犬とお姫様   作:DICEK
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このように、一色いろはは力を得る

 

 

 

 学校である以上年齢を学年を跨いだコミュニティに所属することは、よほど他者との交流を避けていない限り必須と言える。それは委員会であったり部活であったりとクラス以外の手段であることが常であり、どういうコミュニティが存在するか、またどのコミュニティに所属しているかは、学内のコミュニティの上下と本人のヒエラルキーに大きな影響を及ぼす。

 

 運動部が文化部よりも偉く、文化部の中でも漫研部が偉くない。また運動部の中でも卓球部などが下に見られるというアレである。何の根拠があるのか知れないが、それなりの信ぴょう性があるかもしれない序列である。本人たちでさえ自分がそれを信じているのか理解できないあやふやな基準の中で、一際異彩を放つ集団が総武高校にはあった。

 

 名前を奉仕部。設立当初は部員が三名しかいなかったため同好会だったが、後に二名の部員が加入したことにより部へと昇格した。部への昇格には本来もう少し煩雑な手続きが必要なのだが、今後一切の部費を求めないこと、部室は空き教室を使うこと、そこを出ていけと言われたら出ていくなどの条件を積み上げた結果、生徒会執行部からあっさりとOKを勝ち取った、総武高校で久しぶりに新規に設立された部である。

 

 その部室に、一色いろはは足を踏み入れた。約束の時間よりも早くきたはずだが、部室の中には部員全員が揃っている。

 

 入り口に一番近い席に座っているのが、海老名姫菜。眼鏡をかけた一見無害そうな少女であるが、かなり救いようのない『腐女子』であることが一年女子には知れ渡っている。結衣と共に一年で最も上位カーストである葉山グループに属しているが、同時にその腐った趣味を持つ同好の士のコミュニティにも属している。趣味の割りには顔の広い少女だ。その筋ではそこそこ著名な物書きであるらしいが、いろはは興味がなかった。

 

 姫菜の隣、雪乃に向かいあうように座っているのが由比ヶ浜結衣である。姫菜と同様、葉山グループに属しており、一年の女帝として振る舞っている三浦優美子に最も気に入られている少女だ。おそらく一年で最も巨乳であると一部の女子からは目の仇にされている。それ以外には取り立てて長所というか特徴がある訳ではないが、この部に平気で居座れる辺り、頭のどこかのネジが外れているのだろうといろはは考えている。この中で誰となら友達になりやすいかと言われれば、間違いなく彼女だろう。

 

 その向かいに座って文庫本に視線を落としているのが雪ノ下雪乃である。ある意味、一年の中で最も有名な女子だ。本人の容姿、能力もさることながら、先々代の生徒会長である雪ノ下陽乃の妹であるというのが、彼女を一際有名にさせていた。聞いた話では姉妹仲はそれほど悪くないそうだが、陽乃の妹として扱われることは雪乃としては甚だ不本意なことであるらしく、それが原因という訳ではないようだが、基本的に他人と積極的に交流を持とうとはしない。

 

 それでも女子の多い国際教養科では引く手数多で、女王と呼ばれた陽乃に対し姫と呼ばれて持ち上げられているらしい。この呼称も雪乃の好むところではないらしいが、いろはの印象も確かに姫である。他人から姫と呼ばれるのも仕方のないことなのだろう。

 

 その三人の集団から少し離れるようにして、参考書とにらめっこをしているのが川崎沙希である。部室に入ってきたいろはにも視線も向けずに参考書に視線を落としたままだ。ヤンキーっぽい見た目と裏腹に勉強に打ち込んでいる姿が散見され、部室でも参考書を開いていることが多いと聞いている。

 

 またこの見た目で裁縫が得意技ということはどういう訳か一年女子に知れ渡っており、そのギャップから地味に男子のファンも多いらしい。なお、結衣に次いで一年女子の中では巨乳であると目されている。

 

 誰ともつるむ気はないぜと孤高な雰囲気を出しているにも関わらず、比企谷八幡には尻尾を振って後をついていく姿が校内でさえ多々見られる。普段と違う嬉しそうなその表情から『犬の犬』などと陰口を叩かれており、それは当然本人の耳にも入っているはずなのだが、彼女に気に留めた様子はない。おそらくその陰口を気に入っているのだろう、というのがいろはの見立てである。

 

 更にその四人から離れて、奥まった椅子に座っているのが比企谷八幡だ。彼も沙希と同様に学校にいる時は参考書とにらめっこをしているか、そうでない時はめぐりに捕まって話し相手にされているかのどちらかである。彼女以外に友達がいないというのが彼の持ちネタであり、彼が他人と話しているところはめぐりに捕まっている以外は奉仕部でしか見れないとまで言われている。

 

 実際にはそこまでではない。用事があれば話しかけるし、質問をされればきちんと答えてくれる。見た目の悪さに反して律儀だし誠実ではあるのだ。一部対応が雑になることはあるが、それでも引き受けたことを途中で放棄したりはしない責任感がある人だ、というのはめぐりの評価である。

 

 その八幡がいろはがやってきたことに気付くと、参考書から視線を上げた。視線を廊下に向け、いろはが一人であると確認すると、始めるぞ、と他の面々に声をかける。八幡がいる奥まった方へ全員が椅子を寄せ、会議のムードになった所に、いろはも部室の隅から椅子を持ち出し、結衣の近くに座る。

 

 全員が着席したのを待って、さて、と短く言葉を発した八幡は、

 

「相模の奴を首にする。何か質問は?」

「…………いや先輩、その短い言葉の中に疑問しかないんですけど」

「そんなに分かりにくかったか?」

「結論を先に言うのは構わないけれど、普通は過程も説明してから質問を受け付けるものじゃないかしら」

「それもそうだな……昨日の会議に来た陽乃から、このままじゃ間に合わないと言われた。俺と城廻の見立てはもう少し先だったんだが、今の時点で相当危ないらしい。あの人の基準だとな」

 

 いろはも進行状況に危機感は抱いていたが、危機レベルでは八幡やめぐりの方に近い。総武高校の文化祭に対し一番危機感を持っているのが卒業した陽乃というのも皮肉な話であるが、彼女が危ないというのならば危ないのだろうと、いろはも思い直した。事態はいよいよ以て深刻であり、そこから南を首にするという話に繋がるのだろうがそれでも、いきなり首というのはいろはの理解が追い付かない。

 

「それでその状況を打破するために、実行委員長の首を挿げ替えることにした。差し当たっては代わりの第一候補のお前に話を持ってきた訳だ」

 

 八幡は鞄から書類を取り出していろはに渡す。見ても良いよいう雰囲気だったのでクリアファイルから取り出すと、中から出てきたのは十人分の署名が入った『委任状』だった。曰く、此度の文化祭実行委員長のリコールについて、投票権を1年E組一色いろはに委任するものであるなどなど。

 

「なんですかこれ?」

「工作が済んだって証明みたいなものだな。うちのご主人が事態を憂慮されていると端から声をかけて回ったら、全員快くそれにサインをしてくれた。勝手に名前を使って悪いが、お前を発起人ってことで解任請求をする」

「解任請求って……そんな簡単にできるものなんですか?」

「簡単ではないな。その組織に所属する人員の三分の二の賛成がないと不可能だが、実行委員会に所属する60人の内、三年の二十人は白紙委任を受けた。残りはお前と一緒に作業してる連中を足せば三分の二は超えるし、足りなければ相模のグループから引っ張ってくるまでだ」

「でもさヒッキー先輩、そういう時に友達裏切ったりするかな」

「沈む船に好んで残る奴はいないだろ? どのみちサボりのためだけに連帯してるようなもんだしな。ここでゴネたら仕事が遅れた責任を明確に追及されるとなれば、喜んで裏切ると思うぞ」

 

 うんうん、とそれに続くのは雪乃と姫菜である。二人の反応に結衣は納得いかない様子だったが、反論はしなかった。おそらくそうなるだろうことが、彼女にも理解できたからだ。

 

「それでその後の話だが、委員長が解任された場合即座に——厳密には即座ではないんだが、今回は即座になるだろうからそういうことで頼む。ともかく即座に委員長の再選挙が行われる。その時にお前が推薦されるようにしておくからそこで委員長になってくれ」

「簡単に言ってくれますけど、そこで票を集めるって難しくないですか?」

 

 そもそも委員長に強く推してくれるだけの頭数を揃えられるなら、最初から根回しをして委員長になっていた。棚ぼたの副委員長に収まっているのは、それができなかったからである。リコールされるということは、まさか現委員長である南に票は集まるまいが、だからと言っていろはに手放しで票が集まるかと言えばそう簡単なものではない。

 

「そうでもないだろう。相模がお前の名前で首になる上、時間がないってことでせっついてる以上、何も知らない連中の頭の中に出てくる候補はお前しかいないし、仮に自分がなりたいって思ってる人間がいたとしても、なし崩し的にお前が最初に立候補しちまえば、それを押しのけてまで立候補はしない。候補が一人しかいなければ信任投票だ。白紙委任を受けてる三年生とお前と一緒に作業した連中を合わせれば半分は超える。解任請求が通ればお前の委員長就任は決まったようなもんだな」

 

 そしてその解任請求はほぼ通ったようなものであるから、いろはの委員長就任は決まったようなものであると八幡は言外に言っている。そこに至るまでの過程は物騒であっても、そこに拘らないのであれば委員長就任というのは当初いろはが望んでいた状況である。

 

 既にスケジュールが差し迫っている以上、普通に文化祭を開催するだけでも株は上がるだろう。そこから更に素敵なものにすることができれば、ポイントの上積みも可能である。生徒会長戦を視野にいれているいろはにとってはこの上もなく好ましい状況であるのだが、ここまで八幡たちがお膳立てしてくれる理由がいろはには解らない。

 

「依頼をしただろう? 俺には――」

 

 言葉を遮るようにして、机を軽く叩いた雪乃をちらりと見て、八幡は小さく溜息を吐いた。

 

俺たち(・・・)には、それで十分だ。お前はポイントを稼げる。俺たちは活動実績が得られる。おまけに文化祭が軟着陸して無難に終わるなら、俺個人としても言うことはないな」

 

 欲を言えば成功させたいというのが八幡の本音であるが、スタートダッシュに失敗した今それが難しいことは自覚している。陽乃が参戦したとしても、今から巻き返すのは不可能だ。どれだけダメージを少なく切り抜け、かつその中でどれだけ自分たちに都合の良い状況に持っていくことができるか。八幡が考えているのはそれだけである。

 

「で、まさかとは思うんだが反対したりしないよな? ここまで他人の力を借りるのは嫌だというのなら早目に言ってくれると助かるんだが……」

「どうしてですか? 反対なんてする訳ないじゃないですか。立っているものは親でも使う主義ですよ、私」

 

 八幡を含めた全員が、いろはを見る。依頼を受けた身とは言え、一方的に今後の行動を決めたのだ。多少なりとも反対されると思っていたのだが、いろはは少なくとも表面上は全面的に賛成をしている。喜々とした表情で三年生の委員全員のサインが入った書類を見ていたいろはは、自分に視線が集まっていることに気づくと、苦笑を浮かべて手をぱたぱたと振った。

 

「勝ち方に注文をつけられるような立場なら、最初から先輩たちに依頼なんてしてません。自分一人じゃ勝てないからこそ、人の力を借りたんです。違いがあるのは0か1だけで、10と100には大した違いはないんじゃないでしょうか」

「十倍も違ったら、大きな違いだと思うのだけれど……」

 

 言葉の始めには苦笑だったのに、終わりにはもうドヤ顔を浮かべている。肝の太さと変わり身の早さに逆に八幡の方が苦笑を浮かべる始末である。それを好感触と判断したいろはのドヤ顔にはますます力が入るが、そのせいで雪乃の突っ込みは無視されてしまった。自分の見せ場に水を差すような言葉など、一色いろはは欲していないのである。

 

 それに、悪いことばかりではない。自分で依頼をしたとは言え、ここまでお膳立てをしてもらったことは八幡と奉仕部に対する大きな借りができたことを意味するが、彼らと繋がりができたと思えば悪い話でもなかった。

 

 グループの中核である陽乃が卒業した今も総武高校で大きな影響力を持っている彼女のグループであるが、流石にピークは過ぎており、ゆっくりではあるがその影響力は下降線を辿っている。子分の代表であった八幡とめぐりが卒業すれば、その影響力は目に見えて小さくなるだろう。のし上がることを目指しているいろはとしては、そうなる前にその力を使いたいのである。

 

 人当りの良いめぐりはともかくとして、八幡はどうみても社交的な性格ではない。自分からぐいぐい行かないと関係を維持するのも難しい。自分の容姿に自信を持っているいろはは、もう普通の同級生であればダース単位で恋に落とせそうなくらい八幡に笑顔を振り撒いているのだが、八幡の態度はとてもつれない。

 

 恋人がいる男性の反応と考えれば誠実と言えなくもない。いろはとしてもむしろ、こうである方が好感が持てるくらいだ。突っかかるようになる前と比べると、確実に今の方が八幡に好意を持っていると断言できるがそれだけに、自分が相手にされていないという事実を突きつけられるのは、中々に傷つくのである。

 

 全く手ごたえがない訳ではないというのが救いではあるものの、これまでの付き合いから受け身ではどうしようもないということは嫌という程学んでいる。今の時点で彼とゼロから付き合おうと思うのならば、鬱陶しいと思われるくらいでちょうど良いのだ。

 

「ともかく! その申し出ありがたくお受けします」

「まぁ、お前が良いなら良いんだが……」

 

 もう少し反対されると思っていた八幡は、いろはの態度に拍子抜けしていた。こういういかにも男に媚びるタイプの女は自分と相性が悪いと今までの人生経験から強く思っていたのだが、この面の皮の厚さと勝利のためには手段を選びませんという図々しさは八幡にとって好感の持てるものだった。

 

「お前、思ってたよりも厚かましい奴だな」

「そんなに褒めないでくださいよー」

 

 それが八幡なりの褒め言葉であることを理解できる人間は少ないのだが、いろはは当たり前のように自分が褒められていると理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして大して打ち合わせもしないまま一日が過ぎて翌日。委員全員が出席した全体会議において、一色いろはの名前で出された委員長の解任請求は、57対3という圧倒的大差で可決された。梯子を外され、目に見える形でつるし上げられることになった南はしかし、新しく委員長に就任したいろはによって、一応、救われることになる。

 

「私も一年ですし、補佐が必要ですから」

 

 その一言により、いろはと役職を入れ替える形で南は副委員長に就任した。これ以上ない程の晒し者状態に、むしろ南に同情が集まり、彼女への風当たりも想像よりは弱くなったという。彼らも自分たちの投票によって南がつるし上げられたのだという自覚はあるため、特に裏切った面々はその空気に安堵したという。

 

 いずれにせよ、これが一色いろはのデビューとなった。長い長い付き合いになる比企谷八幡との、最初の一仕事である。

 








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