光が濃ければ闇は深まる。
ましてや英雄。其は刹那のような人生に栄光と没落を走り抜ける人生であれば。どのような大人物、どのような大偉人であろうとも、表に対する裏が生まれる。
……人は感情の生き物だ。
どれだけ崇高な精神、高尚な志を持っていたとしても、その道のりが激しければ激しいほど挫折は生まれる。純粋な心は救い難い現実を前に歪んでいく。
人である以上──昏い本音は隠せない。
そう──それがどのような存在であれ、
× × ×
「はは──」
身体が軽い。
「はははは──」
空気が旨い。
「はははははは──」
雁字搦めだった心がひたすらに清々しい。
「はははははははははははははッ!!」
自由──とは、これほどまでに軽快なものだったかと。心の底からの実感に、忠節の騎士だったものは思わず高らかに哄笑を謳いあげる。
「忠義、節度、誓い──騎士としての精神……ハッ! なんとも俺はつまらないことに固執していたものよ! 本音を晒し、衝動のままに行動することがこれほどまでに心軽やかなものなど思いもしなかった! そうだ、俺は……俺はずっとこうしたかったのだ!!」
「ぐっ……!」
交差する槍と剣。力のままに、衝動のままに叩きつけられた二連撃を受けてセイバーの眼前で火花が散る。その強烈な攻撃を前にして、セイバーは聖剣を盾にしつつ、衝撃を後ろへと逃がすようにして一歩引いて攻撃を受け流した。
咄嗟の判断と火事場での冷静な技術。それは正しく最優の英霊として相応しい立ち居振る舞い。誉も名高き円卓の騎士王。アーサー・ペンドラゴンが有する卓越性の証明だった。
だが──。
「下らない罪悪感で本音を秘し、自らを律したところで待っていたのは過去の因縁からの報復だった! 所詮、どれだけ尽くしたところで一度壊れたモノは二度と戻らぬ。ならばいっそ、初めからこうするべきだったのだ!」
受けるだけでは敵は倒せない。反撃に身構えるセイバーだったが、直前に居た筈の敵は既に消え、夜の闇に木霊する声だけが敵の存在を伝えている。
一撃入れての離脱──敵の行う攻勢はそんな単純極まるもの。
しかし対する敵としての脅威性はその作戦そのものではなく……不意に殺気、直感が首筋に迫る脅威に反応する。
「……上かっ!」
セイバーが横に素早くステップを踏む。同時にセイバーから見て頭上、斜め後ろに角度を付けながら、背の高い木を蹴って直線跳びランサーが迫る。振り上げているのはクラスに似つかない一本の剣。
それをセイバーの首に目掛けて振り下ろしてくる。
「流石の反応だな! 騎士王よ!」
「──はぁああ!!」
直前に回避行動を取られたことで殺意は虚空を斬る。痛恨の出来事にも関わらず、躱されたランサーの方は鮮やかな笑みを浮かべていた。
依然と変わらぬ、伊達男のような涼やかな笑みを。
だがセイバーの側にそれに応じるつもりは欠片も見られない。単に敵対する相手との死地であるから──というわけではない。
鋭いというよりも厳しいその眼差しは糾弾のそれだ。不倶戴天の敵意というよりも咎める様な勢いでセイバーは気合と共に地に降りて来たランサーに聖剣を振り下ろす。
「……ふふん、堅いな」
「く……!」
苦笑するような言葉共にランサーが地を蹴る。袈裟切りに落ちてくる聖剣が自身に到達するよりも先にスタートした彼は、そのまま適当な木まで一気に跳躍すると、さながら猿のような軽快な身のこなしで次々に木々を蹴飛ばし、夜闇に紛れて気配と姿を眩ました。
「また……!」
──そう、セイバーが防戦一方を強いられるのは変わり果てたこの
しかし今のランサーの振る舞いはそれとは大きく異なる──否、根本的にものが違う。明らかに向上したと思われる俊敏性……いや跳躍力。明らかに常軌を逸した身体能力を武器として三次元的な動きでセイバーを翻弄しているのだ。
騎士というよりは戦士。戦場で身に付けた自身を最大限生かすような我流。騎士としての正統性から大きく外れながらも、強さを失わぬ独特の動き。
決してこれは一朝一夕のものなどではない。
いうなればランサー──彼が持つ、個性とも言える強み。
ディルムッド・オディナ──聖杯からの知識を有するセイバーの脳裏に、かの騎士の一節が想起する。
“主の憤激を買い、
「そうか……! その身のこなしは貴公が騎士を追われた時の……!」
「はは……詩吟の言葉にはそのように残されていたようだな! だが、別に騎士であった頃には出来なかったわけではないぞ? この場合は単純に得物の違いさ──我が剣の一振り、育ての親である神マナナンより遣わされた『
「成程……槍とは異なり、殺傷能力ではなく自身を高める宝具ですか」
「そうだ……そして覚えておくといい、騎士の王よ。このディルムッド・オディナ。死地に際しては『
「……最強にして最高、だと? 抜かせ、その狂態で何が最強、何が最高か! この程度、技の巧さも隙の無さも以前の貴方に比べれば堕したも同然! 獣の衝動に突き動かされるだけの力任せ、脅威であるものか!」
言いながらセイバーは三度闇に紛れて強襲してきたランサーの一撃を撃墜しながら、離れ様のランサー目掛けて果敢に一歩踏み込み、通り過ぎる姿に追撃を打ち込む。
攻勢は、聖剣が掠るに留まったが、同時に三度目の交錯にしてセイバーがランサーの動きに合わせて来た証明でもある。
これまで防戦一方でありながらも無傷を堅持したセイバーと、浅手とはいえ反撃を受けたランサー。
セイバーの言葉は決して虚勢などではない。
彼女は武器を打ち合わせるたび確実にランサーを追い詰めている。
「……ふむ、確かに。いや俺としたことが開放感に酔い過ぎていたかもしれんな」
浅く斬りつけられた肩から投げれ出る出血を見ながら、ランサーは木の枝に着地して苦笑する。駆け引きも無く衝動のままにぶつかっていったが勢いだけで倒し切れるほど騎士王は甘くない。
茹った頭が僅かに冷静さを取り戻す。
尤もそれは正気を意味するものではない……或いは“今の状態”の平常心を彼の正気と置くならば、正気に戻ったといえなくもないか。
「嗚呼! ランサー、傷を……! すぐに直して差し上げます!」
立ち止まったランサーの怪我を見て、
浅い傷はそれで忽ち塞がり、ランサーは万全の状態へと立ち戻る。
「フッ、心配しなくてもこの程度の傷は問題ないさ、
「無理はしなくてもいいのよランサー。私は貴方が無事ならそれだけで満足なのですから。勝利の喜びなんかよりも貴方の無事の方がよっぽど大事なのよ」
「はは、心配性だな君は。受け賜った。ならば俺は傷つかず、心配させず、完璧な形で勝利することを約束しよう。聖杯を手に入れ、一人の男として生まれ直すことで君と愛し合うために、ね」
「まあ、そんな……ああ、ランサー……!」
「…………」
何処か酔いしれる様な二人の会話を苦虫を噛み潰したかのように無言でセイバーは睨ん見つけていた。
セイバーの知るランサーは港湾区での決闘に際して、騎士として主に聖杯を捧げるべく戦うと宣した。征服王の勧誘を受けて尚、忠節の騎士はその姿勢を堅持した。
……恋人と真に愛し合うために受肉する?
……そのために聖杯を勝ち取るだと?
あり得ない。あってはならない。
個人の願いを重いか軽いかで否定する権利なぞセイバーにはないし、そんなことをするつもりなど欠片も無いが、彼の言動はあまりにも聞くに堪えない。
あの貌、あの姿で発言を繰り返すたび、今まで見て来たディルムッド・オディナという騎士が穢されていくようでセイバーは許し難いと感じた。
「本当に……一体貴方に──何があったというのだ……! ランサー!」
一度は噛み砕いた疑問をランサーへと問いただす。
もはや問わざるを得ない。
今までの彼とあまりにも乖離した精神性とその振舞い、英霊としての能力まで変じたという有様はただ単に狂っただとか、正気を失っただとかそういう次元ではない。
もっと根本的な──存在として歪まされたような、より深い部分での変調であるとしか思えない。
その指弾を受けてランサーは、軽く肩を竦めると、
「
「……何?」
交戦中に嘯いた軽口をもう一度、口にした。
「堅い、堅い……堅すぎるぞ。セイバーよ! ……ああ、そうか。俺もきっと周りからそのように見えていたのだろうな」
「なにを……」
不明瞭な言葉に困惑するセイバー。
だがランサーは苦笑を浮かべながら勝手知ったるかとばかりに言葉を並べていく。
「セイバー、セイバーよ、君は今の俺を狂ったように見ているが……それは勘違いというものなのだよ。俺は狂ったのではなく──悟ったのだ」
「悟った?」
「そう! 悟ったのだ! 騎士道精神などと──そんなまやかしに盲いていた頃こそ狂っていた! そのことにようやく気付いたのさ!」
「馬鹿な! 騎士としての誉すら否定するなどと……貴方はそこまで堕ちてしまったというのか、ランサー!」
「否! 貴方こそ、いつまでそのような愚かな戯言を口にするのだセイバーよ! 所詮、騎士道などとはまやかしであると──他ならぬ誰よりも貴女こそが知っているだろう! セイバー……いいや、アーサー王よ!」
「何だと……?」
間違っているというセイバーの糾弾に対して、差し返すランサーの言葉に思わずセイバーは瞠目する。
正気とは思わぬ中に混じる、感情的な憤り。
狂している中に垣間見るランサーの本音を感じ取って鼻白む。
黙り込んだセイバーに対してランサーは昏い本音をむき出しにした。
「例えどれだけ尽くしたところで、それを相手が報いてくれるとは限らない。かつて俺は自らの罪を悔い、その行いを恥じ、後悔を注ごうと無心で主に尽くし、その果てに裏切られて殺された……因果応報、当然だな」
自嘲するような笑み。
主の応報、それをランサーは当然ことと認めている。
「だからこそ──だからこそ、我が罪を背負い、認め、今度こそ、今度こそと自らを務めて律し、騎士としての自らの道を貫こうとした……だが、だが!」
語気が強まる。燃える様な激情がランサーに宿る。
「だが! 罪は俺を逃しは無かった! どれだけ騎士道に忠実にあろうとしても過去の罪が、我が誉への傷が! 俺を不信の檻から解放することは無かったのだ!」
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは遂にランサーを認めなかった。不忠の騎士、いずれ裏切る不貞の存在と終始一貫して扱い、そのままに死んだ。
二度目の命──過去の清算をと望んだ戦でさえ、自らの過去を再演して終わったのだ。
……一度、道を踏み外したらもう二度と其処へは戻れない。
ならば──そんなものに拘って、何の意味があるという?
もう其処へと戻れぬならば……そこに固執する意味など果たしてあるのか?
「騎士王の円卓ですら、滅んだ!」
「ッ!!!」
「女王と最側近の騎士の不貞! 騎士間の不和! そして裏切りに反乱! 貴女とて知っているだろう! 所詮、騎士道を謳う者などその程度! その程度の綺麗ごとに、心を重く縛られる方が馬鹿馬鹿しい!」
騎士道に殉じよ、忠実たれ──綺麗ごとは何処まで言っても綺麗ごとだ。
理想が決して実現しないように、人間が人間である限り踏み外さずに行けるものなど存在しない。誰だって瑕疵はあるものだ。
そして……騎士道が一度の瑕疵すら認めぬ道なら。
果たしてそれは誰が歩けよう、歩けない道にどんな価値が宿ろうか。
「貴女ですら、そうなのだろう? 間違えたから、誤ったからこそ聖杯を求めて彷徨っているのだろう!」
「……っ、違う! わ……私は……!」
「ブリテンは滅んだ!」
「ッ!!!!」
「騎士とは、人を護るものだろう……なあ
「…………ぁ」
──脳裏に洛陽が再生される。
沈む太陽、地に穢れた黄昏。
幾万と積み重なる死体の山と、兵どもが夢の後。
絢爛たる騎士たちの屍の上、一人、孤独にむせび泣く少女の姿。
“私は、こんな結末を望んでいなかった──!”
「騎士道など所詮は夢物語のまやかしに過ぎない。誰も歩けない道に固執するなど不毛だ。そんなものに囚われるなど、それこそ愚か者だろう!」
決して届かぬ理想に手を伸ばすなど無意味だ。
そうすることで叶うことなど絶望を積み上げることだけだ。
「故に俺はもうそんなものには囚われない! 心のままに、自らの衝動のままに振舞うと決めたのさ! そうだ! 聖杯の祝福が、俺を気づかせてくれた! 届かぬ理想に、掴めぬ夢想に、手を伸ばすことなど無意味だとなァ!」
歪み果てた騎士が激情のままに剣と槍を構える。セイバーの真正面、斜め頭上から角度を付けながらの突進は先ほどよりも伸びもキレも遥かに鋭い。
足場とした木の幹を粉砕する勢いで飛び出したランサーの三次元的な機動は、単純比較して先の五倍。今までの対応では受け止め切れないものである。
無防備に受けてはひとたまりもない突撃──にも拘らず、セイバーは無防備なままだ。此処に来て同じ騎士に、叩きつけられた絶望が、かつて自らが抱いた絶望を想起させ、立ち直る猶予を与えない。
剣よりも槍よりも、鋭く心を抉った言葉の方が彼女にとっては致命的だ。
だって……その絶望に返す言葉を、彼女だってまだ知らないのだから──。
故に──。
「はははは! 分かっとらんのぅ……容易に届かぬからこそ、掴めぬからこそ、人は焦がれ、求め、其処を目指すのではないか! 無意味などと、そんなわけなかろう!」
鳴り響くは闇を打ち払う輝き。
響き渡る大笑。
絶望を蹂躙するようにして、豪放磊落な大王が戦場を征服した。