(誰だ…?)
御依が真っ先に感じたのは相手の威圧感と周りの怪異たちが恐れ身を潜めている異質感。
後ろにいる補佐官か秘書と思われる存在も相当な力を発している。
御依は相手に対して普通では無いオーラを感じる。ここは引いた方がいいのかと席から立とうとする。
玉藻前は御依を手で制してそのまま食べていろとジェスチャーする。
「ここは食べておれ」
玉藻前はそう言ってフォークから手を離して立ち上がり黒壇公に向かい合う。
御依は頭に乗せていただけのお面を少しだけ目深に被り直す。
「またお主か」
玉藻前は軽く息を吐きながら口を開く。
神級にそんな態度など普通は恐ろしくて出来るものではないが、彼女に恐れるものなどない。
「ああ」
対する黒壇公も相手のその反応など見慣れたものなのか特段のリアクションは無い。
二人の気負いのない会話に対して周りの緊張感は高まり続ける。
御依も一体何が起きるのだと固唾を飲んで見守る。
「うむ」
そして少しだけ息を吸ってから問いかける。
次に何を口にするのか緊張感がこの空間一帯を支配する。
「おれと結婚をする気にはなったか?」
その言葉を発すると辺りが鎮まり帰る。
それはまたかと呆れる様な雰囲気と下手に視線を向けたら何をされるか分からないという恐怖が入り混じる。
「…ん?」
御依は一瞬耳を疑った。
目の前に立つ男は玉藻前に対して告白、又は求婚と取れる行為をしたのかと。
チラリと玉藻前を見るとうんざりと言った表情をしているため間違いなく告白されたとわかる。
(んん??)
これは隣界では常識なのか、それとも異常なのか図りかねる。
前者であればあまりにも日本人の観点から見て非常識であり、後者ならこのような非常識な存在が目の前にいる事になる。
どっちをとっても地獄である。
「そうか」
「そうじゃ」
そんな御依の内心など関係なく二人は会話を続ける。
(終わってる…)
少なくともこの二人の間ではよく行われているであろうやり取りと雰囲気に絶望する。
玉藻前も千年の時を経て変わってしまったのだと。
(コイツ…)
玉藻前は御依の視線に気がつく。その変質者を見るような目に愕然とする。
冷静に考えたらこの公の場である店内で求婚など非常識であり、神級でなければとっくに摘み出されている案件だ。
「ま、まぁ…とりあえず言いたい事言い終えたなら帰れ」
玉藻前はこのままではこの怪人どこでも求婚と同じカテゴリーに加えられかねないため話を切り上げようとする。
「む?」
彼はそのあしらい方にいつものキレがないのに気がついた。
そばのカウンターでこちらに視線を送る。先程から玉藻前は自身と話しながらもその小さな子供に意識を割いている。
「ほぅ…」
頭に拡範症軽減のお面をつけている。
そして限りなく人型に近い怪異は稀ではあるが存在はしている。
しかし黒壇公は一瞬で見抜いた。
「例の子供か」
目の前にいる子供が数時間前に報告にあがった隣界の森に落ちてから追撃隊に追われて行方不明になった子供だと。
(まずいッ!)
御依は咄嗟に立ちあがろうとしてから構えようとする。
正体がバレた以上はこの場に留まるメリットは無いからだ。
「まぁ待て」
「ぐえぇ!!」
玉藻前は立ちあがろうとする御依の服の襟の後ろ側を掴んでから強引に席に座らせ直す。
「ちょっ…!」
「こやつはお前に手を出さんよ」
玉藻前は御依が逃走中の人間だとバレても慌てる様子はなかった。
「やはりあの後で森に向かったか」
彼が脳裏に浮かべたのは昨日の店でのやり取り。
隣界に人間の子供が落ちたという情報を聞いてその場から立ち去った玉藻前だった。
「おうそうじゃ、気が向いたからな」
「そうか」
玉藻前のその開き直りとも取れる切り返しにも特別な反応をせずに淡々と返す。
(…そんなのでいいのか?)
森で追いかけ回された時はとても逃す気があるようには思えなかった為、その反応に拍子抜けてしまう。
「…捕まえないのか?」
御依はボソリと口にする。
玉藻前が例外なだけで隣界に来た人間に対してそこまで良心が働くのだろうかと考えてしまう。
「勘違いするなよ」
玉藻前は御依に対して言葉をかける。
「コヤツはお前を捕まえる気がないのではない、ここでは捕まえられないのだ」
御依はどう言うこと?と視線を送る。
玉藻前はくいくいと親指で相手を指しながら説明する。
「神級にもそれぞれの領土がある。ここは領土ではないから独自の領域管轄権がないんじゃよ」
「管轄?」
「というよりは神級同士で互いの領地の中で権限を振るわないという了承じゃな」
玉藻前はボソリと「まぁ他にも理由があるが」と付け加える。
「まぁお主からしても別にこんな人間のちびっ子に執着する気もなかろ?」
「まぁ…いいだろうお前が責を持つのならば勝手にすればいい」
彼のそばに居る補佐官は慌てるが手で制する。
本来であればあり得ない対応ではあるが神級が認めた以上は動けない。
「その荷物…」
御依から視線を逸らして玉藻前のそばにあるボストンバックに目を向ける。
それはどう見ても長い外泊用の荷物にしか見えない。
「おう、自分探しの旅に出るぞ」
「旅?」
「旅だ」
「つまり…」
「おう、多分今日が会うの最後だぞ」
その言葉を受けた黒壇公はぴくりとわずかだが片方の眉を上げる。
最後だという言葉を彼なりに消化しようとしている。
「そうか」
そう言って御依に視線を送る。
その自分探しの旅のキッカケはそこにいる子供なのだろうと。
最期と言っても子供が長生きしても百年一世紀が限度であり、そのくらい会えないくらいは問題ないかと考える。
「黒壇公様」
補佐官の一人がそろそろ時間だと声をかける。
相手はそれに対して頷く。
「そうか、なら迷惑料だここにいるものの代金は俺が立て替えておこう」
それだけ告げて彼は補佐官二人を連れて店から出て行く。
◎
御依と玉藻前は店を後にする。
そして御依はひたすらに話しかけるなオーラを出す玉藻前に対し、意を決して話しかける。
「嵐のような人だね」
「まぁ…うん、そう、うーん」
嵐という表現が的確なのか図りかねて上手く返事ができない玉藻前。
「まぁこれでお金に困ったら結婚という選択もあるし」
「アイツと結婚はしない」
「ふぅん?」
「しない」
御依からの指摘に対して頑なに否定だけはする。
なにやら変な勘違いをされているのでは?と思ったから。
「いや、本当にな。結婚する気はない」
「ふーん」
御依はよく考えてみたら玉藻前の婚姻の意思の有無などどうでもいいことに気がついて話を打ち切る。
「そう言えばここからどうするの?」
移動方法や手順について特に聞いていなかった事を思い出して尋ねる。
期限が限られている以上はこれ以上は無駄な時間を過ごしたくない。
「バスに乗って隣町に移動して、そこにある大きな駅で汽車に乗り換える」
次の動きを端的に説明する。
「隣町?」
「それが一番近いからな」
「この街って小さい方なの?」
「そんな事は無いが…アクセスの便がいい駅はないな」
決して小さな街ではないが目的地のアクセスの便は良くはない。
二人は荷物を持ってバス停まで向かう。
「ねぇ」
「なんだ?」
二人は足は止めずに街の中を歩きながら話す。
「さっき言ってた領土とか特権って何?」
「あー…」
あの場では黒壇公やそこ配下がいた為流したが一応それを口にしている。
「いわゆる神級同士の相互不干渉の取り決めじゃよ」
「不干渉?」
「まぁいわゆる神級同士で結託の禁止や自領度以外での法的な権限の制限じゃな」
先程黒壇公が見て見ぬふりをしたのは逮捕する権利がこの土地では無いからこそだと説明をする。
「ん?」
しかし御依はどこか納得がいかない。
それでいいのかと。
「いや、結果として私を取り逃してるよね?」
不干渉という取り決めだが明らかに裏目に出ているではないかと指摘する。
玉藻前は黙ってその指摘を聞いている。
「いや、確かにさ。下手に同盟を組んで強い派閥が出来るのを阻止するのは分かるけどね」
実際人間の世界でも大きな派閥を作らせない取り決めなどは歴史的に見ても存在はする。
「でも今の隣界って食料危機を含めて問題が多いんだから協力を進めるのが普通じゃないの?」
御依はそう言いながらもなんでアドバイスしてるんだと自問する。
その指摘をしながらも人間の世界でも実際肌の色でいまだに揉めているのだから協力なんて無理かとも思ってしまう。
玉藻前は難しそうな顔をしながらうんうんと考える。
説明が難しいのではなく何から順序を立てて話すべきかを考えている。
「まずはこの制度が生まれた経緯じゃな、この制度を作ったのは『薄明王』という神級じゃよ。儂に代わってその座についた新参じゃ」
御依はまたまた初めて聞く名前を覚える。
考えてみれば玉藻前が神級の位を失ったのなら代わりがあてがわれるのは当然で、それが薄明王なのだと。
「アイツはいわゆる上級怪異たちの中でも神級の座の手前にいる者達を集めて政治的な監視組織を作った。そして神級が極端な不正や癒着をすれば摘発する権限を与えて特権階級にした」
「ほう?警察みたいな?」
玉藻前はまぁそんなもんだと言って説明を続ける。
「つまりその制度を作ることで大きな結託を無くすとともに現状に不満を感じる反乱意思のある上級達に地位と権利を与えて黙らせたわけじゃな」
そうする事で権利や権限を分散させて相互監視社会を作り上げてしまった。
「なるほど、つまり甘い汁を吸えるから現状を変えたくないんだね?」
「そうじゃ」
そして怪異の寿命は人間より長い。
人であれば百年も経たずに強制的に代替わりしてしまう。
もちろんピンキリの話にはなるが怪異社会はトップが殆ど死ぬ事はない為、制度が出来る前から人間と違い大きな変革が起こりにくくそれを不可侵の制度が補強している。
玉藻前が亜夜鳴に肩入れしたのと、それにより薄明王が台頭したのが大きな変化というくらいだった。
「なるほど、つまり薄明王は自分の地位を脅かす存在に力を与えて現状維持を確立して椅子取りゲームをさせない枠組みを作ったわけか」
「それもあるだろうが、自身の地位確立だけでなくこの制度によって社会での混乱も減り民衆の生活に余裕が出来たからそれも狙ったのじゃろうがな」
玉藻前は御依の結論に対して補強を加える。
もっと細かく説明をして行けばキリがない為取り敢えず説明を打ち切る。
「おっ」
玉藻前は前方に見えるバス停を見て声を出す。
簡素な屋根に二人ほど座れそうなベンチ、そして時刻表らしき紙が貼られたポールが置かれている。
「……」
御依は見覚えしかないバス停の標識と風景に対してもはやなにも突っ込まない。
違いを感じるのは恐らく魔力を使っている灯りで照らされている事くらい。
「ん?」
御依はつい声を出してしまう。
玉藻前が突如御依を開いている片方の手で抱き寄せる。
「どうし」
「離れるな」
相手のその声を聞いて気がつく。周りを既に取り囲まれている。
「九焔姫さま」
その声には聞き覚えがあった。
半日ほど前に隣界落ちてから森を彷徨った際に追いかけ回された。その際に御依を追い詰めた男の声。
「その子供をこちらに引き渡してもらいます」
丁寧な口調ではあるが声色は拒否を前提にしていない。
周りには彼の部下が距離を保ちながら構えている。
「嫌じゃな」
しかし玉藻前の答えは拒否の一点張りだった。
「ここは何処と考えての発言でしょうか?」
「儂は九焔姫だぞ?何故お前達に従えられなければならん?」
しかし相手はそれを聞いて鼻で笑っていた。
「千年前に凋落した神級が笑わせる」
玉藻前は千年前に亜夜鳴に肩入れして反逆者になり神級の位を剥奪されて最下層の身分にまで落ちた、怪異の中でも最大の転落者。
そんな女が強がっていると誰もが笑い嘲る。
「……」
御依は歯噛みする。
玉藻前が馬鹿にされているだけでなく、この場が既に多数の怪異達によって包囲されている。
もう既に逃げ道はない。
(何より…)
御依は亜夜鳴だった頃、玉藻前の力は知っている。
体感として自分を追い詰めた狼男の方がずっと強く感じていた。
玉藻前の啖呵は勇ましいがとても勝てる気がしない。
「身の程知らずが…」
そんな心配などはよそに平坦な口調で構える。
「儂は九焔姫であり神だぞ」
その瞬間、ブワッ!と目で見えると錯覚するほどの覇気が辺り一帯に振りまかれる。
御依の目は循環魔術特有の空気に描かれる術式を捉えていた。その術は煙としてあたり一帯に撒き散らされる。
「この場から立ち去り全てを忘れろ」
玉藻前がそう言葉を発するとその煙に巻き込まれた捜索隊の怪異達は瞳孔が開きぼんやりとしてからそれぞれがその場を後にしていく。
「すごい…」
御依はカラクリに気がついた。
この途轍もない威力は隣界の魔力が分散されずにとどまる性質を利用した循環魔術だと気がつく。
そして属性は闇属性の洗脳だった。
玉藻前は千年前に京都にいた時は現界の特性のせいで体に大きな負担がかかり本来とは程遠い力だったのだと。
だからこそ今の力こそが本来の神級怪異の九焔姫なのだと。
「こ、こんな事をして許されるはずが」
しかしリーダー格の狼男だけは耐えていた。
よく見ると舌を噛み切って耐えているようだった。
「ほう?」
玉藻前は咄嗟の判断を見て感心する。部下達は皆何の反応もできずにやられてしまったのだから。
「な、何故千年前の負け犬にこんな…」
彼は九焔姫は千年前に負けた敗北者だとそう認識していたのだ。
しかし蓋を開ければ隔絶した力の差があった。
「大したものだ」
玉藻前は御依から手を離すと相手に詰め寄り殴り飛ばし地面に叩きつけてしまう。
相手は「ゴッ!?」と短い呻き声をあげて地面に倒れ伏してしまう。
「さてと」
完全にこの場を制圧して困ったなと思い、近くにまだ残っていた捜索隊員の一人に声をかける。
「おいそこのお前」
「はい…」
「コイツを片付けておけ」
「かしこまりました」
玉藻前は洗脳した一人に担がせて運ばせてしまう。
御依はそれを見て玉藻前の評価を変えた。強いのは知っていたがここまでの力を持っているのは知らなかった。
「おい、あと五分でバスが来るぞ」
玉藻前はベンチに座り御依に呼びかける。
「切り替え早くない?」
御依はため息を吐きながら同じくベンチへと向かう。
そしてバスに乗り次の目的地へと進んでいく。
◎
藍原御依、完全怪異化まで残り五日と数時間。