外来人。幻想郷で、大工をする。――妖怪たちの褻(け)の日の話―― 作:ゴケット
蔦が絡みついた壁。
茸の生えた屋根。
斜めに傾いた煙突。
森の奥で、煙突から漏れる光だけが赤かった。
室内では、赤い火が窯の底で揺れている。
人影が鍋をかき回した。
ぐつ、ぐつ、と粘ついた泡が弾ける。
「図書館の魔女も、人形遣いも失敗したようだな。なら、俺こそが……くく」
アルト歌手のような芯のある声で、ことさら喉を絞るように笑う。
机の上には、一冊の本。
『De natura rerum』
本棚には洋書と和綴じ本が隙間なく収まり、
洋書の背表紙はアルファベット順に、
和綴じ本も寸分違わず揃えられている。
薬瓶のラベルも、
引き出しの番号も、
すべて正面を向いていた。
ド、ン……
腹に響く低い音。
続いて、
乾いた床材が軋む。
頭上から降ってきたその音に、
人影は鼻で笑い、
鍋をかき混ぜ直した。
火が爆ぜる。
赤い明滅の中、
揺れた髪は、
赤毛にも、
金髪にも見えた。
空はゆっくり赤黒く熟れていた。
熟れきった柘榴みたいな、粘つく赤。
その下で仕事帰りの人間たちが、ぞろぞろと人里へ戻っていく。
鉋屑の匂いがする。
肩に担いだ道具箱を右から左に移してみてもそれは変わらなかった。
明日の天気を思って顔を顰めた時だった。
「きゃっ!?」
短い悲鳴。
反射的に振り向く。
「おい、大丈夫か」
駆け寄ると、小鈴は涙目で頭を押さえている。
「いったぁ……」
「転んだのか?」
「違いますよぅ……なんか飛んできて……」
小鈴は恨めしそうに空を見上げた。
だが、赤黒い夕空には鳥影一つない。
「飛んできた?」
「はい。こう、びゅーって」
両手で適当な軌道を描く。
「風呂敷包みぐらいの大きさで……、ごつんって」
「カラスにでも恨みを買ったか?」
「嘴の感触じゃありませんでした」
カラスはつつくのではなく蹴飛ばしてくるぞ。と、言おうかと思ったが、
しゃがみ込んで、小鈴の額を見る。
少し赤くなっていた。
爪や嘴の痕には見えない。
たしかに何かにはぶつかっている。
「妖精じゃないか?」
近くの団子屋の親父が笑った。
「たまに変な飛び方してるだろ、あいつら」
「あー……」
小鈴は不満そうな顔をしたが、
言われてみれば、その程度の話でもある。
幻想郷では、
空から変なものが飛んでくるのは珍しくない。
「とりあえず、腫れる前に冷やしとけ」
「むぅ……納得いかない……」
ぶつぶつ言いながら立ち上がる小鈴を見送り、
玄万も再び歩き出した。
足元へ長く伸びた影が、湿った風に揺れた。
案の定、次の日は雨だった。
朝から空は重く、
里の通りも泥と湿気の匂いがする。
ビニールシートで養生することもできない幻想郷の大工にとって、雨は天敵だった。
できることは小屋仕事。
材の加工や図面の検討。あるいは……。
木戸番へ回され、鑿や鉋を研いでいたのだが、
近所の女将さんたちに『これも頼むよ』と包丁を押し付けられた。
往来を我が物顔で独占している雨粒を、時折睨みつけながら砥石に刃を当てる。
視界の端を、
何か小さなものが横切った気がした。
遠くの稲光でも見えたのだろうか?
音は……、まだ来ない?
聞こえたのは、空を鳴らす音ではなく、
「きゃっ!」
短い悲鳴が響く。
ツギハギだらけのポンチョを掴んで、木戸番小屋を飛び出す。
見覚えがある。
里でも何度か見た顔だった。
たしか――。
稗田。
そんな名前だったか。
偉い家の娘だと、
棟梁あたりが言っていた気がする。
「ああっと、大丈夫ですか?稗田のお嬢様」
手を差し出して、引き起こしながら言うと、
お嬢様はハッとした顔を上げて左右を見渡す。
「……阿求です。稗田はちょっと……」
前のようにお付きもつけておらず、お忍びのつもりらしい。
着ているものが上等すぎる。
今日は雨のせいで人通りがないが、
通りに人混みがあったとしても、雀の中のカナリアぐらいに目立ちそうだ。
全然できていないぞ、と思いながらも乗っかることにする。
「何があったんだ?きゅうちゃん」
「きゅ、きゅうちゃん??」
拾った番傘を渡すと、
阿求は目を白黒させた。
そのまま数度瞬きをして、
「あ……」
小さく漏らす。
ようやく意図に気づいたらしい。
口元を押さえ、
咳払いを一つ。
「……ええと。はい。実はですね」
育ちのよさそうな、落ち着いたきれいな発音だった。
「ああ、金色の何かが……」
阿求は雨空を見上げた。
「目の前を、すごい速さで横切って」
「またか?最近もあったな、そんな話……」
「最近?」
「鈴奈庵の小鈴が二つ先の通りで、ごつんとね」
「無事でしたか?」
「こぶにはなっていなかった。本人は大層腹を立てていたけどな」
阿求は小さく息を吐いた。
「それなら安心しました」
だが、
そのまま考え込むように視線を伏せる。
「……同じもの、でしょうか。
妖精の悪戯なら、もっと騒がしく笑っていそうなものですし」
阿求が手にした番傘を少し持ち上げ、
周囲を見渡す。
「最近、妙な目撃談も増えていますから」
つられて視線を巡らせたが、
雨に煙る通りには、
人影らしいものも見えない。
ぱたぱたと、
番傘を打つ雨音だけが近い。
「……きゅうちゃんは、どこまで?」
「鈴奈庵までです」
答える声は落ち着いていたが、
番傘の柄を握る指先に、少しだけ力が入っていた。
「送ってくよ」
阿求は一瞬、きょとんとした顔をした。
それから、
張っていた肩が少し落ちる。
「……お願いします」
木戸番屋へ戻り、『見回り中』の札を下げる。
暇な雨番だと思っていたが、どうやらそうもいかないらしい。
鈴奈庵へ着くと軒下で、雨具についた雫を払う。
戸の隙間からクスノキの匂いが漏れてくる。
戸を開けると、
涼やかで凛とした香りが鼻をぬける。
「いらっしゃ――あれ?」
帳場に頬杖をついていた小鈴が、
顔を上げた。
小鈴は転んだ跡の見える阿求を、上目遣いにじろじろ眺めた。
「阿求?どうしたの?
その『泥パッチワーク』、次の流行を先取りしすぎよ」
悪戯っぽく口角を吊り上げ、この台詞。
当然、阿求も黙っていない。
「流行を語る前に、この『おばあ様の箪笥』みたいな匂いをどうにかしたら?
……そんなに必死に防虫しなくても、貴女に寄りつくような『悪い虫』なんて、
最初からどこにもいなくてよ」
涼しく笑いながら言い捨てる阿求。
鼻を抜ける樟脳の涼しさより、二人の応酬の方がよほど冷えた。
視線を回すと、鈴奈庵の本棚には木炭が置かれており、
店の中央には、机にのせられたアロマポットのようなものが置かれていた。
(クスノキの匂い……、あれが樟脳炉ってやつか……)
二人と目を合わせないようにしていると、話題は移っていた。
「それで?
今日は本を借りに来た感じじゃないよね」
「ええ。刷り物の依頼よ」
阿求は懐から油紙で包まれた紙を取り出した。
「刷り物?」
「注意喚起です。
最近、妙な目撃談が増えているでしょう?」
小鈴は紙を受け取り、
目を走らせる。
『夜間外出注意』
『飛行物へ接近するな』
「飛行物?」
「小人だとか、
生首だとか。
話はばらばらですが」
阿求は濡れた番傘を畳みながら続ける。
「人里の中を、
何かが飛び回っているという話が増えています」
「人里にまぎれた妖怪ってことか……」
思わず眉を顰めた。
「妖怪たちだって、
人里で騒ぎを起こして得するわけじゃないもの」
阿求は静かな声で言う。
「でも、
生まれたばかりの妖怪や妖獣は別です。
幻想郷の事情なんて知りませんから」
小鈴は紙をひらひら揺らした。
「……じゃあ、
この間のあれも、
妖精じゃなかったのね」
「あんたがこの間、ぶつかったっていうやつね。
私もさっき、かすめられたわ…」
「阿求も!」
阿求の説明に、小鈴が驚き、
二人そろって、恨みがましい声を出した。
「あの、金髪!」
「あの、赤毛!」
微妙にそろわなかったが……。
しん、と店の中が静まる。
「……赤毛?」
「え、金髪じゃ、ないでしょ?」
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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