……ヒュウウと風音が鳴り響く夜の繁華街。そこには、オレンジ髪の女性と狭霧と買い物袋を持った陽葵の目の前に、大柄な男が正座していた
「……すぅーっ。あの、違うんだよ陽葵……。」
「……何が?」
「いや、ちょっとストレス発散がてら来ただけで……。」
「パチンコ店に?」
「……。」
「金次君?……答えてくれる?」
そんな陽葵の目の前で正座している人物は、都立呪術高専一年生の秤金次。つまり、湯煙高校では無く本来陽葵が高専に通っていれば同級生となる人物である……。何故そんな2人が対面しているかは、数時間前に遡る……
累に数多の写真を撮られながらも呑子のデッサンモデルが一段落ついた陽葵は、ゆらぎ荘の館内を歩いていると厨房からなにやら焦げ臭い臭いが漂ってきた
「……ん?まさか、火事!?」
そうしてパタパタと廊下を走り、厨房に突撃した陽葵の眼前には所々に卵液が飛び散り、鉄鍋からゼンマイの様な山菜が伸びている魔境が広がり……そこには、肩を落とした狭霧が居た
「さ、狭霧ちゃん!?どうしたの!?」
「なっ!!み、美空陽葵!?き、貴様こそ何があったその格好は!?貴様、男だろう……っ!?」
そうして陽葵の方に行こうとした狭霧は、床に落ちた卵白で足を滑らせ陽葵の方に倒れ込み……。結果出来上がるのは……
「す、すまない美空陽葵……。……!?」
「さ、狭霧……ちゃん?」
見事にラブコメあるあるの、ハプニングで男が女を押し倒す絵図の出来上がりである!!……今回に限っては、押し倒された側が男なのだが……
「……っ!!」
そんな狭霧の視界に映るのは、床に広がった絹糸の様に美しい薄茶色の髪に緊張からか少し潤んだ黄緑色の瞳。そして僅かに震える華奢な肩に、薄い薄桜色の唇……まさに無自覚に色気を振りまく性癖ブレイカー美空陽葵の、カンスト顔面偏差値である
「あ、あの……狭霧ちゃん?」
「す、すまない!!今退くからな!!」
そうして急いで立ち上がった狭霧に続き、陽葵も何とか立ち上がりキッチンの惨状を見渡し始める困った様に眉を八の字にする
「えっと、狭霧ちゃん……。もしかして、御料理の最中だった?」
「う゛っ……!!」
「えっと……。難航中……?」
「……そうだ。どうにもこうにも、山菜を使ってみたはいいが……。夜々には苦いと言われてしまい……。」
そんな台所の食材置き場には、狭霧が採取して来たのであろう山菜達がズラリと並んでいた
「狭霧ちゃん、ゼンマイはちゃんと根元を切らないと駄目だよ?あと、苦味を取りたいなら食用重曹かな?」
「じゅ、重曹だと!?重曹は、洗剤では!?」
「あはは、確かに勘違いしやすいよね。でも、食用の重曹も有るよ?カルメ焼きとかにも使われるしね?あと、卵を焼くときは油をしっかり引かないと。テフロンじゃなくて、鉄鍋だから尚更ね?」
「うぐ……。」
そんな狭霧に苦笑いしながらも、陽葵はエプロンを巻くと新しい玉子を2つ取り出す
「確か、食用重曹は……。あ、あった!!じゃあ、狭霧ちゃん。このボウルに、重曹を入れてくれる?半日くらいで苦味が取れるからね?」
「は、半日だと!?」
「うん。苦味が強いからね〜。さ、じゃあ根元を切っていこっか。」
そうして包丁を狭霧に握らせた陽葵なのであったが、慌てて待ったを掛ける事に成る
「狭霧ちゃんストップ!!な、何その持ち方!?」
「苦無だが……?」
「苦無は包丁じゃないよぉ……。えっとね?」
「み、美空陽葵!?」
そう狭霧が、素っ頓狂な声を上げてしまうのも無理は無い。何故なら踏み台に乗った陽葵が、狭霧の背中にピッタリくっ付くと彼女の包丁を持つ手に、自分の手を添えて矯正し始めたからだ
「包丁の持ち方はね?刃先が真っ直ぐ成る様に、片足を半歩後ろ下がってね?」
「こ、こうか……?」
「うん、そんな感じ。それから御手手はにゃんこのポーズだよ。こうやって、にゃんって。」
そうして狭霧の前に立ってにゃんこポーズをする陽葵に、狭霧は今回何度目かのフリーズを迎えてしまう……。あまりにもあざとすぎるのだ、この特級男の娘呪術師は……
「狭霧ちゃん?」
「き、聞いているぞ!!猫の手だな!?」
「そうそう、上手上手!!じゃあ、次は卵焼きを作ってみよっか。……ありゃ、あと二つだけ。あとで、御買物に行こっか?ちとせさんが困っちゃうからね。」
「わ、分かった……。」
「じゃあ、まずはボウルに卵を落としてね。そしたら、グルグル単調に混ぜるんじゃなくて卵白を切る様に混ぜてみよっか。」
そんな陽葵の指示通りに狭霧は卵をボウルの上に落とすと、菜箸で白身が卵黄と完全に混ざり合う様に掻き混ぜ始める。すると、分離していた白身が段々黄身と一体化していく
「こ、こうだろうか……。」
「わ!!上手上手!!それじゃあ、白出汁を入れてフライパンに油を引こっか。油の量は、小匙一杯で良いと思うよ?薄鉄鍋にコーティングする感じでね?」
「分かった……。」
そうして数分後、ときどき横から指示を出しつつも卵を巻かせていき……。そうして、皿の上にはドンと綺麗な卵焼きが出来ていた
「うん!良い感じに出来たね!!それじゃあ、あとはこれを切って呑子さんの御部屋に持っていこっか。」
そう嬉しそうに微笑むヒマリの横には、いつの間にか一口サイズの塩御握りが並んでいた。まさに、忙しい仕事人用の一品である。そのとき、ヒョッコリとちとせが現れた
「あ!良い匂いがすると思ったら、美味しそうなの作ってますね!!」
「あ!!仲居さん!!実はこれ、狭霧ちゃんが作ったんですよ!!」
「み、美空陽葵!?よ、余計な事を言わないでくれ!!」
「そうなんですか!!物凄く御上手に出来ていますよ!!」
「な、仲居さんまで……。」
そうガックリと項垂れる狭霧に困った様な笑みを浮かべながらも、陽葵はちとせに出来たての出汁巻き卵と塩御握りを手渡す
「仲居さん。申し訳ないのですが、これを201号室の呑子さんの御部屋に持って行って貰っても宜しいですか?今から台所の掃除を終えたら、食材の買い出しに向かいたくて……。」
「分かりました。それでは、私はこちらを持っていきますね?」
「何から何まで申し訳ありません……。」
そうしてちとせが立ち去った後に、陽葵と狭霧は台所の掃除をしてワンピースを累に返却して私服に着替えると空が暗く成ってきた街中をぶらりと歩き出し始める
「多分、深夜スーパーなら開いてるかな。」
「そ、そうか……。」
「狭霧ちゃんって、基本的に自給自足が好きな感じなの?山菜とか取って来るけど……。」
「む……。そうだな、誅魔忍として潜入や野宿をする事も多い……。呪術師はどうなんだ?張り込みなどをする事も多いだろう?」
「うーん。蟲っていう、特殊な携帯食を体内に入れてるからそこまで苦には感じないかな?」
そんな誅魔忍と呪術師という、全く異なる異文化交流を楽しんでいると深夜営業のスーパーに到着し二人は卵コーナーへと直行する
「あ!!見て見て、狭霧ちゃん!!平飼い卵だよ!!六個入りで、千二百円だって!!」
「ちょっと待て、一個二百円か!?……冬空コガラシが見たら、仰天するだろうな……。」
「うーん、二パック買っておこうかな?」
「二千四百円……。貴様の金銭感覚が、心配に成って来たぞ……。」
「……?」
そう首を傾げながら狭霧と共にスーパーを出た陽葵は、狭霧と談笑しながら夜道を歩いていたのだが……。繁華街のパチンコ店近くで、妙なものを発見した。それは、オレンジ髪のポニーテールの女性がガラの悪い男達に囲まれている現場だった
「ってか、奥さん若過ぎでしょ!!子持ちとか、ぜってー嘘だわ!!」
「大丈夫だって、ちょっとおじさんと御話しして稼げる仕事だからさ!!」
「ですから、家族が待ってるんです!!通してください!!」
そう男達数人に囲まれながらも、勝気な態度を取り続けるオレンジ髪の女性……。そんな現場を見た陽葵は困った様な顔に成り、婦女子に暴行を加える男絶対許さないウーマンの狭霧は霊力で作った苦無を取り出す
「美空陽葵……。」
「待って待って!!狭霧ちゃん、苦無は駄目だから!!……でも、どうしよう……。あの人数だと、御話しは難しそうだし術式は使ったら規定違反に成るし……。御巡りさん呼ばないと!!」
そうヒマリが悩みながら携帯を取り出している間にも、男の一人が女性の肩に馴れ馴れしく肩を置いてしつこく勧誘をしようとする……。その瞬間……
「いいから、ちょっとだけ……。」
「やめっ……!!」
「うるせぇんだよ、ボケコラぁ!!」
「ごふぇぇ!!」
突如として、女性を囲んでいた男達が全員ぶっ飛んだのだ!!そして、そこに居たのはパチンコの景品の紙袋を抱えた男だった
「さっきから、パチ屋の前でギャーギャー騒がしいんだよ!!折角大勝ちしたのに、熱が冷めちまうだろうがぁ!!」
「え……は?」
「は?じゃねぇんだよ、テメェコラァ!!今日は、綺羅羅もどっか行っちしまうしよぉ!!機嫌悪ぃんだよ、一発殴らせろ!!」
そう言いながら女性を助けようという正義感を欠片も持たず、ギャンブルの余韻が吹っ飛んだというしょーも無い理由で殴りかかって来る男に、ガラの悪いキャッチ達は全力逃走する
「ひ!!な、何だよこの髭面!!」
「てか、高校の制服着てるぞ!!条例違反じゃねーの!?」
「いいから逃げるぞ!!」
「すんませんでしたぁ!!」
そう泣き喚きながら撤退していく悪徳キャッチ達を一瞥し、大男が踵を返して帰ろうとした瞬間……。男の背後から、強烈な呪力が降り掛かる
「……っ!?こ、この呪力……まさか!!」
「金次君……?何やってるの?」
「うげぇ!!ひ、陽葵!!」
そう苦虫を噛み潰したかの様な顔をする金次の目線の先には、ジワリと呪力を滾らせた陽葵とオレンジ髪の女性を介抱する狭霧の姿が有った
「金次君……?その紙袋……何?」
「え!?あ、いや……これは、その……。買い物帰り……?」
「そっかそっか……。その買い物袋に、マジベガス支店って書いてあるけど……?たしか、マジベガスってパチンコ店の名前だよね?」
「……あ。」
「金次君……?正座……。」
「え、あ……。いや……。」
「正座。」
「っす……。」
そうして繁華街に女性を介抱する女子高生と、パチンコ帰りの未成年パチカスを説教しようとする小柄な男の娘という何とも奇妙な構造が出来た
「狭霧ちゃん、そこの女性を宜しくね?」
「あ、あぁ……。」
そうして、狭霧が女性にくっ付いているのを確認すると陽葵はフッと力を抜いて金次の方へと微笑みを浮かべながら向き直る
「さて……。金次君、僕が何で怒ってるか分かる?」
「えっと……。あー……、未成年なのにパチンコに行ったから?」
「うん、半分正解……。あのさ、僕が用事で此処に来てるって夜蛾先生から聞いて無かったの……?」
「いや……。その、頭にはあったんだけどよ……。確確と一発告知が来て、脳汁出まくってたら忘れた……。」
そう気まずそうにする金次に対し、陽葵は額を抑えながら小さく溜息を吐いてほんの少しだけ怒気を抑えて話し始める
「……そ。あのね?僕は別に、未成年パチンコに行った事を全部起こってる訳じゃないよ?家入さんも、学生時代は未成年喫煙してたし職業柄、若い内に色々やっときたい気持ちは分かる。でもね……?」
「な、なんだよ……。」
「金次君がギャンブル好きなのは知ってるよ。好きな物を全部止めろなんて言わない。でも、今やっちゃいけない事を我慢できないなら、いつか本当に大事な場面でも"熱"に流されるよ?」
「固ぇなぁ、陽葵は……。ちょっとくらい、御前も熱に浮かされてみろよ。」
「あのね?僕は、金次君に立派な術師に成って欲しいから言ってるの。」
そんな陽葵の真剣な声色に、流石の金次もグッと押し黙ってしまった。そして、フッと小さく笑うと正座している金次の頭をポンと撫でる
「でも、女の人を助けたのは良い事だと思うよ?動機がどうあれね?」
「うっせ……。熱を冷まされたくなかっただけだ……。」
「そういう事にしといてあげる。……もしかして、任務帰りだったの?」
「そうだよ。綺羅羅と来ててな、アイツは今は宿だ。明日、東京に帰る。」
「そっか、じゃあ今度また会おうね?もしかしたら、交流戦にも参加できるかもだし……。京都校の、東堂君と加茂君にもよろしくね。」
「へいへい……。」
そう言いながら、紙袋を抱えて帰る金次を見送ったあと陽葵は後ろを振り向いて狭霧と女性の方へと向き直って微笑み掛ける
「すみません、荒っぽいものを見せてしまいましたね……。狭霧ちゃんも、介抱ありがとうね?」
「フン……。当然の事をしたまでだ。」
「あ、あの!!有り難う御座いました、何か御礼を……。」
「いえいえ、大丈夫ですよ?それより、御荷物お持ちしましょうか?」
そんな人懐っこく物腰も柔らか気な女顔の美少年と、紫髪の女性に安心感を覚えたのか女性は一息吐くと困った様な顔に成る
「……そうですね。御迷惑でなければ……。」
「分かりました、狭霧ちゃんも良いよね?」
「分かった……。」
そうして自分達の買い物である、卵パックの袋と女性が持っていた買い物袋を持ちながら三人は女性の家まで行く事に成った
「そうなんですか!!娘さんが、湯煙高校に!!」
「となると、私達の先輩か同級生だな……。」
「えぇ!?まさか貴方達も湯煙高校の生徒さんだったなんて……。これも、何かの縁かしらね?」
「とはいえ、僕達もまだ新入生なんですがね……。」
「それを言うなら、私の娘だってまだ一年生よ?もしかしたら、同じクラスかもしれないわ?」
そうして話している内に、陽葵と狭霧は女性の自宅近くまで到着する。流石に、自宅前まで行くのはプライバシーの侵害という陽葵の配慮だ
「では、ここで……。今日は有難うございました。……あの、パチンコ帰り……?の御友達にも、御礼を言っておいてくださる?」
「分かりました!!では失礼します!!」
そうして頭を下げた陽葵と狭霧が帰路に就くと共に、女性も踵を返すと自分の住んでいる家の前へと辿り着く……。そして、玄関を変えると中から出てきたのは……
「ママ!!お帰り!!」
「ただいま、千紗希。」
そう笑みを浮かべる女性の家の表札には、こう書かれていた……"宮崎"と……。本日助けた女性が、千紗希の母親である宮崎日和である事は、まだ陽葵は知らないのであった……