鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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パン!

乾いた音が、鬼殺隊本部の事務室に響き渡る。私が懐から取り出した手ぬぐいを畳み、即席の扇子(ハリセン)として自らの膝を叩いた音だ。場所は、地図にも載っていない隠れ里の深部。観客は、壁に飾られた古びた額縁と、私の気迫に押されて部屋の隅で縮こまっている事務方の爺さんたちだけ。

「さあさあ、語って聞かせましょう、天才・風音の華麗なる潜入記!吉原の泥沼から這い上がり、大名屋敷の奥方様へと転身した私でしたが、運命の悪戯により愛する旦那様を失いました!悲しみの未亡人!しかし転んでもただでは起きないのがこの私!なんと敵対組織の若き剣士・鱗滝左近次を籠絡し、その手引きで敵の本拠地へと潜入成功!現在は事務員として、腐敗した組織の経理を立て直すという、スパイなんだかコンサルタントなんだか分からない大活躍を見せております!私の指先一つで、鬼殺隊の財政は黒字転換!これで無惨様も鼻が高いことでしょう!風音の明日はどっちだ!待て次号!」

パン!

もう一度膝を叩き、満足げに頷く。今日も絶好調だ。私の事務処理能力は留まることを知らない。算盤を弾く指は音速を超え、筆を走らせれば残像が生まれる。まさに鬼神の如き働きぶりだ。まあ、鬼なんだけど。


世紀の大発見(当社比)

「……颯さん。独り言が大きいですよ。また『次号』って何ですか」

 

隣の席で、事務員の田村さんが恐る恐る声をかけてくる。彼は地味な顔をした若者だが、私が来てからというもの、私の手足となってよく働いてくれる良い子だ。

 

「あら、心の声が漏れていましたか?気にしないでください。天才の思考は常人には理解できないものですから」

 

手元の書類を整理しながら、私はふと、壁に掛かっている一枚の看板に目を留める。古びた木の板に、墨黒々と一文字。

 

『滅』

 

力強い筆致だ。達筆すぎて、今まで芸術作品か何かだと思っていた。だが、事務員として毎日この文字を見ているうちに、ふと違和感を覚えたのだ。

 

……待って。

 

手が止まる。算盤の音が止む。事務室に、不自然な静寂が訪れる。

 

私は今、とんでもない事実に気づいてしまったかもしれない。

 

『滅』滅ぼす、という意味だ。物騒だ。あまりにも物騒だ。

 

今まで、この組織の名前を「木冊体」だと思っていた。木を冊子にする隊。つまり、林業関係の組合か、あるいは木簡を作る文学サークルか何かだと。だからこそ、彼らは山奥に住み、木を愛し、独特の呼吸法で精神統一をしているのだと解釈していた。剣を持っているのも、枝打ちのためだろうと。

 

でも……。この『滅』の字。そして、ここ数日整理してきた報告書にある、隊士たちの会話の記録。

 

『鬼を斬る』

 

『首を落とす』

 

『殺す』

 

……ん?

 

私の脳内で、パズルのピースがガチリと音を立てて嵌まる。嫌な予感がする。背筋に冷たいものが走る。

 

きさつ……。木冊、じゃない。まさか……。

 

鬼殺……!?

 

ガタンッ!!

 

立ち上がる。勢い余って椅子が倒れる。筆が手から滑り落ち、床に転がる。顔から血の気が引いていくのが分かる。

 

「颯さん!?どうしました!?敵襲ですか!?」

 

田村さんが慌てて駆け寄ってくる。私は震える手で、自分の口元を覆う。

 

「(小声で)まさか……この組織の名前……。『鬼殺隊(きさつたい)』っていうの……!?」

 

「え?はい、そうですが……?」

 

田村さんがキョトンとしている。肯定だ。肯定しやがった。

 

「鬼を……殺すことを生業にしているというの……!?製本業者じゃなくて!?」

 

「製本……?いえ、我々は鬼を狩る剣士の集団です。ご存知なかったのですか?鱗滝さんから聞いていたはずでは……」

 

聞いてない。いや、聞いたかもしれないけれど、私の脳内変換機能が勝手に「木工集団」に書き換えていたに違いない。なんてことだ。私の耳は飾りか。

 

「なんてこと……。あまりに直球すぎて、逆に誰も気づかない高度な隠蔽工作……!」

 

戦慄する。「鬼殺隊」そのまんまだ。「鬼を殺す隊」ひねりも何もない。あまりにも堂々としすぎていて、まさかそんな野蛮な名前だとは夢にも思わなかった。「実は秘密結社です」と言われるより衝撃的だ。

 

このことは……。潜入している間諜として、直接無惨様に伝えなければならない!

 

念話では駄目だ!こんな重大な機密事項、遠隔通信では傍受される危険がある!それに、私のこの驚きと発見の興奮は、言葉だけでは伝わらない!これほどの重要案件は、膝を突き合わせて言わねば!

 

これは、鬼の存亡に関わる大発見だ。敵の組織名が判明したのだ。名前が分かれば、由来も、理念も、弱点も見えてくるはずだ。私は世紀の大発見をしたコロンブスのような気分で、事務室を飛び出す。

 

「颯さん!?どこへ行くんですか!まだ昼の集計が終わってませんよ!」

 

「急用です!お腹が痛いので早退します!多分、盲腸です!」

 

適当な嘘をついて廊下を疾走する。目指すは、人目のない森の奥。そこから、あの方の居城へ直通する「招待状」を発行してもらうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ベベン。

 

琵琶の音が響く。重力が歪み、空間がねじれる。気がつけば、私は森の中ではなく、無限に広がる異空間の中にいた。上下左右に階段が走り、障子が無数に浮かぶ、摩訶不思議な城。無限城だ。

 

その中央。一段高い座敷に、無惨様が座っている。今日は着流し姿で、手には難しそうな書物を持っている。傍らには、長い黒髪で顔を隠した琵琶女、鳴女が控えている。

 

「……何だ?」

 

無惨様が、本から目を離さずに問う。機嫌はあまり良くなさそうだ。眉間に深い皺が刻まれている。最近、胃が痛いという噂を聞いたが、ストレスだろうか。

 

「わざわざ『組織の根幹に関わる重大な危機』と申すから、鳴女を使って呼んでやったというのに。貴様の思考は読みにくい。早く言え。くだらぬことなら、貴様の体をミンチにして鍋の具にするぞ」

 

殺気。本気の殺気だ。でも、今の私にはそんな脅しは通用しない。私は今、使命感に燃えているのだ。

 

ザッ!

 

その場で、見事な土下座を決める。額が床板にめり込むほどの勢いだ。

 

「はっ!……無惨様。まずは、気をしっかり持ってください。深呼吸をして、心を落ち着けてください。今から話すことを聞けば、我々鬼は枕を高くして眠れなくなります!」

 

顔を上げず、切迫した声で訴える。

 

「……あ、我々は夜は寝ないのでしたね。比喩です。言葉のアヤです」

 

「……ゴクリ」

 

無惨様の喉が鳴る音が聞こえた。無意識に唾を飲んだようだ。私の真剣な態度に、さすがの始祖も緊張しているらしい。何しろ、敵の本拠地に潜入しているスパイからの、緊急報告なのだから。

 

「申してみろ」

 

「はい。心して聞いてください」

 

真っ直ぐに無惨様を見つめる。

 

「実は……。この組織の名前……」

 

一拍置く。溜める。

 

「『鬼殺隊(きさつたい)』って言うらしいです!!」

 

ドヤァ。私は言い放つ。

 

「…………」

 

沈黙。無限城の時間が止まったかのような静寂。鳴女の手も止まっている。琵琶の弦が微かに震える音さえ聞こえそうだ。

 

「…………は?」

 

無惨様の口から、間の抜けた音が漏れる。理解できていないようだ。あまりの衝撃に、脳が処理落ちしたに違いない。

 

「信じたくないお気持ちは分かります!私も耳を疑いました!文字を見て、震えが止まりませんでした!」

 

「『鬼を殺す隊』ですよ!?なんという殺意に満ちた名称!なんという直球な悪意!まさか千年以上も、こんなにも巧妙に(?)実態を隠されていたとは……。木工細工の愛好会だと思っていた私の純情を返してほしいです!」

 

熱弁を振るう。

 

「無惨様が見抜けなかったのも納得です!『木(き)』と『鬼(き)』をかけ、さらに『冊(さつ)』と『殺(さつ)』をかける。高度な言葉遊び(ダブルミーニング)!敵ながら天晴な偽装工作です!」

 

「…………」

 

無惨様は無言だ。私を見下ろしている。その目は、何か得体の知れない生物を見るような、虚無に満ちた目だ。

 

(こいつ、本気で言っているのか?)

 

(鬼狩りが自らを『鬼殺隊』と名乗っているなど、平安の昔から常識だ。そこら辺の下級鬼でも知っている。なんなら人間たちですら、噂話で知っている)

 

無惨様の手が震えている。本を持っている指が、ページをくしゃくしゃに握りしめている。

 

(こいつ……。まさか今まで知らなかったのか?事務を改革し、経理を立て直し、組織の中枢に入り込んでおきながら?組織の名前すら知らずに働いていたのか?……馬鹿なのか?いや、馬鹿という言葉で片付けるには、あまりにも脳の構造が未知すぎる)

 

無惨様は混乱している。衝撃が千年の知性を持つ彼を凌駕してしまったのだ。

 

「ですがそこは天才の私!ついに見抜きましたので、ご安心ください!」

 

「名前が分かれば、対策も立てようがあります!『鬼を殺す』ということは、彼らの目的は我々の殲滅。ならば、こちらは彼らを『返り討ち』にすればいいのです!逆転の発想です!」

 

当たり前のことを言っているだけだが、私の中では世紀の大発見だ。

 

「……そうか」

 

無惨様が、深く、重い息を吐く。疲れている。ものすごく疲れている。

 

「下がれ」

 

「えっ、もう終わりですか?まだ『鬼殺隊の食堂のメニュー改善案』とか、『隊服のデザインが地味すぎる件についての考察』とか、報告したいことが山ほどあるのですが」

 

「下がれと言っている。私の頭痛が悪化する前に、私の視界から消えろ」

 

無惨様がこめかみを押さえる。血管が浮き出ている。あ、やばい。これ以上いたら、物理的に消される(殺される)やつだ。

 

「は、はい!では、また重要な情報を掴み次第、報告に上がります!失礼いたします!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、お待ちください!無惨様!まだです!まだ帰れません!私のプレゼンテーションは、起承転結の『転』を迎えたばかりです!」

 

今まさに帰り支度を始めようとしていた足を止める。いや、止めざるを得ない。なぜなら、ここから話すことこそが、今日私がこの無限城……という名の、無駄に広くて階段が多い迷路のような場所に呼び出された、真の意味(私にとっての)だからだ。

 

(まだあるのか……)

 

鳴女さんも、長い前髪の奥で「早く終わらせてくれ」と願っているのが分かる。彼女の指が、琵琶の撥を握りしめたまま震えているからだ。

 

だが、私は止まらない。天才とは、周囲の空気など読まないものだ。空気を読むのは凡人の仕事。天才は空気を作るのだ。

 

「そして、これも重要です。いえ、むしろこっちが本題と言っても過言ではありません。  先ほどの『鬼殺隊(きさつたい)』の名称に関する報告は、あくまで前座。ここからが真打ち登場です!」

 

懐に手を入れゴソゴソと探る。無惨様が、「また変な武器でも取り出すのか」と一瞬警戒する気配を見せる。失礼な。私が取り出すのは、いつだって平和と幸福の象徴だ。

 

「ジャジャーン!この加須底羅をご覧ください!」

 

私が取り出したのは、油紙に包まれた黄金色の直方体。私の魂の燃料。長崎が生んだ奇跡の焼き菓子、加須底羅だ。ただし、今日持参したものは、いつもの商店街の安売り品とはわけが違う。

 

「見てください、この断面のキメ細かさ!そして色合い!これは今までのとは違い、砂糖(甘さ)をあえて控えることで、卵本来のコクと、小麦粉の香ばしい風味、いわゆる素材の味を引き立てております。大人の味、とでも申しましょうか。甘ければ良いという子供騙しの菓子ではありません。これは『引き算の美学』によって成立している、至高の逸品なのです!」

 

無惨様は、虚無の目をして私を見ている。まるで、道端の石ころを見るような、あるいは壁の染みを見るような目だ。

 

「……で?」

 

短い問いかけ。それ以上喋ると殺す、というニュアンスが含まれている。

 

「はい!ここからです!この加須底羅の味が変わった理由。それは単に職人の気まぐれではありません。問題は、その砂糖の輸入経路にあるのです!」

 

懐から、もう一つアイテムを取り出す。指示棒だ。どこから調達したかといえば、そこら辺の建材をへし折って即席で作ったものだ。

 

その棒を振り回し、空中に見えない図を描き始める。私の頭の中には、完璧な貿易相関図が浮かんでいる。

 

「いいですか、無惨様。よく聞いてください。これは日本の行く末、ひいては我々鬼の食卓に関わる重大な問題です」

 

「先日、幕府が異国と結んだ条約。これがいけません。いわゆる不平等条約というやつです。特に問題なのが、関税自主権の欠如!これにより、関税の撤廃……とまではいきませんが、極めて低い税率での貿易を余儀なくされております!」

 

空中を叩く。バシッ!という音が聞こえるようだ。

 

「これにより何が起きるか!国内の製糖業は打撃を受けます!和三盆などの高級砂糖を作る農家が悲鳴を上げ、代わりに安価な輸入砂糖が大量に流入しております!これは一見、菓子文化の発展に寄与するように見えます。砂糖が安くなれば、庶民も甘いものを食べられる。素晴らしいことです。しかし!物事には裏があるのです!」

 

無惨様に詰め寄る。無惨様がわずかにのけ反る。

 

「安価な輸入砂糖に依存することで、国内の産業は衰退します!長期的には外貨の流出を招き、ひいては国力の低下を招きます!国力が低下すればどうなるか?民の生活水準が下がります!生活が苦しくなれば、食事の質が落ちます!栄養状態が悪化します!」

 

ここだ。ここが一番の重要ポイントだ。

 

「すなわち!人間の質の低下!イコール、我々鬼にとっての『食料の味の劣化』に繋がるのです!痩せ細り、栄養失調になり、ストレスで血が濁った人間など、食べたくありません!私はグルメなのです!健康で、脂が乗って、幸せな人間を食べたいのです!」

 

食の安全と品質管理。これこそが、私が訴えたい核心だ。

 

「つまり……!この加須底羅の味が『甘さ控えめ』になったのは、職人のこだわりなどではなく、良質な砂糖が入手困難になりつつあるという、経済的な悲鳴なのです!これは由々しき事態です!我々は影から新政府に働きかけ、関税自主権の回復を訴えるべきです!政治結社『加須底羅を守る会』を立ち上げるべきです!無惨様、貴方のコネクションを使えば、要人の一人や二人、脅す……説得することなど造作もないでしょう!?」

 

ここから、さらに四十分。為替相場のリスクや、南蛮貿易の歴史、さらには砂糖の精製方法の違いによる風味の変化について、延々と語り続ける。

 

無惨様は、微動だにしない。ただ座っている。その目は開いているが、焦点は彼方を見つめている。精神統一をしているのか、それとも脳内で私を殺すシミュレーションを千回ほど繰り返しているのか。

 

「…………」

 

無惨様が無言であるのをいいことに、私は喋り倒す。天才の脳みそは、一度走り出したら止まらないのだ。

 

(……くだらない)

 

(実にくだらない。菓子の味など、私にとってはどうでもいい。人間が何を食おうが、国がどうなろうが、私の知ったことではない。私が求めているのは、太陽を克服し、完全な生物となることだけだ)

 

無惨様の思考は合理的だ。彼にとって、私の話はノイズでしかない。

 

(だが……)

 

(その考察……筋は通っている。外貨獲得と国力の相関関係。そして人間の生活水準の推移。こいつの視点は、人間社会の構造を正確に捉えている。ただの食い意地の張った馬鹿かと思っていたが……。情報の断片から、社会全体の流れを読み解く分析力。経済の動きから、未来の食糧事情を予測する先見性。……認めたくはないが、優秀だ)

 

(才能の無駄遣いにも程があるが)

 

 

「……風音」

 

無惨様が、ようやく口を開く。その声は低く、重々しい。四十分ぶりに発せられた王の言葉だ。

 

「貴様の天才性は認める。腐った脳みそなりに、よく回るようだ」

 

「ありがとうございます!褒め言葉として受け取っておきます!では、早速『加須底羅を守る会』の設立資金を……」

 

「だが」

 

無惨様が私の言葉を遮る。

 

「我々にとって、あまり必要な話ではない。人間が痩せ細ろうが、数を食えば済むことだ。質より量だ。……もうよい。頭が痛くなってきた。帰れ」

 

無惨様が手を振る。シッシッ、という動作だ。野良犬を追い払うような扱いだ。ひどい。 私はこんなにも鬼の未来を憂いているのに。

 

「えー?そうですか?今後の食糧事情に関わる重大な提言なのですが……。無惨様は味オンチですねえ。美食の何たるかが分かっておられない」

 

唇を尖らせる。話を打ち切られて、不満げに指示棒をへし折る。パキッ、という音が虚しく響く。

 

「……まあいいです。トップが理解を示さないなら、現場レベルで改善していくしかありません。事務員としての権限で、隊士のおやつに高級砂糖を支給してやるわ」

 

独り言を呟きながら、帰り支度を始める。風呂敷をまとめる。

 

「あと、ついででかなり重要度は下がりますが、これを置いておきますね」

 

思い出したように、懐から一冊の本を取り出す。和綴じの、古びた本だ。表紙には何も書かれていない。私が夜なべして、適当な紙を束ねて作った手製の本だからだ。

 

「ポイッ」

 

無造作に、その本を無惨様の足元に放り投げる。ゴミを捨てるような手つきだ。だって、私にとっては加須底羅の考察ノートの方が百倍価値があるから。

 

「亡き旦那様の研究内容から考察した、『無惨様が鬼化した際の薬品の構成要素』に対する解析と、その再現性の検証。それと、『青い彼岸花』の群生候補地の目録です」

 

早口で説明する。帰ったら羊羹を食べよう、ということばかり考えているので、説明が雑になる。

 

「旦那様の蔵書の中に、平安時代の古い医術書がありましてね。そこに、無惨様を治療した医師でしたっけ?彼の一族が残したと思われる記述があったんですよ。それを、私の天才的な頭脳で解読し、現在の植生と照らし合わせて、薬のレシピを逆算してみたんです」

 

荷物を背負う。

 

「まあ、机上の空論かもしれませんけど。暇つぶしに読んでみてください。じゃあ、失礼しますー」

 

背を向けさっさと帰ろうとする。

 

「…………ん?」

 

背後で、無惨様が動く気配がする。足元に転がった本を、拾い上げたようだ。パラリ、とページを捲る音がする。

 

「…………」

 

沈黙。無限城の空気が、ピリリと張り詰める。

 

「…………!!!!!」

 

爆発的な気配。殺気ではない。歓喜?驚愕?いや、もっと根源的な、魂が震えるような波動だ。

 

「こ、これだ……!」

 

無惨様の声が、震えている。あの上擦った声は、加須底羅の話を聞いていた時の気だるげな声とは別人のようだ。

 

「これこそ……!私が求めていた……!千年間……!千年間探し求め、見つからなかった答えが……!ここに……!」

 

無惨様の手が震えている。持っている本が、ガタガタと音を立てるほど震えている。目が血走っている。瞳孔が限界まで開き、紅い瞳が爛々と輝いている。

 

そこには。彼が喉から手が出るほど欲しかった情報。「青い彼岸花」の具体的な場所の推測が、論理的に、かつ詳細に記されていた。

 

旦那様の残した膨大な知識と、私の鬼としての直感が融合して生まれた、奇跡の解析結果だ。まあ、私にとっては「ふーん、昼に咲くんだ、変な花」くらいの感想しかなかったけれど。

 

「風音!!貴様!!」

 

無惨様が叫ぶ。絶叫だ。無限城全体がビリビリと震えるほどの大声だ。

 

ビクッとして振り返る。

 

「はい?なんですか?まだ加須底羅の話、聞きたいですか?いいですよ、次は卵の産地による味の違いについて……」

 

「違う!!これだ!!」

 

無惨様が、本を突き出す。顔面が紅潮している。

 

「何故これを最初に出さない!!『ついで』とは何だ!!これが最重要だ!!加須底羅などどうでもいい!!この情報こそが、至高!!宝石!!神の啓示だ!!」

 

無惨様が興奮のあまり、早口になっている。キャラが崩壊している。普段の冷静沈着なラスボスの風格はどこへやら、欲しいおもちゃを見つけた子供のようだ。

 

「えー?」

 

不満げに口を尖らせる。

 

「だってそれ、食べられないじゃないですか。ただの花ですよ?薬の材料にはなるかもしれませんけど、美味しくはないでしょう?花より団子、薬より菓子ですよ。古事記にもそう書いてあります(嘘)」

 

「…………」

 

無惨様が、口を開けたまま固まる。私の価値観が、あまりにも彼と乖離しすぎていて、言葉が出ないようだ。

 

「……もういい」

 

無惨様が、ガックリと肩を落とす。深い疲労感。歓喜と激怒と呆れが同時に押し寄せて、感情の処理が追いついていないようだ。

 

「貴様は……下がれ」

 

「えっ、ひどい。せっかくプレゼントしたのに」

 

「だが」

 

無惨様の目が鋭く光る。

 

「この目録にある場所。ここを、虱潰しに探せ。『昼間』にだ」

 

無惨様が強調する。

 

「この記述が正しければ、青い彼岸花は昼にしか咲かぬ。私の配下の鬼どもは、日光の下では活動できぬ。人間を使っても良いが、奴らは信用ならぬし、能力も低い。……昼間、堂々と動け、かつ私の命令を遂行できるのは……」

 

無惨様が私を指差す。

 

「貴様だけだ。太陽を克服した、忌々しくも貴重な貴様だけなのだ」

 

そう。私は『封鬼化生』により、一時的に人間となることで太陽の下を歩ける。この任務は、私にしかできない。オンリーワンの仕事だ。

 

「へいへい。人使いが荒いですねえ。旦那様が亡くなって、傷心の未亡人をこき使うなんて」

 

やれやれと肩をすくめる。

 

「分かりましたよ。探せばいいんでしょう、探せば。でも、タダじゃ動きませんよ?私はプロの事務員ですからね。労働には対価が必要です」

 

手を差し出す。掌を上に向けて、クイクイと動かす。

 

「追加の活動資金、ください。お菓子代です。昼間に動くということは、それだけお腹が空くんです。高級な羊羹とか、お団子とか、食べ歩きしないとやってられません」

 

「……くれてやる」

 

無惨様が即答する。懐から、小判の入った袋を取り出し、投げ渡してくる。重い。ずっしりと重い。かなりの大金だ。

 

「いくらでも持って行け。金など惜しくない。その代わり、必ず花を見つけ出せ。分かったな」

 

「はいはい。毎度ありー!」

 

小判の袋を受け取り、ホクホク顔で懐にしまう。やった。臨時ボーナスだ。これでしばらくは、食いっぱぐれることはない。

 

「じゃあ、今度こそ帰りますね。無惨様も、胃薬でも飲んで休んでください。顔色が悪いですよ」

 

手を振り、無限城の出口へと向かう。

 

ベベン。

 

鳴女さんが琵琶を弾く。空間が歪み、私は元の森の中へと転送される。

 

最後に見えた無惨様の顔は、本を抱きしめて至福の笑みを浮かべているような、それでいて私への殺意で歪んでいるような、複雑怪奇な表情だった。

 

やれやれ。

 

無惨様ったら。あんな雑草の情報のどこが嬉しいんだか。やっぱり、加須底羅の経済学的考察の方が、よっぽど価値があると思うんだけどなあ。人間の生活水準が上がれば、それだけ美味しい人間が増えるのよ?長期的な投資じゃない。

 

まあいいわ。臨時収入も入ったし。私の懐は温かい。帰りに、街で一番高い羊羹でも買って、さっくんと食べよっと!さっくん、甘いもの好きだし。口移しであげたら、また顔を赤くするかしら。楽しみだわ)

 

旦那様を失った悲しみは、まだ胸の奥にあるけれど。美味しいものと、新しい恋と、そして小金があれば、鬼の人生はなんとかなるものだ。




今回の風音は、
彼女の狂気・天才・無自覚さ・食へのこだわりが
すべて美しく混ざった回になりました。

とはいえ、風音本人はというと……
お菓子代をもらってウキウキで帰っていきました。

次回も、風音が意図せず世界を揺らすので、
どうぞ楽しんでください。
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