もし八雲紫が現代入りし、幻想郷も義務もすべて失い完全に自由になったら。
最悪現代の境界が乱れ現代異変が起きたであろう。
しかし、何も起きなかった、ただそれだけの話である。
同じ世界感のスピンオフ書きましたどうぞ
https://syosetu.org/novel/398002/
粗削りですがどうぞ。
彼が見つけたのは、路地裏に転がっている女だった。
気絶している、というより、世界から一時的に切り離されたような眠り方をしていた。
目を覚ました女は、自分の名を
八雲紫
だと名乗った。
幻想郷には帰れないと言った。
能力は残っている。だが、隙間が繋がらない。
「自分で切ったのよ、というより私は、コピーみたいなものねと言っても偽物でもなく、ぶれた境界の別れた半分位置座標以外は同一存在ね、もう一人の私は気づかず今も幻想郷にいるのでしょうね」
そう言われても、彼には理由が分からなかった。
そして――分からないままでいいと思った。
「幻想郷って錘がない八雲紫ってやつを、自分で想像してみ」
紫は一瞬、言葉を失った。
「……割と最低ね」
「だろ?」
軽口だった。だが、冗談ではなかった。
彼は続ける。
「あんたは今、気分は幻想郷の賢者のままだ。
だから実感なく、そのプライドを杖に立ってる」
紫は反論しなかった。
「でもその杖、砂上の楼閣だぞ。
それが崩れた時、どれだけ下振れる?」
一拍置いて、彼は言った。
「上振れて愉快犯ならまだマシだ。
最悪のケースを考えてみろ」
紫は視線を逸らした。
「……下劣な存在には、なりたくないわね」
「正直、そう言ってくれるだけで救いだ」
それは評価でも説教でもなかった。
彼はただ、現状を並べただけだった。
「もし、そうなったら……あなたはどうするの?」
紫が問う。
「そうならないようにするしかないだろ。
それって“車に轢かれたらどうする?”って聞いてるのと同じだ」
淡々と、彼は言う。
「怪我するか、死ぬかだ。
この世界に博麗霊夢はいない。忘れるな」
紫は黙り込んだ。
「……あなた、怖くないの?」
「正直、受け止めきれてない」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「でもな、俺、東方好きなんだよ。幻想郷が好きなんだ」
紫を見ないまま。
「あんたじゃなくて、“八雲紫ってキャラクター”が好きな自分に、嘘はつけない」
「八雲紫は、私よ?」
「キャラとあんたを同一視しろって?
バカにすんな」
言葉は荒いが、視線は逸らさなかった。
「俺が好きな八雲紫なら、画面の向こうで不敵に笑っててくれ」
紫は、ふっと笑った。
「ひどいわね」
「じゃあ、私は誰なのかしら?」
「八雲紫だよ。ただ――
俺が好きなキャラクターじゃないだけだ」
それは拒絶ではなかった。
取り扱いを間違えないための線引きだった。
「妖怪は伝承や伝説で語られる存在だろ。
そういう扱いを今さら拒む存在じゃない」
彼は言う。
「あんた風に言うと、境界を引いただけだ」
紫は目を細めた。
「取り扱いって……危険物みたいに」
「危険物だよ」
即答だった。
「ちなみに、この境界をいじって曖昧にしたら、損するのはあんただ」
紫が首を傾げる。
「俺は、あんたをキャラクターだと認識した瞬間、
下卑た欲望をぶちまける自信がある」
「あら、バレちゃった」
紫は笑った。
怒りも嫌悪もなかった。
「あなた、私のことよく知ってるのね」
彼は少し驚いた顔をした。
「……あんた、俺の好意を悪くないとは思ってるな」
「さとり妖怪か何か?
本当にやりづらい人ね、あなた」
「理想論で言えば、俺が錘になることだ」
彼は言葉を整理するように続ける。
「でも無理だ。
幻想郷の代わりにも、
ブレーキの代わりにもなれない」
紫の前で、遠慮なく言う。
「情に絡めて縛れ?
この何百年生きてるかわからない妖怪ババ――」
「誰がババァよ!」
怒鳴られたが、目は笑っていた。
「そのババァの胸元とか足とか、
どこのどいつが見てるのかしら?」
「視線は気にするな。
見た目は100%キャラクター以上だ。どうしようもない」
紫は、呆れたように息を吐いた。
「……それでも、一緒にいる理由はあるわね」
「俺には、その妥協の理由が分からないのが不安だ」
「乙女心までは分からないのね」
「乙女(笑)」
「怒るわよ?」
それから数か月後。
紫はジャージ姿で、床に座り、ポテトチップスを食べながらテレビを見ていた。
「そういや、こいつ自堕落な一面もあったな」
「そこの雑誌、取って」
隙間は使わなかった。
「幻想郷作ってから、働きづめだったし。
百年くらい遊んでも許されるわよね、私」
「俺、あと八十年も生きねぇけどな」
「それはどうかしら」
「……おい、俺に何した」
「何もしてないわよ。まだ」
「畏れとかはいいのか」
彼が聞くと、紫はテレビを見たまま答えた。
現代には、ゲームがある。
漫画がある。
二次創作がある。
少しでも恐ろしいと思われた瞬間、感情は集まる。
一人一人は薄くても、幻想郷の何百倍もの人口だ。
「いちいち事件なんて起こす気、なくなるわよ」
世界は壊れなかった。
娯楽が勝った。
例大祭の日。
紫は八雲紫のコスプレで会場に立っていた。
理想的な紫が、無数にいた。
「あなたみたいなの、たくさんいたわ」
「あなたより凄そうな人も、たくさん」
少し間を置いて、紫は言った。
「でも――私は、あなたがいいわ」
彼は何も成し遂げていない。
幻想郷の錘にもなれず、
博麗霊夢のブレーキにもなれなかった。
ただ、踏み込まず、
嘘偽りなく吐き出されても、
それを不愉快にさせなかった。
その結果、
八雲紫は、八雲紫のままでいられた。
彼は世界の隣には立てなかった。
だが、少女の隣には立てた。
それで、よかった。
この話は幻想郷の賢者の幻想郷という錘のかわりにも、博麗霊夢というブレーキの代わりにもなれなかったけど、八雲紫という少女の隣に居る男になれたって話です