鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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さあさあ皆様、とくとお立ち会い。
 所は産屋敷の御膝元、晴れやかなる祝言の席。
 借金の形に吉原へ沈み、そこから這い上がり、数奇な運命に翻弄された女が一人。
 鬼の身でありながら鬼殺隊に拾われ、あろうことか水柱の妻となり、今まさに新しい命まで宿しております。
 我らが主人公、葛城颯の晴れ舞台でございます。

幾多の死線を越え、ようやく掴んだ穏やかな光。
 白無垢の確かな重み。
 鼻をくすぐる出汁の柔らかな匂い。
 そのすべてが幸福に満ち溢れている。

……はず、でした。

なぜか厨房を我が物顔で仕切るは、不死身の菓子職人たる下弦の弐。
 さらには表門を叩く、招かれざる客人の群れ。
 私の生き別れの親族という設定を引っ提げて、見覚えのある洋装の紳士を筆頭に、上弦の面々が勢揃い。
 一方の上座には鬼殺隊の最高当主様と、名だたる柱の皆様方。

右を見れば千年の宿敵。
 左を見れば命の恩人。
 まさに一触即発。

果たしてこの祝宴、凄惨な修羅場と化すか、はたまた無事に祝い膳にありつけるか。
 葛城颯の人生を懸けた大立ち回り。
 いざ、開幕でございます。


百鬼夜行の宴と、松田月彦という兄

【大広間 金屏風の前】

 

私は葛城颯。鬼名は風音。下弦の壱。水柱の妻。お腹にはさっくんとの子までいる。

改めて並べると、肩書きがだいぶ混雑している。祝言の席次より混雑している。

 

だが、今日だけはそれでいい。今日は私が花嫁だ。誰が何と言おうと主役だ。多少の混乱も、多少の食べすぎも、多少の正体不明の客も、全部「めでたい」で押し切れる。……はずだった。

 

「ついに来ました祝言の日!波乱万丈の吉原から駆け上がり、我らが主人公・颯ちゃん!愛するさっくんの子供まで授かり、今まさに!万感の思いを胸に大団円の祝言を迎えようとしております!!」

 

「……何をしてるんだ?颯」

 

「いえ、久々に講談の真似事を。少しばかり緊張を紛らわせようかと」

 

「君でも緊張するのか」

 

「しますよ。私は繊細な女ですもの」

 

「繊細な女は、祝言の直前に自分の人生を講談調で語らないと思うが」

 

「そこは個性です」

 

さっくんの目尻が下がる。その表情を見ると、胸の奥が温かくなる。今日のさっくんは、いつもの羽織姿ではなく、花婿としてきちんと整えられている。

 

凛々しさもあるが、どこか照れくさそうで、そこがまた良い。私はこの人と夫婦になる。

 

いや、すでに夫婦みたいな暮らしはしているけれど、今日は正式に皆へ見せつける。大事だ。たいへん大事だ。

 

ただし、さっきから台所が戦場である。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

【厨房】

 

「違う!鯛の火当てが甘い!祝いの席だぞ!皮はぱりっと、身は箸が入るほどふっくらと仕上げろと、先ほどから口酸っぱく言ったはずだ!」

 

「は、はいぃぃ!申し訳ありません、甘雷料理長!」

 

「……ねえさっくん。なんで甘雷が、当然のような顔をして式の料理の指揮を執っているの?柱たちとも普通に談笑しながら味見しているじゃない」

 

「甘雷殿は、腕の良い料理人なのだろう?皆も、彼の菓子や料理にはずいぶん世話になっていると聞く」

 

「そうだけど。そうなんだけど」

 

問題はそこではない。甘雷は鬼だ。下弦の弐だ。分身で昼間も平気な、不死身の菓子職人だ。過去に幾度も柱たちに斬られ、そのたびに極上の加須底羅を両手に持ってにこにこ復活した、やたら面倒な変態だ。なのに今や「甘雷料理長」と呼ばれている。

 

おかしい。

 

いや、経緯は分かる。甘雷は斬っても翌日また来る。人は襲わない。胸への不埒な執着は腹立たしいが、私以外へはほぼ無害。

 

何より、出す飯と菓子が美味すぎる。最初は警戒していた柱たちも、十回斬って十回菓子を持って復活されるうちに、「こいつはそういう生き物なのだ」と理解を放棄したのだ。理解を放棄した結果、受け入れた。人間の順応力は恐ろしい。

 

「危機感!鬼殺隊の危機感が完全に死滅してる!まあ、私の胸に異常な執着をしているうちは、人間を襲わないという安全装置が働いているということ……?っていうか、普通、身重の私が食われるって心配しないの?」

 

その時、盆を持った甘雷が通りがかる。白い前掛け姿がやたら似合うのも腹立たしい。

 

「お前のような規格外の女、鬼の私でも食わん。お前の方がよほど業の深い悪食だ」

 

「花嫁に向かう言葉ですか、それは」

 

「祝言の席だからこそ真実を言ってやった。なお、煮物の味はもう少し後で見る。妊婦向けに塩は控えめにしてあるが、物足りなければ別皿のたれを使え」

 

「……そうですか。まあ、料理の手間が省けるからいいけど」

 

「感謝しろ」

 

「胸を見ないで」

 

「職人は全体の均衡を見る」

 

「嘘をつくな」

 

「颯、甘雷殿は少々変わっているが、今日の祝い膳のためにずいぶん尽力してくれている。礼は言うべきだ」

 

「……ありがとうございます、甘雷料理長」

 

「よろしい。今日だけは最高の花嫁料理を食わせてやる」

 

悔しい。でも、台所から漂う匂いはすでに最高だ。鯛、出汁、炊きたての赤飯、焼き物、甘い菓子の香り。身重の体にこの匂いは罪である。祝言の最中に厨房へ突撃しない私を、誰か褒めてほしい。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

宴は賑やかに進む。隠たち、隊士たち、柱たち、産屋敷家の使い、近隣の世話になった人々。皆が祝ってくれる。

 

あの焼き物は後で必ず食べる。甘味は三種ある。赤飯はおかわりしたい。妊婦だから許される。妊婦は強い。なんて素晴らしい立場だろう。

 

そんな時、門が叩かれる。

 

こん、こん。

音は控えめなのに、妙に重い。

 

「おや、誰だろうか。招待した客人や隠たちは、すでに全員揃っているはずだが」

 

「遅れてきた隊士かしら」

 

さっくんが応対へ出る。

しばらくして戻ってきた時、彼は少し驚いたような、それでいて嬉しそうな顔をしている。

 

「颯!お前の家族だというお身内の方々が、大勢でお祝いに来てくださっているぞ!」

 

「……はい?」

 

家族。

意味が分からない。

 

私は吉原に借金の形として売られた女だ。今さら実家の親兄弟がのこのこ来るわけがない。そもそも、その辺りの縁はとっくに切れている。まして祝言の場に、私の身内など。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喉の奥が引き攣る。

 

ひぃぃぃぃっ!!

 

まず、仕立ての良い南蛮渡来の洋装を着こなす白い紳士。白い服、優雅な所作、青白い顔、完璧な微笑。無惨様である。意味が分からない。

 

その後ろに、威厳ある古武士のような凄みを持つ男。ししょー。人間に擬態しても、ただの人間には見えない。目の数はさすがに誤魔化しているらしいが、気配が強すぎる。

 

さらに絶世の美女、お姉様。その隣には、付き人のように控えるお兄様。二人とも見た目だけなら、どこかの芸事に通じた美しい姉弟とその用心棒で通りそうだ。

いや、お兄様は少し通りにくいかもしれないが、今日は身なりを整えている。

 

胡散臭い笑顔を浮かべた童磨様。教祖風の男としてはあまりにも完成されている。不機嫌そうに腕を組む猗窩座様。武芸者として紹介すれば通るかもしれない。

 

見事な装飾の壺を大切そうに抱えた奇妙な男、玉壺様。……これは通るか?壺職人ということで押し切れるか?

 

全員、血鬼術か何かで人間に擬態している。上弦が総出。しかも無惨様まで直々に。

戦争?ここで鬼殺隊と最終決戦を始める気なの?私の祝言を爆薬庫にする気なの?

お腹の子に悪いからやめてほしい。いや、本当にやめてほしい。

 

白無垢の裾を蹴立てて玄関へ向かう。走るな花嫁、と誰かが言った気がするが、そんな品格を保っている場合ではない。

 

「……颯。久しぶりだな」

 

「あ、あはは……。こ、これはこれは……」

 

心臓が跳ね回る。鬼なのに。しかも封鬼化生で人間の体だから、余計に心臓が真面目に働いてしまう。やめて。今だけ少し怠けて。

 

「颯、皆様を紹介してくれないか?」

 

「えーと、さっくん!紹介します!」

 

脳みそ!全速力で回ってくれ!

 

「この美女は、私が吉原に売られた時にお世話になった大恩ある太夫、お姉様です。そしてこちらは、そのお兄様!」

 

「風音。いえ、颯がいつもお世話になっております。今日はお招きもないのに押しかけてしまって、失礼いたしました」

 

お兄様もぎこちなく頭を垂れる。

 

「……まあ、妹分の祝いだからなぁ。顔ぐらい出さねえとよぉ」

 

「颯が吉原時代に救われた方々と伺っております。妻が大変お世話になりました」

 

ああ、さっくん。真面目。真摯。眩しい。相手は上弦の鬼です。だけど、その真っ直ぐさで普通に礼を言っている。頭痛がしてくる。

 

「そしてこの背の高い男性は……以前お話ししていた、私の剣の師匠です!」

 

ししょーが頭を垂れる。

 

「……招かれざる客で……祝いの席を汚し……すまぬ……」

 

「おお!貴方が颯の言っていた噂の剣豪ですか!お目にかかれて光栄です!」

 

さっくんが本気で感動している。ししょーも、なんとなく満足げだ。なんだこの師弟外交。成立している。怖い。

 

「そしてこの派手な人は……えっと、町で知り合った友人です!」

 

童磨様が手を振る。

 

「やあ、皆さん。今日はおめでたい日だねえ。俺も颯ちゃんの幸せを心から祝っているよ」

 

絶対に心からではない。心というものの位置を今も探している方だ。けれど笑顔だけなら完璧なので、周りの女性隊士たちが見とれている。危ない。

 

「こちらの武芸者のような方は、甘雷の知人で……こちらの壺を持った方は、焼き物に詳しい芸術家です!」

 

もう細かいことは知らない。押し切る。今日は押し切る日だ。

 

そして最後。

 

無惨様が、一歩前へ出る。

 

「初めまして、鱗滝殿。私は颯の兄の、松田月彦と申します」

 

完璧な声。完璧な姿勢。完璧な嘘。

 

「かつて、家の貧しさゆえに、この可愛い妹を手放してしまった愚かな兄です。今は南蛮との交易事業に成功し、長年彼女を探しておりました」

 

完璧すぎる嘘の素性。私は昔、松田颯だった。無惨様、怖い。部下の過去まで使いこなす上司、怖すぎる。

 

「颯のお兄様……!」

 

「生き別れた妹が……颯が、貴殿のような立派で誠実な方に深く愛され、あまつさえ子まで授かったと聞き、兄として居ても立っても居られず。今さら家族の顔をするなどと、烏滸がましいとは思いますが……どうしても一言、お祝いを申し上げたく参上いたしました」

 

なんという演技力。

 

今この瞬間だけなら、無惨様は本当に妹を失って悔いた兄にしか見えない。いや、見えすぎる。さっくんの目が潤んでいる。やめて。信じないで。いや、信じてくれないと困るけれど、信じすぎるのも寿命が削られる感覚になる。

 

無惨様が背後へ目配せし、上弦たちが祝いの品を積み上げる。絹の反物、銘酒、金品、珍しい薬草、そして小さな漆箱。無惨様、本気で祝いに来ている。怖い。嬉しい。怖い。

 

「なんと……!これは過分なるお祝いの品……。いえ、どうか謝らないでください、お義兄さん!」

 

お義兄さん。

さっくん、今、鬼の始祖をお義兄さんと呼んだ。世界が変な方向へ一歩踏み出した。

 

「颯のことは、彼女の元夫である、故・葛城殿にも『あとは頼む』と託されておりますし、何より……私は、心から彼女を愛しています。必ず幸せにします」

 

無惨様は、ほんの一瞬だけきょとんとした顔をする。

本当に、ほんの一瞬。

 

けれど私は見た。鬼の始祖が、真っ直ぐすぎる人間の言葉を前に、わずかに処理を止めた顔を。これは貴重だ。帳簿に書きたい。いや、書いたら殺されるから頭にだけ残す。

 

「……ありがとう。不肖の妹を、どうか頼みます」

 

『颯。普段、私のために大きな功績を立てている優秀な部下への褒美として、私が直々に祝いの席に来てやったのだ。何故最初から私を呼ばなかった?随分と水臭いぞ』

 

笑顔のまま念話で返す。

 

『呼べるわけないでしょうがァ!!』

 

『今、本当に心臓が口から飛び出るかと思いましたよ!』

 

『祝いの席だ。落ち着け』

 

『原因が言うな!!』

 

『腹の子に障るぞ』

 

『そこを心配してくださるなら、まず上弦総出で鬼殺隊の祝言に来ないでください!』

 

『皆、祝いに来たいと言った』

 

『家族旅行みたいに言わないで!』

 

花嫁なのに、すでに寿命が三十年ほど縮んだ気がする。鬼だけど。今は人間の体だけど。どちらにしろ縮むものは縮む。

 

さらに悪いことに、広間の上座には産屋敷顕正様がいる。

 

鬼殺隊の最高当主と、鬼の始祖が、同じ屋根の下、同じ祝言の席にいる。しかも片方はもう片方を親族だと思っている。世界の終わりか。いや、今のところ終わっていない。終わっていないから余計に怖い。

 

無惨様、松田月彦は、親族代表として顕正様の元へ挨拶に向かう。

 

やばい。

やばい。

やばい。

やばい。

 

半径一間以内で向かい合っている。鬼殺隊と鬼の千年の因縁が、座礼をしている。眩暈がする。つわりなのか、緊張なのか、もう分からない。

 

「ようこそおいでくださいました、月彦殿。妹の颯さんには、我々も平素より大いに助けられております。彼女の恐ろしいほどの才覚は、貴方様の優れた商才譲りなのかもしれませんね」

 

「恐縮に存じます、産屋敷殿。妹は少々、昔から食い意地が張りすぎていてお転婆が過ぎますが……皆様の役に立っているなら、兄として何よりです」

 

妹の食い意地を語る鬼の始祖。

私は酒を飲みたい。妊婦だから飲めない。つらい。

 

「ははは。彼女の健啖ぶりは、見ていて実に気持ちがいい。よく食べる者は、よく生きる者です」

 

「まさに。あれは昔から、目を離すと人の分まで食べる娘でして」

 

『無惨様、何を勝手に昔話を捏造してるんですか』

 

『話を合わせているのだ。感謝しろ』

 

『腹立つくらい自然です』

 

「……月彦殿、少しお顔の色が優れないようですが、お体でも悪いのですか?」

 

それは地雷。最大級の地雷。踏んではいけない火薬庫。ああ終わった。祝言会場が終わった。金屏風も鯛も加須底羅も全部吹き飛ぶ。

 

「ええ、昔からひどく日光が苦手な体質でして。ですが最近、異国から非常に良い薬が見つかりましてね。近いうちに、完全に克服できそうです」

 

「それは良かった。健康こそが何よりの宝ですからな」

 

「まったくです」

 

何も起きない。

朗らかに世間話している。

 

お腹の子よ、これが世の中です。理不尽でしょう。母もそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴は、その後さらに混沌を深める。

 

炎柱が猗窩座様と酒を酌み交わしながら武術談義で盛り上がっている。猗窩座様は人間として擬態しているので、ただの強い武芸者に見えるらしい。

 

炎柱は豪快に笑い、「素晴らしい練り上げだ!」と褒める。猗窩座様も「貴殿もなかなかの闘気をお持ちだ」と返す。

 

やめて。そこで友情を育てないで。殺し合う未来を避けられるなら嬉しいけれど、場がややこしすぎる。

 

童磨様は女性隊士たちに囲まれ、教祖の顔で人生相談を受けている。「悩みは吐き出すと軽くなるよ」とか言っている。目が笑っていない。女性隊士たちは「不思議と話しやすい方ですね」と感心している。非常に危ない。後で全員に、妙な教えに入信しないよう釘を刺しておこう。

 

姉様と千草は、男を惑わす着物の帯の結び方について熱く語り合っている。二人とも妙に気が合っている。姉様が「ここで腰の線を出すのよ」と言えば、千草が「なるほど、殿方の視線を誘導するんですね」と目を輝かせる。悪い。だが、私の結婚式でなければ少し聞きたい。いや、今はそれどころではない。

 

ししょーは、さっくんの打った蕎麦を無言で啜っている。六つの目は見せていないが、目を細めている。美味しいらしい。さっくんが「お口に合いましたか」と尋ねると、ししょーは「……見事」と返す。さっくんが嬉しそうにしている。師匠外交第二弾である。もう分からない。鬼は普通の食べ物が食べられないはずなのに。我慢しているのか?

 

玉壺様は会場の隅で、祝いの器を見て興奮している。隠たちに陶器の焼きについて語り始め、なぜか数名が真面目に聞いている。半天狗様が来ていないのだけが救いだ。来たら式場の隅で「わしは祝われておらん」と泣き出しそうだもの。

 

「颯の剣は、どちらかと言えば型よりも勢いに寄るところがあります」

 

「……あれは……理外……。だが……生きる執念が……刃を動かしている……」

 

「なるほど。私も、彼女には何度も驚かされます」

 

やめて。私を教材にしないで。

 

甘雷は甘雷で、料理を出すたびに隊士たちから拍手を受けている。最初は「何者だ、あの料理人は」と警戒していた若い隊士も、一口食べた瞬間に陥落する。鯛、煮物、吸い物、焼き菓子。胃袋が次々に降伏していく。鬼殺隊は今日、敵に本丸ではなく胃袋を落とされている。誰か危機感を持ってほしい。私も食べるけれど。

 

「甘雷殿、この出汁はどう取っているのですか」

 

「昆布を急かすな。出汁は人と同じだ。無理に絞れば濁る。待てば澄む」

 

「は、はい、料理長!」

 

もはや弟子が生まれている。駄目だ。鬼殺隊の厨房が甘雷に侵食されている。けれど祝い膳は美味い。ならば仕方ない。いや、仕方なくない。だが美味い。

 

「月彦殿は、南蛮との交易に通じておられるとか。近頃は珍しい薬も多く入るのでしょうね」

 

「ええ。効く薬と効かぬ薬を見極めるには、古い本草の知識だけでなく、新しい理も必要になります。古きものを軽んじず、新しきものを恐れぬこと。それが商いにも養生にも肝要かと」

 

無惨様がまともなことを言っている。しかも産屋敷様が頷いている。私は、世界の中心で何かがねじれていく音を聞いた気がする。

 

「颯さんが帳簿に強いのも、月彦殿の教えなのでしょうか」

 

「いえ、あれは本人の強欲さです。幼い頃から、菓子を一つ多く得るために、誰が何を持っているか記憶しておりました」

 

「ははは、それは頼もしい」

 

勝手に幼少期を作らないでください、無惨様。しかも微妙に私ならやりそうだから反論しにくい。

 

その横で童磨様が、子どもたちに折り紙を教えている。手先はやたら器用で、花や鳥を次々作るものだから、幼い見習いたちが喜んでいる。中身を知っている私は気が気ではないが、童磨様本人はにこにこしている。

 

「ねえ風音ちゃん、これが嬉しいって感情かなあ」

 

「たぶん半分くらいはそうです。残り半分は、子どもに懐かれている状況を面白がっているだけです」

 

「なるほど、難しいねえ」

 

本当に難しい。だが、今日だけはその難しさも祝いの飾りにしておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ!宴の締めくくり、極上の加須底羅だ!新郎新婦の輝かしい門出を祝して、特大の黄金寸法で焼き上げたぞ!」

 

「うおおおお!待ってました、甘雷さーん!」

 

「気前の良い月彦様、万歳!」

 

どこかの鬼が声を上げる。やめて。無惨様を月彦様呼びで万歳するな。さっくんが微笑ましそうに見ている。顕正様も穏やかに笑っている。無惨様は「まあよい」という顔をしている。もう私は何も分からない。

 

酒を呷りたい。だが妊婦なので飲めない。代わりに白湯を飲む。白湯では何も誤魔化せない。現実が濃すぎる。加須底羅より濃い。

 

「颯?大丈夫か?少し顔色が悪いぞ。つわりか?」

 

「……ううん、大丈夫よ。ただ、幸せすぎて……現実味がなくて……」

 

これは嘘ではない。現実味が本当にない。現実味がなさすぎて、いっそ夢であってほしい。でも夢なら覚めた瞬間、ここの均衡が崩れそうで怖い。だから覚めないでほしい。

 

「そうか。……私もだ。こんなに多くの人に祝ってもらえるなんて、本当に夢のようだ」

 

「ええ……夢なら絶対に覚めないでほしいわ」

 

もし幻術が解けて覚めたら、ここが一瞬で地獄絵図になるから。

 

夜明けが近づく前、親族たちは「生まれつき日光の痛みに弱い体質なので、日の出前には帰る」という設定を律儀に守り、満足げに撤収することになる。無惨様が作った設定なのか、本当に皆が共有している。

 

 

玄関で、無惨様が私を見る。

白い洋装のまま、松田月彦としての顔で。

 

「颯」

 

「……はい」

 

「元気な子を産めよ」

 

その声は、無惨様としての命令にも聞こえるし、月彦という兄としての言葉にも聞こえる。どちらなのかは分からない。分からないが、少なくとも今この瞬間、私の腹の子を祝ってくれていることだけは分かる。

 

「……はい。お祝い、ありがとうございました。お兄様」

 

ならば明日からまた、帳簿をつけよう。鬼と鬼殺隊と、家族と食卓と、まだ生まれていないこの子の未来を、どうにか美味しく、面白く、私らしく整えていくために。




無惨「皆を集めたのは他でもない。風音の祝言に親族として出席する」

黒死牟「……承知した。あやつは私の弟子……師として見届ける義務がある」

童磨「ええっ本当!?俺も行っていいの?颯ちゃんの花嫁姿絶対可愛いよねえ!お祝いに氷の蓮でも作ろうかな!」

堕姫「べ、別にアタシは行きたくないわよ!ただあの生意気な小娘がどんな顔で祝われるかちょっと見てやって鼻で笑ってやるだけなんだからね!勘違いしないでよね!」

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