鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら   作:斉宮 柴野

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さてさて皆々様、お立ち会い。

四つ子の泣き声を聞き分けられてこそ、天下一の母親というもの。
もっとも、聞き分けられたところで、乳房が四つへ増えるわけではございません。

ならば千草の胸を借り、弥太郎まで使えばよい。
家族とは、助け合うためにあるのですから。

そんな鱗滝家の授乳戦争へ舞い込んだ、柱四名による火急の任務。
向かう先は、夏祭りに沸く港町。
潜むのは、無惨様の命令からまで逃げ出した、上弦の肆・半天狗。

育児も鬼狩りも屋台巡りも、すべて華麗に片づけてみせましょう。
私の完璧な筋書きに、狂いなどあるはずがないのです。

――ええ。この時までは、そう思っていたのでございます。



祭りの夜、馬鹿の底を知る

世の母親は、我が子の泣き声を聞き分けられるという。

 

もちろん、私は四人分きっちり聞き分けられる。今、一番甲高く泣いているのが雫で、途中に息を継ぐのが燐、私の背中で怒り狂っているのが菖蒲、姉たちに負けまいと声量を増しているのが桐だ。さすがは私。一人ずつ名前を呼ばなくても分かるのだから、母親としての才まで抜きん出ている。

 

ただし、四人とも訴えていることは同じだった。

 

乳を寄越せ。

 

聞き分けられたところで、私の乳房が二つから四つへ増えるわけではない。

母としての能力は完璧なのに、身体の作りが偉業へ追いついていないのである。

これは私の落ち度ではなく、女を設計した何者かの見積もりが甘い。

 

「雫と燐が先よ。菖蒲と桐は待ちなさい。姉を敬い、妹をいたわる。鱗滝家では生まれた順も立派な秩序なの」

 

もちろん、生後間もない娘たちは母の教えを理解しようともしなかった。

私の両腕で雫と燐が胸元へ頭を押しつけ、背負い布の中では菖蒲と桐が髪を引き、腰を蹴る。前後から逃げ道を塞ぐ見事な挟撃である。

鳴柱と下弦の壱を兼ねる私を、刀も血鬼術も使わず追い詰めるとは、さすが私の娘たちだった。

 

一度に四人を産んだ日は、己の偉業に惚れ直した。普通の女が四度に分けて成し遂げる大仕事を、私は一度で片づけたのだ。なんと華々しく、なんと効率がよいのだろう。

 

ところが、産んだあとは食事も、着替えも、泣き声も四倍になる。そこだけは誰も先に教えてくれなかった。さっくんも出産前に気づいていたなら言うべきである。

もっとも、言われたところで四人とも産んだけれど。可愛い娘を減らす案など、最初から却下に決まっている。

 

どうにか雫と燐へ吸いつかせたとき、廊下を千草が通りかかった。任務から戻って浴衣へ着替え、湯飲みまで手にしている。私と目を合わせないのは、こちらの窮状が見えていないからではない。見えているからこそ、巻き込まれる前に通り過ぎようとしているのだ。

 

甘い。

 

同じ屋根の下で暮らし、私をお姉様と呼んでおきながら、他人事にできると思うほうがどうかしている。私は燐を支えたまま片手を伸ばし、千草の帯を捕らえた。

 

「ひゃっ……何をするんですか、お姉様。お茶がこぼれます!」

 

「ちょうどよかったわ。菖蒲と桐へ乳をあげなさい。叔母として腕の見せどころよ」

 

千草は私の正気まで疑うような顔をした。失礼な女である。

 

「出ませんよ! 私は子を産んでいないのですから!」

 

「そんなもの、吸わせてみなければ分からないでしょう。最初から無理と決めつけるから、できるものまでできなくなるのよ」

 

「母乳を根性論で出そうとしないでください。光の呼吸でも、そこだけは照らせません!」

 

もっともらしい反論ではある。しかし、私には四人の娘がおり、千草には使っていない乳房が二つある。数だけ見れば、これほど無駄のない組み合わせはなかった。

 

「あれだけ毎晩、弥太郎と励んでいるのだから、そろそろ出てもよさそうなものだけれど」

 

「な、なぜ知っているんですか!」

 

「同じ家にいるのよ。夜中に床板が鳴けば、鼠か千草かくらい分かるわ。最近の鼠は、ずいぶん色っぽい声で鳴くのねえ」

 

千草は否定しようとして、毎晩ではないだの、弥太郎の避妊の呼吸は優秀だのと、聞いてもいないことまで白状した。

こういう話になると自分から墓穴へ飛び込んでくれる。からかいがいのある妹分を持つと、家の中でも退屈しない。

 

「では練習だと思いなさい。いずれ弥太郎の子を産めば必要になるでしょう」

 

「話を勝手に未来へ進めないでください。そもそも、お姉様の子育てを私の胸で解決しないで――ちょっ、待って、本当に出すんですか!?」

 

菖蒲をあてがうと、先ほどまでの泣き声が嘘のように止んだ。柔らかな頬を膨らませ、一心に吸いついている。何も出ていないのだから、長くはもたない。それでも一息つければ私の勝ちである。

 

「ほら、上手ではないの。母親の才能があるわ」

 

「何も出ていません! 変な感じがするだけです。早く離して……痛ぁぁぁっ!」

 

期待したものが出てこないと悟った菖蒲が、千草へ噛みついた。

 

千草の悲鳴で庭の小鳥が飛び立ち、雫と燐まで口を離して泣き出した。あれほど騒がしかった娘たちを上回るとは、光柱の肺活量も侮れない。

 

千草は涙目で胸を押さえ、菖蒲は食べ物に裏切られたような顔で泣いている。どちらを慰めるべきか迷ったけれど、私の娘のほうが可愛いので、まず菖蒲の背を撫でた。

 

「駄目でしょう。食べられないものへ噛みついては。噛むなら、先に匂いを確かめなさい」

 

「お姉様、その教え方では何一つ直っていません! この子、食い意地までお姉様そっくりですよ!」

 

「失礼ね。私は出ないものへいつまでも執着しないわ。次の料理を探すもの」

 

そこへ大きな欠伸が混じった。弥太郎が縁側の柱へ半身を預け、今にも眠りへ戻りそうな顔で私たちを見ている。この光景を前にしても、驚くより先に眠気が勝つらしい。

 

「弥太郎、ちょうどいいところへ来たわ。次はあんたの番よ。男の乳首でも、おしゃぶりくらいにはなるでしょう」

 

「役に立たないうえに噛まれる。断る」

 

「睡柱のくせに、そこだけは目覚めた判断をするのね」

 

「今の菖蒲は、腹を空かせた鬼より怖い」

 

「赤子へ刀を抜いたら、私があんたを斬るわよ」

 

「だから近づかない」

 

千草は助けなかった罰として弥太郎の腕を抓った。

弥太郎は痛いと言いながら逃げようともせず、今夜は廊下で寝ろ、庭で寝ろと寝床を格下げされるたびに、どこでも眠れると答えている。

 

千草も本気で嫌っているわけではないし、弥太郎もそれを分かっている。四六時中眠っている男が、女心にだけは妙に目ざといのだから。

 

私が次は桐を試そうかと考えたところで、激しい羽音が泣き声を切り裂いた。

 

四つ子に一斉に見つめられた鴉はわずかにたじろいだけれど、火急の伝令を預かる誇りのほうが勝ったらしい。

 

「西方ノ港町ニテ、強大ナル鬼ノ目撃情報多数! 鱗滝左近次、鱗滝颯、九条千草、神保弥太郎! 四名ニヨル合同任務ナリ! 日没マデニ現地ヘ向カエ!」

 

いつからいたのか、さっくんが縁側に立っていた。手には薪割りの斧がある。

私、胸を押さえた千草、眠そうな弥太郎、泣き疲れた四つ子を順に見渡したものの、何があったとは尋ねなかった。私の夫は結婚生活から、聞かなくてもよいことを見分ける賢さを身につけている。

 

「現役の柱を四人同時に動かすのか。相手を上弦と見ているのだな」

 

「小柄ナ老人ノ姿! 追跡シタ隊士十名、消息不明! 複数ノ鬼ヲ見タトノ証言アリ!」

 

小柄な老人。複数の鬼。

 

私の頭へ浮かんだ顔は一つしかなかった。

半天狗。

 

どうして、あの爺さんが人の集まる港町にいるのだ。

 

上弦の鬼がどこで人を喰らい、どこへ潜むかは、私が絵図を引いている。鬼殺隊が尻尾を掴めない地へ散らし、噂が一つの線につながらないよう甘雷の商いまで使って情報をずらす。鬼殺隊が鬼を狩り尽くしても困るし、鬼が好き勝手に人を喰らっても困る。どちらも私が欲しい。ならば双方とも、私の引いた線の内側で都合よく動いてもらわなければならない。

 

そこから外れる上弦など、味方ではなく商売敵より悪質な邪魔者だった。

 

「颯、どうした?」

 

「柱を集めるほどの鬼なら、さぞ大きな手柄になると思っただけよ。雑魚を百匹斬るより、上弦を一匹斬るほうが名は上がるでしょう?」

 

「最初に考えるのが手柄か。上弦なら、誰かが死ぬかもしれないんだぞ。それに、お前は産後まだ日が浅い」

 

私と四人の娘が大切で仕方ないのだ。まったく、愛される妻は任務へ出るだけでも一苦労である。嬉しくはあるけれど、ここで喜べば話が長くなるので、私は菖蒲を片腕で軽々と抱き上げて見せた。

 

「今だって千草を片腕で押さえ込めたわ。私ほど元気な産婦がどこにいるのよ」

 

「それは元気の証ではなく、千草へ謝るべき話だ」

 

「もっと言ってください、鱗滝さん!」

 

逃げたわね、さっくん。

鴉は乳母と隠をこちらへ向かわせていると告げ、急げともう一度鳴いた。

 

四つ子を置いていくのは気が進まない。私がいなければ寂しがるに決まっているし、乳母では四人同時に泣かれたとき、どの子から抱けばよいか迷うだろう。けれど、上弦のいる町へ背負っていくほど私も親馬鹿ではない。

 

早く斬って、早く帰る。

なんとも単純で、私向きの解決法だ。

まずは事実を確かめなければならない。

 

「支度の前に、少し厠へ行ってくるわ」

 

「話の途中だぞ」

 

「人の生理現象へ口を挟むものではないわ。夫婦にも慎みは必要よ、さっくん」

 

もちろん、厠へ行くつもりはなかった。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

家の奥の小部屋へ入り、襖を閉めた。四つ子の泣き声はここまで追ってくるけれど、誰かが廊下を歩けば分かる。私は埃っぽい壁へ背を預け、無限城へ意識を伸ばした。

 

『もしもーし、鳴女さん。息災かしら?』

 

『……風音様。申し訳ありません。港町にいるのは、半天狗様です』

 

『やはり。人里へ勝手に出るなと、あれほど言っておいたでしょう』

 

『鬼狩りの柱が怖い。風音様が怖い。何より、無惨様の苛烈なる御指導が怖いと怯えきってしまいまして……人が多ければ紛れられると、勝手に港町へ逃げ込みました』

 

『私の口からは、何とも』

 

無惨様の前で生き残るには腕力より勘が要る。失敗を報告すれば罰を受け、隠せばさらに怒られ、言い訳を考えれば思考を読まれる。そこまで恐れる半天狗の気持ちは、分からなくもない。

 

『無惨様は何をしていらっしゃるの? 鳴女さんが引き戻せば済むでしょう』

 

『無惨様からも帰還の厳命が下っております。ですが半天狗様は、「戻れば殺される、儂は悪くない、皆が儂をいじめる」と応じません。分裂した気配が町中に散り、本体の位置も定まりません』

 

『始祖の呼び出しまで無視しているの?』

 

『はい』

 

『……あいつ、怖がっているのではなく、本当に頭が狂っているわね』

 

鳴女は黙った。否定する材料がないのだろう。

 

上弦の称号を持ちながら、始祖にも私にも従わない。

そこまで勝手をするなら、上弦の席から座布団ごと蹴り出されても文句は言えない。

厄介な血鬼術を持つぶん、野山の猪より始末が悪い爺さんだった。

 

ならば、私が斬る。

そう決めた次の瞬間には、もっとよい使い道を思いついた。

 

私が斬るより、さっくんに斬らせればよい。上弦を討ち取った水柱として夫の名声が上がり、その妻である私の名も上がる。半天狗が消えれば上弦の肆が空くから、私が座り直す。

表と裏の両方で発言力が増せば、鬼の配置も商いもさらに動かしやすくなる。

 

半天狗は消え、さっくんは手柄を立て、私は出世し、無惨様は命令違反の駄物を処分できる。

夫婦と上司を同時に幸せにする一石四鳥。自分の才覚が恐ろしい。

 

『分かったわ。あの愚物は私が処分する。首を斬るのは、さっくんへ譲るかもしれないけれど』

 

『無惨様は、処分さえ済めば手段は問わぬとのことです。ただ、半天狗様は追い詰められるほど分裂し、力を増します。どうか油断なさらぬよう』

 

『私たちは四人よ。一人が道端で眠っても、三人残るわ。心配するだけ無駄ね』

 

話が済んだので、鳴女へ甘雷につなぐよう頼んだ。

 

『今は年に一度の夏祭りだ。私の分身も屋台を出しているが、出店権を巡って現地の的屋と揉めている』

 

『まあ、それは一大事ね!』

 

祭り。屋台。花火。しかも海辺なら、烏賊焼きも新鮮な魚もある。

半天狗の汚い首しか浮かんでいなかった港町が、急に黄金の光を放ち始めた。

 

『店を死守なさい。私が着くまで加須底羅を一箱残しておくのよ』

 

『金は払え』

 

『半天狗から取り立てればよいでしょう』

 

『あれが払うと思うか』

 

『では無惨様の付けで』

 

『‥‥…』

 

細かい話は現地で決めることにして、私は念話を切った。

 

居間へ戻ると、留守を頼む乳母と隠たちが着いていた。いよいよ離れるのだと分かったのか、雫が泣き出し、燐、菖蒲、桐まで続く。四つの小さな手が、競うように私の着物を掴んだ。

 

やはり私は愛されている。

 

四人とも母が少し見えなくなるだけで、この世の終わりのように泣くのだ。なんと可愛らしく、なんと見る目のある娘たちだろう。ここまで必要とされては置いていく私まで寂しくなるけれど、そのぶん帰ったときは四人まとめて抱き締めればよい。

 

ついでに土産も四人分。母の偉大さとは、留守にしている間も増していくものなのだ。

四人を順に抱き、柔らかな頬へ口づけた。

 

「お母様は少し出かけてくるわ。いい子で待っていなさい。四人分のお土産を買ってくるから」

 

泣き声がいっそう大きくなり、着物を掴む指にも力が入った。困った娘たちね。そんなにお母様が好きなら、なおさら立派なお土産を持って帰らなければならないではないの。

 

「心配しないで。お母様は天下無敵よ。どんな鬼でも夕餉の前には斬って――」

 

「夕刻までに港へ着けという任務だぞ」

 

うん。今日も鱗滝家は賑やかで、たいへん結構。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

港町へ着いた頃には、空の青が海の向こうから夜へ沈み始めていた。

 

潮の匂いより先に、焼けた醤油と砂糖の甘さが鼻へ飛び込んでくる。

大通りの上では提灯が赤い川のように揺れ、揃いの法被を着た男たちが神輿を担ぎ、笛と太鼓が人々の声まで巻き込んで腹へ響いていた。

 

強大な鬼が潜む町には見えない。

 

「さっくん、見て。烏賊が丸ごと焼かれているわ。あちらは蛸よ。海辺の祭りは豪勢ねえ」

 

「遊びに来たのではない。まず倉庫街へ向かうぞ」

 

「分かっているわよ。だから聞き込みをするの。あの屋台は通りの入口にあるでしょう。一日中ここを見ていた店主なら、町の異変にも気づいているわ」

 

「理屈は分かった。なぜ三本も指を立てている?」

 

「何も買わずに話だけ聞くのは失礼でしょう。私が二本、さっくんが一本よ。いらないなら、責任を持って私が三本とも食べるわ」

 

さっくんの手が緩んだ隙に屋台へ入った。烏賊焼きを受け取り、代金を渡すついでのように、最近おかしな老人を見なかったかと尋ねる。

 

祭りの三日前から、港の倉庫へ入った者が何人も戻っていない。夜の路地で子どものように小柄な老人を見た者がおり、声をかけると「儂は悪くない」と泣きながら逃げたという。

 

間違いなく半天狗である。

 

ただ、居場所を絞るには人が多すぎた。酒、汗、魚、炭、海水。

半天狗がこの夜を選んだことだけは褒めてやってよい。

まあ、褒美は首を斬るまで少し待ってもらうけれど。

 

「相手が町にいることは確かね。次は協力者から新しい情報をもらいましょう」

 

烏賊を頬張りながら大通りの先を指すと、さっくんはそこにある加須底羅の看板を見て、顔をこちらへ向けた。

 

「協力者ではなく、菓子が目的ではないのか」

 

「二つを一度に済ませるから、私はできる女なのよ」

 

甘雷の屋台は、客よりも堅気に見えない男たちに囲まれていた。

場所代だの縄張りだのと互いの肩を押し合い、その真ん中で甘雷の分身だけが何事もない顔で菓子を焼いている。

血みどろの抗争と聞いて急いできたのに、誰の血も流れていなかった。少し拍子抜けである。

 

「甘雷、助太刀に来たわ!」

 

「遅い。話はもうついた」

 

売り上げの一部を祭りの警備費として納める代わりに、余計な場所代は取らない。双方の顔が立つようまとめたらしい。それでも男たちが揉めているのは、誰が最初に提案したことにするかで争っているからだという。

 

「全部、私が考えたことにすれば丸く収まるのに」

 

「それで丸く収まるのは、お前の頭の中だけだ」

 

甘雷は屋台の下から、加須底羅の詰まった箱を出した。

頼んだとおり一箱。几帳面に並んだ黄金色の菓子が、私を待っていた。

 

「よく守ったわ。代金は半天狗から取り立てて」

 

「まずお前が払え」

 

「鬼同士で銭の話なんて、水臭いことを言わないの」

 

「貸すとも、やるとも言っていない」

 

私と甘雷の間へ、さっくんの手が伸びた。無言で銭を置いてくれる。

 

「さっくん、あなたは本当に頼れる夫ね。甘雷、夫から妻への贈り物になったから、包みに赤い飾り紐をつけて頂戴」

 

「今、必要なのか?」

 

「気分が違うでしょう」

 

甘雷は私とさっくんを見比べ、何かを諦めた顔で紐を結んだ。

 

加須底羅は指で押せば沈むほど柔らかく、口へ入れれば卵と砂糖の甘みがほどけた。烏賊焼きの塩気が残っているせいで、もう一つ食べたくなる。そこへ酒があれば、なおよい。

 

ちょうど隣の屋台に徳利が並んでいた。

 

気づけば私の右手には烏賊焼き、左手には酒があり、加須底羅の箱はさっくんが持っている。これぞ夫婦の分業だった。

 

「颯。俺は荷物持ちではないぞ」

 

「家族の荷物を持つ優しい夫よ。ほら、花火が始まるわ!」

 

光の筋が夜空を駆け上がり、腹へ届く轟音とともに大輪の火花が開いた。赤、青、金。海にも光が映り、波が揺れるたびに細かく砕ける。人々の歓声へ負けないよう、私も徳利を掲げて「たまや」と声を張った。

 

文学を気取る者なら、花火の儚さを人生になぞらえるのかもしれない。私に言わせれば、派手で綺麗で酒が進む。それで十分である。

 

「ああ、美味しい。甘雷の店から奪ってきた加須底羅も、酒の当てに最高だわ」

 

「俺が買った。奪ってはいない」

 

「お金を出したのはさっくんでしょう。私から見れば、ほとんど奪ったようなものよ」

 

「夫婦の銭は二人の銭だと、普段から言っているのはお前だ。それなら、お前が払ったのと同じだろう」

 

「祭りの夜に細かい理屈を言う男は嫌われるわよ」

 

「それより、はしゃぎすぎるな。この町には上弦が潜んでいるかもしれないんだぞ」

 

「大丈夫よ。上弦ほどの鬼が本気で隠れれば、すぐには見つからないわ」

 

弥太郎がいないことに気づいた。人の波を戻って探すと、神社へ続く石段の端に見慣れた羽織が転がっている。

 

弥太郎は石段へ片腕を敷き、太鼓にも花火にも負けず、見事な寝息を立てていた。子どもが横を駆け上がっても、酔客が笑いながら跨いでも起きない。

睡柱というより、路傍の眠り石である。朝まで置いておけば、御利益があると思われて賽銭が積まれるかもしれない。

 

鼻先へ烏賊焼きを近づけた。鼻だけが匂いを追って動く。食欲より睡眠欲が勝つとは、私には理解しがたい生き物だった。

 

「遊んでいないで起こしてください。弥太郎、私たちは鬼を探しに来たのですよ!」

 

千草に肩を揺すられ、弥太郎はようやく片目を開いた。寝ていたのではなく、眠っていると思わせて鬼が近づくのを待っていたのだと言う。祭りの石段で寝ている男を罠だとも思わず襲う鬼がいるなら、半天狗より頭が悪い。

 

千草に腕を引かれて立った弥太郎は、そのまま彼女の肩へ額を預け、また目を閉じた。

 

「今は私を枕にしないで!!」

 

「石より柔らかい」

 

「そんなことを言えば許すと思ってるの」

 

「許さないのか?」

 

千草は頬を赤くしながら、結局は振り落とさなかった。菖蒲に噛まれたときはあれほど騒いだのに、弥太郎には何をされても最後には甘い。これでは腹に子ができる日も遠くない。

 

「千草。来年の祭りには、あんたも赤子を背負っているかもしれないわね。育児仲間ができれば、乳が足りないときに――」

 

「まだ諦めていなかったんですか!!」

 

周りの者が一斉に振り返った。さっくんは他人のふりをしたそうにしている。

 

「今日は宿へ入るぞ。これほど人が多くては鬼も動かん。祭りが引けてから調べる」

 

「賛成。足も疲れたし、お腹も満ちたわ。宿に温泉はあるの?」

 

「任務先だぞ」

 

「任務先に湯があるなら、入らないほうが湯を掘った人と大地に失礼でしょう」

 

千草が一瞬感心しかけ、さっくんに睨まれて口をつぐんだ。

人々は鬼の噂など今夜だけ棚へ上げたように笑い、杯を交わし、頭上の花火を見上げている。よい心がけだ。鬼を怖がって祭りを縮めるなど、半天狗を喜ばせるだけである。

 

半天狗も、この人波のどこかに身を縮めているのだろう。

あの爺さんは卑怯で、臆病で、救いようのない愚物である。

 

それでも、自分の逃げ場所へ火をつけるほど愚かではない。いくら半天狗でも、そこまで盛大な馬鹿ではないでしょう。

 

そう決めて、私は宿で残りの加須底羅を何個食べるか考え始めた。

 

まさか、私が馬鹿の底を浅く見積もっていたとは。このときは、さすがの天才にも分からなかったのである。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

宿は港を見下ろす高台にあり、部屋へ入っても遠い祭り囃子が床をかすかに震わせていた。祭りの夜で客室は埋まり、鬼殺隊が確保できたのは奥の大部屋一つだけだった。

 

「昨夜は同じ部屋だったでしょう」

 

「なぜ、お姉様が知っているんですか!」

 

「床板が教えてくれたのよ」

 

「帰ったら、あの家の床板を全部張り替えますからね!」

 

弥太郎は言い争いへ加わらず、部屋の隅に積まれた座布団を見ていた。もう寝床を決めた顔である。

 

さっくんは荷を下ろすと、すぐ日輪刀を膝へ置いた。祭りを歩いている間も真面目な顔を崩さなかったけれど、部屋へ入るとますます近寄りがたい顔になった。

せっかくの祭りなのだから、もう少し楽しめばよいのに。夫婦で花火を見たというだけでも、立派な任務の思い出ではないか。

 

「颯。お前も刀を確かめろ。夜半には港へ出る」

 

「少し休んでからにしましょうよ。祭りの間、ずっと歩いて疲れたわ」

 

「食べ物の屋台から屋台へ歩いただけだろう」

 

「屋台の間にも道はあるのよ。全部合わせれば、かなりの距離になるわ」

 

帯を緩めて布団へ転がると、腹の中で烏賊と菓子と酒が心地よい重さになって沈んだ。四つ子に乳を吸われず横になれるだけで、布団が高級品に思える。窓から入る夜風も涼しく、遠い太鼓は子守唄にちょうどよかった。

 

「ああ、よく食べて、よく飲んだわ。明日は手早く爺さんを見つけて、さっくんに首を斬らせ、温泉へ入ってから帰りましょう」

 

鼻の奥へ、祭りの屋台とは違う匂いが入った。

 

烏賊を焼く醤油でも、加須底羅を焼く甘い匂いでもない。もっと乾いていて、喉へ絡む。焦げ臭い。

 

「ねえ、さっくん。何か焦げていない? 私、烏賊は残していないわよ」

 

「全員、起きろ」

 

その一声で弥太郎の寝息が消え、千草が屏風を押し退けて出てきた。さっくんが障子を開けるより早く、向こう側の赤い光が紙いっぱいに広がる。

 

花火ではない。

 

空へ咲いて消える光ではなく、地上へ居座り、夜を赤く染める炎だった。

 

障子が開いた途端、焦げ臭い風が部屋へなだれ込んだ。遠くで半鐘がけたたましく鳴り、祭り囃子に代わって人々の叫びが高台まで届く。

 

港が燃えている。

 

しかも一か所ではない。倉庫街の端から端まで一斉に炎が上がり、海風に煽られて隣の屋根へ飛び移っていた。

 

「まあ……あの爺さん、本当に自分の隠れ場所へ火をつけたの?」

 




明治コソコソ噂話。

颯は四つ子の泣き声を完璧に聞き分けられます。

雫は甲高く、燐は途中で息を継ぎ、菖蒲は怒るように泣き、桐は姉たちへ対抗して声を大きくするのだとか。

ちなみに左近次も、密かに聞き分ける練習をしています。

ただし颯に尋ねられると、

「父親なら当然だ」

と、最初から分かっていた顔をするそうです。
夫婦そろって、妙なところで見栄っ張りですね。
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