犬とお姫様   作:DICEK

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知らないところで、組織の網は張り巡らされる

 

 小さな諸々のトラブルはあったが、一色いろは主導による文化祭は小成功の内に幕を閉じた。雪ノ下陽乃が主導した文化祭には及ばなかったものの、動員数は去年の物を超えぶっちぎりの動員数を記録した一昨年に次ぐ規模となった。陽乃回を殿堂入りとするのであれば、実質的なトップである。

 

 調べないと解らないようなその情報を、八幡はしっかりと宣伝させた。陽乃閥のネットワークを使い、三年から一年、ついでに教職員にまでその情報を流したのである。勿論、それが一年で実行委員長を務めたいろはの功績であると付け加えるのも忘れていない。いろはの名前を宣伝するためのイベントとして、文化祭は大成功したと言える。

 

 唯一の懸念は南との間のトラブルだ。学年の違う人間とのトラブルは後を引くと面倒であるが、両方が身内であればどうとでもなる。いろはは生きた心地がしなかっただろうが、片八百長が成立しているのであれば事態の収拾は容易である。万が一いろは憎しと考える人間が煙を立てようとしても、南本人がどうでも良いと思っているのだから、炎が出るまでには至らない。

 

 公式にも、南は体育祭の実行委員長を務めることで下げた評価を元に戻すことに成功している。妙に手回しが良いと思ったが、これはめぐりの仕業だったと八幡は後で知った。文化祭で泥を被ることに対するめぐりが用意した報酬がこれであるという。南は別にいらないと固辞したらしいが、こういう時のめぐりは梃でも動かない。

 

 結局、南が根負けする形でめぐりからの報酬を受け入れることにしたらしい。南の精神的には、めぐりに貸しが一つである。南の希望というよりもめぐりの希望の通りに南は体育祭の委員長に就任し小成功を収めた。文化祭がなければ成功の前についた単語は一つか二つグレードが上がっていただろう。隠れているとは言え幹部扱いなだけあって、南も中々良い仕事をするものだと八幡は内心で感心していた。

 

 その二つのイベントが終われば、次のイベントは生徒会選挙である。ほとんどの生徒に主体性のないイベントだが、会長の座を狙う人間にとってはそうでもない。尤も近年は生徒会活動に興味を持つ人間は少なく、前の生徒会長の指名を受けた信任投票の面が大きかった。

 

 風向きが変わったのは陽乃が立候補した年である。前年の会長から指名を受けた立候補者を圧倒的得票で敗北させた彼女の印象は当時の生徒にも強く残っていたらしく、めぐりが立候補した年は陽乃が後継指名をしなかったこともあって、めぐり以外にも複数の立候補者が立った。

 

 めぐりが当選できるか当時の八幡はそれなりに心配していたのだが、陽乃は『めぐりなら大丈夫』と確信に近いものがあったらしい。放任主義に見えて身内には甘い陽乃のことだ。本当にダメなようであれば裏から手を回すつもりでいたのだろうと今ならば解るが、結局めぐりは表立った陽乃の力を借りずに自力で会長の椅子をもぎ取った。

 

 そのめぐりは、自分のところのスタッフの二年を後継者に指名した。めぐり政権ができた時からのスタッフで政権発足前からの知人であるらしい。八幡と陽乃にその人物と交流はない。会話らしい会話をした記憶もなく、個人としては精々顔と名前が一致しているくらいで興味は全くと言って良いほどない。

 

 何もなければ八幡とは一生関わり合いにならなかった存在だが、いろはが話を奉仕部に持ち込んできたことによって事情が変わった。敵対する人間に興味なしという訳にはいかないからだ。めぐりを経由せずに少しずつ情報を集め相手のことを分析してみた結果、八幡が出した結論はめぐりと同じだった。

 

 これならいろはが会長になった方が何倍も良い。めぐりと一緒に働いていたのだ、無能という訳ではないのは八幡にも解るのだが、何の情報もない状況でどちらに投票するかと言われたら、八幡は間違いなくいろはに投票するという確信があった。おそらく陽乃も同じことを言うはずである。

 

 力不足を一番実感しているのは、当の候補者だろう。戦っても勝てないと解っているのに、戦わない訳にはいかない。めぐりのスタッフとしての誇りがきっとあるのだ。それがいろはにないとはあちらも思っていないはずだ。めぐり政権のスタッフの関係は、誰に聞いても良好という答えが返ってきている。それはめぐりの努力の賜物であるし、スタッフの努力の賜物だ。

 

 最終的にそれしかないとなればめぐりも戦うことを躊躇わないが、はっきりと好戦的な陽乃やどちらかと言えば主戦派の八幡と異なり、めぐりは対話とか調和を重んじるタイプだ。闘争によって幕引きを図るというのはめぐりにとっては甚だ不本意な結果ではあるのだろうが、当事者二人はきっとこの状況を楽しんでいる。

 

 所属しているチームが違うだけで、一丸になって事に当たっているのは間違いない。本当に不本意であればいくらめぐりの頼みとは言え、負けた相手に膝を屈するのを由とはしないだろう。めぐりが腐心して生み出した調和は意味のあるものだった。そのことを八幡は友人として――恥ずかしいので口に出しては絶対に言わないが、とても誇らしいと思う。

 

 生徒会選挙もめぐりチームの一騎打ちとなれば恰好もついたのだろうが、去年と同様本命以外にも複数の候補者が出た。締め切りまでに届け出があったのはいろはを含めて実に五人。予定外の人間が三人も出てきてしまった。リストに目を通したが記憶の片隅にもひっかかっていない名前に、八幡はひっそりと溜息を漏らした。

 

 記念立候補程度のつもりなら面倒が増えるだけなのでやめてほしいのだが、正式に書類が受理されてしまった以上本人からの辞退がないと不出馬は認められない。一応、油断せずに情報を集めたが、立候補者は全員二年であったため、奉仕部には知っている人間がおらず、念のため葉山チームにも伺いを立ててみたが、彼らからも知らないという返事があった。当然いろはも聞いたことがないという。

 

 めぐりに聞きにくいためしょうがないので南に聞いてみた所、比較的交友関係の広い南でも辛うじて知っているというレベルで会話したこともないというレベルだった。勉学でもスポーツでも芸術でも特に秀でているという情報はない。見た目も中の域を出ない。慎重に検討を重ねては見たが、どうひいき目に言葉を使っても彼らは所謂泡沫候補だと判断せざるを得なかった。

 

 念のために奉仕部の面々といろはにも意見を聞いたが、結衣以外は全員一致で無視してよし、というものだった。本命候補の二つが何か致命的な失策でも犯さない限り、泡沫候補に逆転の目はないだろうし、調べた限りではそれを何とかしようという熱意も意欲もなさそうである。記念受験ならぬ記念立候補といった所か。

 

「でも、能ある鷹はー、ほら、えーと…………何とかってことない?」

「隠そうと思って隠せるような爪なら、それは大したことはない物なのよ由比ヶ浜さん」

 

 結衣の言葉を雪乃が補足するが、まさか続く言葉を知らないのではあるまいなと怖い考えが八幡の脳裏に持ち上がる。部室を見回せばあははと笑う結衣に他の全員が小さな苦笑を浮かべていた。物を知らないことを一種の愛嬌で済ませることができるのは結衣の持つ才能である。これは逆立ちしても八幡が手に入れることのできないものだし、陽乃にもないものだ。

 

 だからこそ陽乃は結衣と波長が合わないのかもな、と八幡は心中で考えた。相変わらず結衣の話をすると陽乃の機嫌は急降下するのだ。感情を制御することに長けた陽乃にしては珍しい燻りっぷりであるが、これを突くとロクなことにならないことは恋人である八幡は良く知っている。

 

 排除しようと攻撃しないだけ、手加減はしているのだろう。事故の一件がなければそれなりに仲良くなれたかもと思うとやるせないが、そうならなかったのが現実である。問題を起こさないように陽乃が立ちまわっている以上八幡としては軌道修正をするべきではない。なるようになるだろうといういつも通りの結論を出して、八幡は思考を選挙戦に切り替えた。

 

「大人が行く普通の選挙と学校の選挙、何が違うか答えてみろ」

 

 八幡が全員に問うと、結衣を除く全員が一斉に手を挙げた。妙にやる気な面々と、私だけ!? と困惑する結衣の対比に苦笑を浮かべつつ、それじゃあ一番右からと最初にいろはを指名する。

 

「はい。投票率が100%に近いことです!」

「まぁ学校行事の一環なんだから当然だよな」

 

 100%そのものではなくあくまで近いなのは、当日に病欠や法事などで出席していない生徒が一人二人はいるからだ。実際の選挙のように期日前投票というシステムもあるにはあるが利用する生徒はここ10年の間に一人もいない。生徒会選挙は平日に学校行事の一環として行われるため、当日予定があると見越すことはサボりの宣言に等しい。校外のイベントに学校の代表として出席する際には公欠という形で出席日数が補填されるが、少なくともここ十年、生徒会選挙に合わせてそういうイベントが行われたことはない。

 

「それじゃあ次は川崎」

「選挙演説を確実に聞いてもらえることです」

 

 当日には立候補者と推薦者の二名による演説が全校生徒を前にして行われる。投票はその後のため、立候補者の顔も知らないで投票するという事態は防げる訳だ。実際にきちんと話を聞いて訴える内容を理解しているかはまた別の話であるが、少なくともその機会が設けられているというのは実際の選挙と明確に違うところと言えるだろう。自分が投票した人間がどういう主義主張をしているのかも知らないなど、よくある話だ。

 

「海老名はどうだ?」

「規定が緩いことですね。悪いことやり放題ですよ。八幡先輩の得意技じゃありませんか?」

「前半は同意見だが後半はノーコメントだな」

 

 選挙規定も一応存在するが、たかが学校の選挙と作った人間が思っていたのか実際の選挙に比べると制限も罰則も恐ろしく緩い。何しろワイロに関する規定が全くない。金持ちが立候補したらそれこそ全校生徒に金をばらまくだけで得票できてしまうシステムだ。

 

 実際にそこまで大がかりなことをすれば教師陣からクレームが入るだろうが、実弾がまずいならばそれ以外のことをするだけだ。怒られるだけで済むのならやらない手はない。陽乃の選挙の時は八幡はまだ一味ではなかったが手を出すまでもなかったと陽乃から聞いている。

 

 だが陽乃ならば、必要に迫られれば躊躇なくそういうことにも手を出すはずだ。清廉潔白に見せることの方が効率的だからそうしているだけで、不正行為に大した罰則もないのであれば手を出さない理由はない。

 

「雪乃は?」

「年長者が立候補できないことかしら」

 

 会長の任期は最長一年であり、その途中に在学生でなくなる見込みの者、具体的には三年生の立候補が校則として制限されている。選挙権はあるが被選挙権はない訳だ。実際のケースでそういうことは儘あるものの、年長者に対してそれが適当とされるケースは皆無に近い。何しろ新会長の任期の後半、彼らは学校にいないのだ。自分たちが卒業した後のことであるだけに投げやりな気分でいる生徒も多い。

 

「由比ヶ浜は何かあるか?」

「私も!?」

 

 手を挙げなかったのに指名されたことに、結衣は困惑する。あわあわと周囲を見るが、皆期待した目を向けるだけで助け舟を出してくれそうにない。何か言わないと収まらないということを、結衣はリア充側の感性で敏感に感じ取っていた。

 

 とは言え、言うべきことを思いつかなかったから手を挙げなかったのである。それなのに指名するなんて……と結衣の中には八幡に対する小さな文句がぐおぐおと渦巻いていたが、それを口にするよりもまず、質問に対する答えだ。指名された以上、何もないとは言えない。あまり良くないと自覚している頭を捻って十秒少々考えた結衣は、全くもって自信のなさそうな顔で答えた。

 

「任期が一年ってとこ…………かな?」

 

 結衣の答えに八幡は小さく感嘆の息を漏らした。答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。しかもちゃんと正解していることに、普段一緒にいる姫菜などは軽く感動していた。

 

 選挙で選出される仕事は概ね任期が定められている。法律によっては終身制ということもあるが、任期を短く区切るということは早々ない。組織の代表は最長でも一年しか在任しないと考えると、いかに一年という任期が短いのか理解できるというものだ。

 

 とは言うものの、高校生活の三年を人間の一生ととらえるのならば、その三分の一を政治に費やすというのは、短くないと言えるかもしれない。内申点が良くなるなどのご褒美があってさえ、なおなり手がいない年があることを考えると、普段はどれだけ人気のない仕事なのか解るというものだ。

 

「流石由比ヶ浜は賢いな。花マルをやろう」

「え、ほんと?」

 

 文句があったことも忘れて、結衣は手放して喜んだ。その表裏のなさに癒されつつ、結衣も含めて全員が選挙戦がどういうものかある程度理解しているのを確認した八幡は、それ以外のことを確認することにした。

 

「そんな訳で選挙戦が始まってる訳だが、状況はどうだ?」

 

 今回はめぐりの助力を表面上(・・・)は得ることができない。無論八幡は水面下で繋がりを維持していたがそれを知らせることのできる人間は限られている。奉仕部の面々でも知っているのはいろはを助けてほしいという依頼を受けたところまでで、それ以降は少なくとも選挙に関する限りは音信不通であるという建前で動いている。

 

 そのため表面的な情報収集はめぐりを介さずに行われている。奉仕部においては交友範囲が比較的広い結衣と姫菜が生命線だ。部員は他にも二人いるがこちらは交友関係が狭いのと皆無に近いのであまり役に立っていない。特に沙希などあまりに手持無沙汰にしているものだから、別の仕事を頼んでしまった程だ。

 

 自分にもすることがあったことに沙希は尻尾を振って喜んだが、全く友達がいないと言っているに等しい二つ下の後輩の人生が、今から心配な八幡だった。

 

「一年は国際教養科以外は全クラス一色支持で固まってそうですね。いろはのクラスがかなり活動的に選挙活動をしてるようです」

「うちのクラスにも来たよー。一年で会長っておもしろいよね、って投票する子多いかな」

 

 軽い情報収集であるが、それでも雰囲気だけは解る。誰が誰にという詳しい動向を得られるのが理想だが、学校の選挙戦であればこれくらいで十分だろう。国際教養科まで含めて1クラスの人数は同じだから、全てのクラスの有利不利が解れば、現時点での得票数をざっくりと予想することができる。

 

国際教養科(そっち)はどうだ?」

「こっちも一色一択ね。私が応援しているというのが大きいと思うわ」

「相変わらず人気者なようで何よりだよ」

 

 人気者の意向というのは無視できるものではない。まして一年の国際教養科は、雪乃の一党独裁と言っても過言ではないクラスだ。その雪乃が部活の一環とは言え早期にいろはの支持を表明したのだ。特に強い政治思想を持っているのでなければ、彼女のクラスメートは追従してくるというのは事前に八幡には予想できたことだった。

 

「三年の情勢はどうなの?」

「俺に聞くなよ、と言いたいところではあるがさすがに今回は俺も足を動かした。知ってそうな連中に片っ端から声をかけてきたよ」

 

 めぐりであれば一人に声をかければ済んだ所を、慣れない八幡は聞く人間が増えてしまった。三年の情勢はいろはと対立候補で7:3といったところだ。投票日一週間前で、しかも三年相手にこれなのだから大分いろは有利と言える。

 

「後は二年だけどね……」

「こればっかりはしょうがないね」

 

 姫菜と結衣が暗い表情を見せる。交友範囲が広い彼女らも二年の知り合いは少ないのだ。部活に所属していればその先輩を頼るということもできるのだが、奉仕部は三年一人に残りが一年という歪な構造をしているため、それに頼ることもできない。

 

 項垂れる後輩たちを後目に、しかし八幡は全く慌ててはいなかった。めぐりが内通者である以上、派閥の力は普通に機能している。普段と異なるルートを使わざるを得ないために時間がかかるだけで、知ろうと思ったことは問題なく知れるのだ。

 

 今回主に足を使ったのは南である。彼女が調べた範囲では二年は三年とは逆に2:8でいろはの不利という状況だった。流石に対立候補のホームグラウンドである。めぐりの選挙活動がうまくいっていることの証明でもあった。相手にとって不足はないとでも言ってやるとめぐりは喜ぶのだろうが、陽乃がこの場にいれば八幡と同じことを考えただろう。

 

 これは楽勝だ。

 

 よほどのアクシデントがふりかからない限り、自分たちの勝利は揺るがないと八幡は確信を持った。この時点で多数の支持を得ているという事前情報の助けもあるが、めぐり陣営にはない強みがいろは陣営にはある。それを理解しているのはこの場では自分だけだろうが……それを説明した所で有利不利に大した影響はないと、改めて説明するようなことはしなかった。

 

「それで先輩、ここから何をすれば良いんですか?」

「別に特別なことはしなくて良い。俺以外の部員を引き連れて、普通に選挙活動してこい」

「…………え、それだけですか?」

「ああそれだけだ」

「何かこう……秘策とかないんですか?」

「そういうのは負けてる人間がすることだ。事前調査で有利なんだから、二年に因縁をつけられないように気を付ければ、後は普通で良い」

 

 既に選挙活動は軌道に乗っている。奉仕部にいろはと同じクラスの人間はいないのにも関わらず、選挙活動に一年生の部員を貸してくれるとまで言っているのだ。援助をお願いしている八幡が大丈夫というのであれば、いろはの方はそれを信用するしかない。

 

 特に陽乃の妹であり国際教養科である雪乃の手を借りることができるのはいろはにとって大きい。一学年10クラス中、1クラスしかない国際教養科は普通科の生徒たちと壁がある。同じ学校の生徒という括りでは大きくみれば一緒であるが、特に国際教養科の生徒は普通科の生徒を同じ学校の生徒と思っていない節がある。弱めの選民思想とで言えば良いのか。ともかく生徒会選挙についても、国際教養科から立候補者でもでない限りはどこ吹く風だ。

 

 しかし、雪乃はその国際教養科の生徒であり、しかもどういう訳か人気者である。雪乃の支持を得ることは、国際教養科の支持を得ることに等しい。実際その効果は既に現れており、浮動票と思われていた国際教養科の票は既に三学年分いろはに流れている。

 

 各学年1クラスしかないと考えると少数派だが、国際教養科全ての票を固めることができれば、それだけで全校生徒の一割の票を獲得したことになる。雪乃の協力はいろはにとってこの上なく力強いものだった。

 

 何もしないという訳ではない。奉仕部の人員を借りることができるとはいえ普通の選挙活動はするのだ。いろはにとってこれからが本番であり、ここで下手を打てばすぐにそっぽを向かれることも理解していた。八幡が言葉で言う程状況はいろはに優しいものではない。気を引き締めなければいけないのだが、八幡の提案はどこかいろはにとってしっくりこないものだった。

 

 とは言え、こういう状況を望んでいたのも事実である。めぐりについて奉仕部に依頼をしようと思った時、思い描いていた状況がここにあるのだ。情勢は自分有利に動いている。クラスどころか学年の支持を得ることもできている。奉仕部との関係も良好だ。注文を付けられるような状況ではない。ないのだが……

 

 それではどういう選挙活動をするのか。実際に活動する一年女子の間で話し合いが始まる。当事者であるいろははそこでも積極的に意見を出したが、その間ずっと八幡を視線で追っていた。選挙活動にしない八幡は、議論には参加せずに参考書に視線を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選挙活動に関する打ち合わせは順調に進み、八幡が関わらないまま無事に終了した。今は親睦を深めようという結衣の提案で、いろはは引きずられるようにして放課後の街に消えていった。雪乃や沙希もそれに同道している。雪乃は何だかんだで結衣に甘いし、沙希も最近は妹のけーちゃんに交友関係を心配されているせいで、時間が許す限り結衣や雪乃に付き合うことにしている。

 

 対して八幡は女子の集団とは距離を置いていた。一人だけ学年も性別も違うこともあるが、恋人がいてそれが誰かを知られているため、女子たちから誘われることは少ない。誘われればついていくこともあるが、交友を深めることに関してはあまり物怖じしない結衣でさえ、八幡に声をかける回数はあまり多くなかった。

 

 戸締りを引き受け先に女子全員を返した。奉仕部の部室に自分一人だけでいるこの時間を寂しいと思う程感傷的ではないが、疎外感は感じないでもない。

 

「女子会で親睦を深めるんじゃなかったのか?」

「いやいや。流石に一人は八幡先輩がかわいそうかなと思って」

 

 当たり前のように目の前に現れた姫菜は、それが当然という様に八幡の前の椅子に腰かけた。他に部員がいる時にはない距離感だ。沙希などが見ればその距離の近さにいらだちを覚えただろうが、めったにないことではあるが二人の時はこれくらいの距離感が普通だった。

 

 遠慮がないのは例えば雪乃も同じであるものの、姫菜のそれは系統が違った。八幡と雪乃と姫菜。陽乃や南もそうだが、共通点はパーソナルスペースが特殊で歪な形をしており、かつ広いということだ。雪乃はそれを理解しているからこそ無遠慮ではあっても踏み込んではこない。適度な距離感でもって相手を尊重する。自分がそうされたくはないからという防衛的な行動ではあるが、あれで他人を思いやる気持ちは強いのだ。

 

 では姫菜には他人を思いやる気持ちはないかと言えば、もちろんない(・・)。等しく他人に興味がないからこそ、大分余裕をもって距離を保つ。だが全く興味がないが故に、特殊な視点で相手を見ることができた。例えば自分と似たような性質を持った人間が、どういう踏み込み方をすれば拒絶しないのか。

 

 目の前の椅子に座っても八幡は無反応だった。それを確認した姫菜は満足そうに頷くと椅子をもって八幡の隣に移動する。これが他の人間であれば迷惑そうな顔をして椅子を移動させたはずだが、近くに寄ってきても八幡は気にも留めなかった。肩越しに参考書をのぞき込んでも、八幡は微動だにしない。

 

 耳にかかる息がこそばゆい。ちらと横目で見ると、整った顔と眼鏡の奥の濁った眼が見えた。

 

「文化祭が失敗しなかった時点で勝ち確だったんですね」

「二年以上はできれば一年じゃない方が良いだろうが、できる奴だって解るなら頼りになる方が良いだろうからな」

 

 一年と二年の候補者がいた場合、二年以上の有権者が二年の候補者を支持したがるのは心情的なものだ。いろはがデキる奴というイメージは実利的なもので、これはめぐりが推す候補者にはないものだった。リーダーシップを発揮したことがあるかないかというのは有権者にとっては解りやすい指標である。

 

 めぐりの元で一年経験をつんできた対立候補は経験という点ではいろはを上回るだろうが、集団のトップに立ったことはない。経験の差という点も見方を変えればいろはに軍配が上がるのだ。

 

「というか見ただけでいろは有利ってのは解りますもんね」

「ほう。どういう所がだ?」 

「だって、見た目が良いですもん。うちの学年で雪乃くんと美少女度で勝負できるの、いろはだけですよ」

 

 当たり前と言えば当たり前な理由だ。単純に一色いろはは美少女だ。雪乃がいなければ文句なく一年で一番だったろうその容姿は視覚的なアピールに十分である。立候補者の能力に多少の差しかないのであれば、自分たちの代表として仰ぎ見るのは見た目が良い人間の方が良いに決まっている。好き好んで不細工を仰ぎ見たい人間などいるはずもない。加えていろはには直近の文化祭での実績がある。その累積はそう敗れるものではなかった。

 

 めぐり側の候補者もべつに不細工という訳ではないが、いろはには遠く及ばない。人は見た目が九割という。政治的な主張にほとんどの生徒が興味を持っていない以上、最も効果的なアピールは数字に残る実績と目に見える要素である。容姿というのは非常に強力な武器だ。普段であれば女子受けをしないいろはの容姿性格は全校生徒の半分にマイナスに働くものの、文化祭の実績がそれを相殺しプラスに働かせている。

 

 後はそれがプラスに働いている内に勝負を決めれば良いだけの話だ。人間冷静になれば普段通りの感性が戻ってくる。一か月二か月もすれば女子受けしないといういろはのマイナス要素が無視できないレベルになってくるだろうが、その時にはいろはは会長の椅子に座っている。

 

 リコールしてまでいろはを引きずりおろす程の熱意は誰にもないだろうし、そもそもいろはからの依頼は選挙で勝つことまでだ。そこから先どうなるかなど八幡は知ったことではない。

 

「解ってると思うがあまりそういうことは言ってやるなよ。特に本人にはな」

「八幡先輩に言われると喜ぶと思いますけどね、いろはも」

「どうだろうな。美人かわいいなんて言われ慣れてるんじゃないか?」

「そうでもないと思いますよ。媚び媚びなところはありますけど、いつも男の子に囲まれてる訳じゃありませんし」

「じゃあどういう層狙ってるんだあいつは……」

 

 男受け前提のキャラなのだから、男に囲まれているものだと八幡は勝手に思っていた。学年も違うものだから普段のいろはというものを全く知らない。

 

「少しくらいは陽乃さん以外の女性にも興味を持った方が良いと思いますよ?」

「だからって一色はな……」

 

 八幡の女性の好みの最たるものが陽乃だとすれば、同系統であるいろははほとんど全てにおいて物足りなく見える。確かに掛け値なしの美少女ではあると思うが、八幡にとってはそれだけだ。

 

 興味がないとは言わないが、特別時間を割こうとは思えなかった。仕事が絡まないなら猶更だ。

 

 感触が良くないことが理解できた姫菜は、それじゃあと八幡の耳元に顔を寄せた。

 

「それなら私とかどうですか?」

「…………どういう願望を持とうが好きにすれば良いと思うが俺を巻き込まないでもらえるか。俺はまだ死にたくない」

「陽乃さんのこと気にしてます? 私なら大丈夫だと思いますよ。だって、八幡先輩が私に本気になることは、絶対にないですもん。陽乃さんもそれを解ってますから」

「絶対と来たか」

「です」

 

 俺は絶対なんて言葉は絶対に信じないが、という言葉が口を突いて出そうになったが止めた。自分が言う絶対よりも姫菜が言う絶対の方が価値がありそうだったからだ。とは言えここで姫菜の言葉に乗って彼女に手を出すような愚かな真似を八幡はしない。

 

 恋人を裏切ることはできないという真っ当な理由が一つ。もう一つは単純に海老名姫菜という少女が全く、これっぽっちも信用できなかったからだ。

 

「ありがたくもない申し出だが、遠慮させてもらう」

「理由を聞かせてもらっても良いですか?」

「お前、俺もろとも死んでやるのも面白そうとか考えそうだからな」

「……………………やっぱり八幡先輩と私は相性ばつぐんだと思うんですけどね。今なら安くしておきますよ? しましょうよ。無意味でチープで退廃的で生産性のないセックス」

「そういうのは売り時を見極めて高く売りつけてやれよ、俺以外の人間に」

「そうですね。もう少し脂が乗ってから売りつけることにしますよ。八幡先輩に」

「だからやめろって……」

 

 普段であればもう少し手前の所で引いてくれるのに、今日は無駄にしつこい。遠まわしに構ってくれと言っているのだと察した八幡は、これ見よがしに溜息を吐いて覚悟を固めた。無理心中コースよりは大分マシだと無理やり良い方に解釈し、頭をがりがりとかく。

 

「何か飲むか? 紅茶かコーヒーしかないが」

「コーヒーで。砂糖もミルクもなしでお願いしますね」

 

 

 

 

 


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