鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら 作:斉宮 柴野
乾いた音が、旅の空の下に響き渡る。私が懐から取り出した手ぬぐいを畳み、即席の扇子として自らの膝を叩いた音だ。場所は、鬼殺隊の本部から北北東へ向かう道中。とある賑やかな宿場町だ。ここは、人と物が行き交う交通の要衝であり、美味しい匂いが充満するグルメスポットでもある。
「さあさあ、聞いてらっしゃい見てらっしゃい!語って聞かせましょう、天才・風音の華麗なる転身記・道中膝栗毛編!吉原の頂点から鬼殺隊の剣士となり、愛するさっくんと涙の別れを経て、初任務へと向かう私たち!しかし、私の旅の道連れは、露出狂の令嬢・九条千草と、睡眠の申し子・神保弥太郎!この問題児たちを引き連れての旅路は、鬼が出る前に私の胃に穴が空きそうな珍道中!でも、転んでもただでは起きないのが私、葛城颯!経費で落とせるものは全て落とし、食べられるものは全て食べる!昼は人間の飯を食らい、夜は……おっと、それはまだ内緒。そして、弥太郎の貞操観念が崩壊していることが発覚!?風音の明日はどっちだ!待て次号!」
パン!
さて、現在時刻は正午を回ったところ。太陽が真上から照りつけ、私の白い肌をじりじりと焦がそうとしている。
しかし、そんな紫外線への恐怖よりも勝るものがある。食欲だ。私の目の前には、魅力的な暖簾が揺れている。「手打ち蕎麦」の文字。そして、その隣には「甘味処」の看板。さらに向かいには「焼きたて団子」の旗。天国か。ここは極楽浄土の入り口か。
「腹が減っては戦ができぬ。さっくんも言っていたわ。『まずは体力をつけろ』と。つまり、食べることは任務の一環。呼吸を整えるのと同じくらい重要な、聖なる儀式なのよ」
「お姉様ぁ。さっき、茶屋でお団子五本食べませんでしたっけぇ? まだ入るんですかぁ?」
後ろから、呆れ声が千草からかかる。彼女は、背中に神保弥太郎をおぶったまま、涼しい顔で立っている。弥太郎は、彼女のうなじに顔を埋め、すーすーと寝息を立てている。
「何を言うの、千草。団子は別腹よ。それに、これから鬼と戦うのよ? 精気を蓄えておかないと、いざという時に力尽きて動けなくなったらどうするの? 私のこの豊満な肢体を維持するためにも、滋養は必須なの!」
「はいはい。お姉様のそのおっぱいのためなら、食費が跳ね上がっても許されますぅ♡ もっと食べて、もっと大きくしてくださいね♡」
こいつ、私の脂肪を愛でるためなら協力的だ。
「よし、行くわよ!まずは、この宿場町の名物を片っ端から制覇するわよ!」
「たのもー!おやじさん!天ぷら蕎麦、特盛りで!海老天は二本追加で!あと、蛸わさもつけてちょうだい!」
「あ、私も天ぷら蕎麦でぇ。普通盛りでいいですぅ」
「……んぅ……。……蕎麦……。……ざる……一枚……」
起きているのか寝ているのか分からないが、食欲はあるようだ。待つこと数分。運ばれてきたのは、山のような蕎麦と、黄金色に輝く天ぷらたち。揚げたての衣が、ぱちぱちと音を立てている。つゆの香りが、鼻腔をくすぐる。
「いただきまーす!」
まずはつゆを一口。鰹出汁が効いている。少し濃いめの関東風だ。私の好みだ。ずずずっ! 蕎麦を啜る。腰がある。喉越しが良い。これは美味い。
「ん~っ! 生きててよかった!」
「おやじさん! 最高よ! 追加で、鴨南蛮もお願い!」
天ぷら蕎麦を瞬殺し、次は鴨肉の脂を欲する。
「お姉様、すごい食欲ですねぇ……。見てるだけでお腹いっぱいですぅ」
「あ、そうだ。おやじさん、お勘定! 領収書きっておいてね。宛名は『鬼殺隊・必要経費』で! 但し書きは『情報収集費』としてお願い!」
食べ終わると同時に、懐から帳面を取り出す。
「は、はあ……? 鬼殺隊……?」
「大丈夫よ! 後で産屋敷の旦那が耳を揃えて払ってくれるわ!」
これぞ、経費による食べ歩き。福利厚生の一環だ。無惨様は給料をくれないけれど、鬼殺隊なら請求できるはずだ。だって私は、命を懸けて働いているのだから。
そして、蕎麦屋を出た後は、団子屋へ、そして饅頭屋へと梯子する。
「お姉様……。そんなに食べて、太りません? 鬼だから大丈夫なんですか?」
「…………。……大丈夫よ。夜に運動するから」
鬼は太らない。基本的には。でも、人間状態でいる時は、人間の代謝機能も模倣している。つまり、食べ過ぎれば脂肪になる可能性がある。そう。昼は人間の飯を食らい、夜は……別のものを食らうのだから。
◆
夜の帳が下りる。宿場町は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返る。提灯の明かりがぽつりぽつりと灯り、影が濃くなる時間帯。
千草と弥太郎は、部屋でじゃれ合っている頃だろう。鬼としての「食事」の時間だ。
「ふぅ……。昼間、あれだけ炭水化物を摂ったから、均衡を取らないとね。蛋白質が必要だわ。それも、極上の」
「あの……。すいません。道に迷ってしまって。宿屋の場所、分かりますか?」
とびきりの笑顔で。人畜無害な、お姉さんの仮面を被って。
「え? あ、はい。この道を真っ直ぐ行って……」
娘が立ち止まる。親切だ。無防備だ。美味しそうだ。若い血の匂い。昼間の蕎麦とは比べ物にならない、生命力の香り。
「あら、ありがとう。助かったわ。貴女、優しいのね。お礼に……。私と一つになりましょう?」
「えっ?」
「いただきます」
ばくっ。
「!!?」
娘は悲鳴を上げる間もなかった。誰も見ていない。見ているのは、月だけだ。
「うん……。若い娘は肌の張りが違うわね。潤いたっぷり。昼間の天ぷら蕎麦の油っこさが、この新鮮な血で洗い流されていくようだわ。やっぱり、均衡の良い食生活こそ強さの秘訣よ! 炭水化物だけじゃ駄目。良質な蛋白質と、鉄分を摂らないと、美しい肌も、強い筋肉も作れないもの」
「ごちそうさまでした。さあ、宿に戻って、食後の甘味の加須底羅でも食べましょうか」
私は人間に戻る。鬼殺隊の隊服を着て、鬼を狩るために旅をしながら、人間を食べる。この矛盾。この背徳感。たまらないわね。
◆
一方その頃。宿場町の大通り。そこでは、もう一つの事件が勃発しようとしていた。
弥太郎は、寝ていた。柱に寄りかかって、立ったまま器用にお寝ていた。なぜこんなところにいるのか。
それは、千草が「夜の散歩に行きましょう♡」と彼を連れ出し、ちょっと目を離した隙に、彼が睡魔に負けてしまったからだ。
美少年が、夜の街角で無防備に寝ている。これは、ある種の人々にとっては、宝箱が落ちているようなものだ。
「へへっ……。可愛いね、兄ちゃん。こんなところで寝てると、風邪引くぜ?」
一人の怪しげな男が近づいてくる。着古した着物に、無精髭。目つきが怪しい。明らかにそっちの趣味がある輩だ。
「眠いのかい? 俺の家で寝ていくか? すぐそこなんだ」
「寝ていくか?」という言葉は、どんな口説き文句よりも強力な殺し文句だ。
「……布団、ある?」
「あるある。ふかふかのやつがな。敷布団も掛け布団も、最高級の綿を使ってるぜ」
「……ん。行く」
ふらふらと、男について行こうとする。警戒心ゼロだ。貞操観念皆無だ。
「へへっ、素直でいい子だ。一緒に入ろうぜ? 温めてやるからよぉ……」
男が弥太郎の腰に手を回す。その手が、いやらしくお尻の方へと滑っていく。その時だ。
「とおおおーーっ!!」
上空から、鋭い声が降ってきた。いや、実体も降ってきた。
どがっ!!
「ぐえっ!?」
顔面に、綺麗な飛び蹴りが入ったのだ。着地したのは、千草。着物の裾をまくり上げ、生足を披露しながら、仁王立ちしている。
「こらーーっ!! 私の弥太郎に何すんのよ! この溝鼠!」
「あ、姉ちゃん、な、なんだよ……!?」
「私の所有物に触るんじゃないわよ! 消毒液! 塩! 火炎放射器! ああもう、穢らわしい!」
賢明な判断だ。この女に関わったら、命がいくつあっても足りない。
「ちょっと弥太郎! ついて行くんじゃないわよ! 馬鹿なの!? 危機管理能力はどうなってるの!?」
「……布団……。ふかふか……って言ってた……」
「嘘に決まってるでしょ! あんな浮浪者みたいな男の家に、まともな布団があるわけないじゃない! むしろ煎餅布団よ! ダニだらけよ!」
「……ダニは嫌……」
「そういう問題じゃないの! あんた、男に尻を狙われてたのよ!? 分かってるの!? 掘られるところだったのよ!?」
公共の場で大声で言うことではないが、事実は事実だ。
「……別にいい。……お尻を犯されるくらいなら……。前立腺が刺激されて気持ちいいから……。許容範囲……」
「は? 許容範囲広すぎでしょ!?」
「あんたの貞操観念どうなってんの!? がばがばじゃない! お尻だけに! いや笑い事じゃないわよ!」
想定外だ。この美少年、見た目は天使だが、中身はとんでもない「受け身の怪物」だったのだ。寝られるなら、相手が男だろうが女だろうが鬼だろうが構わない。究極の怠惰者だ。
「……眠い……。千草……おんぶ……」
「もう……! あんたって子は……! 私が守ってあげないと、三日もしないうちにどこかの変態に飼われちゃうわよ!」
「いいこと? あんたのお尻も、前立腺も、全部私のものなの! 他の男にイかされるなんて許さないからね! 管理責任者は私なんだから!」
「……ん……。……千草の背中……いい匂い……」
「きゃっ♡ そ、そう? なら許す♡」
この女も大概だ。路地裏から戻ってきた私は、その光景を見て深い溜息をついた。
(……この一味、終わってるわ)
色欲魔人の千草。睡眠欲魔人の弥太郎。
こんな奴らが、鬼殺隊の希望の星として任務に向かっているなんて。日本の未来は暗い。いや、一周回って明るいのかもしれない。鬼ですら、呆れ果てて逃げ出す水準の変態集団だから。
「さあ、帰るわよ。明日は早起きして出発よ。……弥太郎の尻が無事でよかったわね」
「かぁーっ! 呆れた奴らだ! 肉を食わせろ!」
屋根の上で、私のカラスだけが真実を叫んでいた。
◆
「……千草もうるさい。そんなに文句があるなら……俺とやりたいなら……。俺が寝ている間に、勝手に腰を振ればいい……」
「なっ……! 屈辱! あんた、それを愛し合う二人に言う言葉!?」
「……俺は……受け入れるだけ……。動くのは面倒くさい……。千草が好きなように……俺を道具として使えばいい……」
「馬鹿にしないでよ! 私はねえ、愛し愛され、肌を重ねて、喘ぎ声の二重奏を奏でたいの! 一方通行なんて御免よ! 死体みたいに寝てる男を犯しても、虚しいだけよ! それは情交じゃなくて、死体愛好の領域よ!」
「……贅沢な……。許可してるだけ……ましだろ……」
通行人たちも足を止めている。そして、呆れ果てて避けて通っていく。当然だ。公衆の面前で、痴話喧嘩……というよりは、性癖の不一致による泥沼の討論会が開催されているのだから。
「……あんたたち。往来で何を話しているの? 品性が疑われるわよ。というか、日本の風紀が乱れるわ」
「あら、お姉様。おかえりなさいませぇ。聞いてくださいよぉ、この木偶の坊! 弥太郎が変態すぎて困ってるんですぅ」
「……木偶の坊じゃない……こけし……」
千草が私を見るなり、頬を膨らませて訴える。彼女の指差す先では、弥太郎が謎の訂正を入れている。こけしの方が動かないじゃないか。
「類は友を呼ぶ、ね。全く、どいつもこいつも変態ばかりで……。私の周りには、まともな人間がいないのかしら。さっくん以外は」
「お姉様も同類でしょう? 何食わぬ顔してますけど、口の端に……あら? 蕎麦の汁かしら? それとも……『何か』の血かしら?」
千草が私の口元を指差す。鋭い。女の勘か、それとも同類の嗅覚か。
「はあ!? 誰が変態よ! 私は品行方正な人妻! 愛する夫一筋の、貞淑な妻よ! 変態じゃないわ~! 失礼なこと言わないで!」
(……こいつが一番自覚がない……)
(……颯が……一番やばい……)
「さあ、帰るわよ宿に! 作戦会議よ! これ以上ここで恥を晒さないで!」
千草は「もー、弥太郎の分からず屋ぁ」と文句を言いながらも、彼を背負う。弥太郎は「……おんぶ……楽ちん……」と即座に寝る体勢に入る。この「動くこけし」と「運搬車」の組み合わせ、ある意味最強かもしれない。
◆
宿の部屋。私たちは車座になっていた。真ん中には、行燈の頼りない明かりと、私のカラスが鎮座している。カラスは、私が買い与えた「特上牛肉のしぐれ煮」を夢中で突いている。働かざる者食うべからず。情報を吐かせるための賄賂だ。
「さて、情報によれば……。このカラスの話だと、この町では夜な夜な、『胸の大きな大人の女性』ばかりが消えているらしいわ」
カラスから聞き出した情報を提示する。神隠し事件。それも、標的が限定されている。
「胸の大きな……女性……。あら。じゃあ私は対象外かしら。そこそこの大きさはあるつもりだけど……『大きな』って言われると、自信ないわぁ」
彼女の胸は、決して小さくはない。着物の上からでも分かる程度には膨らみがあり、形も良い。平均よりは上だろう。世の男性なら十分に喜ぶ大きさだ。千草がちらりと視線を上げる。その視線の先には、私がいる。いや、正確には私の胸がある。
「…………」
無言。千草の視線が、私の胸元に釘付けになる。つられて、弥太郎も薄目を開けて私を見る。
「……でかい」
「……決まりですね」
「……颯の出番」
弥太郎も頷く。枕としての性能を誰よりも知っている彼ならではの意見だ。
「え? 私が囮に?」
分かっていた。この流れになることは、最初から分かっていた。でも、一度は謙遜してみせるのが大人の余裕というものだ。
「だって、この中で一番の巨乳じゃないですか。お姉様。その暴力的なまでの質量! 重力に逆らう奇跡の弾力! そして、着物を突き破らんばかりの存在感! その豊満な肉体、使わない手はありませんよ♡」
褒めているのか? 暴力的な質量って何よ。
「それに、今回の鬼は『胸好き』なんでしょう? なら、私みたいな中途半端な寸法じゃ食いつきませんよ。最高級の餌をぶら下げないと! 特上の霜降り肉を!」
「誰が霜降り肉よ。私は高級メロンよ」
でも、悪い気はしない。自分の美貌と肢体が認められたのだから。
「……颯の胸なら……鬼も釣れる……。僕も釣られた……」
「……ふん。まあ、否定はしないわ。私のこの美貌と美乳に釣られる鬼なら、冥土の土産に見せてあげるのも慈悲ね。いいでしょう。私が一肌脱ぎましょう。文字通り、脱いで誘ってあげるわ。鬼ごときが私の体に触れられるとは思わないことね。触れる前に、私の黄金の雷が黒焦げにしてあげるわ」
鬼が鬼を狩る。しかも、色仕掛けで。なんて倒錯した状況だろう。わくわくしてくる。
「やったぁ! お姉様の生着替えが見れるんですね! 特等席で!」
「千草、あんたは隠れてなさい。弥太郎もよ。私が合図するまで出てきちゃ駄目よ」
「はーい♡ でも、もし鬼がお姉様を襲って、着物を引き裂いて、あらわになった肌を……なんて展開になったら、助けるの遅らせてもいいですか?」
「駄目に決まってるでしょ! 即座に助けなさい! 私の肌に傷がついたらどうすんの! さっくんが悲しむわ!」
「ちぇっ」
作戦は決まった。私が囮になり、夜の町を練り歩く。胸元を強調し、色香を撒き散らしながら。そして、鬼が現れたところを、私が返り討ちにする。千草と弥太郎は援護だ。
「さあ、準備をするわよ。千草、私の帯を直しなさい。もっとこう、胸が強調されるように締め上げて!」
「お任せください、お姉様! 吉原仕込みの技術、見せていただきましょうか!」
「……俺は……寝て待つ……」
「かぁーっ! いい眺めだ! もっと開けろ! 谷間を見せろ!」
このエロガラス、後で焼き鳥にしてやる。私は鏡の前で、自分の姿を確認する。完璧だ。妖艶で、危険な香りのする美女。これに釣られない男はいない。
「さあ、狩りの時間よ」
◆
ちーん。どこかの寺の鐘が、丑三つ時を告げる。真夜中の二時。
「……寒っ」
私は小さく身震いする。無理もない。今の私の格好は着物の襟を、これでもかというほど大きく寛げているからだ。鎖骨は全開。胸元は、重力に逆らう二つの果実の上部が露わになり、深い谷間が月明かりに照らされている。帯の位置も少し下げ、しなやかな腰のラインを強調。裾も歩くたびに太ももがちら見えするように計算されている。完璧だ。吉原の花魁時代に培った、「男を惑わす黄金比」を再現している。これを見せつけられて、釣られない男がいるだろうか。いや、いない。もしいたら、そいつは去勢されているか、悟りを開いた高僧だけだ。
かつ、かつ、かつ……
わざと音を立てて。「ここにいますよー」「無防備で美味しそうな女が一人で歩いていますよー」と、全身でアピールしながら。
(さあ、来なさい。どこからでもいいわ。路地裏から飛び出してくる? それとも、屋根の上から降ってくる? どっちにしても、私の半径五メートル以内に入った瞬間、黄金の雷がお前を黒焦げの焼き鳥にしてあげるから)
腰に差した日輪刀の柄を、着物の袖の下で撫でる。いつでも抜ける。少し離れた場所の通りの陰になっている軒下に、二つの気配がある。千草と弥太郎。
(……お姉様、寒そうですねぇ。肌が鳥肌立ってません? あとで温めてあげなきゃ♡)
(……すー……。……千草の背中……温かい……。……湯湯婆……)
鳥肌くらい、気合で引っ込められるわ。弥太郎の寝言も聞こえる。あいつ、こんな状況でも寝ているのか。千草におんぶされたまま、任務中だという自覚が微塵もない。大物なのか、ただの阿呆なのか。たぶん後者だ。
「……来るわ」
空気が変わった。今まで肌を撫でていた夜風が、急に止んだのだ。それだけではない。遠くで鳴いていた虫の声も、犬の遠吠えも、全てが消失した。
「千草、弥太郎。構えなさい。……ただのすけべ親父じゃなさそうよ」
「……ん。……多い」
「えっ? 一体じゃないの?」
千草が驚きの声を上げる。彼女の感覚では、まだ捉えきれていないようだ。無理もない。敵の気配は、一つではない。あまりにも濃密で、巨大で、そして……「均一」すぎる。
「気配が……多い。……百……いや、もっと……」
「な……っ!?」
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。
足音だ。一人や二人のものではない。軍隊だ。それも、統率の取れた、一糸乱れぬ行進の音。地面を揺らし、空気を震わせ、霧のように湧き上がってくる無数の足音。
「霧……?」
いつの間にか、通りの向こう側から、白い霧が流れてきていた。冷たく、湿った霧。それが、視界を白く染めていく。その霧の奥から。現れた。
「…………嘘でしょ」
「……百鬼夜行……?」
私も目を疑う。霧の中から姿を現したのは、鬼の群れだった。それも、ただの群れではない。全員が、同じ背丈。全員が、同じ体格。全員が、同じ灰色の外套のようなものを纏い、深い頭巾を目深に被っている。顔は見えない。
ただ、頭巾の奥から、赤い瞳だけがぎらぎらと光っている。その数、百などではない。二百、いや三百はいるかもしれない。通りの幅いっぱいに広がり、後ろが見えないほど続いている。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ!
彼らは、機械のような正確さで歩を進める。右足、左足、右足、左足。誰も遅れず、誰も先走らず。まるで、一つの巨大な意思によって操られているかのような、不気味な統一感。
「なによこれ……。分身軍団? それとも、なにかの親衛隊?」
背中には冷や汗が流れている。想定外だ。「胸好きの変態鬼が一匹釣れたらぼこぼこにする」という簡単な任務だったはずだ。それが、まさかこんな「軍団」を相手にする羽目になるとは。
「お姉様! 逃げましょう! あれは数が多すぎますぅ!」
いくら私たちが規格外でも、この数を相手にするのは骨が折れる。しかも、敵の実力が未知数だ。
「……待って。まずは、相手の出方を見るわ。これだけの数が、統率されている。必ず、指揮官がいるはずよ。そいつを叩けば……」
「巨乳」を餌にしておきながら、食いついてきた獲物に背を向けて逃げるなんて、吉原一の花魁の名折れだ。私は日輪刀を抜く。黄金の刃が、霧の中で輝く。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。
鬼の軍団が迫る。距離、あと十メートル。
ざっ!!
突然、先頭の鬼が足を止めた。それに合わせて、後ろの数百体も、ぴたりと静止する。一分の狂いもなく。その動作の美しさに、思わず拍手したくなるほどだ。
しん……。
再び、静寂が訪れる。数百の鬼たちが、無言で私を見ている。いや。正確には、私の「胸元」を見ている。数百の赤い瞳が、一点に集中する。焼きごてを当てられたかのような、熱視線。私の胸が、物理的に熱くなるような錯覚を覚える。
「……見つけた……」
「……見つけた……」
「……見つけた……」
「……見つけた……」
先頭の鬼が、低い声で唸る。しわがれた、欲望に満ちた声。後ろの鬼たちが復唱する。木霊のように。合唱のように。
「……標的……確認……」
「……形状……球体……」
「……寸法……特大……」
「……弾力……推定測定不能……」
鬼たちがぶつぶつと解析を始める。なによこいつら。情報収集家? それとも、肌着屋の回し者?
「来るわよ! 構えて!」
来るか。襲いかかってくるか。数の暴力で、私を押し潰しに来るか。しかし。彼らの行動は、私の予想を遥かに超えていた。
かっ!!
「我らは求む!!」
「我らは求む!!」
「我らは求む!!」
先頭の鬼が、両手を天に突き上げて叫ぶ。
「そこの!! おっぱいの大きなお姉さん!!」
鬼たちが、びしっと私を指差す。数百本の指が、私に向けられる。
「その乳を!! 我らに食わせろォォォォォ!!」
「食わせろォォォォォ!!」
「吸わせろォォォォォ!!」
「挟ませろォォォォォ!!」
大絶叫。魂の叫び。欲望の奔流。あまりの音圧に、私の髪が後ろになびくほどだ。
「…………は? 食わせろ……?」
私の初任務は、まさかの「貞操防衛戦」となってしまったのである。
明治コソコソ噂話
颯「ねえ弥太郎。あんた、さっき『お尻を掘られても許容範囲』とか言ってたけど、どういう教育受けたらそんな貞操観念ゼロになるのよ? 野生児?」
弥太郎「……野生じゃない……。……実家は……由緒正しい……神社……」
颯・千草「はあぁぁーーっ!?」
千草「神社!?神主さんの息子!?嘘でしょ、こんな罰当たりな寝方する子が!?」
颯「神職にあるまじき不純異性交遊(および同性交遊)へのハードルの低さね……」
弥太郎「……うん。神事の最中……祝詞を上げながら……寝た……。神楽を舞いながら……寝た……。……親父に……死ぬほど怒られた……」
颯「そりゃ怒られるわよ!!神様もビックリよ!」
弥太郎「……だから……怒られるのが面倒くさくて……。……何をされても……受け流すことにした……」
千草「ああ、それで『抵抗しない』という最強の護身術(?)を身につけたのね……。 神聖な場所で育ったのに、中身はこんなに堕落してるなんて……ゾクゾクしちゃう♡」
颯「感動するとこじゃないわよ!次回の『鬼滅の刃異伝』は!巨乳フェチ軍団VS風音の黄金の雷!絶対見てね!」