茜色の空。遠い河川敷の思い出。
かけがえのない、ただそれだけの思い出。

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第1話

Xの『#REALITY文芸部』への投稿作品です。

テーマ:『繋がり』

制限:文字数3000字以下

 

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 昔から、ふとした時に河川敷の自転車道へ行きたくなることがあった。

 今日はまさにそんな日だ。

 

 高校生の頃、わざわざ河川敷へと遠回りをして、いつも遅刻ギリギリで教室に転がり込んでいたのが懐かしい。

 

「……はぁ」

 

 暗くなり始めた河川敷の自転車道を、点滅させたライトの光がチカチカと照らす。

 

 涼しい風が体を撫でる中、最近油をさすのを怠ったツケか、チェーンがキュラキュラと不満をこぼしていた。

 

「うるさいなぁ……」

 

 言いながら、これで何度目かと思い返してみる。今日だけで4度目だった。

 

「帰ったら油あげなきゃ」

 

 これも何度目だったか。帰るまではやろうと思っているのに、帰って自転車を降りてしまえば途端に億劫になって、結局明日の自分に任せるのだ。

 そうしていつも過去の自分を恨み、きっとまた明日の自分に恨まれる。

 

 それも、いつものことだった。

 

「ちゃんとメンテナンスしようとする分、お前は真面目だよ」

 

 並走しているタツヤが、いつもの陽気な調子で言った。

 

「俺なんて入学んときに買ってからさ、一回もやってねーもん。そんなの」

 

 その言に違わず、タツヤの自転車はキュラキュラどころではない怪音を発していた。おまけにブレーキのたびによく騒ぐ。

 最近ではすっかり慣れてしまったものの、母のヒステリックな声を連想させる高い音が、私は随分と苦手としていた。

 本当に、よく慣れたものだと思う。

 

「タツヤはさ、進学しないんだっけ?」

「あん?」

「大学」

「あ~~……多分? 親父がその方が良いって、なんかやたら言ってくんだよ。まあ、俺の頭じゃ無理だしさ、これ以上お勉強はしたくないし」

 

 タツヤはわざとらしく肩をすくめる。そうして、私に話を振らずに終わりにした。

 私がその話題で母と揉めていることを知っているのだ。

 その気遣いに、少し心が穏やかになる。

 

 そうして私たちはいくらかの愚痴を吐き出しながら、目的地に到着した。

 

 そこは川と川の間を通る自転車道で、空が茜色に染まるこの時間になると、ほとんど人が通らない場所だった。

 

 はるか前方には、キラキラと瞬く糸が川を横断するように架かっている。

 優しい風が、あれらキラキラのひとつひとつが、橋を渡る車のヘッドライトなのだと教えてくれる。運ばれてきたエンジン音は、どこか遠い夢の中みたいに曖昧で、聞いている私の意識すら薄ぼんやりとさせる。

 

 自転車のライトを切って、自転車道脇の草むらへと横たえる。

 カバンを放り投げて、私も大の字に寝転んだ。

 

「う~~ん————はぁ」

 

 ぼんやりと、山向こうの残照を眺めていた。

 川を挟んで広がる街並みと、さらに彼方の紺色になった山々。この風景が好きだった。

 耳をすませば、街の息遣いともいうべき営みの気配が聞こえてくる。

 

 孤独だ。とても心地いい、孤独。

 とても自由で、とても優しい時間。

 

 例え私がこのままこの下り坂を転がって、目の前の川へと落ちていったとする。

 そうして自分を終わらせようとしても、きっと誰も気づけない。きっと誰も止められない。

 

 そんな、これ以上ない開放された孤独があった。

 色々な煩わしいあれこれが、ここではずっと遠い場所の、知らない出来事だった。

 

「…………」

 

 存在は感じるのに、決して当事者にはならない緩やかな繋がり。このくらいの世間からの距離感が、たまらなく私を安心させる。

 

 家に帰れば朝の続きだ。キッと見開かれた目と、興奮に青ざめた顔が私を迎えるだろう。

 わかってる。私は母の娘なんだ。学歴に無念を抱える母の、ある種第二の人生が私なんだ。自分の人生の復讐に使うのに、私ほど都合の良いものもない。

 

 けどもう、そういうのにはウンザリだった。

 

「————————」

 

 思考は沈潜する。

 

  すべてが他人事に薄らいでゆく。

 

   もう夕陽すら完全に山に呑まれて、私を忘れてくれている。

 

    "私"すらも薄らいで、溶け消えていくようで……それがたまらなく心地よかった。

 

「なあ、ちょいちょい」

 

 沈み込んで行く私の意識は、タツヤの声に引き戻された。

 

 もうすっかり辺りは暗くなっていた。

 月白色の空の孔が、こんなにもクッキリと見つめてくる。

 つまり、もう帰らないといけない時間だった。

 

 そんな事実が、少しだけ私の呼吸を息苦しくさせるのが分かった。

 帰らなきゃ、いけない。

 

「————なに?」

 

 見れば、タツヤは勝手に私のカバンからノートを出して、その内容を自分のノートに写しているようだった。暗いのによくやるなぁなんて感想が、ぼんやりした頭に浮かぶ。こんなことにいちいち目くじらを立てる仲ではないつもりだったし、そう思ってくれているんだと確認できたようで、実は安堵すら覚えたくらいだ。

 

「暗くなってきたからさ、ちょっと照らしてくんね? 俺スマホ充電ないからさ」

「授業中に隠れてゲームしてるからじゃん」

「いや、今イベントなんだって。クランに迷惑かけられないじゃん?」

「でもさ……時間」

 

 今から帰っても怒られるだろう。

 母は『門限は守って当然。むしろ門限近くまで帰って来ないことは、自身に対する不満の表明であり、挑戦と受け取る』という姿勢を貫いている。

 それで更に遅れたとなると、たぶん家の外でこれ見よがしに待っていることだろう。『こんなに心配させられ、手間をかけさせられました』と言うための、母の常套手段だった。

 

 もうすでに、頭の中で母との格闘に思いを馳せている自分が嫌になる。

 ああ言われたらこう言おう。こう言われたら嫌だな。そんなのばかりが、面白いように浮かんでいた。

 

 だから、タツヤの言葉は完全に不意打ちだったのだ。

 

「帰りは送るからさ。おばさんには、俺がどうしても勉強の相談をしたかったって言うから。だから、まあいいじゃん! もうちょっと……さ」

 

 その、あまり聞いたことのない揺らぎのこもった声。

 なんでか私もポカンとして、タツヤの顔に見入っていた。

 表情は暗くて分からない。それはきっとタツヤもで、私は不思議とそのことにホッとした。

 

「うん——しゃあないなぁ!」

「痛ってぇ、今くちびる引っ掻いたって! 顔だからそこ!」

 

 言いながら、タツヤはいつもみたいに笑ってた。

 私もたくさん笑ってた。

 

 もう母の姿は浮かばなかった。

 ただ楽しくて、守ろうとしてくれたのが誇らしかった。

 

 思えば、そのときに漠然とこうなることは分かってたのだろう。

 今も隣で、同じ苗字で笑い合える日常の狭間、茜色の空を見るとふと思い出す。

 

 そんな、ただそれだけの思い出だった。


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