白い冷気がまだ地面を這っている。
凍りついた敵の群れの向こう側で、オーロラカーテンから現れた二つの影は、まるで最初からそこへ立つことが決まっていたみたいに、静かに足を止めた。
片方は、深い緑の髪を夜気へ揺らしながら、周囲の状況を一瞬で見渡している。
昔と同じそばかすは残っているのに、目つきだけは見間違えようがないほど大人びていた。
もう片方は、赤と白に分かれた髪を乱さないまま、凍結した戦場の真ん中へ当然のように立っている。
無駄のない姿勢も、静かなくせに妙に重い気配も、知っている。
知っているが、今の姿でそこへ立たれると、さすがにすぐには飲み込めない。
「……おい」
思わず漏れた声は、自分でも驚くくらい間の抜けたものだった。
目の前の二人がこちらへ視線を向ける。
それだけで、記憶の中の輪郭と、今そこにいる現実が繋がってしまう。
「まさか、本当にお前達か」
緑谷が、少しだけ気まずそうに、それでもどこか安堵したように息を吐いた。
「はい。どうにか間に合いました」
落ち着いた声だった。
昔みたいに焦って早口になる感じは薄れている。
それでも、相手の無事を先に確かめるような柔らかさだけは、そのまま残っていた。
その隣で、轟が短く俺を見る。
昔よりも背が伸びたとか、肩が広くなったとか、そういうことも確かにある。
だが、一番変わったのは、迷いの消え方だった。
静かなくせに、もう揺れていない。
「師匠」
その一言だけで十分だった。
こいつが誰で、何年ぶりにこうして目の前へ来たのか、全部そこへ詰まっていた。
「……本当に、轟か」
「そうです」
短い返答だったが、それで足りる。
足りるからこそ、余計に現実味がない。
別世界の、しかも時間の流れまでずれた場所から、知っている奴らがこうして平然と立っている。
世界を渡るのが俺の役目だとしても、毎回これに慣れろというのは無茶な話だった。
「緑谷まで来るとは思わなかったぞ」
俺がそう言うと、緑谷は苦笑いしながら、腰の装備へ軽く手を触れた。
そこにあるのは、俺の知っているヒーロー世界の装備とも、ライダーの変身機構とも少し違う、異質なドライバーだった。
「オール・フォー・ワンの反応を拾ったのは、こっちです」
緑谷がそう言いかけた瞬間、ドライバーの中心部が淡く光る。
次に流れた声は、若いものではない。
よく整った、落ち着いた、そしてどこか理知的な響きだった。
「訂正します、緑谷君。正確には、私とゼインドライバーが感知し、彼へ進言しました」
その声音へ、俺は思わず目を細めた。
丁寧で、隙がなく、相手を冷静に観察したうえで言葉を選んでいる。
聞き覚えがある、というより、こういう声を持つ男を俺は別世界で何人か知っていた。
だが、その中でも、この理知的な空気は妙に完成されている。
「お前もこっちに来ていたのか、ナイトアイ。あれ、オールマイトは」
「彼は既にかなりの高齢ですし、さすがに限界ですよ」
その言葉に、俺は一瞬だけ黙った。
なるほど。
この場へ来るまでの経緯も、オーロラカーテンの座標調整も、妙に無駄がなかった理由がようやく分かる。
感情より先に状況を整理し、最短で動くことを選ぶ人格なら、こういう強引な救援も成立する。
ドライバーから、再び落ち着いた声が流れる。
「旧敵性個体、オール・フォー・ワンの異常反応を確認した時点で、こちらも即応を選びました」
「即応にしては、ずいぶん派手な登場だな」
俺がそう返すと、ナイトアイの声は少しだけ間を置いた。
「すいません、さすがに世界を越えるというのは初めてでしたので」
「いや、おかげで助かった。何よりも、これ以上ない助っ人だからな」
おそらく、今の緑谷はゼインに変身する事が出来、そして、轟の個性もまた、多数では大きな力を持つ。
その間にも、凍りついていた敵集団に異変が起き始めていた。
最初に揺らいだのは、先頭へ立っていたミラージュ・アギトだった。
赤い目をこちらへ向けたまま、その輪郭が不自然に薄れていく。
続いて、整列していたアルファ達の装甲が、煙にでも変わるみたいに端から崩れ始めた。
ギル・アギトの群れも、凍りついた獣の姿勢のまま輪郭だけを曖昧にし、最後方のヘキサオーズでさえ、六本の触手から順に黒い霞になってほどけていく。
「……何だ?」
俺が低く呟くと、緑谷がすぐに周囲へ視線を走らせた。
昔よりずっと無駄がない。
見て、考えて、理解するまでが早い。
「存在の固定が切れてる……?」
轟は、消え始めた敵の列を静かに見たあと、短く断じた。
「違う」
「退いてる」
その通りだった。
これは崩壊じゃない。
ここで戦いを続ける価値がなくなったと判断して、引き剥がされている。
ミラージュ・アギトの赤い目が最後に一度だけこちらを睨み、次の瞬間には、全身が黒い煙へ変わって霧散した。
アルファ達も、ギル・アギトの群れも、ヘキサオーズも、まるで最初から幻だったみたいに、氷だけをその場へ残して消えていく。
「撤退、か」
俺がそう吐き捨てると、緑谷がわずかに眉を寄せた。
「僕達が来たから、でしょうか」
「それもあるだろうが、それだけじゃない」
凍りついたまま消えていく敵の残滓を見ながら、俺はそう答えた。
この流れには、別の意志が混ざっている。
イリスの判断というより、もっと外側から盤面を動かしている何かの都合だ。
そう考えた方が自然だった。
そのイリス自身も、目の前の消失へ戸惑いを隠せていなかった。
「そんな……まだ、終わってないのに……」
声が震えている。
少なくとも、こいつの意思ひとつで消している顔じゃない。
「お前の判断じゃないのか」
俺が問うても、イリスは答えない。
ただ揺れる視線だけが、今起きたことすら掌握し切れていないと告げていた。
やがて最後の煙が夜気へ溶け、戦場には巨大な氷塊と、壊れかけた高架下の空間だけが残った。
静かになりすぎたせいで、逆に遠くから近づいてくる複数の足音がよく響く。
なのは達だ。
なのは、フェイト、はやて、それにアミタ。
駆けつけた四人は、まず凍りついた広場の惨状に足を止め、その次に俺の無事を確認して、最後に俺の左右へ立つ二人へ視線を向けた。
「ツカサ先生!」
なのはの声に、俺は軽く手を上げるだけで応じる。
フェイトとはやても続けて息を吐いたが、その安心は長く続かなかった。
俺の隣に立つ緑谷と轟を見た瞬間、三人揃って表情の意味が少しずつ変わる。
「……えっと」
なのはが最初に首を傾げる。
フェイトも視線を二人の間で行き来させ、はやてに至っては分かりやすく困惑を顔へ出していた。
「先生、この人達は……?」
「知り合いだ」
俺が緑谷を軽く顎で示す。
「こっちは緑谷出久」
次に、轟へ視線を向ける。
「それで、こっちは轟焦凍」
「俺の弟子だ」
「弟子!?」
一番大きく反応したのは、案の定はやてだった。
なのはもフェイトも、今の説明で納得するどころか、余計に首を傾げている。
当然だ。
突然現れた正体不明の二人が、片方は知り合いで、もう片方は弟子だと言われても、話が飛びすぎている。
緑谷が困ったように小さく笑い、軽く頭を下げた。
「初めまして、でいいんですよね」
「緑谷出久です」
轟も、短く会釈する。
「轟焦凍です」
その簡潔さに、なのは達の困惑はむしろ深まったらしい。
はやては俺と轟を見比べてから、どうしても飲み込めないと言いたげな顔で口を開いた。
「いや、ちょっと待ってください」
「先生に弟子がおるんですか……?」
「いる」
「即答なんや!?」
「そこに立ってるだろ」
俺がそう返すと、轟は何も言わないまま、少しだけ視線を逸らした。
昔と変わらない。
こういう時に自分から説明しようとしない辺りが、余計にこいつらしい。
緑谷の腰のゼインドライバーが、そこで再び淡く光った。
「状況説明を優先すべきだと判断します」
サー・ナイトアイの落ち着いた声に、なのは達がまとめてそちらを見る。
当然だ。
知らない二人の次は、知らないドライバーから知らない人格の声が聞こえたんだから、混乱しない方が無理がある。
「……また増えた」
フェイトが、正直すぎる感想を小さく漏らす。
俺は軽く額を押さえたくなった。
説明することが多すぎる。
しかも全部、一言で済むような代物じゃない。
「話は後だ」
結局、俺はいつもの結論に落とした。
面倒な説明は、状況が落ち着いてからでいい。
今はそれどころじゃない。
「消えた連中の行き先と、イリスの動きを追う方が先だ」
轟が短く頷く。
「分かった」
緑谷も真顔へ戻る。
「はい。僕もそう思います」
ナイトアイも、即座に補足した。
「同意します。敵性反応は消失ではなく移動です。追跡を優先すべきでしょう」
なのは達はまだ戸惑いを完全には消せていない。
それでも、今は説明より先に次の戦いが来ると分かっているからこそ、誰もそれ以上は食い下がらなかった。
はやてだけが最後にもう一度、緑谷と轟を見て、まだ納得し切れない顔のまま小さく息を吐く。
「……先生の知り合いと弟子、ほんまに情報量が多すぎるわ」
その言葉に、緑谷が苦笑いし、轟は無言のまま視線を前へ戻した。
俺はそれを横目で見ながら、冷え切った戦場の奥へ視線を向ける。
最悪の流れは断ち切られた。
だが、それで終わるはずがない。
オール・フォー・ワンが残したものも、イリスが開いた扉も、まだ何一つ回収し切れていない。
その現実だけが、凍りついた空気の中で、はっきりと残っていた。