犬とお姫様   作:DICEK
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久しぶりに、一色いろはは現れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しかった夏休みも終わり、二学期が始まる。

 

 一年から三年まで、夏休み明けのクラスの光景というのは概ね決まっている。休みの間にこういうことをした、という報告会……という名の自慢合戦だ。稀に光るものがあるものの、実の所衆目を集める程のことをしたという報告はほとんどないというのも定番だ。

 

 そりゃあ、平日一学期に比べれば色々なことがあっただろうが、衆目を集めるというのは相対的に凄いという意味でもある。皆が普段しないことをしまくっていれば、大抵のことは人目を引かない。普通は友人たちの話を聞いたり聞き流したりしながら、それでも、自分たちの連帯が破られていないかを大いに気にするものである。身ぎれいな集団の中で、一人だけ大人の階段を上ってしまったりすると、今後の集団の運営に大きな影を落とすことになるのだ。

 

 その点、奉仕部の面々は夏休み前と全く(・・)変わらない様子で二学期を迎えた。既に大人の階段を上った後の男と、足をかけてもいない女子四人で構成された部は、二学期になったからと言って特別何かが変わることはないまま、今日も平常運転を続けている。

 

 その平常運転に、変化が起こる日のことである。その日はたまたま、部員全員が部室に顔を揃えていた。参考書を開いて勉強している沙希の向かいで、同じく勉強している八幡。空いた時間を有意義に使おうという彼らは、暇さえあれば参考書と格闘している。

 

 八幡は二年時から国際教養科を含めて学年トップを維持しているが、その成績は普段の勉強に支えられている。決して才能の上に胡坐をかいている訳ではないし、そも八幡は自分が勉学について才能に恵まれていると思ったことは陽乃と出会ってからは一度もない。

 

 陽乃に面倒を見て貰ったから成績が上がったのだと言う者もいるが、それは必ずしも正しくはなかった。

 

 成績向上に陽乃が大きく関わっているのは事実であるが、彼女は相手が八幡でなければここまで執心したりしなかっただろうし、八幡が期待に応えようと努力しなければ結果は伴わなかった。

 

 努力することも才能の内だと言うのならば、そうなのだろう。陽乃の期待に応える才能については、比企谷八幡というのは紛れもない天才であるが、その期待に応えるための偏執狂的な努力も、相手が陽乃だからこそ生み出されたものだ。他の人間が相手では、こうはいかなかったろうことは、八幡本人も認めるところである。最低限の資質と、それを最大限に引きだすことのできる人間と、それら全てを結果に繋げる偏執狂的な努力。今の八幡を作りだしたのはこの三点だ。

 

 その点、沙希は自分が八幡に大きく劣ることを自覚していた。同じだけの努力ができれば、同じくらいの結果が出せると八幡は事も無げに入るが、高いモチベーションを長時間維持し続けることがどれだけ難しいことなのか、実のところ彼はよく理解していないように思えた。

 

 その原動力となっているのが一人の女性だと思うと、女として沙希の胸も痛んだが、その痛みにかまけていては未来の選択肢を狭めることになると、参考書に目を落とす。

 

 残りの三人の1人、海老名姫菜は何処から持ってきたのか型落ちのノートパソコンとにらめっこをしている。BL小説を書く趣味があるということは部員全員が知るところだが、最近は頓に気合が入っているように見える。

 

 誰もが気にならない訳ではなかったが、それを聞いてしまうと嬉々として作品の内容を語りだすため、今のところ『何を書いているの?』という質問をした人間は部内にいない。

 

 マイノリティの趣味というのは理解されないものだが、奉仕部においてもそれは同様だった。

 

 雪乃は長テーブルの上座に近い位置に陣取り読書、結衣はその向かいでスマホをいじり続けている。どちらも一人の世界に没頭している。他人のいるところでやることではないのではと思うが、雪乃は結衣の近くで読書することを好んだし、結衣はそもそも雪乃の近くにいることを好んだ。

 

 性格も生い立ちも対極にある2人だが、意外にウマは合うらしく部室でもいつも近くに座っている。休日につるむこともあるようで、昨日はゆきのんとどこどこに行った、という話を八幡も良く聞く。葉山グループは大所帯であるから、休みの日まで一緒につるむということは、意外と少ないらしい。

 

 沙希が増えて五人となった奉仕部だが、基本的に席順は入口に近い方の端に八幡と沙希、少し距離を置いて、それでも入口寄りの位置に姫菜が座り、反対側の端に雪乃と結衣が座っている。姫菜をして『微妙な距離感』と評されるこの立ち位置だが、決して仲が悪いということではない。

 

 この位置が落ち着くというだけの話であり、長テーブルの反対側からでも結衣は遠慮なく八幡に話しかけるし、八幡が紅茶を淹れる時には自分も含めて全員分も淹れる。三年の男一人に一年の女子四人という、総武高校の歴史の中でも他に類を見ない人数構成の部活であるが、中々上手く奉仕部という部活は回っていた。

 

「もうすぐ文化祭だよねー」

 

 その話を切り出したのは結衣である。誰に向かって話しかけたという訳ではないのだが、それに答えたのはたまたま執筆に一区切りついたらしい姫菜だった。

 

「そうだねー。サキサキのクラスは何やるか決まりそう?」

「さあ……模擬店やりたいって言ってる連中はいるけど、それくらいかな」

 

 乗り気である結衣に、それ程でもない沙希。姫菜はその中間と言った様子である。文化祭に対する熱意という点で奉仕部の面々の間にはかなりの開きがあった。ちなみに雪乃は名前の通りに氷点下である。全く興味がないのか文化祭の話題に加わりもせず、文庫本に視線を落としたままである。

 

「海老名と由比ヶ浜のクラスは何やるか決まってるのか?」

「まだですね。でも、私が力の限りプレゼンをして演劇します」

 

 初めて聞くんだけど! と結衣が驚きの声を挙げるのを華麗にスルーし、姫菜がパソコンの画面を八幡に向ける。長い文章の、最初の1ページである。表題と思しき場所には『星の王子さま』とあった。流石に、オリジナルで行くという訳ではないらしいが、

 

「あぁ、お前が書いてるのはその脚本か」

「そうです。古典作品に独自の解釈を沢山盛り込んで、更に隼人くんと戸塚くんって方向性の違う美男子を餌にBLを布教してみせます」

 

 冗談のような内容だが、姫菜の言葉に冗談めかした雰囲気はない。本気の本気で言っているのだろう。これで校内にBLの嵐が吹き荒れるというのであれば苦言の一つや二つは言うべきなのだろうが、姫菜曰く、直接的な内容でしか語れないのは素人であるらしい。

 

 一見普通に見えて、随所に、あるいは全体に主張を盛り込んでいく。後は観客の解釈に任せるというスタイルだが、BLの心を持つ選ばれし者は、そこに何かを見出すらしい。BLとは奥が深いのであるらしい。

 

「問題は演劇が審査通るかなんですよね……他と競合しちゃまずいんでしたっけ?」

「体育館のステージを使うなら別だが、クラスでやる分には問題ない。俺がやった時とルールが変わってなければだが、クラス展示で出展数が制限されるのは飲食物を扱う場合だけだ。諸々の申請の都合があるからな。それもどれくらいで制限がかかるかはその年によって変わる」

 

 陽乃が会長だった時は、その制限の一切を取り払った。各クラス、各団体、ルールの範囲内で好きなことを好きなようにやれという号令の元多くの生徒が盛り上がったのだがその反面、文化祭実行委員会と生徒会執行部にしわ寄せがきた。あの時は相当に働いたものである。

 

 逆説的には、その時の生徒会、実行委員会と同様の働きをすれば、飲食関係も含めて同様の条件を設定できるはずだが、あの環境を維持できたのは偏に、陽乃が会長だったことが大きい。仕事の割振りが上手いこともさることながら、あの人は不特定多数の人間をその気にさせる天才だった。

 

 学校全体がやる気になっていたからこそ、あの条件を達成できたのである。今の政権に文句がある訳ではないし今年は誰が実行委員長になるか知らないが、同じような方法であそこまでの狂乱を生み出すのは不可能だろう。全く別のアプローチならば有り得なくもないが、それで同程度以上の結果を出すためにはやはり、全校生徒を引っ張っていけるだけの人間が必要になってくる。

 

 現状、総武高校を見回してもそこまで存在感のある生徒はいない。雪乃や隼人ならばやればできるだろうが、どちらも先頭に立って集団を導くというタイプではない。しばらくはあそこまで盛り上がる文化祭はないだろうと思うと、その文化祭に関わった人間としては少し寂しい。

 

 この寂しさを、さてどうしたものか。後輩ばかりの部室の中、微妙に黄昏ていた八幡の耳に、控えめなノックの音が届いた。依頼者だろうか。八幡は部員たちに視線を向ける。全員が首を横に振った。そも、依頼者がやってくる予定ならば、他の部員に黙っている理由がない。

 

 もう一度、今度は少し強めに、それでもかなり控えめなノックが響いた。そのノックの仕方に心当たりがあった八幡は、雪乃たちに伺いを立てるよりも先に『どうぞ』と扉の向こうの相手に入室を促した。

 

「失礼しま~す」

 

 緩い言葉と一緒に部室に入ってきたのは、この部屋では初めて見る顔だった。八幡以外の部員全員も彼女の顔を知っていたが、それを迎えた表情は皆、程度の差こそあれ茫然としたものだ。それくらい、この部屋で彼女の顔を見るとは思っていなかったのである。

 

「…………会長がここに依頼を持ち込むなんてことがあるんだな、城廻」

「私だって生徒なんだから、おかしくはないでしょ? はっちゃん」

 

 それはそうなのだが、どういう内容のものであれ執行部員がそうではない生徒に問題解決を依頼するというのも具合が悪いものだ。少なくとも、陽乃ならば絶対にしなかっただろうが、めぐりはそういうものを気にしない。陽乃がやっているものが仕事の割振りだとすれば、めぐりがやっているのは仕事のお願いだ。

 

 結果的には同じでも、アプローチの方法がまるで違う。何かと陽乃と比較され、当時の執行部を知っている人間からすると物足りないと思われることも多いめぐりであるが、自然と相手を立てることのできる穏やかな物腰は陽乃にはないものだ。

 

「八幡先輩、会長にはっちゃんとか呼ばせてるんですか?」

「俺が呼ばせてるんじゃねーよ……」

「そうだよー。私が勝手に呼んでるだけ。でも、やめろって言われないから、実ははっちゃんも気に入ってるのかもしれないね」

 

 うふふ、とめぐりは嬉しそうに笑う。二人だけであれば文句の二つも三つも言ったのだろうが、八幡は何も口にしなかった。やりとりをじっと眺めている後輩の女子が四人もいたからだ。あると思っていた反撃が八幡からないことをめぐりは疑問に思ったが、今はお仕事と会長の顔になる。

 

「それでね、はっちゃんたちに依頼があるんだけど、聞いてもらえるかな?」

「聞けるか聞けないかは内容を聞いてからになるな。お前なら無理難題はふっかけてこないとは思うが」

「はるさんみたいに?」

「陽乃の話は今いいだろ。それで、依頼ってのはどんなだよ」

「はっちゃん以外は初めてだよね? まずは紹介します」

 

 入ってきてー、とめぐりが部室の外に声をかける。他にも人がいると思っていなかった八幡たちは意外に思いながらそれを待つ。

 

 視線を集め、部室に入ってきたのは八幡にとっては知った顔だった。自分がどの程度かわいいのかをはっきりと自覚し、それを最大限に活かすために制服を着こなしている。存在そのものがあざとい女と言っても良いだろう。めぐりが自身の性格でもってその雰囲気を作り出しているとするなら、この少女は自分で計画して自分のイメージを作りだしている。

 

 その計画まで含めて少女の素なのかもしれないが、外から見ればどちらであろうと同じである。とにもかくにもあざとい女、というのが少女に対する八幡の印象だった。普通であれば、その印象は悪いものなのだろう。少なくとも総武高校に入学したばかりの頃の八幡ならば、こういう男に媚びるタイプの女は嫌悪の対象だったが、今はそうでもなかった。

 

 良くも悪くもこの少女は、こうありたいという明確な方向性を持っている。そのために一年の内から行動し、執行部にも籍を置いていた。めぐりから聞く限り、その働きっぷりも悪いものではない。以前聞いた、陽乃のようになりたいという目標が達せられることはおそらくあるまいが、そのために努力する姿勢は八幡も嫌いではなかった。

 

「一色いろはです、はじめまして。先輩は、お久しぶりです」

「戸塚の件で執行部室に行って以来だな。城廻がわざわざ連れてきたってことは、お前絡みの依頼か?」

「そういうことだね。というか、いろはちゃんをお願いしますって依頼かな」

 

 そういうと、めぐりは珍しく得意げな表情になった。小学生の姉が幼稚園に通っている妹に自慢話をする時に見せる表情とでも言うのか。とにかく、陽乃政権の時にはあまり見なかった表情である。後輩の前だとこいつはこんな顔するのか……と内心で少し感動している八幡を他所に、めぐりは言葉を続ける。

 

「学校は今文化祭のことで忙しい訳だけど、その後に生徒会選挙があることは、皆も知ってるかな?」

 

 この問いは、八幡以外の全員に向けられたものである。陽乃が就任した時は年度の頭に実施されていた選挙も、めぐりが会長になる時に制度が改定されて、二学期の実施――正確には文化祭や体育祭の後に実施されることになった。学校にとっては文化祭や体育祭にも劣らない一大イベントなのだろうが、実際の所、立候補やそれに付き合う人間でもなければ、正確な日程を意識している人間は少ないい。

 

 まだ選挙を一回も経験していない一年ならば猶更だ。めぐりの問いに、雪乃たちは困惑した様子で顔を見合わせた。選挙の日程を、誰も知らなかったからである。これにはめぐりもしょぼんと肩を落とした。自分が会長になった選挙のことを、後輩が誰も知らないという事実は、地味にショックだったのである。

 

「もう少し前の時期からアピールした方が良いのかな、はっちゃん」

「どうだろうな。普通はこんなもんな気はするが」

「会長としてはショックだけど、それは後で考えることにするよ。それで、こちらのいろはちゃんなんだけど、会長選挙に立候補するの」

「ほー、それは凄い。城廻が推薦人になるのか?」

「違うよ。私は私で推薦する人がもう決まってるよ。このまま選挙しても、多分いろはちゃんは負けちゃうと思う」

 

 今度は八幡も加わって、奉仕部の部員たちは困惑した顔を突き合わせる。話がややこしい方向に向かってきた。

話題に上ったいろはも、今は苦笑を浮かべている。現生徒会長からお前は勝てないと言われては立候補を考えている人間としては、立つ瀬がない。

 

「でも、それはそれで公平じゃないと思うんだ。いろはちゃんが会長になりたいっていう気持ちは本当だと思うし、私もそれを無下にはしたくないの。だから、せめて対等な勝負になるように、実績を作ってあげたいなって思って」

「こいつを文化祭の実行委員にねじ込もうってことか?」

「それもできれば役職持ちにしてあげたいかな。委員長か、副委員長辺り」

 

 八幡は腕を組み、大きく唸り声を挙げた。実行委員は一年から三年まで、各クラス男女一名ずつからの代表者で構成される。そこで実行委員長になるためには、実行委員の過半数の支持を集めなければならない。

 

 それ自体は、実のところそれ程難しいものでもないのだ。激務の委員長職は学生にとっては内申点が良くなるくらいしかメリットがない。委員長職そのものに魅力を感じるようなタイプでなければ、押し付けられた人間くらいしか、なり手がいないのが現状だ。

 

 候補者がいろはしかいなければ、例え一年でも委員長になることはできるだろう。二年、三年は一年に任せることに不安を覚えるかもしれないが、じゃあお前がやれと言われてはたまらないからだ。

 

 しかし、他に立候補者がいた場合、しかもそれが二年以上であるといろはの就任は途端に厳しくなる。こういう場合一年というのはそれだけでハンデになるのだ。如何に天性のあざとさがあっても、過半数を獲得するのは厳しいだろう。全ての男子がそのあざとさにころりと行く訳ではないし、そもそも委員の半数は女子である。

 

 とかく女子受けの悪いだろうあざとさが武器のいろはの委員長就任を盤石なものにするには、事前の根回しを行うしかないが、

 

「俺たちに実行委員に潜りこめってことか?」

「そうしてくれるなら嬉しいけど、そこまではお願いできないかな。クラスでなりたいって人がいたら、そもそも委員になるのも難しいし……いろはちゃんが委員になった後、そのお手伝いをしてくれるだけで十分だよ」

「外部協力者か……」

 

 外部協力者は実行委員とは別枠で勘定される。クラスで選任される必要はないし、そもそも総武高校の学生である必要もない。過去の事例を見てみると、OB、OGが何人か参加している。流石に誰でも何人でもどうぞお越しください、という雰囲気ではない。在学生よりもOBOGが目立っては意味がないからだが、在校生が手伝う分には邪見にされたりはしないだろう。どこでも人手では欲しいはずだ。

 

「一色が委員になるのは確定なのか?」

「それは大丈夫です。うちのクラスはなり手がいないみたいなので、根回しもすんでます」

 

 進んで嫌な役を引き受けてくれるというならば、それがどんな立場の人間であれ反対はしない、ということなのだろう。一年の内から内申を意識している人間もいないだろうし、普通は一年では委員長などの役職につけるとは考えない。めぐりの支援を受けられるいろはの立場が特殊なのだ。

 

「委員長を本気で狙うなら多数派工作をしておいた方が良いと思うが、それは難しそうだな」

「立候補だけしてもらって、後は他の人たちの様子見ってとこかな。なれたらラッキー、くらいで良いと思うよ」

「それだと選挙のアピールに使うのは難しそうだが……」

「それは私も解ってるので、問題ありません」

 

 めぐりの支援が受けられなかった時点で、劣勢に立っているのは解っているのだろう。いろはもそこまで、委員長職に頓着している訳ではなさそうである。

 

「お前のことだから聞くまでもないと思うが、もう対抗馬の方に話は?」

「通したよ。選挙経過、結果に関わらず、当選した方は落選した方をスタッフとするってことで約束してもらったから」

 

 お互いに遺恨は残さず。めぐりらしいやり方である。一年であるいろはは生徒から信頼されるスタッフを集められるかという懸念があったが、対抗馬の引き込みが確定しているならばその必要もない。めぐりが推すのは現政権のスタッフだ。めぐりと同じ三年生以外は留任したがるだろうから、いろはが勝った時も、心配するのは補充人員のことだけで良い。

 

 後からやってきたこれだけあざとい女子の、しかも一年なのだ。てっきり執行部でも嫌われているかと思ったが、意外とそうではないらしい。

 

「俺らができることは少なそうだが……それでも良いのか?」

「何かお手伝いしたいっていうのが、私の依頼だからね。はっちゃんたちはできる限りのことをしてくれるだけで十分だよ」

 

 善意を前提とした行動を要求されるのもそれはそれで困るのだが、めぐりならばどういう結果になっても文句は言ってこないことは解っている。頼まれたことに手を抜くつもりはないが、結果が出た後のことを考えることも時には大事である。

 

「さて、それで、受けてもらえるかな?」

 

 別に断っても良い、という空気をめぐりは出しているが、その隣には依頼者の一人であるいろはも立っている。彼女の前でやりません、やりたくありませんと答えるのはそれなりに勇気のいることだったが、結衣以外は大事な場面でNOと言える胆力を持ち合わせている。自分たちの都合に合わなければ依頼は断ることができる。その点は安心できるのだが、受けるか受けないか、受ける前にこれ程見通しが立たない案件は、八幡にとって初めてだった。

 

 依頼を受けるか受けないかは多数決で決定する。仮に八幡が賛成しても、残りの四人が反対すれば部として依頼を受けることはできない。実際、いろはは女子に受けが悪そうで、しかも生徒会選挙という政治絡みの案件を元会長であるめぐり経由で持ちこんでいる。これに協力するとなれば、実行委員会絡みで長時間拘束される可能性も出てくる。

 

 いろははともかく、陽乃政権で苦楽を共にしためぐりの頼みである。八幡としてはきいてやりたいのだが、果たして奉仕部の女子どもは何と答えるのか……

 

「私は受けても良いと思うわ」

「私も、別に良いと思います」

「海老名に同じです」

「私もOKだよ」

 

 特に反対する意見もなく、すんなりと全員が賛成した。自分が女受けしないことを理解しているらしいいろはにも、驚きの表情が浮かぶ。いろはの視線が八幡に向いた。これは先輩の差し金ですか? 細められた視線は、内心の疑いを物語っている。

 

 話がスムーズに進むならば依頼主としては歓迎すべき事態のはずなのだが、いろはは疑心暗鬼が先に立つタイプのようである。

 

「はっちゃんは賛成?」

「お前の頼みだからな」

「もう、はっちゃんったら……はるさんに言いつけちゃうぞ?」

「それは勘弁してくれ。で、詳細についてだが……」

「それはまた明日ってことで良いかな。資料を作って出直してくるよ」

「よろしく頼む」

 

 話はそれで終わりと踵を返しためぐりの背中に、いろはが慌てた様子で視線を向ける。これで帰るの? とめぐりと八幡たちを交互に見るが、めぐりに世間話をするつもりがないことは見れば明らかだ。それにめぐりが持ってくると言っている資料だが、話の流れからして作成するのはいろはの仕事である。

 

 まだ何も手をつけていない状態だ。既に今代、先代の会長の間で話がつき、ある程度の方向性は決まっているとしても、それを文章に起こすのはそれなりに手間がかかる。世間話などしている暇はない。いろはは奉仕部の部室を見まわした。雪乃、結衣と奥にいるメンバーから順に視線をやり、最後に八幡に目を止める。

 

「それじゃ、先輩。よろしくお願いしますね」

「ああ。お前も選挙頑張れよ」

 

 そっけない対応は、いろはの美少女としての自尊心を大いに刺激した。とびきりの笑顔の中に僅かに険が混じったことに、八幡は気づかないふりをする。強化外骨格をまとった陽乃を相手に、何度も通った道である。たかが美少女の笑顔一つで挙動不審になったりする時期は、既に通り過ぎたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悔しさを漂わせたいろはの背中が見えなくなるまで見送ってから、八幡は奉仕部の面々を見渡す。

 

「で、どうして受けることになったんだ?」

「あら、比企谷くんは反対? ああいう女子は、男子の好みそうなところだと思ったのだけど」

「そういうどう答えても外聞の悪い質問するのやめろよな……今回の依頼と戸塚のテニス部の時と、全く状況が違うだろ? 打算的というか、あまり関わり合いになりたくない系の依頼っつーか……」

 

 所謂政治的な案件である。三年の八幡はあと半年もすれば卒業だが、一年である雪乃たちはまだ二年以上在学期間が残っている。おかしな関わりを持って後の学園生活に影響がでたら、ということを八幡は心配していた訳だが雪乃を始め、四人はどこ吹く風だった。

 

「そんなの今さらでしょう? 私はあの人の妹だし、貴方はあの人の閥の人間。貴方が設立したこの部も、見る人間が見れば政治的背景を感じるはずよ」

「だからって率先して政治な話に関わる必要もないっつーか……」

 

 いつになく八幡は食い下がるが、それに意味がないことは良く解っていた。既に依頼は受けてしまった。今さら反故にしては信頼に関わる。一度イエスと言ってしまった以上、受けるしかないのだが、雪乃たちが検討もせずあっさりと依頼を受けた理由が八幡には解らなかった。八幡自身はめぐりにとてつもない義理がある。陽乃に絶対と命令されない限り口にしないが、めぐりは大事な友人であり、その頼みならばできる限りきいてやりたいと思っている。

 

 だが、雪乃たちにはめぐりに義理はない。生徒会選挙のためのポイント稼ぎなど、普段であれば最も嫌がる案件だと思うのだが……

 

「混乱してる様子ね。いつもの澄ました顔を見ていると、世の中に解らないことなんてないって誤解してるものだと思っていたわ」

「そこまで自分に自信持てねえよ。世の中知らないことばっかりだ」

 

 全員が同じ理由で依頼を受けた。八幡が解ったのはそこまでだった。結衣にも姫菜にも視線を向けるが、二人は笑顔を向けるだけで答える様子はない。唯一、聞けば答えてくれそうな沙希に目を向ける八幡だったが、彼女は顔を真っ赤にすると思い切り首を横に振った。

 

 お願いですから聞かないでくださいと全身で訴えている。聞けば答えてくれるのだろう。その確信が八幡にはあったが、これを無理に聞きだすのは男として終わっている気がした。

 

 結局、その日一日、八幡は雪乃たちがどうして依頼を二つ返事で引き受けたのかを悩み続けた。雪乃たちもそれには応えない。何でも率先してこなす上級生の男子が、頭を悩ませているのを見るのがたまらなく面白かったからだ。

 

 雪乃たちからすれば、何故理解できないのかが解らないが、それが比企谷八幡という男なのだろう。

 

 友人が、その友人のために何かしようとしている。ただ、その手助けをしてやりたいと思うのは、これもまた、友人としては当然のことだ。この学校に友達が一人しかいないと思っている彼には、きっと理解できないことである。

 

 精々混乱するが良いのだ。尚も難しい顔をしている八幡を横目に見ながら、雪乃は小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ来る頃だと思ってたよ」

『はっちゃんは何でもお見通しだね』

 

 自宅に戻り、風呂にも入って一息ついていた頃、まるで暇な時を見計らっていたかのようなタイミングでめぐりは電話してきた。着信音は一般の物と同じもの――つまりは個別設定をしている陽乃でも小町でもない。だが八幡は、画面を見るまでもなくめぐりからの電話だと解った。

 

 陽乃以外に、八幡に電話をかけてくる人間は少ない。この世で最も会話をする女性であるところの小町は一緒の家に住んでいるし、奉仕部のメンバーは電話よりも文章でのやり取りを好む。めぐりは八幡の知り合いの中ではほぼ唯一の、文章よりも会話を好むタイプだ。

 

「態々電話ってことは、俺だけに別件で依頼ってことだな」

『いろはちゃんにも雪乃ちゃんたちにも秘密でお願いね。これははるさんとも相談して決めたことなんだけど……』

 

 めぐりの顔色から何かありそうだと予感した時から、そういう内容だろうと思ってはいたのだが、果たしてそれは八幡の想像した通りの内容だった。依頼内容――早い話、遠回しな陽乃からの指令を受け取った八幡は、深々と溜息を吐いた。

 

「……俺の知らないところでそこまで話が固まってたんだな」

『はるさんもあれで結構心配性だから。それで、こういう話だから『あの人』に協力してもらうってことになって、もう話は通してあるんだけど……』

 

 電話の向こうで、めぐりが申し訳なさそうな声を出す。彼女の言う『あの人』に対して、八幡があまり良い感情を持っていないことを知っているからだ。それは向こうの方も解っているのだろうが、どういう訳だかあちらの八幡の受けはそれ程悪いものではない。

 

 それは大いにあちらの自尊心を満たすことであるのだろう。気持ちは解る。八幡も逆の立場だったら、気分を良くするはずだ。できることならば顔も合わせたくないのだが、それは八幡個人の事情であり仕える女王様には何も関係がない。どれだけ苦手な人間が相手でも、陽乃がやれというのならば手も握ろう。

 

「陽乃がやれって言うなら、俺に文句はないな」

『……仲良くしてねとは言わないけど、喧嘩しないでね?』

「俺が我慢すれば済む話だから、大丈夫だろ。どういう訳かあっちには嫌われてないみたいだしな」

『はっちゃんってば、ちょっと特殊な人にモテるからね……』

「特殊とか言うなよ……」

 

 モテているかは知らないが、実際八幡の周囲には普通ではない感じの知り合いが多い。これで結構個性的なめぐりが極めて普通の女子に見えるのだから、その普通でなさっぷりが伺える。没個性で固められるよりはマシなのだろう。事実、陽乃と付き合うようになってから、ほとんど退屈したことがない。

 

「俺からあいつに連絡したい時はどうすれば?」

『なんだっけ。ライン? で連絡できるようにする方法を聞いてきたから、それで逐次連絡を取ってだって』

 

 つまりあまり好ましくない相手と、既読だ未読だと気にするような関係にならなければならないのである。陽乃も八幡があちらと相性が良くないのを知っている。これはきっと、そういう趣向のプレイなのだろう。陽乃らしい悪趣味だが、その扱いに少なくない快感を憶えないようでは周囲からまで犬と呼ばれるようにはならない。

 

 めぐりとの電話を切り、設定を終えると早速メッセージが飛んできた。

 

『一緒に仕事なんて不思議ですね』

『全くだ。解ってると思うが、連絡取ってるとはバレないようにしろよ?』

『その辺は大丈夫ですよ。外では初対面って感じで?』

『顔見知りくらいで良いんじゃないか? 実際、会ったことない訳じゃねえだろ』

『そうします。後は、雪ノ下先輩の計画の通りに。事情が変わったら逐次連絡を入れますんで』

『了解。それじゃ、色々よろしく頼む』

『こちらこそ。『女王様の犬』と一緒に仕事なんて、楽しみです』

 

 それで、メッセージのやり取りは終わった。画面を見ながら思う。こんなに普通な奴だったか? 一方的に距離を置いていたから、実際、あいつがどんな性格をしていたか、実のところ正確なところは覚えていない。一方的に抱いていた嫌悪感が、無駄にハードルを押し上げていたのかもしれない。

 

 これなら仲良くとはなれなくとも、平穏無事に仕事をすることができそうだ。とりあえず一安心した八幡は、日課の勉強をこなし、落ち着いた気分で床についた。

 

 それが全くの間違いだったと知るのは、もう少し後。今年の実行委員会が初めて招集される日のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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