犬とお姫様   作:DICEK

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結局、折本かおりは何もできない

 今日の昼食を持って陽乃が戻ってきた時、彼女の視線は誰に言われるまでもなく周囲の客から隠れるようにしている折本たちに吸い寄せられた。相変わらず驚異的な勘の良さである。この人に隠し事はできないな、と再確認する八幡に『ちょっと声かけてくるね』とだけ言って、陽乃は折本の方へ歩いていった。面白いおもちゃを見つけた、という陽乃の背中に、八幡はこっそりと溜息を洩らす。

 

「知り合い?」

 

 折本の方に視線を向けた雪乃が、怪訝そうに問うてくる。『貴方に知り合いなんていたのね』とでも言いたげな顔だったが、それが女子というのが八幡のイメージには合わなかったのだ。

 

 八幡の中学時代に、良い思い出などない。今の八幡にとって絶対である陽乃にさえ、相当に粘られてようやく話した程だ。まだ付き合いの浅い奉仕部のメンバーには、誰一人として中学の事は話していない。今現在総武高校に在籍している人間で八幡の中学時代のことを知っているのは、何かと騒々しいあの男くらいのものである。

 

 入学した頃ならばともかくとして、もうかなり時間も経った。告白暴露の件もいまや笑い話の一つであるが、思い出したくない過去の一つであることに変わりはない。それがいくらか顔に出ていたのだろう。八幡の様子を見て、雪乃は追求することを止めた、興味を失った様子でアイスティーに口をつける雪乃に、今度は八幡が問う。

 

「てっきり聞きたがるもんだと思ってたんだが」

「話したいなら聞いてあげなくもないけれど、そうでないなら聞かないわ。貴方は知らないのでしょうけど、私はそれくらいの配慮はできる美少女なのよ?」

「すまん、それは初めて知った」

「失礼な人ね。まぁ、姉さんについていけるような人だから、無駄に目が肥えているのね」

「見た目が美少女なのは軽井沢で会った時から知ってるよ」

「…………そう。どっちにしても失礼な人には違いないわね」

 

 顔を逸らした雪乃の頬は、僅かに朱に染まっていた。自分で美少女と言えるくらい自信を持っているのに、直球を返されると脆い辺り、陽乃に比べるとまだまだである。

 

 自分の前に置かれた包みを開ける。既に雪乃の分は全て引いてあるから、残りを2で割った分が八幡の取り分である。さて、と飲み物に口を着けると、妙に健康的な甘みが口の中に広がった。自分では普段まず飲まない味に、思わず蓋をあけて中身を確認する。

 

「野菜ジュースを頼んでいたはずよ。良いじゃない。健康的で」

「まぁ、不健康よりは良いんだが……」

 

 ファーストフードを食べている時点で、飲み物だけ野菜ジュースにしても無駄な抵抗な気はするが、しないよりはマシなのだろう。別に嫌いではないので、それ以上文句も言わずにストローに口をつけながら、陽乃と折本の方を眺めていると、陽乃優位で決着が着いたのか、三人でこちらに戻ってくる。

 

 青い顔をしてる折本と、にこにこしている陽乃。どうして良いのか解らないという顔をしている残りの一人に、八幡は同情的な気分になった。陽乃のターゲットは折本一人だろうから、彼女については完全にとばっちりである。せめてこの人は巻き込まないようにしてほしいな、とは思うものの、それを口にはしなかった。

 

 女王の行動に口を挟むようなことを、犬はしないのである。

 

「この折本さんも一緒することになったから」

「まぁ、貴女が言うなら止めはしませんが、雪乃――はそれで良いか?」

「私のことは置物とでも思ってくれれば良いわ」

「こんなかわいい置物なら部屋に飾りたいなぁ……それはともかく、そっちの貴女。ちょっと大事な話があるから、外してもらえる?」

 

 陽乃から水を向けられた少女は、その提案にぱっと顔を輝かせ、次いでバツが悪そうな顔で折本を見た。折本の顔には『置いてかないでよ!』と書いてあったが、誰でも我が身は可愛いものである。帰って良いと主犯格の女に言われているのに、それに従わない道理はなかった。

 

 それじゃあ、とそそくさと退散する少女を見送ると、陽乃の視線は八幡に向いた。

 

「八幡、ちょっとトイレにでも行ってきて」

「解りました」

 

 追い払われる気配を薄々と感じていた八幡は、野菜ジュースを一気飲みすると、さっさとトイレに向かう。途中、折本のすがるような視線が見えたような気がしたが、気にしないことにした。喧噪を抜け、トイレの個室に入って便器の蓋の上に腰を下ろす。

 

 十分か、十五分か。何しろ折本の相手は陽乃である。言葉で痛めつけるのに、そんなに時間はかけないだろう。折本はこれから、一言で言うならば『酷い目』に遭う。かつて勘違いから好きになった同級生だ。その負い目から不憫に思うところも少しはあったが、自分が善人でないことを自覚している八幡は、先の折本の顔を見て少しだけ良い気味だと思った。そう思う権利くらいは、自分にもあるだろう。

 

 スマホのタイマーをセットすると、八幡は一人、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、折本かおりさん。まず質問。どうして八幡のこと振ったの?」

 

 一発目からエグい所を突いてくる女である。これでジャブなのだとしたらこれからどんな質問をされるのだろうと、折本は気が気ではなくなってしまった。それにしても、見ず知らずの女の質問に答える道理はない。有無を言わせず席を立って、どこへなりとも消えても良いのだが、眼前の女の雰囲気はそれを許してくれそうになかった。質問には答えるしかない。改めて腹を括った折本は、全てを正直に話すことにした。

 

「ただのクラスメートってだけで、特に親しい訳でもなかったし……」

 

 八幡については、それが全てである。クラスでも目立たない、というよりもハブられているような人間で、間違っても主流派の人間ではなかった。それどころか、根暗は根暗なりに作っていたグループの中にも、彼は入っていなかった。正真正銘のぼっちである。

 

 そんな日々を送っている人間から告白をされても、受け入れる女子はいないだろう。ただのクラスメートで、特に付き合いがないというのなら、尚更である。告白を断ったことそのものについて、折本は自分の判断に間違いはないと思っていた。現恋人が問題にするのなら、更にその後の行為である。

 

 隣を見れば、眼前の女によく似た少女が我関せずを貫こうとして失敗しているのが見える。似た面差しから姉妹なのが解った。眼前の女が姉で、こちらが妹である。姉は笑顔の中に上手く感情を隠しているが、妹は無表情を貫こうとして明らかに失敗している。八幡を振ったの辺りで飲み物を吹き出しそうになっていた辺り、この妹も八幡と某かの関係があるのだろう。まさか姉妹で一人の男を、というのではあるまいなと、自分の想像に折本は寒気を覚えたが、妹の方からは姉のような殺気は伝わってこなかった。

 

 軽い相手とも思えないが、少なくとも今現在敵対する様子はなさそうだった。目下の敵は、眼前の姉のみである。

 

「あー、それは解るかなぁ。私も中学生くらいまでは、そういうのあったし。雪乃ちゃんもでしょ?」

「私は置物と言ったはずなのだけれど……」

 

 折本も自分がそれなりにイケている方だという自覚はあるが、この姉妹は完全に別格だった。異性に告白されることなど、片手では数えきれないだろう。男受けするのは姉の方だろうが、妹も相当なものだ。その妹は自分は置物と言いつつも、こちらの話に耳を傾けているのが解った。恋人の妹というには、距離が曖昧な気がするが……今は自分の身を守ることを優先するべきだ。

 

「で、これは興味本位で聞くんだけど、とりあえずキープしておこうとは思わなかったの?」

「いや……だって、接点なかった訳で……」

「接点あってもなくても、それなりに良い顔してるのは見れば解るでしょ? 私が見つけたのは八幡が高校一年の時だから、貴女に告白した時とそんなに見た目は変わってないと思うけど」

 

 見れば解ると姉の方は言うが、それはフラットな環境で八幡を見ることができたからだ。中学の時の空気は少なくとも、誰一人として彼を身内だとは思っていなかった。まともに見ていないから、顔がどうかなど考えもしない。折本の脳裏に思い浮かぶのは、クラスの隅で目立たないようにし、声をかけられれば卑屈な笑みを浮かべる八幡の姿だった。

 

 実は顔が良いということは、今日。久しぶりに再会するまで気づきもしなかった。まともな恰好をして背筋を伸ばし、自分に自信を持つだけであそこまで変わるものだろうか。あの状態の八幡であればおそらく、告白を断ったりはしなかっただろう。それどころか自分から告白をしていた可能性だってあった。

 

 しかしそれを惜しいと思うのは流石に傲慢だろう。あの時点で告白を受けていたとしても、八幡はああはならなかったと確信が持てる。八幡という素材と、この姉という要素がかみ合って、初めて今の八幡ができたのだ。

 

 ついでに言えば、あの時点で容姿が優れていることに気づいていたとしても、告白を受け入れることはなかっただろう。彼はどのグループにも入っていないはぐれものだ。それときちんとお付き合いをするということは、同じところまで落ちることを意味する。折本がいる位置にまで引き上げることは不可能だ。全体の中心の方にいたという自覚はあるが、全てをけん引するほどの力を持っていた訳ではない。

 

 異分子を排除するのが集団というものである。八幡とつるむということはすなわち、集団から排除されるということだ。それを加味したうえで告白を受け入れることはやはり、当時の自分にはできなかっただろう。

 

 縁がなかった。一言で言えばそういうことだ。自分にはどうしようもないと黄昏る折本に、姉はにっこりと勝利の笑みを浮かべた。誰もが見とれる綺麗な微笑みだが、正面から相対している折本には、心の中で自分をあざ笑っているのが良く見えた。女としての格の違いを見せつけられた形である。正直、今まで生きてきた中で一番みじめな気持ちだった。

 

「もう少し粘ると思ったんだけどな、ちょっと残念。まぁ弱い者いじめしてもかっこ悪いから、次で終わらせてあげる」

 

 笑顔を張り付けた陽乃が、折本の耳元に顔を寄せた。その瞬間、気温が下がったような気がしたのは、きっと錯覚ではない。

 

 

「魔がさしたなんて言い訳は聞かないから。どんな理由があったとしても、次に八幡に何かをしたら、私、貴女を殺すからね」

 

 

 心が凍り付くような声音に、折本はその言葉に嘘がないことを知った。法律がどうであろうと倫理が何であろうと、この女はやると言ったことは本当にやるだろう。生まれて初めて人間に恐怖した折本は、ただ首を動かしてかくかくと頷いた。

 

 それを見て、姉の方――雪ノ下陽乃は、にっこりと笑みを浮かべた。自分の優位を確信した勝者の笑みである。

 

「自分の立場を理解したなら、もう行って良いよ。できることなら、二度と私の前に現れないでね?」

 

 そんなもの、こっちから願い下げだ。転がるようにして陽乃の前から逃げ出した折本は、全速力で店を出た。全力疾走する女子高生を行きかう人々は怪訝な目で眺めていたが、周囲の目など気にもならないほど、折本の心はたった一つの事柄に支配されていた。

 

 あの女に逆らってはいけない。

 

 心の奥深くにそれを刻み込まれた折本は、息が切れるまで走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪趣味ね」

「そう? 当然だと思うけどな。私の恋人がいじめられたんだもの」

「でも、姉さんと付き合うようになる前の話でしょう? そもそも、それが起こらなかったらあの人も総武高校には来なかったと思うのだけれど」

「少しは感謝してるよ? だから()()()()で済ませてあげたんじゃない」

 

 くすくすと笑う陽乃に、雪乃は嘆息した。

 

 確かにこの姉にしては、言葉だけというのはいかにも温い。何かするまで何もしないというのは、手加減するにも程がある。先ほど聞いたレベルの話が、最近八幡に起こったのであれば、言い訳も何もなくあの女は社会的に死刑にされていたことだろう。言い分を話せて猶予を貰えただけ、あの女は幸運である。

 

「さて、それじゃあそろそろ八幡を呼び戻そうかな。友達いない人はトイレでご飯を食べるのが定番らしいけど。流石に一人で手持無沙汰だろうし――」

「姉さん。一つ質問があるのだけれど」

「なになに? 珍しいね。雪乃ちゃんが私に改まって。何でも聞いて? お姉ちゃん、何でも答えちゃうから」

「姉さんは、あの人のどこが好きなの?」

 

 よく話すようになってから、姉についていけるとしたらこんな男だろうと確信を持つに至っていたが、姉の方の気持ちを確認したことはなかった。姉妹であり、それ程仲が悪い訳ではないが、色恋の話とは無縁の関係だった。

 

 疑問に思っても、照れくさくて聞けなかったことである。それでどうなるという訳でもないが、聞くならば今しかないと思った時、雪乃の口からその問いは出ていた。世界一かわいいと公言してはばからない妹からの問いに、陽乃は、

 

 

「世を拗ねた、捻れた性根が好き」

 

「どんなに意地悪をしても、犬みたいに尻尾を振って、ついてきてくれるところが好き」

 

「からかうと赤くなって、照れるところが好き」

 

「それなのにたまに見せる、男らしくあろうとするところが好き」

 

「私の言うことを何でも聞いてくれるところが好き」

 

「私のために、自分を変えようと努力してくれるところが好き」

 

「本当に、言葉では語りつくせないくらい、色々なところが好き。でも一番好きなのは――」

 

 

 

「私を見つめる時にたまに見せる、泣きそうな、寂しそうな顔。あの顔を見るとね、とっても背筋がぞくぞくするの。八幡の心が私だけに向いてるって、錯覚できるあの瞬間が、私は大好き」

 

 恋する乙女そのものの顔で、そう言ってのけた。予想していた以上の答えに、雪乃は深く、深く息を漏らす。

 

「歪んでるわね、姉さん。今に始まったことではないけれど」

「うん。八幡にも良く言われる。でもそんな私のことが、八幡は好きだと思うよ」

「ごちそうさま、とでも言えば良いのかしら?」

「いつでもごちそうするから、気が向いたら言ってね?」

 

 微笑む姉に、雪乃はもう二度とこの話はしないと心に決めた。

 

 

 

 




八幡の方がどんな風に好きかはまた後程。
次回から川なんとかさん回になります。

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