鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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パン!

乾いた音が、鳥も通わぬ山奥の修練場に響き渡る。私が懐から取り出した手ぬぐいを畳み、即席の扇子として自らの膝を叩いた音だ。 場所は、鬼殺隊の隠れ里からさらに奥地。 育手・鰹田様の管理する、地獄の特訓場である。観客は、恐怖に顔を引きつらせている師匠と、私を盲目的に崇拝する若き剣士、そして森の奥からこちらの様子を窺っている野生の熊(怯えている)だけ。

「さあさあ、語って聞かせましょう。今回は『全集中の呼吸』についての講釈でございます!要するに、たくさん吐いて、たくさん吸って、酸素を体に無理やり送り込む技術!! 血管を膨張させ、骨と筋肉を熱くし、人間を一時的に強化人間へと作り変える秘術!!らしいですけど、これって医学的に見てどうなんでしょう?急激に血圧が上がって、血管が破裂したりしないのでしょうか?健康被害とか、労災認定とか、その辺りの福利厚生はしっかりしているのでしょうか?」

「左近次殿、どう思いますか?」

さっくんは真面目な顔で頷く。

「……確かに。無理な呼吸を続けた結果、卒中で倒れる剣士は結構多いと聞く。特に、高齢の育手などは注意が必要だ」

「なんと!これは対策が必要ではありませんか?血液をサラサラにするために、玉葱を大量に摂取するとか、納豆を主食にするとか。鬼殺隊の食堂改革が急務ですね!」

パン!

もう一度膝を叩き、私は満足げに頷く。完璧な導入だ。これぞ講談師も裸足で逃げ出す名調子。山の澄んだ空気に、私の美声が吸い込まれていく。


水面を割る竜巻と、直火焼きの栄螺

さて。現実に戻る。今日の私は、いつもの着物姿ではない。動きやすい野良着に、袖を襷で結び上げ、足元は脚絆で固めている。手には、例の五十斤の特注木刀。もはや私の体の一部と言っても過言ではない相棒だ。

 

「よし、やるわよ!」

 

私は木刀を構える。鰹田師匠が、少し離れた安全圏から、不安そうにこちらを見ている。

 

「……颯。本当にやるのか?拾ノ型は、水の呼吸の中でも最強の技の一つ。未熟者が使えば、己の回転に振り回されて自滅するぞ」

 

「大丈夫です、師匠!私、回転には自信があります!吉原では、酔っ払った客を独楽のように回して遊んでいましたから!」

 

(※注:嘘です。そんな遊びはありません)

 

「今度こそは!成功させてみせます!見ていてください、さっくん!貴方と同じ、優雅で美しい水の剣士になってみせます!」

 

気合を入れる。腹に力を込める。肺を大きく広げる。

 

全集中……!酸素を取り込め!血を巡らせろ!私の細胞一つ一つに、爆発的な活力を充填しろ!

 

シュォォォォ……。

 

私の口元から、白い息が漏れる。体温が上がる。心臓が早鐘を打つ。準備完了だ。

 

「水の呼吸!拾ノ型!」

 

本来、この型は回転しながら斬撃を繰り出し、その回転数に応じて威力が増していくという、龍のような連撃技だ。水流のごとく滑らかに、そして力強く。それが理想形だ。

 

だが。私がやると、どうなるか。それは今から証明される。

 

「生々流転ーーッ!!」

 

ブンッ!!

 

一回転目。木刀が空気を切り裂く音が、爆音となって響く。

 

ブンブンッ!!

 

二回転目。速度が上がる。私の足元から、土煙が舞い上がる。

 

ブンブンブンブンッ!!

 

三回転、四回転。加速する。止まらない。私の三半規管は、鬼の肉体のおかげで完全に麻痺している。目が回ることもない。ただひたすらに、回転速度を上げていく。

 

ゴォォォォォォォ……!!

 

異音が聞こえ始める。風の音だ。私の回転が生み出す遠心力が、周囲の空気を無理やり巻き込み始めたのだ。

 

「とりゃあああああ!!」

 

さらに加速する。限界突破だ。人間の関節可動域など無視して、高速回転する独楽となる。

 

ズゴゴゴゴゴゴ……!!

 

地面が悲鳴を上げる。私の周囲に、真空の壁ができる。そして、それは巨大な渦となり、天へと昇る。

 

「……な、なんだあれは……!?」

 

鰹田師匠の叫び声が、風音にかき消される。

 

私の視界は、高速で流れる景色だけ。でも、肌で感じる。空気が、ねじ切れている。私の周りに、局地的な巨大竜巻が発生している。自然現象だ。剣術ではない。気象操作だ。

 

メリメリメリッ!!バキバキッ!!

 

轟音と共に、周囲の森の木々が震える。そして。根こそぎ引っこ抜かれる。樹齢数百年はありそうな杉の大木が、私の生み出した竜巻に巻き込まれ、重力に逆らって空へ舞い上がる。一本ではない。二本、三本、十本。森の一部が、空へ吸い上げられていく。

 

「わあ!飛んでる!木が飛んでるわ!これが流転ね!万物は流転するって言うものね!」

 

(※注:流転の意味を履き違えています)

 

そして。私の頭上を、一本の巨大な丸太が舞っているのが見える。直径一メートルはある巨木だ。あれを叩き割れば、型の完成だ。

 

「仕上げよ!」

 

ドォン!!爆発的な脚力で、竜巻の中心を突き抜けてジャンプする。

 

「とりゃあああああ!!」

 

空中で、五十斤の木刀を振りかぶる。回転の勢いを、全てこの一撃に乗せる。

 

目の前には、空を舞う巨木。

 

「一刀両断!!」

 

ズドォォォォォォォン!!

 

衝撃音が、山全体を揺らす。木刀が巨木を捉える。いや、捉えるという水準ではない。圧倒的な質量と速度の衝突。

 

巨木は、真っ二つに割れる……ことはなかった。粉砕された。木っ端微塵に。おが屑の雨となって、森に降り注ぐ。

 

その中を、回転しながら着地する。ズシンッ!!地面が揺れ、新たな窪地ができる。

 

竜巻が霧散する。舞い上がっていた他の木々が、バラバラと落ちてくる。大惨事だ。台風直撃後のような光景が広がる。

 

「ふぅ……」

 

木刀を肩に担ぎ、息を整える。

 

「これで完璧ですね。水のようにうねり、龍のように全てを飲み込みました!どうです、師匠!今の回転、美しかったでしょう?」

 

満面の笑みで振り返る。

 

そこには。白目を剥いて立ち尽くす鰹田師匠と。口を開けて固まっているさっくんの姿があった。

 

鰹田師匠は、魂が口から半分出ている。さっくんは、感動と恐怖の狭間で思考停止している。

 

「…………」

 

師匠からの応答はない。再起動が必要なようだ。

 

「……師匠?もしもし?感動のあまり失神ですか?それとも、私の才能に嫉妬して言葉も出ませんか?」

 

師匠の目の前で手を振る。

 

「……はっ!」

 

師匠が、ガクッと膝をついて意識を取り戻す。そして、恐る恐る周囲を見渡す。

 

「……森が……。わしの管理する演習林が……。更地になっておる……」

 

師匠が震える指で、禿げ上がった地面を指差す。そこには、かつて木々が生い茂っていたはずの場所が、見事な広場に変わっている。

 

「掃除の手間が省けましたね!これなら日当たりも良好です!」

 

「……ああ、だが颯よ」

 

師匠が、疲れた声で言う。老け込んだ気がする。数分前より、十年くらい歳を取った顔だ。

 

「君は……型を使わないほうが強い……。というか、それは型ではない」

 

「えっ?なぜですか?回転しましたよ?龍っぽかったですよ?」

 

頬を膨らませる。

 

「水の演出……水流が一滴も出ておらん」

 

師匠が指摘する。

 

「水の呼吸というのは、剣士の闘気が水流となって視覚化されるものだ。だが、今のはなんだ。水気皆無だ。乾燥注意報が出ているぞ」

 

「……乾燥?」

 

「今のは……そうだな。『斬空旋風刃』とか、そんな感じの技だろう。あるいは『竜巻粉砕撃』だ」

 

師匠が適当な名前をつける。しかも、ちょっと芝居がかった名前だ。

 

「なんでよ!!ダサいじゃないですか!斬空とか旋風とか嫌です!」

 

地団駄を踏む。ドスンドスンと地面が揺れる。

 

「私はさっくんと同じ、優雅な水の呼吸がいいんです!お揃いがいいんです!『二人で水を操る美男美女剣士』っていう二つ名が欲しいんです!」

 

私の動機は不純だ。十割、恋心と見栄でできている。

 

(優雅さの欠片もない……)

 

師匠の心の声が聞こえる。諦めの色が濃い。

 

(ただの天災だ……。台風が着物を着て歩いているようなものだ。これを『水』と言い張るには、無理がありすぎる……)

 

師匠は頭を抱える。

 

「颯……。すごかったぞ」

 

さっくんが、ようやく再起動して歩み寄ってくる。彼は私の肩に手を置く。

 

「木々が空を飛ぶなんて……。まるで神話のようだ。君の力は、やはり規格外だ」

 

「でしょ?さっくんは褒めてくれるわよね!」

 

「ああ。だが、師匠の言うことも一理ある。水というよりは、風……いや、嵐に近いかもしれない」

 

さっくんまでそんなことを言う。衝撃だ。私は水の女になりたかったのに。潤いのある、しっとりとした人妻剣士になりたかったのに。現実は、乾燥した破壊神だなんて。

 

「もういいです!名前なんてどうでもいいです!要は、鬼を倒せればいいんでしょう!?この『グルグルドッカン』で、鬼を成層圏まで吹き飛ばしてやります!」

 

技名なんて飾りだ。偉い人にはそれが分からんのです。

 

「グルグルドッカン……。斬空旋風刃より酷い名前になったな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうヤダ!感性ないわね鰹田さん!私の斬新な剣技を『ただの天災』だなんて!失礼にも程があります!私、帰らせていただきます!」

 

手には、先ほど粉砕したばかりの極太木刀。それを地面に叩きつける。ズドン、と地響きが鳴り、道場の床板が数枚跳ね飛ぶ。

 

「だいたいね、『水の演出が出ない』とか細かいことを気にしすぎなんですよ!大事なのは結果でしょう?大木が消滅した。これ以上の成果がありますか?ないですよね?それを『呼吸じゃない』だの『破壊活動だ』だの、グチグチと!器が小さいわ!お猪口ですか!?」

 

私の天才的な才能を理解できない凡人への苛立ちが、空腹感と共に爆発しているのだ。

 

「次行こ、次!こんな頭の固い道場じゃ、私の才能が腐っちゃうわ!もっと自由で、もっと好戦的で、私の暴力を全肯定してくれる場所へ!私の才能を活かせる場所へ、移籍します!」

 

プンプンと頬を膨らませ、荷物をまとめようと背を向ける。

 

すると。

 

「行ってくれるか!!」

 

背後から、弾かれたような大声が聞こえる。振り返ると、先ほどまで死にかけていた師匠が、驚異的な速度で復活している。その顔には、満面の笑み。地獄の淵から蜘蛛の糸を見つけた罪人のような、希望に満ち溢れた表情だ。

 

「行ってくれるのか、颯!そうか、そうか!それはいい考えだ!実に素晴らしい、建設的な提案だ!」

 

懐から、すでに用意してあった筆と紙を取り出す。そして、猛烈な勢いでサラサラと書き始める。

 

「喜んで紹介状を書こう!今すぐ書こう!全身全霊を込めて、推薦文をしたためよう!宛先は……そうだな、あいつしかおらん!あいつなら、この怪獣……じゃなくて、逸材を受け止められるかもしれん!」

 

筆が走る。残像が見えるほどの速筆だ。私が書類整理をする時の速度に匹敵する。人間、追い詰められると火事場の馬鹿力を発揮するものね。

 

「君の脚力と爆発力なら、水よりも『雷』の方が向いているかもしれん!そう、雷だ!一撃必殺!神速の踏み込み!君の剛腕と短気な性格には好適だ!」

 

墨が飛び散る勢いだ。

 

「なんでよ!!なんでそんなに嬉しそうなの!?」

 

普通、弟子が「辞める」と言ったら、少しは引き止めるものでしょう?「待ってくれ、君の才能が惜しい」とか、「わしの指導が悪かった、考え直してくれ」とか。そういう劇的な展開を期待していたのに。

 

「いやあ、君のような逸材を独り占めするのは忍びないからな!鬼殺隊全体の利益を考えれば、適材適所!君を最も輝かせる場所へ送り出すのが、育手としての務め!決して、道場をこれ以上破壊されたくないとか、食費がかさむとか、命の危険を感じるとか、そういう私情ではないぞ!断じてない!」

 

師匠は早口で言い訳を並べ立てながら、書き上がった紹介状を封筒に入れ、封蝋まで済ませて私に突き出す。

 

「さあ、持っていけ!これは私の姉……雷の育手への手紙だ!場所は、ここから二つ山を越えた先にある岩山だ!すぐに行け!今すぐ行け!夜になる前に発つんだ!」

 

「はあ……」

 

「達者でな!二度と来るなよ!鱗滝、案内は任せたぞ!帰り道は分からなくしておけよ!」

 

さっくんの背中をバンバン叩き、私たちを道場の外へと押し出す。そして。

 

バタンッ!!ガチャン、ガチャン!

 

門が閉まる音。そして、厳重に鍵をかける音。ついでに、内側から家具か何かを積み上げて防壁を作っているような物音まで聞こえる。

 

「…………」

 

道場の前に取り残された私とさっくん。夕風が冷たい。カラスが「アホウ」と鳴いて通り過ぎていく。

 

「……変な人」

 

「あんなに熱烈に見送ってくれるなんて。よっぽど私のことが好きだったのね。別れが辛くて、ああやって強がっていたんだわ。ツンデレってやつね」

 

「……颯。その前向きさは、才能だと思う」

 

さっくんが遠い目をして言う。彼は分かっているのだ。師匠が本気で私を厄介払いしたことを。でも、それを口に出さないのが彼の優しさだ。

 

「まあいいわ。水が合わないなら、雷でも火でも何でも試してやるわよ。私は天才だもの。何色にでも染まれるわ。さあ、さっくん!新しい旅の始まりよ!次の師匠も、美味しそうな名前だといいわね!」

 

さっくんの腕に抱きつく。

 

「雷の育手……か。師匠の姉上ということは……。きっと、厳しい人だろうな」

 

さっくんが不安そうに呟く。

 

「大丈夫よ。どんな厳しい人でも、加須底羅を口に突っ込めばイチコロよ。私の餌付け術を信じて!」

 

私たちは歩き出す。夕闇の迫る山道へ。新たな出会いと、新たな食欲を求めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。私たちは、鰹田さんの道場から二つ山を越えた場所にある、険しい岩山に来ていた。ここは植生が違う。木々は少なく、ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっている。空が近い。雲の流れが速い。そして、時折遠くでゴロゴロという音が響いている。

 

「ここね」

 

岩の上に立ち、周囲を見渡す。空気が乾燥している。肌にピリピリとした静電気が走るのを感じる。

 

「雷の育手の住処……。雰囲気あるわね。いかにも『頑固者が住んでます』って感じの場所だわ」

 

「颯、足元に気をつけてくれ。この辺りは落雷が多い。岩肌も焦げている場所がある」

 

さっくんが注意を促す。確かに、所々の岩が黒く変色している。自然の驚異だ。まあ、私が本気を出せば、雷雲ごと吹き飛ばせる気もするけれど。

 

「あんたかい」

 

突然、野太い声が降ってきた。上だ。岩山の上。

 

「鰹田が寄越した『怪物』ってのは」

 

見上げると、そこには一人の人物が仁王立ちしていた。逆光で顔が見えない。でも、その影法師だけで、ただ者ではないことが分かる。

 

大きい。横幅が。恰幅の良い体型。そして、髪の毛が爆発したように広がっている。球状の髪型ではない。天然のチリチリパーマだ。雷に打たれすぎて縮れたのかもしれない。

 

その人物は、ドスン!という重い音と共に、私たちの目の前に飛び降りてきた。地面が揺れる。岩が割れる。重量級の着地だ。

 

初老の女性だった。顔には深い皺が刻まれているが、肌の色は健康的な小麦色。眼光は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだ。着物は黄色地に鱗模様。帯には、短い木刀を差している。

 

「……怪物?」

 

「失礼な。か弱い未亡人ですよ。夫を亡くし、涙に暮れながら健気に剣の道を志す、薄幸の美少女です」

 

ハンカチで目元を押さえる演技をする。さっくんが横で「美少女……?」と小首を傾げているが無視する。

 

「ふん。口が減らないところは、手紙の通りだね」

 

女性は鼻を鳴らす。その手には、鰹田様が書いた紹介状が握られている。もう届いていたのか。伝書鳩でも使ったのだろうか。

 

「私は雷の呼吸の育手、鰹田栄螺だよ。あの頼りない弟が、手に負えないと言って泣きついてきたもんだから、どんな化け物が来るかと思っていたが……。見た目は、ただの派手な小娘じゃないか」

 

栄螺様は、私をジロジロと見る。品定めだ。肉質を検査する肉屋の目だ。

 

「よろしくね。まあ、ここまで来た根性は認めてやるよ」

 

彼女がニヤリと笑う。その笑顔は、豪快で、そしてどこか野性的だ。

 

彼女をじっと見つめる。目を逸らさない。いや、逸らせない。

 

「(じゅるり)」

 

音がした。私の喉が鳴る音だ。

 

またしても……。美味しそうな人。鰹の次は、栄螺……

 

私の脳内厨房がフル稼働する。栄螺。磯の香りが凝縮された、貝の王様。殻ごと網に乗せて、直火で焼く。グツグツと汁が煮立ってきたところに、醤油と酒を垂らす。

 

ジュワァァッ!!立ち上る香ばしい匂い。身を取り出し、肝と一緒に頬張る。

コリコリとした食感。広がる磯の風味。そして、あの肝の独特の苦味。それが日本酒に合うのよねえ……。

 

ああ、たまらない。このおばさん、絶対に美味しいわ。雷で焼かれたような香ばしさと、長年の修行で培われた筋肉の歯ごたえ。噛めば噛むほど味が出る、スルメのような……いや、壺焼きのような人だわ。

 

無意識に舌なめずりをする。鬼の本能が、目の前の育手を「食材」として認識し始めている。

 

「……なんだい、その目は」

 

栄螺様が、怪訝そうに私を見る。

 

「私を睨み殺すつもりかい?それとも、食ってかかろうってのかい?」

 

鋭い。さすがは姉弟だ。直感が働いている。

 

「……おばさん」

 

「あんだって?」

 

栄螺様のこめかみに青筋が浮かぶ。「おばさん」呼ばわりには敏感なお年頃らしい。

 

「いえ、美味しそうなお名前だなあと思って。私、貝類には目がないんです。特に、身が引き締まっていて、ちょっと苦味のある大人の味のが大好きで」

 

正直に告白する。嘘はついていない。

 

「……変な娘だね。人を食材扱いするとは、いい度胸だ。まあいい。その食欲、稽古の活力に変えてみな」

 

栄螺様は豪快に笑い飛ばす。器が大きい。鰹田様より肝が据わっている。やはり、壺焼きにするなら肝まで美味しくいただかないとね。

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

栄螺様は、腰の木刀を抜き、肩に担ぐ。

 

「弟の手紙には『腕力で空気を割る』だの『岩を爆破した』だの、与太話が書いてあったが……。雷の呼吸は、力任せに振ればいいってもんじゃないよ」

 

彼女の表情が引き締まる。育手の顔だ。

 

「雷の呼吸の真髄は、『速さ』と『踏み込み』だ。一瞬の爆発力。雷光のごとき神速で間合いを詰め、敵が瞬きする間に首を斬り落とす。それが雷の剣技だよ」

 

「速さ……ですか」

 

速いのは好きだ。おやつが売り切れる前に店に辿り着くには、速さが不可欠だからだ。

 

「あんたのその太い太もも、飾りじゃないだろうね?」

 

栄螺様が、私の足を指差す。失礼な。太くないわよ。健康的と言ってほしいわ。

 

「この足腰が、瞬発力を生むバネになるんだ。見たところ、肉付きは悪くない。いい筋肉をしてるじゃないか」

 

「失礼ですね!これは安産型の美脚です!魅惑の太ももと言ってください!」

 

さっくんが「うんうん」と頷いている。彼は私の太ももが好きだからね。

 

「でも、速さには自信がありますよ。光より速く、おやつの棚に到達できますから。加須底羅の特売が始まった瞬間に、誰よりも早く行列の先頭に並ぶ自信があります」

 

「……減らず口を。おやつへの執念は認めてやるが、鬼相手にそれが通じるかね」

 

栄螺様は呆れ顔だ。

 

「いいだろう。その自信、へし折ってやるよ。今日から徹底的にしごいてやるから覚悟しな!逃げ出そうとしたら、落雷をお見舞いするよ!」

 

彼女が木刀を振るうと、空気がビリリと震える。静電気が発生し、私の髪が少し逆立つ。

 

「望むところです!どんな修行でも受けて立ちます!」

 

雷か……。直火焼きってことね。カステーラを炙ったら、表面がカリッとして、中はフワッとして、さらに美味しくなるかも。

 

私の発想は、常に食べ物に行き着く。雷に打たれる恐怖よりも、美味しくなる可能性への期待が勝っているのだ。

 

それに、雷の呼吸を会得すれば……。冷めたお弁当を一瞬で温められるかもしれないわ!画期的!これは覚えるしかないわね!

 

「さっくん!見ててね!私、光になるわ!稲妻人妻になってみせるわ!」

 

「……稲妻人妻……?語呂はいいが、意味が分からんぞ颯」

 

さっくんが困惑しているが、気にしない。

 

こうして。風音は新たな食材……もとい、師匠の下で修行することになった。雷の呼吸。それは「一撃必殺」の剣技。最も速く、最も鋭い斬撃。

 

風音の「一撃粉砕」の馬鹿力と、雷の「神速」が組み合わさった時、何が起きるのか。それはまだ、誰も知らない。ただ一つ確かなことは。日本の防災史に残る災害級の剣士が、ここで産声を上げようとしているということだ。

 

「よし!まずは屈伸一万回だ!始めェ!!」

 

栄螺様の怒号が、岩山にこだまする。雷鳴よりも恐ろしい修行の日々が、幕を開けた。




今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

・颯の生々流転(気象兵器)
・師匠の高速紹介状
・栄螺様の初登場
・颯の雷への謎の適応力

など、書いていて私もとても楽しい回でした。

もし気に入ったシーンがあれば、ぜひ感想で教えてください。
「ここで笑った!」
「栄螺様のキャラ好き!」
「颯の破壊力に腹筋が死んだ!」
など、一言のリアクションでも作者の力になります。
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