ウマ娘競バ史   作:geko

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第89話:それぞれの選択

 1973年、6月1週。

 春のGⅠ戦線もいよいよ大詰め。

 そんな慌ただしくも少し落ち着きを見せてきた雰囲気のなか、グランプリ・宝塚記念のファン投票結果が発表された。

 トレーナー室に届いたそのリストを見て、俺と由衣さんは顔を見合わせた。

 

「……壮観ですね。ベスト5のうち4枠を、うちのチームが占めています」

 

 由衣さんが読み上げる結果は、チーム・ルミナスの快進撃をそのまま反映したものだった。

 

1位:オペラローリン(297,225票)

 

2位:キョウエイグリーン(269,000票)

 

4位:ナスノチグサ(160,336票)

 

5位:オーナーズタイフウ(153,650票)

 

「ありがたいことだ。だが……全員が出走するわけにはいかない」

 

 俺はスケジュール帳を開き、それぞれの予定を確認していった。

 

◆休息と専門分野

 

「まず、4位のチグサですけど」

 

「はい。彼女はオークスの後、すぐにナスノの実家へ帰省させました」

 

 二冠を達成したチグサは現在、長期休養に入っている。

 2400mという過酷なレースを走りきった疲労を抜くため、そして秋の三冠目に万全の状態で挑むためだ。

 静かなナスノの別荘で、姉のカオリさんと共に羽根を休めていることだろう。

 

「次に5位のタイフウ」

 

「興味ねえよ」

 

 ソファで脚を組んでいたタイフウが、即座に吐き捨てた。

 

「あたしの主戦場は砂だ。芝の祭りなんざ、お上品な連中でやってな」

 

 彼女の視線はブレない。

 人気投票で選ばれたこと自体は「まあ、悪くねえ気分だがな」と満更でもなさそうだが、自分の土俵以外で戦うつもりはないようだ。

 

◆真珠と風の約束

 

 残るは1位と2位の二人。

 

「えーっ! アタシ2位じゃん! すごくない!?」

 

 グリーンが順位表を見て飛び跳ねた。

 ハイセイコーブームの中で、明るいキャラクターと圧倒的なスピードでファンを魅了した結果だ。

 

「出たい! ……って言いたいとこだけど」

 

 彼女はチラリとカレンダーを見た。

 そこには、今週末の『安田記念』に赤丸がついている。

 

「アタシはこっち。約束したもんね、『スプリントとマイルは独占する』って」

 

「ああ。宝塚記念は2200mだ。お前の領域じゃない」

 

「だよねー。残念だけど、グランプリはローリン先輩に任せる! アタシは府中でマイルのテッペン獲ってくる!」

 

 グリーンは潔く辞退を選んだ。彼女にとっての王道は、あくまで短距離・マイルなのだ。

 

 そして。

 トレーナー室の窓辺で静かに紅茶を飲んでいたオペラローリンが、カップを置いた。

 

「……決まりのようですね」

 

 彼女は立ち上がり、投票結果の1位の欄を指でなぞった。

 

「チームを代表して、私がグランプリへ参ります。……297,225票の期待、全て私が背負いましょう」

 

 大阪杯の勝者であり、中距離の王者。

 彼女の言葉には、一点の曇りもない自信と責任感が宿っていた。

 

「頼むぞ、ローリン。……そしてグリーン、お前は今週だ。準備はいいな?」

 

「もちのろん!」

 

 チーム・ルミナスは、それぞれの戦場へと散開する。

 まずは今週、キョウエイグリーンの安田記念。

 そして月末、オペラローリンの宝塚記念。

 春の締めくくりに向け、最強の布陣が動き出した。

 

◆黄金の杯

 

 宝塚記念のファン投票に関する作戦会議を終え、ほっと一息ついたところだった。

 トレーナー室の電話が、けたたましく鳴り響いた。

 

「……はい、こちらチーム・ルミナスです。……えっ? はい、局長。……今すぐ、ですか?」

 

 受話器を取った由衣さんの表情が、みるみるうちに強張っていく。

 彼女は電話を切ると、困惑と緊張が入り混じった顔で俺を見た。

 

「あすかさん、事務局からです。……事務局長が、今すぐ執務室へ来るようにと」

 

「……あの人が、か」

 

 俺の背筋に、嫌な汗が伝う。

 あの執務室に呼ばれる時は、ろくなことがない。

 かつて、「毒杯」と言ってオーナーズタイフウを押し付けられた日の記憶が蘇る。

 

「へっ。どうせまた、あたしん時みたいに厄介なのを押し付けられるんじゃねえか?」

 

 ソファで脚を組んでいたタイフウが、ニヤニヤと楽しそうに茶化してきた。

 俺は「縁起でもないことを言うな」と軽口を叩き返しつつ、重い足取りで部屋を出た。

 

 

 管理棟の奥にある執務室。

 ノックをして入ると、事務局長は以前と同じように、湯呑みの茶をすすりながら書類に目を通していた。

 俺の姿を認めると、目尻だけで笑い、手招きをした。

 

「神楽坂くん。……オークス、見たよ」

 

 その声は穏やかだが、瞳の奥だけは相変わらず冷たく凪いでいる。

 

「これで、二年連続のクラシック制覇か。……昨年はキョウエイグリーンで桜花賞と秋華賞を獲り、今年はナスノチグサで桜花賞とオークスの二冠。ここ最近のティアラ路線のタイトルは、ほとんど君のチームが独占しているようなものだ」

 

 局長は感嘆したように息を吐いた。

 

「『暴れウマ』のみならず、名家の令嬢まで完璧に御してみせる。……上層部も君のその手腕には舌を巻いているよ」

 

「……光栄です」

 

「だからね。君にひとつ、相談があるんだ」

 

 局長は湯呑みをコトリと置くと、手元の書類を一枚、俺の前にすっと滑らせた。

 乾いた音がして、紙が止まる。

 そこには『オギフシグループ』のロゴが刻印されていた。

 

「オギフシ……日高の名門中の名門じゃないですか」

 

「ああ。そのオギフシが、一人のウマ娘を栗東に送り込んできてね。……彼らにとっての『至宝』とも呼べる、とびきりの逸材だ」

 

 局長は身を乗り出し、声を潜めた。

 

「彼らの要望はただ一つ。『ティアラ三冠を獲れるトレーナーに預けたい』。……今のトレセン学園で、その条件を一番満たすのは誰だと思う?」

 

 俺は息を呑んだ。

 これは、ただの依頼ではない。

 2年連続で結果を出した俺だからこそ、名指しで来たのだ。

 

「断れるかい? もちろん、規定上はね。……だが、オギフシの『期待』を袖にすればどうなるか。……君なら分かるね?」

 

 局長は笑った。

 以前、タイフウを預けた時と同じ顔だ。

 だが、今回突きつけられたのは、泥臭い毒杯ではない。

 目が眩むほど美しく、それゆえに少しでも扱いを間違えれば、俺ごとき簡単に押し潰してしまう黄金の杯だ。

 

「失敗は許されないよ。彼女の背後には、オギフシという巨大な山がある。……もし傷一つでもつければ、君のトレーナー生命はおろか、このトレセン学園での立場もなくなるだろうね」

 

「……随分と、高い授業料になりそうですね」

 

「それだけの器だと見込んだからこそだよ。……どうする?」

 

 逃げ道はない。

 俺は覚悟を決めて、その書類を手に取った。

 指先が微かに震えるほどの重圧。だが、不思議と高揚感もあった。

 

「……頂きます。その杯」

 

「結構」

 

 事務局長は満足げに頷き、茶を一口飲んだ。

 

「彼女の名は、イットー。……このウマ娘が本物か否か、君の手で証明してみせたまえ」

 

 俺は手元の書類に目を落とした。

 添付された写真には、まだあどけないが、宝石のような瞳をした少女が写っていた。

 チーム・ルミナス、5人目のメンバー。

 

 それは後に、その華々しい活躍から『華麗なる一族』と呼ばれることになる、偉大な家系の祖。

 あまりにも重く、高貴な期待を背負った少女だった。




 しばらく更新をお休みします。
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