鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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今回もお読みいただきありがとうございます。
風音の新生活は順調……かと思いきや、まさかの「無惨様直々のフィットネス指導」が入り、黒死牟さんの胃が死ぬ回です。

風音のポジティブ脳と黒死牟の常識の衝突により、物語は思わぬ方向へ。
「三日に一人の逸材」という謎の名誉(?)を背負った風音は、ついに剣術修行へ。
彼女がどんな進化を遂げるのか、そして黒死牟の理性が何話まで保つのか――
生暖かい目で見守っていただければ嬉しいです。


人妻の食卓事情と、六つの目の師匠

昼下がりの柔らかな日差しが、障子越しに部屋を照らしている。

 

私は今、ふかふかの布団の上でゴロゴロと転がっている。隣には誰もいない。旦那様――葛城様は、朝早くからお役目に出かけている。

 

つまり、今の私は自由だ。専業主婦の特権である「昼下がりの気怠るい時間」を謳歌している真っ最中である。

 

「……暇ですね」

 

天井の木目を数えるのにも飽き、むくりと起き上がる。平和だ。あまりにも平和すぎて、脳みそが溶けて耳から流れ出しそうだ。こんな時は、刺激が必要だ。誰かと話したい。それも、とびきり刺激的な相手と。

 

胡座をかき、目を閉じる。意識を内側へ、血の奥深くへと潜らせる。脳内に広がる黒い空間。そこには、私と、私の愛する保護者と、そして絶対的な支配者を繋ぐ、見えない糸電話がある。

 

「よし、繋がった」

 

脳内で、高座に上がる噺家のように居住まいを正す。扇子はないので、想像上のハリセンを持つ。

 

『さあさあ!寄ってらっしゃい見てらっしゃい!葛城家に身請けされた我らが風音の武勇伝!青い彼岸花という、本当にあるかも分からん幻の花を探せという、無理難題かつ至難の指令を!受けて!立ち向かうは、か弱き乙女!嫁いだ先の旦那様とは、毎晩のように枕を交わし、夜は私が主導権を握って、とってもいい気持ち……』

 

『やかましい!!』

 

間髪入れずに、怒声が脳内に響く。鼓膜がないのに耳が痛い。姉さんの声だ。

 

『あんたねえ!わざわざ講談のために私の念話回線を繋げるな!私は今、昼寝の最中なのよ!夢の中でいい男を侍らせていたのに、あんたのダミ声で台無しよ!』

 

『あら姉さん、起きてらしたんですか。生存確認がてら、私の幸せな新婚生活をお裾分けしようと思いまして』

 

『いらないわよ!惚気なら壁に向かって喋りなさい!』

 

姉さんのツッコミは今日も冴えている。元気そうで何よりだ。

 

すると。もう一つ、より低く、より重く、より不機嫌な気配が割り込んでくる。

 

『…………貴様ら』

 

地獄の底から響くような重低音。あの方――無惨様だ。

 

『私は回線の仲介役ではないぞ。私の血を通じた回路を、井戸端会議に使うな』

 

『え?違うんですか?』

 

私は素で聞き返す。

 

『え?』

 

無惨様が絶句する気配が伝わる。

 

『いや、てっきり似たようなものかと……。交換手?あるいは伝書鳩?便利ですよね、これ。いつでもどこでも、離れた相手と通話無料。無惨様も、千年も生きて暇だから、こうして若者の会話に混ざりたいのかなーって』

 

『…………』

 

沈黙。絶対零度の沈黙。遠く離れた姉さんが、泡を吹いて倒れる映像が目に浮かぶようだ。

 

『それに、「青い彼岸花」なんていうロマンチックな名前の花を千年も探してるなんて……。もしかして、本当は存在しない妄想の産物を追いかけている、少しボケたおじいちゃん……いえ、ロマンチストなのかなって』

 

『(ヒッ……!殺される!風音!口を慎みなさい!巻き込まないで!)』

 

姉さんの悲鳴が聞こえる。大丈夫ですよ姉さん。これは高度な交渉術です。相手を怒らせて、注意を引く。「押してダメならもっと押せ」が私の流儀です。

 

『…………貴様』

 

無惨様の声から、温度が消える。殺気だけが純化され、鋭利な刃物となって私の脳を突き刺す。

 

『死にたいようだな。やはり、貴様のようなふざけた出来損ないは、今すぐ処理すべきだった。嫁ぎ先ごと灰になれ』

 

脳内に、焼き尽くされるような熱が走る。本気だ。このお方、沸点が低い上に、冗談が通じない。

 

「冗談です!冗談!早まらないでください!ここからが本題です!」

 

慌てて軌道修正する。土下座の姿勢(心の中で)をとる。

 

『……旦那様の蔵書の中に、「青い彼岸花」に関する記述がありました』

 

ピタリ。殺気が止まる。

 

『大陸の架空の植物ではなく、この「日ノ本」にあるのは確からしいです!古い文献ですが、薬草の効能書きの中に、その名が記されておりました!』

 

『……何!?』

 

無惨様の声色が、一変する。怒りから、驚愕へ。そして、渇望へ。

 

『本当か!見間違いではないな?ただの彼岸花と混同しているのではないな?』

 

食いついた。チョロい……いや、純粋なお方だ。

 

『はい。旦那様……葛城様は本草学の大家。そのコレクションは伊達ではありません。詳細な自生地の場所まではまだ解析できていませんが、少なくとも「実在する」という証拠は掴みました。これは、千年の悲願達成への大きな一歩かと!』

 

畳み掛ける。嘘ではない。昨日、寝室に忍び込んで(妻だから堂々と入って)書物を漁っていた時に、確かに見つけたのだ。まあ、ほんの数行の記述だったけれど、話を盛るのはプレゼンの基本だ。

 

『でかした!』

 

無惨様の声が弾む。さっきまでの「死ね」という圧力が嘘のように、「よくやった」という波動に変わる。

 

『引き続き探れ!その文献を読み解き、場所を特定せよ!吉報を待っているぞ!』

 

『御意~』

 

軽やかに返事をする。

 

プツン。通信が切れる。無惨様は満足して去っていったようだ。嵐のような上司である。

 

『……あんた、本当に心臓に毛が生えてるわね』

 

姉さんが疲れた声で呟く。

 

『無惨様を手玉に取るなんて……。いつか本当に殺されるわよ』

 

『大丈夫ですよ。あの方は結果さえ出せば、過程には目をつぶってくれる……というか、単純な性格をしておられますから。飴と鞭の使い分けが分かりやすくて、扱いやすくて助かります』

 

『……その言葉、絶対に口に出すんじゃないわよ』

 

姉さんは釘を刺し、自分の通信を切る。やれやれ。心配性な保護者を持つと苦労する。

 

現実世界に戻る。布団の上。静かな昼下がり。

 

「さて、仕事もしたし(報告だけだけど)、お茶でも飲みに行きますか」

 

立ち上がり、着物の裾を整える。ここからは、「良き妻」としての時間だ。私の演技力が火を噴く時だ。

 

 

 

 

 

 

 

葛城家の縁側。手入れの行き届いた日本庭園を眺めながら、私はお茶を啜っている。隣には、穏やかな笑顔を浮かべた年配の女性。葛城様のお母上、つまり私のお義母様だ。

 

「風音さん。このお茶、美味しいでしょう?宇治から取り寄せた新茶なのよ」

 

「はい、お義母様。香り高くて、心が洗われるようですわ。葛城家の格式の高さを感じます」

 

上品に微笑む。背筋を伸ばし、湯呑みの持ち方一つにも気を配る。完璧だ。どこからどう見ても、良家のお嬢様が嫁いできた図だ。

 

(この新婚生活は、思いのほか快適だ)

 

心の中でガッツポーズをする。

 

嫁入り前は、意地悪な姑にいびられるのではないかと懸念していた。

 

「どこの馬の骨とも分からぬ遊女風情が!」と水をかけられる場面を想定して、防水加工の着物まで用意していたのだが、拍子抜けだ。お義母様は、私を実の娘のように可愛がってくれる。

 

(私が優秀で、なおかつ没落したとはいえ武家の娘だという出自が効いたらしい。読み書きもできるし、礼儀作法も(姉さんに叩き込まれて)完璧。「良家のお嬢様」を演じるのはお手の物だしね)

 

「それにしても、風音さんは本当に気が利くわね。息子の顔色も良くなったし、家の中が明るくなったわ。あの子、研究ばかりで根暗だったから、心配していたのよ」

 

「まあ、旦那様が根暗だなんて。あの方は、探究心が旺盛なだけですわ。そんな真面目なところをお慕いしております」

 

頬を染めてみせる。お義母様が「あらあら」と嬉しそうに笑う。嫁姑問題、クリアである。私の対人スキルは、十分に通用するようだ。

 

その時。玄関の方から、足音が聞こえる。

 

「ただいま」

 

聞き慣れた声。旦那様が帰ってきた。

 

「あら、早かったのね」

 

「ええ、今日は少し早めに切り上げてきました。新しい資料が手に入ったので」

 

葛城様が、書物を抱えて入ってくる。私と目が合うと、ふわりと表情が緩む。

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

駆け寄る。小走りで、いじらしく。そして、彼の手から荷物を受け取る。

 

「お疲れでしょう?今、お茶を淹れ直しますわ」

 

彼を見上げる。至近距離。彼の首筋。着物の襟から覗く、無防備な肌。ドクン、ドクンと脈打つ血管。

 

(じゅるり)

 

私の喉の奥で、何かが鳴る。唾液が溢れ出る。空腹感ではない。もっと本能的な、捕食者としての渇き。

 

「風音?どうしたんだい?顔が赤いよ?」

 

旦那様が心配そうに私の顔を覗き込む。その優しい瞳。温かい体温。

 

(……美味しそう)

 

私の脳内を、その一言が占拠する。

 

(ただ、問題がひとつ。この新婚生活における唯一にして最大の欠点。旦那様が、すごく美味しそうに見えるのだ)

 

優しくて、知的で、肉付きも程よくて。ストレスのない生活をしているせいか、肉質が柔らかそうだ。血の巡りも良さそうで、きっと濃厚な旨味があるに違いない。

 

(昨夜なんて、危なかった。床の中で、彼の首筋を甘噛みしていたら、愛おしすぎて、そのまま動脈に歯を突き立てたくなった。あと一歩で、新婚初夜が流血の惨事になるところだった)

 

「風音?」

 

「い、いえ!何でもございませんわ!旦那様があまりに素敵なので、見惚れてしまいましたの!」

 

心臓が早鐘を打っている。これは恋のドキドキではない。「食べちゃダメだ」という理性のブレーキと、「食べたい」という本能のアクセルが同時に踏み込まれている音だ。

 

(危なかった……。衝動を抑えるために、血鬼術『封鬼化生』の出力を限界まで上げて、人間としての感覚を強めて誤魔化したけど……。このままじゃ、いつか寝ぼけて食べちゃうかもしれない)

 

扇子をパチリと閉じる。決断の時だ。

 

(どうしようと悩む?それは二流のすること!私は超一流の鬼にして、良き妻!問題があるなら、解決すればいい!)

 

論理的に考えよう。なぜ旦那様を食べたくなるのか。それは、私が鬼だからだ。そして、鬼は人間を食べる生き物だからだ。つまり、食欲があるからだ。ならば。

 

(食欲が問題なら、他から持ってくればいい!満腹なら、目の前にご馳走があっても手を出さないはず!つまり、旦那様以外の人間を食べれば解決よ!)

 

地産地消ならぬ、外食産業の活用だ。屋敷の外には、美味しそうな人間がいくらでも歩いている。彼らを食べて、お腹いっぱいになれば、旦那様を見ても「もう入らないわ」となるはずだ。

 

「旦那様、少しお散歩に行ってまいりますわ。夕餉の支度までには戻りますので」

 

「え?一人で大丈夫かい?物騒だから、供をつけるよ」

 

「いえいえ!近所を回るだけですから!健康のためにも、少し歩きたいのです!」

 

笑顔で断る。供なんかついてこられたら、供ごと食べてしまいそうだ。

 

「そうか。気をつけてね」

 

旦那様は優しく送り出してくれる。本当に良い人だ。貴方を食べないために、私は他の人を食べに行くのです。これぞ究極の愛。

 

しずしずと歩き出す。人通りの少ない路地へ。そして、獲物の匂いのする方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おや?」

 

私の鋭い聴覚が、微かな足音を捉える。人間の足音だ。 それも、若く、軽く、そして無防備な足音。

 

木の上に飛び乗る。血鬼術『封鬼化生』の出力を調整し、半分鬼、半分人間のような状態になる。これなら、身体能力は鬼のままで、気配だけは薄めることができる。私の天才的な応用力に乾杯だ。

 

眼下を、一人の町娘が通り過ぎる。夜鷹か、あるいは祭りの帰りか。手には提灯を持っているが、その明かりは頼りなく、周囲の闇を払拭するには足りない。

 

(……良い肉付きだわ)

 

舌なめずりをする。ふくらはぎの筋肉の張り具合、首筋の白さ、そして何より、若さ特有の甘い匂い。メインディッシュには少し軽いが、夜食には最適だ。

 

枝を蹴る。音もなく、娘の背後へ落下する。

 

「そりゃー!!確保!」

 

「きゃあああ!誰!?何!?」

 

背後から抱きつき、そのまま木の根元へと押し倒す。提灯が転がり、火が消える。闇の中で、娘の恐怖に引きつった顔が白く浮かび上がる。

 

「ふむふむ、君は可愛いね~。近くで見ると、肌の張りもいい。餅肌ってやつね。羨ましいわ」

 

娘の頬をツンツンと突く。

 

「大丈夫だよ!取って食おうというわけじゃ……まあ、あるんだけど。いきなりガブリとはいかないから」

 

「い、いやぁ!助けて!誰か……誰かぁ!」

 

娘が暴れる。けれど、鬼の怪力を持つ私には、赤子の抵抗にも等しい。

 

「シッ!静かに。大声を出すと、喉の筋肉が硬くなって美味しくなくなるわよ?」

 

人差し指を娘の唇に当てる。物理的な圧力で黙らせる。

 

「まずは落ち着いて。お話をしましょう。私ね、嫁いでから同性の友人がいなくて寂しかったのよ」

 

娘の隣に座り込む。まるで、茶屋で友人と休憩するかのような気軽さで。

 

「葛城家のお義母様は良い人だけど、やっぱり世代が違うじゃない?最新の着物の流行とか、甘味処の情報とか、そういう『女子の会話』に飢えていたの。ねえ、お名前は?趣味は?好きな殿方の好みは?」

 

顔を近づけ、目を輝かせて問いかける。女子会だ。これぞ、私が夢見ていたガールズトークだ。血生臭いけど。

 

「(ガタガタ震えて答えられない)」

 

娘は答えない。歯の根が合わないほど震え、涙をボロボロと流している。私の問いかけが聞こえていないようだ。

 

「あら、無口な子。人見知りかしら?大丈夫、私は口が堅いから、誰にも言わないわよ(食べるから)じゃあ私から話すわね」

 

一方的に会話を進める。沈黙は気まずいからね。

 

「聞いてよ。うちの旦那様がね、意外と絶倫で困っちゃうのよ~。昼間は真面目な学者先生なんだけど、夜になるとスイッチが入っちゃって。まあ、私が煽ってるんだけどね。 やっぱり男の人って、少し焦らした方が燃えるみたいで……」

 

赤裸々な新婚生活の愚痴(という名の惚気)を語り始める。娘は白目を剥きそうだ。刺激が強すぎただろうか。

 

「……さ、お話ししながら食べてあげるね!いただきまーす!」

 

会話の句読点のような自然さで、娘の腕を掴む。そして、大きな口を開ける。

 

ガブリ。

 

「いぎゃああああああ!!」

 

娘の絶叫が響く。だが、ここは屋敷から離れた林の中。誰にも届かない。

 

「うん、美味しい!若い娘の脂肪は甘いわね!加須底羅は違うけど、これはこれで極上の甘味だわ!」

 

咀嚼しながら、満面の笑みで続ける。

 

「それでね、旦那様ったら可愛いところもあってね。私のために、わざわざ遠くの店まで櫛を買いに行ってくれたりするの。愛されてるわよね~私。あ、君もそう思う?右腕もいただくわね!」

 

バリボリ。骨を噛み砕く音が、軽快なリズムを刻む。

 

「やはり私は天才だ!女子の語らいを食事と一緒に行えるとは……効率の極み!心もお腹も満たされる、一石二鳥の贅沢時間ね!」

 

娘の恐怖に歪んだ顔を見つめながら、恍惚とする。この娘も、私の幸せの一部になれるのだ。光栄に思うべきだろう。

 

(……あとは、女同士の……「肌の触れ合い」もできれば最高だったんだけど)

 

娘の頬を撫でる。冷たくなっている。反応がない。

 

(この子は恐怖で固まっちゃってて、色気がないわね。姉さん(堕姫)なら、もっとこう、罵倒しながら蹴ってくれたりするのに。残念。やっぱり、姉さんの代わりはいないってことか)

 

少しだけ寂しさを感じながら、最後のひと口を飲み込む。ごちそうさまでした。骨一つ残さず、綺麗に完食だ。これで数日は、旦那様を「食材」として見なくて済むだろう。

 

 

 

 

 

 

食事を終えた私は、懐から手ぬぐいを取り出し、口元を拭う。鉄の匂いがするが、それもまた食後の余韻だ。着物に血がつかないように、裸になって食べていたので(天才的な配慮だ)、再び着物を着直す。

 

「ふう。満足満足。さて、そろそろ戻らないと、旦那様が心配しちゃうわね」

 

帯を締め直しながら、夜空を見上げる。月が綺麗だ。今日も良い日だった。

 

その時。

 

ゾワリ。

 

背筋に、冷たいものが走る。風ではない。気配だ。圧倒的で、絶対的で、そして底知れぬ闇のような気配。それが、私の背後に立っている。

 

「ん?……無惨様?」

 

そこには、地味な着流し姿の男が立っていた。闇に溶け込むように。あるいは、最初からそこにいた影のように。

 

「どうしたんですか、そんな柳の下の幽霊みたいに立って。驚かさないでくださいよ。心臓に悪いです」

 

気安く声をかける。普通の鬼なら平伏するところだが、私は食事直後で機嫌が良いのだ。

 

「……貴様の食事作法は、見ていて不快になるな」

 

無惨様が、冷ややかに言い放つ。眉間に深い皺が刻まれている。

 

「獲物に一方的に話しかけ、惚気を聞かせながら食うとは。悪趣味にも程がある。食欲が失せる」

 

「お褒めに預かり光栄です。食事は楽しく、がモットーですので」

 

「褒めていない」

 

無惨様は吐き捨てるように言う。相変わらず冗談が通じないお方だ。

 

「……風音。貴様に一つ命令がある」

 

無惨様が、一歩近づく。その威圧感に、周囲の空気が張り詰める。虫の声が止まる。

 

「命令?青い彼岸花なら、今文献を解読中でして……。まだ確たる場所までは特定できていませんが、西の方角に怪しい記述が……」

 

進捗状況を報告しようとする。

 

「それではない」

 

無惨様が私の言葉を遮る。

 

「貴様の『貧弱さ』についてだ」

 

「貧弱?私はか弱い乙女ですが?何か問題でも?」

 

小首をかしげる。守られるべき存在、それが私だ。

 

「……問題だらけだ」

 

無惨様が呆れたようにため息をつく。

 

「外で食事をするなら、いつ鬼狩りに遭遇してもおかしくない。貴様のその術『封鬼化生』は、逃げるには良い。気配を消し、人間に紛れれば、大抵の鬼狩りは撒けるだろう。  だが」

 

無惨様の目が鋭く光る。

 

「追い詰められれば終わりだ。人間化した状態では、ただの肉塊に過ぎん。術を解いて鬼に戻っても、貴様には戦闘経験が皆無だ。ただの再生力が高いだけだ」

 

「うっ……」

 

痛いところを突かれる。確かに、私は喧嘩が弱い。口喧嘩なら負けない自信があるが、物理的な殴り合いは専門外だ。

 

「少しは己の身を守れるようになれ。私の貴重な情報源が、下級隊士ごときに斬り殺されては目覚めが悪い」

 

無惨様は、私の「価値」を認めてくれているらしい。道具としてだが。

 

「つまり?護身術を習えと?合気道とかですか?それとも、催涙スプレーの開発?」

 

「剣を覚えろ」

 

無惨様が断言する。

 

「剣?」

 

「そうだ。鬼狩りは刀を使う。ならば、こちらも刀で対抗するのが道理だ。貴様のその無駄に高い学習能力と、動体視力があれば、それなりの使い手にはなるだろう」

 

剣術。武家の娘としては、嗜み程度には知っているが、実戦で人を斬ったことなどない。 ましてや、鬼狩り相手にチャンバラごっこなど、考えただけで汗が出る。

 

「ええ~……。爪が割れませんか?それに、剣ダコができたら旦那様に嫌われちゃいますよ」

 

面倒くさい。

 

「問答無用だ。これは決定事項だ。……紹介してやる。私の配下で、最も『侍』である男をな」

 

無惨様が、闇の奥を指差す。そこには、まだ誰もいない。だが、濃厚な気配が近づいてくるのが分かる。 姉さん(堕姫)よりも、兄様(妓夫太郎)よりも、遥かに重く、鋭く、そして静謐な気配。

 

「その者に師事し、剣の理を叩き込んでもらえ。逃げれば殺す。サボれば殺す。……励め」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……着いたぞ」

 

無惨様が足を止める。 そこは、少し開けた場所だった。月明かりが、スポットライトのように一点を照らし出している。

 

そこに、一人の男が立っていた。

 

侍だ。豪奢な着物を着流し、腰には異形の刀を差している。

 

男が、ゆっくりとこちらを向く。

 

「……無惨様……」

 

重厚な声。そして、その顔。

 

「おお……」

 

思わず、感嘆の声を漏らす。

 

「これはまた、前衛的なお顔立ちで」

 

男の顔には、目が六つあった。縦に三つずつ、整然と並んでいる。三段重ねの目玉。普通の人間が見たら、恐怖で失神するか、発狂するレベルの異形だ。だが、私の感性は少しズレている。

 

(……すごい。あご、鼻、額。それぞれの位置に目が配置されている。これなら、上目遣いも下目遣いも同時にできるわね。死角なし。全方位監視体制完備だわ)

 

「…………」

 

男は、六つの目で私をじっと見つめている。視線の圧が六倍だ。まばたきのタイミングが全部一緒なのか、バラバラなのか、気になって仕方がない。

 

「こやつが『上弦の壱』、黒死牟だ」

 

無惨様が、面倒くさそうに紹介する。

 

「私の配下で最強の剣士だ。黒死牟、この娘に剣の手ほどきをしてやれ」

 

「……御意……」

 

黒死牟殿が、深々と頭を下げる。その動作一つにも、無駄がない。洗練された武人の動きだ。

 

「才能が無ければ殺していい」

 

無惨様が、とんでもない追加条件を口にする。殺していい?いやいや、私は貴重な情報源兼スパイですよ?殺したら損ですよ?

 

「……承知……仕った……」

 

黒死牟殿が承諾してしまう。待って。そこは「いえ、命までは」とか、大人の対応をしてほしいところだ。

 

「では、私は行く。忙しいのだ」

 

無惨様はそれだけ言い残すと、背を向ける。忙しい?どうせまた、他の鬼にパワハラ会議をしに行くか、青い彼岸花を探して散歩するだけだろう。私という厄介払いができて清々している背中だ。

 

「あ、無惨様!お帰りの際は足元にお気をつけて!暗い夜道は痴漢が出ますからね!」

 

手を振ると、無惨様は一瞬だけ立ち止まり、ものすごい殺気を放ってから消え失せた。 ツンデレだ。きっと「お前こそ気をつけろ」と言いたかったに違いない。

 

 

 

 

 

静寂が戻る。残されたのは、私と、六つの目を持つ最強の鬼。気まずい。お見合いの席で、相手が超大物すぎて会話が続かない時の空気に似ている。

 

とりあえず、挨拶は基本だ。私は一歩前に出る。

 

「お名前は、こくしぼーさん?初めまして、風音です!新入りです!以後、お見知り置きを!」

 

元気よく頭を下げる。黒死牟殿は、無言で私を見下ろしている。その目は、感情を読み取らせない。

 

「いやあ、目が六個あると便利ですね。一度にたくさんの文字が読めそうですし、読書とか捗りそう。それに、右を見て左を見て、さらに前も見れる。交通安全の申し子ですね」

 

軽口を叩いてみる。場の空気を和ませるためだ(決して馬鹿にしているわけではない)

 

「……貴様……」

 

黒死牟殿が、ようやく口を開く。その声は低く、ゆっくりとしている。

 

「……恐怖を……感じぬのか……?」

 

「恐怖?」

 

首をかしげる。

 

「なぜですか?確かに目は多いですが、配置のバランスが良いので、芸術的だと思いますよ。造形美ですね。仏像とかにも、顔が沢山あったり手が沢山あったりするのがありますし。ありがたい感じがします」

 

「…………」

 

黒死牟殿が黙る。六つの目が、わずかに動揺しているように見える。どうやら、「目が六つあること」を「ありがたい」と評されたのは初めてらしい。褒め言葉として受け取ってくれただろうか。

 

「よろしくお願いします!無惨様には『貧弱』と言われましたが、やる気だけはあります!私、こう見えても武家の娘ですので、薙刀なら振ったことがあります。棒術の心得も少々。剣も似たようなものでしょう?棒の先に刃物がついているかいないかの違いですし」

 

楽観的に言う。道具なんて使いようだ。包丁も刀も、切るという機能においては親戚みたいなものだ。

 

「……ほう……武家の……」

 

黒死牟殿が反応する。やはり「侍」という響きには弱いらしい。

 

「ならば……構えてみろ……」

 

試験だ。私の実力を見るつもりだ。

 

「はい!得物をお借りしても?」

 

私が言うと、黒死牟殿は視線で地面を示す。そこには、手頃な長さの木の枝が落ちていた。木刀ですらない。ただの枝だ。扱いが雑だ。

 

「……これで十分だ……」

 

「承知しました。弘法筆を選ばず、風音枝を選ばず、ですね」

 

枝を拾い上げる。手に馴染む重さだ。意外と持ちやすい。

 

呼吸を整える。深く吸い込み、丹田に落とす。足を開き、腰を落とす。枝を両手で持ち、切っ先(枝先)を黒死牟殿の喉元に向ける。

 

薙刀の構え。幼い頃、父上の道場で、見様見真似で覚えた型だ。実戦経験はない。人を殴ったこともない(鬼になってからはあるが)。

 

だが、形だけは美しいはずだ。なぜなら、私は鏡の前で何度もポーズの練習をしたからだ。「カッコイイ私」を演出するために。

 

静寂。風が止まる。私は微動だにせず、黒死牟殿を見据える。私の瞳に、迷いはない。あるのは、「早く終わらせて帰りたい」という純粋な帰宅願望と、「お腹すいたな」という食欲だけだ。雑念がないという意味では、無我の境地に近いかもしれない。

 

「……ふむ……」

 

黒死牟殿が、小さく唸る。六つの目が、私の全身を走査する。足の運び、重心の位置、指の握り。

 

「……悪くは……ない……」

 

合格点だ!悪くない、というのは、この厳格そうな侍においては「素晴らしい」と同義語に違いない。

 

「でしょ!やっぱり分かりますか、師匠!」

 

構えを解き、枝を杖のように突いてドヤ顔をする。

 

「昔、道場の師範代にも言われたんです!『お前のような奴は、三日に一人は現れる逸材だ』って!」

 

胸を張る。自慢のエピソードだ。あの時の師範代の、驚きと呆れが入り混じったような顔は忘れられない。 きっと私の才能に嫉妬していたのだ。

 

時が止まる。黒死牟殿の動きが、完全に停止する。

 

「…………それは……」

 

黒死牟殿の六つの目が、少しだけ動揺して見開かれる。真ん中の二つが瞬きし、上の二つが眉をひそめ、下の二つが泳いでいる。忙しそうだ。

 

「……それは……『罵倒』……されているのでは……ないか……?」

 

黒死牟殿が、恐る恐る指摘する。最強の剣士とは思えないほど、気を使った言い方だ。

 

「三日に一人…… つまり……『掃いて捨てるほどいる凡人』……という意味だが……」

 

普通、天才というのは「百年に一人」とか「十年に一人」と言うものだ。三日に一人。それはつまり、一年で百人以上現れるということ。どこの道場にもいる、ありふれた初心者。いや、むしろ「三日坊主ですぐ辞める奴」という意味かもしれない。

 

だが。私の超ポジティブ脳内変換は、そんなネガティブな解釈を許さない。

 

「えっ?違いますよ?計算してみてください師匠」

 

指を折って数える。

 

「三日ですよ?一年は三百六十五日。三日で割ると、約百二十人です。江戸の人口は百万人と言われています。その中で、年間たった百二十人しか選ばれない『枠』に入ったんですよ?これって、ものすごい高倍率じゃないですか?昌平坂学問所に入るより難しいですよ!」

 

力説する。確率は嘘をつかない。私は選ばれしエリートなのだ。

 

「……」

 

黒死牟殿が、黙り込む。計算しているのだろうか。それとも、私の論理の飛躍っぷりに、頭痛を覚えているのだろうか。

 

「……計算が……合わぬ……」

 

ボソリと呟く声には、疲労の色が濃い。論理的思考を得意とする侍にとって、私の屁理屈は劇薬なのかもしれない。

 

「ポジティブにいきましょう師匠!物事は捉え方次第です!私は天才。師匠は最強。  この二人が組めば、鬼殺隊なんて目じゃありません!」

 

枝を振り回す。ブンブンと風を切る音がする。

 

「さあ、これから『ししょー』と呼びますね!最強の剣技、この天才に叩き込んでください!手取り足取り、優しく、時には厳しく、でも基本は甘やかしてください!」

 

無邪気な笑顔を向ける。黒死牟殿は、天を仰ぐ。月を見上げている。故郷を思っているのか、それとも無惨様を恨んでいるのか。

 

「(……無惨様……。何故……このような……理解の及ばぬ生き物を……私に……)」

 

黒死牟殿の心の声が聞こえた気がした。哀愁が漂っている。最強の上弦の壱が、こんな小娘相手に困り果てている姿は、ある意味で貴重だ。

 

「(……斬るべきか……?いや……才能がないわけでは……ない……。構えは……悪くない……。ただ……思考が……ねじれている……)」

 

黒死牟殿は葛藤している。殺すか、育てるか。究極の二択だ。

 

やがて。黒死牟殿は、深い、本当に深いため息をついた(ように見えた)肩が少し落ちる。

 

「……まずは……素振り……」

 

「はい!」

 

「……一万回だ……」

 

「一万!?桁間違ってませんか!?せめて十回から始めませんか!?私、か弱い乙女なんですが!?」

 

「……問答無用……。やれ……」

 

黒死牟殿の目が光る。逆らえない。これは本気の目だ。教育者の目だ。

 

「は、はいぃぃぃ!!やります!やらせていただきます!一、二、三……!」

 

泣きながら枝を振り始める。深夜の山奥に、私の掛け声と、黒死牟殿の無言の圧力が響き渡る。

 

「四、五……!師匠!お腹空きました!夜食休憩はまだですか!?」

 

「……まだ……五回だ……黙れ……」




読んでくださり、本当にありがとうございます!

もしよければ――
「黒死牟、がんばれ」
「風音の言語センスどうなってるの」
「師匠との修行回もっと見たい」
など、感想をひとことでも頂けたら嬉しいです!
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