鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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パン!

乾いた音が、晴れ渡る空に吸い込まれる。私が手ぬぐいを畳んで作った扇子で、自分の膝を叩いた音だ。場所は、人気のない山道の途中にある切り株の上。観客は、目の前でせっせと土を掘り返している愛する旦那様と、木の上でさえずる小鳥たちだけ。さあさあ、お立ち会い!毎度おなじみ、風音ちゃんの「前回のあらすじ」の時間がやってきたのだ。

「えー、語り明かそうぞ、我らがヒロインの受難と栄光!吉原の泥沼から、大名屋敷の奥座敷へと華麗なる転身(玉の輿)を遂げた、天下の美少女・松田改め葛城颯こと、風音! 無惨様からの『青い彼岸花を探せ』という無理難題を背負い、昼は良き妻、夜は人食い鬼という二重生活を満喫中!しかし!幸せな新婚生活に水を差す影が一つ!『貴様は貧弱だ』『剣を覚えろ』とのたまう無惨様の命令により、夜な夜な山奥へ連行され、目が六つもある前衛芸術的なお侍様・黒死牟殿の下で、地獄の特訓を受ける羽目に!『才能がないなら死ね』と脅され、『素振り一万回』という労働基準法違反のノルマを課され、挙句の果てには罵倒の嵐!だがしかし!この風音は挫けない!なぜなら私は天才だから!罵倒さえも応援歌に変換し、今日も元気に生きていくのであーる!」

高らかに口上を述べ、パン!ともう一度膝を叩く。決まった。完璧な導入だ。これぞ江戸の粋というものだ。

「……颯?何か言ったかい?一人で楽しそうだけれど」

数歩先で、地面に這いつくばって作業をしていた旦那様様が、顔を上げてこちらを見る。手には小さなスコップ、頬には泥がついている。そんな汚れさえも、知的な学者の勲章に見えるから不思議だ。恋は盲目とはよく言ったものだ。

「いいえ、旦那様!なんでもございませんわ!ただ、旦那様とこうして野山を歩ける喜びを、小鳥たちと分かち合っていただけですの!ホーホケキョ!」


真昼の辻誘いと、天狗の面を被らぬ青年

私は切り株から飛び降り、スキップで旦那様の元へ駆け寄る。今日の私は、動きやすい野良着姿だ。モンペに手甲脚絆、頭には手ぬぐいを被っている。いわゆる「田舎娘スタイル」だが、素材が良い(私が可愛い)ので、これまたあざとい程に似合っている。

 

「ははは。ありがとう、颯。君は本当に、何をしていても楽しそうだね。その笑顔を見ていると、長時間の探索も苦にならないよ」

 

旦那様は目を細め、泥のついた手で私の頬を撫でようとして、ハッと気づいて手を引っ込める。気遣いの塊だ。

 

「まあ、旦那様ったら。泥なんて気にしませんわ。夫婦は二人三脚、泥んこも半分こです!」

 

彼の手を取り、自分の頬に押し付ける。冷たい土の感触。でも、その奥にある旦那様の体温が温かい。

 

「颯……」

 

旦那様の顔が赤くなる。可愛い。四十路を過ぎた男が、こんな昼間の山の中で、新妻の手のひらで転がされている。この純情さが、私の食欲……じゃなくて、愛着を刺激してやまない。

 

「さあ、お仕事お仕事~!薬草摘みと研究~。本来は武家の娘にして、今は筆頭役人の妻たる私がやることじゃないですが、愛する旦那様と一緒にいるためなら、泥仕事も厭いませんわー!」

 

籠を持ち上げ、やる気をアピールする。中には、先ほど摘んだばかりの野草が入っている。 ……まあ、九割がた、ただの綺麗な花と、美味しそうな野草(ノビルとか)なんだけど。

 

「君は本当に働き者だね。本来なら、屋敷で茶でも飲んで待っていてくれれば良いものを。こんな山奥までついてきてくれて、僕の道楽に付き合ってくれるなんて」

 

「道楽じゃありません、ご公務でしょう?それに、旦那様をお一人にするなんて心配で。  山には怖い獣や、悪い妖怪が出るかもしれませんし。私がお守りになります!」

 

力こぶを作るポーズをとる。実際、この山に熊が出ようが猪が出ようが、私のデコピン一発で沈む自信がある。今の私は、この山で最強の生物なのだ。

 

「ふふ、頼もしいね。じゃあ、僕も頑張らないと。今日は、古い文献にあった『幻の薬草』の植生に近い場所を探しているんだ。もし見つかれば、医学の進歩に大きく貢献できる」

 

旦那様は再び地面に視線を戻し、真剣な眼差しで草の根元を調べ始める。その横顔は、学者の顔だ。知的好奇心に輝く瞳。その集中力。

 

(ふふん。表向きは夫婦の共同作業。新婚夫婦の微笑ましいピクニック。だがその実態は!)

 

籠の中の花を弄びながら、心の中でニヤリと笑う。

 

(無惨様の悲願、『青い彼岸花』の捜索!旦那様の知識と、私の足を使って、この山を虱潰しにする極秘任務!旦那様は気づいていない。自分が探している『幻の薬草』の正体が、実は人食い鬼の始祖が求めている不老不死の鍵だなんて。……まあ、見つからなくても旦那様といちゃつけるから一石二鳥ね)

 

花びらを一枚ちぎり、口に含む。苦い。人間の姿だから、草の味がする。でも、この苦味もまた、平和の味がして悪くない。

 

「颯、そっちはどうだい?変わった形の葉っぱとか、青っぽい花とかないかい?」

 

「うーん、今のところは雑草ばかりですねえ。あ、でもこれ見てください旦那様!タンポポの綿毛!ふーってしますよ、ふーっ!」

 

「こらこら、遊ばないの。……可愛いけど」

 

「え?可愛い?知ってますぅ~。旦那様好き~♡」

 

旦那様の背中に抱きつく。旦那様は「こらこら、外だよ」と照れながらも、満更でもなさそうだ。チョロい。本当にチョロい。こんなに無防備で、よく今まで生きてこられたものだ。私が妻でよかったね、旦那様。他の鬼だったら、今頃とっくに骨までしゃぶられているところですよ。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして、私たちは木陰で休憩をとることにする。旦那様が水筒からお茶を注いでくれる。私は持参したお弁当(中身はもちろん、加須底羅ではなく、普通のおにぎりだ)を広げる。

 

「はい、あーん」

 

「えっ、じ、自分で食べるよ」

 

「だーめ。あーん」

 

「……あ、あーん」

 

もぐもぐ。旦那様が照れながらおにぎりを食べる。平和だ。世界が平和すぎて、無惨様の顔色が悪い理由が思い出せないくらいだ。

 

手元の籠を見る。そこには、私が適当に摘んだ草花が入っている。その中の一本。棘のある枝を見つめる。

 

(……棘か)

 

ふと、昨夜の記憶が蘇る。

 

深夜の山奥。月明かりの下。六つの目を持つ侍、ししょーとの稽古の風景だ。

 

(それにしても、ししょーとの稽古は有意義だったわ)

 

お茶を啜りながら回想する。一昨日の夜から始まった、地獄の特訓。最初は一方的にボコボコにされ、達磨にされたり、地面に埋められたりしたけれど。昨夜は少し違った。

 

(人間の姿……つまり『封鬼化生』の状態で立ち合ったら、手ひどく叩きのめされて痣だらけになった。やっぱり、人間モードは脆い。ししょーの木刀が掠っただけで、青あざができるし、転んだら擦りむくし。痛くて泣きそうだった)

 

『痛い!痛いですししょー!骨折れる! 折れてないけどヒビ入った!労災降りますかこれ!?』

 

私の悲鳴が山に響いていた。ししょーは冷たい目で『……脆弱(ぜいじゃく)……』と呟くだけだった。

 

(でも。あまりに痛いから、途中で術を解いて、鬼の姿(金継ぎモード)になった途端……。面白い結果になったのよね)

 

【回想:昨夜の修練場】

 

黒い肌に黄金の亀裂が走る、鬼の本性(モード)を解放する。身体能力が跳ね上がる。 痛覚が鈍る。そして何より、思考のリミッターが外れる。

 

『シャオラァッ!!反撃開始です!倍返しだ!』

 

叫びながら、デタラメに動き回る。右に行くと見せかけて転がり、攻撃すると見せかけて逃走し、逃げると見せかけて加須底羅を勧める。

 

対するししょー。彼は刀を構えたまま、動かない。いや、動けないのだ。六つの目が、高速で動いている。私の筋肉の動き、視線、呼吸、血流。すべてを観察し、次の動きを予測しようとしている。だが。

 

『(……何故だ……。……鬼になると……呼吸も脈拍もデタラメすぎて……動きが読めぬ……。……さっきまでは……右足に力が入れば……右に動いた……。……だが今は……右足に力を入れて……左に飛ぶ……。……物理法則を……無視している……)』

 

ししょーの困惑が、手にとるように分かる。私の鬼モードは、無惨様の血が濃く出ているせいか、体の構造自体が液体のように流動的だ。関節などあってないようなもの。軟体動物のようにグニャリと曲がり、予測不能な軌道を描く。

 

『わーい!ししょーの剣が避けていくー!』

 

ししょーの剣撃の中を泳ぐ。ギリギリで躱しているのではない。ししょーの剣が、私の予測不能な動きに反応しきれず、結果的に空を切っているのだ。

 

『(……斬れぬ……。……いや……斬れるが……手応えが……ない……。……泥を……斬っているようだ……)』

 

ししょーの額に、青筋が浮かぶ。イライラしている。達人が素人に翻弄される、一番ストレスが溜まるパターンだ。

 

(そして、二回目からはししょー、わざと斬られてくれなくなったの!最初は手足を斬らせてくれたり、達磨になってくれたりしたのに。昨日は、私の攻撃を刀の腹でパンッ!て弾くだけ。『……つまらん……』とか言って、早々に切り上げちゃった)

 

ニヤリとする。

 

(やっぱり!私の自尊心を守るための手加減だったのね!『これ以上やると、風音が調子に乗って怪我をするかもしれない』って、親心で止めてくれたんだわ!優しいおじいちゃん!顔は怖いけど、中身は孫に甘い好々爺なのね!)

 

※注:黒死牟は本気で困惑し、呆れ果て、そして「これ以上付き合うと自分の剣技が崩れる」と判断して撤収しただけです。

 

(そんなわけで、私は確信したわ。私は強くなった。上弦の壱すらも、手加減せざるを得ないほどの潜在能力!これなら、どんな鬼狩りが来ても大丈夫!出会い頭にハグして、混乱している隙に逃げればいいんだもの!)

 

「颯?どうしたんだい?ニヤニヤして」

 

旦那様の声で、現実に引き戻される。

 

「はっ!い、いえ!旦那様のお顔を見ていたら、幸せすぎて顔が緩んでしまいましたの!私ってば、本当に旦那様中毒だわ!」

 

誤魔化す。完璧な演技だ。

 

「ははは。君には敵わないな」

 

旦那様は笑い、おにぎりを頬張る。その無防備な喉元。

 

(……じゅるり)

 

いけない。また「美味しそう」と思ってしまった。修行の成果で強くなったということは、それだけエネルギー消費も激しいということ。昨夜の狩りのカロリーは、もう消化しきってしまったらしい。燃費が悪すぎる。

 

「颯、そろそろ行こうか。もう少し奥まで探してみたいんだ」

 

旦那様が立ち上がる。

 

「はい、旦那様!どこまでもお供します!」

 

私も立ち上がり、籠を持つ。その手には力がみなぎっている。

 

(私の狩りは止まりません!旦那様を守るため、そして私の空腹を満たすため!帰りにまた、手頃な人間でも見繕ってテイクアウトしなきゃ!食欲旺盛な人妻、それが私!)

 

私たちは再び歩き出す。山道の奥へ。光と影が交差する、深い森の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今、買い物籠を腕に下げ、良き妻として夕餉の材料を買い出しに来ている。

 

籠の中には、大根、人参、そして旦那様の好きな干物。完璧な献立だ。だが、私の目は野菜や魚ではなく、もっと別の「鮮度の良いもの」を探してキョロキョロと動いている。

 

「おや?」

 

私の視線が、人混みの中で一点に固定される。

 

向こうの反物屋の前で、熱心に布地を選んでいる一人の町娘。年齢は十六、七といったところか。振り袖から覗く手首の白さ、うなじの滑らかさ、そして何より、世間の荒波を知らない無防備な背中。上玉だ。特訓で消費したカロリーを補給するには、うってつけの素材だ。

 

「真っ昼間だけど!美味しそうな……いえ、綺麗な蕾を見つけたわ」

 

舌なめずりをする。周囲の人目がある?関係ない。私の話術にかかれば、どんな娘も路地裏へ誘導できる自信がある。

 

着物の裾を整え、獲物に近づく。足音を消し、気配を消し、代わりに「親切なお姉さん」のオーラを全開にする。

 

「へい!そこのお嬢さん!」

 

娘の肩をポンと叩く。

 

「えっ?は、はい?」

 

娘が振り返る。栗色の瞳が大きく見開かれる。近くで見ると、ますます可愛い。頬の産毛が光に透けて見えるようだ。

 

「私と、めくるめく快感の坩堝を体験してみないかい!?」

 

「……はい?」

 

娘が首を傾げる。意味が分かっていないようだ。純真だ。その純真さが、私の中の嗜虐心をくすぐる。

 

「あら、ごめんなさいね。少し言葉が難しかったかしら。要するにね、私と一緒に楽しいことをしましょうって誘ってるのよ」

 

娘の手を取る。すべすべだ。指の一本一本まで愛でたくなる。

 

「今なら特別!吉原遊廓の至宝、あの白露太夫直伝の『指技』を見せちゃうよ!私の指先一つで、貴女を天国へ案内してあげる。痛くないよ~、気持ちいいよ~」

 

猫なで声で囁く。娘の顔が、期待と不安で赤く染まる。「吉原」という単語に反応したらしい。田舎娘にとって、あの街は憧れと恐怖の対象だからな。

 

『……風評被害だ!!』

 

脳内に、怒号が響く。堕姫姉さんからの念話だ。どうやら、私の視覚や聴覚を共有しているらしい。ストーカーみたいで愛を感じる。

 

『私の名前を出して変な勧誘するんじゃないわよ!私の指技は、そんな安っぽい辻誘いに使うものじゃないわ!品位が下がるでしょうが!』

 

『あら姉さん。宣伝ですよ宣伝。こうして姉さんの名声を広めることで、吉原のブランド価値を高めているのです。感謝してほしいくらいです』

 

心の中でうそぶく。

 

『ふざけるな!あと、その娘を食べたら、骨の始末はちゃんとしなさいよ。最近、街中で行方不明者が増えてるって噂になってるんだから』

 

『分かってますよ。私は綺麗好きなんです』

 

姉さんとの通話を切り、再び娘に向き直る。

 

(さてさて、今日も綺麗な女の子を捕まえたわ~。どうやって食べようかな。まあ本人は『またとないお誘い』だと思っているみたいだから、今度こそは女同士で……ゲヘヘ!)

 

娘の手を引き、人通りの少ない路地へと誘導しようとする。

 

「さあ、こっちよ。静かな場所で、手取り足取り教えてあげる……」

 

その時だった。

 

「もし」

 

背後から、鋭い声がかかる。冷たく、そしてよく通る声だ。

 

「そこの御婦人」

 

呼び止められた。私だ。間違いなく私だ。

 

(チッ。誰よ、いいところなのに。野暮な男は嫌われるわよ)

 

内心で舌打ちをしつつ、表面上はにこやかな笑顔を作って振り返る。

 

「ん?なに?私に何か御用で……」

 

そこには、二人の男が立っていた。

 

奇妙な格好だ。着物ではない。黒い詰襟の上着に、ふくらんだズボン。足には脚絆を巻き、腰には刀を差している。異様だ。町中では明らかに浮いている。

 

「この人たち……。黒い服着て、刀差して……変わった格好ね~。喪服?それとも新しい傾奇者?流行りの劇団の方かしら?」

 

わざとらしく首をかしげて見せる。内心では警戒警報が鳴り響いている。この服装。この刀。そして、この独特の気配。姉さんが言っていた「鬼狩り」の特徴そのままだ。

 

(出たわね、木冊体……)

 

二人のうち、一人はガタイの良い大柄な男。もう一人は、まだ若く、精悍な顔つきをした青年だ。声をかけてきたのは、この青年の方だ。

 

「……我々は、公儀の隠密のようなものだ」

 

青年が、懐から書き付けのようなものを見せながら言う。公儀の隠密。便利な嘘だ。一般人に怪しまれないための常套句なのだろう。

 

「御婦人、今この街で、若い女が次々に消えているという噂をご存知か?」

 

青年の目が、私を射抜く。鋭い目だ。嘘を見抜こうとする捜査官の目だ。

 

「あらやだ。神隠し?」

 

口元を手で覆い、驚いてみせる。

 

「人攫い……あるいは、もっと恐ろしい化け物の仕業かもしれん。夜道はもちろん、昼間といえど、人目のない場所へ行くのは危険だ」

 

青年は、私の隣にいる町娘をちらりと見て、それから私に視線を戻す。

 

「あなたのような、美しく若い女性は狙われやすい。特に、そちらのお嬢さんのような無垢な娘はな」

 

警告だ。遠回しに「怪しい真似はするな」と言っているようにも聞こえる。

 

「きゃっ!それは怖い!私みたいに『か弱い女性』が真っ先に狙われちゃうってことかしら!嫌だわ~、私ったら美味しそうに見えるのかしら!」

 

体をくねらせ、怖がる演技をする。演技力には自信がある。

 

『どの口が言うのよ……犯人はあんたでしょうが』

 

姉さんのツッコミが脳内に響く。うるさいですよ姉さん。犯人は現場に戻る、の法則通りに動いているだけです。

 

「……脅かすつもりはないが、夜はあまり外に出歩かぬことだ」

 

青年は真面目な顔で続ける。本当に心配してくれているようだ。正義感の塊みたいな男だ。

 

「夜は出ないように?大丈夫です!私にはとっても強いお侍さん……いえ、『ししょー』がついてますから!悪い奴が来ても、ししょーが達磨にしてくれます!」

 

「師匠?」

 

青年が怪訝な顔をする。侍を達磨にする師匠なんて、普通は想像できないだろう。

 

「ええ。それに私は、葛城颯!そこの大名屋敷に仕える、本草学者・葛城の妻!この辺りで私を知らない人はいませんよ!お見知りおきを!そして偉いんだよ!敬うよーに!」

 

胸を張る。旦那様の威光を笠に着る。虎の威を借る狐ならぬ、学者の威を借る鬼だ。

 

「……葛城殿の奥方でしたか」

 

青年の表情が少し和らぐ。葛城様の名は、やはり効果絶大だ。

 

「これは失礼した。私は鱗滝。鱗滝左近次と申します」

 

青年が頭を下げる。礼儀正しい。

 

「なに?鱗滝左近次くんって言うのね!よろしく!……あら」

 

彼に近づく。顔をまじまじと覗き込む。

 

(へえ……。近くで見ると、なかなかどうして)

 

その顔立ちは、精悍さの中にも、どこか人を安心させるような優しさが滲み出ている。太い眉、意志の強そうな瞳、そして少し垂れ気味の目尻。

 

「あなた、可愛い顔してるわね!私の好み!優しげな目元とか、真面目そうな眉とか!子犬みたいで撫で回したくなるわ!」

 

正直な感想を口にする。

 

「は……?」

 

鱗滝くんが固まる。そして、みるみるうちに顔が赤くなる。耳まで真っ赤だ。

 

「可愛い……?私が……ですか?」

 

「そうよ!隠密さんにしておくのはもったいないわ!どこかの茶屋の看板男にでもなれば、娘たちが列をなすわよ!」

 

「…………(赤面)」

 

鱗滝くんは言葉を失っている。どうやら、自分の顔立ちにコンプレックスでもあったのか、あるいは女性に褒められ慣れていないのか。初心だ。旦那様とはまた違ったベクトルの初心さだ。

 

「あらあら、赤くなっちゃって可愛いね~。ねえ、今度うちにお茶しに来ない?旦那様も歓迎するわよ?美味しい加須底羅があるの。お姉さんが口移しで……じゃなくて、手ずから食べさせてあげる!」

 

彼の手を取ろうとする。町娘のことはもうどうでもよくなっていた。新しいおもちゃを見つけた子供の気分だ。

 

「おい鱗滝、口説かれてるぞ……人妻に」

 

後ろにいたもう一人の隊士が、呆れ声で突っ込む。

 

「か、からかわないでください!失礼する!」

 

鱗滝くんは私の手を振りほどき、逃げるように背を向ける。その背中は、強敵と戦う時よりも慌てているように見えた。

 

「あ、待ってよ鱗滝くん!住所教えてないじゃない!文を送るわよー!」

 

彼らは足早に去っていった。人混みに消える黒い背中を見送りながら、私はニマニマと笑う。

 

「ふふふ。面白い子たち。……思ったより楽しめそうじゃない」

 

娘は、いつの間にか逃げていた。まあいい。今日はもっといい「収穫」があったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方。夕餉を終え、くつろぎの時間。私は旦那様の背後に回り、肩を揉んでいる。

 

「旦那様!今日、なんか変わった人たちに会いましたー。黒い服着て、刀差して、鬼退治の専門家?みたいなお侍さんたち」

 

無邪気に報告する。隠し事はしない。それが夫婦円満の秘訣だ。

 

「ほう?それは珍しいね。この辺りでは見かけない風体だが」

 

旦那様は書物を読みながら、穏やかに答える。

 

「そこでね、鱗滝くんっていう、すっごく可愛い男の子を見つけたんです!生真面目で、初心で、からかい甲斐があって……。顔が赤くなったところなんて、茹でダコみたいで美味しそうでしたわ!」

 

熱っぽく語る。

 

「……颯?」

 

旦那様の手が止まる。書物を置き、少しだけ顔をしかめてこちらを振り返る。

 

「あまり若い男に熱を上げると、私も焼餅を焼くよ?君の夫は私だということを、忘れないでほしいな」

 

嫉妬だ。可愛い。この年上の旦那様が、若造相手にむくれている。

 

「あら!違いますよ旦那様!浮気じゃありません!」

 

旦那様の背中に抱きつく。ぎゅっと力を込める。

 

「あの若さを見てたら、私も『男の子』が欲しいなーって。……旦那様の、子供が」

 

「えっ……」

 

旦那様が息を呑む。耳元で囁く。

 

「私と旦那様の子なら、きっと可愛くて、賢くて、そして……とっても元気な子が生まれると思いますの」

 

私の、鬼としての血と。旦那様の、人間としての血。それが混ざり合ったら、一体どんな子が生まれるのだろうか。半妖?それとも、ただの人間か。

 

「(耳元で)今夜は、子供ができるまで……いえ、できても休みませんからね?覚悟してくださいませ♡」

 

旦那様の耳を甘噛みする。

 

「は、颯……。まだ日が暮れたばかりだよ……」

 

「関係ありません!夜は短し歩けよ乙女、ならぬ、夜は長し励めよ夫婦です!さあ、寝室へGOです!」

 

旦那様の手を引き、立ち上がらせる。旦那様は「やれやれ」と言いつつも、嬉しそうに従ってくれる。

 

(鬼の私に子供ができるかは、実験あるのみ!前例がないなら、作ればいい。それが私の流儀!)

 

寝室へ向かいながら、心の中で舌なめずりをする。

 

(それに、あの鱗滝くん……。いつか食べるには惜しい逸材だったわ。ふふ、私の敵になるなら、まずはその可愛さを愛でてからね。育てて、美味しくなってからいただくのも、また一興)

 

私の新婚生活に、新たなスパイスが加わった。木冊体との遭遇。そして、子作りの野望。

 

「旦那様、今日は十回コースですよ!」

 

「じゅ、十回!?」




ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

もしよければ、

「颯の新婚生活が好き」

「鱗滝が可愛い」

「昼は妻、夜は捕食者のギャップが怖くて好き」

「旦那様が幸せそうで泣ける」

など、一言でも感想をいただけると今後の力になります。
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