鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら 作:斉宮 柴野
乾いた音が、雷雲の立ち込める岩山に響き渡る。私が懐から取り出した手ぬぐいを畳み、即席の扇子として自らの膝を叩いた音だ。場所は、雷の育手・サザエ師匠の管理する修練場。観客は、呆れ顔で煎餅を齧る師匠と、私の奇行に慣れてきて「まあ、颯だからな」という悟りの境地に達しつつある愛しのさっくんだけ。
「さあさあ、語って聞かせましょう、天才・風音の華麗なる転身記・迷走編!吉原の頂点から鬼殺隊の剣士へと転職活動中の私、葛城颯!前回、雷の呼吸の基本『壱ノ型・霹靂一閃』を習得したものの、その実態は『止まれない、曲がれない、ただの人間砲弾』でした!岩に頭から突っ込み、見事な人型の穴を開けて生還した私。頑丈さだけは認められましたが、剣士としての品格は皆無!このままでは、鬼を斬る前に自分が壁のシミになってしまう!目指せ優雅な剣士!目指せさっくんのような流麗な剣捌き!天才が陥る『器用貧乏』の罠とは!?風音の明日はどっちだ!!」
パン!
もう一度膝を叩き、私は満足げに頷く。今日も絶好調だ。私の美声が岩山に木霊し、遠くで雷がゴロゴロと相槌を打っている。
「……反省の色がないねえ、あんたは」
サザエ師匠が、バリボリと音を立てて煎餅を咀嚼しながら言う。
「前回の特攻で、岩山の一つが崩落寸前になったんだよ。修理代を請求したいくらいだ」
「あら、風通しが良くなっていいじゃないですか。それに、私の頭の方が痛かったんですよ?タンコブが二つもできたんですから(一瞬で治ったけど)」
私は道場の縁側で、胡坐……じゃなくて、行儀よく正座をし直す。今日は真面目な気分だ。なぜなら、私は悩んでいるからだ。
(どうやら、私の剣技はちょっとズレていたらしい)
心の中で自問自答する。
(ただ速く、ただ強くぶつかるだけでは、それは剣術ではなく交通事故だ。当たり屋だ。私は優雅な剣士になりたい。さっくんのように、水が流れるような美しい所作を身に着けたい!そして、『キャー!颯様ステキー!』と黄色い声援を浴びたい!)
動機は不純だが、向上心はある。
「……むぅぅぅぅ……」
目を閉じ、精神統一を図る。座禅だ。形から入るのは私の得意技だ。
(雷の呼吸……。サザエ様は『速さと踏み込み』と言った。でも、それだけじゃ味気ない。もっとこう、華が欲しいのよ。吉原の花魁道中みたいな、見る者を圧倒する煌めきが!)
私の周囲の空気がざわめく。バチッ、パチパチッ……。静電気が発生し、着物の裾が吸い付く。私の体内の鬼の血が、思考に呼応して漏れ出しているのだ。
(……見えた)
私の脳裏に、閃光が走る。
(雷とは、ただの破壊ではない。一瞬の煌めき、そして轟く音。暗闇を引き裂く光の演出。……つまり『派手さ』だ!)
(※注:違います。殺傷能力です)
「よし!雷の呼吸の真髄!見つけたり!」
カッと目を見開く。瞳の中で、黄金色の火花が散る。
「サザエさん!さっくん!修練場へ行きましょう!お披露目会です!私がたどり着いた、真の雷の呼吸をお見せします!」
今なら、空に浮かぶ雲さえも、私の演出照明に変えられる気がする。
◆
修練場。岩肌が剥き出しの広場。サザエ様とさっくんが、腕を組んで待っている。
「ほう、見せてもらおうか。あんたが何を悟ったのかをね」
サザエ様は半信半疑といった顔だ。さっくんは「颯なら何か凄いことをやるに違いない」という、期待と不安が入り混じった顔をしている。
「いきますよ!」
あの日、鰹田道場で借りパク……じゃなくて、譲り受けた五十斤の特注木刀だ。これを片手で構える。
呼吸を整える。腹に力を入れる。心像するのは、夜空を彩る稲妻。そして、吉原の夜を照らす提灯の灯り。
(美しく。派手に。そして、誰よりも目立つように!)
「全集中・雷の呼吸……!」
シュオォォォ……。
口から白い呼気が漏れる。同時に、私の周囲の空間が歪む。
バリバリバリバリッ!!
幻影ではない。本物の放電現象と、私の闘気が作り出した光の演出が融合する。私の体が、黄金色の気迫に包まれる。まるで発光体だ。直視できないほど眩しい。
「雷の呼吸・肆ノ型……」
私は足を滑らせる。氷の上を滑るように、滑らかに。
「遠雷!!」
先日のような、力任せの竜巻ではない。舞だ。能楽のように優雅で、それでいて鋭い回転。木刀が描く軌跡が、そのまま光の帯となって空中に残る。
ヒュンッ!ズバッ!!
眼前の岩(手頃な大きさのやつ)を斬りつける。光の龍が舞うような、美しい連撃。教科書に載せたいくらい完璧な型だ。柱稽古の模範演技と言われても通じる水準の美しさだ。
私は着地する。音もなく。羽衣が舞い降りるように。そして、キメ顔で振り返る。
「どうですか!この輝き!バチバチいってるでしょう!後光が差してるでしょう!」
私は得意顔を決める。完璧だ。これぞ芸術。これぞ雷の呼吸の完成形だ。
「…………ふむ」
サザエ様が、顎に手を当てて唸る。さっくんは、目を細めている(眩しいから)。
「どうです?完璧でしょう?美しさの中に、鋭さを秘めた一撃!私が求めていたのはこれです!」
「ああ、見た目は完璧だ。絵に描いたような雷の呼吸だね。錦絵にしたら売れそうだ」
「でしょう!さっすが師匠!分かってらっしゃる!」
やはり、天才は何をやっても様になるのだ。
「だがね、颯」
サザエ様の声が低くなる。
「あんた……。壱ノ型(霹靂一閃)以外は、型を使わないほうが強いよ」
「……え?」
固まる。耳を疑う。
「ど、どういうことですか?今のは完璧だったはず……」
「岩を見てみな」
サザエ様が顎でしゃくる。私が斬ったはずの岩。
そこには、綺麗な切断痕が残っていた。スパッと切れている。美しい切り口だ。
「切れてますよ?大成功じゃないですか」
「今の一撃、岩を切っただけだろう?」
「へ?」
「あんたが先日、適当に『んんんっ!』って振り回した時は、もっとデカい岩が粉砕されてたじゃないか。跡形もなく消し飛んでたじゃないか」
サザエ様が痛いところを突く。
「確かに……。先日の『斬空旋風刃』の方が、威力は桁違いだったな……」
さっくんも同意する。
「型に嵌めることで、颯の持ち味である『デタラメな怪力』と『規格外の突進力』が殺されている……。美しく振る舞おうとするあまり、力加減をしてしまっているのだ」
図星だ。グサッとくる。
「なんでよ!!」
「幻影が出た方がカッコいいじゃないですか!強さより夢ですよ!岩が粉々になるより、スパッと切れた方が『達人』っぽくて素敵じゃないですか!私はゴリラじゃなくて剣士になりたいんです!」
抗議する。破壊力なんて野蛮だ。私は優雅に生きたいのだ。
「戦いに夢なんぞ要るか!生きるか死ぬかだ!」
サザエ様が一喝する。雷が落ちたような大声だ。
「いいかい、あんたは器用すぎるんだ。元遊女だか何だか知らないが、芸事の才能がありすぎる。型をやろうとすると、無意識に『美しく見せよう』とか『自分流のひねりを加えよう』として、力が分散しているんだよ!」
サザエ様が私の前に立つ。鬼気迫る形相だ。
「あんたの独創性は、剣術においては邪魔だ!不純物だ!あんたが頭を使って工夫すればするほど、弱くなる!悲しい生き物だねえ!」
「ぐっ……図星を……」
胸を押さえる。そうなのだ。私は模倣の天才だ。琴も三味線も踊りも、師匠の動きを完璧に真似ることで上達した。だが、そこに「私らしさ」を加えようとすると、途端に陳腐になる。私は空っぽの器なのだ。何でも入るけれど、中身は自分じゃない。
「仕方ない。私が言うとおりに、一切の『工夫』をしないで、教本通りにやってみな。指の角度、足の運び、呼吸のタイミング。全て手本通りにだ。あんたの意思なんて一ミリも挟むんじゃないよ!」
「えー、それじゃあ私の個性が……。私という存在意義が……」
「いいからやるんだよ!晩飯抜くよ!」
「やります!やらせていただきます!私は自動人形です!命令に従うだけの悲しき機械です!」
食欲には勝てない。
「よし。雷の呼吸・弐ノ型・稲魂。構え!」
「はいっ!」
思考を停止させる。心を無にする。サザエ様の動きを、脳内で再生する。ただなぞるだけ。写し取るだけ。
「いざッ!」
ズバッ!ズバババッ!!
五連撃を放つ。何の感情も込めずに。ただ、教えられた通りの軌道で。
速い。そして、正確だ。岩が、綺麗な五等分に切断される。無駄がない。美しいと言えば美しいが、そこには私の「圧」がない。
「……参ノ型・聚蚊成雷……」
次々と型を繰り出す。波紋を描くような回転斬り。遠心力を利用した連撃。どれもこれも、教科書から飛び出してきたような完璧な動きだ。
「……ほら、できた」
サザエ様がため息をつく。
「全部の型、一発で習得完了だ。しかも、師範代水準の完成度でね」
「す、すごい……」
さっくんが絶句している。
「長年修行した隊士のような完成度だ……。癖が全くない。基本に忠実で、隙がない。……颯、君はやはり天才だ」
「…………」
木刀を下ろす。汗一つかいていない。達成感もない。
(できた。できてしまった。私は天才!琴や三味線を習った時と同じ。見本さえあれば、それを完璧に写し取ることができる!写輪眼……じゃなくて、観察眼の賜物ね!)
(……だけど!)
叫びたい衝動に駆られる。
「つまらない!!」
「はあ?」
サザエ様が呆れる。
「つまらないです!こんなの、ただのお遊戯です!工夫ができないなんて!『ここでちょっと決め姿勢入れたら可愛いかな』とか、『ここで相手を煽ったら面白いかな』とか!そういう遊び心がないなんて!私の魂が!溢れ出る情熱が!形骸化した型に押し込められて窒息しそうです!」
私の剣は、娯楽でありたいのだ。観客を楽しませ、自分も楽しむ。それが私の流儀なのだ。
「贅沢な悩みだねえ……。世の中の剣士たちが聞いたら、血の涙を流して怒るよ」
サザエ様が頭を振る。
「ま、とにかく合格だ。あんたは雷の呼吸を修めた。免許皆伝とは言わんが、最終選別に行く資格はある」
「本当ですか!やったー!ついに鬼殺隊お披露目ですね!」
つまらないけど、合格は合格だ。
「ただし」
サザエ様が釘を刺す。
「あんたは基本、壱ノ型(霹靂一閃)で戦いな。あれだけは、あんたの馬鹿力が活きる。どうしようもなくなったら、他の型を『教科書通り』に出せばいい。決して、独自の『風音特別仕様』とか編み出すんじゃないよ。弱くなるからね」
「ちぇっ……。分かりましたよぅ」
唇を尖らせる。
(じゃあ、こっそり壱ノ型だけは改良しようっと。頭突きの威力を上げるために、額に鉄板を埋め込むとか。あるいは、着物の裾に刃物を仕込むとか)
「余計なことをするんじゃないよ!!顔に出てるんだよ!」
サザエ様に怒鳴られた。超能力者か、このおばさん。
こうして。風音は、雷の呼吸を(不本意ながら)修めた。「型通りにやれば天才、自己流でやれば天災」その不安定な爆弾を抱え、いよいよ私は最終選別へと向かうことになる。
「さあ、さっくん!荷造りしましょう!おやつは三百円までよ!」
「……遠足ではないぞ、颯」
◆
パチパチパチパチパチパチ!!
乾いた音が、鬼殺隊本部の帳場に響き渡る。私が懐から取り出した手ぬぐいを畳み、即席の扇子として……ではなく、今日は本物の算盤を弾いている音だ。場所は、相変わらず古臭く、しかし劇的に整理整頓された事務室。観客は、私の指先の残像を見て目を回している事務方の爺様たちと、心配そうな顔で入り口に立っている愛しのさっくんこと、鱗滝左近次くんだけ。
「……颯。選別まで、あと二ヶ月だぞ」
さっくんが、重々しく口を開く。その顔には、焦りと戸惑いが張り付いている。
「筆ではなく、木刀を持つべきではないか?今は追い込みの時期だ。雷の呼吸の型も、まだ完璧とは言い難いだろう。『斬空旋風刃』だか何だか知らないが、あんな大味な技だけで藤襲山を生き抜けるとは思えん」
ごもっともな意見だ。普通の受験生なら、試験前は必死に勉強(稽古)をするものだ。しかし、私は天才だ。凡人と同じ行程で動く必要はない。
「何をおっしゃいます、さっくん。戦は兵站と情報で決まるのですよ?」
算盤から目を離さず、涼しい顔で答える。指は止まらない。計算速度は音速を超えている。
「見てください、この未処理案件の山!私が来る前よりはマシになりましたが、それでも日々、各地から報告書が届くのです。誰かがこれを捌かねば、組織の血流が止まってしまいます!」
書類の束をポンと叩く。
「私がいないと、隊士への給金が滞り、新しい刀の発注も遅れます。飯が食えない兵士が戦えますか?錆びた刀で鬼が斬れますか?否!私が事務を回すことで、組織全体の士気を上げ、間接的に鬼殺隊を強化しているのです!これぞ、『全集中・事務の呼吸』!」
「ぐうの音も出ない……」
さっくんが頭を抱える。
「(確かに、君が来てから支給品が良くなったと評判だが……。食事の質も上がったし、隊服の生地も丈夫になった。君は一体、何と戦っているんだ……?)」
私は不正と非効率と戦っているのよ。そして、この功績は全て、無惨様への手土産(情報の掌握)になるのだから、一石二鳥どころではないわ。
「それに、修行なら夜にたっぷりしてますから♡」
筆を止め、流し目を送る。意味深に。艶っぽく。
「っ……(赤面)」
さっくんが咳払いをし、顔を背ける。耳まで真っ赤だ。 可愛い。この反応が見たくて、ついからかってしまう。
「安心してください、さっくん。私は昼は事務の鬼、夜は……愛の鬼ですから」
ニカっと笑う。半分は本当で、半分は比喩だ。私の「鬼」としての生活は、これからが本番なのだから。
◆
夜。隠れ里の片隅にある、さっくんの個室。質素な部屋だが、今の私にとってはどんな豪華な屋敷よりも落ち着く場所だ。行燈の火を落とし、私たちは一つの布団の中で身を寄せ合っている。
静寂。聞こえるのは、互いの呼吸音と、衣擦れの音だけ。
「んっ……あぁ……さっくん……」
私の口から、甘い吐息が漏れる。演技ではない。体の芯から湧き上がる熱が、私を溶かしていく。
さっくんの腕が、私の腰を抱きしめる。強い力だ。剣だこでゴツゴツとした手が、私の肌を這う。痛いけれど、愛おしい。
「颯……大丈夫か?苦しくないか?」
さっくんが、耳元で囁く。気遣いの塊だ。事の最中にまで、私の体調を気にするなんて。
「……ううん。平気よ。でも、少し違うの」
「違う?」
さっくんの動きが止まる。不安そうに私を覗き込む。間違ったことをしただろうか、と怯える子犬のようだ。
「吉原ではね、もっとこう……。『浅く』、じらすように入れるのが粋だとされているの」
私は指先で、彼の胸板をなぞる。
「お客様を焦らして、楽しませるための手練手管。すぐに果てさせないように、夢見心地を持続させるための技術。それが、遊女の作法だったわ」
「……なるほど。私は無粋だったか。君を満足させるには、もっと修行が必要だな」
さっくんが真面目に反省している。違うのよ、さっくん。貴方は真面目すぎるのよ。
「ううん……違うの。謝らないで」
彼の首に腕を回す。ぎゅっと、しがみつく。
「さっくんは不器用だけど……。もっと『深く』……心の奥まで届くように求めてくれる」
彼の愛撫には、技巧はない。ただひたすらに、私を愛しいと思う気持ち。私と繋がりたいという、純粋な渇望。それが、私の鬼としての冷たい体を、内側から熱くする。
「それが……たまらなく嬉しい。技術なんていらない。貴方のその、熱い想いだけで私は……」
背中に爪を立てる。鬼の爪ではない。人間の、丸く整えられた爪だ。それでも、彼の肌に赤い痕を残すくらいには強く。
「満たされるの。空腹も、孤独も、全部忘れられるわ」
「颯……」
さっくんが、感極まったように私を抱きしめる。
「愛している。君が誰であろうと、過去に何があろうと。私は君を離さない」
「……私もよ」
◆
翌朝。私は、いつにも増して肌艶が良く、ピカピカと発光していた。全身から幸せオーラが出ている。対照的に、さっくんは少しげっそりとして、目の下に薄っすらと隈を作っている。吸い取られたのは彼の方かもしれない。
「……あんたたち」
サザエ様が、腕を組んで仁王立ちしている。その目は、呆れを通り越して、何か言いたげだ。
「若いのはいいけどねえ。壁が薄いんだよ、ここの宿舎は」
「あら、お義姉さん。何のことでしょう?昨夜は雷が鳴っていましたか?」
すっとぼける。しらばっくれるのは得意技だ。
「とぼけるんじゃないよ。毎晩毎晩、盛りのついた猫みたいにニャーニャーと。……まあ、仲が良いのは結構だがね」
サザエ様が、深刻な顔で詰め寄ってくる。
「最終選別の前に、子供ができたらどうするんだい!!」
「えっ」
その発想はなかった。
「腹ボテで鬼と戦うつもりかい?幾らあんたが怪力でも、妊婦が山に入ったら命に関わるよ!身重の体で、『霹靂一閃』なんてやったら、子供が飛び出しちまうよ!」
「……盲点でした」
確かに。昨夜あんなに頑張ったのだから、できていてもおかしくない。いや、むしろできていない方がおかしい水準だ。
「(真顔で)……責任は私が取ります」
さっくんが一歩前に出る。男らしい顔だ。
「もし子ができたなら、選別には行かせません。私が守ります。颯には、家で待っていてほしい」
「いえいえ!行きますよ!何をおっしゃいますか!」
冗談じゃない。ここまで来て、最終選別不参加なんてあり得ない。無惨様に殺される。
「大丈夫です、私は天才ですから!気合で産む時期をずらします!『まだよ、まだ出てくるんじゃないわよ』って言い聞かせれば、半年くらいは我慢してくれるはずです!」
「産期は気合でどうにかなるもんじゃないよ!!」
サザエ様の雷が落ちた。ごもっともだ。でも、私は鬼だ。体の構造くらい、自分の意思でどうにかできるはずだ。たぶん。
「まあ、できてから考えましょう!案ずるより産むが易しです!さあ、今日の稽古を始めましょうか!」
◆
深夜。さっくんが泥のように眠りについた後。私はこっそりと布団を抜け出し、着物を羽織る。音もなく。気配もなく。
「……ふぅ」
窓を開け、夜の街へと躍り出る。隠れ里から少し離れた、城下町の暗がりへ。
(それはそれとして)
屋根の上を疾走しながら考える。
(愛だけでは腹は膨れないし、強くもなれない。精神的な充足感と、物理的な栄養補給は別問題だわ。人間も食べに行ってます。そうしないと鬼として成長できないからね!)
さっくんとの営みは楽しいけれど、それだけでは足りない。私の体は、もっと濃密な、生の活力を求めている。血を。肉を。命を。
路地裏に降り立つ。深夜の町は静まり返っているが、時折、夜遊びをする若者や、仕事帰りの娘が歩いている。
「おや?」
獲物発見。一人歩きの娘だ。提灯も持たず、心細そうに歩いている。迷子だろうか。それとも、家出娘だろうか。どちらにせよ、私にとってはご馳走だ。
私は瞬時に、「快活なお姉さん」の仮面を被る。鬼の気配を消し、親しみやすい気配を全開にする。
「へい!そこのお嬢さん!」
背後から声をかける。
「え?あ、はい……」
娘が振り返る。怯えている。可愛い。
「ちょっと道に迷っちゃって~。私、この辺りの地理に疎くて。ねえ、駅……じゃなくて、大通りはどっちかしら?」
相手の警戒心を解くための定石だ。
「あ、あっちです……。私も、そっちへ行くので……」
「あら、奇遇!じゃあ一緒に行きましょう!夜道は危ないものねえ。変な男とか、人食い鬼とかが出るって噂よ?」
娘の腕を組む。逃がさないように。そして、彼女の体温と脈拍を確認するように。
「ねえ、私に『食べられて』みない?」
「えっ?」
娘がキョトンとする。
「あ、ごめんなさい噛みました(嘘)。私に『助けられて』みない?……ふふっ」
人気のない森の中。町外れの、誰も来ない場所。誘導完了だ。
「あの……。道、こっちで合ってますか?大通りとは逆のような……」
娘が、少し不審がり始める。遅い。もう手遅れだ。
「ええ、合ってるわよ。貴女が『私の血肉』になるための道だもの」
月明かりが、私の顔を照らし出す。
「……え?」
娘が後ずさる。私の口元を見る。唇が裂け、そこから鋭い牙が覗いているのを見てしまったようだ。
「ひっ……!?き、牙……!?あ、あなた……」
「いやぁ~、大丈夫!怖がらないで!痛くしないとは言わないけど……楽しく食べてあげるから!」
両手を広げる。歓迎の姿勢だ。
「いやあああ!鬼……!?」
娘が悲鳴を上げようとする。
「シッ!大きな声を出さないで。鬼だということは、内緒なんだから」
シュッ!
娘の口を、片手で塞ぐ。その手つきは優しく、しかし万力のような力で、絶対に逃がさない。
「さっくんにバレたら怒られちゃうでしょう?あの子、真面目だから。私が夜な夜なつまみ食いしてるなんて知ったら、きっと泣いちゃうわ」
娘の耳元で囁く。
「だから、静かにしててね。すぐに終わるから。……いただきます」
ガブリ。
私の夜食時間が始まる。罪悪感?そんなもの、加須底羅と一緒に消化してしまったわ。私は生きる。強く、美しく、そして貪欲に。
◆
選別前日。私は、心身ともに充実しきっていた。肌は輝き、筋肉はしなやかに引き締まり、そして鬼としての力も増している。
(事務仕事で頭を使い、夜の営みで愛を満たし、人肉で力をつけた。完璧だわ。これ以上の仕上がりはない)
鏡の前で着物に袴姿を確認する。腰には、さっくんから借りた予備の日輪刀。まだ色は変わっていないが、私が握れば何色になるのだろうか。黄金色(カステラ色)だろうか。
「さあ、行きましょうか最終選別!藤襲山の鬼たち、待っていなさい。……吉原仕込みの『新人』が、挨拶に行ってあげるわ!」
刀を佩く。覚悟は決まった。いざ、出陣。
「さっくん!行くわよ!お弁当持った?」
「ああ。君の分もな」
私の物語は、ここから新たな章へと突入する。鬼と人が入り乱れる、狂乱の試験会場へ。私が通った後には、鬼の死体と、困惑した受験生たちしか残らないだろう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
風音の二面性――
欲、愛、才能、飢え、天才性、無軌道さ。
それらを一気に描いた回でした。
・型通りなら無敵
・我流なら弱体化
・夜の愛
・夜の捕食
・事務の呼吸
風音の多面体のどこが、一番印象に残ったでしょうか?
ぜひ感想で聞かせていただけると嬉しいです。