ソレは女神のような姿をしていた。

 ソレは私を敵として認識していなかった。

 ソレを殺す事を、生涯の目標に決めた。

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歴史上で最も多くの動物用罠に引っ掛かった魔族──

 我は魔族である。名はコナトゥス。

 

 外見は狸に酷似しているが、頭に生えた丸っこい角が魔族の証だ。……毛に隠れて見えない程度の大きさなので、初対面には野生動物と勘違いされる。

 

「! 食べ物の匂い……!」

 

 人間の言葉を話し、騙し、殺し、食らうのが魔族の生態だ。しかし、我は未だに人間を殺した事がない。

 

「何!? 足に紐が絡んで……! しまった! また人間の罠か!」

 

 何故なら、我は人間……いや、肉眼で観察可能なあらゆる生物よりも。

 

「誰か助けてぇ……」

 

 ──弱いからだ。

 

 

 

 多くの魔族は生涯を1つの魔法の研究に費やす。

 

 我の場合は『音の魔法』だ。

 

 対象が最も心地良く感じる音を分析し、魔法で演奏してリラックスさせる。その隙に人間の食料を盗む事で、最弱の我は生き長らえていた。

 

「魔王様からの指令よ」

 

 盗んだパン屑を食べていた我の体を、額に小さな角の生えた女性が抱き上げる。

 

 愛玩動物のような扱いに腹が立ったが、抗議しても意味がない。コイツの事だ。何か人間の影響でも受けたのだろう。

 

「また監視役か、ソリテール?」

 

「それしかできないでしょ? でも、君以上に警戒されない魔族はいないわ。だから、魔王様に気に入られてるの」

 

 ソリテールは4人の人間が描かれた紙を我に見せてくる。

 

「今回は大物よ。勇者『ヒンメル』、僧侶『ハイター』、戦士『アイゼン』、魔法使い『フリーレン』」

 

「勇者一行……。はっ、何組目だ?」

 

 まったく、人類は愚かだ。人の身であの魔王に勝てるはずがない事くらい、考えなくとも分かるだろうに。

 

「命令は了解した。我を地面に下ろせ」

 

「まだ、駄目。変わり者の魔族同士、もう少しお喋りに付き合って欲しいわ」

 

 お前と一緒にするな。我は好きで変わり者をやっているわけじゃない。

 

 普通の魔族になれるなら、なりたいさ。

 

 

 

「どうしたんだい、フリーレン」 

 

 ソレは女神のような姿をしていた。

 

「歩き疲れたのでしょう。ヒンメルは足が速すぎます」

 

 魔王配下屈指の魔力探知能力を持つ我が、最大限に接近してようやく輪郭を掴めたほどの完璧な偽装。

 

「……敵襲か?」

 

 ソレは我を敵として認識していなかった。

 

「いや、何でもないよ。気のせいだったみたいだ。先に進もう」

 

 故に、見逃した。珍しい事ではない。だが、我は何故か酷い屈辱を感じた。

 

 その理由が自身の得意分野で先に見付かった(おくれをとった)からだという事に、遅れて気付く。我は生まれて初めて『魔族のプライド』とやらを刺激されたらしい。

 

 人生は突然変わると言うが、魔族も同じだったようだ。

 

 我はその瞬間……生きる意味を見付けた。有象無象の人間などではなく、最初に殺すべき存在を見付けた。

 

 ──ソレを殺す事を、生涯の目標に決めた。

 

 

 

 帝国の暗殺部隊はターゲットを葬る前段階として、徹底的に背景に溶け込むという。

 

 我は勇者一行を慎重に尾行しながら、フリーレンが立ち寄った村の喧騒に紛れて、必ず音の魔法を響かせた。

 

 これは布石である。我に生き物を殺す力はないが、膨大な回数と手間をかけて『仕込み』をすれば話は別だ。

 

 標的に何度も繰り返し接近する必要がある、お世辞にも実用的とは言えない欠陥魔法。我自身でさえ実際に発動した事はない。

 

 この魔法の行使に必要な前準備はざっと90年である。90年、常に近くに張り付いて、音を染み込ませなければならないのだ。対象が普通の人間なら先に老衰死している。

 

 労力が掛かり過ぎる上に、最弱の魔族である我はその過程で死ぬ可能性が高い。

 

 それでも、やると決めた。

 

 弱い我が勇者一行の戦いを直接見る事は叶わなかったが、噂だけは誰よりも近くで聞いていた。

 

 クヴァールを封印したらしい。アウラを撃退したらしい。そして……。

 

 50年に1回の半世紀(エーラ)流星を見届けた勇者一行が解散する。

 

 我は迷わず、フリーレンを追った。

 

 

 

「コナトゥス。君は今、何をしてるの?」

 

 ソリテールと久々に会った。相も変わらず、神出鬼没な奴だ。

 

「見えない敵と戦っている」

 

 我は彼女のような大魔族ではない。自身の寿命が近い事は察していた。

 

「魔王様は死んだわ。命令はもう無効」

 

「知っている」

 

「……君、ちょっと変わった?」

 

「さあな」

 

 我は魔法の最終調整段階に入っている。本来なら話し掛けられるのも鬱陶しいところだが、不思議とソリテールを追い返す気にはなれなかった。

 

「私はマハトに加勢しに行くよ。人類との共存……その夢物語の結末を見る為に」

 

「そうか……。寿命の長い連中は難儀だな。奴はきっと、これからも止まる事ができないのだろう」

 

 我は喋りながらも思考を巡らせる。フリーレン、フェルン、シュタルク。彼女らはどう行動し、どのタイミングで仕掛ければ作戦が成功するのか。

 

 我達の本能に刻まれた魔族としての……狩る者の思考。

 

「君は魔王様の仇討ちでもするつもり?」

 

「まさか。我は我の為だけに魔法を使う」

 

 勇者ヒンメルの死から30年。北部高原ドラッヘ地方。

 

 そこで決着を付ける。

 

「……お前達には理解できんよ」

 

 もしも魔王が生きていたら、我の馬鹿げた生涯を何と評しただろうか。

 

 

 

 シュタルクが竜と戦っていた。フェルンとフリーレンの意識はそちらに向かっている。

 

 我は魔力を極限まで抑えて、フリーレンの背後に回り込んだ。

 

 言葉はない。音はない。彼女から認識されれば我は終わる。充分だ。未来など要らない。

 

 ただ、全霊を以て、今だけを。

 

音を奪う魔法(ハルモーニウム)

 

 これは致死の毒だ。

 

 長い長い年月をかけて、我の音を対象に染み込ませ、生命活動の一部とする。それら全ての音を一気に奪う事で、生物は負荷に耐えきれず……即死する。

 

「ようやく姿を見せたね」

 

 振り返ったフリーレンは我に杖を向けていた。口振りからすると、我の魔法に気付いて何らかの対策を行っていたらしい。

 

 流石は老獪な魔法使いである。我は心の中で素直に称賛した。

 

「だが……成したぞ」

 

 1つの命が消える音がする。我は確かに殺したのだ。

 

 ──フリーレンの肩の上で命を狙い続けていた、透明な魔物(ソレ)を。

 

「大した隠形だったな、我が敵よ」

 

 ソレは女神のような姿をしていた。女神のように、実体を確認できない存在だった。

 

 ソレは我を敵として認識していなかった。一瞬だけ気配を感知されたところで、気のせいで片付けられると高を括っていた。

 

 ソレは想像できなかった。我の内から湧き上がる馬鹿げた執念を。

 

「本当に……この魔法の対策には時間と手間が掛かったよ。僧侶の力なしで凌ぐには、多数の民間魔法を組み合わせる必要があった」

 

 そうか。我の生涯を懸けた魔法は、あのフリーレンさえも警戒する域に至っていたか。

 

「惜しかったね。この魔法を完全に克服できたのは、つい最近の事だよ」

 

 ……満足だ。最後の最後に彼女の魔法で葬って貰えるとは、望外の幸運である。

 

「これほどの『無名の大魔族』が生き残っていたとはね」

 

「無名? 違うな」

 

 逃げ続けた生涯。散り際くらいは名を名乗っても良いだろう。

 

魔族を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

「我の名は──」




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