自分を後藤ひとりと思い込んだ一般ぼっち大学生が、川崎でガールズバンドを組む話   作:淵岳 月夫

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09.偽善者

 高田馬場駅の中で、少しでも身なりを整えようとお手洗いに寄った。

 洗面台の前に行って前髪の間から鏡を見る。

 そこにはもう見慣れてしまった、リクルートスーツを着た自分の姿が写っていた。

 

「はいわたしを一言で例えると潤滑油ですと言いますのもわたしはある種のインフルエンサーとして数多の楽曲とリスナーを結びつける立場あり人と曲との仲介役として休むことなく日々活動している所存でございます」

 

 服に埃は、うん、付いてない。

 髪もどうしようもないアホ毛以外は綺麗にまとめてもらっているから、大丈夫なはず。

 最後に、鏡に向かってにっこり笑顔。

 ……見事に表情筋が死んでるオリジナル笑顔だ。封印で。

 

「よし、いこう」

 

 帰りたい気持ちをぐっと抑えてわたしは改札を出た。

 

 今日はバンド練習をお休みして、とある人と会う約束をしていた。

 その人はわたしの大学のOGで、芸能プロダクションの会社で働いているらしい。

 大学の就職課の人たちがその会社の書類審査を通ったわたしのためにアポを取ってくれていた。

 前の面接に落ちて真っ白に燃え尽きていたわたしを哀れに思ってくれたんだろうな……。

 

『特技はギターとありますが、特技を通してわが社にどのような貢献ができるとお考えですか?』

『ドゥオッ! オッ、オフィスのBGMになれます!』

『……この高校の頃の留年はどのようなご事情があったのですか?』

『あっ自分探しです!』

『…………最後に一言どうぞ』

『あ、ああっ! わ、わたしには60万人のファンがいますっ!』

『アリガトウゴザイマシター』

 

 もっと答えようがあったでしょわたしぃ!

 面接官さん途中からずっとお祈りの構えしてた!

 ご健闘どころかご快調祈られてた!

 なんでいたって健康なんだ馬鹿後藤ひとり……!

 

 ……もう6月になるし、就職課の人たちによると遅めの募集もそろそろ締め切ってしまうそうだ。

 実質的にこれが春のラストチャンスで、残りは秋に少しだけ募集があるくらい。

 だから、この機会を逃すわけにはいかない。

 本当は練習も休みたくなかったけど、ここは我慢だ。仁菜ちゃんにも怒られたし。

 

 目的地は目の前だ。

 駅のすぐ隣にある駅高架下のカフェ、ここにOGさんはいる。

 そう、これはOG訪問という名の1.5次面接。

 

「これが本当の……!」

 

 カジュアル面談だ!

 


 

09.偽善者

 


 

「改めて初めまして。私は株式会社ゴールデンアーチャーでマネージャーをしています、三浦と申します」

「ご、後藤ひとりです」

 

 注文した飲み物を持って席に着くと、向かいに座った女性がそういって名刺を手渡してきた。

 この人が三浦さん。わたしのOGに当たる人だ。

 メガネをかけてスーツを着こなした、出来るオーラを纏った綺麗な人だった。

 

「本日はカジュアル面談です。

 リラックスした状態で、相互理解を深めていければと思います」

「はっはい」

「ではまず、後藤さんの自己紹介をお願いできますか?」

「はいわたしは後藤ひとりと申します趣味と特技はギターですわたしは五歳のころからギターに触れており日に8時間以上の練習を行う継続力と時間を確保する自己マネジメント力が培われました数年前からは配信業を営んでおり培ったマネジメント力やプロデュース力を活かして今では60万人と着実にその視聴者数を増やすことができています」

 

 ……なぜだろう。お店の中がとても静かになった。

 まるで面接会場みたいな緊張感が店全体に走った気がする。

 三浦さんもズレたメガネをクイっと真ん中を押して直していた。

 レンズが白飛びして表情が伺えないのが怖い。

 

「……失礼しました。リラックスできる雰囲気ではありませんでしたね」

「いっいえッ! こ↑れ以上ないくらいラテックスしてますっ!」

「ゴムノキになっちゃいましたか」

 

 まずいっ! 目の前のシゴデキお姉さんはカジュアルをご所望している!

 落ち着けわたし、マインドフルネスでラマーズ法を数えるんだっ!

 

「1、2、ひっひっふーっ! 5、7、11、ひっひっふー!」

「ほ、本当に落ち着いてください! 1は素数ではありませんし3の倍数とかでおかしくならなくていいです!」

 

 過呼吸手前になりかけていたところを三浦さんになだめてもらい、頼んだカフェオレでひと息つけるくらいには落ち着けた。

 面談相手の人にわたしはなにをさせてるんだろう……。

 やることなすこと裏目に出るというか、言語プロセッサーにかけたようになってしまう。

 

 すると、向かいで同じようにコーヒーを飲んでいた三浦さんがすみません、と申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「学生の方の緊張を解きほぐすのはみ……私の役割なのですが、余計に緊張させてしまったみたいです。

 実は私も社外の面談などといったことは初めてなのです。言い訳にはなりませんが謝罪させてください」

「いっいえ、ありがとうございます……」

 

 すごくしっかりした人に見えたけど、三浦さんも初めてだったんだ。

 たしかに、マネージャーさんがみんな学生の相手をしているわけじゃないもんね。

 逆にすごくありがたいかもしれない。

 他の人と比較されたら学生どころか園児扱いされたかもだし。

 

「そうですね、少しアイスブレイク的な話をさせてください。

 ここのカフェの雰囲気、どう思いました?」

「どう、ですか……」

 

 店内を見渡してみると、コンクリートを打ちっぱなしにした壁に、現代アート風の絵が飾られていて独特の味があった。

 駅前だからだろうか。おやつ時を過ぎていてもスーツの人が目立つ。

 

「なんだか、働く人の場所って感じがします。

 あっあと注文がセルフレジだったところに人権を感じました」

「人権……?」

 

 陰キャにとってセルフレジかどうかは健康で文化的な最低限度の生活を送れるかどうかのボーダーラインだ。

 対面で注文をしたり、店員さんを呼ばなければならなかったりした場合、店内で衰弱してしまわないように注意を払わなければならない。

 セルフレジは全陰キャにとっての生存権である*1

 ありがとうセルフレジ! ありがとう人権宣言!

 

「よくわかりませんが、働く人の場所というのは私も感じる部分ですね。

 わが社はこの先の通り*2にあり、カフェがオフィスと駅の動線上にあるんです。

 他にもカフェはありますが、提供時間が早いのでわが社の社員は出社前によくここのカフェを使うんですよ」

「なっなるほど……」

「そういう普段の雰囲気も知ってもらいたくてここを選んだというのもあります」

 

 すごく色々考えてくれているんだな。

 わたしにはなかった発想というか、気遣いだ。

 

「どうでしょう、我が社で働く際のイメージの足しになりましたか?」

「あっはい。ここならわたしでも来られると思います……」

「良かったです。私は働く上でヴィジョン……なにを成したいかが重要だと思っていますが、それは日々の仕事や経験の積み重ねから生まれるものです。

 今日の面談が、後藤さんのヴィジョン形成の一助になれば幸いです」

 

 どうしよう、目の前の人が立派すぎる……!

 わたしも前世は社会人だったのに全然違う領域(ステージ)にいる!

 

「後藤さんがわが社に入ったとき、こんなはずじゃなかったという思いを私はさせたくありません。

 そのためには少し耳が痛いことも言うかもしれませんが、ご了承を」

「あっ大丈夫です」

 

 だってもう痛覚がなくなるくらいダメージを受けてるから!

 

「ありがとうございます。では改めて、後藤さんは現時点でわが社でどのような仕事がしてみたいですか?」

「あっはい……。わたしは、やっぱりお仕事でもギターを持っていたいです」

 

 三浦さんの問いかけに、わたしはこの面談のために整理してきた思いを口にした。

 

「わたしは小さい頃からギターを弾いていました。

 それはわたしがわたしでいるための、義務みたいなものだと思っていたんです。

 でも最近、初めて誰かとバンドを組むようになって、わたしはギターを弾くのが楽しかったんだなって思えるようになりました」

 

 桃香ちゃんと初めてセッションをしたときも、新川崎(仮)でライブをしたときも、わたしは楽しかった。

 多分、心の底から笑えていた。

 

「わたしが他の誰かをそんな気持ちに出来るのは、今はギターだけなんです。

 だから、ギターがいいんです」

 

 わたしの思いを一通りぶつけると、三浦さんは神妙な面持ちをしていた。

 ハッ! いけない、全然したい業務の話とかしてない!

 

「えっえと、なんで、今考えてるのはサポートギターです!

 バンドでもすぐ合わせられましたし、収録も良くやっているのでノウハウはありますっ!」

 

 言葉を重ねても三浦さんの顔色は変わらなかった。

 お気持ちをぶつけたのがダメだったか……!

 

「……後藤さん。わが社はその、芸能プロダクションでして」

「あっはい知ってます! バンドも所属してて、音楽事業もやってるんですよね!」

「はい、私も音楽事業の所属なのですが……。その、あくまでわが社は事務所なんですよ」

「あっはい!」

「……音楽業界について説明させていただきますね。

 ミュージシャンは基本的に、レーベルとマネジメント事務所の二つと契約することになるんです」

 

 三浦さんの説明はこうだ。

 レーベルは音源の制作を担当する。

 レコーディングをしてCDを出したり、サブスクを配信するところがここ。

 一方、マネジメント事務所はその名の通りミュージシャンのマネジメントを担当する。

 メディアへの露出を考えたり、ライブを企画したり、グッズを出してくれるところがここ。

 

「どちらも兼ねている会社もありますが、わが社は事務所のみなんです。

 サポートを雇うのはレーベルが主体でして……」

 

 え、えっと、つまり……。

 株式会社ゴールデンアーチャーさんはサポートギターを募集していなくて……。

 

「わっわたしは就活シーズン終了間近に受ける会社を間違えていた馬鹿ということですか?」

「…………そうなってしまいますね」

 

 ……………………。………。……………………。

 

「あっお疲れさまでした。(この世から)消えますね」

「落ち着いてください! 頭からコップの中に入ろうとしないでください!」

「タイムマシーンってこの辺にありませんでしたっけ」

「多分そんなに小さくないです!」

 

 もう幼稚園くらいから面談やり直したいな。

 知ってますか。わたし社会人経験済みの人生二週目らしいですよ。

 一体なにをしていたんだろうね。お給料はどんぐりだったのかな?

 

「今日は本当にすみませんでした、家事手伝いの資格を取るために帰ります」

「ま、待ってくださいっ!」

 

 立ち上がって席を離れようとすると、三浦さんは手首をつかんでわたしを引き留める。

 三浦さんはそのまま、顔を伏せて漏らすように言葉を吐き出した。

 

「後藤さんの希望する職種はたしかにわが社にはありません……」

「み、三浦さん……?」

「でも、わが社じゃなくてもいいんです! 三浦は、後藤さんに諦めてほしくありません!」

 

 そう言って顔を上げた三浦さんは、今までの出来るマネージャーではなく、むき出しの、ありのままの一人の人間に見えた。

 

「三浦は、何者にも成れないまま、せめて音楽に関わり続けたいと今の仕事を選びました。

 今の仕事はとても充実しています。ですが、夜寝る前に思うことがあるんです。

 ……まだ、足掻けたんじゃないかって」

 

 なぜだろう。

 三浦さんはわたしと全く違う人種のはずなのに、その声色に聞き覚えがある。

 自分の口から内耳に届く、諦めと未練の色。

 その後悔は鏡に似ていた。

 

「三浦は後藤さんのスキルがどの程度なのかは分かりません。

 だけど、この面談で後藤さんのギターへの真摯さは伝わりました。

 それを三浦は失ってほしくない! 好きを仕事にすることを、諦めてほしくないんです!」

 

そう言い切った三浦さんの呼吸が、やけに鮮明に聞こえていた。

 

  ◇

 

 そんなことがあった日、仁菜ちゃんと桃香ちゃんは喧嘩していたらしい。

 帰宅途中、『話がややこしくなるから来んな♥』というL〇neを見て泣いた後、送信主のすばるちゃんにそう聞いた。

 どうやらダイダスの事でなにかあったみたいだ。

 心配したけど、飲み物を掛け合ったらひとまず落ち着いたそうだ。

 どうしてそうなったんだろう。ビールかけみたいな暗黙の風習があるのかな。

 

 面接からも二人の喧嘩からも日が経って、ライブ当日。

 わたしはというと、リハーサル前のライブハウスの前で立ち往生していた。

 それはというのも、

 

「あっあれは、川崎駅の(ぬし)の人……」

 

 同じように立ち往生している、わたしのチケットを買ってくれたホームレスのおじさんを物陰から眺めているせいだった。

 

 ……あのチケットを手に持ちながらもライブハウスの前を行ったり来たりしている雰囲気。

 開演時間よりかなり前に来ちゃった手持ち無沙汰感。

 陰キャの五感すべてが告げている、あれは……!

 

「M(マジで)K(帰る)5(五秒前)……!」

 

 わわわ、わっかる~~~!

 修学旅行とか文化祭とか、クラスメイトと同じ参加者なはずなのに己の内側から湧き出る余所者感!

 始まる前から後悔してるあの感じ!

 その一挙手一投足が手に取るように解る!

 いわば(たましい)共鳴(きょうめい)……!

 

「だけどあれじゃ本当に帰っちゃう……!

 …………よ、よ〜s」

「アンタ客? 悪いけどこれからリハなんだわ」

「iノ・アオヤマッ!? ……あっなんだ向こうか」

 

 引き止めようと俯いて気合を入れていたら、突然近くで誰かに話しかけられた気がしてつい声帯の人の名前を呼んでしまった。

 その声は別にわたしに近くなかったし、話しかけている相手も違う。

 視線を声の方に向けると、ギターケースを背負った茶髪のいかにもバンドマンな男の人が主の人に声をかけていた。

 バンドマンの人は主の人が手に持ち続けていたチケットに目をやっている。

 この人も今日のライブに参加する人なのかな。

 

「ああいえ、すみません。

 気になって店を見ていただけです、すぐに帰ります」

「ふーん……。ていうかオッサン、(くせ)ぇな」

 

 そういってバンドマンの人は主の人の服に視線を移した。

 主の人はスーツを着てはいるけど、布地はよれよれで裾もほつれて糸を引きずっている。

 でも、仕方ないことだった。

 家もなくてお金もなくて、どうやって身なりを整えろっていうんだ。

 

「その格好じゃここには入れねぇよ」

 

 だけど、バンドマンの人の言葉も事実だった。

 狭くて暗くて湿気ている場所で一時間も二時間もいるのがライブだ。

 チケットを持っていても、極端な臭いや格好の人は入れてくれないこともあるだろう。

 

 でもそれはまともなライブハウスの話!

 今からシュールストレミング買ってきてお客さんの鼻を潰せば個人の臭いなんて関係ないこと……!

 だから負けないで主の人! そんな女殴ってそうなバンドマンなんかに!

 

「はい、分かってます。それでは……」

「待てよ。ほら」

 

 背中を向けた主の人の肩をバンドマンの人が掴む。

 そのまま主の人を振り向かせると、バンドマンの人は主の人の手にあるものを掴ませた。

 

「ライブハウスはTシャツとGパンが正装なんだよ。

 これで服買って体洗ってきな。

 あっちのラブホならどんな格好でも入れるから」

 

 掴ませたのはお札だった。

 たぶん、チケット代よりも全然高い値段の。

 くしゃくしゃになってない、普通のお札。

 

 ……それは、駄目じゃないか。

 それはあまりにも直接的で、その行為を、わたしは暴力とすら受け取ってしまいそうだった。

 

 自分の手の中に納まったお金を見て、主の人は顔のしわを深くする。

 

「……食い物以外の施しは要らん」

「はぁ? 施し?」

 

 一段声が低くなった主の人の言葉に、バンドマンの人は心底不服そうな顔をした。

 

「なんも分かってないなアンタ。こいつは投資なんだよ、トーシ。

 客に俺ら以外に意識を割かせないための投資。

 アンダスタン?」

「ならワシをそこの店に入れなければいいだけの話だ」

「いや、お前も俺らの客だろ」

「ワシはあんたを見に来たわけじゃないんだが」

「ふんっ、どうせ河原木桃香だろ。

 だとしても変わんないね。河原木桃香目当ての客も全部俺らの客にしてやる」

「……難儀な奴だな、お前」

 

 ため息をついて、主のおじさんは懐にお札を仕舞う。

 

浮浪者(ワシら)には返せるものがない。

 だから、生きるのに不要なものを受け取りたくなかった。

 しかし、ワシがコレを楽しむことがお前にとって得になるのなら、受け取らせていただこう。

 ……ありがとうございます」

「おう、しっかり湯船に入って三回くらい体洗ってから来てくれ」

 

 主の人は深くお辞儀を下げると、バンドマンの人が指をさした方向に去っていった。

 

 解決、したのかな。

 主の人の事情はなにも変わってないし、バンドマンの人の言葉にもあまり納得はいかない。

 だけど、事実としてバンドマンの人は主の人にお金を受け取らせた。

 それは今のわたしには絶対にできないことだった。

 

 わたしとこの人との差。

 この人は、自分のお客さんかもしれない人に話しかけて、関わろうとすることができたこと。

 わたしはその事実を、受け止めなければいけない。

 

「あー、金ね~。……なんだよ」

「カヒィッ」

 

 それはそれとして、財布の中身を見つめていたバンドマンの人がこちらをにらみつけた段階で逃げさせていただきました。

 あたりを一周してからライブハウスに入ろう……、ばったり会うと怖いし……。

 

  ◇

 

「こっこれがわたしのライブT……!」

 

 ライブハウスのスタッフ通路でわたしたちはライブ衣装を広げていた。

 目の前で広げたTシャツの前面には、仁菜ちゃんの字で大きく「ぼっち」と書かれている。

 黒地に黄色の文字でこれは……!

 

「なんでぼっちだけ悪口じゃないんだよ」

「桃香さん桃香さん、ぼっちは悪口だよ」

 

 桃香ちゃんの手元のTシャツには「脱退」、すばるちゃんのには「嘘つき」、仁菜ちゃんのには「不登校」と書かれていた。

 「一緒に裸になってもらいます」とは、仁菜ちゃんの談だ。

 

「なにか捻ろうと思ったんですけど……、ぼっちさんはぼっちさんしか思い浮かばなかったんですよね」

「あっはい、ぼっち・ざ・ろっくです!」

「えっなに、二つ名?」

 

 すばるちゃんがなにか言ってる気がするけどわたしは目の前のTシャツから目が離せない。

 だってもう、タイトルだこれ!

 仁菜ちゃんには特になにもお願いしていないのにこれはもう、見てるでしょ! 原作!

 

「ごっご視聴、ありがとうございます。サインいりますか? へへっ」

「え、いらないですけど」

「二期楽しみにしていてください……!」

「ひとりさんヤクやってる?」

「ロックだな」

「アンタが桃香?」

「カヒュッ」

 

 同類だけが放つにおわせ*3を嗅ぎ付けていたところ、聞き覚えのある声がわたしを現実に引き戻した。

 廊下を区切る扉の方にはメッシュの入った金髪にピアスの男の人が、ズボンに手を突っ込んで立っている。

 まずい、さっきのバンドマンの人だっ!

 

「ひとりさん、物が入ってるゴミ箱は止めろマジで!」

「……悪いけどさ、俺ガールズのノリ嫌いなんだよね」

 

 わたしがすばるちゃんの妨害で防御態勢を取れずにいると、バンドマンの人は桃香ちゃんの方を見ながら話を続けた。

 よっよかった……! わたしに微塵も興味がない……!

 

「空気ぶっ壊してもいい?」

「別にあたしらは……」

「心配しなくても、私たちがぶっ壊しますんで!」

 

 桃香ちゃんの言葉を遮った仁菜ちゃんは、ふんっ、と胸を張った。

 仁菜ちゃんとバンドマンの人の間に沈黙が訪れる。

 ……なにか始まるの、二人の間に!? わっ、わたしはきららアニメ原理主義者だぞっ!

 

「あっそ」

 

 バンドマンの人は扉の向こうに去ろうとする。

 

「あっあのっ」

「……なんだよ」

 

 その背中を、わたしは引き留めてしまった。

 こっ怖い! 初対面の桃香ちゃんくらい怖い!

 怖いしさっきは逃げちゃったけど……!

 

「さっ、さ……! さっきは、ありがとうございました」

 

 このお礼は、言っておかないといけない。

 だってあの主の人は、この人のお客さんじゃなくて、わたしのお客さんなんだから。

 この人の暴力的な善行に、気持ちだけでも負けちゃいけないんだ。

 

「……お前のためじゃねぇよ」

 

 そういって、今度こそバンドマンの人は去っていった。

 

「「へぁ~……」」

 

 虚勢を張っていたわたしのため息に声が重なる。

 仁菜ちゃんも同時に気が抜けてしまったみたいだ。

 

「なにやったんだ、あいつ」

「あっ新規顧客の開拓に貢献いただいたといいますか……」

「セールスかよ。ま、良かったな」

「あっはい……」

 

 へたり込んだままのわたしたちを見て、残った二人が笑った。

 わたしは一緒に笑われた仁菜ちゃんと顔を合わせる。

 仁菜ちゃんもきっと同じことを思っているはずだ。

 

 こういうのが得意そうな二人だけなにもしてないってどうなの……。

 

  ◇

 

 足元さえおぼつかない暗闇の中で仁菜ちゃんの呟く声が聞こえてくる。

 

「怒りも恥ずかしさも、みっともなさも恥ずかしさも、布団かぶって叫びたくなる過去も、思い出すだけで全身から汗が噴き出す後悔も、全部さらけ出して……!」

 

 積もった言葉ははち切れそうで、今か今かと飛び出すときを待っている。

 そして一呼吸。

 

「行くぞぉおおおおお──────っ!!!!!」

 

 仁菜ちゃん(フロントマン)のシャウトに、振り上げたこぶしに呼応してステージを光が満たす。

 それが曲の始まりを告げる(とき)の声だった。

 

「全部をさらして、生きてやる────!!!」

 

 堰を切ったように音が溢れる。

 疾走感のあるイントロをダブルチョーキング*4によってメロに繋げながら、わたしは客席を見渡した。

 

 ソールドアウトらしいライブハウスには、お客さんがぎゅうぎゅうに詰まっている。

 ある人は体を揺らして、ある人はスマホでこちらを撮りながらリズムに乗っていた。

 照明が強いからか、ステージからは意外なほどにお客さんの顔がよく見える。

 後ろの方を眺めてみると、Tシャツ姿の髪をまとめたおじさんが目に入った。

 

──主の人だ。ちゃんと聴きに来てくれているんだ。

 

 そんなことを考えながら仁菜ちゃんを見ると、わたしの顔を見て不思議そうにした後すぐに前を向きなおした。

 わたしはアイコンタクトじゃ伝わらないか、なんて思いながら、仁菜ちゃんのパフォーマンスを観察する。

 

 仁菜ちゃんのライブパフォーマンスは天性のもののように思えた。

 抑揚をつけながらも全身で気持ちを表現する動作。

 猫背気味にかがんでリズムを刻む姿に青い力強さが迸る。

 そして、大胆に動きながら歌をおろそかにせず、体の動きをニュアンスに込めて歌っていた。

 しっかり胴から余計な力が抜けている証だ。

 これを何の指導もなくやってのけるのだから、仁菜ちゃんは凄い。

 

 お客さんの視線の殆ども、いつの間にか仁菜ちゃんに向かっていた。

 バンドではボーカルが目立つというのもあるけれど、今日のお客さんは多くが桃香ちゃん目当てだ。

 店長さんが桃香ちゃんの名前で広告を打ったから売り切れたという事情がある。

 その中で自分の方に視線を集められる仁菜ちゃんには光るものを感じずにはいられない。

 

 対してわたしは、棒立ちで下を向いてばかりだ。

 同じ猫背でも何かが放たれるような予感は感じないだろう。

 わたしのお客さんと思っておきながら、恥ずかしいことばかりだ。

 

 そう自嘲しながらサビ前に入ったとき、一人のお客さんと目が合った。

 同じくらいの年の短髪の女の子。

 隣にはわたしがノルマのチケットを売った長髪の女の子がいる。

 もしかしたら、わたしのチケットを買ってくれたもう一人なのかもしれない。

 

 その女の子は不安そうで、いまいち曲に乗り切れていないように見えた。

 理由は分からない。

 ライブが初めてなのかもしれないし、わたしの情けない姿のせいかもしれない。

 

 もう一小節もしない内にサビに入る。

 わたしはエスパーじゃないし、陰キャだから、初めて見た人の顔色で気持ちを察することなんてできない。

 だけど、わたしたちの演奏を聴いてくれている人にそんな顔は、してほしくないんだ。

 

『まだ、足掻けたんじゃないかって』

 

 サビが始まって、わたしは飛んで、跳ねた。

 仁菜ちゃんに集まっていた視線がわたしにも注がれるのを感じる。

 それはとても怖いけど、今は考えないことにして、目線の先の女の子だけに集中した。

 

 こういうのはきっと、お手本が必要なんだ。

 あなたがなんで不安そうなのかは分からない。

 でも、せっかくこんな、狭くて暗くて湿気ている場所に来たんだから。

 こうやって、曲に合わせて跳ねているだけで楽しいって、知ってほしいんだ。

 だから。

 

──だから、笑って。

 

 そう念じてぎこちなく笑う。

 女の子はあっけに取られたような顔を浮かべた後、すぐに笑顔になって長髪の女の子と一緒に手を挙げ始めた。

 

 よかった、なんて考えていると、自分の視界が広がっていくのを感じる。

 隣を見ると、いつのまにか仁菜ちゃんも同じように飛び跳ねて笑っていた。

 桃香ちゃんもすばるちゃんも、ステージ前に広がるお客さんたちも、みんな笑っていた。

 

 決して楽しいだけの曲じゃない。

 ここに居る人たちも、楽しいだけの人たちじゃないだろう。

 だけど全員が、短い曲の一瞬だけでも笑っていた。

 

 曲が終わって、歓声がわたしたちを包む。

 かましてやったとバンドのみんなが見つめあって、次の曲に入るまでの短い時間に考えた。

 

 これを仕事に、人生にできたらどれだけ素晴らしいことだろうと。

*1
WIO - World Incha Organization(世界陰キャ機構)憲章より

*2
つつじ通り

*3
幻臭です

*4
弦二つを使ったチョーキング(ベンド)。高い音の弦に音を合わせるユニゾンチョーキングが一般的。




・後藤ひとり(偽)
ぼっち・ざ・ろっく!な人。
二期の発表は映画の後編くらいかなと考えていたら死んでいた。
ダイヤモンドダストとはあんまり絡まない運命にあるかもしれない。

・三浦さん
レーベルじゃなくて事務所のスタッフな人。
大人に見えてどこか青いところが抜けていない。

・バンド男
多分これ以降出番のない人その1。
桃香のファン(手島nariさん同人本より)。
本編よりモモカンの意識がちょっと割かれた。よかったね。

・主の人
多分これ以降出番のない人その2。
虚空から生えたモブ。
余ったお金はバンド男のバンドのグッズを買うことに使った。

・お客さん一号、二号
ひとり(偽)のノルマチケットを買った人たち。
短髪の子は長髪の子に連れられてライブに参加。
お勧めされたはずのギタリストが猫背棒立ちなので心配して見ていた。
アニメ準拠の後藤フェイスでファンサを受けて無事脳を焼かれる。


・井芹仁菜
・安和すばる
・河原木桃香
ひとり(偽)の知らないところでドラマが進行していた人たち。

09.偽善者
THE TIMERS「偽善者」1989.
=====

ライブ部分のセリフ、演出にまぬかはにー(@TSUYOtyaaaaan)様が描いたぼざろファンアートのオマージュが含まれております。
素晴らしいファンアートなのでぜひ見てください。
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