犬とお姫様   作:DICEK
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不機嫌そうに、比企谷八幡はため息を吐く

 

 

 

 

 

 

 

 

 サボり組は心を入れ替えたかのように働き、遅れていた分も含めて仕事は極めて順調に進んだ。その結果、一昨年の陽乃時程とはいかないまでも、文化祭の企画や出店の数、質は充実し近年では充実したものになった。少なくとも去年は超えることだできたはずである。スタートで出遅れた割には完成度の高い文化祭になったのは、外部協力者の質が高かったからだ。

 

 委員長は一色いろは。働いたのは実行委員を始め準備に励んだ一般の生徒たちだが、空中分解しそうだった委員会をまとめ上げ一年にして、しかも途中から委員長になるという前例のない展開で耳目を集めた。二年の生徒を追い落としてという事実だけを見ればあの一年は生意気だ的な反応はちらほらあったものの、元々サボり組の態度に問題があったこと、そしてそのサボり組の代表である相模南が取り巻きを連れてきちんといろはに頭を下げたことで、マイナス面の印象は概ね払拭された。

 

 加えて、一年にして次期会長になろうとしているといういろはの情報は、実行委員会での顛末が学校中に広まるに連れて広まった。立候補者の公示はまだ先のことであるものの、既に全ての生徒がいろはを立候補者の一人として認識している。

 

 既にめぐりは二年の生徒を後任に推すことをそれとなく知らせていたが、中にはいろはが後任であると認識する者まで現れるようになった。知らない生徒から会長戦がんばれよ、と声をかけられまくる日々である。最初は自分の時代が来たと舞い上がったいろはも、それが途切れることがないと理解できるとげんなりするようになる。

 

 声をかけてくれる以上自分の支援者であり、無下にすることはできない。それが途切れることなく、しかも知らない人間なのだから、精神的な疲労は計り知れなかった。自分は相当に面の皮の厚い人間だと思っていたいろはだったが、その認識を変えるべきかもしれないと本気で思うようになる。

 

 準備を進めていたこれまでの時間よりも、文化祭前日と当日の方が間違いなくキツいと思うのは間違いなくそれのせいだった。そして恐ろしいことに文化祭は今日で終了となるが、生徒会長選挙はまだ先の話である。これがまだまだ続くのかと思うと、立候補を取りやめようかなという気さえ起こった。

 

 とは言え、そんな弱気の虫の声に耳を貸す訳にはいかない。どれだけ疲れようとそれがあの時からのいろはの夢であり、これはその第一歩だ。見上げる壁は高くともようやくその壁に手をかけ足をかけることができた。今までは遠くに見上げるだけだった壁を登り始めようとしている自分に、気怠い疲れを覚えながらもかつてない程興奮している。

 

 自分の時代がきた。流れが来てる。それを信じ、有頂天になってもおかしくない展開であるのだが……興奮する自分を自覚しつつも、いろはの中にはどこか冷静な部分があった。考え得る限り最高の環境が自分の周囲にできあがっている。クラスにも応援ムード。知らない人間にも多く声をかけられた。知名度で行けばめぐりが推す役員の先輩よりも自分が勝っているという自信がある。

 

 たかが高校の選挙であれば、それはとてつもなく有利なカードだ。加えていろはは自分が激しく男受けするタイプだということを自覚している。能力という点で役員の先輩に勝てるかと言われると首をひねらざるを得ないものの、見た目の華で言えば圧勝だ。仮に立候補者を当日に立て、その時の印象、話す内容で決めるような選挙があるとすれば大体の人間には勝てる自負があった。その先輩とは百回やれば百回全てで勝つだろうが、そんな都合の良い勝負はこの世にはない。

 

 だからこそめぐりを介して奉仕部に依頼をしたのだ。依頼はまだ継続している。この雰囲気の上、まだ彼らの援助を期待できるのであれば、もう勝ったも同然だろう。結果そのものが出るのはまだ先の話であるが、依頼は達成されたと言っても良い。

 

 興奮した思考を冷ますように、大きく息を吐く。

 

 さて、一体どこからどこまでが『彼』の手が入っているのか。一度疑問を持ち出すといろはには全てが疑わしく思えてきた。奉仕部に依頼を持ちこんだ時からだろうか? それともめぐりに話を持ちかけた時から? 何時からというのはこの際問題ではない。全てが疑わしいというのであれば、本当に全てを疑うべきだと思ったが、全てとなると余計に難しい。

 

 これを絞りこむことが、いろはには全くできなかった。予感はある。彼らは何か手を回した。おそらくそれは間違いないのだが、その確たる証拠というのを提示できない。それはいろはにとって精神的な敗北ではあるが、しかしいろはの精神以外に何らダメージを与えるものではなかった。

 

 不気味ではある。何となく釈然としない。だが、本当にそれだけだ。仮に証拠をあげて彼に突きつけたとしてもそれでいろはが得るものは何もない。このままでも何ら問題はないのだ。それがまたいろはの敗北感を強くしたのだが、しばらく考え、いろははそれを受け入れることにした。

 

 彼我の戦力差がどうしようもないということが実感できた。それだけでも良しとしよう。元より彼女は邪魔者には容赦しないという。これだけ得るものがあったのだ。まさか排除の対象とは思われていないはずだ。今がまさに持ち上げて落とす途中という可能性は捨てきれないものの、自分の理解の及ばないことをいつまでも気にしても仕方がない。

 

 考えることは止めないが、気にすることはやめにした。今のところ彼らは味方である。それが解れば、それ以外は些細なことだ。

 

「委員長」

 

 考え事をしながら歩いていると、隣を歩く副委員長に呼び止められた。文化祭当日にも委員長の仕事は山ほどある。出し物の受け持ちをしていない生徒は友達なり恋人なりと文化祭を謳歌しているのだがろうが、委員長にそんな暇はない。本部に詰め見回りをし、イベントのスケジュールの確認を直に行う。今のところ大きな問題は起きていないことが唯一の救いだ。

 

 今は本部に戻るまでの移動中。正門を正面に見て、一年用の昇降口から校内に戻る途中だったのだが、副委員長の視線は正門を指していた。それを追ってみる。詳細を求めるまでもなく、彼女が何を言いたかったのかいろはには理解できた。

 

 そこには一組の男女がいた。正門で待ち合わせしていたのだろう。彼女は卒業生だ。中に入ってからもっと解りやすい場所で待つこともできたはずだが、態々正門で待ち合わせたのは、そこが外部に恋人がいる在校生にとって定番の待ち合わせ場所であるからだろう。

 

 定番など彼が最も好まないものだ。それを態々選ぶ辺り彼女らしいという気もする。満面の笑みを浮かべた彼女は苦虫を噛み潰したような顔をしている彼に笑顔を振り撒くと、腕を取って歩きだした。その道を妨げないようにと、人だかりがさっと開く。

 

 周囲の賑わいはそのままに、しかしここには自分たちしかいないとばかりに、二人は文化祭を楽しみ始めた。恋人などできたことのないいろはだが、彼らのそれが恋人らしい振る舞いとはイマイチ思えなかった。彼女は心の底から全てを楽しんでいるように見えるが、彼の方はそうでもない。

 

 必要だからやるというだけで、彼は目立つことが好きではない。一方の彼女は幼い頃から目立つことが当たり前だった。衆目を集めることに関しては経験値が絶対的に違う。前よりは慣れたと言っても、それは誤差のようなものだ。

 

 居心地が悪いと顔に出しながらも、彼に文句を言っている様子はない。聞きしに勝る犬っぷりである。一緒にいるのを見たのは初めてではないが、周囲を気にせず恋人のように振る舞っているのを見るのはこれが初めてだ。

 

 幸せな恋人たちには違いないのだが、どこか歪に見えるのは彼の方の人となりを知っているからだろう。色々な意味で気になっている彼が恋人といるのを見て、いろはの心に漣が立つ。これはもしや嫉妬なのかしら、と益体もなく考えて、心中で苦笑を浮かべた。いやいやまさか。そんなことがあるはずがない。

 

 一体どこの女が好き好んでそんな面倒臭い恋をするというのか。彼でなければいけない理由はないし、世の中に男は他にも大勢いる。何も女王様に囲われている犬に手を出す必要はないのだ……

 

 ともあれ珍しい八幡の姿をまた見ることができた。後でそれをからかうことにして、この場は逃げると決めた。一色いろはは雪ノ下陽乃に憧れているが、いつでもどこでも仲良しになりたい訳ではないのだ。

 

 だが副委員長を促して踵を返そうとしたまさにその直前、離れた場所にいたはずの陽乃の視線がしっかりといろはを捉えた。そのことに不幸にもいろは本人も気づいてしまった。気づかなかった、と誤魔化すことはできないだろう。何しろしっかり目が合って、微笑みまで向けられてしまったのだから。

 

 遠くに見える八幡も面倒くさいことになった、と苦り切った表情をしている。そんな顔しないでください先輩私だって予定外なんですからーと心中で聞こえもしない言い訳をしていると、女王様は笑みを浮かべて近寄ってきた。

 

「いろはすちゃん、ひゃっはろー」

「ひゃ、ひゃっはろー」

 

 意味の分からない掛け声だったが、反射的に返事をしてしまった。自分一人だけが果てしなくバカになったような気がする。眼前の女王様が言ったから自分も繰り返しただけなのに、ダメージはこちらにだけしかきていない。ズルい。不公平だ。助けを求めて横を見れば、副委員長はいろはと僅かに距離を開けて他人の振りをしていた。話しかけないでくださいと全身で主張している。

 

「この前は心配しかなかったけど、凄いじゃない。ちゃんと形になって」

「ありがとうございます」

 

 褒めてくれてはいるが、100点の褒め方ではない。陽乃の言葉がいろはの胸をちくりと刺した。確かにサボり組の件がなければもう少し良い文化祭にすることはできただろう。陽乃からすれば、もっと早く手を打たなければならなかったということだが、一色いろは単独ではそれも難しかったのだ。二年の集団であるサボり組を何とかするためには結局のところ奉仕部――より具体的には八幡の力を借りなければならなかった。

 

 やり出す時期の見極め、そのための根回し、普段からの得点稼ぎに貸し借りの清算。勉強になることは沢山あった。次に同じことがあればもっと上手く処理できる。中途半端な出来の文化祭という無様を晒してしまったが、得るものは沢山あった。現時点での実力不足は認めて次に活かせば良い。起きてしまったことはもうどうにもならないのだ。後はもう、せめて前向きに考えるより他はない。

 

 ここをこうしたかった、今度はこうしたい。いい訳ならば腐る程思いついたが、それを陽乃が聞きたがっているとは思えなかった。笑みを浮かべたまま中身のない世間話を続けていると、陽乃の方から話を切り上げてきた。元より男連れである。大して仲良くもない女と、時間をかけてまで話を続ける理由もないだろう。

 

「それじゃあね? 今度時間がある時にでもゆっくりお話ししようよ」

「楽しみにしてます。雪ノ下先輩も文化祭とステージ、楽しんでください」

「忘れてないよー? 大丈夫!」

 

 ひらひらと手を振りながら、陽乃は去って行った。

 

 無言を貫いた八幡はなるべく視線を合わせないようにしていたが、すれ違う一瞬、いろはと視線が合った。視線と表情だけでどれ程の思いが伝わるのか。いろはは小さく笑みを浮かべた。声は出さなかったが、声をつけるとしたら『へー』とでもなっただろう。普段最上級生である八幡が『犬』になっているのを揶揄した表情だったが、その思いはしっかりと八幡に伝わったらしい。

 

 顔を逸らした八幡の顔は先ほどにも増して苦り切っていた。陽乃に引きずられるようにして遠くなっていく八幡の背中が見えなくなると、いろはは声を出してガッツポーズをする。普段の色々に対して仕返しをした。後で何を言われるかは知ったことではないが、とにかく今は気分が良い。文化祭の準備のために色々苦労もしたが、今の一瞬で十分に元が取れた気がする。委員長にもなってみるものだ。

 

「それじゃあ、仕事に戻りましょうか」

 

 しれっと隣に戻ってきた副委員長にも、大らかな気持ちで接することができた。首にチョップを決められぐえとうめき声を上げる副委員長を放って、いろはは仕事に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八幡が陽乃から解放されたのは彼女のステージが始まる30分前だった。陽乃は体育館に向かいこれからステージに立つ訳で、途中で合流しためぐりもそれに着いて行った。陽乃のソロステージかと思っていたのだが、めぐりと二人でやるらしい。微妙に疎外感を憶えないでもないが、慣れないギターの練習を死ぬ程やらされないだけマシだったと前向きに考えることにした。

 

 絶対に見に来るなと言われているので、万が一にも体育館の音が聞こえないような場所――一番離れた校舎の屋上まで避難してきた。聞かないだけならば帰れば良いのだが、この後身内だけの打ち上げが行われるためそうもいかない。実行委員会主催のものではなく完全な身内だけの集まりなのだ。陽乃、八幡、めぐりに静。完全に前の生徒会のメンバーである。

 

 打ち上げとは言うが、自分が巻き込まれた時の文化祭と比べると何もしていないと言っても良いくらい働いていない。陽乃に至っては集まりに顔を出して資料を見て、これからステージで歌うだけだ。女王様もそれは理解しているから学校の方の打ち上げには参加しないのだろう。単純に大して仲良くもない人間と顔を合わせたくないだけの可能性の方が高いが、それは言わぬが華である。

 

 フェンスに寄りかかりながら、ぼーっと校庭を眺める。

 

 陽乃がいる体育館ではステージが行われているが、その間最後のイベントであるキャンプファイヤーの詰めが行われている。

 

 ステージも華であるが、個人の思いで作りとなればキャンプファイヤーに軍配があがるだろう。既に恋人がいる生徒、これから恋人を作りたい生徒、参加したい人間の思惑は様々だが、伝統的にそうだとされているのだから人間が思う普遍的な『良い雰囲気』というのがキャンプファイヤーにはあるのだろう。

 

 実際、これを機にカップルになりましたという人間は八幡の世代にも多い……らしい。興味は全くなかったがアンケートではそういうことになっていたので、知識としては知っている。

 

 今年もリア充たちがあの炎を囲んで踊るのだろう。そう思うと自分に合わな過ぎて吐き気がしてくるが、燃える炎を一人でただぼんやりと眺めるのも、それはそれで趣がある。どの道、陽乃がフリーになって彼女の打ち上げに呼ばれるまでは自由時間だ。ここで一人、遠くから炎を眺めるのも悪くはない――

 

「絶対ここだと思いましたよ」

 

 ――はずだったのだが、聞こえた自分以外の声に八幡は深々と溜息を吐いた。予め用意しておいたそいつの分の缶コーヒーを差し出すと、ててと駆けよってきたその女生徒はありがとうございまーすと、軽い口調で受け取る。来てほしくなかったが来る予感はしていた。人間良くない予感は当たるものだ。

 

 蓋を開け、ちびちびとコーヒーを飲みながらキャンプファイヤーの炎を眺める女生徒の横顔を見る。美人の部類には入るのだろう。少なくともクラスの中ではイケている部類に入るに違いない。陽乃は元より雪乃ほどに美少女度は高くないが、結衣同様に自分の容姿を最大限活かそうという年頃の女子らしい努力が端々に垣間見える。

 

 ぱっと見はリア充側だ。事実彼女はリア充のグループに属しており、それなりに人望もある。だが八幡の目を引くのは何よりその眼だった。切れ長の瞳のその奥には、どんよりと濁った黒々としたものが渦巻いている。比企谷八幡はどういう訳かそれが一目で解る。それは女王様と同じ『ロクデナシ』の目だった。

 

 人物評価の恐ろしく辛い陽乃をして、現在総武高校に所属する生徒の中で唯一、雪乃以外に天才と言わせしめたのがこの女だ。希少性で言えば自分よりも遥かに価値のあるこの女のことが八幡はあまり好きではなかったが、今回のことはこの女がいなければ成しえなかったし、大きく見れば自分と同じグループに所属する人間なので無下にもできない。

 

 一年とは言え年長者なのだから仕事を果たした人間には労いの言葉くらいはかけなければならないだろう。うん、と小さく咳払いをすると女生徒は待ってましたという表情で顔を上げた。

 

 文化祭実行委員会、サボり組の先導者で扇動者。陽乃閥の隠れた幹部で八幡にとっては真の意味での最初の後輩。一色いろはよりも遥かに可愛げがなく鬱陶しいだけのその女――相模南の顔を見返しながら、八幡はどうしてこんな面倒臭いことになったのかと、過去に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 








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