天狗となってからも、私は彼の庵によく遊びにいった。
会話できるという楽しみが増えたからだろう、烏の時よりも通う頻度は多くなった。
私が烏天狗になってからも、彼は私を快く迎え入れてくれた。
「あやや、形だけでも僧侶をしているのなら天狗の私を招きいれるのはどうなんでしょうね!」
「おや、これは異な事を。物事の正しきを知るためには、物事の誤り、悪しきもまた知る必要があるというだけの話。仏の道はあらゆる者へと開かれているからね。」
「それにてんごは私の貴重な茶飲み友達じゃないか。友達のために締めておく門などないよ。」
そういって、彼は熱い御茶の注がれた湯飲みを差し出してくる。
その手はあの頃よりずいぶんと皺が増えていて、彼にとっての20年30年という時の重さを感じる。
「それはそうですね。こんな山奥までわざわざ足を運んでくれる奇特者なんて、私くらいじゃないですか?」
「そうだね。昔はその行動力に手を焼かされたような気もするが、今やそれに助けられるとは。人生塞翁が馬という言葉は的を射ているね。」
彼と話す内容はこんな世間話ばかりだった。
だけど、天狗になってから気づいた事があった。
多分、人間社会での彼の身分はそこそこに高いという事だ。
例えば、今こうして私が呑んでいる御茶もそうだ。
御茶はまだ唐から持ち帰られたばかりであり、それを日常的に口にできるのは並の存在ではない。
それに私は知っている。
彼はお布施も貰わなければ托鉢もしない。
彼はどうやって金子や食料を得ているのか。
さらに彼の元には定期的に山の外の人間がやってくる。
しかも、その人間達の服はいつも上等なものだった。
だから私は聞いた。好奇心の赴くままに。
「種影はどうしてわざわざこの庵に軟禁されているの?」
暗に、私が手伝えば出られるという問いかけ。
彼はちゃんとその意味を受け取った上で、私をまっすぐに見つめ返す。
「秩序のためだよ。」
澄んだ彼の目。
「私が世に触れず、それでいてここにずっと居続けること。それによって私は誰かに大義名分を与える事をよしとは思わないからさ。」
意味はすぐに分った。
彼の名前の平というのは桓武天皇を発端とする皇族の血筋を持つ者が、相続争いを避けるために臣籍降下によって、天皇の家臣となり、その際に与えられる名前だ。
そして、彼は出家した上で軟禁されている。
この事実を踏まえれば彼はかなり直系に近いのだろう。
そして隠し子はご落胤とよばれる。胤、つまりタネの事だ。
もしここまでの推測が事実であるとするなら、彼は天皇にだってなれるのかも知れない。
だけど、それを彼は拒んだのだ。
拒んだからここに僧侶として軟禁され続けているのだ。
彼を反逆の神輿として担ぎ上げられないように、落胤を自称する者に対する朝廷側の証人として。
かれは秩序を乱す何者かに正義として利用される事を望まなかったのだろう。
考え込む私に彼は言葉を続ける。
「私は真実などどうでもいいのだよ。ただ、それによって多くの人々が安寧に生きられるのなら、真実など明かされなくて十分なんだ。秩序が乱れる時、割を食うのは力なき者たちだ。力なき故に涙を飲んで耐えるしかない。」
「それに、真実など変わって行くものだろう?なら、よりよい真実を求めればいいさ。」
彼の言葉が全てが理解できた訳ではなかった。
ただ、私は彼の海のような心の穏やかに触れた気がした。
その心が好きだった。
それから月日は流れて10年後
彼は静かに瞼を閉じた。私がある日、いつものように訪れたとき、彼は眠っているように安らかだった。
そして、体に触れて、彼が永遠に目を覚まさない事に気がついた。
その事実がストンと胸の中に落ちたとき。
私は自然に涙を流していた。
泣いて。泣いて。泣き疲れるまで、彼の手を握りながら泣いて。
そうして、私は彼を埋葬した。
烏(なかま)につつかれたり、動物に掘り返したりしないように彼を焼いてから埋めた。
彼は終ぞ、世に知られる事なくこの世を去った。それはきっと彼にとって幸せだっただろう。
だから小さな墓にした。私以外は気づかなくてもいい。そんなお墓だ。
彼の家から木材を拝借して、卒塔婆を立てた。
目を閉じ、祈りながら思う。
彼の願いに反して平安の世は大きく乱れてゆく。
天皇を頂点とした権力の座の二番目を決める争いだ。
きっと、権力を継承していく仕組みがないのだろう。
だからこの争いはまだ続いていくだろう。彼の行った事に意味はあったのか。
あるとすればどう考えられるだろうか。
彼のような人物がたくさんいたからこそ、この程度で済んでいるのかもしれない。
私らしくない事を考えた。私は大空に向けて飛び立つ。
この小さなお墓が誰かに見つかる前に。
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彼がいなくなってから、私の名前は変わっていた。
あの頃じゃない。そう意味を込め頭に破るを加えて「はてんご」。それが私の今の名前だ。
今では私もすっかり天狗社会になじみ、鬼や天魔様にこき使われることになれてしまった。
私の役目は情報の収集で、これは以外と私の性分と合っていた。
なにより、私は速い。
見つかってもこの翼と風を操る程度の能力をもってすれば、一瞬で置き去りにする事ができる。
天職なのだろう。だから私もなんだかんだ、この仕事を続けられていた。
最近は山全体がピリついており、天狗の上層部も緊迫した雰囲気が流れている。
原因は簡単だ。山のトップの鬼による頂上争いだ。
簡潔にいう。伊吹翠香と星熊勇儀の喧嘩だ。
原因は簡単だ。それぞれの配下の鬼がいらないことを言った。
「勇儀の姉御と萃香の姉さん。どっちが強いですかい?」
瞬間、その場に言わせた全員の空気が凍った。
とはいえ、その場はその空気をつくった鬼がシバかれるだけでいつ戻りの宴会に戻ったらしい。
しかしながらその疑問は鬼たちの胸の中に残り続け、熱い議論が交わされる中でそのムードは段々と邪険になっていった。
勇儀派も萃香派も互いに譲らないからだ。そこに鬼の喧嘩っ早さも加わり、事態は緊張度をますます増していった。お互い、所属していくグループのプライドを守りたいのかもしれない。人間社会でもままある事だった。
そして、とうとう両者がその気になってしまった。
いい機会だと。
そして当日。今日が決戦のその日だ。
鬼たちは自分達の楽しみしか考えていなくて困ったものだ。
鬼にとってはただの喧嘩でも、妖怪たちにとっては大惨事だ。
しかし、この対決は見逃せない。この後の山の勢力図が変わるかも知れないからだ。
私はこういう社会的時事にも取材をする社会派鴉天狗なのだ。
もちろん見に行く。
「今日は杯はなしだ。萃香が相手なんだ。楽しくなりそうだね。」
星熊勇儀がにやりと笑う。
「近頃は人間もすっかりビビッちまって退屈してたんだ。骨のある相手は大歓迎さ!」
伊吹萃香もウキウキした表情で応じる。
本当はどっちが強いかとか、まわりの鬼の声とか、そんなものはどうなっていいのだろう。
二人にとって、全ては些事だ。
自分が最強である事を、自分が知っていればそれでいい。
それでも二人がこうして戦うのは、きっと戦いが好きなだけなのだろう。
そういう鬼なのだ。あの二人は。
そうして鬼達でさえも固唾をのんで見守る決闘の火蓋が切られた。
始めに動いたのは勇儀だ。余裕綽々に歩いて、距離を詰めていく。
萃香もつられるように歩き始める。
そして二人の距離がゼロになると同時、瞬間二人の拳が互いの土手っ腹めがけて叩き込まれる。
萃香の細腕が勇儀の腹筋に突き刺さり、勇儀の豪腕は翠香の上半身を吹き飛ばした。
いや、吹き飛ばしたのではない。
萃香が自分から霧のように散ったのだ。
萃香の能力、『密と疎を操る程度の能力』ならできる。
「はん、蚊が止まった蚊と思ったよ。」
しかし、それは勇儀も予想していたのだろう。
余裕の表情で受け止めて見せる。
「なんだい、せっかちだね。久方ぶりの戦いなんだ、長く楽しもうじゃないか。」
霧から実態に姿を戻した萃香が楽しそうに笑う。
戦いに興奮しているのか、顔がやや上気しており独特の艶やかさを持っている。
「鬼の誇りはただ強い事だ。私ほどそれを体現している鬼はいないよ。」
山を砕いて海を割るストレートが翠香が反応するより速くその顔面をぶっ潰す。
「身体能力の高さだけが強さと思っている脳筋らしいセリフだね。視野が狭い証拠さ!」
そう翠香が言うや否や、勇儀の背後に一回り小さな翠香が現れる。
先ほど霧化したのはこのためだったのだろう。
もう一人の萃香は先程のセリフが文字通りの意味である事を証明するかのように、死角から勇儀を殴り飛ばした。
だが、勇儀は痛がるそぶりするも見せなかった。
ただただ、楽しいと言わんばかりに笑ってみせる。
萃香もこれからだといわんばかりに口角を限界までつり上げて感情を露わにしてみせる。
それからからは、まさに鬼の頭領を決めるにふさわしいハイレベルな戦いが始まった。
離れて見ていた観衆全てを吹き飛ばすような拳撃の応酬にはもはや安全な距離というもは存在せず、あらゆる全てに破壊まき散らしながら戦う両者はまさに鬼。
その時、萃香が勇儀に殴り飛ばされ矢のような速度ではじき飛ばされる。
即座に追撃に移る勇儀。
『怪力乱神を持つ程度の能力』でもっと、山肌を砕く程の跳躍で飛び上がり、空中で錐揉みする萃香めがけて鉄槌打ちを叩き込む。再び吹きとんだ翠香が落雷のように別の山へと突き刺さる。おびただしい土煙の中に迷いなく飛び込む勇儀。
勇儀が再び振るった拳を萃香が内からはじくと、そのままはじいた手で勇儀の手を持ち替えて豪快に投げつけてたたきつける。自分の力に萃香の力まで加わわった衝撃が勇儀の体と内蔵をぐちゃぐちゃに振動させたはずだが悲鳴を上げたのはむしろ大地のほうだった。圧倒的な圧力に耐えきれず、山の斜面が陥没する。
そうして二匹の鬼は次から次へと戦場を変えながら、山々を破壊しながら戦い続けた。
その様子に私は次第に不安を覚えた。
このままでは、あの男の墓まで戦闘に巻き込まれかねない。
この際、墓はいい。だが、その下に埋めてあるものはだめだ。
それだけは取り返しがつかない。
この頼むからその方向からはそれてほしい。
私は祈った。
だが、相手は鬼。私の祈りなど届くはずもなく、いよいよその時が近づいていた。
天魔様は我関せず、茨木も別段止める様子はなかった。その他の妖怪?あれには近づく事すらできないだろう。
私しかいなかった。
あれに介入できる、しようと思えるのは私しかいなかった。
できるか?
むりだ。
あれに割って入った所で死ぬだけだ。
わかっている。
わかっている。
でも、やるしかない。
できるか、できないかじゃない。
やるか、やらないかだ。
彼の冷たい手を握りながら泣いた。
あの時思った。
鴉としてじゃない。鴉天狗という妖怪としての親はきっと彼だったのだ。
彼は尊敬できる人物だった。それが踏みにじられるのは、私の尊厳が踏み荒らされることだ。
だから私はやる。
私の人生は私のものだ。使い方は自分で決められる。
私は私の愚行権を振りかざすことを決める。
「鬼のお二方!!山の自然が泣いております!このあたりで引き分けにするのはどうでしょうか。」
私は叫ぶ。どうせ届かないんだろうな。
「「今いいところなんだよ!!すっこんでろ、天狗!!」」
返答は怒声と恐ろしいまでの拳圧。
立っているのもやっとだった。
それでも、なんとか目を開ける。
「じゃあ私が止めてやるから覚悟しろ!!くそ上司ども!!」
普段の私なら絶対に使わないような言葉選び。でも、少しでも自分を奮い立たせられるのならなんでも良かった。
瞬間、世界が止まる。
いや、世界が止まったのではない。二人が止まったのだ。
急激に停止した二人により、突如として世界から音がなくなり、停止したような錯覚に陥っただけだった。
その証拠に、二人が殴り合って新たにできた崖が、たった今そのことを思い出したかのように崩れる。
それでも、私は動かない。二人が私を見ている。
伊吹萃香と星熊勇儀、鬼の四天王が私を凝視している。
そして、合わせるでもなく四天王は互いに向き直り、呵々大笑する。
「今なんて言ったんだい?鴉天狗!!」
「わたしらを止めるって?お前が?」
腹を押さえながら、鬼が笑う。笑う。笑う。嗤う。
そして、二匹の鬼が私に向き直り、正対する。
「「やってみろ!!」」
ああ、なんて絶望的なんだ。
今の私では、この二人には逆立ちしても勝つことはできない。
それは真実だ。
だけど、真実なんと変えてしまえばいいと言った人がいた。
だから私は戦える。
勇儀が大きな紅い杯を掲げる。
何か言われずとも、ひょうたんを取り出し翠香がそれになみなみと酒を注ぐ。
「これは私は勝手につけた縛りだ。もし、この
星熊勇儀はそう言って、杯を空に向けて掲げて見せる。
「二体一が卑怯だと思わないよ。だけど、それで勝手も嬉しくない。だから、勇儀の杯の条件、私もそれでいいよ。私が援護する勇儀にそんな事ができればだけどねぇ!!」
ひょうたんの酒に口を付けつつ、伊吹翠香も鬼らしく獰猛に笑う。
「鬼二人を相手にとって、喧嘩を売る度胸、気に入った! もっと愉しませてあげるから、駄目になるまでついてきなよ!」
絶望的な気持ちを代弁するように、夕日の最後の一片の光が彼方の山々に隠れる。
戦いがはじまった。
私は全力で加速する。
場所を変えなければ、始めた意味がない。
「おいおいあんだけ大見得きっておいて逃げるだけか?あんまり私をがっかりさせないでくれよ。」
私に油断などない。だから、最初から最速。
回りの景色が線のように引き延ばされ、戦える場所に誘導する。
はずだった。
私の体が猛烈に鬼の方に吸い寄せられる。
「出会ってばかりでお別れなんて寂しいじゃないか。」
間違いない。伊吹萃香の
想像の範囲内だ。
直後、反転。
私は追い風に乗るように、その力にふわりと合わせて見せる。
そして、最速の力を翼に込めて流れ星よりも速く萃香と勇儀をぶっ飛ばす。
速度は拳の破壊力を指数関数的に増加させる。
それに鬼の手出けまで貰っているのだ。鬼の一体や二体、吹き飛ばせても不思議ではない。
遠くから微かにどよめきが聞こえる。
まさか、天狗の私が一発お見舞いするとは思っていなかったのだろう。
だが、私がそれに気をよくするつもりはない。
今の一撃で勝負が決まるわけがないのだ。
それに、あれだけの速度で攻撃してなをぶっ飛ばせただけなのだ。
そんじょそこらの鬼であれば死んでいたであろう一撃を。
加えて、今の一撃はただの試験だ。
あえて受け止めたに過ぎない一撃だ。鬼の慢心というやつなのだろうか。
彼女達はどんな攻撃設け止める気概でいたし、事実受け止めのだろう。
鬼の落下地点に急行する。
あわよくば、そう思ったがそううまくはいかなかった。
「思ったより、楽しめそうだね。心躍るねえ。」
星熊勇儀の杯には波紋の一つも立っていなかった。
「私の力を逆に利用したか。いいねぇ、頭も柔らかいときた。」
二匹の鬼はただ笑ってそこに立っていた。
なんの痛痒も与えられていないのだろう。
だが、これでいい。
目的は達成した。ようやく、スタートラインだ。
私の拳が効かないなら、別の手段を試すだけだ。
私は加速する。風を味方について、速く、ただ速く。
風よりも速く。
二人の回りを高速で旋回してみせる。
瞬きにより視線が切れた、まさに瞬間の隙間、妖力を乗せ重力を味方にした直下蹴り。
当然のごとく交わされる。
そして二の矢。本命は杯。まとった風をぶつけて酒を吹き飛ばす。
「おっと、そうはさせないよ。」
星熊勇儀が私と杯の間に器用に体を滑り込ませる。
相当な強風にも、彼女は体の芯を全くぶらさずに直立を貫く。
「私のことを忘れてないかい?」
鬼を相手に背中を見せるのは死を意味する。
だが、この鬼に限ってはそれは不可能だ。
なぜなら、伊吹萃香は遍在する。
私の背後に突然、もう一人の萃香が現れる。
瞬間、衝撃。
鬼の腕力で振るわれる無慈悲な拳が私を急襲する。
だから、それよりも先に風で自分を吹き飛ばす。
そこまでして、ようやく。私は九死に一生をえる。
だが、無傷ではない。萃香が放った拳の圧で吹き飛んだ大地の礫が、音速の速さで私に突き刺さったからだ。
たったの一合の立ち合いだけで、私の体は満身相違だった。
だったら、次で決めるしかない。
私はそう直感する。
私は再び加速する。足を止めた瞬間が私の死だ。
風を集める。もっともっと。今までよりも広く。低く。薄く。
そして、急激に空気がなった場所には爆発的に空気が流れ込む。
だが、所詮こんなものはめくらましだ。
二匹の鬼は何が始めるのかと愉快に待っている。
そして、限界まで高めた空気の束を振り下ろす。
空気の大瀑布が二人にめがけて振り注ぐ。
空気には重さがある。普通の場所では1気圧。つまり1013.25ヘクトパスカル。水銀を7.6cm持ち挙げる位の小さな力。
だから集めた。このあたり一体、全ての空気を。マリアナ海溝最深部の水圧1100気圧さえ超える圧力が彼女達にはかかっているはずだ。だが、彼女達は膝をつかない。
種族としての鬼に特殊能力はない。
ただ、強いというだけのあまりにも理不尽な強さ。
それこそが鬼であり、彼女達の誇りだった。
だから次だ。この状況下では伊吹萃香の散らす能力は使えない。なぜなら、散らした瞬間に吹き飛んでしまうからだ。
だが、勇儀の杯はこぼれていない。萃香の能力により中心へと集められているのだろう。
私は爆風に乗って、急降下し彼女を抱きしめて攫う。
地面に叩きつけられ、反発して空に戻る空気に押され私は音速すら超えてで空へ駆け上がった。
勇儀の杯は、勇儀により高速で回転しており遠心力によって落ちることなく空へ登って行く。
雲を突き突き抜け、高く高くへと上がって度に薄くなった空気を集めて息を吸う。
そうして、地球が丸みを帯びている事を目視し始めた頃。
私は二人にいうのだ。
「どうなるか楽しみですね。」
もちろん、ほとんど空気が存在しないために二人の耳には聞こえていないだろうが。
直後、私という推進力を失った鴉と鬼は地球へとくい打ちのように落ちていく。
「おいおい。お前死ぬ気か?」
星熊勇儀が冷めたようにいった。
「私はお前を掴んでおけばいい。それだけで、お前は墜落死する。」
「体の丈夫さで、鬼に勝つつもりか?」
伊吹萃香もそう続ける。
彼女たちにはこの結末が見えていたのだろう。
だからこそ、ここまでおとなしくついてきていたのだ。
「何言っているんですか?死ぬのは貴方たち二人ですよ?」
そう言うと、途端に嬉しそうな表情になる勇儀と萃香。
どうして、死ぬと言われて楽しそうにしているのか。私には戦い中毒で死にたがり女郎の気持ちは一寸もわからないですが。
「なんなら、この場でお前の首をねじ切ってやってもいいんだぜ?」
猛烈な風をものともせず、勇儀が笑う。
「私の散らす能力でお前を胃の中から爆散させるのもありだな。」
萃香も続く。
だけど。
「あやや?知らないんですか?力はともかく、私は妖怪の山最速ですよ?」
そうして、二人が何かするよりも速く。
「あなた方の死因は墜落死じゃあません。焼死ですよ!」
私は重力にひかれて猛スピードで落下する。
私達は三人分の体積の空気を押しのけながら墜落する。
超スピードの物体により、瞬間的に圧縮された空気は熱を発する。
そして、その火力は速度によって上がり続ける。
さらに私の能力に限って、終端速度など存在しない。
ただ、光速に向かって無限に加速し続ける。
「「ーーーーーーーーーーーーーーーーー」」
二人の叫びは、大気に阻まれて聞く事はできなかった。
そうして、私達は一筋の火炎となって大地へと帰還する。
私は鬼と心中する気などさらさらなかった。
熱の伝わり方は伝導、放射、対流。ならば、熱を伝える媒介、つまり空気がなければこの場合火傷することさえない。絶対真空による断熱。それがこの荒技を可能にする。
後は、地上付近で二人を放りげ私は勢いを殺すために飛行距離を稼いでから着陸すればいい。
さてさて、ようやく終わった。
なんというか、体を構成する全ての器官が悲鳴を上げている。
あと100年ぐらいは何もしたくない。
だから、その時聞こえた音は、今もっとも効きたくない音だった。
「全く。死ぬかと思ったね。」
「鴉天狗、名前は?」
嘘でしょ。
あれだけやって、死なないのか。
何という頑丈さ。なんというでたらめ加減。
これが鬼か。化け物め。
「私らを焼き殺したいなら。太陽くらいもっときて貰おうか。」
勇儀が歩く。
服は焼け焦げ。擦り傷を全身につけながらでも
「くう。こういう奴がいるから、戦いは止めやれね!!」
萃香が歩く。
あれだけの傷を負ってなえお、二匹の鬼は今だ顕在だった。
もうどうにでもいい気分だった。
私は十分に戦った。
だから、いっそ投げ出したい気持ちだった。
でも、脳裏によぎるのがあの男。
あの男の真実を知っているのは、この世においてもはや私だけだ。
あの墓を掃除してやれるのは。もはや私だけだ。
私がいなくなれば。もう誰もいない。
自然の摂理だ。
だが、なんとなく。それが悲しい気がした。
だから私は立った。
酷使しすぎて、羽も抜け落ちた見るも無惨な翼を奮いたたせる。
「上等」
風を集める。
「じゃあお望み通り」
ありったけ。全身全霊、満腔の力を振り絞って。
この地球全部の風を、この小さな手のひらに押し込んで。
朧気な視界の中、鬼の姿がかき消える。
微かに四天奥義だとかなんとか聞こえた気がする
だけど、
例えば、そう太陽の中心温度が1万5千度だったとして。
例えば、鴉天狗が手のひらに圧縮した気体の堆積が1Lだとして。
例えば、それを閉じ込める圧力が773億3952万0494.973Paだったとして。
その圧力を実現するための風速278.1km/sを実現できたら、どうなるんだろう。
「太陽に焼かれて死ね!!」
その答えがここにある。
突如、鴉天狗の手のひらに一粒の光が顕現する。
一切合切、鬼の理不尽さすら飲み込み、全てを灼いて、全てを無に帰した。
その日、天狗達は目にした。
煌々と輝く、地上の星を。
そうして、純白の極光が晴れた時。
星熊杯の酒は、一滴残らず蒸発していた。
立っているのはただ一人、鴉天狗のみ。
勝敗が決した事を誰もが確信する。
鴉天狗の下剋上、ここに成立。
爆発的な歓声が起きる。
「なんで……私………いき……て。」
それが最後の一押しだったのか、なぜ生き延びられたのかと困惑しながらも鴉天狗は地面に倒れ込む。
熱の伝わり方は三種類だ。伝導、対流、放射。あれが本当に太陽だというなら、いくら真空でも放射により鴉天狗の熱死は確定だ。
なのに、彼女は生きていた。
だとすると答えは明らかだ。彼女以外のだれかが庇ったのだ。
一体誰が。
彼女は倒れた視界でふと横をみる。
星熊勇儀と伊吹萃香の両名は目を回した状態でガラス状になった大地に倒れふしていた。
おそらく、一時的に気絶しているだけだろう。
知らず知らず、鴉天狗の口に笑みが浮かぶ。
「ばけものめ」
いや、本当は自分は負けていたのだ。
だけど、二人は勝負すら投げ出して鴉天狗を守ったのだ。
勝ってなお恐ろしい鬼の力を見た。
というか勝負に勝って、試合に負けたというか、いいとこ引き分けだろう。
倒れた彼女に向けて聴衆がかけてくる。
この日、だれもが彼女を伝説として記憶した。風神少女、と。
こうして、真実がどうあれ戦いは終わった。鬼への下剋上は確かに果たされた。
とはいえ、実際に支配体制が転覆することはなかった。
実力を証明したことで次代の天魔に任命されたある鴉天狗が、自由を求めて地位もなにもかも投げ捨てたためである。
新党首には従う気でいた鬼達も、ある鴉天狗個人を認めたとはいえそれ以外の有象無象の天狗達を認めたわけではないため、新天魔引退に伴い鬼が妖怪の山の首領として返り咲いている。
世はなべて、事もなし。
それでも、小さな名もない墓には今も。季節の花が添えられいる。
余談ではあるが、幻想郷最速の文屋として知られる射命丸文には天魔になったという記録はないことが知られている。あるとすれば、それははてんごという不思議な名前の誰かの事だ
「はい!清く正しい射命丸です!」
彼女は今日もネタを求めて飛び回る。
真実などいくらでも上書きできるのだ。
幻覚です。
これは余談ですが、今でも大阪ではイタズラをするものを「てんご」
諏訪湖のある長野では天狗の事を「はてんご」というようです。