朝の店内は、静かだった。
シャッターを上げ、灯りをつける。
藤丸はいつも通りの手順で準備を進めながら、外の様子を一度だけ確認した。
朝の空気は澄んでいる。
この時間帯に来る客は、そう多くない。
だから、ベルの音が鳴った時、すぐに分かった。
「いらっしゃい」
顔を上げると、そこにいたのは小狼だった。
「……おはようございます」
「おはよう。通学前?」
藤丸が声をかけると、小狼は短く頷く。
「通学前に来ました」
「そっか。偉いね、朝ちゃんと食べるの」
軽く笑って言うと、小狼はほんの少しだけ視線を逸らした。
否定もしないところが、小狼らしい。
「いつものでいい?」
「……はい」
ローマの暁ミルクパン。
朝に食べやすいように、少しだけ柔らかく焼いてある。
会計を済ませ、袋を渡す。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
小狼はそれだけ言って、店を出ていった。
朝の光の中に、制服の背中が溶けていく。
「今日も頑張りましょう、先輩」
マシュがそう言って、トレーを整える。
「うん。いい一日にしよう」
藤丸は軽く頷いた。
それだけで十分だった。
――――
学校が終わる時間帯になると、店の空気が少しだけ変わる。
人の気配が増え、声が入り混じる。
ベルが鳴り、聞き慣れた声がした。
「こんにちはー!」
「こんにちは〜」
「いらっしゃい」
さくらとともよが並んで入ってくる。
二人は入ってすぐ棚を見渡し、楽しそうに顔を寄せ合った。
「今日は、どれにします?」
「えっと……今日は、これ!」
さくらが選んだパンを見て、ともよが嬉しそうに頷く。
「そちらも美味しそうですわ」
厨房からマシュが顔を出す。
「こんにちは。今日はここで食べていかれますか?」
「はい。少しだけ」
二人分のパンがトレーに並ぶ。
奥の小さな飲食スペースで、さくらたちは並んで座った。
いつもと変わらない光景。
笑い声は大きすぎず、でも確かに明るい。
藤丸はそれを横目に、次のトレーを整えながら思う。
こういう時間のために、パンを焼いているんだと。
――――
夕方。
外の光が柔らかくなり始めた頃、またベルが鳴る。
「こんにちは」
穏やかな声。
「いらっしゃい」
雪兎だった。
「今日は、まだパンありますか?」
「うん。まだあるよ」
雪兎が選んだのは、甘いパン。
迷いはない。
紙袋を受け取り、軽く会釈をしてから、雪兎は店を出た。
その背中を見送って、マシュが小さく息をつく。
「いつも、たくさん買っていかれますね」
「うん。あの人、意外と食べるよね」
藤丸は笑って返す。
そんな雑談が、店の空気をやわらかくする。
――――
空が暗くなり始め、街灯が灯る。
店の中も、昼とは違う静けさに包まれる。
ベルを鳴らしたのは、桃矢だった。
「……まだやってるか」
「うん。どうぞ」
迷わず選ばれる、カレーパン。
「今日も、これで」
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
それだけ言って、桃矢は紙袋を受け取り、店を出ていく。
背中は相変わらず、まっすぐだった。
――――
シャッターを下ろし、片付けを始める。
「今日も、一日終わりましたね」
マシュの言葉に、藤丸は頷いた。
「うん。いつも通り」
朝に来る人がいて、
放課後に笑う人がいて、
夕方に立ち寄る人がいて、
夜に持ち帰る人がいる。
特別なことは、何もない。
でも、それでいい。
灯りを落とす前、藤丸は一度だけ店内を見渡した。
壁の一角に、小さな写真が飾ってある。
ともよが撮ってくれたものだ。
藤丸とマシュ。
さくらとともよ。
そして、小狼――少しだけ照れた顔で、ちゃんとそこに写っている。
藤丸は写真から視線を外し、マシュに言った。
「マシュ、ありがとう」
「……はい?」
マシュはお礼を言われた理由が分からず、首を傾げる。
「マシュのおかげで、夢が叶ったから」
マシュは一拍おいて、それから少しだけ目を細めた。
「はい。ですが……私だけの功績ではありません」
言葉は柔らかいのに、芯がある。
「ここまで来たのも、新しい縁ができたのも――先輩が、掴み取ったものです」
藤丸は小さく笑った。
反論はしない。否定もしない。
「ありがとう。……じゃあ」
言いながら、店の灯りを最後に確認する。
「また明日からも、一緒に夢を叶えてくれる?」
「はい。いつまでも、お供します」
マシュは迷いなく頷いた。
藤丸はシャッターの鍵を回し、夜の空気に一歩踏み出す。
パンの匂いは、今日も変わらなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
初めての小説で、行き当たりばったりなところもあり、読みづらい部分もあったかもしれません。
それでも最後まで読んでいただけて、とても嬉しいです。本当にありがとうございます。
また書き直すことがあるかもしれませんし、別の世界でパン屋を開くかもしれません。
そのときは――また、次のパン屋でお会いしましょう。
追記:FGO終章でオルガマリー所長に脳を焼かれました。
オルガマリー所長とパン屋を開きたい人生でした。