鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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明治コソコソ噂話。

「さあさあ、始まりました!本日の主役は、今回から新しく登場した千草ちゃんについてです!私は司会の葛城颯。そしてゲストは……」

「九条千草でーす。よきにはからえ!!」

「はい、偉そうですねー。彼女は名字の通り、公家のいいところのお嬢様らしいですよ。  深窓の令嬢というやつですね。世間知らずで、高貴で、そして……」

「そして?」

「とんでもない変態です」

「失礼な。私はただ、美しいものを愛でるのが好きなだけだよ。お姉様のその豊満な果実とかね」

「……まあ、気が合いそうだから許すわ。それでは本編、いってみましょう!!」


因果は巡る、おっぱいと共に

「ふふふん~♪」

 

鼻歌を歌いながら、闇の中を歩く。今日の私は、いつもの着物姿ではない。いや、着物は着ているのだが、今は「人間モード」を解除している。血鬼術『封鬼化生』を解き、本来の鬼としての姿を晒しているのだ。

 

肌は黒く亀裂が走り、そこから黄金色の光が漏れ出している。瞳孔は縦に裂け、紅く輝く。口元からは鋭い牙が覗き、爪は黒く鋭利に尖っている。誰がどう見ても、人間ではない。禍々しくも美しい、上位の鬼の姿だ。

 

「私も鬼に戻ったら、お腹が空いちゃったわね。さっきの手鬼にあげた候補生Aくん……。彼、筋肉質で美味しそうだったなあ。やっぱり、あげるんじゃなくて半分こすればよかったかしら」

 

でも、育ち盛りの子供に譲るのが母の愛というものだ。私は大人だから、自分で獲物を捕まえればいい。

 

「夜食、夜食~♪どこかに脂の乗った剣士はいないかしら~♪」

 

地面を踏むたびに、黒い瘴気が広がる。雑魚鬼たちが、私の気配を感じて逃げ惑うのが分かる。賢い。上位捕食者には逆らわないのが野生の掟だ。

 

しかし。そんな私の鼻が、微かな匂いを捉える。

 

「くんくん……。おや?」

 

甘い匂い。それも、極上の。腐った鬼の臭いではない。汗臭い男の匂いでもない。白粉と、高級な香木の香りが混じったような、雅な香り。

 

「あら、珍しい。こんな山奥に、京菓子のような匂いがするわ」

 

視線を巡らせる。闇の奥。月明かりが辛うじて届く、一本の太い松の木の下。

 

「…………」

 

いた。獲物だ。それも、雑魚鬼が獲物を追い詰めている現場だ。

 

「ヒヒッ……!女だ……!上玉だ……!こんな所に、こんな柔らかそうな肉が……!」

 

下級鬼だ。見た目は醜悪。体中から角だかイボだか分からない突起物を生やし、涎を垂らしている。品がない。あんな汚い食べ方をする奴に、食事を楽しむ資格はない。

 

その鬼が、一人の少女を木に押し付けている。少女は……震えているように見える。小柄だ。服を着ているが、その上から立派な羽織を纏っている。髪は艶やかな黒髪で、姫カットに切りそろえられている。顔は見えないが、その佇まいだけで「深窓の令嬢」オーラが漂っている。

 

「やめて……。乱暴は……」

 

少女の細い声が聞こえる。

 

「うるせぇ!喰ってやる!頭からバリバリ喰ってやる!」

 

雑魚鬼が爪を立てる。少女の白い首筋に、鋭い爪が迫る。

 

「あら」

 

眉をひそめる。

 

「可憐な女の子!美人だ!匂いからして、最高級の和三盆みたいな甘い味がしそうだわ!」

 

私の美食家センサーが反応する。あんな汚い鬼に食わせるには勿体ない。泥棒猫に最高級の刺身を与えるようなものだ。

 

「私がもらう!」

 

即決。私は地面を蹴る。音もなく。風のように。

 

「……死ねぇ!」

 

雑魚鬼が腕を振り上げる。

 

シュッ。

 

風切り音。いや、それすらもしない。私の刀が、空間を断ち切った音だけが響く。

 

ズバッ!

 

「あべし!?」

 

雑魚鬼の首が、空を飛ぶ。彼は自分が死んだことすら気づかず、回転する視界の中で自分の胴体を見下ろしたことだろう。

 

「はい、さようなら。貴方には千年早いわ」

 

消滅していく鬼の塵を払う。汚い。着物に灰がついたらどうするのよ。

 

「……大丈夫?怪我はない?」

 

振り返る。優しく。あくまで、通りすがりの親切なお姉さんとして。

 

少女は、木に背中を預けたまま、へたり込んでいる。安堵したように息を吐く。

 

「助けてくれてありがとう……ございます」

 

少女が顔を上げる。月明かりに照らされたその顔は、息を呑むほど美しかった。

 

中性的で、整った顔立ち。切れ長の目。白い肌。唇には紅を差しているのか、桜色に染まっている。人形のようだ。いや、博多人形よりも精巧で、生き生きとした美しさがある。

 

「でも……」

 

少女の視線が、私の顔に釘付けになる。黒い亀裂。黄金の光。紅い瞳。そして、口元から覗く鋭い牙。

 

「貴女も……『鬼』なんですね?」

 

彼女は静かに言う。悲鳴を上げるでもなく、腰を抜かすでもなく。ただ、事実を確認するように。

 

「あら、バレた?」

 

隠すつもりはなかったけれど、もう少し「謎の美女」を演じてもよかったかもしれない。

 

「大丈夫!痛くしちゃうけど、気持ちよくもしてあげるからね!貴女みたいに綺麗な子は、苦しませずに一思いに食べてあげる。それが私流のテーブルマナーよ」

 

宣告する。死の宣告だ。普通の人間なら、ここで泣き叫んで命乞いをする場面だ。

 

「助けて!」「食べないで!」「お金ならあります!」そんな陳腐な台詞を聞き飽きている私は、彼女がどんなリアクションをするか楽しみにしていた。

 

しかし。

 

「ふふっ」

 

少女が笑った。クスクスと。鈴を転がすような、涼やかな声で。

 

「お?笑った?」

 

目を丸くする。

 

「今までにはいなかった反応だわ。恐怖で狂った?それとも、諦めの境地かしら?」

 

少女は立ち上がる。埃を払う。その仕草一つ一つが、洗練されている。育ちが良いなんてもんじゃない。公家か、あるいは王族のような気品がある。

 

「泣き叫ぶより潔い。私の美しさに、恐怖よりも歓喜を感じてくれているのかな?なら嬉しいわ。私も、自分の美貌には自信があるもの」

 

髪をかき上げる。ポーズを決める。

 

「……お姉さん、綺麗ですね」

 

少女が言う。心からの言葉のようだ。彼女の瞳には、私の異形の姿が映っているはずなのに、そこに嫌悪の色はない。あるのは、純粋な感嘆。美しい美術品を見るような目だ。

 

「知ってる」

 

謙遜はしない。事実は事実として受け止めるのが天才だ。

 

「あの……。最後に一つ、お願いが」

 

少女が一歩、私に近づく。

 

「遺言?聞いてあげるわ。実家に手紙を届けてほしいとか、好きな人に想いを伝えてほしいとか。面倒くさいのは嫌だけど、貴女の頼みなら聞いてあげてもいいわよ」

 

食前の余興として、彼女の最期の望みを聞いてやることにした。

 

少女は、私の胸元をじっと見つめる。熱っぽい視線だ。さっきの雑魚鬼に向けられていた怯えとは違う、何かもっとドロドロとした、それでいてキラキラとした欲望の光。

 

「貴女の……」

 

彼女が指差す。

 

「おっぱい、揉んでも良いですか?」

 

「………………」

 

時が止まる。風が止まる。虫の声も止まる。

 

「…………はい?」

 

聞き返す。日本語のはずだが、意味が脳に浸透しない。死ぬ前に?私のおっぱいを?揉む?

 

「あの、聞こえなかったかしら。私、これから貴女を食べようとしている人食い鬼よ?貴女の捕食者よ?その相手に対して、命乞いではなくセクハラ?」

 

生まれて初めての経験だ。いや……初めてか?

 

「…………ッ!!」

 

電流が走る。既視感。強烈な既視感が、私の脳裏を駆け巡る。

 

あれは数年前。私がまだ、吉原の遊女「風音」としてデビューしたあと。「白露花魁」こと、上弦の陸・堕姫姉さんに初めて会った時のことだ。

 

圧倒的な美貌。圧倒的な強さ。そして、圧倒的な豊満な肢体。

 

それを見た私は、恐怖するよりも先に、こう言ったのだ。

 

『食べられる前に、太夫のおっぱい揉みたいです!』

 

あの時の姉さんの顔。今の私と同じ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔。そして、その後に浮かべた、呆れと興味の入り混じった笑み。

 

「(……その言葉は……!!)」

 

因果だ。因果は巡る。私が姉さんにしたことを、今、私がされている。めぐりめぐって、私の元へ返ってきたのだ。なんという運命の悪戯。なんという壮大なるブーメラン。

 

「……ふっ」

 

私の口から、笑いが漏れる。

 

「ふふふ……!あーっはっはっは!」

 

夜の森に、私の哄笑が響き渡る。愉快だ。最高に愉快だ。

 

「面白い!面白いわ、貴女!私の美乳を揉みたいなんて、お目が高い!見る目があるわね、貴女!その審美眼、ただ者じゃないわ!」

 

着物の襟を寛げる。自ら。惜しげもなく。白い肌と、自慢の果実を夜気に晒す。

 

「さあどうぞ!存分に味わいなさい!これは吉原仕込みの、最高級の逸品よ!死ぬ前の冥土の土産にするがいいわ!」

 

仁王立ちになる。どうぞ、と両手を広げる。

 

「わあ、ありがとうございます!失礼しまーす♡」

 

少女は躊躇わない。満面の笑みで、私の懐に飛び込んでくる。その手つきは、素人のものではない。手慣れている。慈しむように、確かめるように、そして貪るように。

 

「んっ……」

 

「ふぅ……」

 

森の中に、怪しい吐息が漏れる。

 

少女の目は、恐怖ではなく、純粋な好奇心と情欲に満ちている。この感触。この温度。この弾力。全てを指先で記憶しようとする、求道者のような真剣さだ。

 

「うん、いい手つきだ。柔らかいタッチ。それでいて、ツボを押さえている。貴女、相当遊び慣れてるわね?」

 

くすぐったいけれど、悪い気はしない。むしろ、褒められているような気分だ。

 

「ええ。家の乳母や、女中たちで練習しましたから」

 

少女があっけらかんと言う。とんでもないお嬢様だ。

 

「え?お名前は?」

 

「千草。九条千草です」

 

「九条……。公家じゃない。やんごとなき一族じゃない。なんでそんな高貴な姫君が、こんな泥臭い試験を受けてるのよ」

 

「退屈だったからです。屋敷の中は、美しいけれど動かないものばかり。私は、もっと生きた美しさが欲しかった。血が通って、脈打って、温かい……貴女のような美しさが」

 

千草ちゃんが、うっとりと私を見上げる。その瞳は、私の中にある「狂気」と同質のものを宿している。快楽主義者。刹那主義者。そして、どうしようもない変態。

 

「気に入った!」

 

彼女の肩を抱く。

 

「食べるのをやめたわ!貴女を食べるのは惜しい!胃袋に入れるより、私の側に置いて、その才能を愛でる方が有意義だわ!」

 

彼女は殺さない。私のコレクションに加える。

 

「貴女は今日から、私の妹分よ!私のことは『お姉様』と呼びなさい!いいわね!」

 

「えっ、いいんですか?僥倖です!命拾いした上に、こんな素敵なお姉様ができるなんて!じゃあ、お言葉に甘えて……お姉様♡」

 

千草ちゃんが私の胸に顔を埋める。すりすりと頬ずりをする。可愛い。変な子だけど、可愛い。私と同じ匂いがする。

 

「よしよし。いい子ね。さあ、行きましょう。私の要塞へ案内するわ。あそこなら、もっとゆっくり遊べるわよ」

 

「はい!ついて行きます、どこまでも!」

 

私たちは手を取り合う。鬼と、人間。人食いと、被食者。そんな種族の壁を超えて、変態という絆で結ばれた瞬間だった。

 

その様子を、少し離れた茂みの中から見ている影があった。小鬼だ。彼は、先ほど私が与えた候補生Aくんを完食し、満腹感に浸っていたのだが、この光景を見て胃もたれを起こしていた。

 

(……なんだあいつら……)

 

引いている。

 

(鬼が人間を襲っている……と思ったら、人間が鬼を揉んでいる……。わけが分からない……。怖い……。鱗滝も怖かったが、今の女たちはもっと別の意味で怖い……)

 

そっと茂みの奥へ後退する。関わりたくない。あいつらに見つかったら、何をされるか分からない。食べられるより恐ろしい目に遭いそうだ。

 

(俺は……ひっそりと生きよう。そして、いつか鱗滝の弟子が来たら、そいつらだけを狙って憂さ晴らしをしよう……)

 

歪んだ決意が芽生える。しかし彼もまた、私の「被害者」の一人であることを、まだ自覚していない。

 

「あら?なんか視線を感じたけど……まあいいわ。さあ、千草。夜はこれからよ!」

 

「はい、お姉様!もっと色々教えてください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほど拾った……もとい、妹分にした千草と共に、私の拠点である「藤の里一号」へと戻る道を歩いていた。足元は悪い。木の根が這い、石が転がっている獣道だ。だが、千草は草履で軽やかに歩いている。深窓の令嬢とは思えない身のこなしだ。

 

「それにしても千草ちゃん。さっきは危なかったわね」

 

前を歩きながら声をかける。お姉さん風を吹かせるためだ。恩を売っておけば、後で何かと便利だからね。

 

「あの雑魚鬼、爪が鋭かったし。私が通りかからなかったら、今頃貴女の白い肌はズタズタに引き裂かれて、晩御飯のメインディッシュになっていたわよ」

 

「ええ。本当に、油断していました」

 

千草ちゃんが、着物の帯を直しながら答える。その手つきは優雅だが、どこか不満げだ。

 

「あの鬼、なかなか乗ってこなくて」

 

「ん?」

 

聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

 

乗ってこない?リズムの話?それとも、お神輿の話?

 

千草は、乱れた襟元を整え、艶めかしい手つきで帯を締め直している。その仕草は、襲われた被害者が身支度を整えるというよりは、事後の女性が身なりを整えるそれに近い。

 

「どういうこと?」

 

「ですから。私、鬼と『致して』みたくて」

 

「……はい?」

 

耳を疑う。日本語のはずだが、文脈が理解できない。鬼と?致す?何を?囲碁か将棋か?いや、この流れでそんなわけがない。

 

「ですから、男女の営みですよ、お姉様。人食い鬼って、野性的で強そうじゃないですか。だから、どんな責め方をしてくれるのかなって、興味が湧いて」

 

千草ちゃんは、あどけない笑顔で爆弾発言をする。

 

「服を脱いで、肩を出して、誘っていたところだったんです。『ねえ、食べていいわよ』って」

 

「…………」

 

この子、本物だ。私なんて目じゃないくらいの変態だ。鬼の私ですら、獲物と交わろうなんて思ったことはない。食物連鎖の頂点に立つ捕食者に対して、被食者が求愛行動をとるなんて、カマキリのオスでももう少し慎重になるわよ。

 

「なのにあいつ、いきなり食いつこうとするから。野暮ですよねえ。情緒がないというか、前戯を知らないというか」

 

千草ちゃんが溜息をつく。

 

「一回やり終わったら、首を斬るつもりだったのに」

 

サラリと、恐ろしいことを言った。

 

「首を……斬る?」

 

「ええ。腹上死させてあげようかと。あ、でも鬼だから死なないのかな?まあ、絶頂の瞬間に首が飛んだら、それはそれで美しいかなって」

 

彼女は袖の中から、何かを取り出して見せる。扇子……ではない。細長い、短刀だ。仕込み刀だ。帯の中に隠していたのだろう。

 

(……どうやら千草は、ただか弱いだけではなかったらしい)

 

瞬時に彼女を再評価する。

 

(腰には仕込み刀。足運びは音もなく、重心がブレていない。相当な剣術の心得があるわね。それに、あの雑魚鬼相手に『誘う』余裕があったということは、実力的には彼女の方が上だったということ。私が助けなくても、彼女はあの鬼を返り討ちにしていたわね)

 

ゾッとする。鬼よりも怖いのは人間だと言うけれど、まさにその典型例だ。快楽のために命を懸け、死の縁で遊ぶことを至上の喜びとする狂人。

 

(というか……。思考回路が私よりヤバい?私は食欲と性欲が直結しているけれど、生存本能に基づいた健全な欲求よ。でもこの子は、破滅願望に基づいた享楽主義者だわ。タチが悪い……!)

 

「お姉様?どうしました?そんなに怖い顔をして」

 

千草が、不思議そうに私を覗き込む。

 

「い、いえ。なんでもないわ。ただ、貴女が頼もしい妹分で良かったなーって」

 

この子、敵に回したら厄介だ。味方につけておいて正解だったわ。私の美貌と、彼女の狂気。混ぜるな危険の劇薬コンビの誕生ね。

 

「さあ、行きましょう。私の城へ。温かいお茶と、男たちが待っているわよ」

 

「まあ!男たちが!それは楽しみです!」

 

千草の目が輝く。獲物を見つけた肉食獣の目だ。……可哀想な候補生たち。鬼から逃げ延びたと思ったら、別の魔女に捕まるとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後。私たちは「藤の里一号」に到着した。満開の藤の花が作り出す結界の中は、相変わらず甘い香りに包まれていて、平和そのものだ。中心の畳スペースには、数名の負傷した候補生たちが横たわっている。さっき私が足をへし折って手鬼に与えた候補生Aくんの抜けた穴を埋めるように、また新しい負傷者が逃げ込んできていたのだ。入れ食いだわ。

 

「ただいま~」

 

藤の枝をかき分けて中に入る。

 

「お帰りなさい、葛城さん!」

 

「無事でしたか!」

 

候補生たちが体を起こす。彼らにとって、私は聖母様だ。

 

「ええ、無事よ。可愛い迷子ちゃんを保護してきたわ。紹介するわね、千草ちゃんよ」

 

背後の千草を前に出す。

 

「初めまして。九条千草ですぅ♡」

 

千草ちゃんが、しなを作って挨拶する。

 

その瞬間、野営地の空気が変わった。男たちの視線が、一斉に彼女に釘付けになる。美しい。

 

あまりにも場違いなほどに美しい少女が、夜の山に現れたのだ。彼らの疲れ切った脳みそが、幻覚を見ているのではないかと疑うほどに。

 

「わあ……」

 

千草ちゃんが、候補生たちを見回す。その瞳が、潤んでいる。

 

「傷ついた男の子たち……。痛そう。可哀想に……」

 

彼女は、一番近くにいた候補生Bくんに近づく。彼は腕に裂傷を負い、包帯を巻いている。

 

「慰めてあげなきゃ」

 

躊躇いなく着物の肩をはだけさせる。白い肌が、月明かりに照らされて露わになる。鎖骨のラインが、艶めかしい影を作る。

 

「ねえ、傷が痛む?辛い?死ぬのが怖い?」

 

彼女は青年の耳元で囁く。甘い毒のような声だ。

 

「私が忘れさせてあげる。……しようか?」

 

「えっ……ええっ!?」

 

候補生Bくんが、真っ赤になって飛び退く。

 

「こ、こんなところで!?野外ですよ!?しかも、周りに人が……!」

 

彼はパニックになっている。当然だ。ここは戦場だ。いつ鬼が襲ってくるか分からない極限状態だ。

 

「いいじゃない。どうせ明日、死ぬかもしれないんだし。鬼に食われて死ぬか、私に食われて昇天するか。どっちがいい?」

 

千草ちゃんが、青年の胸板に手を這わせる。指先が、彼の鼓動を確かめるように動く。

 

「生きてる実感、欲しいでしょ?命の火が燃え尽きる前に、一番熱いことをしましょうよ。ね?」

 

彼女の論理は破綻しているようで、妙な説得力がある。死を前にした人間の本能を、強烈に刺激するのだ。青年の目に、迷いと情欲が混ざり始める。

 

「あ、あの……僕は……」

 

だめだ。落ちる。このままでは、私の健全な野営地が、いかがわしい宴の場になってしまう。

 

「こらーーっ!!」

 

割って入る。手刀で千草の頭をポカッと叩く。

 

「いったぁ!何するんですか、お姉様!」

 

「やめなさい!私の野営地で他の男を誘惑するな!ここは健全な休息所よ!いかがわしいお店じゃないのよ!」

 

「風紀が乱れるわ!彼らは商品……じゃなくて、大事なお客様なの!傷を治して、万全の状態で戦場に送り出すのが私の仕事なの!変に体力を消耗させるような真似は禁止よ!」

 

「えー?」

 

千草が不満げに頬を膨らませる。

 

「お姉様はしないんですか?こんなに男がいるのに?選び放題、食べ放題ですよ?」

 

「しません!私は節操ある大人の女性です!」

 

「じゃあ、お姉様も交ざります?三人で……いえ、全員で乱れます?酒池肉林も、死出の旅路の思い出にはいいかも♡」

 

発想が飛躍する。恐ろしい子だ。

 

「交ざらん!!断じて交ざらん!!」

 

「私はさっくん一筋だっての!貞淑な妻なの!私の心も体も、愛する旦那様に捧げているのよ!他の男なんて、ジャガイモか人参にしか見えないわ!」

 

「えー、つまんないの。鬼のくせに堅物なんですね」

 

「だからこそ、一途な執着を持つのよ!とにかく、この場所での淫らな行為は禁止!やるなら外でやってきなさい!鬼に見せつけながらやってきなさい!」

 

「はーい。じゃあ、ちょっと散歩に誘ってきますぅ」

 

千草は懲りない。彼女はターゲットを変え、別の候補生にウィンクを送っている。

 

(やれやれ……。とんでもない爆弾を抱え込んでしまったわ。でもまあ、退屈はしないわね)

 

私はため息をつきつつ、お茶を淹れ直す。

 

「あ、そこの君。お姉さんといいことしない?」

 

「千草ーっ!!ステイーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こら千草!待ちなさい!そっちの筋肉質な剣士は怪我が治ったばかりなのよ!激しい運動は厳禁だと言ったでしょう!」

 

藤の花の香りが充満する、私の絶対安全圏「藤の里一号」そこで繰り広げられているのは、鬼との死闘ではなく、一人の暴走するお嬢様と、それを必死に止める私との追いかけっこだ。

 

「えー?運動じゃありませんよ、お姉様。治療ですぅ♡」

 

千草が、着物の裾を翻して逃げる。その動きは蝶のように軽く、そして予測不能だ。彼女は戦いの才能がある。体の使い方が、常人とは違う。重心が常に流動的で、こちらの掴もうとする手を、するりと抜けていく。まるで鰻だ。美味しそうな鰻だ。

 

「治療という名の手淫行為は禁止です!ここは神聖な避難所なのよ!穢らわしいことをするんじゃないわよ!」

 

彼女を追いかける。雷の呼吸・壱ノ型「霹靂一閃」を使えば一瞬で捕まえられるが、狭い結界内でそれを使えば、避難民ごと挽肉にしてしまう。だから、純粋な身体能力だけで追いかけるしかない。

 

「あ、そこの彼女」

 

千草が急停止する。ターゲットを変えたようだ。今度の標的は、男性ではない。片隅で小さくなっていた、小柄な女性の候補生だ。

 

「ひっ……?」

 

女性候補生が顔を上げる。彼女もまた、鬼に追われて傷つき、この藤の要塞に逃げ込んできた一人だ。恐怖で顔色が青ざめ、震えている。

 

千草は、そんな彼女の前に膝をつく。目線を合わせる。そして、ニッコリと微笑む。

 

その笑顔は、破壊的だった。中性的で、整いすぎた美貌。男装の麗人とも、儚げな美少女とも取れる、性別を超越した美しさ。月明かりの下、彼女の切れ長の瞳が、妖しく輝く。

 

「君も、可愛いね。肌が白くて。まるで白磁のようだわ」

 

千草が、そっと女性の手を取る。指先で、手の甲を撫でる。

 

「ねえ。私と、奥の茂みに行かない?怖い思いをしたんでしょう?私が、忘れさせてあげる。女同士だからできる、秘密の慰め合いをしましょう?」

 

甘い声だ。蜜のように甘く、そして毒のように痺れる声。

 

「は、はい……///」

 

女性候補生が、ポッと頬を染める。落ちた。一瞬だ。恐怖に支配されていた心が、千草の美貌という劇薬によって、別の感情へと書き換えられてしまったのだ。

 

「だーめーだーと言っているでしょうが!このふしだら娘!」

 

ガシッ!!

 

後襟を掴む。万力のような力で。猫を摘み上げるように、彼女を宙吊りにする。

 

「ああんっ♡お姉様、乱暴……♡」

 

「黙りなさい!やたらと美人なのがたちが悪いわ!しかも中性的だから女にもモテる!全方位爆撃はやめなさい!」

 

彼女を引き剥がす。女性候補生が、名残惜しそうな目で千草ちゃんを見ている。目を覚ましなさい。その子は天使の顔をしたサキュバスよ。ついて行ったら最後、骨の髄までしゃぶり尽くされるわよ。

 

(なんて子だ)

 

(私より現実主義者で、快楽に忠実だ。明日死ぬかもしれないという状況を逆手に取って、刹那的な悦びを貪ろうとしている。隙あらば致そうとしてくる。しかも男女問わず……。見境がないとはこのことだわ)

 

私は鬼だ。人を食う。でも、食事には礼儀と作法を持っているつもりだ。むやみやたらに食い散らかしたりはしない。自分が「美味しい」と思った相手を、感謝を込めていただく。それが美食家としての誇りだ。

 

だが、この子は違う。ビュッフェ形式だ。目についた料理を、片っ端から味見しようとしている。質より量、そして経験値稼ぎ。貪欲すぎる。

 

「お姉様ぁ。下ろしてくださいよぉ。着物が着崩れちゃいますぅ」

 

千草が空中で足をバタつかせる。着物の裾が乱れ、白い太ももが露わになる。それを、近くにいた男性候補生たちが、ゴクリと唾を飲んで見ている。

 

「見せつけるんじゃない!まったく、教育的指導が必要ね!こっちへ来なさい!」

 

彼女を小脇に抱える。米俵を持つように軽々と。そして、要塞の隅にある、立派な藤の木の下へと連行する。

 

「ここがお仕置き部屋よ」

 

懐から、予備の帯を取り出す。本来は着替え用だが、今は拘束具として使う。

 

「ぐるぐる巻きにしてやるわ。反省するまで、そこで蓑虫になっていなさい!」

 

「わあ、緊縛ですね!興味あります!公家の屋敷では、そんな遊びは教えてもらえませんでしたから!」

 

目を輝かせる。反省の色がない。むしろ、新しい扉を開こうとしている。

 

手際よく、彼女を木の幹に縛り付ける。吉原仕込みの技術だ。暴れる客を取り押さえたり、折檻部屋で後輩を吊るしたりする時に培った、実用的な縄張り術。苦しくはないが、絶対に解けない。そして、体のラインが強調されて、見る者に屈辱と興奮を与えるという、芸術的な縛り方だ。

 

「んっ……ふぅ……。きつい……でも、悪くない……♡」

 

千草が、恍惚とした表情を浮かべる。吐息が熱い。頬が紅潮している。

 

「いいこと千草。よく聞きなさい。服を脱ぐな。無闇に誘うな。手当たり次第に粉をかけるな」

 

彼女の目の前に立ち、指を突きつけて説教を開始する。

 

「ここは試験会場なの。生きるか死ぬかの瀬戸際なの。まずは選別を生き残ることが先決よ。死んだら快楽も何もないのよ?分かる?」

 

「はーい。分かりますぅ。でもお姉様、縛るの上手ですね♡ここ、脇の下を通すのが絶妙です。胸が強調されて、恥ずかしいけど嬉しいですぅ♡」

 

「話を聞け!」

 

彼女の額を指で弾く。デコピンだ。鬼の怪力を制御して、人間なら気絶する寸前の威力で。

 

「あ痛っ!?……しびれるぅ……♡」

 

だめだ。この子、痛覚まで快感に変換している。無敵か。マゾヒストの極地か。

 

どうして私の周りには、まともな人間がいないのだろう。さっくんは真面目すぎて天然だし、鰹田師匠は破壊された道場を見て泣いていたし、栄螺師匠は擬音語しか喋らないし。そして、この新入りは変態だ。

 

(……ふと、思った)

 

縛り上げられた千草を見つめる。美しい顔立ち。乱れた着物。そして、欲望に忠実なその瞳。

 

(太夫……堕姫姉さんも、私を見てこんな気持ちだったのだろうか?)

 

かつて、私が吉原で遊女見習いをしていた頃。私は姉さんに付きまとい、彼女の美しさを賛美し、隙あらば触れようとし、美味しいものをねだった。姉さんはいつも、「うっとうしい!」と私を蹴り飛ばしながらも、どこか楽しそうだった。今の私は、あの時の姉さんの立場にいるのかもしれない。そして、千草は、あの時の私だ。

 

(『私って、こんな風に見えていたのかな?』欲望丸出しで。恥じらいがなくて。ただひたすらに、自分の『好き』を押し付ける厄介者)

 

私は客観的な視点というものを、初めて持った気がした。鏡を見せられた気分だ。ちょっと恥ずかしい。

 

(……いや!違う!私はここまで見境なしじゃない!)

 

首を振る。自己防衛本能が働く。

 

(私は食欲と知識欲が主で、色欲は特定の相手……さっくんとか、旦那様とか……にしか向けないし!見境なく誰でもいいわけじゃないもの!私は純愛派よ!……たぶん)

 

少し自信がなくなる。美味しい人間を見つけたら、「食べていい?」と聞く前に涎を垂らしている自分を思い出す。あれも、端から見れば変態行為なのかもしれない。「私に食べられて?」と口説くのも、千草ちゃんの「私と致しましょう?」と大差ないのかもしれない。

 

「……はぁ」

 

大きなため息をつく。

 

「……周りから見た『目』というものに、もう少し配慮したほうが良いかも……。人の振り見て我が振り直せ、ね」

 

「お姉様?何をブツブツ言ってるんですか?放置プレイですか?焦らされるのも好きですけど、そろそろ構ってくださいよぉ」

 

千草が、体をくねらせて訴える。その動きに合わせて、藤の木がギシギシと揺れる。

 

「うるさい。そこで朝まで頭を冷やしていなさい。鬼が来ても、その格好なら変質者だと思われてスルーされるわよ」

 

「そんなぁ。鬼さんウェルカムですよぉ。この状態で襲われるなんて、最高のシチュエーションじゃないですかぁ」

 

「黙れ」

 

手近な手拭いを丸め、彼女の口に突っ込む。猿轡だ。

 

「んぐっ……!ふーッ!ふーッ!」

 

彼女は目を輝かせる。これもご褒美らしい。救いようがない。

 

彼女を放置し、自分の定位置である畳の上に戻る。茶を啜る。苦い。いつものお茶なのに、なぜか今日は苦く感じる。これが、大人の階段を上る味なのだろうか。あるいは、自分の黒歴史を直視した苦味なのだろうか。

 

「……さっくん。会いたいわ。貴方の清らかな瞳で、私の汚れた心を浄化してほしい」

 

 




最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

颯が千草という鏡像を通じて
自分の欲望の正体をほんの少し理解する回にもなりました。

皆さんは今回、
颯と千草のどの掛け合いが一番好きでしたか?

感想をいただければ、次の話を書く力になります。
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