鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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さてさて皆々様、お立ち会い。
本日の主役は、光の呼吸の剣士・九条千草。
颯お姉様が産休を満喫する裏で、千草は地図を片手に鬼の縄張りをお掃除中。
けれどその胸の内には、いつも通り透明な膜と、底なしの虚無が広がっておりました。
命の熱を求め、肌の熱を求め、舞台の上で笑い続ける女。
そんな千草の前に、珍しく目を覚ました眠れる男・弥太郎が立ちはだかる。
光と黄昏、虚無と無感動。
二人の幕が、ようやくここから上がります。


幕間:硝子の心と、光柱・九条千草

鏡台に向かい、そっと筆に紅を含ませて自分の唇に滑らせる。うん、良い感じ。

 

わたしの手元には一通の文が広げられたまま置かれている。颯お姉様から届いたものだ。

そこには、お姉様が身籠ったという驚きの事実が綴られていた。

 

本当に、あの人はどこまでも欲張りで、強引で、眩しい人。

新しい命を宿したというのに、文面からは不安や戸惑いなんて微塵も感じられない。むしろ、この状況すら自分の手駒にしてやろうという自信が満ち溢れている。

 

隊の中で提唱して作り上げた『産休』なる休養のお約束を、一番乗りで使い倒すつもりらしい。

 

鬼殺隊としての鬼狩りの務めも、そしてもう一つの顔である鬼としての活動も、きっちり長期間お休みするというのだから、本当に恐れ入るわ。

 

手元にある薄紅色の文様が入った和紙には、こう書かれている。

 

『愛しい妹分へ。わたしが愛の結晶を育んでいる間に、この同封した地図の印にある鬼の縄張りを綺麗にお掃除しておいて頂戴ね。わたしの邪魔になる目障りな連中だから、千草の美しい剣で散らしてやって!』

 

……ふふっ。思わず声が漏れてしまう。

 

自分の下弦の壱という立場にいることを最大限に悪用して、邪魔な鬼を、鬼殺隊であるこのわたしに片付けさせようという腹積もりなのだわ。

 

そんなお姉様だからこそ、わたしは惹かれるの。わたしには絶対に持てない、太陽のような熱量があるから。

 

そう、わたしのやることはいつも明確。

与えられた台本通りに舞台へ上がり、ただ斬る。それだけ。

 

効率的な鬼狩り。血湧き肉躍るはずの命懸けの活劇。

それなのに、わたしの心はいつだって冷め切っている。

 

今日もこうして、自分の人生というお芝居をぼんやり眺めるように、ただ言われた通りに剣を振るうのだわ。

 

世界とわたしの間には、いつだって透明な『薄い膜』が張られている。

虚無という名の底なし沼が、いつもわたしの足元に口を開けている。

 

だから、わたしは求めるんだ。

この疎ろな現実感を打ち破ってくれる、強烈な何かを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

 

夜の帳がすっかり下りた、とある宿屋。

 

「ああっ……いいわ、お前たち。もっと……もっと激しく突いて! 奥の奥まで、あんたたちの熱を全部吐き出してよ!」

 

「へへっ、なんて淫らな女だ……! こんな上玉が自分から誘ってくるなんてよ!」

 

「俺たち二人がかりでも余裕ってか!? 堪んねえぜ、お前みたいな女は初めてだ!」

 

肌が擦れ合う熱。肉に深く食い込む爪の痛み。汗ばんだ肌の感触。

 

やっぱり、この時だけだわ。

わたしと世界を隔てる忌まわしい『膜』が破れ、自分が確かに『ここ』にいるのだと、この瞬間に息をしているのだと実感できるのは。

 

もっと、もっとわたしを壊して。もっと強く、もっと痛く。

頭の中が真っ白になるくらい、強烈な感覚でこの空っぽな心を満たしてほしい。

 

その時だった。

 

突如として、部屋の襖が轟音を立てて木っ端微塵に吹き飛ぶ。

飛び散る木片と破れた障子紙の向こうに姿を現したのは、血走った眼をギョロつかせた異形の鬼。

 

「ギヤアアアッ! 喰わせろォォッ!! 若くて美味そうな肉だァァッ!!」

 

確かに私は美味しいと思うけど。

 

「ひっ!? ば、化け物ォ!?」

 

「なんだこいつは!? 助けてくれッ!」

 

鋭く伸びた爪が、容赦なくわたしたちのいる布団へと真っ直ぐに振り下ろされる。

冷たい、氷のような静寂が思考を支配していく。

 

ああ、また『膜』が張られてしまった。

現実はあっという間に色褪せ、ただの作業の時間が始まる。

 

そこからは反射。

男二人の襟首を掴むと、力任せにグイッと自分の方へ引き寄せる。

 

もちろん、彼らを守るためじゃない。

わたし自身を守るための、手頃な『肉の盾』として使うために。

 

「ギャアアアッ!?」

 

「ぐあっ……!」

 

鬼の爪が男たちの背中を浅く裂く。生温かい鮮血が宙を舞い、わたしの頬に赤い斑点を作る。でも浅い、なら問題ない。

 

一瞬の猶予さえあれば。乱れてはだけた着物の下、そこに隠し持っていた日輪刀を引き抜けば。

 

『キィィィン』

 

「光の呼吸 壱ノ型――曙光」

 

低く沈み込んだ姿勢から、バネのように跳ね上がって放たれる逆袈裟斬り。

白銀の刃が部屋の僅かな灯りを反射して、眩いばかりに煌めく。

 

刃が肉を断ち切り、骨を砕く感触。こんなものか。

次の瞬間には、鬼の頸がゴロリと畳の上に転がり落ちる。

 

「おはよう、そしてさようなら♡ ……ふぅ、間一髪だったわね」

 

しかし、背中から血を流して畳に這いつくばっている男たちの反応は、わたしの期待するものとは全く違うものだ。

 

「あ、あんた……ッ! 強いなら、なんで前で戦ってくれなかったんだ!!」

 

「痛ぇ……! 俺たちを盾にしやがって!」

 

「あら、ごめんごめん。でも傷は浅いし、命に別条はないでしょう? 鬼は死んで、わたしたちは生き残った。万事解決じゃない」

 

そう諭すものの、男たちの怒りは一向に収まる気配がない。

 

「ふざけるなッ! 触るな、気味が悪い!」

 

「お前もあの化け物と同じだ! 近寄るな!」

 

男たちは、まるで汚物でも見るかのような目でわたしを睨みつけ、傷の痛みに顔を歪めながら這うようにして部屋から逃げ出していく。

 

……また、失敗した。

『当事者意識』というものがない時は、どうしてもこの手の匙加減が難しくなるのよね。

 

頭の理屈ではちゃんと分かっているのだ。守るべき対象を、身代わりの盾にするのは鬼殺隊士として道義に反する行為だということも。

一般の人がそれをされたら怒るだろうということも。

 

でも、あの瞬間の最適解がそれだったから、ただ選んだだけのこと。

彼らを盾にすれば確実にわたしは反撃の体勢が作れる。

 

彼らの傷は浅く済むよう計算したし、結果として全員が生き残った。これ以上ないくらい完璧な立ち回りだったはずなのに。

 

活劇の舞台や草紙の物語を読んでいても、登場人物が感情を乱して怒り狂う理由が分からない時がよくあるでしょう?

 

『なんでそこでそんなに怒るの?』って。

 

今のわたしには、あの男たちが怒り狂う理由が、本質的な部分では全く理解できない。

命が助かったのだから、少し痛い思いをしたくらいでガタガタ言う必要なんてないじゃない。

 

ああ……なんだか無性に腹が立つ。

わたしの思い通りに、登場人物たちが動いてくれないから。

 

用意された台本通りに、美しく、そして完璧に舞台をこなしたというのに、観客からの拍手一つ貰えないなんて。

 

所詮、わたしはいつまでたってもこの世界の舞台に立つことはできない。

透明な膜の外側から、つまらない喜劇を眺めているだけの、空っぽの観客にすぎないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

あわよくばまた誰か別の男を引っ掛けてやりたい。

 

思い通りに動いてくれない登場人物たち。私の完璧な立ち回りを理解できない愚かな人間たち。

 

どうしようもなく腹が立ってくる。だから、この心を無理やりにでも上書きしたいのよ。

 

ふと顔を上げると、ガス灯の薄暗い光の下に一人の少年が立っている。

 

神保弥太郎。

 

いつもなら立ったまま器用にいびきをかいているはずの彼が、今日は珍しくパッチリと目を開け、静かに私を見つめている。珍しいこともあるものね。

 

「……弥太郎? なんであんたがこんな所にいるのよ。しかも、起きてるじゃない。任務の帰り? そう、私もよ。で、こんな夜更けに何の用かしら? もしかして……やっとその気になって、愛の告白でもしに来たの? ついに私を抱いてくれる気になったのかしら?」

 

「……違う。そういうんじゃない」

 

「……違うの? じゃあ一体何よ。こんな夜道で待ち伏せみたいなことして。まあいいわ、せっかく起きてる珍しいあんたに免じて、少し歩きながら話くらいは聞いてあげる」

 

私たちは並んで、人気のない夜の路地を歩き出す。

空には冷たい月が浮かんでいて、その月明かりが私たちの影を地面に長く伸ばしている。

 

「千草。前から少し気になってたんだけど……お前は、なんで鬼殺隊に入ったんだ?」

 

「いきなりね。そんな昔話、今ここで本当に聞きたいわけ?」

 

本当に珍しいわね。人の事情に踏み込んでくるような男じゃなかったのに。

別に隠すようなことでもないし、大層な理由があるわけでもないか。

 

「私はね、ただ自分を試したいのよ。なんだかんだ言っても、今のこの国はもうすっかり平和でしょう? 明治という新しい御代になって、町を歩いていてもよほどのことがなければ殺されもしない。辻斬りも野盗も、もうどこにもいないわ。平和って、要するに退屈なのよ。何も感じない日常が、ただ淡々と続いていくだけ。でも鬼殺隊に入れば……そうね、修羅場には事欠かないと思ったのよ。女でも許されるなら、官軍にでも入って戦争に行っていたと思うわ」

 

「……それは、命のやり取りがしたいからか? 死と隣り合わせの状況になれば、何かを感じられると思ってるのか?」

 

弥太郎の言葉は、心の奥底にある柔らかい部分をチクリと刺す。いやだ。

 

「ええ、そうよ。……いや、違うわね。私は……ただ……」

 

言葉がうまく出てこない。喉の奥でつっかえて、呼吸が苦しくなる。

 

いつも身にまとっている、取り繕った仮面が剥がれ落ちていくのが自分でも分かる。行き場のない苛立ちが、どうしても表に滲み出してしまう。

 

「ううん……そうよ! 私は命のやり取りがしたいのよ! そうでもしないと、自分の血が滾らないの! 自分が今ここに生きているという生の感触が、どうしても掴めないの! あんただって、どうせ私を抱いてくれないじゃない! だからこうするしかないのよ!」

 

叫んでしまう。でも、弥太郎は何も言い返さない。ただ静かに、前を向いて歩き続けている。

 

「…………ちょっと、なんで黙ってるのよ! 人の話を聞いてるの!? それとも、目を開けたまま寝る術でも身につけたわけ!?」

 

弥太郎の瞳はいつもの眠たげな色ではなく、底の知れない深く暗い色を宿して私を見つめている。

 

「…………俺さ。人を、殺したんだ」

 

「……え?」

 

「こないだの任務で……鬼に加担した人間を斬った。隠の相原が死んだ時のことだ。……でも、その後、なんの感情も湧かなかったんだ。後悔も、恐怖も、そして敵を討った喜びも、何一つとして」

 

「勘違いするなよ? 飯を食えば美味いと思うし、悲しい出来事には悲しいと感じる。でも……『命を奪う』ということに関しては、相手が鬼であろうと人間であろうと、俺は何も感じないんだ。……たぶん、今ここで千草や颯を斬ったとしても、俺の心は動かないだろうよ」

 

「…………そう、なんだ」

 

なんで、私にそんなことを言うの?

私が同じようにどこか壊れているから? 私なら、そんな告白を聞いても絶対に軽蔑しないって安心しているの?

 

「……千草。もう、嘘をつくのはやめろ」

 

「は?」

 

「そうやって自分を偽って、破滅の淵に追い込むような真似をしても、お前の心の欠落は絶対に埋まらない。それが何なのか、俺には分からないけど……肌を重ねることに逃げ込んでも、命懸けの戦闘に逃げ込んでも、絶対に埋まらない。このままじゃ……お前は完全に壊れる」

 

「俺は、お前が壊れるのは嫌なんだ。……これは、俺の紛れもない本心だよ」

 

心臓が、ドキンと大きく跳ねる。

 

「ッ……! あんたに私の何が分かるのよ!! じゃあなんで……なんで私を見るの!? 何者とも向き合えない、中身なんて何もない、汚くて空っぽな私を! なんであんたはまだそんな目で見続けるのよ! もう見ないでよ!!」

 

お願いだから、私を包むこの『膜』を剥がさないで。その下にある、果てしない虚無の空洞を暴かないで。

 

「だから……俺も自分の最も汚くて、一番恐ろしいところを曝け出したんだ」

 

弥太郎が、私へ一歩近づく。来ないでよ。

 

「だから千草。俺の前に立ってほしい。その作り物の笑顔や、その場しのぎの色香なんかじゃない……お前の本当の心で、俺の前に立ってくれ」

 

「なによ、自分勝手なことばかり言って……ッ! そんなこと……そんなことができるなら、私は……! 最初からやってるわよ……!」

 

瞳から、涙が溢れ落ちる。

 

悔しい。怖い。自分がただの透明な存在だってことが、こうして白日の下に晒されるのが恐ろしくてたまらないの。

 

「ムキになって怒るのは、図星を突かれた証拠だろ。……千草が以前、俺に教えてくれたことだぞ」

 

「……うるさいわね」

 

温かい。彼の手の熱が、私を隔てる膜の向こう側から、確かに私の肌へと伝わってくる。

 

私は……踏み込んでもいいのだろうか。

この「何もない私」を、彼になら晒してもいいのだろうか。

 

「怖いのよ……何もかも。この世の全てが、薄い膜に包まれているように感じるの。私が手を伸ばしても、何もかもが私を遠ざける。現実感がなくて、自分が透明人間みたいで……。だから、お願い、私を置いていかないで」

 

「誰も、お前を置いて行ってなんかいない。周りを遠ざけて壁を作っていたのは、お前自身だろ」

 

「え?」

 

「俺は言ったはずだ。俺の前に立てと」

 

弥太郎は、私の手を強く握り返す。

 

「その程度の膜なんかじゃ、俺はお前を遠ざけられない。……颯だって同じだ。あいつが、そんな薄っぺらい膜ごときで立ち止まる女だと思うか?」

 

ああ。そうか。

颯お姉様は、私の虚無などお構いなしに、強引に極彩色の泥で塗りつぶそうとしてくれていたのだった。

 

そして弥太郎は今、私の虚無を真っ向から見据えて、手を引こうとしてくれている。

勝手に壁を作って、その小箱の中で一人「寂しい」と叫んでいたのは。

 

「それは……私を、本当の意味で愛してくれるってことかしら?」

 

「……それは、お前次第だ」

 

少し目を逸らし、照れくさそうに頭を掻く。可愛い。

 

「俺は人でなしだ。感情が欠落した不良品だ。でも……俺はもう、眠りにも自分にも逃げない。俺は、俺が関わったすべてのものと、最後まで関わり抜くって決めたんだ。だから……お前には話した。そこから……俺たち、始めないか?」

 

これは、ひどく久しぶりに感じる、生の感触に満ちた『現実』の空気だわ。

 

「……随分と遠回しで、不器用な恋文ね。……ありがとう。あんたも、自分の中で何かあったんでしょう」

 

「……まあな」

 

「……今日は、飲みに行きましょうか。特別に付き合ってあげるわ」

 

「ああ。……付き合うよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから三日後。

 

御簾の向こうに座すお館様、産屋敷顕正様の前に、私は静かに平伏している。

 

「九条千草。これまでの見事な働き、そして甲としての確かな実力を鑑み……。本日より、君を『光柱』に任命する」

 

「はっ。謹んで、お受けいたします」

 

隣には、同じく昇進の命を受けたのか、あるいはただの付き添いなのか、弥太郎が控えている。

 

光の呼吸。

 

屈折し、乱反射し、決して実像を結ばない空虚な光。それは、虚無を抱えた私そのものだ。

 

けれど今、私の隣には、その光を真っ直ぐに受け止めてくれる『影』がいる。

眩しいお姉様が、天下取りの休養を存分に満喫している間に。

 

私の人生という活劇は、ここからやっと幕が上がるのだ。




千草は光柱に任命されたあと、しばらく鏡の前で「光柱の私、絵草紙映えするわね」と確認していたそうです。
なお弥太郎は横で、
「……眩しい。眠い」
と言って寝ました。
褒め言葉かどうかは、本人たちにも分かりません。
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